一日目 高速バス車内

 「つまらぬ」


 車窓の外に目を向けるさくらは、少しもはばかることなくそう言った。

 本当につまらなそうな顔で。


 ぼく以外の誰の目にも見えておらず、誰の耳にも声は届いてないのだから、はばかる以前のことなのだけど。


 その証明として、バスが高山駅前を出発してからというもの、さくらはずっと車内で立ったままなのである。


 名古屋行きの高速バスの車内は、ぼくが見た限りでは満席だ。立って乗車しているのはさくらを除いて一人もいないというのに、運転手を始めとして誰も見た目子供であるさくらに声をかけはしない。


 ぼくとしては神様を立たせたままでいる方がよっぽどばつが悪いのだが、さくら自身が、


「わらわが神であることは忘れよ。わらわは風太と旅を同じくする者であり、立場は対等なのじゃからな。心配は要らぬ。神に疲れという言葉は存在せぬのじゃから・・・前言と矛盾するかのう」


 と言われれば下々の身と・・・ぼくとしては話題を変えるしかなかった。


 バスは東海北陸道をひた走る。

 景色が映画のように、スクリーンのような窓枠の向こうで流れて行く。


 「以前に高速道路を走った時は普通の車じゃったからのう。それよりもずっと目線が高いここからはどのように外が見えるのかが楽しみなのじゃ」と、さくらは浮き足立っていた。


 最初の内は新緑に彩られた山並みなどを望めたので良かった。


 しかし、高速道路を南下し中京の都市圏が近づくに従って、向こう側が見通せない防音壁などが随所で視界をふさぐようになってきた。


 代わり映えのしない人工的な景色が増えるにつれ、さくらの口から発せられたのが冒頭の、つまらぬの一言と言うわけだ。


 「さっきからトンネルや土手、ずっと同じ壁ばかりではないか。目線が高いから期待しておったのにのう」

 「仕方ないよ。山あいの場所を通っているのと、騒音の問題もあるし」

 「分かっておるが、高い所からの街並みを見てみたかったのじゃ」


 改めてさくらを見ると、見た目通りに僕より年下の、思い通りにいかなかったと拗ねる子供のようだった。

 その辺りも人間と同じに思える。


 「大丈夫だって。もう少しすれば透明な防音壁も見えてくるはずだし、名古屋に行けば高い所はたくさんあるから。名古屋城とか。セントラルタワーズとか」


 「ほう?セントラルタワーズとな。いまはそんなものが出来ておるのか。うむ。そこは是非とも行かねばな。しかし、名古屋城は行かずともよい。明治の頃、焼失する前の天守に登ったことがあるのだからの。その頃は本丸より高い建物は一切無かったから、いい眺めじゃったのを覚えておる」


 と思えば、僕の曾祖父母かそれ以前の日本人しか見たことがないはずの眺望を知っているという。


 子供のように見えたかと思えば、やはり神様。


 僕は知りたくなるのを抑えきれなかった。

 さくらはこれまでどのような旅路を歩んで来たのだろうと。


 さくらからすれば、僕の二十年にも満たない人生など、その気になればいつでも見通せるのだろう。


 しかし、僕らが乗っているバスがいままで日本のどの道をいつ走って来たのかの履歴を知らないことと同じで、さくらがこれまで通ってきた道も、何をしてきたのかも僕は全く知らないのだ。


 天秤が完全に釣り合うような対等な関係など、人と神様の間柄である以上はあり得ないことは理解出来る。


 それでも僕は出来るだけその差を埋めたいと、さくらのことをもっともっと知りたいと思った。

 僕とさくらは行き先を同じくするパートナー同士なのだから。


 母のことで悶々としたくなかったというのもあった。


 「もし差し支えなければ聞かせて欲しいんだけど、今日僕と出会うまでさくらは何をしていたの?」

 「わらわのか・・・ずっと旅をしておった。だが、ここ十年ほどはずっと一人だけの旅じゃったな。年々わらわのことが見える人間は少なくなる一方じゃ。時代の流れ故、仕方がないがの」


 さくらは嫌な顔一つ見せることなく語ってくれた。


 「ずっと旅をしていた・・・どれくらい?」

 「・・・忘れた」


 さくらは明後日の方向を見据え、あごに右手をあてる仕草を見せたが、すぐに諦めたようであっけらかんと言い放つ。


 「有名どころで覚えておるのは、弘法大師じゃな」

 「弘法大師って、空海っ!」

 「もちろんじゃ。他にも弘法大師がおるのなら教えて欲しいのう」

 「そんなに昔からさくらはいたんだ」


 僕は息をのんだ。


 明治や江戸時代ならここまで驚かなかったけど、まさか最低でも平安京の時代からさくらが存在していたことになるとは。

 五百年の樹齢を誇る荘川桜も驚きのビッグスケールである。

 人間の感覚などとっくに超凡している。


 「それより前のことは全くと言っていいほどに覚えておらん。神とて完璧ではないということの証じゃな。あるいはそこからわらわがこの世に生を受けたのかもしれん」


 「じ、じゃあ、さくらはこれまで何処を旅してきたの?」

 「何処と言われれば、北海道から沖縄まで日本中を巡っておったわ。山も海も。村も街も。暑い所も寒い所も関係なくな。それぞれの土地に固有の特色があって、退屈はせなんだ」


 「一人旅の時は、さびしいとは思わなかった?」

 もしかしたら、僕はこれを問いたかったのかもしれない。

 僕の人生と大いに被っている質問を。


 「別に思わんかったのう。一人旅は一人旅で気楽なものじゃからな。要は、かの剣豪宮本武蔵が書に綴ったように、気持ちなど水のようなもので、心の形など気の持ちようでいかようにも変わるということじゃな」

 「水・・・」


 参考になるようでならない。


 「これまでどんな人たちと?」

 「珍しく突っ込んでくるのう。これもいろんな連中がおったぞ。国主からサラリーマンまで様々じゃ。旅の目的も様々じゃった。他意はないが、遠く離れた知人などに会いに行くのが目的という場合も往々にしてあるじゃろうて?」


 思わぬ形で戻ってきた問いに対して、まだ見ぬ母と父の姿を想像せずにはいられなかった。


 興が乗ってきたとおぼしき遠い目をしながら話すさくらの表情は、次第に相好をくずしたものへと変わっていく。


 数々の思い出を懐かしみつつ、心底それを楽しんでいるように見える。

 そんなさくらを前にした僕は言葉に詰まった。


 他人との良好な関係を構築することを怠ってきた僕が、絶対に出来ない表情である。

 さくらとの距離を埋めたいと僕なりに頑張ってみた。


 けれど、質問すればするほどに開放的な彼女と門戸を閉ざしてきた僕との差が浮き彫りになってしまっただけの、なんとも残念な結果に終わっただけだった。


 「・・・言っておくが、対等な関係というものは互いに自然体であって初めて成り立つものなのじゃぞ。背伸びして他人と接したところで、いずれは無理がたたってつまずくのが落ちじゃ」

 「う・・・」


 痛いところのど真ん中を突かれ、何も言えなくなった。


 「母親のことで色々と思うところがあるのじゃろうが、いまの段階でいくら気を揉んだところでどうにもならぬ。安心せい。先ほども言うたが、わらわがついておる」

 「うん・・・」


 外を見ると、夕暮れの空が鮮やかだった。

 はるか遠くにありながらも、高速道路の防音壁にも遮られることなく望める名古屋の高層ビル群が、その光を浴びながら林立していた。


 朝早く出かけた時とは空の色が違っているのはもちろんだが、それよりももっと決定的に変わっているのが二つある。


 旅立ち前は予想だにしなかった現実に向かっていること。


 そして、さくらという奇跡のパートナーが隣にいることである。

 いまの僕に出来るのは、彼女を信じることだけだ。

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