第25話「りょうまあ、かがみがわ、いくぜえ」

 天保十一年(1840年) 龍馬6歳の初夏となった。


五月の節句が終わったばかりなのに、土佐の日差しは

まるで真夏のようであった。


一足先に泳げるようになった乙女を連れて

長兵衛は、天神橋の下に降りて行った。


ここは、長兵衛が子供の頃によく泳いだ馴染みの場所である。


夏の洪水で、時々は、様相を変えるが

大きな岩の連なりや、小船をつなぐ艀(はしけ)

潮江側に洪水が溢れぬ為の石堤の堤防などは

昔と変わらない。


 「おう、行きゆうかよ」

天神橋の近くでは、南の潮江から来る人に

よく声を掛けられる。


長兵衛が、潮江の出身で、本町の坂本家に養子に

入った事を知らぬ人は居ない。


本町でも潮江でも、長兵衛は、すでに地元の名士であった。


子煩悩な、良き父でもあった。


慣れぬ河原をよたよたと歩く龍馬に乙女が必死に声をかける。


「龍馬!そこは行かれん。危ないき、こっち、こっち!」


聞こえているのか、聞こえていないのか、龍馬は岩場を

こけそうになりながらも、水面を睨みながら、何とか進む。


 綺麗な鏡川の清水が二人を迎えてくれているようだ。


小魚達が群れになって泳いでいる。

龍馬は、その魚の群れを幼い目で、追っていたのだ。


「たまを、持ってきたら良かったのう」

長兵衛がつぶやくと

すかさず乙女が

「こればあ、さどかったら、たまでつかまえれん」

確かに、さどい魚達である。

人の気配が水面に感じられると、瞬時に逃げる。

そして、また近寄ってくる。


「乙女!おとめえ!」

潮江の親戚の源じいが、大きな声で呼んでいる。


上流から小船で帰って来た源じいが

「乙女、龍馬、うなぎじゃ、うなぎじゃ。

 見たことないろう、これがうなぎぜよ」


「へええっ!これが、うなぎ?」


「そうよ、一匹やけんど、持ってかえり。うまいぜえ」

「へえっ、これ、たべれるん?」

「蒲焼にしてもろて、龍馬と食べや」


龍馬は、生まれて初めて見たウナギに目をきょろきょろさせている。


「ええがかよ、苦労しておさえたがやのに、もろうても」

長兵衛の遠慮に、源じいが

「もっと、ようけやりたいけんど、今日は、三匹しか入らんかった。

 まあ子供二人なら、丁度じゃ、食わしちゃって」


「すまんねえ。ほんならいただくわのう」

竹籠に入れたうなぎを、乙女と龍馬が

穴のあくほど眺めている。


 土佐の初夏は、四季の中でも、最高の季節である。

空気は澄み渡り、遠くは、四国の連山が眺められる。


川の下流には、浦戸湾が広がり

空はあくまでも高く、青い空が、白い雲を守っている。


川の水の流れに耳を澄ますと、たくさんの魚達の合唱が聞こえてきそうである。


 すっかり鏡川が気にいった二人は

その日以来、長兵衛の帰りを待ちかねて

日参するようになった。




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