【本日の仕込み】トマトのジュレ

「毎度〜! 化け猫宅配便っす〜! 荷物のお届けに参りやしたぁ〜!」


 仕込みの準備をしていた狐太郎こたろうの耳にそんな元気な声が飛び込んできた。扉を開けると、遊ばれた毛先をさらにボサボサにした茶髪の若い男がその線の細い腕で大事そうに段ボールを抱え、店先に立っていた。

 淡い麦色の肌に、白と水色を基調とした清潔感のある制服を身に纏ったその青年は軽く会釈してから顔を上げると狐太郎の顔を見て、爽やかな笑顔ではにかんだ。


「あっ! 狐太郎さん、まいどっす!」

「おはよう、寅吉くん。寒い中、お疲れ様です」

「あざっす! あ、荷物どこに置きやす?」

「それじゃあ、カウンターにお願いしてもいいかな」

「お安い御用っすよ。んじゃ失礼しやーす」


 そう言って店に入ると、カウンターの隅へと優しく段ボールを置く。それから、ふぅっと息を吐くと琥珀色をした猫目の双眸を歪ませ、緩やかにウェーブした髪をくしゃりと掻き上げた。


「しっかし、風強いっすね〜。俺の自慢のヘアーが台無しっすよ」

「これぐらい狭い道だと風が吹き抜けるんだよねぇ……店内には風が入らないようにはしてるんだけど、玄関はどうしてもね……」

「まぁ仕方ないっすよねぇ……あ。そういやこれ、めちゃくちゃ重かったっすけど、一体何が入ってるんすか。野菜としか書いてないし、カボチャとかっすか?」


 降ろした段ボールを指差し、不思議そうに首を傾げた寅吉に狐太郎は頬を掻きながら苦笑する。


「いえ、トマトですよ」

「トマッ! トマトっすか? え、これ全部……?」

「はい、全部です」


 寅吉のあまりの驚きっぷりに、笑いを堪えながら段ボールを閉じていたガムテープをビリビリと剥がし、その濃桃色をした大玉のトマトを一つ取り出した。ぎゅうぎゅうに詰まっていたのにもかかわらず、傷やへこみすらない綺麗な豊円をしている事から多肉質で硬いトマトである事が窺える。


「マジだ……。凄い量っすね。でもなんでこんなに? トマトの新作料理でも思いついたんすか?」

「いえ。トマト好きのお客様が最近常連になりましてね」

「あー、それでかぁ。で、どんな料理作るんすか?」

「ハンバーグのタネをトマトに詰めてオーブンで焼き上げたトマトの肉詰め焼きと、トマトのジュレですね」

「肉詰め焼き、美味そぉっ……」


 垂らしそうになった唾液をじゅるりと吸い込む。


「って、ん? ジュレってあれっすよね。確か、スパークリング清酒のお通しとして出すうちの一つっすよね?」

「よくご存知ですね。黒井さんから聞いたのですか?」

「はいっす! 親方からよく聞かされてるんすよ〜。今度一緒に連れてってくれるっていうんで、そん時は頼ませていただきやすね!」

「はい、その際は色々とサービスさせていただきます」

「あざっすぅ! あ、でもジュレってどうやって作るんすか。親方の話だと、トマトなのに透明だっていうし、どんな妖術使ってんすか?」


 目をまるで宝石のようにキラキラと輝かせて訊ねる寅吉にコホンと小さく咳払いをして、持っていたトマトを目の高さまで持っていく。


「はは、寅吉くんは愉快な方ですね。妖術ではありませんよ。もし時間があるようでしたら作るところを見ていきませんか?」

「まじっすか! そ、それじゃ、お言葉に甘え……たいとこなんすけど、遅くなると親方に怒られるんで、遠慮しときますっ」

「それもそうですね。では食べに来られた時にお教えしますね」

「はいっ! そんじゃ俺はここらでおいとまするっす」

「はい。また、よろしくお願いします」

「こちらこそっす。お話、ありがとうございましたっす!」


 ハキハキと元気良く答えた寅吉は何度も何度も腰を折ってから店を後にする。

 やはり誰かと会話するのは楽しい。しかしこれから大量の仕込みが待っている。この寒い中、来店されるお客様の笑顔を今日も見るため狐太郎は厨房へと向かうのであった。


     ◇


 トマトジュレの作り方は至って簡単である。


 なぜなら、くりぬいたトマトの果肉をジューサーにかけ、ピューレ状になったそれをキッチンペーパーを敷いた目の細かいザルに入れて濾すだけであらかた作業工程が終了するからだ。

 ただ、いかんせん時間が掛かり過ぎる。濾す量にもよるが、最低でも半日以上ないし、一日は冷蔵庫の中に入れておかなければならない。

 コーヒーのドリップを想像して貰えればすんなり理解出来るだろう。もちろん、コーヒーのドリッパーに紙のフィルターを入れておけば簡単に、より透明に仕上がるのだが、今回は大量に行なうのでこの方法にしている。


「どれどれ……」


 昨日、濾していた分の大きなボウルを冷蔵庫から取り出し、状況を確認する。そこにはおおよそトマトだとは想像が付かない透明な液体がたっぷりと入っていた。だいたいトマト二十四個で一・五リットルペットボトル一本分くらいの透明な液体が出来上がる。仮にこれをトマト液と呼ぶとして。このトマト液にふやかしたゼラチンをトマト液量の二から三パーセント程度入れ、冷蔵庫に再び入れ、冷やし固める。


「うん、いい感じですね」


 さて、お次は今日届いたトマトの仕込みである。

 トマトの品種は桃太郎エイトという濃桃色のトマト。握った感触から崩れにくく硬いトマトであることは一目瞭然。トマトの肉詰めを作る大事な工程であるオーブンで焼いた際に形が崩れにくいという条件をこうも簡単にクリア出来るトマトは類を見ない。これ以上ない最適な選択といえる。食味もいいし、日持ちもする。さすが品種改良に改良を重ねた極上のトマトだ。


 ダンボールから取り出した大量のトマトをよく洗い、綺麗な布巾で丁寧に水滴を拭き取っていく。トマトのヘタから二センチくらい下を切り落とし、スプーンでトマトの果肉をくり抜き、それをジューサーの中へと入れていく。そしてボウルの上にキッチンペーパーを敷いたザルを置き、ピューレ状にしたトマトを流し入れ、冷蔵庫へと投入する。


 くり抜いた後の大量のトマトにはハンバーグのタネを丁寧に詰めていく。もちろん食べた際のジューシー感とトマトの果汁と肉汁の一体感を出すためタネの中にもゼラチンを入れてある。


 こうしてトマトの仕込みと本日の全ての仕込みを終え、日課の掃除も終えた頃、開店前にも関わらず、店に元気な声が飛び込んできた。


「こーたーろー!」


 黒い羽を控えめに羽ばたかせながら店内にやってきたカラスは店内の床へと着地すると嘴をパクパクと開口する。


「狐太郎! アレくれ、アレ!」

「カラスさん、まだ開店前ですよ」

「アレが飲みたいんだヨォ! 頼むよ、狐太郎! おデとお前の仲だろウ!」

「仕方ないですね……で、アレってなんですか?」


 少し意地悪く問うと、カラスはうーんうーんと唸りながら頭の中にあるはずの記憶を探るように左上に視線を持っていき、そして思い出せずに頭を振った。


「れい……れい……れいなんとかだった気がするんダガ……うーん、思い出せなイ。シュワシュワのれい……」

「……醴泉れいせんですね」

「そうダ! れいせん! アレが飲みたいんだよォ!」

「昨晩も一昨晩もその前もお飲みになったでしょう? そんなにお好きなんですか?」

「そうダ! れいせんが好きなんだヨォ! だって水が酒に変わった、すごい酒なんだゾ! おデも西に探しに行きたいくらいだァ!」


 水が酒に変わった、というのは狐太郎が以前、カラスに話した養老の滝の孝子伝説の事である。かいつまんで話すと孝子伝説というのは平安の世の物語で、貧しい息子が偶然発見した酒の湧き出る滝で酒を汲み、年老いた父の為に何度も何度も往復して家まで運んだという話。そしてカラスが好きなシュワシュワの、醴泉れいせんはそんな養老伝説の地で作られた銘酒なのである。その話を聞き、カラスはより一層、シュワシュワこと醴泉を大好きになったのである。それこそ毎日飲むほどに。


「分かりました、そんなに言うのでしたらお出ししましょう」

「感謝するゾ、狐太郎! あ、アレもよろしくナ!」

「アレと申しますと……?」

「分かってるくせニィ! 意地が悪いゾ! トマトのジュレだァ!」

「それとトマトの肉詰めですね」

「ああ! トマトと醴泉の組み合わせは最高だァ!」


 今日もカラスの楽しそうな声が店内に響く。滝のように唾液を垂らしながら。

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狐小路食堂 無才乙三 @otozou

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