第5話

「それでだ、そいつが剣をこっちに向けて喚いてやがるから、おれはそいつの船に飛び乗って、ひと暴れしてやったんだ」

 剣を振るうような仕草をしながら、クロムは話す。三人は目を輝かせて聞き入った。彼女たちが物心ついてからというもの、幸いなことに戦争は起こっていない。甲冑を着込んで騎士たちが戦場を駆け巡る話は、物語の中だけだ。ましてや海賊なんて、どんなことをしているのか聞いたこともない。

「想像もつかない生活を送ってたんだな」

 ジェーンは手を止めて聞き入っていた。

「そうだなぁ。異教徒の船になら、女もいたぞ。勇ましい女戦士」

「本当か?」

 ジェーンは目を輝かせる。しかしすぐさま、痛、と声を上げた。

「大丈夫? ジェーン」

 レイチェルが心配そうにジェーンの手をのぞき込む。ジェーンはなんでもないと肩をすくめた。

「お前、その刺繍へったくそだな。ぞうきんにでもするのか」

 クロムが茶々を入れる。レイチェルやナタリーと同じものを刺繍しているはずなのだが、なにやら前衛的な芸術作品のようになっている。

「う、うるさい! 得手不得手は誰にでもあるものだ!」

 ジェーンは顔を真っ赤にして言った。

「もうジェーンたら、騎士はやめて船乗りになる気? お父様が泣くわよ」

 ナタリーがたしなめる。クロムは笑った。

「なんだジェーン、騎士になりたいのか?」

「悪いか?」

 ジェーンはふてくされたようにそっぽを向く。

「暇さえあれば鍛錬、鍛錬。おかげで、下手に他の貴族の子弟と鷹狩りに行くと、ジェーンの方が勝っちゃうのよ」

「へぇ、そりゃいいじゃねぇか。口だけの男よりよっぽどいいぜ」

 ジェーンは意外そうにクロムを見た。

「本当か? そう言ってもらえたのは初めてだ。皆、口をそろえて淑女淑女淑女淑女! うるさいったらありゃしない」

 ジェーンは前半嬉しそうに、後半不満そうに言う。

「おお、あんな感じか?」

クロムが示す先のちょうど向かいの渡り廊下を、厳かな一団が通過する。

「あれが、王太后様ご一行か」

 クロムが小さく口笛を吹いた。ナタリーがしい、とたしなめた。深い湖のような碧いドレスを身にまとって、しずしずと王太后テレサが近侍のものを従えて歩いて行く。胸を張り、前を見据えて歩くその堂々たる様子に、三人はため息をついた。

「かっこいいわテレサ様。食事が整備されたのも、私たちみたいな貴族の娘を教育する場ができたのも、テレサ様が母国の様式をうまく取り入れて広められたおかげだとか。まさに理想の王妃って感じよね。青い瞳があれば、っていうお年寄りもいるけれど」

「青い瞳って、何かあるのか?」

 クロムはナタリーの瞳をのぞき込む。ナタリーはラズベリー色の瞳を向けて、「残念」と肩をすくめた。

「古い言い伝えがあるんだ。キュセスが大陸を創りたもうた時、それを三分割して三人に治めさせた。三人は同時に、王の証としてそれぞれ違う色の宝石を授けられたんだ。三人は、その宝石を目にはめ込んだ。そうしたら、その宝石は代々王の血統に受け継がれて、正当な王の血族の証となった」

 ジェーンが説明する。その横でレイチェルが、ジェーンの肩にもたれてその瞳を指さした。

「同系色の淡い色の瞳の人間が、王家以外にも生まれることがあって、それはキュセスの加護を得た、幸運の瞳って呼ばれてるのよ。ジェーンみたいなね」

「中興の祖・ヘンリー二世妃がそうだったから、比較されてしまうのよね。私は、テレサ様は十分素敵だと思うのに」

「今日はその、王太后塾はないのか?」

「パトリシア様――他国へ嫁がれた陛下のお姉様の使者が来ているのよ。ゆっくり話が聞きたいそうで、今日はお休み。だから私たち、今度の収穫祭で使う小物の刺繍をしているの。あら、今度はステュアート候だわ」

 流行りの服に身を包み、指に金細工の指輪をいくつもはめた男が、供の者を従えて違う方向から歩いてくる。初老にさしかかろうという年だが、若者には負けないという気概が見て取れる。そして、それを叶えるだけの財力も。ステュアート候はこちらに気づいてやってくる。三人は居ずまいを正した。

「レイチェルじゃないか。久しぶりだな。元気にやっているか」

「お父様」

にこやかに声をかけるステュアート候に、レイチェルも微笑む。ステュアート候はその様子に満足そうに頷いた。そして、横にいるクロムに目を留める。

「君が噂の、クロム士爵だね。うちの船も以前は手ひどくやられたものだ。しかし、味方についてくれるとなれば心強い」

「いやあ、いつまた敵になるかなんてわかりませんよ。ここは窮屈だ」

 ステュアート候は、クロムを上から下まで舐め回すように見た。クロムは苦笑する。

「付き合う友人は選びなさい。お前は近い将来、王妃となる人間なのだから」

 ステュアート候はレイチェルに向かって言った。レイチェルは困惑して「お父様」と声を上げる。クロムは茶々を入れた。

「手ぇ出したりしませんよ。大変そうだ」

「いやなに、悪い虫はつくまい。オズウォルト嬢がついてくれているからね。これからも頼むよ」

 ステュアート候は、ジェーンの肩を叩く。ジェーンは微かに眉を顰めた。

「レイチェル。お前は私の、いや一族の期待を背負っているんだ。他の娘と同じように、他の男に熱を上げてもらっては困るからな――おや、これはブリュワー嬢」

 ナタリーは、何でもないかのように微笑んでいる。ステュアート候は軽く手を振って去っていった。四人はその姿が見えなくなるまで見送る。

「父が、失礼なことを言ってごめんなさい」

 レイチェルが沈黙を破る。ジェーンの指に自分の指を絡ませて握った。ジェーンはそれを握り返す。

「友とは自分にとって有益な者だ、わきまえなさい。そうお父様はおっしゃった。けれど私は、そうは思わない。だって、ジェーンやナタリーがこうして現実にいてくれるんですもの」

「当たり前だ! 損得だけで人とつきあったりしない」

 ジェーンはきっぱり言い切った。クロムも頷く。

「それは俺も同感だな。いざって時に、背中を預けられるやつ。そういうやつと〝友〟って言えたらいいよな」

「お前にもいるのか」

 ジェーンは興味深そうにクロムの方を見る。

「いるさ。いるから海の上でやっていける」

 海へ思いを馳せているであろうクロムを、ジェーンはまぶしそうに見つめた。レイチェルはそんなジェーンに、表情を曇らせた。

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