第一話 夜中に迷い猫を拾っても、感謝されるとは限らない。 三

 震える指でスマートフォンを操作する。このような時に相談できる相手は、一人しかいない。

 事件後に対人関係をことごとく絶ってしまった真の、唯一の発信先。妻の友人であり、真の大学時代の同級生でもある、宮島みやじま結衣ゆいの電話番号を発信履歴から選択して、発信ボタンを押す。

 コール音三つで宮島は電話に出た。

(北条君? どうしたの?)

 宮島の心配そうな声を聞いた途端、真は我に返った。そういえば、今自分が置かれている状況をどうやったら適切に説明できるのか、全く考えていなかった。

「あ――ごめん、宮島。その、何と言ったらよいのやら……」

 真は思わず曖昧な言葉を口走った。

 宮島の小さな笑い声が電話から伝わってくる。

(大丈夫だよ。少なくとも北条君が困っているということはよく分かったから。だから、ゆっくり話して頂戴)

 宮島の優しい物言いに、真の心は落ち着いた。

「有り難う。その、実は今、ちょっと説明が難しい状況になっているんだ」

(うん)

「今日、会社から家に帰る途中で猫を拾った。雨に濡れて困っているようだったんで、捨て置けなかった」

(うん)

「その猫が熱を出しているみたいなんだ。ぐったりして、息も荒くなっている」

(うん)

「それで、病院に連れて行ったほうがよいと思うんだけれど、どうしたらよいのか分からなくなった」

(動物病院の場所が分からないの?)

「いや、近所にあるのは知っているんだけど、本当に動物病院でよいのか自信がない。その――猫なんだが、猫じゃないような気がするんだ」

(それは――猫に似ている何か珍しい動物かもしれない、という意味かな。だから、普通の動物病院じゃあ無理、とか)

「いや、動物かどうか怪しいという意味」

(ええと、御免なさい。さすがにちょっと理解が追いつかない)

「そうだよね。私も自分で説明しながら理解が追いついていない」

(少なくとも、最初は猫だと思ったんだよね? 危険はないのか、という意味なんだけど)

「危険はない。家に来るように頼んだら、大人しくついてきた。ただ、着替えをさせて、一緒にご飯を食べようかと思ったところで、何だかおかしいと気がついたんだ」

(ちょっと待って! 今『着替えをさせた』って聞こえたんだけど?)

「そう言ったよ。娘の服を渡したら着替えたんだ。それがよく似合っているので、おかしいと思ったんだ」

(……北条君、少なくとも猫に見えるんだよね? 人じゃないんだよね?)

「それがよく分からない。最初は猫だった。今は人に近いような気がする」

(……分かった。今すぐそっちに行くから、とりあえず家にいて。何もしなくていいから)

「ごめん、宮島。とても助かる」

 電話が切れ、真はまた猫を見つめた。とりあえず宮島が来るまでは何もしようがない。

 目の前の猫はすっかり人間の少女と認識する者がいても決しておかしくはない姿となり、荒い息を繰り返している。

 ――可愛そうに。

 真は思わず手を伸ばした。

 ――何もしなくてもよいと宮島は言ったが、頭を撫でるぐらいなら構わないかな?

 自分が高熱を出して寝込んだ時、母親は優しく頭を撫でてくれた。

 娘が高熱を出して寝込んだ時、妻は優しく頭を撫でていた。

 それに、今の自分に出来ることはそれぐらいしかない。

 彼は右の掌を猫の上にかざす。そして、その結果、真は知ることになった。

 頭を不用意に撫でてよいのは、あくまでも彼と同じ種族間でのことであって、別な生き物がそうだとは限らない。むしろ違うことがありうる。人間だって文化が違うと頭を撫でてはいけないことがあるぐらいだ。

 そして、目の前の生き物は確かに猫でも人間でもなかった。少なくとも彼が知るところの「猫」や「人間」ではない。

 なぜなら――猫や人間ならば、額に触れた途端に精神融合を引き起こすことなぞ、ありえないからである。

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