後編

 不安そうな顔を見せる宮下と、アダムとわたしの三人で蔵の前に立っていた。

 立派な蔵だ。大きな閂がかけられていて、屋根には黒光りする瓦が整然と並ぶ。白い漆喰の壁には、日差しを受けて木々のくっきりした影が落ちていた。

「こちらがその蔵です。目録がありまして、一応中はすべてあらためているんですが、探している<笛>はありませんでした」

「なるほど」

「しかし、そんなにすぐ見つかるんでしょうか?」

「加持祈祷みたいなことはしませんから、ご心配なく」

 彼はポケットから馴染みの仕事道具の手袋を引っ張り出した。手早く装着すると、中に入る。蔵の中は広々としていたが、そこかしこに木箱や段ボールが積まれている。土のにおいがした。直射日光を遮っているので、暗くてひんやりとしている。

「直接聞きますから、下がっていてください」

 うすぼんやりした蔵の闇にだんだん目が慣れると、彼の黒いTシャツの背中が浮かび上がる。

「はじめます」

 彼が、ゆっくりと、呼吸をする。かるく何かを受け止めるように、手のひらを上にむけて立っている。何か派手な音がしたり、光が見えたりするわけではないが、呼吸の音に合わせて、じわじわと視界が狭まる感覚があった。かすかだった冷気が、いつの間にか背後に忍び寄っている。ことさら注意を払わなければ、いつから始まったのか気づかないような小さな違和感が、気づけば確実に大きくなっている。それに気づき、皮膚が粟立つ。

 彼が見えないものの声を聴くとき、その姿は、何度見ていてもやはり忌避したくなるような、拭いきれない異様な雰囲気がある。我々に認識しえないなにかと、交感しているということだけが、わかる。頑なにその存在を信じないわたしのような普通の人間であっても、否応なく喚起される違和感に本能的に恐怖するのだ。まるで、先の見えないうつろなトンネルの入り口にふと立たされ、その奥を見つめているような、その入り口の闇がゆるやかに広がっていく錯覚を何度も覚えるような、心もとなさと不安感があった。

 遊園地でもテーマパークでもそうだけれども、昔からそういったものの入り口に入るのがひどく怖かった、というより、入り口と出口が同じ一箇所にしかないような建物や空間というものが苦手だったのだ。二度と出られないのではないかという不安。人々を吸い込んでいく入り口。何かが唐突に始まったわけでもないし、危害を加えられるようなこともないにもかかわらず、落とされた不安の種はものすごいスピードでふくらみ、いろいろな妄想を広げて、あやうく悲鳴をあげてしまいそうになる。それを理性でなんとか押しとどめていた。

 あらかじめそのような事前知識を伝えていたにもかかわらず、共に蔵に入った宮下は、隣であからさまに動揺していた。わたしはもし彼が術を使っている途中のアダムに飛びかかるようなことがあれば止めるつもりでいたのだが、肩を震わせている様子を見て、同席させたのはまずかったと思った。一般人には刺激が強すぎる。<境界>に伝えていたらそのように判断しただろう。

「宮下さん。外へ出ますか」

 小声で声をかけると、彼は冷や汗を流しながら頷いた。腕を握ってやって、そろそろと後退し、扉をあける。わずかな隙間から押し出すようにして彼を先に出し、光が内側へ入らないようにして自分も続いた。外は、なんら変わらない様子で、そよそよと風が吹いていて、先ほどの中の緊張感と比較すると、まるで冗談みたいに実にのどかだった。急に現実に戻ってきたわたしたちは、しばらく言葉もなく立ち尽くした。

「すみません。ありがとうございます、なんだかとても、恐ろしくなってしまいまして」

「構いませんよ。居合わせると、誰もが感じるんです」

「ギルモア氏は……」

「彼はもう始めてしまったので、終わるまでは出てきません。プロのエージェントですから、ご心配には及びません」

「お若いのに、すごいですね……」

 ほっと胸を撫で下ろして、彼は言った。水を飲んできます、と言って母屋の方へ向かったので、着いていきましょうかと問うと、やっとすこし緊張の解けた顔で笑いかけた。

「大丈夫です、お気遣いありがとうございます。見苦しいところをお見せしてすみません」

「とんでもない。では、ゆっくりされてきてください。落ち着かれてからで」

「ありがとうございます」

 スーツ姿が建物の中へ入っていくのを見届けてから、再び蔵の扉へ向き直った。もう一度中へ入る気にはなれなかった。アダムの術の最中に集中力を削ぐようなこともしたくなかったし、完全に場ができてしまってから再び中へ入るのには、強い抵抗があった。扉の前に立って、額をおしつけ、目を閉じる。先ほど中で見た彼の背中を思い出す。

「……アダム」

 次の瞬間、扉がわずかに動く気配がして、弾かれたように離れた。重い扉を押して向こうからアダムが出てくる。

「クロエ?呼んだ?」

「いえ」

「あ、じゃあ空耳か……無事終わりました~~」

 彼の顔は青ざめていて、扉にかけた手の指先はわずかに震えていた。わたしは彼の腕をとって、蔵の中から引っ張り出す。七分丈の袖から出ている手は、先まで冷えていた。あらかじめスーツのポケットにいれておいたカイロを彼に握らせる。以前彼になぜ手袋と携帯用のカイロを持ち歩くのかと尋ねたら、あちら側のものは、おそろしく冷たいのだと言った。

「氷水の中に浸かるみたいな感じがするんだ。終わった後、ものすごく寒くて。肺の中まで凍りそうになる。だけど、その冷たい空気を感じるために、呼吸をする。ひとつ呼吸するごとに、空気が変わるのを感じる。その過程が明確にイメージできる。ゆっくり階段を下りるみたいに、自分をひとつ下の層にうつしていく、そういう感じ……あとは、あっちから掴まれるのが嫌だから手袋してる」

 手袋は、彼が自分の能力から自分を救うために助力を仰いだ結果、シフとともに見つけ出したお守りの一種だった。特殊な布でできていて、わたしには道理はよくわからないが、彼はそれなしでは霊と交感はしない。

「宮下さんは、途中で気分が悪くなったみたいで。今、中で休憩しているはず」

「あ、そうなんだ?気づかなかった……やっぱり同席しない方がよかったかもね。クロエは?大丈夫?」

「わたしはなんとも。あなたこそひどい顔よ。ごめんなさいね、途中で」

「俺はいつものことだからね。なに?らしくないね?」

 謝罪の言葉を受けて、アダムが口の端をあげて笑った。思わず瞠目する。

「問題ないよ。それより、この事件思ったよりすぐ終わりそう」

「在処がわかったの?」

「多分ね。どうも山奥っていうのは、わかりにくくて嫌なんだけど」

 彼は手袋をはずし、カイロを頬にあてながら言った。


 彼曰く、中で話していたのは同様にしまい込まれた古い宝物たちだと言った。鐘の中にいるみたいに声がさざ波になって反響して、時間がかかったのだという。彼らは自分の所有者に関しては、ほとんど興味がなかった。その代り、久しぶりに会話のできる人物が現れて興味を持ったらしい。

「あっちが喋ったと思ったらこっちが喋りだすみたいな感じで、聖徳太子じゃないんだから」

 その言い方がまるで本当に人間でも相手にしているように自然だったので、なんだか不思議な感じがした。そんな話をしながら、宮下を迎えに行こうと二人で母屋の中へ入っていくと、話し声が聞こえてきた。この旅館は今は使っておらず、最低限の使用人しかいないと言っていたので、おそらく宮下だろう。顔を見合わせた後、アダムが頷いたので、声のする方へ向かう。

「……ですから、本当ですよ。あれが見つかれば、担保にできる……価値は親父から聞いてるでしょう。次の取締役会は……」

 どうやら、電話中のようだった。

「取り込み中かな」

「外で待っている?」

「いや、もしかしたらちょっと面白い話が聞けるかも」

 アダムが好奇心にあふれた顔で、壁にそっと耳をつけるのを見て、わたしは肩をすくめた。彼との会話では、状況によってはあまり肉声でやり取りしないので、自然と仕草が似てくるらしい。自分でやってから気づいたら、彼が無言でにやりと笑った。

「……わかってます、次お会いするときにはお渡しできますよ。ちょうど今、<境界>から人が来ていて、早ければ今日中には見つかるんです。……では実行は平日で。ええ、そうしましょう。よろしく」

 それはどう聞いても、今探している宝物の話だった。「国会議員を輩出して、いくつものグループ企業をかかえる宮下一族」と言った彼の言葉が脳裏に蘇る。もしかしたら、見つけた<笛>は、お金に変えるつもりなのだろうか?であれば、彼の父親である前会長が在処を教えなかったのも、そういう理由なのかもしれない。前会長に関しては先ほど話し合っているときに軽く調べていたが、商売に情熱を捧げた、評判高い人物だったらしい。あらぬ推測がひらめいて、慌てて打ち消した。今はそのことを考えている場合ではない。電話を切る気配がしたので、今来た風を装って声をかけた。

「宮下さん。いらっしゃいますか」

「はい、はい。お待たせしました。すみませんね、ちょっと仕事の電話が」

「いえいえ。大丈夫ですかね?お時間」

「かまいません」

「先ほどの調査で、おそらく場所がわかりましたので、案内します。行きましょう」


 アダムが向かったのは、先ほどの蔵から五百メートルほど離れた山の中で、距離はあまりないものの、迷わず分け入っていくものだから後を追うのが大変だった。それは宮下も同様で、キョロキョロとせわしなく周囲を見ながら後を着いてくる。かすかにけものみちらしき面影があるものの、ほとんど山の中の散策だった。よくわからない木々が鬱蒼と茂り、ちろちろと光線が指している。鳥の鳴き声と木のざわめきだけがBGMだった。足元は枯草と葉っぱばかりで、時々突出した木の根にパンプスをひっかけそうになった。

「アダム、こんなところにあるの?」

「無かったら、教えてくれた奴を責めてくれ。あ、ほら!」

 彼が嬉しそうに指さした先には、小さな祠があった。雨風にさらされてはいたが、周囲の様子にくらべるとまだ真新しい。おそらくここ百年のうちに作られたものだろう。大体高さが五十センチくらいで、四角柱の形の小さな金庫くらいの大きさだった。

「祠?」

「そうそう。で、この中なんだけど」

 アダムがしゃがみこんで、扉を開いた。封をしていた小さなお札が剥がれ落ちる。全員でのぞき込むと、そこにあったのは、横長の木箱だった。慎重にそれを取り出すと、これにも封がしてある。かまわずに破り取って蓋をあけた。十五センチ程度の筒状の何かが、同じ形の袋に丁寧に入れてある。

「笛……?」

「おそらく。中身をあらためますか?」

「はい」

 それをそのまま宮下に渡し、アダムが立ち上がった。

 袋を開けると、確かにそれは古めかしい笛だった。雅楽で使う龍笛そのもので、側面には複雑な意匠をこらしてあるのが見える。螺鈿が光を反射して、きらりと光った。彼はためつすがめつして、細部を確認した。

「これです。間違いない」

 途端に上ずった声をあげる宮下の様子に、アダムは満足げに微笑んだ。

「良かった。素敵なお宝ですね。話に聞いていたとおりですよ。この祠、代々ここで保管するために作ったみたいなので、仕舞うときはこちらに置いていたほうがよさそうです」

「ありがとうございます。いや、自分の目で確認できる日がこようとは……」

 お宝を見つけてしまえばあとは退出するだけと言わんばかりに、アダムは頭の後ろで腕を組んで、今来た道を引き返し始めた。わたしも、彼の後に続く。


「見つけてくださって、感謝しますよ。<境界>の能力者というのは、伊達ではなかったわけだ」


 宮下が不意に漏らした言葉に、足が止まった。

 言外に含まれた、どこか不穏な雰囲気。

「宮下さん?」

「しかし、たった二人でいらっしゃるとは、いささか不注意に過ぎたのではないですか?」

 アダムとほぼ同時に、振り返る。不自然なほどにこやかな宮下の手に握られていたのは、先ほどの木箱と、黒光りする拳銃だった。

「宮……」

「申し訳ありませんがね、これがここにあると知れるとまずいのでね。あなたがたは<境界>から派遣されてきた一級の能力者だそうだが、残念です。私からは、事故ということで報告しておきますよ」

 銃口が先に向いたのはアダムだった。ぴたりと向けられた銃身を見て、アダムはしかし、笑った。あの不敵な表情でだ。だんだんこらえきれなくなって、笑い声をあげる。銃を向けられていながら突然笑い出したアダムを不審に思った宮下が、苛立ったように声を荒げた。

「何がおかしい!」

「ははは、あんた、いや、予想通りの展開でおかしくて。まるでドラマみたいだ。ゴールデンウィークに殺人なんて、やめた方がいいですよ。後味が悪い」

「ふざけているのか?」

「まさか。不注意に過ぎるのは、あんたの方だよ」

 アダムがにやりと笑う。長い金髪が顔に落ちかかって、右手でそれをかきあげる。

「俺みたいな一級の能力者にくっついてる助手が、ただの人間なわけないだろ?」

 一瞬呆気にとられた隙をつき、わたしは素早く間合いに入ると、銃を構えていた宮下の右手を渾身の力で蹴り上げた。

「クロエ!」

「言われずとも」

 衝撃に耐えかねて、銃が手を離れ、宮下が落ち葉の中へ倒れこむ。落ちた拳銃をパンプスで遠くへ蹴ったあと、彼の体の上にまたがって動きを抑え、腕を後ろ手にひねりあげた。

「な……!」

「申し遅れましたが、わたしは助手の黒江園子といいまして、本業は本庁付き特殊捜査課の捜査官です。宮下会長、これは正当防衛ということで、手荒な真似をお許し願いたい」

 顔に落ちる髪を頭を振って片側に流すと、スーツのジャケットの下にあらかじめ仕込んでいたホルスターから自前の拳銃を抜き、彼の後頭部へ押し付けた。

「ひっ……!」

「妙な気を起こされますと、あなたこそ事故に遭うことになります。我々は仕事で来ておりますので、機密を漏洩することは決してありません。その点、誤解の無いようにお伝えしておきます。お互いにこのことが明らかになるとまずいでしょうから、これ以上抵抗しないのであれば見逃しましょう」


 その後、すっかり毒気を抜かれた宮下を置き去りにして、我々はまず車に乗り込むと、即座に発進させた。<境界>へ直接通じる番号へ、スピーカーの状態にして電話をかける。

『もしもし』

「こちらA班です。終了しましたが、クライアントから襲撃を受けました。応援頼みます」

『承知しました。三分以内に安全装置を発動させます。お気をつけて』

「ありがとう」

 通話の終了ボタンをアダムがタップして、短い電子音とともに画面が消えた。安全装置というのは、<境界>のエージェントの安全を守るためのもので、単独で動いているような殺し屋に命を狙われでもしない限りは、各界に<境界>から通告が行く仕組みになっている。

「いやーしかしそんな気はちょっとしてたけど、あまりにもお決まりで笑っちゃったな。この展開、何度目だっけ?クロエ」

「五回目。あなたと出かけるとほぼ毎回銃を抜く羽目になるわね」

「これ絶対上層部もわかってて仕組んでるだろ?一級の能力者をなんだと思ってんだ本当に。協力するのやめようかな」

「さすがに同感ね」

 来た時と同じ道を、再びカーブを切って進む。どうなることかと一瞬ひやりとしたが、彼の機転のおかげで助かった。アダムのような能力をまったく持たないわたしが、<境界>に所属して彼の護衛をしているのは、こうした不測の事態に備えるためなのだが、万が一でも彼に何かあれば、自分の身を挺して守るつもりだ。それは元々は<境界>に借りた恩をかえすためだったが、今は、それだけではない。

「ねえ。クロエ」

「なに?」

「ゴールデンウィークだけど、何か予定ある?」

「特には。仕事のつもりでいたから」

「じゃあさ、俺と京都観光しない?」

 思わず彼を見たら、来た時と同じように窓枠に肘をついて、笑っていた。その整った顔を、なんだかまぶしく感じた。

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メディエータ Ⅰ 有智子 @7_ank

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