インタールード(幕間)

【ICレコーダーによる聴取・1】


 丸の内警察署・西園寺班 八重洲地下街ノーススポットにて


 #大越一生__おおこしかずなり__#の報告より作成

 2014/03.29 15:25


「警視庁丸の内警察署捜査1課の大越といいます。いやはや、この度は実に難儀な事件に巻き込まれたもんですな。目撃者の方々ということで、いくつか形式的な質問に答えて頂ければ、すぐにでも開放致しますよって。ご面倒でしょうが、どうかお二人には捜査へのご協力をお願いします」


「トマルです」


「カナリといいます」


「すんませんが、お名前はフルネームでお願いしますわ。差し支えなければ職業と年齢も。住所や家族構成までお答え頂ければ完璧ですが、個人情報ですので、そこは警察を信用してくれとしか」


「どうしてです? あたしゃ、ただの目撃者じゃないですか。こうして聴取にも応じている。いわば善意の第三者でしょうに。悪いんですがあたしらは何も悪いことなんてしてませんよ」


「そうっスよ。マルさんも俺もこのあと営業所に寄らなきゃいけないんで忙しいんスよ」


「ああ…いや、いきなり事件に巻き込まれたのに申し訳ありまへんな。お気を悪くなさったなら謝ります。ホンマえろうすんません。警察の悪い癖でしてな、事件が起きた時の前後の経緯と正確な情報がわからなきゃ整合性のとれた捜査資料は作れんつう、まあ警察らしいお役所仕事の一環だと思ってなんとか堪忍して下さい」


「ふん、都丸光一です。37才でこの辺りで物流関係の仕事をしています。実家は名古屋で今は大田区に一人住まいです。今日は休日で、たまたま近くの職場の営業所に寄ったついででナリ君とは近くでたまたま会ったもんで、そこでさっきの事件を目撃しましてね」


「金成陽一ッス。年は27で蒲田のアパートに一人暮らし。出身は北海道の旭川です。マルさん…都丸さんとは同じ職場の仲間です。

…刑事さん、被疑者は捕まったんでしょ? 車椅子のシンショーの女が犯人なんスよね?」


「まぁ容疑者については女性です。身障者かどうかは目下調査中ですが」


「…どうせアレでしょ? “私はシンショーなんだから、そんなことできるはずない”とか言うんでしょ? そんな訳ない。ふざけてるっスよ」


「そうそう。悪いんですが、車椅子でも人は刺せるでしょ。凄く血が流れてるのは見えたし」


「おや、お二人は既に容疑者についてよう知ってはるご様子ですな。見立てどおり被疑者は確かに女性ですが、今のところ彼女がどのように殺害したかまったく見当つかんのですわ。

…あと金成さん、差し出がましいようですが、きちんと身障者と呼んだ方がいい。その言い方はあまり良い印象を持たれまへんで」


「おや、刑事さんは障害者の女の言うことを信じるんですか? 足に障害を持ってるんでしょ? シンショーはまぁ分かりますが、障害者とすら言っちゃいけないんスか? 障害者を差別するなと言いながら片一方を守りつつ、もう片一方を突き放すようなことをするのは差別じゃないんスか。面倒くさいっスねぇ」


「悪いですが刑事さん、そういうのをね、片手落ちというんじゃないですかね」


「片手落ちも放送業界では使わんそうですよ。障害者も電車の広告案内や広告の掲示などでは平仮名で表記したりするそうです。いわゆる自主規制というやつですな。一定層に配慮した表現をしましょうと。いやはや、まったく都丸さんの仰るとおり、言葉の端々に気を遣わなあかんとは、面倒な世の中になったもんですな」


「ふん、刑事さんは身障者に随分と理解があるご様子だ。あのね刑事さん、あたしも言いたかないんですがね、悪いが世の中ぁ広いんだ。人間の裏の顔なんてわかりゃしませんよ。女で障害者だってんなら尚更だ。筋金入りの金に汚い嘘つきの言い逃れに決まってるんだ」


「ふむ、彼女が殺したに違いないと仰る?」


「そりゃそう思いますよ。あたしゃ、あのリーマンと不倫でもしてたんだと思いますよ。それも障害者のふりしてね。障害者手帳を印籠いんろうのように振りかざしゃ何でもできると考えてるような不逞ふていやからはいるじゃないですか。大方、あの体格のいい男の人と金で揉めたんじゃないですか。あの男も高そうなアルマーニのスーツ着てたし。大方、痴情の縺れってやつですよ。悪いんですけどね」


「けどマルさん、あの女、綺麗な服着て高そうな大きな丸いリングのイヤリング付けてたっスよ? ありゃね、けっこうな金持ちですよ」


「そうなのかい? 男の方はかなり大きかったよ。髪型はオールバックでさ。まぁ二人ともそれなりにいいとこの人達なのかもね」


「ふむ、お二人の考えはそれぞれ違うようですな。被疑者と被害者の身なりや印象に限っての話ですが」


「ふん、容疑者が金持ちか貧乏かなんてどうでもいいですよ。それより障害者ならどんな言い訳も通るでしょうや。目の不自由な振りをして障害者手帳で悠々自適に暮らしているような不逞ふていな輩だっていたじゃないですか。差別? 区別ですよ。区別しますよ、そりゃ。当たり前じゃないですか。

 大きな声じゃ言えませんがね、あたしは大ッ嫌いなんですよ、アレ。障害者の人権団体とか女性の人権に関する活動をするフェミニストって言うんですか? 最近ではええと、ポリ…ポリナントカに配慮しろ、とか言ったりするそうですが…」


「ポリコレですか? ポリティカル・コレクトネスの略でんな。不快感や不利益を与えないように意図された言語、政策、対策を表す言葉を使え、というやつでしょう。人種、宗教、性別などの違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現や用語を用いるべきだ、という」


「そうそう、それそれ。そのポリコレに配慮して、とか言って平気で男性を貶めたり批判したりするような奴らがいるでしょ。ああした連中がね。アレを言うなコレを言うなアレは駄目だコレは駄目だと本当にうるさいでしょ! 押し付けがましいったらありゃしない! あんなもん誰が得するっていうんです。言葉狩りもいいとこですよ。ああした奴らはポリコレって凶器を振り翳す左翼主義者なんですよ。悪いが左翼連中なんてね、結局外人の無茶苦茶な要求や主張を通す為にいるような奴らなんだ。最近だとパヨクとかいうそうですが。外人の癖に選挙権寄越せとかね、馬鹿にするなと言ってやりたいですよ、悪いんですがね」


「マルさん、それじゃまるでネトウヨみたいじゃないですか。右翼にかこつけた排外主義みたいなこと言うのが一番の差別じゃないっスか? 外国人には外国人の主張があるのは当然でしょ。あとガイジンって言い方もマズいっスよ。差別主義者ほど差別じゃない区別だとかよく言うらしいっスよ」


「ふん、ナリ君は左翼みたいなこと言うな。ネトウヨだって元はネットウヨクで立派な差別用語じゃないか。普通の日本人としか定義できない人達が自分達を非難するからネトウヨって大雑把に呼ぶことしかできないんだから、お里が知れるってもんだよ。だいたい身障者や女性の人権を訴えるような輩がね、SNSを使って責任を取らないのをいいことに、ああするなこうするなと本当にやかましいじゃないか。やれ差別するなだとか障害者にも人権があるんだとか、きちんと協力すべきだと。ああ言えばこう言う。日本人が困っている様子が楽しくて仕方ないなんて狂ってるよ。面倒くさいったらない!

 いいだけ揚げ足を取ったり同調圧力をかけてくるんだからタチが悪い! そんな声がやかましいだけの少数派が叫ぶやつ…ええと、確かこれ…これも何というんだっけか」


「ノイジー・マイノリティー…声の大きな少数派というやつですかな?」


「そうそう、それそれ! そうなってくるとね、身障者と関わるなんて面倒くさくなるでしょ? 身障者がかわいそうだし協力しようなんてね、これっぽっちも思えなくなるんですよ。悪いんですけどね」


「俺はそうは思わないっスね。好きで外国人や身障者やってるわけじゃないんだし、日本が好きで日本にいたいからいるわけで、別に出ていけとか誰かから強制される筋合いなんかないっスよ」


「それが問題なんだよ。そもそも不法入国してきたような奴らとその子孫がこの日本でデカい態度取るなって話さ。日本人なら日本人らしくすればいいんだよ。国旗に敬意を払わず君が代の国歌も拒否するような奴らは日本人じゃないんだよ。ああした連中が一番許せない。ああするなこうするなと無茶苦茶な要求する外人の為にこの国はあるんじゃない。選挙権なんてくれてやったらここが日本じゃなくなるよ? そりゃ侵略じゃないか。不法入国者なら、きちんと帰化するか、それこそさっさと元の国に帰ればいいんだ」


「そりゃ何十年前の戦後の話でしょ? 今、外国人がどれだけ日本に住んでると思ってんスか。マルさんは考え方が固いんスよ。時代に合わせて考え方もアップデートしていかなきゃ、それこそ少子高齢化でこの国なんか滅びますよ。侵略する必要なんかないくらいヨボヨボの年寄りしかいなくなるなら移民でもなんでも外国人を頼るしかない」


「移民なんてそれこそとんでもないよ。名前を隠して報道されるような奴らなんて腹の底じゃ…」


「まぁまぁ、都丸さん! 金成さんも。政治的な主義主張や外国人との関わり方の話は今はいいやないですか。都丸さんと金成さんの主義主張や思想はよッくわかりましたが、それが事件と何か関わりがありますか?」


「別にありませんよ。

…いいですか、刑事さん。何度でも言いますがね、あたしは見たんですよ。雑踏で揉みくちゃにされていても身障者の車椅子を見間違えるはずありませんや。死体のそばに、あの車椅子に座ったショートカットの女がいたのは間違いないことなんだ。他の人にも聞いてみてくださいよ」


「そうそう、俺らは人だらけの中でたまたま被害者の近くにいただけなんスから。そりゃ被害者の男の方ですか? あのスーツ着てがっしりした体格の男の人が死んだのはあの女の仕業なんでしょ? 一番近くにいて首を切り裂いたんだから」


「ん? 切り裂いた? 先ほど都丸さんは刺し殺したとおっしゃいましたが、金成さんは女性が首を切り裂くのを見たんですか?」


「そりゃ言葉のあやですよ。とにかくゴチャゴチャして見づらかったんですよ」


「そうそう。死体を見た時には僕とナリ君でさえ人混みに紛れてたんですから」


「それでは正確には二人は殺害の決定的な瞬間は見ておらず、二人一緒に目撃したわけでもなく、バラバラに被害者と犯行後と思われる加害者の姿を見たということになりませんか?」


「それは些末な違いでしょ。殺害から二人を目撃するまで時間的にそんなに経ってないんだし、被害者の男が死んだのは事実だし、刺されたから出血したに決まってるんだし。悪いんですけど、ナリ君とあたしとで見たものは一緒でも、感じ方はそれぞれ違いましょうや」


「そうっスよ。まぁそうも言うって話っスよ。人混みで分断されて別々に見たのは事実ですから、。そこを疑われる筋合いなんかないんじゃないっスか」


「しかし、周囲の方々は突然その死体が現場に現れたとそう供述しているようですが?」


「ハッ! はは…そりゃ狂ってる! 死体が現れた? そんな訳ないでしょうに! くくっ…あははははっ! そんな馬鹿なことがある訳ないでしょ。刑事さん、精神鑑定した方がいいっスよ、その女。さもなきゃ本当に狂ってるんですよ。イカレたキの字が起こした事件なんて警察がわざわざ追う必要あるんスかぁ?」


「ふっ…ふははっ本当だねぇ! 誰も見てない空間から死体と加害者が現れる! まるでくだらないトリックを弄する2時間ドラマのミステリーみたいじゃないか! 犯人は神経科に通院歴のある精神病患者だった! とかね!」


「あっははは! そりゃいいや! マルさん、それ傑作っスね! ンな馬鹿なこじつけするドラマなら逆に見てみたいっスよ!」


「まぁまぁ金成さんに都丸さんも、興奮せんでください。

…では、お二人は死体の近くにはいたが殺害の決定的な瞬間は見なかったということですな?」


「まぁ好きに捉えたらいいんじゃないっスか」


「そうですよ。悪いんですが何も変わらないと思いますがねぇ。アタシらはたんに現場にいただけなもんで」


「なるほど。他には何か気になることはありませんでしたか?」


「ううん…とにかく混雑していて滅茶苦茶だったもんで…あ、そういやマルさん。あの女が連れて行かれた後に、現場にほら、アイツがいませんでした? アイツ。あのマルさんが糞味噌に貶してた、あのインチキ弁護士」


「あぁ、サギカンのこと? いたね」


「サギカン? 事件現場に弁護士がいたというんですか?」


「ええ、杉山完二って曰く付きの有名な弁護士先生がいましてね、SNSなんかで左寄りの随分偏った発言する弁護士です。人権派弁護士って触れ込みで明らかに犯罪者を擁護するような書き込みをわざわざSNSで発言したもんで、つい最近、炎上したばっかりの人で。まぁ頭にくる書き込みが多い上に胡散臭い過去がある有名人ってのはいるもんで」


「ついた渾名がサギ完って訳で。まぁ、たまたま見かけただけなんですがね。

…ということで刑事さん、何もなきゃ、そろそろ退場させてくれませんか? 営業所に置いてこなきゃいけないもんがありましてね」


「そうっスよ。こう見えて忙しいんで」


「わかりました。最後に連絡先だけいただけますか? これ、名刺です」


「ほんじゃ我々はここで…」


「……ふむっ! あの二人、現場にいたはずなのに二人揃って車椅子の女を見たとか、なかなか面白い。まぁ、まずは有意義な証言者にあたったとしときましょか…」


 ※※※


【ICレコーダーによる聴取・2】


 丸の内警察署・西園寺班 八重洲地下街サウススポットにて


 #中本絢子__なかもとじゅんこ__#の報告より作成

 2014/03.29 15:31


「あ、私は警視庁丸の内警察署捜査1課の中本絢子いいます。どうぞ、ご協力よろしゅうお願いします」


「弁護士の杉山完二だ。公式な場ではないので敬語は別にいいだろう」


「外科医の龍堂明です。こちらも堅苦しいのは苦手でね。なるべく手短に頼むよ」


「はい、なるべく手短に済ませますけん、ご協力お願いします。エズい思いされたとこ申し訳ないんですが」


「ん? エズい?」


「あ、怖いってことです。すみません。地元が福岡やけん、なかなか訛りが抜けんくて」


「ほぉ、君は福岡かね? なら話が早い。今、この地下に銀星界の構成員が徘徊しているようだから至急警邏の警官を回した方がいい」


「ぎ、銀星界? 関西の暴力団ですか?」


「シッ! 静かに。他の旅客もいる。表向きは解体業や産廃業者を謳っている環境NPOだよ。何をしているかは知らないが、先ほどあちらの通りで五、六人見かけた。スーツでキャリーバックを持っているからすぐに分かる」


「はあ、貴重な情報ありがとうございます。とりあえず共有はしますが、まずは事件のことば聞かせちぇくれんね」


「どうもこうもない。生活反応のある解剖するまでもない他殺死体について、今さらどうこう言っても始まらないだろうに」


「は? 生活反応って…」


「君は警官なのに学がないな。いいかね、生活反応というのは人間が生きている場合にだけ起こる反応だよ」


「それは知っとうとですが、具体的にはどけんもんがあるとですか?」


「皮下出血や、心音や脈拍、呼吸や瞳孔反射などだ。瀕死の患者の生存を確かめたり、死体の損傷が生存中のものかどうかを確かめたりするのに利用される、いわゆる生体反応のことだろうに。そうですよね、先生」


「まあ、そうだ。やや専門的な用語を使えば創傷の局所の生活反応としては出血、創口が大きく開いている状態、炎症症状、セロトニンやヒスタミンの増加などがある。局所以外の生活反応には空気栓塞、脂肪栓塞、全身性貧血、血液の吸引、嚥下などがある。

 例えば焼死体にみられるようなすすの吸入や一酸化炭素ヘモグロビンの形成、水疱性火傷など、あるいは溺死体にみられる水の吸引や嚥下も大別すれば生活反応ということになるな」


「はあ、詳しい解説ありがとうございます。なにぶん学がないもんで、色々聞かせてほしいっちゃけど、先生。では、あの現場で激しく出血したいうことは、いうことですね?」


「あの死体の男に関しては、おそらくそうだろう。仮に全身の数カ所を鋭利な刃物で切り裂かれ、創傷のどれかが致命傷になったような死体があった場合、どの傷が生前か死後についた傷かは司法解剖する監察医なら判別できる。

 死後の損傷では出血しない訳だから、時間経過で漏出した体液が乾燥して黄色ないしは褐色のかさぶた状のものを形成する場合がある。生前に出血した血液は凝固して皮下組織の間に粘着していて拭き取り難いんだが、死後の新しい漏出性血液というのは簡単に拭き取れてしまう。

 分かりやすく言えば、死後の死体の後始末は犯人だけでなく、捜査機関や司法警察まで頭を悩ませるぶん調査にも追跡にも膨大な時間がかかるぶん、他殺死体が見つかった以上はとにかく大変だという話だな」


「他殺死体なんて見つからない方が楽だという風にも聞こえっちゃけど?」


「不適切な言い方なのは、外科医でも休日だからという理由で勘弁してくれたまえよ。

…でも、まあこれは仕方がないだろう? 生きていたのなら後始末どころの話ではない。医者は生きた患者に全力を尽くすものだ」


「それはそうですね。さすが専門的な知識を持っている人の知見は違いますね」


「報酬の高さは能力の高さでもあるということを忘れてもらっては困るよ。君も宮仕えの警察官なら、決まった給料に見合った職分を与えられているのだから、税金泥棒といわれないような仕事ぶりをしてもらわねばね」


「ダニングクルーガー」


「何だね?」


「いえ、何でんないです。龍堂先生は凶器はどんなものだとお考えですか?」


「特定は難しいが非常に鋭利な刃物だろうね。もちろんこれも無根拠なものではなく、生前の開放創というのは皮膚・筋肉などの収縮により傷口は哆開しかいといって、伸展して開いていることが多いからだ。

 死後につくられた傷の傷口は一般に哆開しにくいが、死後間もない時点での傷口は多少哆開するのだよ。生前の損傷においては発赤、腫張、化膿、白血球集合などの炎症性変化や肉芽の形成などがみられるが、死後の損傷にはみられない。だから炎症の経時的変化により受傷後の経過時間がおおよそ推定できる」


「ヴァーバルエベーション」


「さっきから何かね? 訳のわからない合いの手は入れないでくれんかね」


「いえ、何でんなかとです。では、凶器はともかくとして、犯行を行ったのは血塗れの容疑者以外は想定できんいうことですね?」


「そういうことだ。傷口その他の状況からあの女の容疑者以外に殺害できる人間はいなかったということの証明にしかならないがね」


「まぁ誰がどう見たって、血塗れの人物を犯人じゃないと考えるのは無理があるな」


「なるほどですねぇ。杉山先生は弁護士先生やけん、やっぱり容疑者の味方をするのかと思ってましたけん、意外です」


「敵も味方もない。弁護士はいつだって法に則った立場をとるものさ。それに容疑者とはいえ、彼らにだって人権があるのだし、ならばこそ事件においてはそちらを守ることを最優先するべきだよ。警察に逮捕されれば実名報道される可能性がある。実名報道を減らす為にも家族や自身が追い込まれない為にも、逮捕されそうな時は弁護士を頼む。それはきわめて当たり前のことじゃないかね?」


「あーね…あ、なるほどですね。それはそうですね。逮捕された上に誹謗中傷に晒されてしまうんじゃ、たまったもんやなかですね。

 参考までに聞くっちゃけど、弁護士先生は普段は容疑者が事件で弁護士を頼んできた時ゃ、どげんことばしよるとですか?」


「弁護士が効果的に行う活動としては逮捕されない為の弁護活動や被害者との示談交渉、実名報道を控える意見書の提出、容疑者が自首する際の同行だってするし、取り調べを受ける際には不利にならないようアドバイスだってするよ。ちなみに弁護士費用の初回は無料だ。最近ではネットの検索から簡単にアクセスできるようになっているし、そうしたことでより多くの容疑者の人権を守っている。

 ネット界隈では弁護士は余計なことをするなだの、事件の被害者の人権の方に寄り添えなどと叩かれたりもするがね。冤罪だった場合はどうするんだという話さ。起訴されたら100%有罪にする仕組みの、日本の優秀な司法警察からは逃げられないのでね」


「なるほどですねぇ。仮に杉山先生が今度の容疑者の弁護を依頼されたとしたらどないばしよるつもりとですか?」


「勝敗云々以前にまず受けないという選択肢を取る可能性はあるだろうが、仮に受けたとしても充分に被疑者と接見した上でないと判断は難しいだろうね。心神喪失状態の犯行という点も視野に入れなければならなくなるかもしれない」


「犯行は正にいきなり地下街のど真ん中で行われっちゃけど、ぶっちゃけた話、龍堂先生は被疑者が何か精神に問題のある人物だったから事件を起こしたいう可能性はどんくらいやとお考えと?」


「私は精神・神経科医ではないから名言は避けたいところだが、その可能性だって考えるべきだと思うね。それをいうなら、どんな可能性だってゼロではないだろう。

 患者の神経生理学的状態や、精神医学的疾患の病態生理に基づく治療選択はどうしているか、通院している病院はどこか、投薬治療はしているのかしていないのか、しているなら薬の種類は何か、通院歴はどの程度か、具体的な情報がなければ判断しようがないよ。被疑者が無罪である可能性はなきに等しいとは考えているがね」


「なるほどですねぇ。杉山先生は?」


「刑事はそうした印象で捜査するのかね? 人権に配慮せずに被疑者を病気だと決めつけているのなら、君のその質問はかなり問題があるぞ。被疑者のプライバシーを保護するために、精神科通院の事実についての情報は開示しないことをまず勧めるがね。そもそも我々は医療記録に関する情報は、医療の秘密保持の原則に基づき、開示することはできませんと述べなきゃならない立場だということを強調しておこう。

 警察官が不当に尋問したり取り調べ行為で事件と何の関係もない人々が社会的な立場を著しく害された判例ならいくらでもあるのだし、被疑者の人権としてのプライバシー権や、公正な裁判を受ける権利が著しく侵害される可能性があるのなら答えたくはないな」


「お二人はたまたま事件現場の近くにいたんですね?」


「何を勘繰っているか知らないが、たまたまいただけだよ。第一、人混みで何も見てはいない」


「私もだよ。人だらけで肝心な部分は見ていないよ。医者なら捜査協力すればいいようなものだが、あいにく休日でね」


「もういいかね? そろそろ我々は行かなくてはならないんだがね。こう見えても我々も忙しいのでね、またにしてくれないか?」


「わかりました。何か他に気づいたことがあればこちらに連絡ください」


「では、ここまでだな。頑張ってくれたまえ」


「せいぜい早期の解決を期待しているよ。福岡の刑事さん」


「……あぁ、バリ腹立つ! もう、大概ぐらぐらこいたばい!

…ふん、しゃあしぃわ。医者と弁護士が揃ってこげな時間こげなタイミングに、どこそうつきまわりよったと? しかも口を揃えて同じ証言とはこすか奴らたい。

 視線の動きに語彙的な逸脱行動といい、動揺するような何かを必死に隠したいって心理が見え見えやけんね。撹乱や時間稼ぎしたところで、関係者なんバレバレたい」


 ※※※


【ICレコーダーによる聴取・3】


 丸の内警察署・西園寺班 八重洲地下街サウススポット喫煙所内にて


 #小宮小次郎__こみやこじろう__#の報告より作成

 2014/03.29 15:33


「警視庁丸の内警察署捜査一課の小宮小次郎といいます。山本銀次さんでしたか? 代表の方にいくつか質問させて頂ければすぐに退散致します。まずは皆さん、団体でご旅行中のところ、ご迷惑おかけしまして大変に申し訳ありません」


「ほんまやで。まぁ団体旅行ゆうても部内に11人おる身内だけのささやかな慰安旅行じゃけぇ。それに、お上に逆らうようなアホはウチにはおらぁで気にせんでつかぁさい。

…それにしても兄さん、アンタごっついガタイしとんのう。耳たぶが潰れとるやないか。柔道かなんかやっとったんかい?」


「恐縮です。学生時代は100kg級の選手でした」


「ほうか。コイツは鏑木正勝いうてワシの身の回り一切を任せちょるき、聞きたいことはコイツに聞いてつかぁさい。旅行であちこち歩き回っとうけぇ、えらいわ。まぁワシもおるけぇ、疑われてもかなわんきに、質問は手短にな。お上には協力するけぇのう」


「NPO法人、西日本環境アセスメント協会の鏑木正勝いいます。まあ、お上には別の名前でいうた方がわかりやすいかもしれへんから、予め正直に言わしてもらうけど、ワシらぁ関西じゃ銀星界とも呼ばれとりますわ。まあ、休みの日でもスーツでこの見た目や。刑事はんもさぞかし胡散臭い団体や思うたやろ?」


「いえ、そんなことは…。捜査に協力して情報を頂くからには、どんな組織だろうと、どんな素性の方々だろうと関係ありません。

 そりゃあ反社会的勢力がNPO法人を悪用したり、NPO法人が不祥事を起こしたなんて話はよく聞きますが、誓って先入観で捜査したりするようなことはしませんので、そこはご安心ください」


「ああ、そらまぁええて刑事はん。ワシら胡散臭い団体やいわれよぉが、きっちり許可申請を受理された団体やで。別にカタギの人らに迷惑かけとる訳やなし、どないな噂があったかて、別にワシらは変わらん。欠格照会やゆうて関西の自治体に問い合わせしてもらってもかまわんしの。

 こないな事件に巻き込まれたんも、言うてみればワシらの胡散臭い肩書きのせいかもしれへんし、捜査協力ならもちろんするで」


「ありがとうございます。では、手短にガイシャ…被害者なんですが、皆さんはあの飲食店の近くで事件を目撃したそうですが、その時は事件現場はどんな感じでしたか?」


「とにかく客でごしゃごしゃしとったんわ、よぉ覚えとるわ。ワシら団体客やから邪魔にならんように隅っこの方におってん。土産やら買い物やらで、二時半ぐらいまでは自由行動にしとかんと不満が出るやろ。

…おう、誰ぞあの刺されたオッサンを近くで見た奴はおるか?」


「どっから来たのかは見てまへんな」


「そういやカシラ…鏑木さん。あの殺されたオッサンなんですがワイ見たことありまっせ。ありゃ国体に出とった津田や。津田大介やで。えらい高級そうなスーツ着とったが間違いありまへんわ」


「何やと? おい、哲…フカシやないやろな。刑事さんの前や、きっちり説明せえ」


「へぇ、柔道元国体選手の津田大介いうたらワシらの世代じゃ知らん者のおらん強豪選手でしたわ。90kg級もそこそこな体格で、どんなガタイの相手も綺麗に体落としを決めるいうんで“落としの津田”なんて呼ばれとりましてな、ワシも昔は柔道で慣らしたクチやけど、綺麗に転がしよると感心したもんでっせ」


「それは貴重な情報をありがとうございます。私も柔道部出身ですが、その津田さんですか?そちらの方のことは知りませんでした。となると犯人は相当に腕の立つ相手だったということになりますね。相手が誰だろうと臆せず凶行に及んでる訳ですから、それなりに肝の据わった人物でもある、と」


「おいおい、刑事はん。相手が強いから、それなりに腕の立つ相手やろっちゅうのは道理なんやろうが、ワシらの中に殺しをするような奴はおらんで。第一、容疑者は女やろ。ワイらを疑われても困るで。まさか、共犯者やとでも思てるんやないやろな?」


「もちろん、皆さんを疑っているわけではありませんよ。周辺に何か、きな臭い要素が散見しているのが気になっている訳でして」


「同じことや。きな臭いとは思うとるのやんか。疑われて気分のいいモンはおらんで」


「そやそや。結局疑ってるのやないかい」


「まぁ待て、おどれらは後ろで待っときぃ。

鏑木、お前も熱くなり過ぎじゃぞ。こがぁなとこで大の大人が目立つことすな」


「へえ、どうもすんません。親父の前で見苦しい真似でしたわ」


「刑事さん、ワシらはまぁ言うてみたら日陰者じゃけぇ、お世辞にもお天道さんの下をまともに歩けるとは思うとりゃせん。別にどんな疑いをかけられたかて屁でもないが、殺しなんてそがぁな滅多なことはよぉせんのじゃ。のぉ? 鏑木」


「へぇ、親父の言うとおりですわ。刑事はんには今さらやろうけど、殺しなんて間尺に合わんことはいくら極道かて今はせんのや。手足を封じられとるいうのが正確なとこやけどな。下っ端が下手を打ったら組のトップを捕まえるのが今の暴力団排除条例ちゅうもんや。

 暴対法といい、お上のやることは相変わらずえげつのうてのう、わざわざ人をぎょうさん使うて、コンクリ詰めにしたドラム缶を東京湾に沈めるような面倒なことは、もう時代に合わんのや。

 殺しが発覚するいうんは言ってみたら失敗や。下手くそな仕事の結果、殺しが起こる。世間様にバレるなんざ最低の仕事で、要は計画が失敗したいうことなんや」


「なるほど。殺人がバレるのは少なくとも素人の仕事というふうにも聞こえますが…。では仮にプロならどんな仕事をすると思いますか?」


「ワシらが言うのもおかしいが、暴力団絡みなら、少なくとも死体自体が出てけぇへんやろ。下手したら事件自体が発覚せんで。

 考えてもみい。仮に何かしら後ろ暗いことやっとる組織に殺しのプロがいたとして、それはあくまで殺しが目的や。依頼人には当然、別の目的がある。何かというとお上やカタギの連中はワシらのせいにして組織犯罪の名目で組員全員をしょっ引きたがるが、ワシらからしたらとんだ迷惑な話やで。そもそも人一人消そう思たら自ら手ェ下さんでも、他にやりようなんかいくらでもあるやろ」


「たとえば…事故死に見せかけるとか別の誰かに依頼する、とかですか?」


「まあそういうこっちゃ。外部に委託したって形をとれば、あとはそいつの裁量次第や。分業にした方が足はつきにくい。が、これも今やバレたら終いなんやで。二次団体や三次団体の構成員ってことが分かったなら、それこそ組ごとお取り潰しってなもんや。だからこそ殺しなんて間尺に合わんことはせぇへんいうねん。

 だいたい被害者の動産や不動産その他の権利や財産の搾取が目的だったとしたらやで。生きてるように偽装して金を絞り出すことを考えた方がよほど有益やろ」


「なるほど。割に合わないというか、利益にならないことはしないということなんですね」


「そうや。そもそも手際の良い殺しのプロほど相場は普通やない。大陸には目ん玉飛び出るほどの金額で請け負うような暗殺のプロだっておるって話や。鉄砲玉を使うまでもなく、素人を使った方が安上がりなのは確かやが、失敗したら元も子もないやろ」


「失敗したらタダじゃ済みませんね。僕ら警察なら刑事一人の左遷や減俸で済めばいいですが、よくて依願退職になりそうです」


「そらそうやろ。ヤクザかて一緒や。昔は組の為にムショに入れば懲役という名のお務めして出所後は幹部クラスにもなれたんやろうが、今はそうやない。どんな組織でも破門や除名って形を取らな、責任問題にもなる。

 反社会的勢力なんて一括りにされてるが、つまるところ昔とやり方はそんなに変わってへん。今は大っぴらに組の名前を使ってないだけで、表向き様々なシノギで金を上納しとる組がほとんどやろ。それこそ、下手こいた奴の方を組織は全力で追わなあかんやろな。エンコ詰めで済めばそれでええやろうが、下手したら行方不明になるで」


「なるほど。利益になれば逆にどんな方法を使ってもやり遂げるし、仕事として請け負うという風にも聞こえますが…」


「なんやと? よぉ兄ちゃん、さっきから聞いてりゃ少し気安いんとちゃうか。ワイ等とアンタらサツはしょせん水と油や。どう転んだかて、仲良うできるたぁ思てないが、口の聞き方には気ぃつけんと、そのガタイでも後悔するようなことになるで」


「待て。こがぁなトコでお上と揉めてどないするんじゃ。刑事さんよ、まぁどうとでも受け取ってつかぁさい。元ヤクザでも変わらんもんがあるとしたら、面子を潰してくれたガキには容赦はせんきの。大袈裟やのうて時には命を賭けることもあるじゃろ。善意の第三者に疑いかけるからには、そこら辺はよぉ弁えて捜査してもらわんとのぉ」


「なるほど。失礼な物言いになったようで申し訳ありません。非礼はお詫びします。では皆さんは集合場所にはいたものの、肝心の犯行の瞬間は、見ていない訳ですね?」


「まぁの。人でとにかくワヤくちゃじゃったけん、少なくともワシは見とらんの。血はぼっこう出とったがの。何や、赤い赤い…そらぁ真っ赤な血塗れの姉ちゃんがちんまり座っとったのは見たがの。ありゃあ正直、度肝を抜かれたわ。インドの鬼神さんみたいなブチでかいイヤリングしとっての。おどれらはどうじゃ? 何ぞ変わったもん見たかの?」


「ワイらも似たようなもんでっせ。人でとにかくごちゃごちゃしとって肝心なとこなんて見れなかったんやから、他の奴らなら知ってんちゃうか」


「他の奴らかて似たようなもんちゃうか。台車やら人やらスーツケースやら、とにかく好き勝手に行き交ってたわ」


「分かりました。何か分かったことや他に気がついたことがあれば、こちらにご連絡ください。長々とお付き合い頂いてありがとうございました」


「まぁ刑事さんも気張りや。ワイらはせいぜい旅行を楽しむよってな。ほなな」


「へぇ…銀星界って言ったな。事件とまったく無関係とは思えない。問題はわざわざ関西から出張って来た組が、この地下街で何をしてたのかってことだけど…」


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 八重洲地下街殺人事件:JUNYAの現場リポート


 東京は丸の内の八重洲地下街で衝撃的な殺人事件が発生した。幸か不幸か犯罪記者である筆者が今回、現場からいち早くリポートする機会に与れたので、いの一番に読者の皆さんに報告しよう。


 私は偶然にも現場に居合わせた。まずは、この衝撃的な写真を見てほしい。


 仰向けに倒れた男性の首筋から夥しい鮮血が迸っている。今、正に凶行が行われたばかりであろう殺害現場の衝撃的な一枚である。傍らに座り込んでいるのは20代の女性で、凶器こそ所持していないものの、顔が被害者の返り血で真っ赤に染まっている恐ろしい形相で発見された。その為、この恐ろしい女性はその場で駆けつけた銀座中央署の警官達によって緊急逮捕された。


 この血も凍るような殺戮の舞台はつい先ほど東京のど真ん中、それも東京駅からすぐ間近の八重洲地下街で起こった。


 血塗れになって佇んでいる写真の女性に注目してほしい。その無表情な瞳の奥に垣間見える暗闇の濃さには正直、筆者はそれこそ首筋に冷たい刃をあてられたかのようにゾッとした。即座にトラウマとなるこの衝撃映像は恐ろしいことに休日の昼下り、それも衆人環視の真っ只中という信じられない状況下で起こった。正に白日の悪夢。狂気の犯行と言わざるを得ない。


 現場は地下街の一角で、近くにショップや飲食店が立ち並ぶ通路沿いの付近で喫煙所や多目的トイレや地上への導線も近い場所だった。被害者の男性は、現場近くのトイレに立ち寄ったその後に女に襲撃されたと見られている。夥しい鮮血の返り血を浴びていることからも分かるように、犯人とされるこの女性は突然現れ、被害者の男性の首筋に正面から刃物で切りつけたと考えられる。


 駆け付けた警察によって逮捕された女性は血塗れでありながらも、その態度はきわめて冷静で、死体のそばで座り込んでいた理由については今のところ一切口を割っていない。


 この事件は地下街を訪れた市民に衝撃を与え、安全に対する不安が一気に露呈した形となった。これは無理からぬことだろう。海外旅行のツアー客や家族連れも多く出歩く日曜日、それも白昼堂々の犯行なのである。事が事だけに警察機関の動きは素早く、パニックにこそ陥らなかったものの八重洲地下街の境界であるグランルーフフロントやグランルーフ、東京駅一番街から先は東京駅という場所柄、この事件はきわめて重大なものと考えねばならない。


 この日本で最もセキュリティのレベルが厳格な皇居の付近で起こり、文化遺産そのものでもある東京駅の直近で起こった事件というのはもはや、日本の警察や司法機関そのものへの侮辱であり、警察の威信と誇りにかけて捜査するであろうことは想像に難くない。


 事件発生時、地下街の警備体制は万全の状態であり、当然ながらヤエチカの各所にある防犯カメラもある中で、犯行は白昼堂々と行われた。この信じ難い凶行を見るに、事件前後に被害者と加害者の間で何があったのかは今もって不明で、被害者の情報はきわめて少ない。だが、被害者については筆者は色々と情報提供できそうである。なにしろ知る人ぞ知る有名人であったからなのだ。


 写真の女性は片桐美波。東京駅直近のグラントーキョー・サウスタワーのオフィスビルに勤務するビジネスパーソンというのが現在の顔である。サウスタワーは東京駅直近のオフィスビルであり、名だたる有名企業がテナントに名を連ねていることからも分かるように、上層フロアはかの人材派遣で有名なあの企業であり、片桐美波は表向きは身障者向けの人材派遣の会社員だが、彼女は別の名前で呼んだ方が衝撃的だろう。


 皆さんは神狩ちなみという名前をご存知だろうか? 八年前の高校生当時、若干17才にして突如として芸能界からいなくなった高校生モデルだ。次の一枚の写真をご覧頂こう。この写真で彼女を思い出す人は多いだろう。


 丸の内の街中を背景にしたこの写真の美しい背景とその憂いの中にも強い眼差しを帯びた美しい被写体の表情は“奇跡の一枚”とも呼ばれ、パリコレのプロデューサーであるカーマイン・バークレー氏やファッション界のカリスマであるサミュエル・ジャクソン氏を始め当時の関係者達をして“世界を魅了した”とも“約束された逸材”とも評され、パリコレの舞台に最も近いモデルといわれた。


 モデルの世界をあまり知らない人でもパリコレと聞けば、世界トップのモデルの舞台として思い浮かべる人は多いだろう。日本人で初めてパリコレデビューしたのは、松田和子さんで、1959年のこととなる。そして、現在に至るまで数多くの日本人がパリコレデビューし、その数は男女を合わせると150人を超えており、日本人女性では2014年現在で25人がパリコレデビューを果たしている。


 もしランウェイで活躍するモデルならば、パリで開催されるショーのランウェイは最高のキャリアだと答える人は多数派のはず。高名なランウェイを歩くことは、一流のスタイリスト、編集者、ファッションフォトグラファーの目に留まる最高の機会でもあるからだ。


 そこで“なんとかやってのける”ことはパリのモデル業界では当たり前のこと。そして最善のうえにも最善を尽くすことは、このファッションの中心地において欠かせない心得と考えられている。モデルたちは、他のどの業界でも見られる野心満々で希望に満ちた新人たちと全く同じではあるのだけれど、夢の仕事に就くチャンスを増やすためなら、それ相応の嘘やごまかしともうまく付き合わなければならないということもある。


 海千山千の業界人とギラギラした欲望が渦巻く、そんなパリコレであれど、そこはやはりトップモデル達の最も高みの舞台であることは間違いない。そして、ここ近年はパリのモデル業界を取り巻く環境はけして日本人、殊に有色人種にとって好ましい環境であったとはお世辞にも言い難い。


 そこで17才という若さで颯爽と登場したのが、かの神狩ちなみであった。口さがない人々の間では、生粋の財閥令嬢という肩書きが先行した上での抜擢とも財力に物言わせたコネともいわれたが、そうした事実は一切なく奇跡の一枚の破壊力はそうしたやっかみや嫉妬や羨望というレベルを越えた世界的な評価だったことは間違いない。


 かつてアジア人初のトップ・モデルとして世界を席巻し、日本女性の新たな美を提示し、唯一無比の表現者として時代の先端を最後まで走り続けた山口小夜子という女性がいた。


 漆黒の長い黒髪とその長身はアジアンビューティという言葉を世界に広め、アジアの美の価値観を引き上げたともいわれる。その伝説の再来とまで言わしめた片桐美波という輝かしき逸材が、何故にこんな事件を引き起こしたのか。


 パリ・コレのランウェイさえ最年少で歩くことも夢ではないと言わしめた、見目麗しい財閥令嬢にして稀代の美人モデルが何故に殺人などという狂気の犯行に至ったのか。


 彼女がそもそも8年前に失踪した原因については現在調査中であるが、彼女が通っていた学園で当時、何か大きな事件や事故があって彼女はそれに巻き込まれたのではないかと一部有志達によって噂されているようだが、これはいずれ続報にて伝えたいと考えている。


 JUNYAことこの私、風祭純也は、犯罪記者の一人としてこの事件を徹底的に追及する決意を固めている。権力者による犯罪は捜査機関である警察の手を鈍らせ、時に隠蔽されたりもするが今回の筆者の写真や動画という動かぬ証拠によって順次、調査を進める過程で捜査機関への動きを加速させることは元より、世間の注目や関心は財閥令嬢である殺人者、片桐美波を糾弾せざるを得なくなる一大ムーブメントとなることだろう。


 このヤエチカ殺人事件は、現場リポートを通じて私たちに犯罪と向き合う重要性と警戒心を持つことの大切さを改めて教えてくれる。人事不省に陥った殺人鬼はいつだって社会の暗闇に潜んでいる。誰にでも背中はあり、いつ何時、血に飢えた獣の如き殺人鬼の冷たい刃によって襲われるかは誰にもわからないのだから。


 既に動画投稿サイトの【JUNYAチャンネル】では今回の事件現場の衝撃的な映像をお伝えしているので、高評価とチャンネル登録も合わせてよろしくお願いします。


 JUNYA


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 八重洲地下街の殺人について


 現在、世間を賑わせている東京駅直近の八重洲地下街で起こった殺人事件については、既にネットニュースやSNS上や大規模掲示板などで様々なやり取りが繰り広げられている。多くが混乱する現場の様子を伝える第一報ではあれど、こうした時にこそデマや流言飛語が飛び交う状況下にイチ記者として警告する意味で発信したい。


 私は偶然にも現場に居合わせた。


 突然のことに呆然とした様子は正視に堪えないほど悲痛で切実なものだった。彼女に一体、何が起こったというのだろうか?


 殺人容疑で緊急逮捕された女性は高校卒業を待たずして中退し、隠遁生活を送っていた、いわゆる深窓の令嬢だったことが判明しており、そのことが直ちに移送されないことに影響しているのではないかという憶測が事件の直後から急速に広まっている。


 ところが上記女性の経歴自体は真実だが、あたかも“超法規的な不逮捕特権”(刑罰回避特権)が存在するかのように報じられ、まだ噂の域を出ない段階で、たった今もその不確かな情報がまことしやかに一部のフリーランスの記者によって断じられ、SNSを介して世間に拡散されているという事実はいささかも飛躍し過ぎており、危険な流れだと筆者は思う。


 それだけではない。事件直後に本人の身内によってフェイスブックが削除されたとか、携帯電話が解約されたとか、いわゆる逆SEO(検索にヒットしにくくする工作)がかけられたなど、彼女が証拠隠滅の工作を行ったのではないかという未確認情報までがネット上に大量に出回っている。これらはあくまで未確認情報であり、現時点で真偽のほどは不明なのである。


 それにもかかわらず、これらを事件直後には早々に真実であると断定して、


「ほらみろ、財閥の関係者様が金に任せて証拠隠滅に動いているじゃないか。次はどうせ送検すらされないんだろ? 国会議員の不逮捕特権みたいで色々とおかしい、罰せられるべきだ」


「身障者ってのがそもそも嘘なら、どんな犯罪だってやり放題だろうよ」


「女なら必ず守ってくれるはずの、金に汚いフェミ連中が今回は早々にだんまり決め込んで事件に何もコメントしないの笑える。財閥関係者に忖度してる何よりの証拠」


 と憤る人々の数はみるみるうちに膨れ上がり、女性が現在勤めている会社名までが早くもネット上に晒されたのを機に、会社側の広報担当者は日曜にも関わらず、異例のコメントをTwitter上でコメントするまでに至っている。


 ついにはハッシュタグが登場して本人へのバッシングが大勢によって繰り広げられたり、厳罰を求めるネット署名活動がいきなり展開されたり、その過程で容疑者の実家の住所や彼女の住むマンションの住所や収入、友人知人関係といった個人情報までが特定され、家族や親族にまで累が及んでいる。その様子はまさに“正義の炎に燃える大衆”の恐ろしさをひしひしと感じさせるものだ。


 被疑者の女性を“上級国民”と多くの人々が呼ぶようになっているが、もともと“上級国民”とは匿名掲示板の中にある“#嫌儲板__けんもうばん__#”と呼ばれるスレッドの人々が、自分たちとはかけ離れた人生を送っている富裕層やエリートや芸能人たちを侮蔑して(また身分の差はないとする社会の前提を嘲笑する向きも含めて)用いたのが発祥である。


 今回の事件に際して、多くの人が当たり前のように“上級国民”というワードを使用している様には筆者は驚きを禁じ得ない。社会に不満を持つ層が集まるインターネット・コミュニティの片隅で局所的に用いられてきたにすぎなかった言葉が、SNSを介して瞬時にここまで浸透力を持つとは予想だにしていなかったからだ。


●社会に蓄積する不公平感というマグマ


 “上級国民”という、身分差別を彷彿とさせるような語が抵抗なく広がっていること、またこの言葉がある種の私的制裁の正当化の方便として用いられていることから、この社会には音を立てずに心の奥で煮えたぎっている“不公平感”というマグマが蓄積しているのではないかと考えられる。


 今までも何らかの理由で、こうした事件や事故というものは何度もあったが、今回ほど『正義の群衆』を作り出してはいなかった。容疑者の実家が関連企業をいくつも抱える財閥という資産家であったことや身障者ではないかもしれないこと、命を落としたのが警察関係者であったこと、そしてその令嬢が他の事件とは異なって一見、逮捕されなかったように見えたこと、そのすべてがこの“不公平感のマグマ”を爆発させる起爆剤として作用したように思えるのだ。


 たとえば被害者が資産家の令嬢ではなく身寄りのない高齢男性であったならば、殺害されたのが不倫相手の中年男性などであったならば、おそらくこれほどの反応は惹起されなかったはずだ。


●「特別な彼らと、何者でもない私たち」


 筆者は今回の事件はただ偶然に炎上案件になっただけだとは、とても思えない。「エリートはズルをして地位も富も名誉も手に入れている」という感覚をおそらく多くの人が暗黙裡に認め、それら不公平感が内面化しており、その認識に合うような整合的なストーリーラインがいつの間にか、恣意的に構築されてしまったように見えるのだ。


 エリートはズルをしている。それはカネや権力の話だけではない。こうして何か罪を犯した時にだって特別扱いされているのが、なによりの証拠だ、と。それはまさに「特別な彼らと、何者でもない私たち」という対比構造にフィットする様相だ。


 “上級国民”というワードをすんなり受け入れてしまったからといって、社会が分断され、階級闘争的になっていると結論づけることはできないが、エリートたちがカネも権力も、そしてなにより“正しさ”も欲しいままにしてしまい、非エリートたちは(直接にそう言われなくても)自分たちは劣っていて、弱く、そして間違っているかのような感覚が広まっていることは否定できないようにも思える。


…怒れる人々に問いたい。あなた方は今、容疑者に執拗に罵声を浴びせ、SNSや巨大掲示板などで誹謗中傷を繰り返し「自分は無力な存在ではない」と肯定し、多くの人々と共感することで他人を傷つける大義名分を得てしまってはいないだろうか? これは弱い者いじめなどではない、悪を糾弾して何が悪い、と理由をつけて身障者を平気で傷つける取り返しのつかない過ちに加担してはいないだろうか。


 集団の中の一人の発言ならば誹謗中傷したところでどうせわかりっこないし、特定なんてされないし、訴訟沙汰に発展することなどあるわけないと安易に考えてはいないだろうか?


 身障者で女性で財閥令嬢でも人殺しは人殺しだとセンセーショナルな話題だけに囚われ、その言葉の刃によって取り返しのつかない弱い者イジメや暴力に加担してはいないだろうか?


 今や信用のないマスメディアのイチ記者である筆者の声など煩わしいだけかもしれないが、どうか耳を傾けてほしい。今はまだ警察による捜査の段階で彼女はあくまでまだ容疑者の圏内であり、身柄だってきちんと警察によって拘束されている。正しさとは時に苛虐のブレーキを際限なく踏みしめて相手を叩いてもよいと錯覚させるが、その瞬間に己も加害者になるという点を忘れないでほしいのである。


「正義の心に燃える群衆」の多くはこの平和で安全な社会で堅実に暮らしていて、自分たちは「よい市民」として暮らしているはずなのに、自分の傍らには、なぜかその暮らしが報われていないような感覚がつきまとっている。


「自分は“正しい行い”をしているのではなく、ただ“間違っていない”だけ。“失敗していない”のではなくて、“成功していない”だけ」であると。


 否定はされていないが、しかし肯定もされていないような、“中空の存在”として生きることを余儀なくされている。そうした感覚があるのではないだろうか。


 私たちは日々一切を穏やかに暮らしていくため、平和で安全な社会を一致団結して作り上げてきたはずだが、同時に“悪の帰還”や“刺激を与えてくれる危険な獣”を知らず知らずのうちに待ち望むようになってはいないだろうか?


 平和で安全な暮らしは、自分が「まとも」かどうか、「正しい」かどうかの相対的な立ち位置を見失わせるが、わかりやすい絶対的な悪は、私たち一般市民に「まともさ」や「正しさ」を確認させてくれるからだ。


 大勢の人が挙ってバッシングに加わり、怒号や罵声を浴びせる。その列に自分も参加することで「自分は今も正しい側にいるのだ」と再確認することができる。平時の自分ではとてもかなわない相手を糾弾し、打倒することで「自分はけっして無力な存在ではないし、正しい行いもできる」と多くの人々の承認の下に肯定されることになるからだ。


 いま苛烈を極めている“令嬢バッシング”。それは殺人事件による死者も自殺者も減少し、犠牲者数も年々減少する平和で安全で穏やかな社会のなかで“正しさの不在”に怯える人々の反動として今、嵐のように吹き荒んではいないだろうか。私達の中には魔女狩りのように私刑をも辞さない、不公平感のマグマを滾らせた獣が今、目覚めようとしてはいないだろうか?


『週刊実録犯罪』(来年度より『週刊クライム』に誌名変更します)記者 東城達也

 

 ※※※


「なんでここまで来て足止めされなきゃいけないのよ。その財閥企業のお偉いさんってのは、どこの誰? 挨拶回りだって仕事のうちだっていうから日曜のわざわざこんな人だらけのトコに来たのにさ。このままバックれてやればいいのに」


「ちょっとノリちゃん、また、そんなことを! 社長だって良縁だって喜んでくれてたじゃない。財閥企業がバックについてるところと取引なんて滅多にある話じゃないのよ。大企業ともなると企業イメージが損なわれるのを何より嫌うんだから。

 この間のイメージを払拭する意味でも片桐財閥の関連企業がスポンサーのトコとは…」


「ああ、もう! どいつもこいつも片桐片桐って五月蝿うるさいわ。頭のイカレた人殺しの財閥のお嬢様が何だっていうのよ。

 どうせ蝶よ花よと育てられた甘ったれのお嬢様が男遊びの末に殺したんでしょ。その跳ねっ返りでこちらが待たされるんじゃ堪ったもんじゃないわ」


「またそんなこと…。そういう軽はずみな言動といい、最近のインスタの言動もさすがに目に余るわよ。過激なことばかり言えば、世間に注目はされるだろうけど、炎上沙汰の抗議の電話やメールで事務所のウチらが大変になるんだから…。

 最近は不景気だから商品の不買運動なんてすぐに起こってスポンサーの株価も下落するし、同じ事務所の別のタレントにも迷惑かかるし、賠償責任なんてことにもなりかねないのよ。少しはその辺を自重してくれないと…」


「わかってるって! 今さら炎上の件をネチネチ言わなくたっていいじゃない。未だにネットで人をレイシストだの反日主義者だのうるさいってのよ。中指立てた写真にいいねしただけじゃん」


「アレはノリちゃんが悪いよ。天安門の写真に何かするのは政治的なメッセージと受け取られるからマズいんだって…。謝罪動画まで炎上したの忘れたの?」


「たまたま日本が嫌いな中国人向けに発言しただけで叩かれる筋合いなんかないわよ! きちんと私は日本人じゃないって謝ったじゃない」


「それは謝ったんじゃなくて火に油を注いだの。 いくら向こうの方が人口多いからって、そういうどっちつかずな態度がマズいんでしょうに。日本人の名前で活動しながら、日本批判ばかりしてたらそりゃ嫌われるでしょうよ」


「何よ、それで喜ぶ人達が仕事を寄越してくれるから成り立ってるんじゃないのよ。今さら文句…」


「すみません、何か揉め事ですか?」


「違います。何ですか、あなたは? ウチらが何を話そうがあなたに別に関係ないでしょ」


「あっ、申し遅れました。実は私、こういう者で。警視庁丸の内警察署捜査一課の松岡浩之と申します。入れ代わり立ち代わりの聴取で、どうもご迷惑おかけしております。皆さんをお待たせしてしまってるようで、本当に申し訳ありません」


「ああ、事情聴取? 刑事さんもそうなの? だったらさっさと済ませてくれない? 私もこの人も撮影の下見に来ただけで、別に狂った人殺しなんかに引っ掻き回されたくないのよね」


「それは、もちろんです。確認が済めばすぐに放免しますので、どうか捜査にご協力ください。まずはお二人のお名前からお伺いしても?」


「マリアン・紀子・ノイエルよ。冴島紀子って名前の方が多分有名でしょうけど」


「芸名というやつですね。いやあ、こんな場所で芸能人の方にお会いできるとは本当に運が良い! 冴島さんはお顔立ちから、どうもハーフの方だと察しますが、差し支えなければご両親はどちらの国かお答えしてもらっても?」


「ちょっと、確かにアタシはハーフだけどアタシの国籍なんて別に事件とは関係ないでしょ」


「いや、失礼しました。答えたくないということであればもちろん構わないのですが、なにぶん日本の警察はクソ真面目で、正確な捜査資料から作らなくてはいけないものでして。それに冴島さんのファンは警察にも多いものでして。何できちんと聞いてこなかったんだと後で気の短いオジさん達に喚かれるのは嫌でしてね」


「ああ、はいはい、刑事さんも大変ね。綾ちゃん、言ってもいいわよね? 別に隠してないし」


「あ…ええ、うん。それは構わないけど」


「アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴの出身で24才。父はアメリカ人で母は韓国人のハーフ。2才の時に家族とともに神戸市に移住して、それからは日本で暮らしてるのよ。今の住まいは渋谷区のタワマン。…これでいい?」


「どうもありがとうございます。ご丁寧に年齢まで教えて頂けるとは恐縮です。捜査1課にも冴島さんのファンがいるのできっと喜ぶことでしょう。ええと、そちらはマネージャーの方でよろしいですか?」


「あ、はい。株式会社エイジアキューブ・プロダクションの一ノ瀬綾子といいます。ノリちゃ…冴島紀子のマネージャーをしております。本籍は福井県の坂井市です。年は現在32才。世田谷区代田のアパートに一人暮らしです」


「ご協力ありがとうございます。早速ですがお二人はお仕事でこちらにいらしてたんですか?」


「ええ、今度の取引先が丸の内にビルを構えている企業で、ドラマの撮影もこちらを舞台にするって話が出ていたので。もう世間的にはいなくなりましたが、神狩ちなみっていう、昔凄く有名な人が当初はこの辺の背景写真のモデルをして一気に有名になったという経緯もあって。先方への挨拶がてら下見も兼ねて見回りってことに」


「ちょっと綾ちゃん。そこは違うくない? ドラマの話だって監督やプロデューサーに脚本家だってアタシで了承してくれたのよ。別に神狩ちなみなんて過去の亡霊が今さら舞い戻るなんて眉唾でアタシに話がきたわけじゃないでしょ?」


「そりゃそうだけど、事務所としては売り込みの際にたまたま彼女の名前を出したら、向こうが乗り気になってくれたっていうのは事実よ。この界隈じゃかなり有名な人だから」


「神狩ちなみ、でしたか?」


「ええ、パリコレのランウェイさえ夢ではない…といわれた伝説のモデルで、ウチの事務所に在籍していたモデルです。確か8年前はまだ17歳だったはずです。パリコレ云々は大袈裟ではなくて、彼女の美貌に目をつけたプロデューサーが国際的なプロモーターだったという経緯があって」


「殺人容疑で捕まった、元在籍の、元モデルね。ウチとは関わりないわよ」


「また、そんなこと…まぁ確かに彼女の言うとおりですが当時、業界にいた者にとっては正に原石としての価値が違ってました。凄く綺麗で目に力があって、なんというか近寄り難いオーラのようなものさえあった。凄く将来を嘱望されていて、ウチの事務所でも100年に一人の逸材を手にできたって沸いてた時期の人ではありました」


「要するに過去の人よ。もう物語の中の人」


「なるほど。では、逮捕された人物がで、ここにいたのはたまたま偶然であって、ましてや神狩ちなみが正式に復活するというような話ではなかったわけですね?」


「ええ、さすがに八年も経っていますし、私達の事務所であるエイジアキューブのタレントは国際色豊かな人材を売りにしているくらいですから。別に彼女だけが特別というわけじゃありません。そりゃパリコレの舞台にいきなり立てるような飛び抜けたコネクションを持つような人材というのはいませんけど…」


「そうよ。アタシは別に神狩ちなみのおまけじゃない。れっきとした同じ事務所の別のタレント。第一、表舞台からいきなりいなくなったようなモデルが今さら現れたところで、現在進行系で仕事してるモデルの人達に対して失礼よ」


「なるほど。当時は相当に前評判の高いモデルさんだったわけですね。神狩ちなみというのは、では芸名なわけですか」


「アナグラムでしょ? 当時からけっこう有名だったじゃない。ねぇ?」


「そうだったっけ? 事務所の中じゃ超有名な人だったけど八年前のことだから、実はあんまり覚えてないのよね。私も事務所に就職が決まったばかりの頃だったし。

 ああ、でも、確かそう。どこの誰か一発で分かるようになってるから、先方ともども気を遣うようにとは先輩達からは口酸っぱく言われてた気がする。すぐにになったけど」


「あの、すみません、アナグラムというのは? 神狩ちなみのことですか?」


「そうよ。神狩ちなみをすべてアルファベットにして並び替えると片桐美波になるって話。当時から隠そうともしてなかったって話よ。色々とその方が業界的にも都合良かったんでしょ。

 さすが財閥のお嬢様よね! アタシらとはもう住む世界が違うって感じ。二世タレント並みの高待遇と高貴な血筋のおかげで、高校生なのにデビュー前から仕事も貰い放題だなんて羨ましいわぁ」


「なるほど。八年前にはそんなことがあったわけですね。確かに財閥出身のご令嬢で当時高校生くらいでモデルともなると色々と大変でしょうね。そういえば先ほど、あんなことと仰いましたが?」


「ええ、なんでもとかで神狩ちなみは実はそのまま行方知れずなんです。とっくに契約は切れてるとは思うんですが、正式な引退の発表とかはしていなくて…」


「消えた幻のスーパールーキーってわけ。モデル業界じゃけっこう有名な話。デビュー前からパリコレのプロデューサーが目をつけてたって嘘みたいな話があったのよ。ま、どうせ政治的な判断ってヤツに決まってるわよ。謎めいたままいなくなった方が名前にも箔が付くってもんでしょ。だいたいなら尚更…」


「ちょっと紀子! その話は…!」


「あ…ご、ごめん! コレは本当にマズいんだっけ? すみません刑事さん…ほ、ほら、タレントの個人情報だから、その辺は勘弁してくれないかしら…」


「え、ええ…肝心の事件の話なんですが、お二人は事件のあった時間帯もここに?」


「ええ、現場っていうの? あの時間はアタシはブティックにいたんで見てないかな。床が血だらけで凄くうるさかったのくらいしかわからないのよね。最初は台車が人を轢いたのか、誰か怪我して騒いでるのかなって思ったくらいだし。人でごちゃごちゃしてて肝心な瞬間は見なかったわ」


「そうですね。女がナイフを持っていて、横に引いたか振り回した瞬間にバッと血が飛び散ったような感じで。けっこう人混みの中だったから、すぐに隠れちゃったんだけど」


「! 容疑者の女はナイフを持っていた。それは間違いありませんか?」


「え…な、何でです? 私、何か間違ったことでも言いましたか?」


「こちらが聞いてるんです。どうなんです、一ノ瀬さん。女がナイフを持っていて横に引いたか振り回したら血が飛び散った…。非常に重要な証言なんです。間違いありませんか?」


「え、ええと…。あ、あの…実を言うとナイフだったかどうだったかまでは…肝心なところで人の背中に遮られて見えなくなったんで。すみません。ただ、凄く血が飛び散ったのは間違いないです。そうです。やったのは間違いないです」


「なるほど。他に気付いたことは?」


「さあ、ランチタイムの時間だったし、旅行客のスーツケースやキャリーバッグの音でとにかく五月蝿くてごちゃごちゃした時間帯だったってことくらいしかわからないわ」


「私も取り立ててそれ以外の物は見なかったです。ノリちゃんの言うようにキャリーバッグや台車やカートが行き交ってたのは覚えてますけど、人だらけだったし、騒ぎがあるまでは何も…。

 あの、刑事さん、私達そろそろ…」


「あ、そうですね…分かりました。どうも、ご協力ありがとうございました。名刺をお渡ししても? 何かあればこちらに連絡を頂いてかまいませんので」


「ええ、こちらの連絡先もお渡ししておきます。それじゃあ私達はここで…」


「あの二人、一触即発って感じだったな…。

 それにしても…やはり目撃者が多すぎる。しかも、何人も目撃者がいるのに現場を直接見た人がいないってのは一体、どういうことなんだ。まさかとは思うが…。いや、だとしたら…」


 ※※※


「だから、この場所で間違いないって。ほら、ここだって。このランプが赤で点灯してるでしょ? 誰かが間違いなく押してるんだよ」


「だからザキさん、どうせまた親御さんに抱っこされた小さなお子さんが押したんでしょうよ。ここは防犯カメラも死角になる位置ですし日曜日なんて家族連ればかりで、うんざりするほど今まで同じこと起こってるんだし今さら確認したってしょうがないでしょ。そこのパスタ屋さんの従業員から音がうるさいから早く復旧しろと苦情が…」


「わかってるよ! だからここは飲食店とは別系統で離線もしてるし、空調も止まらないようにしてるんじゃないか。ウチと設備さんが復旧に行ってるんだから、苦情の方は説明するからいいよ。けど異常は異常なんだから、きちんとお客様には報告しないと不味まずいんだよ。後で異常があってから実は真報でしたじゃ洒落にならない。現場確認してから復旧しないとそっちの方が不味いよ」


「不味い不味いって、それじゃ体面ばかり気にしてるように聞こえますよ。お客様ってんなら飲食店の従業員だって、そのお客様だって、お客様はお客様でしょうに…」


「だから、分かったって! 混ぜっ返さないでよ。排煙機を止めなきゃ、どのみち復旧できないよ。ニトさんの悪い癖だよ。少し黙っててよ」


「あの、すみません警備員さん。何か揉めてるようですが、どうかなさったんですか?」


「ん? ええと、あの…すみませんが、お客様はどちら様ですか?」


「あ、失礼しました。警視庁丸の内警察署捜査1課の竹谷美玲といいます。先ほどの殺人事件の捜査で周辺の聞き込みをしておりまして」


「はっ! 捜査員の方でしたかっ! これは失礼致しました。八重洲地下街防災センターの警備員で新渡戸と申します」


「山崎です。どうもお見苦しいところをお見せしてしまったようで…。お騒がせしてすみません」


「何かあったんですか? 先ほどから凄い音ですが…あっ! 天井のダクトが開いてるんですね?」


「そうです。お騒がせしております。火災の事実はありませんので、どうかご安心下さい。現場の確認がとれないと復旧操作はしたらイカンことになってるんで、排気の音がうるさいですが、只今ウチの警備と設備の者が対応中ですので、復旧までにはもう少々お待ち下さい」


「それは構わないんですが、あれって火災の時の排気用のダクトですよね? あのダクトを誰かが開けたってことで合ってます?」


「そうです。天井のあの排煙口の開放ぼたんのスイッチのパネルがコレで。地下や室内に必ず設置してある、火災の時に煙を逃がす為の装置ですね。

 刑事さんの仰るとおり、故意か悪戯かは分かりませんが、この釦を誰かが押したんです。普段の通電時は緑色のランプですが、開放時にはこの通り赤いランプが点灯してバカッと音がして、あんな風に四角形のダクトが開いて煙を外に逃がす仕組みです。このとおり排気の音が相当うるさいし建物の空気の流れも変わりますから、こういった地下街とかデパートなどの商業施設では手動のドアが開閉しづらくなるなどの不具合も起きます」


「押しボタンのところにあるカバーが割れていますね。このガラスのカバーは後から付けたものですよね。ひょっとして誤操作防止の為ですか?」


「よくご存知で。“火災の際に押して下さい”とだけ注意書きがしてあるので、知らない人は排煙装置だとすら知らない人が大半でしょうね。さすが刑事さん、防火法にもお詳しいんですね」


「いえ、お恥ずかしい話ですが、幼い私の甥っ子がデパートで好奇心から押したことがあって、警備員さんどころか同業の警察官にこっぴどく怒られたことが以前ありまして…」


「そうでしたか、それはお気の毒に…。実際、何でも触れたがるお子さんや悪質な悪戯による誤報というのは多いんですよ。普通は防災センターから全館に火災確認放送というのを流すんですが、あまりに多い上に、全館放送となるとお客様から問い合わせも多くなって業務に支障をきたしますもので、お客様を不安にしないよう、誤報かどうか確認してから流せってことになってましてね。そうですよねザキさん」


「ええ、一応説明させて頂きますと火事の際に地下から煙を逃がす為の排煙装置ですから、困ったことにまず近隣の店舗の空調全体が止まります。冷暖房が停止するだけならまだしも、営業中の飲食店にとってはこれ、一大事なんですよ」


「空調が止まるとなると…あの、ひょっとしてお店の煙感知器が働かなくなってしまうんじゃないですか?」


「そのとおりです。排煙口が開放されれば、火災と判断されてしまい、炎が燃え広がらないように、まず連動して一括管理しているエリアの空調システムが自動的に止まるんです。空調が止まると調理中の煙を逃がす手段がありません。極端な例だと焼き肉店とか海鮮居酒屋とか中華料理屋さんとかですね。

 焼いた肉や魚の煙がそのまま室内に充満して蓄積し、今度は煙感知器の方が警報を出してしまいます。熱感知器なども設置場所によりますが、蒸し器を使用しただけでも高温の湯気を感知して発報…警報を出したりしますから、実は我々の周りは感知器だらけで誤報というのは困るんです」


「ピンポンダッシュのようなことをする子供の悪戯では済まなくなりますね」


「ええ、そんなことをすれば悪質な迷惑行為として警察に通報されますし、お店から被害届が出れば防犯カメラの映像記録を警察に提供したりもします。飲食店としては注文しているお客様をお待たせしている訳ですから、オーブンやIHヒーターやフライヤーなど調理器具の使用の停止なんて簡単にできないわけです。

 排煙口が止まって尚且つ煙まで充満して煙感知器が発報してしまったとなると、これはもう火災と断定されてしまいますし、近隣の消防署に自動的に通報されます。最悪お店のスプリンクラーが働いて、お店がびしょ濡れで水損で営業できなくなるなんてこともあり得るでしょう」


「まあ、それは極端な例ですが東京駅は日本一の駅であり、それ自体が文化遺産でもありますし、皇室の方々も御利用なさる駅ですから、沿線の施設で火災となると重大事件です。東京駅でボヤが出れば消防車が30台以上は平気で来る大騒ぎになるというのは、冗談のような本当の話です」


「なるほど、押した人物がその辺の事情を知っていたかどうかは分かりませんが、貴重なお話を伺いました。その人騒がせな犯人ですが、見たところ、この辺は防犯カメラがないんですね?」


「ええ。残念ながら死角になっていて、あちらのトイレからも近い上に駅に続いているので誤報や悪戯がとにかく多い場所なんです。ITV…防犯カメラの映像は今、調べていますが誰が押したのか、まだ特定はできません。この通り、プラスチック製のカバーを開け、ガラスのカバーごとボタンを壊すように押せば当然柔らかいカバーなど簡単に壊れますから、緊急用でもワンクッション置いた措置は予め取られてはいるわけです。子供の悪戯でもそうそう押したりはしないはずなんですが…」


「犯人はわざわざカバーを開けた上でこれを押していった、ということですか?」


「そうなります。何の目的でそんなことをしたかはまったく分かりませんが、悪戯とも思えませんね…」


「そのことでお尋ねしたいんですが、八重洲地下街や東京駅やその周辺のエリアというのは防犯カメラの配置や管理は、それぞれの防災センターで行っているんですか?」


「そ、そうですね。大きくは東京駅であれば何と言っても駅の内勤室。東京駅は八重洲側と丸の内側にそれぞれ防災センターがありますし、ショッピングエリアを統括している部署もありますので、そちらにも防犯カメラの映像が同期されているような場所も当然あります。この辺りでは東京駅1番街と我々のいる八重洲地下街防災センター、あとはグランルーフにも防災センターがあります」


「防災センターは防火ダンパやスプリンクラーや排煙口など、防火に関する総合的な防災機器や放送設備を備えた防災受信板や防犯カメラを統括管理していて、警備員と設備員が詰めてそれぞれ業務を行っているというところが大半だと思います。防犯カメラの映像を管理しているのは主に警備で、必然的にそのエリアの防犯カメラも防災センターの管轄ということになりますね」


「刑事さん、これ何か事件と関係あるんでしょうか? さ、殺人事件があったんでしょう?」


「すみません。まだ関係あるかは分かりません。事件現場からはここは少し離れてますが、関連性を探っていきたいと思っています。

 後ほど捜査関係事項照会書とUSBを持って、そちらに伺いますので、また映像関連でご厄介をかけるかもしれません」


「それは構いませんが、どうもウチだけじゃなく大丸さんの方でも押されたみたいなんですよ。ほら、あの地下の食料品売り場のコーナーのところ。ウチじゃない別の会社の警備員が立っていますでしょ?」


「あれは大丸デパートと契約している警備会社ですよ。どうにもこの先の東京駅一番街の方でも同様の悪戯があったようなんです。地上に上がるわけじゃないのなら、改札はこの先の八重洲地下中央口しかありませんから、ここを通るしかない。

 まったく、日曜日には困ったお客さんが現れるもんですよ。平日の方がはるかに平和だ」


「そうですか。ご協力ありがとうございました。あちらの警備員さんにもお話を聞いてみます。

 それにしても、現場に近いトイレから八重洲地下街を通って大丸デパート。そして東京駅一番街…。その先は東京駅か…。次々に押されていった排煙口の開放釦。事件と無関係とは思えない。

 悪戯目的じゃないとすれば、犯人はわざわざ順番に押していったってこと? 押していった経路上に防犯カメラは必ずあるはずで、警察だって必ず調べるはずなのに…。こんな目立つようなことを一体どうして…?」


 ※※※


「ふふん、駐車場を張っていれば必ず来ると思ってましたよ。どうも佐藤さん、お久しぶりです。異動して半年ほどですが、お元気でしたか?」


「白々しいですね、梅田君。最初から俺が来るとわかってたような口ぶりだ」


「あ、バレました? 実を言うとその通りで。決め打ちというやつです。カンドリなら被害者の足取りは真っ先に調べると思って。あわよくば知り合いに会えるかなぁくらいの気持ちで柄にもなく釣り糸を垂らしてたってのが正直なとこで。佐藤さんが来るたぁ、僕ぁ運がいい!」


「いや、不味いですよ、梅田君。俺は確かに西園寺さんの元部下で今でも丸警の先輩方は尊敬してますし、同僚や後輩達も信頼していますが、今の俺は銀座中央署のイチ刑事なんです。縄張り云々の前に守秘義務や不文律というものがあるんですよ。同じ組織ならよッくお分かりでしょうに…」


「いやいや、もう佐藤さん以外に有益な情報をくれそうな人がいないんですって! 佐藤さん、この事件は何か変です。本来我々に当たり前に入ってくる情報すら制限されるというのはいくらなんでも変です。異常事態です。銀座中央署の捜査員の皆さんときたら、箝口令でも敷かれてるのか、つっけんどんに“越権行為はやめてください”の一点張りですからね」


「だったら、俺の立場だって分かるでしょうに! 冗談ごとじゃなく、今は現場の警官全てが桜庭警部補の監視下にあるんですよ!」


「シーッ! 声が大きいッス! 佐藤さん、僕ぁ佐藤さんのお人柄をよッく知ってます。本当に知らなくちゃならないことを共有し合わなくて、チームプレイなんざ有り得ないッス。我々は何のために誰を守る為に動いているのかを間違えちゃいけないと思うっス。

…佐藤さんが本当に大切なものは何ですか? 家族ですか? 正義ですか? 組織ですか? 己に常に問いかけて下さい。その上で僕らに協力してほしいんです」


「卑怯ですね。次から次へと西園寺さんの言葉で問い詰められると…。梅田君、俺は確かに銀座中央署の刑事でウチが…というより桜庭警部補が箝口令を敷いている、“ある情報”を持ってはいます。しかし、その情報は厳重に秘匿されています。人の口に戸は立てられませんが、桜庭警部補なら刑事一人を左遷させるなど容易たやすいはずです。俺だって妻子ある身です、自分の身は惜しい。分かって下さい」


「桜庭警部補が秘匿している情報というのを教えてください! それが重要なキーワードになる。人一人の人生がかかっているんです。答えられないことは“言えない”で構いません。自力で調べます。それだけでもヒントになる」


「梅田君、わかってください。それができないのは、桜庭警部補もそうですが我々が警察組織の一員であるからこそ出来ないことなんです。僕がギリギリ言えるのはここまでです」


「それはガイシャが公安の刑事ということと関係していますか?」


「言えません。ですが、ガイシャはお察しの通り公安の津田大介という刑事です。ちなみに元柔道の国体選手でバリバリの肉体派です。見てのとおりベンツを所有するほど羽振りもいいようで。これ以上は、まだ調査中でわかっていません。公安の捜査員はかなりの秘密主義ですので」


「津田大介…彼は単独で動いていた。恐らくは公安による内偵捜査でしょうな。何の捜査をしていたんでしょうか?」


「言えません。ですが、彼は公安3課の刑事です。桜庭警部補の直近の部下だったそうですが。これ以上はさすがにちょっと…」


「特定の人物を調査していたということは?」


「言えません。捜査上の秘密事項です」


「それは、その被疑者の個人情報ですか?」


「言えません。国籍に関する情報なら尚更です」


「それは事件の関係者の国籍・・・・・・・・・ということで間違いないですか?」


「言えません。トップシークレットです」


「…警官が事件にあたるのも犬が棒に当たるのも当たり前だ。面倒がらずに、事件はいつだって自分のことだと思って最後までやり遂げろ。自分の手柄は警官全ての手柄。手柄は全部まるっと誰かにくれてやるくらいの器量と度胸と根性を見せろ。己の信念と仲間の為に体を張れ。一生懸命な者達の正しさが結局は全体の利益になる」


「そ、それは…」


「心臓が息の根を止めるまで真実を求めて走り続ける。それが刑事だ。あ、コレは…佐藤さんが好きな刑事ドラマの台詞でしたっけ?」


「…はぁ、もう…。分かりましたよ。俺からってことはくれぐれも内密にしてくださいね。絶対ですよ? 俺も仲間もみんなあの人に引っ掻き回されてるクチだし、こうなりゃ自棄やけだ。我々の真実の為に、分かっている範囲でなら何でもお答えしましょう」


「ありがとうございます! あ、ドーナツでもお一ついかがです? 佐藤さん、本当のところ津田刑事の死因は何だったんですか?」


「頸部損傷による失血性ショック死。鑑識の見立てでは生活反応があったようです。あの現場で首筋を切りつけられたのは間違いない」


「凶器については?」


「それは。現場からは発見されていないので。ただ躊躇ためらい傷や争った痕跡はなく、頸動脈だけをすっぱりと切り裂かれているので、明らかな殺意の下で非常に鋭利な刃物で迷いなく切りつけたと見られています」


「それはまた妙な話ですね…。その場で殺されたのに凶器がないなんて変じゃないですか?」


「だからこその緊急逮捕でしょうに。少なくとも血塗れの容疑者なら、誰がどう見たってそいつが犯人だと思うのが道理でしょう」


「では…その容疑者の片桐美波が銀座中央署にマークされていたのは、一体なぜですか?」


「別件の事件の関係者と思しき人物と容姿や特徴が一致しているから、ということのようです」


「ああ、桜庭警部補の言ってた例の別件ですか。

…あ、もう一つどうです? それともこっちのフライドチキンの方がいいですか? ポテトもありますよ。佐藤さん、お好きですよね、コレ」


「変わらないですねぇ、梅田君は…。最初から完全に俺を買収する気だったでしょ。

…まぁいいですけど。その別件なんですが、梅田君は一昨日の事件については知っていますか?」


「一昨日? 何か大きな事件でも? 何かあれば分かるはずですが、生憎とわかりません」


「…ちょっとお耳を拝借。

 あまり大きな声じゃ言えないんですがね…。この間、拘置所に留置された殺人事件の犯人が二日前に死んでるんですよ」


「え? し、死んだ? 拘置所の中で?」


「ん? ご存知ない? おかしいな…。箝口令の最中ですが、死んだ二人の情報については捜査協力した丸警の刑事課なら当然のように知っているはずだと思ったんですが…。まぁ身内の不祥事ですし、気を遣ってあまり公にはできなかったのかな…」


「え? そりゃまた一体…。死んだ二人? 身内の不祥事たぁ何の話です? 」


「何の話も何も、拘置所の独房で裁判前の未決拘禁者が死んだからですよ。彼らの逮捕にあたって捜査協力したのは丸警だったでしょうに。

…まさか、本当に何も聞いてないんですか?」


「そ、そのまさかです! い、一体…ど、どういうことで! 独房の中? ま、まさか…」


「2日前の夕方です。坂谷唯とカシム・アジャヒという外国人が二人、拘置所の独房の中でそれぞれ首を吊って死んでいたそうです。片桐美波が面会に訪れた直後に二人は自殺しています」


 ※※※


『週間実録犯罪記者 間宮夏希の取材覚え書き』

 白髪の不審者に就いて


●白いコートを着た、若い女で幽霊みたいに不気味な姿。杖を持って、凄く早く歩いてた。

(八王子・28歳・男)


●涙型のイヤリングをつけた女の幽霊。結婚式に行く途中で死んだ女。ウェディングドレスを着ていた。

(三鷹・42歳・女)


●髪が白く光る亡霊が出る。死んだ婆ちゃんと同じ葬式の服を着ていた。

(千束・11歳・男)


●白い髪ののっぺらぼうが、バトンのようなものを持っていた。トイレの辺りから来たと思う。

(田無・5歳・女)

 

●妹がのっぺらぼうを見た。お母さんはちゃんと顔があってお婆ちゃんだったと言っていた。自分は見ていないが、駅の方に行ったらしい。

(田無・7歳・男)


●白い喪服のような服を着た変な女が歩いていた。人形のような綺麗な顔で、様子が変だったように思う。スパイ映画か葬式帰りのような黒服の二人組が追いかけていくのを見た。

(柴又・29歳・女)


●白い服の幽霊が鞭を持ってうろうろしている。じっくり目を見ると、病気になる。

(昭和町・10歳・男)


●東京駅の地下街をうろつく幽霊がいて、気がつかなければ何事もないが、気がつくと近いうちに死人が出る。幽霊は顔色が悪くて、多分、鉄道事故で死んだ人だから、一目で解る。だからあまりじろじろ見ない方がいい。

(高円寺・16歳・男)


●エンディングドレスを着た老婆が地下街をうろついている。気にいった男がいるとロープでぐるぐる巻きにして連れ去る。幽霊や妖怪の類。

(聖蹟桜ヶ丘・32歳・女)


●白く光る喪服の女。墓場から掘り出した杖を持っている。あの女は幽霊。

(草加市・45歳・女)


●白髪の不吉な老婆が鞭を持って追いかけて来る。 追いつかれると三年後に死ぬ。

(品川・64歳・男)

 

●白い服の外国人の幽霊。言葉が通じないから、祟られると祓えない。お経も効かない。持っている杖は多分、人の骨でできている。

(芦花公園付近・12歳・女)


●白い女の幽霊。人がたくさんでも幽霊だとわかる。見ていると悪いことが起こりそうだから、わざと知らないふりをした。

(代田・19歳・男)


●黒いロープを持った怨霊。真っ白な髪。悪い男の人に出会うと、どこまでも追いかけて来る。トイレから追いかけて来た。

(祖師ケ谷大蔵・11歳・男)


●白いドレスを着た幽霊が杖をついて歩いているのを見た。足は全然動かしてないのにすいすい進む。何人も見ている。

(登戸・14歳・男)


●多目的トイレから逃げて来た白髪の不審な老婆が物凄い速さで駅へ逃げていった。黒服でサングラスの刑事二人組が追いかけていった。あれは早く捕まえないと悪いことが起きる、と旦那と話している最中に向こうの方が大騒ぎになった。

(多摩市・26歳・女)

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隅の麗人 久浄 要 @kujyou-kaname

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