青いみなみ

haru-kana

第1話 生絹の色

 一晩降り続いた雨が上がると嘘のように晴れ上がった。蝉の声こそ聞こえないが、梢越しに見える空は夏めいた色を帯び、土に染みこんだ水気が暑さに拍車をかける。

「なあ、ちょっと川に飛び込んでこねぇか」

 その気怠そうな声はジョウメイの思いを的確に表していた。つい最近まで、晴れた日には仲間同士で集まって、下履き一つで川へ飛び込んでいたものだ。いつも今日のように汗まみれで、魚の泳ぐ川の水で洗うのは格別だった。

「行くなら一人で行ってきてよ。オドヤは仕事を怠けましたって言ってやるから」

「告げ口するような奴は下から嫌われるぞ」

「俺の下はいないよ。オドヤこそもっと一生懸命になりなよ」

「俺には俺の生き方ってもんがあるんだよ」

 ジョウメイは平らな石に載せた器に視線を落とした。水面に木を削って作った小舟が浮いているが、この数時間ほとんど動きを見せない。

「〈回り舟〉はどうだ。ちょっとは動いてるか」

 ジョウメイが器を見ていると、オドヤが肩越しに小舟をのぞき込んできた。

「全然動かないよ。どうする、ジケイに言って、別の場所へ行こうか」

 オドヤを振り向くと、さっきまでの気だるさは失せていた。

「全然じゃないだろ。さっきは一回りした。この場所を捨てるのはまだ早い」

 ひょうきんな性格から、十九年も生きた男とは思えないと陰口を叩く者もいるが、一本筋の通った声に頷いたジョウメイは、六歳の差を感じ取った。

「そういうことだから、回り舟が動いたら教えてくれ」

 惜しむらくは、オドヤの真剣さは長続きしないことだった。彼はもう限界とばかりにあくびをしながら小袖をはだけ、土の上で大の字になってしまった。

「オドヤ、怠けてるとジケイに言うぞ」

「怠けてるわけじゃねえ。獲物を確実に仕留めるために休んでるんだ。疲れちまったよ」

 オドヤは悪びれずに言い、暑さにうだる素振りもなく寝息を立て始めた。真面目に付き合うのも馬鹿らしくなって、ジョウメイは再び〈回り舟〉に注目した。獲物が狩り場に現れたら小舟が動き出すようになっている。

 その〈回り舟〉が再び動き出した。今度は一回だけではない。速度はそれなりだが止まる気配はない。

 自分たちが定めた狩り場を素早く行き来する動物がいる。そこは水場が近いものの地形が複雑で、水飲み場や通り道にする動物は限られる。ジョウメイはオドヤを起こし〈回り舟〉の変化を告げた。

 オドヤは〈報せ紙〉を使って、別の場所に待機する仲間を呼び寄せるように言った。言われた通りの内容を紙に書くと、文字は紙に染みこむように消える。〈回り舟〉、〈報せ紙〉共に日々の暮らしでは使うことを許されない代物だが、狩りの時は特別だ。

「よし、行くぞ」

 オドヤはさっきまで眠っていたとは思えない機敏な動きで起き上がった。無造作な歩き方に見えるが、槍を携えた後ろ姿にはどこからでも獣に反撃できるような緊張感がみなぎっていた。

 緩やかな上り坂をオドヤについて歩くと、やがて二人の少年と合流する。一人は同い年のジンタ、もう一人は班の長であるジケイだ。

 無言で歩き続け、程なくして狩り場にたどり着く。茂みから慎重に様子をうかがうと岩壁が見える。ぽつぽつと草花が生えているだけの殺風景な場所だ。

 足がかりになりそうなくぼみはあるが、立ち止まることさえままならなさそうな場所だ。

そこを平然と下っていく獣がいる。アオシシだ。

 四人は顔を見合わせ、小さく頷き合った。音に敏感なアオシシは、人の何気ない動きをも耳で感じ取って逃げてしまう。話し声などもってのほかだ。

 ジケイがおもむろに右手を上げる。ジョウメイは槍を構え、いつでも駆け出せるように体勢を整える。その間にもう一頭現れた。アオシシはつがいで一つの縄張りを作る。ジケイはどこかにいるはずの異性が現れるのを待っていたのだ。

 息を詰めてアオシシの動きを注視する。つがいは岩壁の頂上に仕掛けた罠に背を向ける格好で立ち止まった。

 行くなら今だ。ジョウメイが思ったのと、

「やれ」

 ジケイが右手を降ろしたのは同時だった。

 先に駆け出したオドヤを追いかける。同時に上の方から岩の砕ける音が聞こえてくる。それに交じってアオシシの悲鳴が聞こえたような気がした。

 アオシシのつがいは転げ落ちてきた岩に追い立てられて岩壁を飛び跳ねながら下りていく。その進路を塞ぐように別の罠が蓄えていた岩が転げ落ち、先に岩壁を駆け下りたジョウメイとオドヤの待ち構える場所へ獲物を追い込んでいく。

「来やがった」

 オドヤは舌なめずりするような声を出し、突っ込んでくるアオシシに立ち向かっていった。そしてまっすぐ頭の真ん中へ槍を突き出す。お互いの速度が生んだ衝突の力に、出刃包丁のような穂先はやすやすと牡のアオシシの額を貫いた。

 相方がその場にくずおれたのを見た牝は、怯えたのか怒ったのかわからないが、一瞬牡から飛び退いた後、ジョウメイへ立ち向かってきた。オドヤは槍を抜けないでいる。

「来るぞ、仕留めろよ」

 オドヤの緊迫した声を聞きながら汗ばむ手で握りしめた槍を突き出す。

穂先はアオシシの右目を抉るに留まった。手負いと化した獣の残った左目には怒りが宿って見えた。ジョウメイは気圧されて立ち尽くす。

「ジョウメイ!」

「動くな!」

 槍を抜いたオドヤが加勢しようとした動きを、鋭い声が制した。

 次の瞬間、アオシシはジョウメイの脇を通り過ぎ、岩肌に激突して動かなくなった。脇腹には長槍が突き刺さっている。

「平気か、ジョウメイ」

 槍を投げたジケイは道を駆け下りてきて息を乱しながらも、澄まし顔を保っていた。彼はジョウメイが小さく頷いたのを見て、亡骸から槍を引き抜いた。

 その間に落石の罠を次々に使ってアオシシを追い込んだジンタが下りてくる。ジョウメイよりも小柄で力も弱いが、その代わり手先の器用さで罠を仕掛けるのがもっぱらの役目になっている。ジケイやオドヤに助けられた自分と比べると、今回そつなく仕事をしたジンタに引け目を感じてしまう。

「お前たち、感謝だ」

 ジョウメイたちはジケイの後ろに座り、二頭の亡骸を前にして頭を下げた。

 感謝が終わると次の段階である。二頭のアオシシを広げた布の上に置くと、ジョウメイは言われる前にナガサと呼ばれる山刀を抜いた。父から譲り受けた刃物は出刃包丁を細長くしたような形をしている。

 仰向けにさせられた牡のアオシシののど元に切っ先を入れ、腹に向けて刃を滑らせる。皮を剥ぐと、ところどころ内蔵の色が透けた肉が露わになる。ジョウメイは心臓を見定めて付近にナガサを入れる。皮を突き抜ける時とは違い、繊細な手仕事である。まかり間違って必要な部分に傷をつけたら、これまでの苦労が無駄になってしまう。

 果たして無事に肉を切り開き、心臓を露わにすることができた。左手を添えながら山刀で血管から切り離してゆっくり引き抜く。目を見張る突進力を見せる動物の心臓は思うほど大きくなく、ちょっとした不注意で潰してしまいそうな柔らかさだった。ジョウメイはまな板に心臓を置くと、オドヤに目配せしてから一呼吸置いて心臓を両断した。

 内部に残っていた血液が噴き出す。赤黒さから逃れてきたのは、青白く小さな光の玉だ。蛍火のように揺れながら上っていく。その進路上でオドヤが竹筒を被せると、光の玉はあっさり捕まった。

「ジケイ、終わったぞ」

 竹筒に蓋をしたオドヤが声をかける時、ジケイとジンタも仕事を終えていた。同じように雌のアオシシから心臓を取り出し、更にその中から青白い光の玉を取りだして竹筒に収めている。

 二頭の亡骸を布で包み込み、結び目に棒を通してオドヤと担ぐ。ジンタは自分が仕掛けた罠の後始末で山に残り、二つの竹筒を持ったジケイと三人で山を下りる。

 街道を通って村に着くと、何度か共に狩りをしたことのある青年が声をかけてきた。

「ジケイ、カモス狩人の班長たちは陣屋に集合だ」

 ジケイは戸惑う様子もなくわかったと返事をし、二人を振り向いた。

「俺を待たなくても良い。終わったら帰って良いぞ」

「そうさせてもらうよ。しかし班長も大変だね、休む暇もないじゃないか」

「俺の役目だからな。仕方ない」

「俺にはできねえや」

 オドヤはおどけた声を上げ、ジケイは愚痴もこぼさずに、狩りの際拠点となる陣屋の方へ歩いていった。アオシシの亡骸を担いだ二人は村はずれへ行く。少し前まで稲の収穫で賑わい、稲架が並んでいた田の周りはうら寂しい。見るからに粘りの強そうな泥で覆われているが、これから魔法が施されたら乾田へと変わる。その時使われるのは、ジケイが今頃上役に届けているはずのアオシシのカモスだ。

 狩人として働くようになる前は、決まった日に決まった時間で寺に集められ、様々な大人たちに勉強を教えられた。その時間の中でジョウメイは、自分や父がセキナンカを名乗る領主に仕えていて、領主もまたヒムカシという国に忠誠を誓っていること、領主たちを束ねているアメヒ王族には黒菊王から始まる一二〇〇年の歴史があること、その根拠になっているのが魔法であることを知った。

 魔法を使うには相応しい家柄と身分が必要で、ジョウメイら狩人の役目ではない。実際に行使する身分はユイヌシと呼ばれ、魔法を使うのに相応しい時と場所、呪文を熟知した人々である。

 しかし彼らの知識だけで魔法は発動しない。必要なものの一つがカモスという、動物の命の源とも言えるものである。ジョウメイら狩人の役目はそのカモスを手に入れてくることであり、先祖代々同じ仕事をしてきたのだと、父から教わったことがある。

 アオシシのカモスは田の水を上下させる《水上技》、《水落技》に使われる。田に水を張ったままでは税として収める稲の生長に良くないらしく、春先以降は何度も田の水が出たり入ったりしている。樋があるわけでもないのに、土を通して水が上下して現れたり消えたりするのは自然の動きに思えないが、それを駆使して育った粟や稗、芋などを食べて腹を下したこともないから、悪いことではないのだろう。

 泥田を過ぎると背の低い家々が見えてくる。屋根より下は木の壁で覆われていて、突き当たりには櫓が関所のように佇んでいる。一昔前のユイヌシの屋敷のようにも見えるが、近づくとよどんだ色彩が見えてくる。

「あんまり近づきたくないな。何度行っても慣れねえや」

 オドヤはため息をついた。いつも明るく振る舞うのに、ホラクへ近づくと急に元気をなくしてしまう。だからといって足取りが億劫になることはない。

「息が詰まるけど」

「まあな。それにあいつら、暮らしぶりが汚ねえんだよな」

 前を行くオドヤは軽口のようにたわいない声を出したが、無表情でいるのが目に浮かんだ。オドヤに限らないことだが、村の大人たちは皆ホラクとそこに住む人々を突き放す。

 魔法を使うためにカモスを取られた獣の亡骸はフムクリと呼ばれ、穢れに満ちて触れてはならないものに変わる。それを処理するのがホラクに住む〈エヒト〉と呼ばれる人々なのだが、役割分担の根拠は知らず、未だに大人たちの心中はわからない。

 歩みを進めていくうちに地面がぬかるんでくる。泥田の上を歩いているような感触で、歩き方を少し過っただけで滑って転びそうだった。

「汚えな」

 オドヤは嫌悪感を隠さなかった。道がぬかるんでいるのはホラクが元は湿地帯だからだ。おかげでいつでもじめじめしている。道ばたにはよく。前歯をだらしなく突き出したクンツエの死骸が腐ったまま放っておかれているが、その臭いもホラクと(エヒト)を汚らしいものにしている。

 いつもフムクリを〈エヒト〉に受け渡している場所にフムクリを包んだ布を置き、彼らの詰め所に、オドヤがつっけんどんな声をかけた。これで〈エヒト〉にフムクリを引き渡せば、自分たちの仕事は終わりだ。いつも会う、無表情の男の登場を待ちわびていると、ややあって足音が聞こえてきた。

「こんにちは」

 相手は無表情だった。しかし声は耳に心地よい高さだった。

 ジョウメイはオドヤと思わず顔を見合わせてから、現れた相手を見た。包みを開いて中身をのぞき込むのはまだ若い女だった。オドヤほどの年ではないが、ジョウメイよりは上であろう。女というだけで珍しいものを見た気分だが、柿渋や灰汁を塗りたくったような

ホラクの色彩にあって、彼女は水色の小袖を着ていた。それが手触りの涼しそうな生絹(すずし)地

であることもあって、ジョウメイはホラクの嫌な蒸し暑さを一瞬忘れた。

「どうしたんですか」

 女は怪訝そうな顔で訊いてきた。慌てて言葉を探し、

「いつもの男の人はどうしたのかと思って」

 何とか早口で取り繕った。

「死にました」

 女は表情を変えずに言った。あまりに何気ない声だったので二の句が継げずに立ち尽くした。

 その間に女は一度引っ込んで目立たない色の古着に着替えていた。短い遣り取りの後オドヤは足早に女から離れ、ジョウメイは慌てて後を追った。臭いがなくなると幾分息は楽になった。

「お前、あんな女が良いのか」

 ホラクを出るなり、オドヤはにやにやしながら言ってきた。からかい半分とわかっていても受け流すことができず、ジョウメイは吠えかかるように声を返した。

「誰もそんなこと言ってないだろ。ただ、珍しいと思っただけだよ」

「そうだな、フムクリを受け取るのに女が出てきたなんて聞いたことないな。目に付くところにいたからって、誰も手を付けやしねえってのに。そうなんだろ、ジョウメイ」

 触りたいとも思わないということだろうか。〈エヒト〉は穢れをその身に宿していると言われる。だから同じ穢れたフムクリを扱うことができるという。 オドヤの言葉を噛み砕きながら女の姿を思い出す。地味な色彩の中でよく映えていた小袖の色によって、やけにはっきり佇まいを思い出すことができる。

「〈エヒト〉の分際で、やけに良さそうなのを着てたな」

 ジョウメイが少女を思い出す手がかりを、オドヤは容赦なく切り捨てた。どっかから盗んできたんじゃないか、とオドヤは冗談に聞こえない声で呟いた。

「まさか」

 答えに迷いながら言うと、オドヤは破顔した。

「そんなに困るなよ、冗談だろ」

 そう言ってオドヤはいつものひょうきんな顔を取り戻したが、すぐに表情を改めた。

「しかしな、本当に〈エヒト〉の女はやめておけよ。絶対に関わるな」

 それは普段のオドヤからすると似つかわしくない険しさだった。狩りの時に見せる真剣さとは違う。年下を教え導こうとするというより危険から守ろうとしているようで、その奥には女の服を分不相応と切り捨てたような嫌悪感が見える。

「何で。触っちゃいけないから?」

 大人たちの態度や言葉から導き出した答えだったが、オドヤにとっては不充分な答えだったようだ。それも理由の一つだけどな、と歯切れの悪い返事をした。

「俺よりもジケイに聞いた方がいいな。あいつならしっかり教えてくれるだろうよ」

「何だよそれ」

 肩すかしを食った気分にジョウメイは力が抜けたのを感じる。しかしオドヤの顔は険しいままだ。

「とにかくだ、これからあの女と関わっても絶対変な気を起こすな。時々いるんだ、手を出しちまう奴が。遊ぶだけならまだいいのに、燃え上がるんだから始末に負えねえよ」

 手を触れるなと言うのに遊ぶだけなら良いと言い、女の着る服にまで文句をつける理由もジョウメイには掴めない。

 あまりしつこく訊いて彼の気分を害したくもない。とにかく〈エヒト〉の女とは関わるなという言葉だけ胸に留め置くことにした。


 ホラクから歩くと、ジョウメイの家は一番近くにある。それでも帰り着く頃には火点し頃で、母のシイゴが台所で夕餉の準備をしていた。

「ちゃんと禊ぎをしてから入りな。風呂にも入ってきて。ホラクに行ったんだろう。臭いが移る」

 母は包丁を振るいながら言った。自分の腕を鼻に近づけると、微かに嫌な臭いがした。

言われた通り離れで香を焚いてしばらく座る。父のコウザエも狩人でホラクを訪れることがあり、一緒に臭いを消す時もある。最近は忙しくなったのかあまり一緒になることはないが、ジケイやオドヤとは違った形で狩人の心得を教えてくれた人だ。口うるさく感じることもあったが、会う時が限られてくると寂しくなるのが不思議だった。

 香を焚いた部屋から出ると蒸し風呂で短い時間を過ごして水気を体から拭き取り、ドンザと呼んでいる長袖の古着に着替えて家に入った。

 ホラクから戻った直後に比べ、台所は穀物を煮込んだ時の甘い匂いが強くなっていた。そろそろ夕餉が近いと思うと腹の虫が騒ぎ出す。何気なく夕餉の献立を訊くと、魚を入れた雑炊だと言われた。

 母に言われてジョウメイは鍋を炉へ持って行った。自在鉤に鍋の取っ手を引っかけるととりあえずの準備は整う。鍋の余熱で雑炊はぐつぐつ音を立てていたが、それも程なくして落ち着いてくる。今はおあずけだ。台所は母の領分だから許されているが、居間は父が仕切る場所だ。ユイヌシから魔法を使うことを許されている者がいなければ、炉に火を入れることはできない。

「まだあ?」

 一番下の弟であるゲンは母に伺いを立て、真ん中の妹であるリンナもごちそうが冷めていくのを前にして落ち着かない。

「父ちゃんが帰ってくるまで待つんだよ。兄ちゃんを見な、静かに待ってる」

 小さな目で見つめられ、ジョウメイは居住まいを正した。平素目標にされることなどなかったから、どんな顔をして良いのかわからず、とりあえず火の入っていない囲炉裏を見つめた。

 父のコウザエが帰ってきたのは、鍋の中が完全に静まったころだった。ゲンとリンナはあいさつしたきり何も言わない代わり、つぶらな瞳で父を見つめて、囲炉裏に火が入るのを待ちわびる顔をしている。

 コウザエはどこかから持ってきた札を囲炉裏に起き、呪文を唱える。ユイヌシが書いた文字がほのかな光を一瞬放ち、札から火が上る。再びぐつぐついいはじめた雑炊は、父が呪文を唱えるたびに音を激しくしていく。鍋の下では最初赤かった火が青みを帯びていた。

 炎が変化するうちに母はおかずの準備を整えていた。鉄瓶からそれぞれの湯飲みにお茶を淹れ、菜っ葉の和え物と小さな魚の切り身、すまし汁が配られ、最後に父が全員分の雑炊をよそって行き渡らせる。どれも飾りのない質素な漆器に盛られ、さっきまで煮立っていた雑炊の熱を優しく手に伝える。

 全員に食事が行き渡ると、それぞれが居住まいを正す。堪え性のなさを母にたしなめられていたゲンとリンナも背筋を伸ばし、父の号令を待つ。

 父は一呼吸置いた。それから口を開く。

「いただきます」

 父の声がして、父が雑炊を盛った碗に手を伸ばし、箸をつける。それに続いて母とジョウメイ、弟妹が箸を持つ。雑炊は稗と粟を混ぜ合わせたもので、少し喉の通りが悪いから、お茶を飲んで流し込んでいく。微かにある菜っ葉の香りが味の代わりであった。

 魚は赤身で、海の遠いセキナンカでは珍しい。カモス狩りとは別に狩る獣の肉の方がなじみ深いジョウメイにとっては新鮮で、筋の少ない柔らかさが嬉しかった。

「そろそろ《冬(ふゆ)隣(となり)の鎮》だが」

 コウザエがおもむろに口を開いた。あと一ヶ月ほどで、冬の雪害や荒天による被害を抑えるために、《冬隣の鎮》という魔法が行使される。村とその周辺を覆う広大な守護域となるため、使われるカモスも膨大な量になる。

「クンツエ狩りは例年通り寅組にやってもらうことになった。いずれジケイから聞くだろうが、心しておけよ」

 クンツエは家の床下や天井などに巣を作る小動物で、時に病気を運ぶこともある害獣だが、天変地異をはじめとする自然の危機に敏感という特徴を持ち、その力が宿るカモスは天変地異から人間を守る魔法には欠かせない。春夏秋冬にそれぞれ《東風の鎮》、《夏越の鎮》、《冬隣の鎮》、《四温の鎮》が割り当てられ、時期が来るとユイヌシをはじめとする魔法に関わる者たちが総出で準備をする。

 寅組はジョウメイら十代の少年たちが組み込まれる組織で、その上には狩りの現場で指揮を執る二十代が集まる辰組、狩りの責任を負う三十代が属する酉組が続く。コウザエは寅組から酉組まで順調に上ってきており、次は後進の指導に当たる四十代以上の子組が目標となる。子組の男に勉強を教わったことがあるが、父も同じ立場につくと思うとどこか面映ゆい感じがした。

「村の外へ行っても良いの」

 答えをわかっていながら訊いてみたが、

「駄目だ。村の中にいるクンツエを狩れ。村の外に巣を作っていたクンツエを使ったばかりに神の怒りを買ったという話も残っている。穢れを持ち込むことはまかり成らんとのお達しだ。《冬隣の鎮》の失敗は税を納められるか否かにもかかってくる。このセキナンカ領は王族領だ。氏族領とは違う。格の違いを見せるためにも、失敗は許されないということだ」

 先代赤藤王の卒去によって、今年の四月に即位したばかりの白翁王で一二一人の王を輩出したアメヒ王族は、全国を王族領と氏族領に分けて治めている。貴重なカモスや作物が採れる土地は王族と縁の深い家が収める王族領とし、その他は氏族領としている。セキナンカ領では他の土地に比べ、農業の水を操るために使うアオシシを多く獲ることができるため、王族領の家格を与えられている。

 しかしアメヒ王族にとって大事なのは、氏族領に貴重なカモスを渡さずそつのない魔法を使える家だ。失敗が続けばその能力を疑問視され、家格を剥奪されて別の家に地位を奪われかねない。

 だからこそ領主は失敗に敏感になっている。小さな魔法でも失敗すれば、それに関わった者たちが年齢にかかわらず罰を受ける。ジョウメイも何度も受けたことだ。

 父の話は複雑で、ジョウメイの立場では見えない部分も巻き込んで展開する。まだ寺で勉強する立場のゲンやリンナは我関せずといった顔で雑炊をかき込んでいる。少し前まで碗を持って食べることがうまくできなかった二人も、今では碗から食べ物をこぼすことなく口に運んでいる。それを少し微笑ましい気分で見ていると、

「聞いているのか、ジョウメイ」

 父の叱責が飛び、思わず居住まいを正す。手に持った碗を落としそうになった。

「何としてもクンツエのカモスを集めなければならない。今までこのセキナンカ領の領主が変わったことはない。今更別の領主になっては、王族領としての沽券に関わる。失敗はできないぞ」

 コウザエはつい三年前、《冬隣の鎮》においてクンツエを確保できず、結果として雪害を招いた過去を話した。この失敗を受けて一度は狩りの技量に長けた辰組がクンツエ狩りを行うことになったのだが、子供の方が村を素早く回れるとのことで、結局寅組の仕事に戻った。

 想像も付かない世界の話にすっきりしないものを抱えながら夕餉は終わり、床に就く。朝を迎えてもその気持ちは変わらないままであった。

 昨日ほどの暑さはなく、素風の心地よい朝であった。袖の短い小衣だと肌寒く感じたが、獲物を追いかけている内に気にならなくなるだろう。

 縁側から飛び降りるようにして駆け出したジョウメイは、仲間内で一番近いジンタの家を訪ねた。ちょうど彼も出かけるところで、姿を見つけると気軽に手を振った。

「聞いたか、クンツエ狩りのこと」

 友の顔を見て思い浮かんだのは、昨日の父から聞いた話であった。ジンタは親が歳を重ねてから生まれた子供であるため、父親は子組に組み込まれて一線を退いている。そのためか、クンツエ狩りと聞いてもすぐには思い当たらないようだった。

「《冬隣の鎮》のことだよ。今年も俺たちがやるんだってよ」

「ああ、そんな時期か。すばしっこくて捕まえるのが難しいんだよな」

 嘆息している割にジンタはのんびりした様子だった。去年のクンツエ狩りにおいてもジンタの役目は罠の作成と設置で、実際に走り回るのはジョウメイたちであった。今回もそうなると思って気楽に構えているのだろう。

「がんばってくれよ。俺が走るよりお前の方がずっとうまくいくよ」

 ジンタの無邪気な笑顔にジョウメイは和んだ。

「お前小さいくせに足遅いもんな」

「ジョウメイがうらやましいよ」

 少し意地悪なことを言ってもジンタの無邪気さは変わらなかった。惜しむらくは一緒に野山を駆け回れないことだった。

 いつも待ち合わせ場所にしている大きな木の根元には既にジケイがいた。オドヤを知らないかと訊かれ、二人揃って首を振る。

 ジケイはため息をついた。それぞれ対極の人柄を備える二人は傍目には面白い組み合わせに見えるが、本人は年上のオドヤの扱いに困っているようだった。

「もうすぐ十九になる奴が何をやってるんだか」

 村の中で漏れ聞こえる陰口が、ジケイの口から聞かれるとあまり笑えない。微妙な雰囲気をかき消すように、ジョウメイは《冬隣の鎮》のことを訊いた。

「俺たちはまたクンツエ狩りをやるの」

「耳が早いな。コウザエさんから聞いたのか」

「失敗は許されないって言ってた」

「去年は失敗してるからな。今年もうまくいかなかったら領主はまずい立場に追い込まれるし、ユイヌシも同じだ。コウザエさんも何か痛い目に遭うかもしれない」

 ジケイは笑ったが、何故か疲れがにじんで見えた。コウザエの話の多くを理解できなかったように、ジケイの顔にも時折よくわからない背景を見ることがある。班長という立場が苦労の多いものということぐらいはわかるが、それ以上は想像もつかない。ジケイを元気づけるのに相応しい言葉を探していると、

「よう、集まってるな」

 オドヤが普段通り陽気な顔をして現れた。

「遅いぞ。たまには時間をちゃんと守ったらどうだ」

「そんなに大きく遅れたわけじゃないんだ。大目に見てくれよ」

 ジケイの厳しい眼差しをいなすように笑ったオドヤは、気軽にジョウメイとジンタに声をかけてくる。

「今日はどこに行くの」

 対照的な表情の二人を見比べながらジョウメイは訊いた。

「クンツエ狩りをしばらくすることになっている」

「ずいぶん早いな。焦りすぎじゃねえか」

「集めるのに時間がかかるかもしれない。それに予定を決めているのは俺じゃない」

 全体の計画を立てるのは酉組で、その時間配分を決めるのは辰組だ。最も若い者たちが属する寅組は、多くの場合大人が立てた計画に沿った動きをするしかない。

「何にしても、今すぐは無理だろ。ジンタ、罠を作るのにどれだけかかる」

「えっと、簡単なもので良かったら一日で十五個ぐらいはできるよ。足を挟んで動けなくするのだったら今すぐ作るから」

「良いんじゃないか」

 オドヤが同意を求めるようにジケイを見た。何故かまだ苦い顔をしているジケイは頷き、練習用の簡易な罠を作るように言った。去年と同じなのだからとオドヤは言い、細かくやる必要もないだろうと主張したが、ジケイは万全を期すためだと言ってはねつけた。

 ジケイは動きを封じるものを作らせる一方、クンツエを追い込むための音や臭いを出す罠を作るように言った。クンツエは素早く、音や臭いを駆使しないと動きを止められない。魔法を使うため、ユイヌシの許可が下りるまで自分たちの出番はなさそうだった。

 ジンタは早速罠を作り、ジケイの指示のもと各所に仕掛けて回った。数日後には許可が下りたのか、音と臭いを利用した罠も作り始める。クンツエの動きは目に見えて鈍くなったが、思ったほどの成果は挙がらない。そもそも見かけるクンツエが少なく、巡り合わせが悪いと嘆くほかなかった。

 全体として数が足りれば良いのだが、状況はどこも同じようで、あまつさえ、自分たちの割り当てを満たすために縄張り争いが起きる始末であった。

 持ち場が隣り合った班と、ジケイが班長同士でこまめに話し合いをしたことでジョウメイらは小競り合いに巻き込まれることはなかった。しかし割り当てられた分を捕まえることはできず、全体としても《冬隣の鎮》に必要な分のクンツエのカモスは集まらなかった。

 コウザエやジケイがどうなってしまうのか心配していると、程なくして別の狩りをすることになった。他の班と連携して行う大規模な狩りだが、その相手がツキツノと聞いてジョウメイは疑問を感じた。

「何でツキツノを狙うんだ」

 持ち場へ移動する途中でジョウメイはジケイに訊いた。ツキツノは平野に生きる獣だが獰猛で、子供を産む春には人を襲うこともある。傷にも強く、中途半端な攻撃をすると却って凶暴化する。太く長い角が特徴で、それに突き殺された人間も多いという。

 熟練の狩人たちでも手を焼く獰猛さから、ずっと敬遠されてきた獣である。平野で初めて狩りをする時、ツキツノを見たらすぐに逃げろと教えられたぐらいだ。

「詳しいことは俺にもわからない。しかしこれは、《時空儀》だな」

「本当か。しかし今年の《時空儀》はもう終わったはずだ」

 オドヤが会話に割り込んできた。《時空儀》は徐々にずれていく暦を修正するための魔法で、これがしっかり行われていないと野良仕事に影響が出る。

 狩人たちにとっても暦の正確さは重要で、獣たちが凶暴化する春から夏にかけての時期を避けるように予定を立てられる。鎮と同じように年四回行われるが、今年は既に全て終わっているはずだった。

「きっと《冬隣の鎮》が失敗したからだろう」

 ジケイは吐き捨てた。ジョウメイにも背景が何となくわかってくる。これは領主が失敗を取り返すための臨時の仕事なのだ。失敗が続いているから、痛い目を避けたい気持ちはわかる。しかし相手が危険すぎる。ジケイも安全な方法を知らないらしく、アオシシやクンツエを狩る時とは全く違う緊張感を漂わせていた。

 与えられた持ち場には遮るものがなく、お互いに姿が丸見えの平原だ。手はず通りならやがてツキツノの群れが走り抜けていく。その時点では罠に追い立てられてかなり気が立っているはずで、目に見えるものを誰彼構わず襲うものも現れる。それを一頭ずつ仕留めるのが、寅組の各班に与えられた役目であった。

「何だよ、これ」

 ジケイに説明を受けたオドヤは憤然と言った。食ってかからんばかりの勢いだったがジケイも負けていない。正面からオドヤの剣幕を受け止め、これが作戦だ、と静かに言った。

「こんなのが作戦と呼べるのかよ。一頭じゃなく二頭向かってきたらどうしろっていうんだ。三頭で向かってきたら、俺たち四人じゃ対応できないぞ」

「ツキツノは目標を見つけたらまっすぐ向かってくる。その進路上に落とし穴をしかけておけば良い」

「誰がそんなこと言ってるんだ」

「ユウツだ」

 ユウツはユイヌシの下にある役職で、領主に提出する魔法使用の記録を作成したり、過去の記録を調べて有用な事柄を探したりする。ジケイの言葉は遙か上からの声でもあるのだが、オドヤは納得できないようだった。

「そんなに都合良くいくもんかよ」

 ジケイが更に口を開こうとした時、

「来たぞ!」

 ジンタが甲高い声を上げた。

 同時にジョウメイは微かな地響きに気づく。音の出所を探すと、草を蹴立てるような勢いで迫ってくる獣の集団が見える。

 ジケイは一呼吸置いてから三人に前へ行くよう指図した。勢いのあるツキツノは、下手をするとこちらに目もくれずに通り過ぎてしまうかもしれない。注意を惹きつけるために音を出すのだが、その音が大きすぎてもいけない。三人で徐々に鐘を鳴らす音を大きくしていき、ジケイの指示で音量を保つ。

 果たして外側を走るツキツノが三頭向かってきた。その勢いにオドヤの危惧がまっとうなものだったとジョウメイは思った。

「このまままっすぐだよ」

 ジンタが両脇に向けてささやいた。まっすぐ進めば彼が掘った落とし穴があるのだ。そこまで背中を見せて引きつけるのが役目だ。

「散れ!」

 落とし穴の直前でジケイが声を上げた。それに応じ三人はぱっと落とし穴を避ける。勢いのついたツキツノは方向を変えられず、ことごとく落とし穴にはまった。

 見事な成功に、ジョウメイはジンタと喜び合う。

 その直後、ジケイの切迫した声が響いた。

「避けろ、ジョウメイ、ジンタ!」

 その声に、ジョウメイは事態を把握する前に全力でその場から飛び退いた。

 振り向くとジンタはまだ同じ場所にいた。

「馬鹿、逃げろ!」

 再びの声と同時に、ジンタの姿が消えた。

 立ち尽くしていると、背後で断末魔の悲鳴と怒号、ジンタの名を叫ぶ悲壮感に満ちた声が聞こえた。

 体と頭に感覚が戻ってくると、目の端に赤いものが見えた。

 草を赤く染めているそれを追っていくうちに、何が起きたのかわかっていく。

 赤い跡は徐々に面積を広くしていく。水気がないはずの草地で、何故か水音が聞こえた。

「ジンタ、死ぬな!」

 決定的だったのはジケイの悲鳴だった。それで否応なしに起きたことを思い知る。

「ジンタ!」

 ジョウメイは叫び、ジケイに抱かれたジケイに駆け寄る。藍染めの小袖は腹を中心に赤黒く染まり、かすれた息づかいが聞こえる。

 ジンタの腹を突き刺したツキツノを探すと、オドヤの足下で横たわっていた。

角は赤黒い血で染まり、腹には二本の槍が突き刺さっている。しかし傷は二つだけではない。少なくとも皮と肉は使い物にならないと思われるほどずたずただった。

 凄絶な光景に言葉を失っていると、弱々しく指が掴まれた。

 そして呼ばれる。掠れているが、聞き慣れた声で。

「ジョウメイ、いるのか、ジョウメイ」

「喋るな馬鹿! すぐ医者に診せてやる」

「痛い、嫌だ、助けて、ジョウメイ、ジケイ、オドヤ、助けて……」

「ジンタ!」

 ジンタは声が聞こえていないのか、何度も同じ言葉を繰り返した。

 それもやがて消え入り、指を握っていた手も力が抜ける。

「ジンタ!」

 ジンタは呼びかけに応じなかった。声が小さかったせいだと自らに言い聞かせて、ジョウメイは声を張り上げる。目を開けたままなのにどうして返事をしないのか。返事が小さいからって昔一緒に怒られたじゃないか。同じことを今更何でやるんだ。

 いくら叫んでもジンタは声を返さない。後から到着した大人たちに引きはがされるまで、ジョウメイはジンタの名を叫び続けた。


 ジンタの死は班の長であるジケイによって家族に告げられた。家族は怒りと悲しみをジケイにぶつけ、更にオドヤも無理な狩りに憤った。全てを受け止めたジケイを庇う勇気さえジョウメイは持てず、せめて目障りにならないよう一人で友人の死を悲しんだ。

 ジンタの葬式は二日後に執り行われた。近隣の人々が悔やみに訪れる中、ジョウメイは命令を発したユイヌシやセキナンカ領主、作戦の助言をしたユウツの姿を探した。それらしき者の姿はなく大人たちに聞いても要領を得ない。こんなところに来るはずがないと言い捨てる者さえいた。

 ジンタの死とは、ユイヌシをはじめとする魔法を司る者たちにとっては責任も感じないほど小さなことなのだろうか。釈然としないものを感じながら、襖や障子が全て開放された家で、ジケイとオドヤに連れられて奥の間を訪れる。そこにジンタの亡骸が、枕を北にして寝かせられている。

 二人がやったのを真似して末期の水を口に湿し、線香をあげて手を合わせて悔やみを述べる。やがて棺に亡骸は入れられ、隣の、神の間と呼ばれる部屋へ移される。そこは近所の人々が祭壇に飾り付けをしており、昨日ジョウメイも手伝ったところだ。

 そして時が来ると、ジョウメイとオドヤ、ジンタの家族が神の間の縁側から外へ棺を担ぎ出した。夜には火葬が済んで皆解散となり、ジョウメイはコウザエと共に家路に就いた。

「何でツキツノを狩らなくちゃいけなかったの」

 オドヤが言うように、今回のツキツノ狩りは無理な狩りだったと思う。領主やユイヌシが失敗を補いたいがためであったとすると、ジンタはその犠牲になったのだ。狩りの命令を下した張本人たちは葬儀に姿を見せなかった。居場所さえわかればそこへ乗り込んでいって殴り飛ばしたい。

「錬金術が広がっているから焦っているんだ」

 しかしコウザエの答えは全く予想しないものだった。あまつさえまるでわからない言葉が含まれている。錬金術のことを訊き返すしかできなかった。

「もう一つの魔法だ。このヒムカシで使われているものとは違うが、れっきとした魔法だ。それが広がりつつある。しかしそれは、王族にとっては不都合なことなんだ。だから競争して、錬金術より優れているところを見せなければヒムカシの歴史が変わってしまう。領主やユイヌシだけでなく、王族もそうやって焦っている」

 コウザエは苦り切った顔で言った。錬金術という魔法と王族、そして自分の立場、それらのせめぎ合いの中で、どんな立場を取るべきか迷っているのが見て取れた。

「錬金術……」

 初めて聞いた言葉を呟く。ユイヌシの使う魔法と何が違うのかわからないものの、ジンタがその競争の最中に死んだことだけは確かだ。どれだけ複雑に事情が絡み合おうとも、その一点だけは凄烈で暗い光を放っていた。

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