一日目 高山(その二)

 当たり前の家庭に生まれていたら、ぼくもあんな風に笑えたのかな?


 中も外も超満員となっているバスセンターの待合室にて、小学校低学年くらいのいかにもやんちゃざかりといった男の子。それよりは少し年上のような女の子を連れた父親と母親の、笑いあう四人の親子。


 いかにも今が充実しているその姿を見つめながらぼくは、これまで何度問うてきたか分からない、自問自答と言う名の刀の切っ先を自らに向けていた。


 ごく普通で、当たり前の親子関係。

 ぼくには取り戻すことが不可能なことの一つである。


 普通で当たり前の中にこそ幸せがあることを痛感する。


 「口惜しいのかの?」

 「・・・そうだね。そんな気持ちがないと言えば、嘘になるね」


 相変わらずイヤホンをつけたままでもさくらの声はよく届く。


 その事を荘川桜発のバス車中でぼくから問われたさくらが言うには、彼女は人の心に直接語りかけることも可能とのことだった。


 心が体の何処にあるのかはさておき、出会った当初からの疑問はすでに解消していた。


 加えて種明かしすると、荘川桜からの帰りのバスの車中でも。先ほどのステーキハウスでも、ここでも。依然としてさくらの姿を見ることが出来ているのはぼくだけのようだ。


 荘川桜の時と同じように、周囲の人たちから見れば、そのさくらと会話を成立させているぼくは、空気あるいは電波と会話している気がふれた奴ということになるはず。

 はずなのだが、決してそうはならない。


 さくらが周囲の人たちとぼくとの間に幻視と幻聴を用いることで、ぼくに向けられる耳目を完全に遮断してくれているからだ。


 この場から移動しない限り、他の人からはぼくの姿は一人で壁際に、無言で佇んでいるようにしか見えないという。


 一種の結界を張ってあるとさくらは言っていた。

 その話を聞いたぼくは思い出していた。

 佐保姫には春霞を身に纏うという言い伝えがあることを。


 神様の札つきである春霞のベールに守られているかのような安心感を、ぼくは現在進行形で覚えていた。


 「そんな答えが聞きたい訳ではなかったのじゃが・・・まあ、仕方がないかのう。人間たちが自分らの心のすべてをいとも簡単に理解出来るのなら、わらわたちは商売あがったりというものじゃからな」


 「神様も商売するんだ」

 「するぞ。いうなれば、わらわたちは存在することそのものが商売じゃ。例えば、わらわは春の神という絶対かつ不変の看板を掲げておる。これが本業じゃとな」


 さくらは、室内にあった清涼飲料水メーカーのロゴが描かれた自動販売機を見つめる。


 「いうなれば独立開業じゃ。お主ら人間の会社もそうであろう。様々に社名を掲げておるではないか。唯一違う点は、利益は利益でも、わらわたちの商売でもらうのは金ではない点かのう」


 「お金をもらうのでなければ、何をもらうの?」

 「決まっておる。お主らの尊崇じゃ。科学という言葉がなかった時代は信仰こそが最先端であり、絶大な権限を持っておった。授業で習ったはずであろう?」

 「・・・教科書に書いてあったことはそんな感じだったかな」


 ぼくはさくらの言葉に合わせていた。

 教科書はそこまで詳しくなかったと思うけれど、内容に納得出来たこともまた事実だった。


 「それと、日の本には実に多種多様な神が存在することも、お主らの経済活動と類似しておるかのう」

 「というと?」

 「わらわが四季ではなく、春だけの神であるのがそれじゃ」

 「そこは本で読んだから知っているよ。確か、夏は筒姫様。秋は竜田姫様。冬は黒姫様だっけ?」


 ぼくは、昔に得た知識を、確信が持てないままたんすの奥から引っ張り出した。


 「感心なことじゃの。そこまで知っておる者はなかなかおらんて。それらもお主らの先祖がつけた名前の一つに過ぎんが、そのとおりじゃ」


 合っていた。

 ぼくはほっとする。


 「数多ある業種を全てこなす一つの会社が存在せぬのと同じこと。神々も完全に分業化されておるのじゃよ。どうじゃ。こう聞くとわらわたちにも親近感が湧いてこぬか?」

 「それは、確かに湧いてはくるけど・・・」


 神域とステーキハウスでとっくにさくらへの親近感は湧いているが、ぼくが疑問に思ったのは、どうしてさくらが日本の神々の世界を現実の経済活動を例にあげて説明したのかということだった。


 納得出来ない訳ではないけれど、こじつけと言われればこじつけにも聞こえるからである。


 疑問を解消しようと思い立った時、アナウンスが流れた。ぼくらが乗るバスの乗車を開始するという報せだ。


 「さて、行くとするかの」


 何も含むところがなさそうなさくら。

 単にぼくの気にしすぎだったのか?


 放送を耳にして、待合室にいた三分の一近くの人が、足元に置いてあったバッグなどを抱えるなどして乗車の準備をし始めた。


 ぼくもその流れに倣う。

 疑問を切り出すタイミングは完全に逸してしまった。


 日帰りの旅なので、ぼくはザック一つの軽装だし、さくらは元々手ぶら。

 最初に待合室を出たぼくらは、すでに外のレーンに並んでいた人たちの最後尾についた。

 背後に続々と人が並んでいっては、その分だけ列が伸びていく。


 バスが満員になるのは確実だった。

 ぼくは無意識に左右のイヤホンを指で押し直していた。


 「実はわらわ、こういう長距離を移動するバスに乗るのは初めてなのじゃ」


 そんなぼくの隣で、見た目は元より中身も子供のようなさくら。


 「え、じゃあバスに乗ること自体はさっきが初めてじゃないんだ。神様なんだから、魔法のじゅうたんみたいな空飛ぶ乗り物があるものとばかり思っていたけど」


 「そこまで浮世離れしておらぬ。神だからこそ時代には柔軟に対応していかなくてはならんのじゃ・・・にしても凄いのう。どうやってこんなものをはめるのじゃ?神通力も使えぬ人間が」

 「神通力・・・」


 とっくにそうなのだろうけど、いよいよファンタジーめいてきたなとぼくは思った。

 実際、さくらと出会う前と後とでは、世界はがらりと様相を変えている。


 桜花がつぼみから五分咲き、満開へと移ろっていくように、どこかでつまらない、無意味だと思っていたモノトーンの世界が鮮明に色づいているのだ。


 「きっと大きなジャッキか何かで持ち上げるんだよ。ほら、列が進んだから行くよ。さくら」


 子供のように目を輝かせ、中背痩せ型のぼくの体重よりも確実に重いはずの、大型バスの外側左後輪とその装着方法に心を奪われる。

 そんなことに興味津々である時点で十分に浮世離れしている。


 もしかすると、妹がいる兄の心境ってこんな感じなのかな?


 いつの間にか、ぼくより年下の施設のあいつらを見るかのような目でぼくはさくらのことを見ていて、そして、ぼくはぼくの心の変化に気がついた。


 僕とさくらが出会った当初の、殿様とその家来であるような、僕が頭を垂れる関係は過去のものになっていたことに。


 いつも隣に対等な関係のさくらが居て当たり前と思うようになっていたのだ。


 彼女の裏表の無い、あけっぴろげな言動に感化されたのだろう。


 これまでに彼女が発した言葉の端々に、対等なパートナーであることを希望するニュアンスをにじませているさくらにとって、それは好ましいことなのは疑うべくもない。


 しかし、僕の心に一抹の不安がよぎる。

 人間でしかない僕が神様であるさくらとこのままの関係でいられるのか。いていいのかという不安が。


 僕は頭を左右に振った。


 いまは両親と会っても何をどうしたいのかが全く分かっていないから、いつも以上に不安に思っているだけ。

 そう心の中で自分に言い聞かせながら、僕はさくらに続いてバスに乗り込んだ。

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