陸の戦 ≪ 無敗の男

 


『夫嚴家無悍虜、而慈母有敗子』── 韓非



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■ 無敗の中学2年生

  筒香つつごう 佑心ゆうしん ── 曰く





 昨春、母が癌で他界した。


 生まれつき華奢で病弱な息子のため、寡黙にも小魚を与え、牛乳や笹身やレバーを与える女だった。とはいえ、スポーツ少年団や武道クラブへの入会を奨めたことはなく、小学校や自治体に対して注文をつけている様子もない。外部にはいっさいも期待せず、すべて自分の監督下で処断しているようにさえ見えた。


 しかし、独裁主義ではなかった。もとより寡黙な女である、口喧しく命令することもなければ、目敏く指示することもない。隷属させるための口も手も志も持っていない様子で、放任主義に近かったとも言える。欲しがる玩具を無条件に買い与えることはないが、要らぬほどの自由な時間を黙認して憚らない女。


 無情ドライに見える母だったが、しかし、ある一点にかけては厳粛シリアスな女だった。


 それが、イジメである。


 外見、内面を問わずに貧弱な息子のこと、大小様様なイジメに見舞われる小学生時代だったが、不幸な姿で帰るたび、彼女は2通りの厳粛さを見せつけたものだった。


 イジメのあざに号泣して帰れば「それでいい」と言葉も少なに頷いたのである。


 逆に、イジメの痣を苦笑すれば「それで終わらせるな」と頬を張ったのである。


 謎の言動でしかなかった。


 病魔に冒されてからはさらに謎が増す。むしろ悟りを開いたかのように静謐せいひつとなって母はベッドに横たわっていた。見舞いに訪れても感謝の言葉はなく、ぷいと窓の外に目を馳せるばかり。泣き叫くでもなく茫然と、こらえるでもなく悄然しょうぜんと、諦めるでもなく蕭然しょうぜんと、漫然と、しかし泰然と、蒼い病室に漂うばかり。


 慣れてはいたが、やはり不気味だった。


 間もなく、フェイドアウトするかのように彼女は逝った。筒香佑心、中学校の入学式を2週間後に控える、つくったような卯の花曇りの朝。


『強くなれよ』


 火葬の儀が終わった直後、母方の祖父は棒読みで囁いた。しかし筒香の耳には、年老いた親を置いて夭折してしまった娘を責めているように聞こえた。病魔に敗れた娘への腹癒せを、同じく脆弱な孫へと当てつけるかのよう。それはとても白白しく、愛孫の未来を思いやらんとする洗い立ての鼓吹エールには聞こえなかった。


 敗れたらこうなるんだと、そう思った。


 しかし、当然のことに奮起には至れず、鯨幕の心象のままに入学式を迎えた。思春期も花盛りの教室に溶けこめるわけもなく、ほどなくして保健室へと入り浸り、当然のように筒香は落伍者おちこぼれとなっていた。かつての母のように漫然と漂っていたら、いつの間にか赤点だらけの敗者となっていたのである。


 鰥夫やもおのように大人しくなった鈑金工の父に息子を学習塾へと通わせる財布はない。それを知っているからこそ、敗者の貫禄も増して収拾のつかなくなった息子には逼迫ひっぱくした彼に会わせる顔がない。罪滅ぼしのように手渡される文字どおりの小遣いを片手に、せいぜい時間潰しの放課後に明け暮れるしか手段がない。


 ごく潰しにもなれない。


 そう。


 敗れたら、こうなるのである。





     ☆





 結局、勝利してナンボである。


 入念に策略を練るか、あるいは勢いに心身を委ねるか、戦い方はきっと十人十色だろう。しかし、万人共通として断言できるのは、必勝なくして十人に未来はないということである。


 必ずや、勝利しなくてはならない。


 義務教育課程の本質を知らぬ筒香であっても、イヤならば無理して通学する必要はないとする世間の風潮に「それって制度的にどうなの?」といぶかってしまう中学2年生であっても、世界の上に戦闘が待ち、戦闘の先に勝敗が待ち、勝利の末に美酒ネクタルが待つという過程プロセスを知らぬわけではない。


 勝たずして杯は手に入らない。


 敗北に意味はない。


 敗北に明日はない。


 敗北に約束はない。


 残酷な終焉を迎えてしまう。


 苦労も水泡に帰してしまう。


 絶無の暗黒に墜ちてしまう。


 敗北に意味はない。


 敗北に価値はない。


 敗北に哲学はない。


 むろん、これは格闘ゲームのお話である。


『鋼の孤狼ころう』というゲームの筐体きょうたいが筒香の戦場である。木場凱然きばがいぜんというおとこが彼の分身アバターである。太皇流たいこうりゅうという古武術の若き達人である。八梵架天拳ばっぽんかてんけんが十八番である。掌底のアッパーで対象をカチあげ、浮いた身体の鳩尾みぞおちエルボーを突き刺すという必殺の技である。李氏八極拳りしはっきょくけんの『裡門頂肘りもんちょうちゅう』という体術に似ている。そして、これを浴びた対象は、必ず、およそ30mもの距離を吹き飛んで虫の息となるのである。


 改めて言うが、アーケードゲームのお話である。


 筒香にそんな体力などあるはずもない。仮に掌底を喰らわせようものならば自分の手首のほうを麗しく粉砕骨折させてしまうこと間違いなしである。


 幼少期から小魚ばかりを食べさせられてきたものの、どうやら内臓までも虚弱で、なにひとつとして血肉とはならなかった。ゆえにか、小学4年生の水泳の授業中、つい魔が差してバタフライ泳法を試みた直後、なぜか肋骨2本に亀裂クラックが入ってあわや成瀬川土左衛門になりかけたという暗黒の歴史さえも持っている。


『佑心くんは魚人島に行けないね?』


 少し意識し始めていたクラスメートの冷笑的シニカルすぎる感嘆符が完全にトラウマである。かの海賊王の卵だって生身のままでは絶対に件の島へは到達できなかった、それなのに、では彼女はいったいどの登場人物キャラと比較して感嘆したのか、いまだに謎のままである。しかし、反論する勇気は微塵もなく、ボキャブラリーに蓋をしたまま現在に至っている。


 とはいえ、小魚を取り逃してきた脆弱な筒香も、ここ、中野ブロードウェイのゲームセンターではまさに水を得た魚。骨折り損のない、楽園の中の楽園である。


 操縦桿ジョイスティックを握る五指が折れることもない。


(なんなら操縦桿のほうを折って新たなる伝説をつくってやってもいい)


 刑法に触れるだろうから折るつもりはなく、言わずもがな折って見せるピンチ力などあろうはずもないが、しかし、筐体の中では傷害罪のオンパレードである。


 それが証拠に、


「あんだよマジで強ぇよ!」


 今、交通事故と発砲とを合成したような音を立てて八梵架天拳が炸裂、実は全身がチタン合金でできているという英国紳士、ドナルド・ワインハウスが30mを吹き飛んだ。次いで画面の中央に「勝負あり!」の文字が躍動、と同時に、筐体の反対側で謎の英国紳士を操っていた大学生らしき青年が、敗れたにしては軽やかな嘆き節を叫んだ。


 筒香は、


(また勝ってしまった)


 勝利を糧にした感傷センチメンタルに浸る。


 あの日の冷笑的な某女子に見せつけてやりたい未練もないことはないが、ただ冷笑を重ねられるだけだろうと予測する一般常識も持ちあわせていたりする。況してや背後に立たれ、優しく見守ってもらえることなど夢のまた夢であると。


 一般常識が感傷を助勢する。


(見守られる……か)


 ほどよく冷房の効いている中野ブロードウェイ。フィギュア人形、ソフトビニール人形、昭和映画のポスター、漫画本、中古ゲームソフトなどが氾濫するカオスの殿堂だが、偏執狂モノマニアの心をくすぐるという点ではこれほどまでに色彩の豊かな場所もない。よって、来客は男性だけだと思われがちだが、意外と女性の姿も見られ、またカップルの来訪も多い。確かに、趣味性としてはガラパゴスなのかも知れないが、文化としては公平フェアであり、かなり先進的な諸島なのである。


 ただし、筒香の主戦場である4階のゲームセンターだけはやたらと雄臭オスしゅうの立ち籠める絶海の孤島のような店である。利用する客が男ならば背後で見守る客もまた男。特に、無類の強さを誇る筒香の背後に女性の色香が漂った歴史など、彼の数百を超える利用率の中でただの1度しか数えることができない。


 その香りとは、シナモンである。


 シトラスでなくローズでもなく、あろうことかシナモンであるがゆえに、果たしてソレを色香と表現していいものかどうかは疑問である。しかし、なにしろウォーターリリーしか判断材料のない筒香なのであるからして、色香だと脅迫する香気パルファムであることには違いあるまい。


 とはいえ、それももう背後に立つことはなく、今や筐体の反対側でくすぶるのみ。


(僕が強かったばっかりに)


 あの少女が見守ることは、ない。



 ⇒ 20XX/09/05[水]19:XX

   東京都中野区中野5丁目

   中野ブロードウェイの4階にて



 大敗した大学生は苦笑いで立ちあがり、ぼりぼりと後頭部を掻きながら筐体の森を脱出した。それから、自動販売機でペプシを購入、立ち飲みをしながら筒香の背後へと陣取る。


 彼の自然体な一連の所作の中に、しかし、筒香はわずかばかりの緊張感を感じ取っていた。なるべく期待しないようにと自分に言い聞かせながらも、殺しきれない緊張の指先でレアカードを祈ってしまうような、大人の余裕を演じながらコンビニの会計に挑もうとしている男児ボーイの所作。


 もしや彼もまた、心の奥底では、あの少女の来訪を期待しているのではあるまいか。


 あの、黙黙と食いさがる少女を。


 腕時計はとうに19時を過ぎている。別に連日の慣例ならわしというわけではないのだが、もしも来訪するのであればもうそろそろの時間帯ではある。


 敗れてもなお無敵の中学生に喰らいつく、現実社会では筒香よりも遥かに喧嘩が強いことだろう、それはそれは逞しい少女。


 名を、百目鬼歌帆というらしい。


(ドウメキ)


 鳥山石燕とりやませきえん今昔画図続百鬼こんじゃくがずぞくひゃっき』に記される妖怪の名前である。盗癖のある女性の腕に無数の鳥の目となってあらわれるとされる金銭の精である。あるいは、新皇、平将門たいらのまさかどの軍勢を討った藤原秀郷ふじわらのひでさとをもってして「とても手に負えぬ」と辟易させた鬼である。丑三刻になると、10尺 (約3m) の背丈、刃の体毛を持つ肉体、100個もの目がついた両腕という物物しい姿であらわれる。そして死んだ馬にむしゃぶりつくという、まさに前代未聞の鬼である。矢で射貫かれてもなお身体から炎を噴き、裂けた口から毒煙を吐き出して悶絶するという、実にハタ迷惑な鬼である。


 しかし実際には、


戦神マールスの肉体と愛神ウェヌスの美貌)


 物の怪、百目鬼を遥か凌駕する、これぞまことに前代未聞の少女である。怪と美──異なって常に座標をともにする芸術属性を併せ持つ、ある意味、2次元的な少女である。ゲームアプリであればまず間違いなくレアキャラである。夜の王テスカトリポカ傲慢の神リヴァイアサンをも1撃でほふるほどの攻撃力を有する、ゲットしたユーザーを必ずや英雄にしてくれる激運アゲマン少女なのである。


(アニメキャラなのだろう、きっと)


 量子の波をまっぷたつに叩き割り、退屈なパラレルワールドをプリズンブレイクしてきたのである、きっと。


(僕の手にも負えないんだ、きっと)


 筒香がまさか藤原秀郷公に及ぶわけもなく、仮に手を繋ごうものならば開放性粉砕骨折も必至、弱音を吐こうものならば鉄拳制裁を喰らって眼窩底がんかてい骨折するも必至である、きっと。


 比喩でもなんでもなく、それほどに彼女は強いらしく、また負けず嫌いであり、今や筒香の背後に立って見守ることをしない。平日、宵の口を回れば、どこからともなく大手を振ってあらわれ、宿敵を確認すれば餓狼のような眼力めぢからめつけ、そして復讐の気焔を噴きながら筐体の反対側へと消えてしまう。


 手を繋ぐことなど夢のまた夢。粉砕骨折でさえももはや儚い妄想である。


(僕が強かったばっかりに)


 ほぅ。


 感傷の青息吐息をくゆらせた、その直後のことである。


 取り巻きの観客がにわかに色めいた。


 右に上半身を傾けて廊下を覗きこむ。


 間仕切りパーテーションの少ない開放的なゲームセンター、その脇にある通称『エレベーター通り』と呼ばれる廊下の先から、明らかにカタギとは一線を画す体格をした少女がこちらへとやってくるのが見えた。豊かな脇腹の筋肉がそうさせているのか、斜めに腕を広げて歩いている。まこと「のしのし」という擬音が相応しい。もしもここが山であればきっと猟友会の出番であろう。


 お出ましである。


 身長は170㎝を超えるだろうか。体重は70㎏に届くだろうか。体脂肪率はもしや10%を切っているだろうか。ひとまず帰宅部員にはあり得ない超絶アスリート体型を引っ提げている。ゆえにか、ブレザースカートからわずかに覗き見られる肉感的な太ももが心をくすぐり、1㎞先から見てもそうとわかるだろう革命的な巨乳がソウルをくすぐる。なにをどうすればバストダウンせずに結果にコミットできるのか、いっそ体育学会の有識者プロフェッサーを募りたい気分である。


 そして、野生の狼を思わせる凛然とした面立ち。人間の顔は、猿科、犬科、猫科、鳥類、齧歯げっし類、爬虫類、両棲類の7系列に分類できるが、ならば彼女は完全に犬科の顔をしている。しかも大型犬である。とはいえ、飼い慣らされている温厚さは微塵も感じられない。やたらと登山者に吠えるような気忙しさもない。だから、野犬とたとえるよりは、やはり狼と譬えるのが相応しかろう。


 筋肉と脂肪に固められた西比利亜シベリアの狼。


 全裸でも越冬できそうな堅牢さがある。


(全裸……)


 意外と嫌いではない猿科の筒香である。


 美しいヒューマノイドの狼、色めき立つ観衆には目もくれず、火矢の視線で宿敵こちらを射たまま、なにも言わずにゲーセンの暖簾のれんをくぐる。そして筐体の森へと進入、ぐるりと迂回して反対側に辿り着いた。


 視界の上方、百目鬼歌帆という塔の頂が霞んで見える。どうやら仁王立ちで筒香を見おろしているらしい。そんな彼女に対して彼のしたこと、それは視線を伏せること。その静寂しじまの姿たるや、喧嘩ッ早いルーキーの挑発にはいっさいも乗らない、まさに絶対王者King Of Kingsの風格。


(また、敗れにきたのですか?)


 1821戦1821勝──これが筒香の、少女に対する全戦績である。


 圧倒的で、絶望的でさえもある戦績。


 しかし、初戦から数えておよそ半年間、1日に10戦以上のすべてを敗れてもなお、少女は、飽くなき雪辱リベンジのローファーを中野ブロードウェイへと向け続けている。


 初戦の日を思い出す。


『呆れるほどにお強い殿方ですね。しかし頂点とあらば挑戦の機会を失するのが必然。ゆえに、山脈とは、時に自らを削って雪崩の試練トライアルをこさえるものです』


 シナモンを背負った、あの日。


『あなたはまぎれもない頂点。しかしながら、闘争にかける姿勢は山脈の荘厳に遠く及ばず、残念でなりません』


 なぜか批判し、おもむろに向かいの席に着くと、記念すべき初戦を買った。使い方もわからない操縦桿を握り締め、そして、筒香の手によって容赦なく叩きのめされた。


 なのに、


『あなたが真の山脈となるまで、あなたと対峙たいじし続けることを私は決して憚らないでしょう』


 千円という大金を使い果たし、投了を待つしかない段に放たれた宣誓である。


(真の山脈?)


 不思議と、負け惜しみを言っているようには聞こえなかった。しかしいまだに真意はわからず、だからと質問する勇気もなく、言葉も交わさないまま今に至る。


 その今、少女がゆったりと席に着いた。天性の美貌は完全に筐体の向こう側に消え、言葉も、目さえも合わせられないくせに心残りの感慨が新鮮に芽生えた。


(だって、黙って消えるんだもの)


 目前の画面の中に乱入が発生。自然、観客たちの視線が背中に刺さる。気にする素振りもなく、筒香は木場凱然を選択した。一方の少女は、お国のために土俵にあがり続けた伝説の横綱、翔葉山しょうようざんを選択。合掌捻りが脅威の、彼女の贔屓筋おしメンである。


 1822戦目、開戦。


 一気に距離を詰めたのは翔葉山。懐中ふところに潜りこむや否や、ツッパリを1発、2発、3発、それから百烈張手ひゃくれつはりてへとなだれこむ。堅固なる防御ガードで連打を凌ぐ木場。張手が止むのを見計らい、右の下段ローキック、左の上段ハイキック、左の踵落としネリチャギ。しかし翔葉山は膝をつかない。押し戻された距離を強引に縮めると、右手で腹部を掴みにかかる。すると、予期わかっていたかのような木場の回避、その離れ際に右の下段キック。


 ……出だしから地味な戦いである。


 しかし、観客がブーイングを垂れることはない。むしろ固唾を飲んで見守っている。筐体から漏れる破壊音以外に音はなく、まるで竜王戦のような静けさ。


 木場のスマッシュが翔葉山の頭頂部テンプルをかすめた。ものともしない翔葉山、愚直なまでに間合いを詰め、両手で木場の頭部を囲いにかかる。決まれば恐怖の合掌捻り。しかし、これもまた回避で捌いた木場、右の中段ミドルキック、左の上段キックの連撃。ついに膝が落ちかける伝説の大横綱。木場にとっては定石のパターン、そこから一気に懐中へと飛びこめば、沈もうとするジョーを左の掌底で浮かせ、無防備となった鳩尾に電光石火の右エルボー


 おお!──必殺技に初めて唸る観客。


 敵の攻撃に応戦するという博奕ギャンブルはせず、ことごとく防御し、回避も怠らず、すきをついて最低限の打撃を放ち、深追いせずに即座に距離を離し、直後に間合いを詰めてきた敵の出鼻に牽制ジャブ的な1発と、続けて強烈な技を1発──このループ。


(僕の兵法に敵う術はないのですよ?)


 残すところ5分の1となった敵の体力を確認し、虚しさの溜め息をこぼす筒香。


 どんな顔をしているのだろうか。


 眉間に皺でも寄せているのだろうか。


 歯噛みして強張っているのだろうか。


 それとも、あくまでも無表情だろうか。


 しかし、筐体が邪魔をして美貌の行方は伺い知れない。


(なぜ)


 この翔葉山、ジャンプしてから急襲するという変則的な大技も持っている。破壊力のある、防御の上から体力を削るという恐るべき技であり、筒香といえどもこればかりは警戒対象だった。翔葉山の技の中ではおよそ最強と言ってもいいだろう。しかしこの技、終わり際に膝をつくという悪癖を併せ持っていた。そして少女は、今まで1度たりともこの空中技を使ったことがないのである。大横綱の尊厳を守るためなのか、あくまでも立ち技にこだわり、投げ技にこだわり、愚直に攻め入ることにこだわり続けた。そうして、こだわるがゆえに大敗を喫し続けた。


(なぜ、翔ばないのですか?)


 今宵もまた、相変わらず無策のままに、愚直なまでに攻め続ける少女。ゆえに、この戦いは間違いなく筒香のものである。


(尊厳のために死を選ぶのですか?)


 戦闘のド素人。しかし、風の噂によれば、彼女はあのヒナ高の生徒であるらしい。


(その敗北になんの意味がありますか?)


 戦闘に餓える者の辿り着く、ヒナ高とは、人類史上最後の闘技場コロッセオである。


(勝利してナンボではありませんか?)


 喧嘩の強さだけが唯一の生存手段なのだそうである。裏を返せば、ヒナ高において、脆弱な者に与えられる未来は「死」という敗北だけなのである。


(死の先に、なにがありますか?)


 そして、風の噂によればこの少女、


(ひとりの死は、遺された者にさえも無慈悲の敗北を与え続けるんですよ?)


 ヒナ高では無敗を誇るのだという。


(なにも語らず、黙って死んで)


 筐体に隠れた、美しき修羅。


(今さらなにを、なにを、なにを……!)


 彼女は決して、見守らない。





   【 了 】




 

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