12月27日

【12月27日】世界のへそ、古都クスコ(1)

 飛行機の窓から見下ろせば、急峻に切り立った形の峰が延々と続いている。首都リマから古都クスコへ向かう、約1時間半の飛行機の旅だ。このところ毎日、飛行機に乗っている。


 ペルーの山の形は、日本のものとはまったく違う。私の故郷の五島列島も、海から唐突に山が生え立ったような険しい土地柄だが、ペルーの山は比べるべくもなく、ずっと険しい。その急斜面の山肌に貼り付いて家が建ち、段々畑が作られている。


 山肌をうねうねと巡り、あるいは峰の頂を縫うように、赤い線が伸びている。舗装されず、土が?き出しになった道だ。ナスカの砂も赤みがかっていたが、クスコに近付くにつれて、地山の色がはっきりと赤くなった。


 やがて見えてきたクスコを、赤い町だと初めに思った。日干し煉瓦も屋根瓦も、山の土から作ればあの赤さになるのだろう。


 空港に降り立つと、ガイドの女性が迎えてくれた。華やかな目鼻立ちのメスティーソの女性だ。日本語の発音が明瞭で、言葉に迷いがない。ドラえもんが好きだから敢えて言うけれど、ゆっくりくっきりした話し方と声が大山のぶ代さんに似ている。


 彼女は、マリソルさんという名だった。聖母Maria太陽sol、という意味だろうか。綺麗な名前だ。


 ツアーの一行はいったんバスの中に集合した。そして、トラブルが起こっていたことを告げられた。二十数名の一行は2便の飛行機に分乗していたのだが、私が乗らなかった後発便が2時間近く遅れてリマを発ったばかりだという。


 マリソルさんは一向に慌てた様子を見せなかった。1日の終わりまでずっと完璧な采配だったと先に述べておく。昼食の予約や観光地の閉門、ホテルの到着など、時間に縛られた日程だったのに、2時間遅れをカバーしつつ、全部の観光名所を案内してくれた。


 クスコの小さな空港で予定外の休憩を挟むことになったが、かえってよかったかもしれない。クスコは標高3400メートルの高地に建つ町だ。誰もが必ず高山病を発症すると聞いていたとおり、何だか息がうまく吸えない。


 ハーフマラソンを走り切った後に、体の状態が似ている。手足に痺れがある。胃の上蓋みたいな弁がうまく閉じずに、胃液がちょっと上がってくる。階段を登ると、息切れがする。まもなく頭痛が来るだろうな、と感じた。


 やがて後発便のメンバーとも合流し、バスでクスコの中心地近くへ移動した。アルマス広場や大聖堂のある中心地には、バスで乗り入れることはできないらしい。


 赤い日干し煉瓦の建物の街並みは、石畳の坂道だ。道は山肌に沿って曲がり、一方通行や複雑な曲がり角が多い。長崎市内に似ている。


 クスコは、町全体が世界遺産に登録されている。都市建築の基礎をなす石灰岩の石組みはすべてインカ帝国時代のものだ。クスコがインカ帝国の首都であったのは、11世紀ごろから16世紀前半。以来、幾度も地震に遭いながら、石組みはびくともせずに町を支えている。


 車の入らないクスコの古い中心部、幅の狭い石畳の緩い坂道は、左右におみやげ屋の露店が出ていることもあり、京都の東山の坂を想起させる。スターバックスなどチェーン店の看板がひどく地味なのも、京都と同じだ。


 私は大学と大学院が京都で過ごしたから、初めて訪れたクスコが、不思議に懐かしく感じられた。


 クスコの街並みの石組みの精密さは「カミソリの刃も入らない」として有名だ。石材ひとつひとつの大きさは、切り出されたときのサイズに依存する。


 ときおり、表面が四角形ではなく、角が階段状になったものがある。十二角石、十四角石などと呼ばれ、観光客が足を止めるスポットだ。


「何でこんなに細かい角を多くしたのか? 今では誰にもわかりません。職人さんが腕自慢をしたかっただけかもしれません」


 マリソルさんの解説に笑ってしまった。職人の腕自慢、案外あり得る話かもしれない。いかめしく見える史跡にも、しばしばそういうお茶目が残されている。これを造った数百年前の誰かが、血の通った人間として、時を超えて近付いてきてくれた。


 クスコの観光名所を語ることは、単純でも容易でもない。スペイン人による征服と侵略の歴史に向き合わねばならないからだ。


 スペイン人がペルーのリマ周辺に上陸したのが1532年のことだ。日本で言えば室町時代末期で、戦乱の世の訪れが予感されていたころである。ちなみに、武田信玄が1521年生まれ、上杉謙信が1530年生まれ、織田信長が1534年生まれだ。


 上陸翌年、クスコはスペイン人征服者、フランシスコ・ピサロの手に落ちた。インカ帝国の皇帝アタワルパはすでに囚われ、身代金として大量の金銀財宝を差し出したにもかかわらず、異端裁判にかけられて処刑された。


 ピサロは、クスコをスペイン風の町に造り替えることを宣言した。インカ帝国の祭祀に重要なワカイパタとウカイパタの2つの広場をつぶしてアルマス広場を建設、広場を見下ろすビラコチャ神殿を破壊して、代わりに大聖堂の建築に着手した。


 破壊された祭祀の施設や神殿は、上記のものに留まらない。それどころか、ありとあらゆる文化や信仰にまつわる建造物の破壊を、ピサロは命じた。破壊の手を下した者は、スペイン人に限らなかっただろう。クスコ市民も動員されたはずだ。


 最高神である父なる太陽神を中心に、星や月、雷などの天の神々を祀るコリカンチャ神殿の上には、サント・ドミンゴ教会が建てられた。


 コリカンチャ神殿はもともと、天体の光を表すため、また観測に用いる鏡とするため、全体が黄金で覆われていたという。スペイン人はすべての黄金を剥がして溶かし、キリスト教を体現する美術品へと造り替えた。黄金を持ち去って我が物にした者もいただろう。


 サント・ドミンゴ教会の中に現存するインカ帝国時代の建造物は、石灰岩の石組みから成る。石のピースは分厚い。ただ積まれているのではなく、ほぞを噛ませるように内側に凹凸があるため、上下左右がずれない構造になっている。


 石のピースの形がどれくらい揃っているかを見れば、その施設がどれくらい重要なものであったかを知ることができる。コリカンチャ神殿の石組みは軒並み美しいが、殊に太陽神を祀る施設は見事だ。


 太陽神を祀る一角からは、冬至の日に祭りを行う広場が見晴らせた。広場には地下水が湧き出ているが、付近に川はない。インカ帝国時代に何らかの方法で、特別な広場のためだけに、決して涸れない水脈を引いてきたらしい。


 と、こうした内容は、マリソルさんの流暢な日本語によって説明された。晴れて涼しい気候だが、クスコは12月から雨季に入っている。雨の気配がないのはとても運がよいと、マリソルさんは言った。


 コリカンチャ神殿を見学した後、石畳の坂道を通り、レストランに入った。アルマス広場に面した有名店で、壁にはクスコから出土した本物の陶器や織物、黄金細工の装飾品が飾られていた。行儀悪くうろうろして、見物してしまった。


 ランチのメニューは、トウモロコシのスープとミートソースのスパゲッティ。スープには高山病の体が喜んだし、ミートソースの味も悪くなかったが、スパゲッティの茹で具合が残念だった。とはいえ、これは標高が高いクスコでは仕方がない。


 気圧の低い高山では、水の沸点が100度を下回る。クスコでは80度かそこらではないか、と誰かが言っていた。ぬるいお湯で茹でるパスタは、アルデンテに仕上げるのが難しい。クスコやマチュピチュ近辺でパスタを注文するのはお勧めしない。


 食事中、フォルクローレのミニコンサートが行われた。ギターと笛とドラムの構成で、曲によってはギタリストが歌うこともあり、ドラマーがギターに似たペルー特有の楽器、チャランゴに持ち替えることもあった。


 ペルーの笛の音は美しい。透明感があり、少しかすれた、哀愁に満ちた音だ。有名な『コンドルは飛んでいく』はもちろん、日本人向けのレパートリーである『千の風になって』が、ちょっと泣けるくらい素敵だった。


 食後にコカ茶を飲んだ。高山病に効くという。少し青臭いだけで、ほとんど香りもせず、色も味もないお茶だった。


 レストランを出ると、民族衣装を身にまとった女性が民芸品を売りに来た。小さなリャマの人形が、4つで1ドル。リマ近郊で見掛けた値段の、実に8分の1。ぼったくられた、ちくしょう。


 民族衣装の彼女の前で立ち止まった人がいて、先を急ぐべきかどうかと悩む様子だった。マリソルさんが、どうぞと手振りで示して皆に告げた。笑っているような、悲しそうな、複雑な顔だった。


「ボランティアと思って、皆さん買ってあげてください。ガイドの私が1個買うより、皆さんでたくさん買ってくれたほうが、彼女のためになります。クスコは貧富の差がとても激しい。ボランティアと思って、買ってあげてください」


 赤裸々な言葉だった。私たちは民族衣装の彼女から小さなリャマを買った。立ち止まったついでに、マリソルさんが語ってくれた。


 マリソルさんは高校卒業後、11年間、日本に滞在していたという。日本という国を知った上で故郷に戻り、初めてペルーの現実を理解した。確固として存在する貧富の差、衛生面などの社会的課題を目の当たりにして「切なかった」そうだ。

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