第7話 天保六年 梅雨

 1835年 天保六年は、アメリカでは既にモールス式の

電信機が発明されている。


天保八年には、大塩平八郎の乱が起き


アメリカモリソン号が、浦賀に入港するも

幕府の打払令により撃退されている。


 しかしながら、徳川幕府は、確実に落日の様相を見せ始め

老中には水野忠邦が指名され幕府の威光復活が

課せられた。


 土佐藩二十四万石は安泰に見えてはいたが

佐幕派、公武合体派そして勤皇の芽生えが

確実に土佐の地を変えつつあった。


 人々の暮らしにも何か漠然とした不安が

ひたひたと押し寄せていたがそれを表立って

口にする者は少なかった。


 土佐の鏡川は、何も変わることなく

悠々と満面の水を運んでいた。

何も変わらず 何も動ぜず。


 梅雨の晴れ間には、幸と長兵衛が連れ立って

鏡川の河川敷を散歩する姿が見えた。

幸も体調が落ち着きを見せ始め

歩けるまでに回復していた。


「おまさんのお陰で、こうして歩けるようになりました。

 何と言うたらええんか・・」


「良かったにゃあ。一時はどうなるかと心配したけんど

 持ち直して良かった。

 何ちゃあ余計なことは、考えんでもええき

丈夫な子供を産んどうぜ」

「ありがとう」

「何ぜよ 他人行儀な。みんなあが、ついちゅうき

なんちゃあ心配ないぜ」

「ほんまになあ、みんなあのお陰や。

 子供を何人も作っちょいてほんまに良かった」


 空模様が俄かにおかしくなり始め

遠くで雷の音がする。

「ほんならいぬるとしようか」

帰りがけにふと耳に聞こえて来た猫の鳴き声。

「ニャア、ニャア、ニャア」と子猫が

必死の鳴き声をあげている。


 鏡川北側の楠の下に、竹かごが置いてあり

敷き詰めた布の上に三匹の子猫。

子供の字で

「どなたか たすけて ください」

と、書かれた紙が添えられている。


興味津津で覗き込む幸に

「いかんぜ いかんぜ 早う、いぬるぜ」


幸の手を握り、坂道を登った。


連れて帰りたい幸の気持ちは

痛いほどわかるが、なにぶん長兵衛は

猫が苦手なのである。


そそくさと家路を急ぎ

帰り着いた途端、ものすごい雨が降り始めた。


土佐の雨は、粒が太い。

南国特有のどしゃ降りであった。






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