161~170

161

 ながく生きすぎて感情を忘れかけていた私に、泣き笑いを教えたのはお前だった。共に過ごしたのは半世紀足らずだが、各々の刺激が真新しくとうといものに感じられた。

 私はいずれまた、まばゆい光源から遠ざかるように、感情を失っていくだろう。それでもお前との思い出が、星の光のように私を照らすと信じている。

―私を照らす光



162

 見慣れた街並みが魔法でそっくり塗り替えられたみたいだ。

 いい映画を観終えて映画館の外に出ると、いつもそんな風に感じる。空気さえ一新され、澄み渡る青空が、夕空を割ってねぐらへ帰る鳥たちが、ビルや車の光が、この世界を美しく彩っていることに息を飲む。

 美しい映画は、僕を生まれ変わらせてくれる。

―映画の魔法



163

 地球外知的生命体の侵略を受け、捕食される寸前で人類は必死に待ったをかけた。ヒトはきっと雑味が多く、美食を作らせる方が有用だと。

 懇願は受諾され、こうして会場で発表されるお題に添って料理人が即興でレシピを考える大会が生まれた。地球に合わせ年一で開催されるそれは、今では銀河系の名物だ。

―銀河の料理大会



164

 業界人が集まる場で麗しい女性に声をかけられ、やや緊張しつつ初めましてと挨拶する。ワインを含んで暫時、足元がふらつき、失礼――と言い終えぬうちに女性に支えられた。

 冷たい声が囁く。


「殺した相手の娘をお忘れなのね、残念。覚えていたら命までは取らなかったのに」


 私は倒れ伏す。足音が遠ざかる。

―覚えていたら



165

 夜通し操縦していた水上機を海に着水させ、翼の上であけぼのの空を眺めてしばらく、胴体から助手も出てきた。


「ご覧、虹だ。月虹が出ている。僕らの道行きも案外明るいかもね」

「生き残ってる人、見つかるかな?」


 海が地表の多くを覆った世界で、僕らは流離さすらいの旅をしている。きっとね、と明るく返事をした。

―水の世界で



166

 テレビに映るモノクロの彼を一目見て、くらくらっときましたわ。何かの導きみたいに、この人だと思いましたの。

 童女に返ったように夢見心地に語る女が、その後世紀の大悪党と呼ばれた男を孤島の監獄から脱獄させ、二人きりで世界を股にかける大騒動を繰り広げることになるとは、今は誰も知る由もない。

―くらくら



167

 ロマンス、あります。

 妙な売り文句につられ、立ち寄ったのは練り香水の専門店だった。


「ビビッと来るものをお選び下さい。そうすればロマンスはすぐそこです」


 店員さんの勧めるまま、一つの香りを選んだ。数日後、雑踏で自分と同じ香りを嗅いで振り向く。相手と目が合い、私は売り文句の意味を知った。

―ロマンス、あります



168

 幼い頃から魔法のステッキが欲しかった。それさえあれば、誰もが目をみはる美しく力強い姿に変身し、超常の力でどんな脅威も払える。

 今、石の置物を握った私の足元に、血を流した養父が昏倒している。そうか、ずっと身近にあったこれが、私のステッキだったんだ。体の奥深くから、笑いが込み上げてきた。

―私のステッキ



169

 辿り着くだけで難儀する立地の当店には、えも言われぬ妙味の特別料理がある。食すのは自己責任、店に関する全てのことに守秘義務があり、誓約書にサインした者だけが入店を許される。

 彼らは薬入りの食前酒で昏睡し、知らぬ間に開頭手術を受け、自らの脳を味わう。幸か不幸か、勘づいた者はまだいない。

―特別料理



170

 俺を貴女の僕にして頂けませんか。相手がいやそうに対価は?と訊く。


「貴女の傍にいられる以上の対価なぞ」

「違う、僕にしてやる対価に、私がお前に求める対価だ。そうだ、ここに毎日口づけろ」


 彼女は肘掛けに指を打ちつける。


「私の温もりを感じ、実際の体に触れられないことに煩悶しろ。それが対価だ」

―傍にいる対価

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