終章

第十輪 羽根を持つ者の休息

 七月も下旬となり、ノースランドは夏の終わりを迎えようとしていた。とはいえ気温は摂氏二十五度を上回ることはまれで、夏というにはやや物足りないものだった。少女たちは陽気の中で、どこか持て余していたと言っていいだろう。

 そんな折、ある話題があった。滝の大陸に一週間程度バカンスに行く。レナとウィシーの新婚旅行も兼ねているようで、彼らを沿岸のリゾート地であるニーア島に置いたのち残りの隊員はオーベルゲンにて羽を休めることになっている。グースの都合、これ以上分割することはできそうにないということだ。

 これに真っ先に異議を申し立てたのはシスルだった。最低限の配慮として、グースの艦長にそれを伝えることにした。

「ビル艦長。私もセロウと、ニーアに行きたいです」

「うーむ。司令はいいと言うだろうが、今回はふたりきりにさせてあげないか」

「ニーア島は環礁になってて広いと聞きました。私も司令と会うのは困るので、別の場所に降ります」

 ビルは腕を組んだ。レナに雇われて久しいが、彼女がこういった提案をしたことはなかったのだ。情勢を鑑み、時にはアドラスティアにさえ揺さぶりをかけ、やっと手にした休暇なのだろう。

「しかしなあ」

「お願いします」

 逆にシスルにしてみれば、記憶の中では初めてに近い旅行なのだ。エリザやグレイスなどにできれば気を遣いたくない。むしろ、セロウに気を遣わせたくないというのが大きかった。自分だけを見ていて欲しい、それが筋の通らないわがままだと彼女はわかっていた。

「セロウはどう言っているんだ?」

「どちらでもいいですって。セロウは放っておくとすぐどこかに行っちゃうから」

「君の方も、もう少し余裕を持ったらどうだ? 誰も取りはしないよ」

「よく言われます。でも、難しいですよ」

 じゃ、頼みますね。そう言って去っていくシスルは、それが艦長にとって大きな厄介ごとだと気付いていなかった。

「はあ、どうしたものか」

 ネメシスの隊員は、変わり者ばかりだった。美麗で捉えどころのないレナ。無骨で砲への偏愛を抱くウィシー。不真面目なヘンリー。特に搭乗員に多かった。加えて整備班はウィシーの息がかかっている。その中で見れば、グースのクルーは比較的まともだとビル自身は思っている。

 そこに、好青年のセロウが来たのだ。一番の変わり者であるシスルを連れて。確かに賑やかにはなったし戦力的にもこの上ないほどの強化だった。ウィシーとヘンリーで構成されていたかつての巨人部隊よりも、セロウとシスルは高い水準で戦線を構築できたし、ウィシーが砲と前線指揮に専念できることも重要だった。

「ビル、どうしたの」

 こうやって思わぬ場所から現れる声も、もはや慣れたものだった。

「司令か。いや、ひとつ頼まれてしまいましてな」

「シスルちゃんのことでしょ。大丈夫よ。彼女の言う通り、別々の場所なら問題ないわ。カードは増やせないけど、あの子たちなら持ち合わせあるし」

「だが司令、あなたにとっても重要な時間だ」

「時間が必要なのは私たちだけじゃないのよ。シスルちゃんたちにも、あるいはエリザちゃんにも」

「確かに、彼らはまだ子供。ゆえに人並みに平和を享受する権利がありますな」

「まあ、オーベルゲンのリゾートも遊ぶにはいい場所だけどね。もっと静かで、特別な時間が欲しい人のためにニーア島はある。シスルちゃんはそれを求めているはずよ。許してあげて問題ないわ」

「承知した」

 レナは司令室に戻っていく。艦長のビルはキロムの退役軍人であり、その操艦能力を買われて加入した。結成直後から在籍しており、隊員の中でも古参と言える。故に彼はエリオのことを知る数少ない人物だった。ネメシスがただの傭兵でないこと、アドラスティアのこと、一般隊員には伝えていない多くのことを彼は知っている。それゆえにレナの苦労をわかっている人物でもあった。




 旅行の話はすぐに伝えられた。バターカップの面々は、それを聞いて沸き立った。当然であろう。今までこのような機会はなかったのだから。

「海ですって、イサベルさん。どうします?」

「ええ、そんなこと言われてもわからないよ。でもいいのかな、私たちも行かせてもらって」

 いいのよ。それに答えたのはシスルだった。

「あなたたちはもう十分戦ったから、ご褒美があってもいいじゃない」

「ねえ、ニーア島には誰が行くの」

「セロウと私。それに司令と隊長。私も無理言って入れてもらったから、追加は難しいわ」

 ふうん。エリザはシスルの意図が見えるためにやりと笑みを浮かべ近寄った。

「じゃあさ、あんたから言ってくれればうちらも大丈夫だね」

「ちょっとエリザ、そんなの司令に悪いよ」

 グレイスが止める間もなく、エリザは言い放つ。

「うちとグレイスもそっちがいい。みんなは?」

 反応はない。どちらかというと、静かに過ごすより遊びたいという方が多かった。エリザにとっても、それならばそれでいい。レナの邪魔になることはわかっていたし、それを避ける意思は多少なりとも存在するのだ。

 行き先が決まれば、そこからは各々のすべきことがあった。皆、そういった経験がない。だから楽しみでもあり、わからなくもあった。

「アニタ、水着選んだげる」

「お、じゃあ私はニーナの」

「ええ、いいよ。アニタってセンスないし」

「うるさい、何選んでもおとなしく着ろよ」

 そのような応酬が、ほかの場所でも聞こえてくる。

「ヴィク、私も水着、着るの?」

「当たり前じゃない。絶対かわいいよ。サラ、あんたもよ」

「仕方ないな。いいよ。ちょっと興味あるし」

 サラはゾフィの顔をちらと見る。ゾフィは首をかしげるが、その意味は明白だった。強がりと素直の混ざった笑みは、サラが前を向こうとしている証なのだろう。

 出発まであまり日がない。十四人は各々の時間を過ごし、そしてその日を迎えた。滑走路の前に全員が並ぶ。点呼を取る必要もないが、グレイスは一応やっておくことにした。

 番号。その言葉とともに、数字が読み上げられる。二、五、六、八、十三、十四は読み上げられない。代わりに一呼吸間をおいている。これは彼女らの希望だった。十四人は忘れないことを選んだのだ。マギー、ハンナ、マックス。空白の中で、その名前を口にするものはいた。だが残った三人はもはや遠いものとなっているのだろう。

「二十」

「はい。これで全員ね」

「じゃあ早く行こうぜ」

「ラウラちゃん、急かさないの。ネメシスは全員いるわ。じゃ、グースに乗り込みましょうか」

 戦う時よりも荷物が多い。特にシスルは旅行鞄にザックまで持参していた。

「持とうか?」

「いい。何でセロウってそんなに荷物少ないの?」

 セロウの荷物は対照的で、小さなキャリーケースひとつだけだ。

「別に、海でゆっくりするだけだし。シスルは何を持っていくの?」

「えっと、服は毎日変えたいでしょ。あと日焼け止めとか傘とか、いろいろ必要だもん」

 なぜ必要なのか、言う必要は感じないが知ってほしいとは思っていた。

「ま、僕のために用意してくれる分もあるし、持つよ」

 半ば強引にザックを取る。急に加速度を得たザックから何かが落ちた。

「あ、待って」

 落下した勢いで滑っていき、リズの足元で止まった。

「シスルさん、なにこれ」

「これ小さい時の写真じゃない?」

「わ、かわいい」

 拾い上げたのは、ペンダントのようだ。それは貝のようにふたつに開き、中の写真が露わになった。そこには小さな女の子が写っている。シスルは慌てて駆け寄ると、それを取り返した。

「だめ、それは」

「シスルさん、横にいる人は?」

 アディの軽率な質問に、シスルは表情を暗くした。とっさにイサベルがアディを引っ張る。

「あ、ごめんなさい。こらアディ、あやまりなさい」

「ごめんなさい」

 イサベルに叱られて、アディははっとして頭を下げる。

「大丈夫、彼は生きてるから。その人は私の騎士。命の恩人よ」

 少女たちの視線がセロウに向けられる。これは思わぬライバルの登場か。気になる年頃の少女はざわついていた。

「シモンさんのことでしょ。紛らわしい言い方だけど、全部本当のことだよ。あの人はシスルひとりの騎士だから」

 ゴシップ好きのパットやニーナも、これには感嘆せざるを得なかった。あまりにもセロウに余裕がありすぎる。とは言うもののシモンのそれは忠誠であり、好意とは別質のものであるが。

「もう、そんなことはいいから早く入るよ」

 シスルに促され、ようやく艦に入る。グースの中もバカンス仕様になっており、いたるところに海の写真などが貼ってある。ネメシスは兵士の集まりであるが、正規軍とは本質的に異なる。彼らには日常があり、その上に戦いがあるが、ネメシスには戦いしかない。家族や友人、故郷という言葉は遠い存在で、ときに憧れすら抱いているのだ。

 だからこそグースを包む異様な空気を、バターカップの少女たちは心地よいと思った。

 滝の大陸は隊員たちの暮らす命の大陸から西海を挟んで五百マイル以上離れており、グースの最大航行速度をもってしても数時間かかる。艦内の住環境は良好であり、一部のクルーを除く隊員は思い思いにくつろいでいた。

「ねえセロウさん、模擬戦の相手してもらえませんか」

 こう切り出したのはリズだった。他にも名乗り出る者はいたが、リズのものは少し様子が違った。

「あ、またリズったらセロウさんのとこ行って。惚れちゃだめだよ」

「ちが、そんなんじゃないよ。私ももっとうまくなりたいの」

「確かにセロウさんって教えるの上手いしね。仕方ない。シスルさんに告げ口はしないであげる」

 いいよ、しても。そう呟いたリズの表情は、ささやかな自信が見え隠れしていた。

 シミュレータ室にはネメシス隊員もいた。新人の台頭で、相対的に実力が下がったものも多い。彼らは対抗心を燃やすように模擬戦を重ねて腕を磨いていた。

 その筆頭がヘンリーだろう。手甲鉤を用いた独特の戦法は磨くのが難しく、鍛錬には互角の相手を用いるしかない。そんな彼と意気投合したのがかつての四班の面々、いわゆるストライカーズだった。

「これいいですね。すごく使いやすい」

「ねえヘンリーさん、これどこで手に入れたんですか」

「俺が作ったんだよ。お前らもいるか?」

「ええ、そんなこともできるの? ほしいほしい」

「お前ばかにしてるだろ。まあいいぜ、材料届いたら作業始めるから手伝えよ」

「はいはーい」

「はいは一回にしとけ」

「はいはい、ところでヘンリーせんせい」

 パットはいつもの調子だが、ヘンリーにしてみれば悪い気はしない。

「おう、なんだ?」

 隙あり。そう言って巨人の後ろから拳を突き入れる。ヘンリーは突然のことに驚きつつも、回転して爪で弾いた。わざと受けられる速度にしているのが小憎らしい。子供の相手をしているはずが、してやられることも増えてきた。

「このアマ、ほんと油断も隙もねえ」

「やっぱり違いますわね。ねえアディ、ちょっとこの機体でやろ」

「よろしいですことよ」

ふたりの機体が消え、もはや年季の入った師と弟子が残った。

「なあ先生、一戦やろうぜ」

 ネメシス随一の腕だったヘンリーも、ラウラとは互角だった。演習でもこのマッチには時間がかかる。手甲鉤を使い始めてからのラウラはまだ慣れないのかミスも多いが、それも減ってきておりヘンリーはいつ抜かれるのかと戦々恐々していた。パットも、余裕を持って対峙できる相手ではなくなっている。

 はたから見ればヘンリーが少女たちのおもちゃになっているようだが、彼に取っても有意義ではある。動きを教えることは味方の把握にもつながるし、彼の苦手としていた連携において重要だった。

「しかしいいのか、お前ら。これから遊びに行くってのにこんなことにエネルギー使って」

「何言ってるんですか。私たちってこうしてる時間も好きなんですよ。教えてくれる先生もね」

 わざとらしい声色でからかうパットに対し、ヘンリーは軽くあしらう。シミュレータ室はいつにもましてにぎやかだった。

 この艦内で本当にのんびりしているのは、クルーだけかもしれなかった。自動航行とはいえ席を立つわけにもいかず、彼らだけは暇を持て余している。レナはそんな彼らが本当に席を立たないように、また一応の警戒のためブリッジに残っていた。彼らの平穏は、珍客によって破られることとなった。

「あら、シスルちゃん。どうしたの、こんな場所で」

「ちょっと、許せないことがあって」

 レナは本当にやることがないため、聞いてやることにした。どうせ内容は決まっているのだが。

「なるほど、セロウちゃんがリズちゃんになびいてると」

「そうなんです。あの子、可愛くて気立てが良くて、たぶん私より素敵ですもん」

 これは面倒なことになったな。レナはシスルに見えないようにため息をついた。そんなことない、と言っても彼女は信じないだろう。事実として彼女のセロウへの感情はかなり重く、それによってセロウが敬遠しないとは言い切れない。もっとも、レナから見ればセロウがシスル以外を向くことなどあり得ないのだが。

「まあまあ、向こうに着けばふたりきりでしょ? できることは色々あるわ」

 ひとまずそう言っておく。それがどういう意味を持つかは、わざわざいうつもりはない。だが念のため、これだけは渡しておくことにした。

「これ、なんですか?」

「セロウちゃんに聞けばわかるわ。今のあなたにはまだ必要だとおもう」

 シスルは首を傾げながらそれを受け取る。セロウに対する思いは不信ではないはずだが、不安ではある。不安は時に不信にまで至りかねない。

 シスルが去っていったのち、ひとりで計器を監視していたビルが声をあげた。

「戦っていると、あいつらが年頃の娘だと忘れそうになりますな」

「強いからね。でも、それに私たちが甘えてちゃだめ。ネメシスがあの子たちの戦いに寄り添うことが大事なの」

 歌姫。ビルはかしこまってそう切り出した。正規軍人にも、砂漠の歌姫の名は聞こえていた。ジェラール砂漠には、レナ・ブルージュが生きている。それは一個の伝説と化していた。

「あなたが守りたかったものがここにあるのなら、私はそれを守りたい。老いた私に出来ることなど知れておりますかな」

「ありがと。今回の旅行は、そのためのものよ」

レナはそう言って笑った。それは必ずしもこどくのリラの仮面の微笑ではないだろう。ありふれた台詞でも、凝り固まった無骨な男に言われると本心のようで嬉しいのだ。レナはこの仲間の好意に、もう一度だけ心の中でありがとうと言った。



 それぞれに時間を潰していると、ついにニーアへと到着した。オーベルゲンから東に百八十六マイル、ニーアリーフと呼ばれる珊瑚礁は西海で最も美しいとされていた。レナたちはここで降り、予約されていたそれぞれの場所に向かう。

「これが、海?」

「今まで見てたのと全然違うね」

 緑がかった透明な海をゾフィは窓から見下ろしていた。少女たちはそもそも海を見たことがないものがほとんどだった。班長でさえ、唯一見たのがノースランドの暗く冷たい海だ。それだけに驚きは大きかった。

 残った人員は皆オーベルゲンに向かう。空港から南に進むと巨大な砂浜が広がっており、ここも滝の大陸で人気の場所だった。

 まずはホテルで用意を済ませ、海へと繰り出す。海岸沿いに屋台街が形成されており、美味しそうな匂いが鼻を突く。

「よっしゃ行くぜ、おらヘンリーさん、早く」

「おい、そんな急ぐなって」

「いいえ先生、ここまできて踏みとどまるなんてできませんことよ」

「パットの言うとおりです。ほらほら、まずは腹ごしらえしませんと」

「アディ、あんたはこの海を前にしてもごはんなのね」

「薔薇よりブリオッシュ、海よりイサベルの水着姿。当たり前ですわ」

「なによそれ。恥ずかしいんだからそんな見ないでよ」

 しかし、ヘンリーにとってみれば災難でもある。レナとウィシーがいない都合、彼は隊員を使ってのんびり遊ぶつもりだった。それが少女に囲まれるのだから、調子が狂うなどというものではない。

「おい、お前らも来てくれ、俺だけじゃもたん」

 隊員を呼び寄せ、無理やり男女比を調整する。少女らのおもちゃが増えるだけだが、それもまたよかった。

「ここでゴール借りれるって。ビーチフットしよーよ」

「おう、いいぜ。お前らもできるよな」

 煮え切らない空気を、ヘンリーは無理やり押しつぶした。彼女らの好きにさせておく方がいいだろう。

「パトリシアさん質問です」

「なんだね、アドリアナくん」

「ラフプレイは、ありですよね」

 パットはその問いに答える代わりに、親指を突き上げた。アディはそれを見てにたりと笑みを浮かべる。男性陣の気苦労は絶えそうになかった。

 一方、顔を真っ赤にしてむくれているのがニーナだった。

「もう、何でこんなの着なきゃいけないの」

「いやー、ニーナ可愛いぞ。この砂浜で一番輝いてる」

 うるさい。ニーナはアニタの頬を両手で引っ張る。

「私はシックでかっこいいのがいいって言ったでしょ。かわいいのは、身も心もばかなアニタしか似合わないの」

アニタはつねられながらも、その言葉の意味を知っていた。だから嬉しくて、つい引き寄せてしまうのだ。

「な、何するのよ。そんなことしたって」

暴れるニーナは、しかし怒っているのは表面だけだ。アニタはそれが全力にはほど遠いことをわかっているため、片手で頭をかき回す。時間をかけてセットしていたがお構いなしだ。

「よしよし。ほら、海が私たちを呼んでるぞ」

 駆けだしていくアニタは、ニーナの手を強く握っている。文句ばかり言って、本当はこうされることを望んでいることをアニタはよくわかっていた。

「あ、待ちなさいよ。こら、まだ話が」

 手を引かれるニーナの表情は、退屈しのぎをしているときの笑顔とは本質的に異なるものであった。

 海岸は暑すぎることもなく、危険な生物もおらず、非常に快適だった。だからヴィクも安心してゾフィと遊ぶことができる。サラにとっても、危なっかしいゾフィがいきなり距離を縮めないように見張っていることができた。

 グースのクルーたちはというと、長旅の疲れをいやすために日光浴していた。いつもいる場所が寒い地域のため、これでも十分英気を養うことができるというものだ。巨人部隊はパットたちに遊ばれているものの他はクルーとともにゆっくりしていた。歩兵は実質的にはネメシスの構成員ではなく、独特の空気になじめないのか今回の旅行には参加していない。海峡北部の基地に残っている者も不参加という点では同じだった。




 オーベルゲンで隊員たちが思い思いの時間を過ごす中、ニーア島では穏やかな時間が流れていた。

「セロウ、いい所ね」

「ああ、そうだね」

 小さなコテージで、のんびりと海を見ている。泳いで遊ぶのもいいが、今日はこうしていたいのだろう。

 シスルにしてみれば、隣にいるセロウが本当に自分を見てくれているのか不安なのだ。

「ねえセロウ」

「なんだい」

 眼鏡を外し、背伸びして口付けをする。こうすれば有無を言わせず自分だけを見てくれる。誰かに教わったわけではないが、シスルはそうあってほしかった。

 ふいに目を開ける。セロウは目を閉じないから、どこを見ているのか気になるのだ。視線を見た時、シスルの両手はすでにセロウの頬に伸びていた。

「なんでよそ見してるの、セロウ。私じゃないほうがいいの?」

 ばかなことをと自嘲してみても、疑念が消えるわけではない。今日はとことん話すつもりだった。

「そんなことはない、ただ」

「ただ?」

 懐かしい気配がするんだ。そう言ったセロウは、シスルの目にも喜んでいるようにはとても見えなかった。むしろ普段の彼にはない、強い感情が見え隠れしていた。

「また何か見たのね」

 不満げなシスルは手すりに寄りかかる。

「ネメシスの他にも、この島に僕の知ってる人がいる」

 だが安心して。セロウはシスルを後ろから抱きしめた。その腕に、強い力がこもっている。

「それは女性ではないし、君より大事なものでもない」

 シスルは閉口した。セロウが何かを抱えているのに、自分はただこう言われたいだけなのかもしれない。めんどくさい女だと言われることも増えたが、その通りだった。。

 ねえセロウ、司令にこんなのもらったんだけど。話題を変えるためか、シスルはポーチからあるものを取り出す。それを見たセロウは苦笑した。

「余計なことを。まだ、その時ではないよ」

「ねえ、これなに?」

「君は知ることのないものだよ。司令には悪いけど、それを使うことはない」

 じっと見つめるシスルは、まさか本当に知らないのだろうか。であれば、知らないに越したことはないだろう。セロウはその時ができれば来ないでほしいと願っていた。

「ふうん、じゃあいいけど」

 シスルはそう言って円形のそれをポーチの中にしまった。

 しかし、である。セロウが感じた気配は明らかにエリザのそれに近い。つまり、血縁ということだった。セロウの血縁で生きているのは父アシュリーと妹エリザだけのはずだ。つまり、父親がここにいることになる。最強の巨人使いが誰と、どんな理由で。知りたくはあったが、それはシスルを前に考えることでもない。だからセロウは、ぼんやりと遠いどこかを見ているほかなかった。




 ほぼ同じ時刻、島の反対側でも人が同じように海を見ていた。ここはホテルではあるが、特殊な手続きを経ねば入れない場所だった。

「ウィンくんの情報によれば、ここに財団の犬が揃っているようね。ネメシスと、アドラスティア。抗争をしているようで、裏で繋がってる。ねえ、あなたには何が見える?」

 男は吸い殻を捨て、灰色の息を吐く。その目はうつろで、意思があるというものではなかった。

「忌子がふたり。邪悪な花が二輪」

 ふふっ。それを聞いた女は笑みを浮かべ、男に寄り添った。

「リラ、それにウィステリア。再会は、鮮やかでなくては。そうでしょ? あなた」

「ああ」

 水平線に太陽が飲み込まれていく。男と女はそれを背に、ひとつ口付けをした。その穏やかな雰囲気に反して、ふたりの内側には強い感情が渦巻いている。

 兵士たちがその羽を休める常夏の島に、ひとつの暗雲がたちこめていた。

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