第一話 夜中に迷い猫を拾っても、感謝されるとは限らない。 二

 娘のお古のTシャツは、存外猫に似合った。

 そして、そのことを純粋に嬉しく感じたので真は少々意外だった。まだ割り切ることができるようになったわけではない。いまでも心の奥底にはじくじくとただれた何かが残されている。

 しかし、それとは別に服は似合っていた。大きさが全然あっていなかったが、雰囲気で似合っていた。

 猫は炬燵の中に下半身を差し込んで、居心地が悪そうな様子でしきりに上半身をもぞもぞと動かしているが、その仕草も愛嬌があって大変に宜しい。

「何か食べますか?」

 真がそう言うと、猫は耳をぴんと伸ばし、古い蛍光灯を反射して橙色に輝く瞳を真に向けた。察しの良い猫である。

「……ミニャラニョニャラ?」

 という風にしか聴こえない鳴き声が、空腹であることを告げた。

「じゃあ、少しだけ待って下さいね」

 真は笑って台所に向かい、冷蔵庫の中を覗き込む。冷蔵庫の中には一通りの食べ物が入っていた。真は家で食事するのが好きだったし、妻と娘がいた時はなおさらだった。

 その名残で今でも食材は切らしたことがない。一人暮らしには多すぎるため、たまに捨てなければならないほどに入っている。

 しかし、そこで彼は手を止めた。

 ――果たしてこのまま食べさせても良いのだろうか。

 彼は既に気がついていた。

 彼は、全身を覆っているつややかな黒い毛並みと、頭の上方にある三角形の耳と、「ニャアニャア」と聴こえる言葉から、暫定的に「猫」と判断しただけなのだ。

 髭のない猫を真は見たことがない。それは、髭を切り落とされた可能性を考慮すればぎりぎりセーフだろう。

 タオルを両手で受け取る猫も見たことはない。それもまあ、そういう芸風だと思えばありえないことではなかろう。

 自分で着替えをする猫も見たことはない。ただ、Tシャツに頭を差し込んでしまう確率はゼロではなかろう。

 しかし――瞳の色が変わる猫というのは、さすがに無理がある。真が知らないだけだろうか。

 台所から居間のほうを見ると、猫は相変わらず炬燵から上半身を出して横になっていた。猫は炬燵の中に入り込むか、頭だけ出すように遺伝子に組み込まれているものと思っていたので、意外だった。

 真は「猫ではない」ほうに気持ちが傾くのを抑えられない。

「とりあえず加熱するか」

 油で厚切りしたベーコンを炒めた。

 生き物であることは間違いなさそうなので、まずは減菌処理を試みる。アレルゲンだったら加熱しても意味はない。

 念入りに表面を焼き上げて、皿に置く。

 ベーコンの表面に浮いた脂が蛍光灯の光を反射して、とても上手そうに見えた。しかし、この場合は見た目にも意味はない。

 真は皿を持って居間に向かおうとしたところで、先ほどとの見え方の違いに驚いて足を止めた。

 炬燵からは相変わらず黒い髪をした上半身がはみ出ている。まるで間違い探しのような光景だったが、そうだとすると隠し方を間違えているとしか思えない。


 まず、頭の上にあった耳がどこかに消えている。

 しかも、全身から生えていたはずの黒い毛が、頭から伸びて全身を覆っている。

 さらに、大きさがおかしい。さきほどよりも明らかに大きくなって、娘のTシャツが肌に張り付いている。 

 そして――息を荒げて炬燵布団の中で丸くなり、ぶるぶると震えている。熱があるのだ。


 真は事態の急変に困惑した。咄嗟に薬箱を見るが、

 ――果たして薬で良いのか? 病院に連れて行ったほうがよいのか?

 しかもこの場合、動物病院が適切なのか普通の病院が適切なのかが分からない。それ以前に、病院に連れて行くことが適切かどうかが分からない。

 先程までは、少々風変わりではあったものの猫であったそれが、今では人間に似た肢体を震わせている。

 しかし、見た目が似ているからといって人間とは限らない。収斂進化という言葉があるように、全く別種の生き物でも結果として姿が似通ってしまうことはありえる。

 ――いや待て。

 混乱している自分に気がついて、真は大きく息を吸った。

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