大人がいない村

田中紀峰

1.

今年の夏、俺が体験したことを、記憶が薄れないうちに記しておこうと思う。

ある男に、俺は「このことはすぐ忘れろ」と忠告された。俺の「精神衛生のために。」俺もそう思う。だから、書いたら、スチール棚の一番奥にしまってそのまま忘れるつもりだ。誰にも見せるつもりはない。もしかすると将来、思い出す必要があるかもしれないから念のため残しておく。それだけだ。


その男の名は聞いてないし、俺も名乗ってはいない。だから今さら連絡の取りようもない。


海外のサバイバル番組を見て急に思いついて、ツーリングにでかけたんだ。

夏の休暇を利用して、たった一人で。


野外で寝泊まりするやり方をネットで調べて、ホームセンターで一人用のテントや登山用のリュックなんか一式を買いそろえて出発。

原付で田舎や過疎地を回るテレビ番組があるだろう。俺はこれでも、学生の頃、合宿免許で、バイクの中型免許も取ったのさ。同時教習ってやつだ。中型なら原チャリよりか、ずっと楽に回れるはずだ、そんな安易な気持ちで出かけた。


いきなり野宿する勇気はなかった。だから最初はあらかじめ、翌日泊まる山小屋ロッジやキャンプ場なんかを予約しながら、あちこち渡り歩いていた。


夜は客どうしで焚き火を囲んだ。

たいていはギター弾いて歌ったりする、大学のワンダーフォーゲル部みたいな連中で、バーベキューに混ざらないかなどと誘われたりしたんだけど、俺みたいなのが若い連中に割り込んで、気を使わせたり、酒に酔った勢いで場をしらけさせちゃあ悪いし、なんとなくそういう集まりから距離をおいて当たり障りなく適当にやってたんだ。

そう、俺ももう、一人が気楽な年齢になっていた。俺はどちらかといえば人に名前や顔を覚えられやすい方だと思う。人付き合いで苦労したことはなかった。でも、年を取るにつれてそうした自分がだんだん重荷になってきた。


慣れてくるにつれて俺は山奥へ進出していった。その日泊まったのは、いわゆるオートキャンプ場で、家族連れが大型のバンで四、五組来てて賑やかにやっていた。ふと見ると、はじのほうに、携帯用カセットコンロで鍋をつついてる、しぶいひげ面の中年おやじがいた。

ニラとモツ肉を炒めながら、ウィスキーの瓶を傾けて、ステンレスのコップに手酌で飲んでいる。

「兄さんもバイク旅か?」

彼は俺にそう声をかけた。

「ええ、そうです。」

「近頃は少なくなったよなあ、オートバイでツーリングするやつは。」

「そういや、そうかもしれませんね。」

そんな感じで、俺は彼と意気投合して、二人で彼のウィスキーを清流の水で割って飲み始めたんだ。


その人は、フリーランスのジャーナリストで写真家。日本中旅して回って写真を撮り、ときどき写真集やエッセイを出したり、銀座で個展を開いたりしているという。

「写真で食っていけるんですか。」

「まあな。気楽な独身男チョンガーだから。」

「ふうん。」

「あんたはどうだい、仕事のほうは?」

「案外気に入ってますよ、サラリーマンってやつに。学生の頃は、会社勤めしてる自分なんて、想像もできなかったんですがね。」

そんなふうな、とりとめもない世間話をしていて、男はぼそりとつぶやいた。


「この山奥に、未開の村があるっていうんだ。」

「未開って?」

「電気もガスも水道も通ってない。もちろんWiFiも飛んでない。スマホのアンテナも建ってない。」

「家は建ってるんですか。」

「ああ。だいぶ廃れてるがな。」

「それって、ただの廃村とか廃墟じゃなくて?」

「いやいや。ちゃんと人が住んでるんだが、村人たちは外界とほとんど接触せず、現代社会と隔絶して生きているらしいぜ。」

「なんだよそりゃ。この令和の世に?」

「しかも、なぜかその村には、子供しか住んでないっていうんだ。」

「ばかな。親は出稼ぎで留守?だとしても、子供なんだから学校には通うだろ、せめて義務教育のうちは。」

「そのはずなんだが、何しろその村に入って生きて帰ってきたやつはいないっていうんだ。」

「帰ってきたやつがいないのになぜその村のことが外に知れるんだい。」

「まあ、だからこそ、ジャーナリストの俺が、その村の正体を調べにいこうってわけさ。どうだ、あんたも行ってみるか。」

俺はあんまり気乗りしなかった。

でもこの、頭に時代錯誤なバンダナを巻いた、浮世離れした写真家に、個人的に興味を持ち始めていたので、もう暫くこの人と一緒に、旅をしてみようかという気になって、俺は彼に付いていくことにした。

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