第8話 幽霊警察と先生、それとケーキ

 先生がケーキを用意している間は暇なので本棚を見て回ることにした。本棚は私の身長をはるかに越えて手を伸ばしても一番上には手が届かない。小さな脚立が部屋の隅に置かれていて、これを使って取るんだろう。


 背表紙には英語や他の言語が書かれているものと日本語のものが半々だった。指で背表紙をなぞりながら読めない文字の本を飛ばすと、日本語のものは医学書がほとんどで、題名を見るだけで頭が痛くなりそうな難しそうな本だ。他には哲学の本とか物理、生物、化学……のめっちゃわけわかんない本。


 ただその中にぽつんと背の低い本が一冊紛れていた。


 “幽霊とは何か”


 題名からしてオカルトな本がギチギチの秀才ゾーンのなかで一際目立っていた。しかもオカルト本にはいくつもの付箋が張られていた。私は気になってその一冊を手に取ろうとした。


「おい、人の本を勝手に触るんじゃないぞ」


 と、いきなり牛村さんが後ろから注意した。肩が飛び跳ねて、驚いた。


「ちょっと、ずっと静かにしてたと思ったら急にしゃべらないでよー。牛の姿だからいきなりしゃべりだすとびっくりするんだよー」

「すまん、でも他人のものを許可なしに扱うのはマナーが悪いぞ」

「いいじゃん、すぐに戻すし」

「よくないぞ」


 その本を取り出そうとするとぎっしりと本が詰まっているためかなかなか動かない。かといって力一杯に引き出すと最悪のケース、本棚乱舞が始まってしまうかもしれない。私は隣の本を押さえながら慎重にゆっくりと引き抜いた。


 すると摩擦に引き摺られて一冊の小冊子がぽとんと床に落ちた。よく見るとそれは大学ノートだった。


 落ちた大学ノートから何かの紙の切れ端が覗いていた。私はそれが気になって拾おうとした時、書斎のドアが開いて先生が入ってきた。


「あっ」

「おや、何か気になる本でもあったかい」

「ごめんなさい」

「え、何が?」

「勝手に本を触ってごめんなさい……」

「ああ。いいよいいよ。この本たちもしばらく読んであげてないからねえ。好きに取っていいよ」

「ありがとうございます!」

「あ、その本は……」


 先生はケーキとお茶の乗ったお盆を机に置いた。


「その本は君のお母さんの本だよ。前にここに置いて行ったんだ」

「え? 本当ですか?」

「ああ、本当さ。あっ……」


 先生は一瞬言葉に詰まったように声を漏らした。


「……?」

「いや、なんでもないよ」


 私は大学ノートを拾って、気になっていた紙切れをノートから引き抜く。その紙切れは写真だった。そこには三人の男女が写り込んでいた。こっちを向けて笑っている男、そこに間が開いて二人の女性が立っていた。よくよく見ると一人は私だった。


「あれ、これ、私が写ってる?」

「……それは。家族写真だね。残っているとは」

「三人が写ってる家族写真……ってことはこれ、私のお父さんとお母さんですか!?」

「そうなるだろうね。私は旦那さんを見たことはないが……ん?」

「お父さんにお母さん……」


 顔も知らなかった、覚えていなかった二人の写真。家が燃えてしまったので家族に関する物は一切残っていなかったんだけど、こんなところで、こんなところとか行ったら失礼か、まさか見つけることができるなんて。


 でもお父さんと私と二人の間があるのが気になった。三人ならもっと詰めればいいのに。もしかしてお父さんと私は仲が悪かったのかな……?


 今そのことを気にしてもしょうがない、後で本とノートを読みながらゆっくり考えることにしよう。


 私は大学ノートとオカルト本を持ってふかふかの椅子に飛び込むようにして座った。


「あ~やっぱりこの椅子の座り心地はすごくいいわぁ……」

「こら、人の椅子だぞ」

「構いませんので」

「しかしですね、やはり教育はしっかりとやっておくべきで、けじめをつけるところはつけておく、そのことを学んでおかないと将来苦労するでしょうから」

「はは。まるで父親のようですな、牛村さん」

「いただきまーす」

「こら、人の話を聞け」


 待ちきれなかったケーキ。一つと思っていたら二つ置いてある!


 一つは一見普通のショートケーキ。でも普通じゃないところは上に三個もイチゴが乗っている所とスポンジに挟んであるイチゴもごろごろと存在する所だ。これは、あの“栗乃屋”の“一期三昧”じゃあないか!


 ではもしかしたら一方も……やっぱりそうだ。これも“栗乃屋”の商品。レモンタルト。レモンの酸味と苦味を残しつつもしつこくなく、さっぱりと食べられる人気の一品。


 どちらも“栗乃屋”の人気上位の売り切れ御免なスイーツ。何故こんなところに……と言うと失礼に当たるかな。先生の知人グッジョブ、ナイス、ありがとうございまーす。


「いただきます」


 念をこめてもう一度食材たちに挨拶をする。


 ではまず、“一期三昧”から。フォークをケーキに入れると、手に違和感が走った。通常のショートケーキではフォークを入れるとスポンジと生クリームの層で切れ味に差が出るのが

 必定。しかしこれは、スッと何物にも邪魔されずにフォークが皿まで入った。なんとやわらかいスポンジか。それどころかイチゴすらフォークを押し退けない。このイチゴ、完熟。

 切り分けた欠片を口に運ぶ。しっとりと重みがある。


 なにっ。溶けた……! 生クリームの優しい甘みが口に広がる。と、続けてジューシーなイチゴの甘さとほのかな酸味が口内を席巻する。それを包み込むスポンジ層。くそ、ハーモニーとはこのことか!


 そしてありとあらゆる感想が頭の中を巡るが、私の口から漏れた言葉は、


「うめえ……」


 の一言だった。


 ショートケーキをぺろりと平らげれば、次はレモンタルトだ。


 フォークから伝わる触感はショートケーキとはまた逆の方向性。一ミリでもフォークが入った瞬間から、伝播するのはその密度だ。ほんの少しでさえ隙を見せない。レモンの下にはレモン、薄いレモンが所狭しと敷き詰めてあるのだ。そのレモンを漸く突き破ったかと思えば軟い岩盤、タルトの層へと突き進む。さくり、と切り分けられたタルトは私の口に放り投げられた。


 レモンだ……。レモンの風味が口の中を駆け巡る、しかし刺激される味蕾みらいは苦味でも酸味でもなく甘味であった。ショートケーキに比べれば確かに甘さは控えてある。しかしこれはレモンの甘さだ。甘いレモンだ。そう感じてしまうほどに漬け込まれたシロップとそれを保護し、逃さず受け止めるタルト。


 そしてありとあらゆる感想が頭の中を巡るが、私の口から漏れた言葉は、


「うめえ……」


 の一言だった。


 これもあっという間に食べ終えてしまった。けども、名残惜しさはない。ないというのはまた違うか。完成された作品はお腹一杯に食べるものではないのだ。名残惜しさまで含めて作品の一部なのだ。


 ふう……。一息入れる紅茶もいい香りと、ケーキにあわせてだろうか甘さはそれほどでもないものを用意してくれていた。


「おいしいかい」

「はい!」


 そこで私の口から思いがけない言葉が二文字出てきた。


「でも」


 ……でも。でも? でもなんだろう。そう、おいしかったのだ。だから、でも、なんてつける必要はどこにもないのに。勝手に逆接を口にしてしまった。


「でも、なんだい?」


『でも、お母さんのケーキのほうがおいしい!』


 また、頭痛がした、今度は先ほどとは比べ物にならない痛み。後頭部を鷲掴みにされて、こめかみにドリルを打ち付けられているかのような。


 持っていた紅茶を震えながら何とか皿に置くと、両手で頭を抱えた。


『ね、そうでしょう? ××!』


 どうしようもなくなって机に頭を打ち付けたくなるのを我慢すると、自然と足が立ち上がっていた。ふらふらと数歩進んだところで床に丸くなった。


 痛い。


『どうかなあ、お母さんのもおいしいけど』


 痛くてたまらない。


『お店のもお店のでおいしいじゃん?』


 吐きそう。


「おい。おい、しっかりしろ!」


 牛村さんの声で我に返った。何か別のものを見ていた気がする。いや思い出していたんだ。昔の記憶を。握り締めていた右手を開くと、じっとりと汗が染み込んでいた。


「ううん、なんでもない、ダイジョブ」

「なんでもないわけないだろ! 尋常じゃない苦しみ方だったぞ。何があったのか言ってみろ」


 じわんじわんと脈動にあわせて痛みが少しずつ引いていく。


「……多分、少しだけ昔のことを思い出していたんだと思う。もう、忘れちゃったけど」


 そんなに嫌なのか。


 昔のことを思い出すだけでこんなに辛いなんて、つまり、自分自身で思い出したくないってことなんだろう。こんな死にそうになるほどの頭痛になるなんて。一体何を思い出したくないのだろう、それとも全部そうなのか。


 手を服で拭いて、手櫛で髪を整えている間に痛みは完全にいなくなった。


 そしてその間に、見えるはずのない景色が見えた。


 ビルだ。見たことのあるビル。確かここはこの家から一キロくらい離れたところ、ファミレスの前にあるテナントビルだ。そこで警察が集まっている。すごい量の警察車両で道路が埋め尽くされていて、交通規制がされ、規制線の外は野次馬でごった返している。テレビカメラやリポーターの姿も見える。空は黒ずんででも遠くには赤い光がまだ見える。


「……!」

「どうしたんだい?」

「いえ、なんでも」


 これは。だけど今日は、もう止めておこう。この感じ、いつ倒れてしまうかわからない。


「もう今日は無理しない方がいい。帰って休むんだ、いいね」

「ああ、それがいい。テスト勉強も今日はしなくていい」

「……うん、わかった」


 私は答えた。


「先生、このノートと本借りていいですか」

「構わないよ」


 私はかばんに本とノートを詰め込むと、壁に手をつきながら玄関に向かった。


「おいおい無理するな」

「そう思うんなら支えてくれてもいいんだよー」

「幽霊に無理を言うな」


 牛村さんは横でわたわたしながら倒れこみそうになるわたしを支えようとするそぶりを見せる。幽霊は生物に触ったりすることはできるけど、持ち上げたり浮かせたりするほどの干渉はできない。命のない物ならポルターガイストで好き勝手できるみたい。


「先生、ケーキとお茶ご馳走様でした。あと検診もありがとうございました。」

「いいや、こちらこそ。雪ちゃんがやってくるのが唯一の楽しみだからね」


 私は靴を履くとドアを開けて外に出る。先生も門まではついてきてくれるけど気は利かない人だから、後ろをついてきてくれるだけ。牛村さんは相変わらずわたわたしてて。ああ、先生は気が利かないんじゃなくて牛村さんが邪魔だからどうしようもないのか。


 私はふふ、と小さく吹き出すように笑って、その後ため息をついた。


 ●


「……何を見たのかな」


 雪に先生と呼ばれていた老人はゆっくりと歩いて帰る彼女の後姿を見ながら呟いた。


「たしかあの本は、皐月さつき君の置いて行った本だったね。あそこに仕舞っていたのか。年を取るとどこに何をおいたのかわからなくなる……」


 門の内鍵を閉め、老人は書斎まで戻った。その間、考え事をぶつぶつと呟き表に出しながら、視線は空のどこも見ていなかった。


 書斎の机の引き出しにかかったナンバーロックを外すと、中には数冊の大学ノートがあった。彼はそれを全て確認し、数が揃っているのに安堵した。


「これを見られているとまずかったかね」


 老人はそのうち何冊かをぱらぱらと捲ると、そのうち一冊に写真が挟んであった。それには四人の男女と二人の子供が写っていた。左端は老人本人。その隣に若い男が一人。右側には四人家族。親交のあった帖佐家と老人、その助手で撮ったものである。


『三人が写ってる家族写真……ってことはこれ、私のお父さんとお母さんですか!?』

「……三人、ね」


帖佐雪の持っていった写真は、二人の大人に挟まれて二人の子供が笑顔で写っている、四人の家族写真だったのだが。

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幽霊警察とお姉ちゃん、それと牛 ssshizu @sshizu

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