1.曇天のヴァルリッツァー 『少女が聴かぬ、世界史の補習』

イースフォウは茫然と、しかし妙に納得の行ったように感じながら、目の前の事実を受け入れていた。

おおよそずいぶん前から、こうなることは解っていた。覚悟もしていた。

そして、ただただ、この日がくるまで何もしなかった。

そう、何もしなかったのだ。出来なかったわけでもないし、方法を知らなかったわけでもない。

ただ、何もしなかったのだ。

「……まあ、こうなるよね」

自分は解っててこの結果を受け入れたんだと。言い聞かせるように彼女は呟いてみる。

そんなことは、何の意味も無い事くらい解っている。

だけど、彼女は自分の身体の中から何かを吐き出さないと事には、この重苦しい気分がどうにもならない気がした。

そんな自分の状況に苦笑する。

自分で知っていて受け入れたはずなのに、腹の中はどんよりと重いのだ。

だが一方で、自分の存在は間逆に思える。このような結果を甘んじて受け入れるフワフワした自分は、とても軽々しい。

彼女は、憧れて努力して、なりたい自分になるために、今ここに来た。なのに結果どころか、足掻くこともしなくなった自分が居る。

なんて、軽い人間なんだろう。なんて意味の無い存在なのだろう。

ああ、笑えてくる。本当に、軽くって笑える。

腹の中にある重い空気を吐き出しながら、随分と乾いた笑いを口にした。

そうして彼女は、目の前に張り付けられている用紙に書いてある、よく見なれた文字を指でなぞった。

「イースフォウ・ヴァルリッツァー……」

意味もなく、読んでみる。彼女の、おそらく人生で一番慣れ親しむ名。

自分の名前を……。

そしてその三行上に、今の彼女を示す単語が、しっかりと記されていた。

『第二学期補習学生』

季節は、燃えるような葉の色めきもすっかりと散り去った、冬の始まりであった。




文明は滅んだ。

それは隕石の衝突や活火山の暴走でも無く、誰もが予想した通り人々が自ら築き上げた文明が原因となった。

そのころの人類は、科学力、生物学、魔法学と、あらゆる文明を駆使し、進化を遂げていた。一説によるとこの星をも飛び出したともある。

だが、ある日を境に、多くの人間が消滅し文明も露と消える。

さまざまな説がある。だが、どれも定かではない。

しかし、唯一確かなのは、『人類の自滅』と言う事実だった。

それ以降、人はそれまでの文明を捨てた。また一からはじめようと、それまで生活の基盤としてきた超科学も魔法学も、全てを捨てる。その理由すら、現代では様々な憶測しかないのだが、生きることを決断する。

そんな中、ある日人は新たな力を身に着ける事になる。

一説によると、再び野に帰った人類が、新しい進化を遂げたゆえに手に入れた力と言われている。

その名を『仙気』

仙気は人が今まで個人の力で出来ないことを、いとも簡単に行うことのできる力だった。

仙気を手に入れた人々は、その力をもとに、また徐々に文明を築きあげる。

強固な城を作り、そして国が出来る。空を、海を、地底を進む様々な乗り物を作り、世界を広げる。

それは、人の持つ、生命エネルギーとも、神秘の力とも言われているが、未だ全てが解明されたわけではない。

だが、人は新たな力を得て、再度文明を築き上げていくのであった。




「君たちも知っていると思うが、私たちの国、アムテリア合衆国は、人が仙気を得てから数百年、二回の大戦乱を生き延び、いくつかの国が混じりあった。多くの国が重なった我が国は、各国の知識、技術を集合し、先進的な他の国にも、けして引けを取らない。だが、この国は今もなお、多くの問題を抱えている」

教壇の上で、赤髪の男が本を片手に語っている。中肉中背で、身長はそこそこ。まだ若いとも言えなくもない、だが、学生から見ればだいぶ年配としてとられる。そんな男だ。

「まあ、アムテリアだけの問題ではないな。世界は、滅んだ旧文明の影響から、多くの問題を抱えている」

彼はウェン・ヤマノ。アムテリア国立軍用学園の戦術指南及びアムテリア史担当の若き教師である。

教師と言っても、彼は軍人である。

国営で、軍人を育成するこの学園は、教師のほとんどは軍人か、元傭兵である。ヤマノ教師は、その中でも現役軍人で、つい最近まで、最前線で作戦をこなしていた実力者であった。

「先人は、旧文明の危険性を良く理解していた。故に、旧文明の技術は滅ぼすべきだと、封印すべきだと、その存在をはるか秘境に、深く地底に封印することとした」

ヤマノ教師は、教科書に書かれている内容を、ある程度自分の見解を織り交ぜながら、朗読していた。

「ただ、人類は自重しなかった。仙気と言う力を手に入れた人類は、旧文明の遺産を、自分たちがコントロールできると考える。そして、それを掘り返し、……失態する」

この講義内容は、アムテリア史、世界史共に、基本中の基本である。世界情勢的にも重要で、アムテリアと言う国がどのような立ち位置に居るか、どのような関係であるのかの根本的な知識にも直結するため、誰もが理解しているカリキュラムの一つの筈だ。

「何度そういうことが起きただろうか? 少なくとも、過去二回の大戦はそのせいだな」

本来ならばこの内容は、春先に入学したばかりの学生には手始めに、進級した学生にはおさらいとしての内用でしかない。

「さらには、仙気を使った犯罪も増えてくる。他の国も似た情勢だろうが、アムテリアも、旧文明の遺産の事件や災害、仙気を使った犯罪防止に、軍を強化せざるおえないわけだ

しかし、季節は冬に突入したところ。入学、進級したての学生は居ない筈だ。

「その為に、国はこの学園を創立し、国を守るための力を育成しようとしているのだが……」

そこで、ヤマノ教師は額に手を当てた。

そんな教師を見て、それまで静かに講義を聞いていた学生が口を開いた。

「頭痛ですか? 先生」

「ああ、森野君。国が育成しようとしている人材が、半年以上たってもまだこんな講義を聞いているかと思うとな……」

「気にしたらだめだと思いますよ、先生」

「ああ、君たちを教えていたのは僕じゃないからな、気を病む必要など無いんだがな」

大きなため息をつきながら、ヤマノ教師は教科書を閉じる。

「森野君、一つ聞きたい」

「なんでしょう?」

先ほど、ヤマノ教師の頭痛を尋ねた女生徒が笑顔で答える。

未だ幼さを残している顔立ちではあるが、数年後は誰もが認める美貌を獲るだろう。髪は背中まで伸びるロング。少々スレンダーな身体はか細くは無く、むしろ健康的な印象を受ける。今は学生服に身を包み、ヤマノ教師の講義を聞いている。一言で言うのなら美人、そんな娘であった。

梨本森野。アムテリア学園の第二学年の学生である。

「いや、君みたいなまじめな生徒が、なんで補習なんかやっているんだ?」

「そりゃ、テストの点数が悪かったからですよ」

「君の模擬戦闘や実戦での成果は、かなり見事なものだったはずだが……」

ヤマノ教師の記憶なら、森野は周囲を圧倒するほどの成績で、実技の記録をたたき出していたはずである。とある事件でもかなりの成果を上げており、それだけ見れば学生としては破格の実力者の筈であった。

「私は物覚えが悪いんですよ。座学じゃあ、こんなもんです」

「極端だと思うぞ……」

なにせ、この補習を受け持つまで、ヤマノは森野の事を優秀な生徒だと思っていたのだから……、そのギャップは計り知れない。

続けてヤマノ教師は、呆れた顔で隣の席を見る

「ZZZZZzzzzzz……」

「この子は何を堂々と、この人数の少ない教室で、居眠りをしているんだ?」

銀色の髪が机の上にザアっと広がって、そのまま流れ落ちている。

小柄で森野よりも幼い印象を受ける。

事実、その少女はこの場にそぐわないほど若かった。

アムテリア学園の入学者は、基本的に少年期の学問を一通りこなしてからの者が限定である。つまり十三歳程度の者を指す。

しかし、中には、特例として幼いころから学園に入学する者もいる。彼女はそう言った者の一人であった。

「……なんで、来年度の特待生が、こんな居眠りをするんだ?」

「まあ、特例で入学が確定したとはいえ、まだ子供ですしねぇ。入学の前準備として学校に慣れるために補習授業に出席なんて、こんな退屈に付き合うのは無理があるんじゃないですか?」

と、森野が苦笑しながら答える。

「……去年までの特待生はもっとまじめだったと聞くんだがな……」

ハノン・スタンウェイと言う名の少女は、そんな教師の悩みも知らず、起きる気配は無い。

つづいてヤマノ教師は、その後ろの席を見る。

「あ~、エリス君?」

薄く桃色に透けるふわふわの髪を持つ少女に声をかける。体つきはグラマーと言えるかもしれない。やはりまだ幼い顔つきをしているが、数年後には多くの男性を魅了するであろう。

もっとも、一心不乱に積み重ねられた本をがむしゃらに読み漁る彼女の姿は見るに忍びなく、ふわふわの髪もまるで活火山に襲われたような挙動をしていた。

「オイテカレルオイテカレルオイテカレルオイテカレル!」

「いや、危機感を持って勉強してくれるのは良いんだけど……」

「オイテカレルオイテカレルオイテカレルオイテカレル!」

「……出来れば、僕の講義も聞いてほしいんだよなぁ」

笑いながら森野が答える。

「エリスちゃんは入院中からずっと、精神的に追い詰められていたみたいですから。勉強が遅れたことに対して、恐怖を感じていますからねぇ。周りが見えない程に焦っているみたいですね」

「……確かに夏前までは好成績だったみたいだからな」

「もともと真面目なんですよ。今は、好きにやらせてあげた方が良いんじゃな

いですか?」

「……形はどうあれ、勉学に勤しんでいるのは止められないがなぁ。無理は体に毒だとは思うが……」

エリス・カンスタルと言う女生徒が、再度入院しないことを祈るばかりである。

そして最後に、ヤマノ教師は少し離れたところで、ぼーっと窓の外を見る女生徒を見る。

肩までのび、くりんとカールするオレンジの髪の少女。エリスよりも控え目な体つきだが、

貧相なわけではない。顔立ちもそこそこだが、森野のように絶世の美女と言うわけでもない。そんな、どこにでもいるような女学生。

そんな彼女は、ただぼーっと、窓の外を見ていた。

「……イースフォウ・ヴァルリッツァー君」

ヤマノがため息交じりに彼女の名前を呼ぶ。

それに、彼女、イースフォウはゆっくりとヤマノ教師の方を向き、

「……なんですか?」

と呟くようにたずね返した。

ヤマノは深くため息をつく。

「ハノン君も相当だが、君もまた違った感じでやる気が無いなぁ」

「ああ、ごめんなさい」

そんな言葉を呟きながらも、イースフォウは自嘲気味に笑う。

どこか、諦めたような、そんな雰囲気。

ヤマノはため息をやめ、顔をしかめる。

「君は……」

そこまで言って、ヤマノ教師は言葉を止める。

叱責……と言うよりは、何かを言わなくてはいけない気が彼もした。だがなんとなく、この場で何かを伝えようにも、伝える方法が思い浮かばない。

そんなヤマノ教師とイースフォウを見て、森野が声をかけた。

「ほら、イースちゃんもボーとしてちゃ、いつまでたっても補習から抜けないわよ?」

「……ん、そうですね、先輩」

「形だけでも、しっかりやってりゃ、単位くれるから頑張りましょう」

「ええ、そうですね」

そんな二人の会話に、ヤマノ教師は、また深いため息をつく。

「……堂々と教師の前で、んなこと言わないでほしいんだが」

そうこうしている間に、休み時間を知らせるチャイムが鳴った。

「ほら、休み時間だが、次は実技だからな。遅れずに訓練場に来るんだぞ」

「「はーい」」

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