白い闇

ツヨシ

本編

 七月 九日



遺族達が帰ったあとは、いつものことだが片付けが待っている。


またこの棺台を使うからだ。


むせび泣く声が通り過ぎた収骨室で、二人の男が残った骨の残骸を処分していた。


遺族の前ではていねいに扱っていた遺骨も、今はまるで床にまき散らされた生ごみのごとく、かき集められている。


無言で作業がすすめられていたが、ふと、一人の男の手がぴたりと止まった。


もう一人が気づく。


「どうしました? 山崎さん」


「……うーん、この遺骨なんだが、妙なんだ」


「何が妙なんですか?」


「うーん、なんか違うんだよなあ」


山崎と呼ばれた中年男は、遺骨の足があったあたりを凝視している。


「何が違うんですか?」


「ここのあたりだが」


山崎は粉々になった骨の一部を指差した。


「どうも多いような気がするんだよな、いつもの仏さんよりも。多いと言うよりも、余分にある、と言った感じなんだが」


「何が多いんですか?」


「ばかやろう、骨にきまってるだろう」


そう言われて、男は山崎の指差したところを見た。


そのまましばらくながめていたが、やがて顔を上げた。


「なんともわかりませんねえ。こんなに粉々になっているのに、そんなことがよくわかりますね」


「当たり前だ。俺はこの仕事を二十年もやっているんだから。それぐらいのことがわからなくて、どうする。木俣はまだ三年目だったな。おまえも長く勤めたら、それぐらいわかるようになるさ」


木俣と呼ばれた男はなにも答えずに、じっと山崎の顔を見つめている。


「おい、どうした」


「いや、この骨が山崎さんの言うようにいつもよりも多いとしたら、なんでこの仏さんだけ多いんでしょうね」


山崎は一瞬口を開けて呆けた顔になったが、やがて顔を赤らめて大きな声を出した。


「うるせえ! そんなこと俺にわかるわけがないだろうが」


「す、すみません」


山崎は再び骨をみつめた。


「わからないが、なぜか骨が多いことだけは、確かだ」


「……そうですか」




 七月 十日



いつものように、一部を遺族に渡した後に残された骨を、山崎と木俣で片付けていた。


――こんな時間なのに、今日はまだ一人目だな。


楽でいいけど。


木俣がそんなことを考えていると、山崎の手が止まった。


昨日と同じように、遺骨のある一点を凝視している。


「どうしました」


木俣の問いに山崎が答えた。


「まただ」


「えっと、また骨が多いんですか」


木俣は「なんで?」と言おうとして止めた。


昨日のように怒鳴られるのがおちだからだ。


その時、山崎が意外なことを言いだした。


「おい、さっきの遺族の中に、やせてやけに顔色の悪い若い男が、いただろう」


「そうですか? 若い男は何人かいましたけど、そんな人、いましたっけ?」


「あいかわらず、観察力のないやつだなあ、おまえは」


木俣は正直むっとしたが、二十年近く先輩である山崎にくってかかるわけにもいかず、無表情のままでこらえた。


そんな木俣を見ながら山崎が続けた。


「あの死人みたいに顔色の悪いやつだが、昨日も来ていたような気がするんだが」


「そうですか」


「ああ……たぶん、また来るな」


「……」


その後、二人の間に会話らしい会話は、なくなった。




 七月 三日



国道にある交差点を山側に曲がると、ゆるい坂道がある。


左右に一軒家が並ぶ住宅地となっているそこを進むと、左側が崖になり、そこで住宅地は終わる。


右側にとってつけたような小さな公園があり、その先は火葬場だ。


公園は、火葬場と住宅地が隣接しないようとの配慮から、作られたものらしい。


大人はあまり近づきたがらない火葬場だが、子供たちには関係ない。


火葬場の先にはお寺がある。


生きた人間にはともかく、死人にはいたれりつくせりの環境だ。


お寺の奥が目的地である。


黒木夫妻が買い求めたマイホーム。


メゾン高山。


高山というのはこのマンションのオーナーの名前である。


メゾン高山の先には道がない。


つまりここが、果て、というわけだ。


黒木夫妻がマンションに着くと、すでに引越し業者が来ていた。


「ご苦労様です」


黒木順次は業者に声をかけた。


「いえいえこちらこそ、お世話になります」


お決まりのあいさつを交わした後、黒木一家はマンションに入った。


2LDKの分譲マンション。


長く賃貸アパートに住んでいた黒木一家にとっては、夢の空間である。


――娘が気に入ってくれるといいが。


順次はもうすぐ十七歳になる多感な娘のことを、心配していた。


「やっぱりいいわね、ここ」


妻の規子が大きな声で言った。


下見で何度も訪れているが、実際に自分の住居になってみると、また違って見えるのだろう。


娘の留美子が少し遅れて部屋に入ってきた。


だが何も言わない。


元々女子高生としてはかなり無口なたちだが、今はこれから住む自分の家を観察することに集中しているようだ。


何につけても慎重過ぎるくらいに慎重な少女である。


「片づけが大変だな」


順次は部屋に散乱する荷物の数々を見つめた。


「どうせ私がほとんどやるんでしょう」


言いながら規子は嬉しそうだ。


黒木夫妻がこのマンションに決めたのには、それなりの理由があった。


まずこのあたりの物件に比べると、安いということだ。


その理由は、築二十年という古さに加えて、近くに火葬場があるということだ。


火葬場の近くに好んで住む人はいない。


だから中古物件の相場においても、他より二割ほど値が下がっていた。


しかし火葬場はお寺の高い木々に隠されていて、マンションからは屋上に行かないかぎり、見ることはない。


煙が見えることはあるが、死人を焼いた煙もゴミを焼いた煙も大差はない。


結局のところ、気にするかしないかだけなのだ。


黒木夫妻は、そんなことは気にしないタイプである。


それともう一つの理由が、マンションの定着率が高いことだ。


1フロアーに五つの住居スペースがあり、四階建て。それが三つあり、全部で六十の部屋があるのだが、そのうちの五十四もの部屋に実際に人が住んでいる。


安いこともあるが、空き部屋が一割しかないのは、とある業者がマンションを必要以上に建てまくったこのあたりでは、けっこう低い割合である。


そしてメゾン高山の住人の約半数が、十年以上このマンションに住んでいるのだ。


人の出入りが激しいマンションや、売り買いが頻繁なマンションがあるが、そういった物件にはちゃんとした理由がある。


いざ住んでみると、何だかの問題があるということだ。


その点においても、ここは安心してよいと思われた。


娘の通う学校も割合近い。


以前住んでいたアパートは高校の西にあったが、それが東に移動しただけで、通学の距離はそんなに増えてはいなかった。


問題は順次の勤める会社が、前もそんなに近くはなかったのが、さらに遠くなってしまったことだ。


順次が一応不満を述べたが、それも規子の「家族のためだから、それくらいたいしたことはないでしょう」の一言で全て円満に解決した。




 七月 四日



昨日は最低限の生活ができるまでの片付けに追われ、近所へのあいさつも後回しになっていたが、今日はやっておかないといけないだろう。


朝、順次を見送った後、規子は買い物に出かけた。


管理人と両隣の住人への付け届けである。


幹線道路に出て車でしばらく走ると、大型のスーパーがある。


食品だけではなく、生活用品も一通りそろっており、電気製品や本まで売っている。


日用品の大半はここで手に入れることができるのだ。


これも規子がこのマンションに決めた理由の一つだ。


以前は近所に小さなスーパーしかなく、下着や風邪薬程度のものでも他の店に足を運ばなければならなかったからだ。


適当に三つ選んで包装してもらうと、規子は早々とマンションに戻った。


あいさつ回りの後は、まだ荷物の片づけが残っているからだ。


まず管理人室へ向かった。


ベルを押すと、管理人が顔を出してきた。


すでに数回会っている七十歳くらいのやせた男性で、いつも穏やかな笑みをたたえていた。


規子のお気に入りだ。


「こちらに住むことになりました黒木です。つまらないものですが、どうぞお受け取りください」


「やあ、来ましたね。今後ともよろしくお願いします」


短い社交辞令を交わした後、規子は両隣へむかった。


右隣には初老の夫婦が二人で住んでいた。


子供はすでに独立したと言う永田夫妻は、どこにでもいる何の特徴もない夫婦だった。


左隣は三十代男性の一人住まい。


このマンションはほとんどが家族連れで、一人住まいは珍しい。


南里というその男は、無愛想を絵に描いたような人物ではあったが、何だかの問題を起こすような人間にも見えなかった。


人付き合いが苦手なタイプと、規子の目には映った。


それならこちらもやりやすい、と思ったほどだ。


やるべきことを終えた規子は、早速片付けに手を染めた。


なにせ二日後には、留美子の誕生日という一大イベントが控えているのだから。


規子は毎年、当の留美子以上に張り切っていた。




 七月 六日



年に一度の娘の誕生日だというのに、夫は残業で遅くなりそうだ。


規子は大黒柱不在でお誕生日会を決行した。


とは言ってもひたすら無口な留美子に友達は少なく、来てくれたのは留美子に負けず劣らず無口な同級生が一人だけ。


規子はなんとかその場を盛り上げようと奮闘したが、声を出しているのは規子だけというありさま。


その規子も途中で疲れ果ててしまい、後半は誰も口をきかない静寂の誕生パーティーとなっていた。


そんな中でもやることは一応やって、お誕生日会は無事に終了した。





おそい夕食を食べ風呂に入ると、ちょっとした仕事が順次に待っていた。


ゴミ出しである。


マンションの駐車場の奥にあるゴミ捨て場に、家庭ゴミを捨てに行くのだ。


本来は朝に捨てに行くのだが、朝はなにかとばたばたしているので、前の日の夜に捨てに行くことになった。


マンションの住人が、みなそうしているからだ。


蓋付きの大きなゴミ箱なので、野良犬やカラスなどにゴミをあさられる心配もない。


四階に住む順次は、ゴミを持ってエレベーターで一階に降りた。


そのままゴミ置き場に向かう途中で、ふと足を止めた。


マンションの庭にある木の中でもひときわ大きな木の下に、誰か立っているのが薄明かりの中に見えたからだ。


――女子高生?


女子高生だった。


セーラー服を着た髪の長い少女が、全く身動きせずに、じっと立っている。


その髪は、腰のすぐ近くまで真っ直ぐに伸びていた。


順次はこのマンションの住人の家族構成などを、ほとんど把握していた。


そのほうが後々なにかと都合がいいだろうと思って調べたのだが、このマンションに子供は何人もいるが、その中に女子高生は一人もいなかったはずだ。


ということは、他所からやって来てマンションの敷地内に入ったことになるが、もう日付が変わろうかという時刻に、一人でただ立っているだけというのは、いったいどういうことだろうか。


しばらく見ていたが、背中を向けているために女子高生の顔を見ることはできない。


順次は、ずっと見ているのも変だと気づき、ゴミ捨て場に足を向けた。


帰りに木の下を見たが、女子高生の姿はもうなかった。




 七月 八日



規子が買い物から帰ってきたとき、エレベーターで小出家の主人と乗り合わせた。


小出一家は同じ棟の同じ四階の西の端に住んでおり、ちょうど真ん中にある規子の部屋の両隣でない部屋の住人だ。


東の部屋は空き部屋のため、同じ四階で唯一引っ越しの際に手土産を渡していない住人、ということになる。


ちょっと気まずかったが、それでもしっかりとあいさつすると、向こうもていねいに返してきた。


小出と言う名字は知っていたが、規子は下の名前をまだ知らなかった。


三十代前半だろうか。


筋肉質の引き締まった身体であることが、白いTシャツを通してよくわかった。


何をしている人なのかはわからないが、小麦色に焼けた肌を含めて、完璧なまでのアスリートの容貌である。


エレベーターが四階につくと、先に降りるようにと自然な身振りで規子に伝えてきた。


――ずいぶんと素敵な人なのね。


この年で、すぐ近所に住んでいる年下の男性と不倫をする気はさらさらないが、それでも同じ階に〝いい男〟がいるのは、心地よいものだ。


軽く会釈をしてエレベーターを降りると、部屋へと歩き出した。


その時である。


突然「あっ!」という声が狭い廊下に大きく響いた。


振り返ると小出がエレベーターの前にで、目を大きく見開いて自分の左腕を見つめていた。


その左腕を見て、規子も思わず声を出しそうになった。


白い。白いのだ。


さっきまで小麦色に焼けていたはずの小出の左腕が、真っ白になっている。


色白の女性でもここまでは白くないだろう、と思えるほどの白さ。


不自然なまでの白さ。腕から色素を全て抜き去ったような白さ。


たくましかったあの腕が、一気に弱々しく感じられたほどの白さである。


小出は動かなかった。


驚愕の表情で自らの左腕を凝視したまま、固まっている。


規子がおそるおそる近づき、声をかけた。


「どうしたんですか、それ?」


小出がゆっくりと、実にゆっくりと視線を規子に移した。


「わ、わからない……」




残業で遅く帰ると、規子が飛びかからんばかりの勢いで話しかけてきた。


興奮状態で話すそれは、最初は何を言っているのか要領を得なかったが、やがてその内容が判別した。


同じ四階に住む小出という男の小麦色に焼けた左腕が、一瞬で真っ白になったと言うのだ。


とてもじゃないが、信じられない。


「そんなこと、あるわけないだろ」


「でも、この目でちゃんと見たのよ」


規子の眼は、完全に本気である。


「でもなあ、ありえんだろう。そんな病気も聞いたことがないし」


「何度言わせるのよ! ちゃんと見たんだから」


規子はゆずらなかった。


軽い興奮状態のまま、しゃべり続けている。


「だったらその小出という人は、腕になんかを塗りつけて、焼けた肌に見せてたんじゃないのか。それが剥げ落ちてしまったとか」


「そんなんじゃないわよ。あれはどう見ても日焼けした肌だわ。間違いないわ。エレベーターの中で、すぐ近くで見たんだから」


順次はとりあえず、日焼けした肌は本物だということにした。


そうしないと、何年経っても話が前に進まないだろう。


「で、小出さんは、どうしたんだ?」


「あわてて皮膚科の病院に行ったそうよ」


「それで、結果は?」


「医者が言うには、左腕だけ焼けてない肌、ってことらしいわ。小出さんが、焼けていたのに一瞬で白くなった、って言っても、全然とりあってくれなかったって」


「そりゃそうだろう。まともな医者なら、そんな話を聞くわけがない」


「そうかもしれないけど、本当に一瞬で白くなったんだから。……それともう一つ」


「もう一つ。なんだ」


「腕だけど。白いのは日焼けしてないから、ということになったけど、それにしても白すぎる、って言うのよ医者が」


「白すぎる?」


「そう、あまりにも白すぎる。まるでアルビノみたいだって言ってたそうよ。でも左腕だけアルビノになるなんてありえない、とも言ってたって」


「アルビノって、白子とかいうやつか」


「そう。皮膚の色素が欠乏して生まれてくるやつ。黒人でも白い肌になるそうよ」


順次は考えた。


話を総合すると、左腕だけがアルビノになったことになる。


しかし成人男子の左腕だけが、突然アルビノになったりするのだろうか。


順次は医学に詳しいわけだはないが、それでもそんなことは、とてもじゃないがあり得えるとは思えなかった。


だったら、何故。


順次が考えていると、規子がぽつりと言った。


「小出さん、かわいそう。あんないい人なのに」


順次は思わず規子の顔を見た。


「えっ?」




 七月 十日



規子が部屋でテレビを見ていると、遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。


サイレンはどんどん近づいてきて、マンションの敷地内まで入ってきた。


ベランダから見れば、救急車がすぐ下に停まっている。


――誰かどうかしたのかしら?


救急隊員がマンションの中に入る。


そのまま見ていると、男が一人、担架に乗せられて出てきた。


――あれは!


小出だった。


ここから見る限り、小出の意識はないように思える。


その後を追うように、女が一人飛び出してきた。


そして小出といっしょに救急車に乗り込んだ。


――小出さんの奥さんかしら?


上から見下ろしているので、顔はよく見えなかった。


救急車はサイレンを鳴り響かせながら走り去った。




訃報はすぐにやってきた。


小出啓一が死亡。


管理人が伝えてきたのだ。


死因は、とにかく心臓が止まった、とのこと。


その原因は、医者でもよくわからなかったそうだ。


今夜、隣のお寺でお通夜があるという。


ご近所の方は、なるべく参列してください、という通達だった。


規子は身体じゅうの力が抜けていくのを感じた。




順次は規子とともに小出啓一のお通夜に参加した。


順次にとってはまだ会ったこともない隣人。


最初に見るのがよりによって死に顔とは。


集まってきた人たちも、ほとんど知らない人ばかりだ。


一通りのことをすませて帰ろうとしたとき、規子が足を止めた。


軽く威圧するかのような目で、なにかを見ている。


その視線の先には喪服の女がいた。


二十代半ばと見える、かなりの美人だ。


その女は小出の妻だった。


順次が言った。


「おい、なに見てるんだ」


「なんでもないわよ」


そう言うと規子は、足早に歩き出した。


「おい、待てよ」


規子は、待つことなく歩き続けた。




 七月 十二日



遺族が帰った後、残りの骨を片付ける。


いつもの仕事だ。


二人で片付けていると、中年男の手がぴたりと止まった。


一点をただじっと見ている。


「どうしました、木俣さん」


若い男が声をかけると、木俣と呼ばれた男が答えた。


「変だなあ……。うん、変だ」


「何が変なんですか」


「おい向井、この仏さん、最初ちゃんと両手があったよな」


「ええ、ありましたけど、何か?」


「骨がなんだか少ないんだ。俺が見るところによると、左腕の骨がないような、あるような。やっぱりないような。そんな感じだ」


向井と呼ばれた男が、木俣の見ていたところをしばらく見つめていたが、やがて顔を上げた。


「これだけ粉々になっているのに、よくそんなことがわかりますね」


「当たり前だ。俺はこの仕事を二十年もやっているんだ。それぐらいわからなくて、どうする」


「それが本当だとしたら、なんで骨がなくなっているんでしょうね」


そんなこと俺にわかるわけがないだろう! と木俣は向井を怒鳴りつけようとしたが、止めた。


昨年定年退職をした山崎にさんざん怒鳴られたことを、思い出したからだ。


先輩に厳しくされた人間は、後に二通りに分かれる。


同じように後輩を怒鳴る者と、逆に後輩に強く言えなくなる者だ。


木俣は後者のほうだった。


「とにかく」


木俣は言った。


「変なことも、あるもんだな」




留美子はふいに目が覚めた。


もともと眠りは浅い。


何かあるとちょっとしたことで目が覚めてしまう。


夜中に目覚めることは別に珍しい事ではない。


留美子は再び眠りにつこうとした。


その時、何かが聞こえてきた。


かなり小さな音で、なんの音なのかよくわからなかった。


その音は、一定のリズムがあるように聞こえる高い音だった。


聞こえるか聞こえないかの小さな音なら無視すればいいのだが、留美子は無視しなかった。


ちゃんと聞いてあげないといけないような気がしたからだ。


集中して聞いていると、それが人間の声、というより泣き声だということがわかった。


若い女がむせび泣く声だ。


マンションに住む誰かが泣いているのだろうか。


留美子はさらに集中した。


号泣という感じではなく、さめざめと泣いているような、深い悲しみを身にかかえながら、それを体内から外にゆっくりと搾り出しているような。そんな声だ。


いくら聞いても、どこから聞こえてくるのかは、わからなかった。


そのまま聞いていると、小さかった泣き声がさらに小さくなり、やがて聞こえなくなった。


あとは風の音だけが残った。




 七月 十五日



規子が昼食の準備をしていると、突然隣が騒がしくなった。


右隣の永田夫婦だ。


このマンションの壁は、以前住んでいたアパートよりも厚く、隣の音が聞こえてくるということが、今までほとんどなかった。


おまけに永田夫婦は、年齢的にも性格的にも、大きな音を出すということが、ないはずだ。


――なんなのかしら?


好奇心から聞き耳をたてていると、隣の玄関の戸が荒々しく開けられる音がした。





仕事が滞りなく終わり、順次が久しぶりに早く帰ってくると、規子が待ってましたとばかりに騒ぎ立てた。


今回はお互いに二度目ということで、前と比べると話がすぐに理解できた。


隣の永田の奥さんの右腕が白くなったのだ。


「救急車を呼んだ後、すぐにご主人と部屋に入ったの。するとそこに、がたがた震えている永田の奥さんがいたわ。ご主人が言うように、右腕が真っ白になっていたの。小出さんのように日焼けしてないのであそこまでの差はなかったけど、それでも左腕とは明らかに違っていたわ。ご主人によると、目の前で一瞬のうちに白くなったんだって。それであわてて私に助けを求めてきたの。携帯も固定電話もあるのに、かわいそうに、動揺してしまったのね」


「……病院はいったんだな。で、どうなった?」


「小出さんと同じよ。医者は違ったけど、同じことを言ったんだって。まるで右腕だけがアルビノになったみたいだ、って」


「信じられんなあ」


「でも本当なのよ。このマンションでもちょっとした騒ぎになってるわ。二人続けて急に手が真っ白になったんだもの。ありえないでしょう。みんな不思議がっているし、怖がっている人もいるわ」


「……」


「あと、こんな話もあるのよ。小出さんが死んだから、永田の奥さんもそのうち死ぬんじゃないかって」


「それは、とりあえず口にはするな」


「わかってるわよ。私が言ったんじゃないわよ」


順次は何か言おうとしたが、言うべき言葉が何も見つからなかった。


規子もそのまま黙ってしまった。

 

 

 

 七月 十七日


 

管理人が、永田の奥さんが亡くなった、と伝えてきた。


小出の場合と同じだ。


腕が白くなってから二日後に死んだということも。


原因は、とにかく心臓が止まったとのこと。


なぜ心臓が止まったのかは、医者でもわからないそうだ。


これも同じである。


大きな声では言えないが、マンションの一部でささやかれている噂があった。


それは「二人が白くなって死んだのなら、三人目があるかもね」という話である。


例によって、ご近所の方は、なるべくお通夜に参列するように、と通達があったが、規子はお隣にもかかわらず、参列しなかった。


永田の死に、なんだか薄気味悪いものを感じていたからだ。

 

 

 

 七月 十九日


 

いつもの仕事。遺族が帰ってから、残った骨の残骸を片付ける。


向井がなにげなく木俣を見ると、木俣が石のように固まって、一点をにらみつけていた。


「木俣さん」


しばらく反応がなかったが、やがて視線を固定したまま木俣が言った。


「まただ」


「また?」


「ああ、まただ。この仏さんの骨だが、なんだか右腕の骨がないような、あるような。やっぱりないような。そんな気がしてならない」





目がさめた。留美子は時計を見た。


午前三時四十分。


――そういえば。


数日前に夜中に起きて、誰かの鳴き声を聞いたのも今のような時間だった気もするが、あの時は時計を見ていなかった。


寝不足で学校に行くわけにもいかない。


留美子は再び眠りにつこうとした。


が、再び聞こえてきた。


か細くて小さいが、一度聞いているのでわかる。


若い女のなく声だ。


人知れず隠れて泣いているような、それでいて泣いていることをはっきりと主張しているかのような、悲しみの声。


――いったい、どこから?


それがわからない。


右なのか左なのか、上なのか下なのかもわからない。


泣き声はたしかに聞こえてくるのに、それでいて夢の中で聞いているかのような、現実感のなさ。


留美子の頭の中に、ふとある考えが浮かんできた。


それはまるで……


――生きている人間の声ではないような……


留美子はその考えをすぐさま否定した。


生きている人間でないとしたら、いったいなんなんだ。


死人、幽霊。


そんなことは考えられない。


考えたくもない。


その想いに集中している最中、泣き声が何の前触れもなく、ぴたりとやんだ。


また泣き出すのではないか、と思って聞き耳をたてていたが、何も聞こえてこなかった。


留美子はいつしか眠りについた。




 七月 二十日



マンションのロビーにテーブルが一つとイスが四つあり、その横に飲料用の自動販売機が設置してある。


もちろん住人が使うためのもので、奥さん同士の井戸端会議に使われることが多い。


しかし規子は、一人のときに使ったことはあるが、井戸端会議に参加したことはなかった。


三度ほど奥さん連中の集まりを見たことがあるが、三回とも四人いたからだ。


イスは四つしかない。


新参者の自分が割り込む余地はなかった。


今日も買い物から帰ってきてマンションに入ると、ロビーの隅から奥さん連中の話し声が聞こえてきた。


どうせまた四人いるのだろうと思い、そちらのほうを見ることなく歩いていると、必要以上の音量で呼び止められた。


「黒木さん」


見れば井戸端会議の真っ最中ではあるが、そこにいたのは三人だけだった。


「ここ、空いているわよ。いらっしゃい」


声をかけてきたのは、同じ棟の三階に住む平田だった。


下の名前はまだ知らない。


あとの二人は顔も知らなかった。


もちろん断るわけにはいかない。


どうも、などと言いながら、規子は空いたイスに座った。


「黒木さんは初めてよね、ここ」


とか、最初は平田が気をきかせて話をふってくれたりもしたが、そのうち気の知れた三人と部外者という図式になるまでに、そう時間はかからなかった。


規子はみんなの話をうなずきもせずに、ただ聞いているだけとなった。


――もうしばらく我慢したら、理由をつけて席をはずそうかな。


規子がそんなことを考えていると、初めて会ったキツネみたいな目をした女が、急に声をかけてきた。


「ねえ、黒木さん。あなた、何か見ませんでしたか?」


――何か見ませんでした……。何を?


口に出してそう言えばいいのだが、声をかけられると思っていなかったのと、質問の内容が不明瞭だったために、とっさに反応することができなかった。


そのままキツネ目を見ていると、キツネ目が言った。


「いや、四階に一つ空き部屋があるでしょう。そこで何か見なかったかって、聞いているんですよ」


確かに一つ空き部屋はあるが、規子はそんなものをじっくりながめたことはなかったし、〝何か〟を見た覚えもなかった。


「いえ、何も見てませんけど」


それを聞いてキツネ目が、軽く笑った。ちょっと怖かった。


「そうそう、何か見るはずなんて、ないですよね。でもうちの子ったら、あそこに誰かいる、なんて言い出すんですよ」


「誰かいる……ですか」


「そう。うちの子はブラスバンドやっていて、練習で帰ってくるのが遅いんですよ。それで夜にあの前を通った時、誰かいた、なんて言うんですよね」


「誰かって、誰が?」


「それがよくわかんないですよ。あの部屋には電気なんて点いてないし、街灯の光もほとんど届かないし。でも、ベランダに何か人影のようなものがうっすらだけど見えて、それが動いた、なんて言うんですよ。まるで生きているかのようだった、とも。そんなものが、あるわけないのに」





規子はこの話を順次に言おうか言いまいかと考えた。


しかし考えるまでもない。


結論はすぐに出た。


言わないでおこうと。


言えば、後々めんどうなことになるような気がした。


それに留美子が不安がると、いけない。


あの子にとってこのマンションは、あくまでも快適で心休まる明るい我が家でなければならない。


変な噂など、一切なかったことにするのが一番だ。




 七月 二十一日



玄関のチャイムが鳴るので出てみると、そこにはキツネ目がつくり笑顔で立っていた。


そういえばこの人、まだ名前を聞いてなかった。


いや、最初に聞いたような気もするが、その後のいらぬ緊張のせいで、すっかり忘れてしまったのだ。


規子はとりあえず「奥さま」と呼ぶことにした。


「奥さま、どうしました」


「いやねえ、たしたことじゃないんだけど。うちの子が、また影を見たって言い張るのよ。おまけにあの部屋を見たい、とか言いだして。聞かないのよ。だから帰ってきたら、管理人さんといっしょに見に行くことにしたの」


キツネ目は、そこまで言って黙ってしまった。


規子はとりあえず「そうですか」と答えた。


が、キツネ目は、黙ったままで規子をじっと見つめているだけである。


――えっと、どうしようかしら?


考えているとキツネ目が言った。


「いいかしら?」


――いいかしら。何が?


「何が、ですか」


「あなたにも立ち会ってもらいたいのよ」


――なんで?


「私が……ですか?」


「そう。管理人さんにもちゃんと言ってあるしね。いいでしょう。決まったわね。じゃ、よろしくお願いね」


言うだけ言うとキツネ目は自分でドアを閉めた。




夜、一般家庭を訪ねるには非常識という時間にキツネ目はやって来た。


息子と管理人を連れて。


いつも遅い息子が今日は特に遅くなった、などと一応言い訳をしているが、悪びれたようすは微塵もない。


管理人は、今まで見たことがないほど不機嫌だった。


息子は限りなく無表情に近く、なにも言わずにただ立っているだけ。


だがその顔立ちは、キツメ目と遺伝子がつながっているとは思えないほどの容貌で、白人との混血の少年にしか見えなかった。


こうまで二枚目だと、無表情も落ち着き、余裕といったいい印象になるから不思議だ。


規子は、〝いい男〟に弱いところがあるのだ。


「じゃあ、遅いから、さっさと済ませましょうね」


キツネ目が言ったので、みんなぞろぞろ歩き出した。


二つ隣の部屋なので、すぐに着いた。


管理人が鍵を開け、中に入って電気をつける。


全員が中に入った。


間取りはどの部屋も同じなので、住民にとって目新しいものは何もない。


もちろん家具をふくめた生活用品も一切なかった。


入った瞬間から感じていたのだが、少し寒い。


この夏の間、ずっと閉めきっていた部屋が廊下よりも寒いなんて。


そんなことが、あるのだろうか。


そう思っていると、管理人が規子の気持ちを代弁した。


「なんだか寒いですね」


キツネ目が何か言うかと思ったが、何も言わなかった。


かわりに息子が動いた。


一人で部屋の隅々まで、探索しはじめたのだ。


台所やトイレはもちろんのこと、狭い日本間の押入れも開けた。


当然何もない。


「ほら、なんにもないでしょう。もう帰るわよ」


キツネ目がそう言った途端に、何かが聞こえてきた。


最初は小さすぎてよくわからなかったが、やがてそれが何であるかがわかった。


声だ。それも若い女の泣く声。


どこから聞こえてくるのかは、わからなかった。


部屋の中なのか、それとも外からなのか。


それすらもわからない。


ただ中は、誰もいないことを確かめたばかりだ。


だとしたら外から聞こえてくるのか。


――なんなのあの声?


規子はふと管理人を見た。


管理人は、逆に規子が驚くほどの驚愕の表情で、目をむいて一点を見つめていた。


その足も、小刻みに震えているように見える。


そして、さっき寒いと言っていた管理人の顔には、玉のような汗が流れ出していた。


規子は管理人の視線の先を追ったが、そこには何もなかった。


やがて声が聞こえなくなった。途端に管理人が言った。


「外で誰かが泣いているみたいですね。で、この部屋は見てのとおり何もありませんね。寒いから、もう帰りましょう」


笑ってはいるが、痛々しいほどその顔がひきつっている。


管理人は急に何かを思い出したかのように身体を反転させると、そのまま部屋を出た。


「そうそう、ここにはなんいないわよ」


キツネ目が後に続く。


息子が母についてゆき、規子がその後を追った。


息子は部屋を出る直前、足を止めた。


そして小さな声でつぶやいた。


「何か、いるな」


と。




部屋に帰った後も、気になってしかたがない。


あの高校生の言葉もそうだが、それよりも管理人の態度だ。


確かにあの部屋は、どこか異様だった。


やけに寒いし、なんだか空気が重かったし。


その上、何も見えないのに、なんだかの威圧感を感じた。


それにあの声。


部屋の中から聞こえてきたとは断定できない。


管理人の言うように、外から漏れてきたのかもしれない。


しかしあの声を聞いた瞬間、身体の芯から恐々としたものを感じたことは確かだ。


それを踏まえたとしても、あの管理人の様子はただごとではなかった。


おばけ屋敷で「出るぞ出るぞ」と思っているところに出てくると、自分で想像していた以上にびっくりする。


ホラー映画なんかでも、よく使われる手法だ。


あの時の管理人の様子は、まさにそのもので、ある程度予想していたことが起こってしまった時、起こって欲しくなかったことが現実のものになってしまった時の動揺、もしくは恐怖といったものを表しているとしか思えなかった。


――何か知っているんじゃないかしら?


そう思うといてもたってもいられない。


日付が先ほど変わってしまっていたが、そんなことは言っていられない。


規子はもう、じっとしていることができなかった。


そのまま管理人室に押しかけた。


「……はい」


管理人に、いつもの見る人を安心させる笑顔はない。


規子そのものがこの事件の元締め、恐怖の対象であるかのような目で見ている。


「聞きたいことがあります。あの部屋は、いったいなんなんですか? 誰が住んでいたんですか? 何かあったんですか? いつから空いているんですか? どうなんですか。答えてください」


矢継ぎ早の質問に、管理人の目が少し泳いだ。


が、急に規子の顔に焦点を当てると、言った。


「誰が住んでいたかと言えば、今までに何人もの人が住んでいました。空き部屋になったのは、二年ぐらい前からです。何があったかと言われましても、あの部屋ではそんなものは何もなかったですね」


きっぱりと言った。


そのまま、規子から目をそらさない。


しばらくお見合い状態が続いたが、やがて規子が言った。


「そうですか。夜分遅くに失礼しました」


そのまま管理人室を後にした。


管理人の態度から、これ以上問い詰めても何も出てはこないと思ったからだ。




 七月 二十二日



隣がなんだか騒がしい。


規子は廊下に出てみた。


すると、よく見る引越し業者の作業服を着た男が二人、ソファーを運び出しているところだった。


――永田さん、引っ越すの?


業者が開けっ放しにしたドアから中をのぞくと、永田の主人が立っていた。


「やあ、黒木さん。短い間でしたが、お世話になりました」


「永田さん、引っ越すんですか?」


「ええ。あいつが死んで、今は一人。それならと言うことで、子供たちの中で唯一独身の息子が、一緒に住まないか、と言ってくれまして。二つ返事で息子のところに行くことにしたんです」


「そうですか」


「ここは売りに出します。二人で老後を過ごそうと思って買ったのですが、一人になってしまったので、もういいんです」


「さみしくなりますね」


「ええ、それと黒木さん」


「なんですか」


永田が近づいてきて、小さな声で言った。


「充分気をつけてくださいね。ここには、何かはわかりませんが、何かがいます。間違いなく、います」


「……」


永田はそう言うと、部屋を出て行った。

 

 

 

 七月 二十三日



今日も引越し業者が来た。


この棟ではない。


隣の棟だ。


佐竹と言う一家らしいが、すれ違ったときにあいさつしたことがあるくらいで、話をしたことは一度もない人たちだ。


管理人に理由を聞いたが「知りません。知りません」と、知りませんを連発して、それ以外は何も言わなかった。


でも明らかに、何かを知っている。


規子にはそう見えてしかたがなかった。

 

 

 

 八月 一日


 

今日から八月だ。


忙しかった七月が終わり、今月の受注は先月よりも、落ち着きそうだ。


残業も減ることだろう。


順次はふと考えた。


二人続けて腕が白くなり、そして死んだ。


一人は左腕、一人は右腕だ。


マンションを出て行く人もいて、永田さんをはじめとして、今のところ空き部屋が三つ増えた。


小出さんの家族はまだ残っている。


ご主人は亡くなったが、かわりに奥さんのご両親が移り住んできて、逆に住居人数が増えた。


夫の死により稼ぎ手のいなくなった娘をサポートするためである。


父親はどこかの会社で重役だという話で、今まで妻だけめんどうをみてきたのを、娘も孫もいっしょにみるつもりらしい。


母親には、まだ幼い孫の子守という仕事がある。


奥さんも仕事を見つけて、三代で協力して生きていくとのことだ。


そんなわけで、周りの環境が若干変わったが、黒木家に大きな変化はなかった。


留美子は何も言わないが、規子が何度か聞いてきた。


「このマンション、本当に大丈夫なのかしら」


自分や留美子の腕がある日突然白くなり、死んでしまうのではないか、という不安からだろう。


順次の心配は、あまりしていないらしい。


規子にそう聞かれたとき、順次はいつも同じ返答をしている。


「二人死んだけど、もう大丈夫だ。だって腕は二本しかないんだから。もう誰も腕が白くなったりしないよ」と。


それに、二人続けて変異があったが、ここしばらくは何もないことも、順次の気を大きくしていた。


妻をなだめるための根拠のない説を、順次自身がいつしか信じるようになっていった。


その理由は簡単だ。信じたいからだ。




 八月 三日



騒ぎは何の前触れもなく、やってきた。


隣の棟の三階に住む石丸麻子という女性。


両親と同居している二十九歳独身の女性の左足が、見る見る白くなったというのだ。


両親に抱えられ、泣き叫びながら車に乗り込む姿を、数人が見ている。


「ちょうどホットパンツをはいていたので、白くなった左足が、いやというほどはっきりと見えたわ」


と、現場に居合わせた人は、みな同じ証言をした。


もともと女性にしては地黒なので、違いがよくわかったそうだ。


そのまま病院に行ったらしいのだが、その後、両親ともども帰ってこないのだそうだ。


帰ってこないということは、本人および関係者からの情報提供がないということだ。


いったい何があったのか。


憶測が憶測を呼び、病院を県外まではしごしているだの、どこそこの神社にお祓いをしてもらっているだの。


果てはアメリカに逃げた、と言う奴まででるしまつ。


さまざまな噂が、マンションを縦横無尽に飛び交ったが、結局のところ、誰も本当のことは何一つ知らなかった。




 八月 四日



石丸麻子とその両親の所在は、未だ不明である。


親しい隣人数人が携帯に電話をしても出ないし、メールを送っても返事がないと言う。


いったいどこで何をしているのか。


何もつかめないままだ。


石丸麻子のうわさが広まるとともに、新たなうわさも飛び交った。


なぜ腕や足が、突然白くなったのか。


なぜ、身体が白くなった人は、死んでしまったのか。


人の不幸でありながら、わが身にもふりかかる可能性のある恐怖は、人々の関心がきわめて高い。


どこそこの奥さんが浮気をしている、だの、どこそこの息子が万引きした、だの、といったありきたりのうわさは、みんなどこかへすっ飛んでしまった。


やれ新種のウイルスだの、やれなんかの呪いだの。はては宇宙人の仕業に違いない、と自信たっぷりに力説するやからまで現れるしまつだ。


そんな状態に終止符などうたれるわけがなく、ただただ思いつきと下手な推理が、混沌とした空間に、交錯するばかりである。


「本当に、いったいなんなのかしらね」


規子の大きすぎるひとり言に対して、順次はあえて無視した。留美子はもともとリアクションが薄いが、父親の無視という反応と違って、無関心という対応をとった。


ある意味、賢い。


規子は二人をしつこいくらいに交互に何度も見ていたが、あきらめたのか何も言わずに買い物袋を手に取ると、部屋を出て行った。


すると留美子が立ち上がり、言った。


「ここ、大丈夫なの?」


どうやら母親が出て行くまで、この質問を待機させていたらしい。


規子の前で言うと、母娘の女二人で順次をつるし上げる状態になることがわかっていたので、遠慮していたのだろう。


そんな娘の気づかいも順次は無視して、今朝すでに読んだ新聞を手に取り、再び読みはじめた。


「……」


しばらく父親を見ていた留美子だが、やがて自分の部屋に入っていった。


「ふう」


順次は大きなため息を一つつくと、神経質そうにぼりぼりと頭をかいた。


――このままなかったことにするのは、できない相談かもしれないな。


結局のところはお金である。


このマンションを引き払い、新たな住居を手に入れる余裕は、かけらもないのだから。




 八月 五日



石丸麻子にたいして、「そろそろ死ぬんじゃないのか」とか「もう死んでるよ」とか勝手なうわさが飛び交っている中、管理人から住人にたいして通達があった。


石丸麻子が死亡。


今夜お通夜が行われるとのこと。


場所はいつものお寺。


歩いてすぐだ。


ぜひ参列して欲しい、とのこと。





順次は規子とともにお通夜に参加した。石丸麻子のことはほとんど知らないし、話をしたこともなかった。


義理で顔をだしたのだ。


永田の奥さんのお通夜には参列しなかったので、その埋め合わせの意味もあった。


当然のことながら「この数日間、どこでなにをしていましたか?」なんて聞くことはできない。


いや、順次でなく、親しい者でもそれは聞けないだろう。


それがお通夜における、最低限の礼儀というものなのだから。


――この女か。


昔付き合っていた女に似ていると順次は思ったが、今はそんな哀愁に浸っている雰囲気ではない。


もちろん左足は覆い隠されて見えなかったが、その分、順次の想像力がかきたてられた。


やることをやると、順次は規子を連れて、足早にお寺を後にした。




自分のマンションに帰ってから、順次は何も言わなかった。


それは規子も同じだった。


この部屋じゅうに、何か不気味で重たいものがたちこめているような。


そんな気がしてならなかったのだ。


留美子はとっくに自分の部屋でこもっている。


残った二人に何の会話もないことが、さらに気分を沈めていた。


それでも二人は口を開こうとは、しなかった。


まるで二人で、どちらからが先に声を発したら、その時点でその人の負け、というようなゲームでもやっているみたいだ。


その長い沈黙を破ったのは、規子だった。


「マンション、出て行くわけにはいかないの」


「無理だな」


順次は即答した。


新しい住居を買うなんて論外だし、どこかの賃貸に越すとしても、引越し費用や礼金、敷金、そして最初の家賃など、けっこうなお金がかかる。


貯金をはたいてマンションの頭金にしたために、そんなお金はサラ金にでも行かなければ、捻出できないだろう。


それは賢いやり方とは言えない。


それに、そういったお金を何とかできたにせよ、今度は住宅ローンの支払いをしながら、月々の家賃を払わなければならないのだ。


高給取りとはほど遠い順次の給料では、生活苦は必至だ。


とりあえずマンションを売りに出してみる、という方法もあるが、その考えは順次はおろか、規子の頭の中にも全く浮かんではこなかった。


無意識のうちにマンションを売ることを、拒否していたのだ。


家族の誰かに危害がおよぶ可能性は否定できないが、そうはならない可能性も十分にある。


順次は後者の可能性のほうを、高くみていた。





遺骨を片付けている木俣の手が止まった。


「まただ」


「また、ですか」


「ああ、今度は左足の骨が少ないように思える。少ないと言うよりも、全くない、と言った感じだが」


「うーん、なんででしょうね」


骨を見ていた木俣が顔を上げて、向井を見た。


「そう言えば、おまえ、こんなうわさを聞いたことないか?」


「どんな、うわさですか?」


「この先にあるマンションだが、ある日突然、人の手や足が真っ白になって、その真っ白になった人は、二日後に死んでしまうって。そんなうわさだが」


「言われてみれば、なんか聞いたことがあるような気がしますね。あまりに変な話なんで、聞き流していましたけど」


「これだ」


木俣は遺骨を指差した。


「何が、これなんですか?」


「この仏さんだが、俺が聞いた話では、左足が突然白くなって、その二日後に死んだそうだ。で、この仏さんの左足の骨が見当たらない。と、いうことは……」


「と、いうことは?」


木俣は必死で考えた。考えに考えた末に、ぽつりと一言言った。


「わからん」


「そうですか」


木俣は再び向井を見た。


「おまえ、何かわかるか」


向井は両手を胸の前で左右に振った。


「いえいえ、僕にそんなこと、わかるわけがないじゃないですか」


「そうだな」


木俣は視線を遺骨に戻し、そのまましばらく見ていたが、やがて言った。


「とりあえず、片付けるか」


「そうですね」


二人はいつもの作業に戻った。向井がぽつりと言った。


「また、ありますかね」


木俣が答える。


「たぶん、あるな」




留美子は眠りについていた。


しかし、再び眠りを妨げられた。


もうこれで何度目だろうか。


また若い女性の鳴き声が聞こえてきたのだ。


留美子は時計を見た。


午前三時四十分。


前と同じ時間だ。


――まただわ。


誰かが死ぬと聞こえてくる悲しみの声。


生者を失ったことに対する、悲しみの声なのだろうか。


――いや、違うわ。


そう思った。強く。


なぜ、そう思ったのかは、わからない。


ただその考えを、留美子は完全に肯定した。


あの声は、他人のことで泣いている声ではない。


あの声は、自分のために泣いているのだ、と。


そのまま聞いていた。やがて泣き声は止むだろうから。


しかし、そう思う留美子をあざ笑うかのように、泣き声はいつまで経っても止むことがなかった。


ずっと泣いているのだ。


――いつもと、違う。


すぐ泣き止むと思えばこそ、我慢できていた。


それが泣き止まないとは。留美子の全身に悪寒が走った。


―どうしよう?


見に行くか、身に行くまいか。


考えるまでもない。


見に行くなんて、とてもじゃないができない。


仮に見に行くとしても、長い時間聞いているにもかかわらず、未だにどこで泣いているのか、まるでわからないのだ。


――どうしよう?


再び考えはじめた留美子の耳に、何かが届いた。


――えっ?


声だ。何か言っている。か細く小さな声で。


「……返して」


聞こえた。


――返してって、何を?


「私の……を返して」


――何を返して欲しいのかしら?


留美子は今まで以上に聞き耳をたてたが、泣き声も止み、それ以上は何も聞こえてこなくなった。


それでも留美子は、全神経を両耳に集中させたが、聞こえてくるのは風の音ばかりだった。

 

 

 

 八月 六日


 

規子がベランダで洗濯物を干していると、黒塗りのベンツがやってきて、停まった。


――ベンツなんて、珍しいわね。


このマンションで、高級外車に乗っている人など、一人もいない。


稼ぎのいい人が、火葬場のすぐ近くなどに、住むわけがないからだ。


見ていると、ベンツから成金を絵に描いたような服装の男が降りてきた。


テレビドラマなどではたまに見かけるが、実際にはほとんどいないファッションだ。


キンキンキラキラ、夕日が沈む。


規子の脳裏に、子供のころに聞いたそんな歌がよみがえった。


――誰かしら?


男はそのままマンションに入っていき、見えなくなった。


――嫌な感じ。


規子は、まれではあるが見た瞬間「この人、嫌」と思う人がいる。


その男がそうだった。


下品なファッションもそうだが、身体から発するオーラのようなものに、嫌悪感を覚えていた。


――新しい住人でないと、いいけど。


規子はそう思った。




夕方、ドアのチャイムが鳴った。


――誰だろう?


のぞき穴からのぞくと、管理人だった。


規子はドアを開けた。


「どうしました」


「ええと、このマンションのオーナーからの伝言です。とても大切な伝言です。では言います。よく聞いてください。何も心配することはないので、安心して住み続けてください。そう全員にそう伝えてくれ、とのことでした」


――オーナー?


規子はオーナーを見たことがなかった。


というよりも高山という苗字しか知らなかった。


真っ先に頭に浮かんだのは、昼間黒塗りのベンツでやって来た、下品で嫌なオーラを出していた男だ。


あれがオーナーなのか?


規子は当然のことを聞いた。


「何も心配しないで住み続けてくれ、ってどういうことなんですか。オーナーが何かしてくれるんですか?」


管理人は、顔全体で〝困った“という表情を作ったが、それでもはっきりと言った。


「とにかくオーナーがそう伝えてくれと言いますので。ということで、確かに伝えましたよ。私は次も回らないといけないので、これで失礼します」


管理人はそう言うと、急いでドアを閉めた。




 八月 七日



ロビーの井戸端会議で、話題になっていた。


今朝も派手で下品な服装の男が、ベンツでやって来た、と。


「あの男、ここのオーナーみたいね」


平田の言葉にキツネ目が続く。


「でも、年はまだ三十代前半くらいに見えたわよ。このマンションは、築二十年のはずだけど」


沢部がそれに続く。


規子は、もう一人の沢部という名前は覚えたが、キツネ目は、みんなが「あなた」とか「奥さん」としか呼ばないので、いまだに名前を覚えていなかった。


いまさら覚えようという気も、なくなっていたが。


「息子よ。このマンションを建てた人のね。最初のオーナーが去年亡くなって、その後を継いだんだって」


「ふーん、そうなの」


四人の意見は、あのオーナーは下品だの、バカでぼんぼんだの、といったところで、完全に一致した。


平田が言った。


「でもあのオーナー、何も心配しないで安心して住み続けてくれ、とか言っていたじゃない。どういう意味かしら?」


「さあ、バカでぼんぼんの言うことだから、あまりあてにならないんじゃない。期待すると、損するかもね」


キツネ目の意見に、みながこれまた同意した。




 八月 八日



夕方にはマンションに着いた。


最近は、日がまだ沈みきらないうちに家に帰れている。


順次は喜んでいた。


いやな上司がいる職場よりも、我が家のほうがいいに決まっている。


車を降り、マンションに入ろうとしたときに、駐車場の隅に男が一人立っているのに気がついた。


沈みつつある太陽のまん前近くに立っていたために、その姿をはっきりと見ることはできなかった。


できなかったが、その男が山伏であることは、わかった。


――山伏……だって?


そうその男は、テレビなどで見る山伏そのものの格好をしていたのだ。


ただ山伏のイメージと、明らかに違うところがあった。


それはその男の体格である。


山伏は厳しい山岳修行で鍛えているために、普通は鋼の肉体を持っているものだ。


それに比べてあの男は、あまりにも貧弱な身体をしていた。


もともと骨格自体が成人男性としてはか細いうえに、筋肉も脂肪も一般男性と比べると少ない。


逆光の中でも、山伏の装束の上からでも、順次にはそれがはっきりとわかった。


ひ弱としか言いようのない身体である。


逆光のために、顔はよく見えなかったが、自分を見ている順次を見ていることは確かに思えた。


――なんなんだ、あいつは。


すると山伏もどきが歩き出し、マンションの出入り口とは反対方向へ移動した。


そして建物の影に入り、見えなくなった。


――変なやつがいるなあ。


順次はそのままマンションの中に入った。


エレベーターに乗り、四階で降りたときに、ふとある考えが浮かんできた。


――ひょっとして、ぼんぼんオーナーが言っていた「何も心配する事はない」と言うのは、あの山伏のことなのか?


そう思った途端に、順次の頭に「不安」という文字がおりてきた。




 八月 九日



次の日には、マンションじゅうの話題となっていた。


ぼんぼんオーナーと山伏の格好をした得体の知れない男が、二人そろって仲良くマンション内をうろうろしていたからである。


「オーナーの言う「何も心配する事はない」って言うのは、あの変な格好の男のことなのかしら?」


規子も順次と同じ疑問を持っているようだ。


「多分、そうなんだろうなあ。山伏の格好をしているし。山伏といえば、僧侶だろ。つまりお坊さんだ。そのお坊さんに、よくないものをお祓いしてもらう、という考えなんじゃないのかな」


「あんな顔で」


「顔、見たのか」


規子が身を乗り出してきた。


「見たわよ。この目で、しっかりと。なんというか、貧相というか、貧弱というか、頼りないというか、うさんくさいというか。そういうマイナスな言葉をかき集めて、人間の顔を造ってできた顔。そんな顔だったわ。人は見た目じゃないとよく言うけど、あそこまで見た目が悪いんじゃねえ。あんなんで、本当に大丈夫なのかしら」


――身体だけではなく、顔まで貧相なのか。


 順次の不安がさらに増していった。




 八月 十日



今日もオーナーと山伏が来ている。


井戸端会議の最中に現れたので、四人でのこのこ見物にいった。


二人はマンションの庭や駐車場をうろうろしていた。


そしてあちこち指差している。


オーナーがなにか言いながらどこかを指差すと、山伏がなにかを言いながら同じところを指差す。


それの繰り返しだった。


四人で堂々と遠慮なく見ていたが、オーナーはまるで気にはとめてないようだ。


その代わり、山伏はこちらのことが気になってしかたがないらしく、四人を何度もちらちら見ていた。


「あれ、なにやっているのかしら?」


キツネ目が聞いた。


「さあねえ」


平田が答える。


その時、規子は気づいた。


平田は二人を好奇心の目ではなくて、憎悪の目で見ていたのだ。


――なんで?


確かに絵に描いたように胡散臭い二人だが、嘲笑の対象にはなったとしても、憎悪の対象になるような存在とは思えない。


規子は、平田がなんであんな目で二人を見ているのか、まるでわからなかった。


歩き回っていた二人だが、ふと足を止めた。


交互に何度も同じところを指差し、何度も会話をかわしている。


二人が指差していたのは、四階にある例の空き部屋だった。


しばらく見ていたが、二人ともそこから動かなかった。


「あれ、なにしているのかしら?」


再び聞いたキツネ目に、再び平田が答えた。


「さあねえ」


沢部が続く。


「どうせ、たいしたことは、してないわよ」


規子にも、そう見えた。


二人はけっこう長い時間を使い、空き部屋を見ながらなにかひそひそと話をしていたが、やがて気がすんだのか、その場を立ち去った。


「さて」


平田が言った。


「無駄な時間を過ごしたみたいね。もう帰りましょう」


全員がそれに同意した。




 八月 十二日



オーナーは来なくなったが、貧弱山伏は、毎日マンションに来ていた。


マンション内をうろうろしているが、何をしているのかはまるで掴めないとのこと。


話しかけにくい雰囲気を持っていて、たいていの人は無視しているそうだ。


それでも話しかけた人も、数人いるそうだ。


その時の貧弱山伏の反応は、何も答えずに逃げるようにそそくさとその場を去るというもので、話しかけた人の感想は全て「あんな人で、本当に大丈夫なんだろうか」だそうだ。


「あんな男にまかせて、大丈夫なのかしら」


規子は毎日同じことを言っている。


順次の知る限りにおいて、マンションの住人全員が同じことを言っているので、反論することはできない。


というよりも、順次も全く同じ意見なのだから。




 八月 十三日



順次がエレベーターを降りて部屋にむかおうとした時、例の空き部屋の前に、あの山伏もどきが立っていた。


部屋のドアをじっと見ている。


――なにをしているんだ、あいつは。


順次が見ていると、山伏が気づいた。


順次を見たが、あわてて目をそらすと足早に歩き出し、エレベーターに乗らずに非常階段を使って降りていった。


その姿はまるで、嫌な男から逃げる気弱な女子高生のようだった。


順次の不安は、もう爆発寸前だった。




 八月 十五日



規子にゴミ出しを頼まれて、留美子は夜、外に出た。


マンション内とはいえ、留美子が暗くなってから外に出るのは、珍しい。


夜遊びなんかしたことがなかったし、しようと思ったことも一度もない。


留美子はそんな女子高生だった。


ゴミ置き場まではそんなに遠くはない。


ゴミを捨て、カラスなどに荒らされないようにきちんとふたを閉めると、留美子は足早で歩き出した。


早足で歩いている留美子だが、なぜそんなに急いでいるのかは、自分でもわからなかった。


暗がりが怖いわけではない。


繁華街の裏路地の暗がりなら怖いだろうが、ここはマンションの敷地内だ。


住んでいる人も、親しい人は一人もいないが、みんな一通りは知っている。


なにか事件に巻き込まれる可能性など、ほぼゼロのはずだ。


それなのに留美子の意思に反して、早足が止まらない。


――なんで? 足が、かってに……


が、ふと足を止めた。


止めようと思って止めたのではない。


なぜか急に足が止まったのだ。


――こんどは……なんなの?


留美子は何かに導かれるように、顔を上げた。


視線の先にはマンションがある。


今留美子が見ているのは、四階の東端の部屋。


自分の家の二つ隣の空き部屋だ。


その部屋のベランダをじっと見ている留美子だが、なぜその部屋に目が釘付けになっているのかは、留美子自身がまるでわかっていなかった。


――いったい、なんなのよ。


すると、何かが動いたような気がした。


――なに?


ベランダに、何かがいる。


それは、限りなく透明に近いがためにはっきりとは見えないが、それでもないかが居ることは、わかった。


白い靄か霧のようなもの。


それが人の形になっているように見える。


怖かったが、好奇心がまさった。


留美子はそのまま見続けた。


白い人型の靄が、また動いた。


ベランダをゆっくりとではあるが、右に左に移動している。


が、止まった。


そのまま全く動かない。


その時、留美子は気づいた。


――見ている。


そう、その白い霧が、自分を見ているのだと。


顔も目もないのに、留美子にはそのことがはっきりとわかった。


――逃げないと。


しかし足が動かない。


まるで根が生えたかのように。


見れば白い人型は、ベランダを越えて三階、二階と、物音一つたてずにすうっと降りてきて地に立ち、留美子の目の前で止まった。


――どうしよう?


考えていると、影が再び動いた。


留美子に近づいて来るのだ。


――!


留美子は必死で逃げようとした。


しかし、足がびくともしない。


白い霧は留美子の目の前まえ来て、そこで止まった。


――見ている。


さらに強烈な視線を感じた。


――助けて!


声に出そうとしたが、声はでなかった。


留美子は強いめまいを覚えた。


白い影がゆらゆらと揺れた。


――助けて!


すると人型の霧が、すっと消えた。


もう視線も感じない。


――あ、足が、動く。


留美子は全速力で走り出した。




 八月 十六日



留美子に「昨日、何かあったの?」と聞いてみたが、留美子は答えなかった。


規子はもう一度聞いてみた。


「留美子、正直に言ってみて。昨日何かあったの」


留美子は規子の目を、じっと見た。


「別に。何もなかったわ」


規子はあきらめた。


留美子はまれに、こんな目をすることがある。


相手の目を見ながら、なおかつ相手の後頭部の先を見ているかのような目だ。


視線で頭を貫かれたような気分になる。


一度こうなると、規子が何をいっても無駄だ。


今までに何度かこの目を見たことがあるが、全て規子の完敗であった。


「そうなの。それならよかったわ」


半ば負け惜しみ気味に規子が言うと、留美子が言った。


「お母さん」


「なに」


「気をつけてね」


「何を?」


「なんでもいいから、とにかく気をつけてね」


「だから、何を?」


留美子からの返答は、もうなかった。


――いったい、なんなのよ。




 八月 十九日



規子が部屋を出てエレベーターに乗ろうとすると、誰かが乗りこんできた。


左隣の南里だった。


久しぶりに見る。


というより、引越し初日以来で、顔をあわすのはこれが二度目になる。


井戸端会議でも話題にのぼったことがあるが、マンション内をうろうろするということがなく、部屋から真っ直ぐ外に出て行くか、外から真っ直ぐ部屋に帰るだけだという。


仕事は土、日、祝日が休みのようだが、ほとんどの日を自分の部屋で過ごし、めったに外出しないらしい。


「こんにちは」


あいさつしたが、南里はなにも返さなかった。


――それにしても、この人。


確かに今日は暑いが、南里は尋常でない汗をかいていた。


クーラーがきいているはずの部屋から出て、まだ間もないというのに。


着ているポロシャツが、まるで水の中にでも放りこんだみたいだ。


顔も玉のような汗が、だらだらと流れ続けていて、サウナに長時間は入っている人のようだった。


――こんなに汗かきだったのかしら。


規子は思い出していた。


前に会ったのは、七月にしては暑い日。


でも、まったく汗はかいていなかったような気がする。


規子は人間の生理的なことに関しては、子供のころから人一倍敏感だった。


エレベーターの中で規子は、南里をなんの遠慮もなくじろじろ見ていたが、南里が規子を見ることはなかった。


エレベーターが一階につき、規子が先に降りたが、南里は降りようとはしなかった。


エレベーターの中で、一人立っている。


――何をしているのかしら?


やがてエレベーターのドアが閉まりかける。


が、南里が開くボタンを押して、扉を開けるのが見えた。


しかし、南里は降りない。


エレベーターに乗ったままだ。


再びエレベーターの扉が閉まりかけると、南里がまたボタンを押して扉を開けた。


――……?


規子はその場を立ち去ろうとした。


しかし、どうにも気になってしかたがない。


エレベーターの扉が閉まりかける。


南里がボタンを押して開ける。


また閉まりかける。


またボタンを押す。


何度も同じことを繰り返している。


規子がさすがにその場を去ろうとしたとき、南里がエレベーターを降りた。


そして真っ直ぐ規子に向かって歩いてくる。


――えっ?


しかし南里は規子のすぐわきを通り過ぎ、そのまま外に出て行った。


規子はしばらく思考停止していたが、やがて我に返り、マンションの外に出た。


――いけない。はやいとこ買い物にいかなくちゃ。


駐車場に向かおうとしたとき、南里が一人ぽつんと立っているのが見えた。


――いったい、何をやっているのかしら?


規子が南里を見ていると、南里も規子を見た。そして叫んだ。


「うああああああああああああ」


―えっ?


また叫んだ。


「うああああああああああああ」


あの小柄な身体から、よくもあんなに大声が出せるものだと思うほどの、大音量だった。


「うああああああああああああ」


また叫んだ。


というより、息継ぎするとき以外はずっと叫び続けているのだ。


「うああああああああああああ」


気がつけば、当然のことながら人が集まってきた.


その数はどんどん増えていった。


「うああああああああああああ」


「黒木さん」


背後から声をかけられて、規子は振り向いた。


平田だった。


「うああああああああああああ」


「あれ、いったい、なんなの?」


「うああああああああああああ」


「さあ、私にもさっぱり」


人はまだまだ増えてゆく。


マンションの住人が一箇所にこれほど集まったのは、おそらく初めてのことだろう。


成人女性が多いのは、子供はどこかに遊びに行っているし、男は大半が仕事だからだ。


「うああああああああああああ」


南里を大勢で遠巻きにぐるりと取り囲み、黙って見ているか、近くの人と話をしているかだが、誰も南里に近づく者はいなかった。


「うああああああああああああ」


「警察、呼んだほうがいいんじゃない」


「うああああああああああああ」


平田にそう言われ、規子もそう思った。


あわてて携帯を取り出して、百十番しようとしたとき、急にあたりが静かになった。


南里が叫ぶのを止めたのだ。


「あら、止めたわね」


平田が小声で言った。


そのときである。


「おい、きさまら。今日で二日目。今日で二日目なんだ」


南里が叫んだ。


そしてポロシャツを引きちぎるように、脱いだ。


――なんということ


その場にいた全員が、そう思ったのに違いない。


なぜなら南里の首から下、胸やおなかのあたりが、真っ白になっていたからである。


「今日で二日目。二日目なんだ」


南里が再び言った。


その表情は極限まで追い込まれ、涙を流して必死で哀願している。


「今日で二日目。二日目なんだ」


また言った。


「助けてくれ!」


全員、南里を見たり、近くの人と目を合わせたりしていたが、やはり誰も南里には近づかなかった。


――助けてくれって……いったいどうやって。


「助けてくれ!」


再び言った南里だが、その場に崩れるように倒れ込むと、そのまま動かなくなった。


平田が南里に向かって歩いてゆく。


――平田さん、すごいわ。


いつのまにか現れた管理人も、その後に続く。


平田が南里の手首をとって、脈をみた。


しばらくみていたが、やがて規子の顔を見ながら、いやいやをするかのように、首を左右に大きく振った。


――死んだ?


管理人も脈をみたが、同じよう首を大きく振った。


やはり南里は死んでいた。


胴体を真っ白にして。


四人目の犠牲者がでたのだ。


あちこちで悲鳴が上がり、その場にいた大多数が走り出した。


中には自分の部屋には帰らずに、外に飛び出していく者もいた。


「みなさん、おちついて。おちついて」


管理人の言葉など、誰の耳にも届かない。


「みなさん、お願いですからおちついて」


「とりあえず」


平田が言った。


「えっ?」


「救急車は呼ばないとね」




マンションを出ていこうと言う人が、急に増えた。


とは言っても引越しの準備もしてないし、次に住む場所も決まっていない。


とりあえず、しばらく家族でホテル住まいします」


沢部が言った。


最低限の荷物だけを持ち、マンションを出てゆくのだ。


そんな家族が七つほどあり、実家に帰るという一家族をのぞいて、残りはみんなホテル寝泊りすると言う。


そうまでしても、このマンションを出たいのだ。


規子にはその気持ちが痛いほどわかった。


規子もできればそうしたかった。


しかし貯金が底をつきかけていて、順次の給料もローンを払えばいくらも残らない規子に、そんな余裕はまるでなかった。




 八月 二十日



今日も何軒か、マンションを出てゆくようだ。


しかし黒木家において「マンションを出て行きましょう」という言葉は、完全に禁句となっていた。


けっして口に出してはいけないのだ。




 八月 二十一日



引越しラッシュも、一日で下火になりつつあるようだ。


今日は今のところ一軒しか引越しを見ていない。


どうしてもマンションを出たい人は、もう出て行っている。


残っているのは、出たいと思いつつも次の移転先が見つからない人か、出る経済的余裕のない人か。


中には、この不可思議な現象に関して、自分達は関係ない、あるいはマンションのせいではない、と思っている人もいるようだが、それは少数派である。


井戸端会議も沢部が出て行ったために、会議のメンバーは三人となっていた。


「さみしくなったわね」


平田が言った。


規子は不思議だった。


こんな状況にもかかわらず、あいかわらずこの人は落ち着いている。


――どこまでも強い人だわ。


規子はうらやましかった。


それに比べて自分は何もせず、何もできず、ただ無駄に心配しているだけ。


「何人出て行ったの?」


キツネ目が聞いた。


平田が答える。


「十八軒ね。今残っているのは三十六軒。そのうちの何軒かは、出てゆく準備はしているみたいね」


規子は聞いた。


「平田さんは出て行かないの?」


「出て行かない」


きっぱりと言った。規子は「どうして?」と聞きかけたが、聞くことができなかった。


キツネ目が言った。


「私は新しいところを探している最中よ。まだ見つからないけど」


「早く見つかるといいわね」


平田が小さい声で答えた。




木俣と向井が遺骨を片付けている。


二人ともずっと無言だった。


が、向井がおもむろに言った。


「木俣さん」


「何も言うな。わかっている」


今回は向井にもはっきりとわかった。


なぜなら胴体や腰の部分の骨が、まるきりなかったからである。


いくらまだ経験の浅い向井でも、気づかぬはずがない。


遺族の中にさえ、なんとなくおかしいな、と思った人がいても不思議ではないほどの、有様だ。


もちろん、焼く前に胴体はあった。


それが焼いているうちに、どこかへ消え去ってしまったのだ。


もはや、何がなんだかわからない。


おそるおそる、向井が聞いた。


「警察……言いますか?」


「……警察か……言ってもいいが、おまえ、警察にいったい何て言うんだ?」


「それは……木俣さんだったら、何て言います?」


「そんなの、知るか」


「……はい」


向井が一歩下がると、木俣が言った。


「ところで」


「なんですか?」


「この仏さんも、あのマンションの住人だな」


「そうですが」


「胴体が真っ白になったと聞いたが」


「僕もそう聞きましたが」


「そうか、やっぱりな」


木俣はそう言ったきり、黙ってしまった。


向井もそれ以上は、何も言わなかった。




 八月 二十二日



騒ぎで目がさめた。


いつの間にかうたた寝をしていたようだ。日はまだ高い。


外から奇声が聞こえてくる。


「いえーーーーっ! きえーーーーっ!」


――なにかしら?


ベランダに出てみると、煙が上がっていた。


庭で何かが燃えている。


その火の前にいるのは、あの山伏だ。


「いえーーーーっ! きえーーーーっ!」


山伏のまわりに人が集まり、遠巻きに見ている。


山伏は火の中に何かを投げ入れていた。それが何であるかは、ここからでは、よくわからない。


規子は部屋を出て、エレベーター乗った。


庭に出ると、山伏が叫びながら、火に向かって何かを投げ入れている。


よく見れば、それは細い木の棒のようなものだった。


「いえーーーーっ! きえーーーーっ!」


――あれは、確か……


昔、テレビか何かで見た覚えはあるのだが、規子は思い出せずにいた。


「護摩焚きをやっているのよ。あの細い棒は護摩木と言って、木を細く切ったものよ」


いつの間にか平田が横に立っていた。


「いえーーーーっ! きえーーーーっ!」


「それにしても」


平田は山伏をじっと見つめている。


「土の上で、直接燃やしているわね。護摩焚きに護摩壇がないなんて。にわか密教ファンでもわかるのにねえ。これ見よがしに山伏の格好をした男がわからないなんて、偽者もいいところだわ」


護摩焚きはなんとなく聞いたことがあるが、護摩木も護摩壇も知らない規子は、黙って平田の言うことを聞いているだけだった。


「いえーーーーっ! きえーーーーっ!」


偽山伏は、性懲りもなくまだやっている。


いつまで続くのかと思って見ていたら、突然止めた。


どうやら手持ちの護摩木が、なくなったらしい。


山伏もどきは咳払いを一つすると、キンキン声で言った。


「みなさん、もう大丈夫です。私の霊験あらたかな護摩焚きによって、このマンションに巣くう邪悪なものは、きれいに消え去りました。今後あのような事は、二度と起こりません。ですから安心して、ここでの生活を続けてください。もう一度言いますね。もう大丈夫ですから、安心してください」


平田が軽く笑った。


「護摩焚きによる悪霊払い、つまり調伏法は、厳しい修行をこなしたすぐれた徳のある僧侶だけが、できるものなんだけどね。あいつでは、てんで話にならないわね。僧侶ですら、ないみたいだしね」


山伏が最後に「いえい!」と気合を入れた。


そして一礼したが、それに反応した者は誰一人いなかった。


みんな何事もなかったかのように、自分達の部屋へと帰ってゆく。


それを見ながら平田が言った。


「バカオーナー。あのペテン師にどれだけお金を積んだのか知らないけど、全くの無駄金だわ。それにあの火。あのままほっとくと危ないわよ」


平田の小声が聞こえるはずもないのだが、山伏があわてて足で火を消しはじめた。


だがなかなか消えない。


「あつっ、あつっ」と言いながら、悪戦苦闘している。


平田は黙ってその場を去った。


規子も、その場を離れた。




 八月 二十三日



管理人が突然やって来た。


「オーナーからの大事な伝言です。悪霊は去りました。もう大丈夫です。安心してここに住み続けてください」


それだけ言うと、規子の返答を待つことなく、ドアを閉めた。


次の部屋に行くのだろう。


一軒一軒伝言する心算のようだ。




しばらくして規子がロビーに顔を出すと、平田とキツネ目がもう来ていた。


キツネ目が、規子が座る前に話しかけてきた。


「聞いた。もう悪霊がいなくなったんだって。本当かしら」


「さあ。それはわからないけど。少なくとも、悪霊が去っていくところを、見たわけじゃないし」


平田が言った。


「みなさん、悪霊は去りました。と言いたいところだけど、あんな護摩焚きでは、超低級霊でも無理ね。それに、悪霊は去りました、だなんて、このマンションにはもともと悪霊がいました、って宣言しているみたいなもんね。人によっては、よけいに不安になるわ。まあ、自分が首を突っ込みたくてしかたのないバカオーナーのやることだから、せいぜいあんなもんね」


規子が黙っていると、キツネ目が言った。


「どっちにしても、あのえせ山伏、とても頼りになるとは思えないわね。どうせはったりをかますんなら、もっと見た目のことも考えないとね。見た目が貧相な男を、必死になって、あの手この手で捜してきたのかと思ったわ」


キツネ目は、笑った。


平田がいっしょになって笑ったが、規子はどうしても笑うことができなかった。




 八月 二十四日



――今日は久しぶりにのんびりできそうだ。


向井は思った。焼く予定の仏さんが、一人もいないからだ。


休憩室でのんびりとテレビを見ていると、木俣が入ってきた。


「おい、ちょっと、出かけてくるぞ」


「どこへ行くんですか?」


「それは、言えん」


「そんなあ。部長が来たら、なんと言えばいいんですか」


「そうだな。部長にも一言耳に入れておくか」


「だから、何をですか」


木俣は、向井がそれまでに聞いたことがないような低い声で、言った。


「例の、あれだ。白くなって死んだ人が、焼くと白くなった部分がなくなってしまうというやつだ」


「あれですか。で、どこにいくんですか?」


「あいつに相談してくる」


「あいつ、って?」


「それも、言えん。ただ。信頼できるやつ、とだけ言っておくか」


「……そうなんですか」


「とにかく、留守はまかせた。なに、近いから、そんなに時間はかからんだろう。じゃあ、しばらく頼むぞ」


「わかりました」


木俣はそのまま出て行った。


――これで、


向井は考えた。


――よりのんびりできるぞ。




 八月 二十五日



留美子は目覚めた。


あの声が聞こえてきたからだ。


今までは、誰かが死んだ後に泣き声が聞こえてきたのだが、なぜか今日は違う。


しばらく聞いていると、声が語りだした。


「……返して」


留美子は考えた。


いったい何を返して欲しいと、言っているのだろうか。


もちろんいくら考えても、留美子にはわからない。


「……返して」


また言った。


――もう、嫌だわ。


あの声には、留美子の神経を逆なでする何かがある。


もう聞きたくない。


聞きたくないはずなのに、なぜか引き込まれるように、聞いてしまうのだ。


――なんなの、あれは。


その時、なんの前触れもなく、声が大きくなった。


「私の身体を返して」


――身体を返して?


「私の身体を返して」


また言った。


留美子がおもわず声に集中していると、声はさらに大きくなった。


もう、すぐそばであの声を聞いているような。


そんな印象を受けた。


「私の身体を返して」


――身体を返すって、どういうこと?


声がまた言った。


「あと、少し」


――あと少し?


「あと、少し」


留美子はベッドから上半身を起こした。


あたりを見回したが、誰もいない。


――あと少しって、なんなの?


しかし声は、それ以上は聞こえてこなくなった。




 八月 二十六日



規子が管理人室の前を通ると、中から袈裟をきた僧侶が出てくるのが、見えた。


――あの人は。


見覚えがあった。


隣のお寺の僧侶だ。


お通夜に参列した時に見かけた人だ。


―何の用かしら?


思いつつ規子は、頭の中でこのマンションの一連の怪異と僧侶を結びつけていた。


偽山伏が去った後、本物の僧侶が来たのだ。管理人室までやってきたのだから、それは間違いないことのように思えた。


僧侶はそのまま歩き出したが、自分を見ている規子に気づくと、軽く頭を下げた。


規子もつられて頭を下げた。


僧侶はそのまま歩いて、マンションを出て行った。


――あの山伏よりは、頼りになりそうな人に見えたけど。


規子は、自分の直感が当たることを願った。




 八月 二十七日


 

いつもの井戸端会議。


話題はあいも変わらず、一連の騒動のことだ。


たまに規子が他の話題をふっても、すぐに怪事件の話しにもどってしまう。


一通り話が終わると、平田が言った。


「ところであの管理人、このマンションができた当初から、管理人をやっているみたいね」


「そうみたいだけど」


キツネ目が言ったが、平田は規子の顔を見て言った。


「何か知っているんじゃないかしら」


「……」


キツネ目が上半身を乗り出した。


「そうなのよ。わたしもそう思って、けっこうしつこく聞いたんだけど、何を聞いても「知らない」の一点張りだったわ」


――やはりこの人も、管理人に聞いたんだわ。


規子がキツネ目を見ていると、平田が言った。


「知ってても、言わないわよ。それが仕事なんだから」


「……」


「管理人抜きで、なんとかしないとね」


「なんとかするって?」


思わず聞いた規子に、平田が答えた。


「なんとかするのよ。いえ、何が何でも、なんとかしないといけないの」


――やっぱり強い人なんだわ。


規子は改めて平田をうらやましいと思った。




 八月 二十八日



規子が寝ぼけまなこで起き、朝食を作ろうとした時に、気がついた。


何かが違う。


何がどう違うかは、うまく説明できない。


見たところ、めだった変化は一つもない。


テーブルの上の調味料の位置まで、同じだ。


しかし、規子の五感全てが、この部屋が昨日までとは違うことを、はっきりと告げていた。


――なんなの?


台所を、居間を、果てはトイレや風呂場までも、くまなく見る。


やはり具体的に変わっているところは、何一つなかった。


具体的にはなに一つ変わってはいなのに、見慣れた自分の家が、まるで違ったものに見えてしかたがないのだ。


規子がもう一度部屋を見渡していると、順次が起きてきた。


「おはよう」


眠い目をこすりながら、いつものようにソファーに座り、テレビをつけてそのまま見ている。


が、急に部屋をじろじろ見まわし始めた。


何度もなめるように見た後で、自信なさげに言った。


「なあ、この部屋、模様替えしたのか?」


規子は、順次も自分と同じように違和感を覚えていることを、知った。


二ヶ月近く住み続けた部屋が、まるで他人の部屋のように感じるのだ。


「いいえ、何も変えてないわよ」


順次は眠い目のまま規子を見たが、もう一度部屋を見て、再びテレビに目を移した。


「……で自動車事故があり、数名の死傷者がでているもようです。それでは現場からの中継です」


聞きなれた女子アナの声が、いつもよりもやけに大きく規子の耳に響いてきた。


テレビの音量を上げているわけでもないにも、かかわらず。


「おはよう」


留美子が顔を出した。


夜遊びも夜更かしもしない子だが、夏休みはさすがに、いつもよりは少し朝が遅い。


父親の隣に座り、テレビを見ていたが、やがて部屋を見渡し始めた。


そして、父よりも念入りに心ゆくまで観察した後、言った。


「お母さん、この部屋、模様替えしたの?」


「!」




夫を送り出し、娘が部屋にこもると、急いでしなければならないことは、何もない。


食器洗いが残っているが、それも一息ついてからすることにした。


規子はもう一度部屋を見てみた。


先ほどほどではないにしろ、まだ何か違和感が残っていた。


やはり、昨日までの部屋とは、何か違うような。


どうしても、そんな気がしてならないのだ。


――いったい、なんなのよ。


規子はとりあえずテレビを見ることにした。


テレビでは、このマンションから遠い地域の情報をやっていた。


――こんなの見ても、何の役にもたたないわ。


規子はチャンネルを変えた。


「……で事故があり、死傷者がでたもようです。では現場の大滝さん」


「はい、現場の大滝です。ごらんください……」


さっき、違う局でやってたのと、同じニュースだ。規子はテレビを消した。




いつの間にかうたた寝をしていたらしい。


規子は目覚めた。


――なに?


何かが聞こえてくる。


叫び声。絶叫。留美子の声だ。


「留美子!」


規子はあわてて留美子の部屋に入った。


そして見た。


姿見の前で金切り声を上げている留美子を。


そしてその顔は、首から上が見たことがないほどに白くなり、その二つの瞳は、透き通るような美しい青色となっていた。


「留美子!」


「……お母さん」




山地は、朝から何か嫌な予感がずっとしていた。


そしていまいましいことに、山地の嫌な予感というのは、けっこう当たるのだ。


自分には予知能力があるのではないかと、思うほどに。


――何もなければ、いいが。


その期待は、あっさり裏切られた。


規子が留美子の手を引いて、けっこうな勢いでこちらに向かってくるのが、見える。


――なんだろう?


何であるかは、すぐにわかった。


黒いはずの留美子の目が、宝石のような青色をしていたからだ。


顔の色も、今までよりも明らかに白い。


――まさか!


その、まさかだった。


山地の前に二人は立った。


そして規子が言った。


「管理人さん、見てよ。娘がこんなことに……。管理人さん、何か知っているんでしょう。ちゃんと説明しなさいよ。ちゃんと。またしらばっくれたら、今度ばかりは絶対に許さないわよ!」


万事休す。


娘を想う母の強い愛を感じた。


「知らない」で押し通すなんてことは、とてもじゃないができないだろう。


山地は腹をくくらざるを得なかった。


「まあ、奥さん、落ち着いてください」


「落ち着いてなんか、いられるわけがないでしょう。さあ、言いなさい。さっさと言いなさいよ!」


「わかりました。全てお話いたします」


そう言うと、山地は額の汗を拭いた。


「そう、あれは十七年前のことです。このマンションの住人が殺されるという事件がありました」


「十七年前に、殺人事件! このマンションで」


「いや、殺されたのはこのマンションではありませんでしたが、殺されたのはここの住人だった人です」


「でも、夫がこのマンションに事故物件がないかどうか、さんざん調べたみたいだけど、そんな殺人事件なんてぶっそうな話、出てこなかったわ」


「ええ、それは出てこないでしょうね。先ほども言いましたが、殺されたのはこのマンションではありませんから。殺されたのは、犯人の自宅です」


「犯人の?」


「そうです。ここに住んでいた女子高生を拉致して自宅に連れ込み、そこで殺したのです。マンション内で自殺や殺人などがあった場合は事故物件となりますが、この場合はそれには当てはまりません」


「……」


規子が言うべき言葉を捜していると、留美子が言った。


「管理人さんは、十七年前の殺人事件と、今回の騒動と、何か関係があると思っているようですが、それはどうしてですか?」


落ち着いた声だった。


どうしても真実が知りたいという想いが、留美子の感情を抑制していたのだ。


「いや、確信があるわけではないのですが、そんな気がしてならないんです。なんせね。いろいろと似ていますから」


「似ている?」


規子の問いに、山地が答えた。


「ええ、似ていますからね。詳しい話なら」


山地は外を指差した。


「私よりも、あのお寺の住職のほうが、詳しいと思います。住職に話を聞いたほうが、いいと思います」




規子は留美子の手を引いて、歩いてお寺へむかった。


お寺に着くと、門をくぐり、そのまま本堂へと進む。


本堂の前であたりを見回したが、誰一人いない。


規子には住職が今どこにいるのかはわからないので、とりあえず本堂の戸をたたいた。


「すみません」


何の反応もなかった。


規子はさらに強くたたいた。


「すみません」


やはり反応がない。


規子は、手の皮が裂けるほど、激しく戸をたたいた。


「すみません。すみません。すみません!」


「なんですか?」


後方から声がした。


そこに見覚えのある僧侶が立っていた。




住職に導かれ、奥に通され、そこで規子は留美子とともに、用意された座布団をすすめられた。


「今、お茶を持ってまいりますので、しばらくここでお待ちください」


聞く人の心を和ませるような、優しい語り口だった。


「はい」


規子が返事をすると、住職は軽くうなずき、部屋を出た。


規子は留美子を見た。


留美子はほとんど無表情だったが、単なる無表情ではなかった。


とてつもない恐怖、不安、緊張感、その他もろもろの感情を、自らの意思の力だけで押され込んだ末の無表情であることが、規子にはわかった。


――わが娘ながら、本当に芯の強い子だわ。


自分が取り乱している場合ではない、と規子は思った。


やがて住職が、三つの茶碗が入った盆を持ってきた。


「どうぞ」


そのうちの二つを、規子と留美子の前に置いた。


「さて」


住職が言った。


「聞きたいことは、わかります。その前に私は、田所といいます。それでは、何からお話いたしましょうか」


規子は田所の顔を、改めてじっくりと見た。


四十代前半くらいだろうか。なんとも言えず、穏やかな顔をしている。


――この人なら、なんとかしてくれるかも。


「何からと言っても、さっき管理人さんに十七年前に殺人事件があったことを聞いたばかりで、それ以外のことは、何も」


田所は、規子の顔をしばらく見つめた後で、言った。


「そうですか。それではわかりやすいように、時間を追って順番に話すことに、しましょう」


田所は、お茶を口に軽くつけた。


「十七年前にこのマンションに住んでいた矢嶋涼子という女子高生が、無残にも殺されました。彼女が住んでいたのは、黒木さんの部屋の二つ隣で、今は空き部屋となっているところです」


――やっぱり。


規子は軽いめまいを覚えた。


田所は何も言わずに規子を見ていたが、再び話はじめた。


「涼子さんを殺したのは、小橋大祐という二十代後半の男です。小橋はこのマンションからは離れたところに住んでいましたが、友人に会いにマンションに来た時に、偶然涼子さんに会って、恋心を抱くようになったのです。恋心と言うと美しい響きがありますが、実際はそんなものではなく、涼子さんをただ自分のものにしたいという、身勝手な所有欲にすぎません。その後、小橋は涼子さんをストーカーし始めますが、巧妙に振舞っていたために、涼子さん本人を含め、誰一人そのことには気がつかなかったようです。そして十七年前の七月六日に、悲劇は起きました」


――七月六日! 留美子の誕生日だわ。


田所は、規子の反応を確認したうえで、続けた。


「七月六日です。それは涼子さんの、十七歳の誕生日でもありました。」


――なんですって!


十七年前、七月六日の十七歳の誕生日に殺された女子高生。


そして今年の七月六日に十七歳の誕生日を迎えた、留美子。


つまり涼子は、留美子が生まれた日に殺されたことになる。


思わず田所を見つめる規子に、田所が言った。


「そうです。涼子さんの殺された日に、留美子さんが生まれたのです。そして涼子さんと同じ、十七歳になった。これが今回の怪異にとって、とても重要なことなのです」


「……何が、重要なんですか?」


「それは、あとでお話しましょう。で、小橋は、七月六日に涼子さんを強引に連れ去りました。なぜ七月六日に連れ去ったのかと言うと。涼子さんの誕生日パーティーを、自分の家でやりたいと思ったからです。もちろん、涼子さんの承諾などは、ありませんでした。涼子さんが小橋を見たのは、自分を連れ去る時が初めてだったのですから。話をしたことも、なかったのですから」


「……」


「小橋は自分の家でお誕生日会を開いて、涼子さんにプレゼントまで渡したそうです。でもその時涼子さんは、両手両足を縛られ、口には粘着テープが張られていたそうです。小橋はその後、涼子さんに暴行をはたらき、そして殺してしまったのです」


「……それで」


それまで黙っていた留美子が、口を開いた。


田所は留美子を見て、話を続けた。


「ここからは、さらにむごい話になりますが、続けましょう。殺してしまったものの、涼子さんの死体の処理に困った小橋は、涼子さんの身体をばらばらにしました。そしてある方法で、その遺体を処分しようとしたのです」


「ある方法とは?」


そう聞く規子に視線を移し、田所は続けた。


「普通、死んだ人間は、火葬場で焼かれます。その時、故人の思い出の品などを棺に入れることが、ありますね。小橋はあろうことか、全く知らない人間の葬儀に参列し、ばらばらにした涼子さんの身体の一部を、故人の大切な品と称して、棺の中に入れていたのです」


「!」


「小橋はそれを何度も繰り返していました。しかし、火葬場に長く勤める山崎という男が、気づきました。いつもよりも、遺骨が多いときがあると。そして遺骨が多いときには、いつも同じ男が葬儀に参列していると。人間の親族や友人、知人となると、いろんな人脈があり、さまざまな人がいます。ですから葬儀に参列する人は、他の参列者すべてと顔見知りということは、ほとんどありません。つまり、無関係な人が葬儀に紛れ込んだとしても、誰も気づかないのです。小橋はこの方法を、昔読んだ推理小説のトリックをヒントにした、と言っています。昔読んだ推理小説のトリックをヒントにした、と言いましたが、実際はヒントではなく、その小説のトリックをそのまま使っていたのですが」


「推理小説……ですか」


規子は思わず口にした。


規子は昔から推理小説を読むのが、好きだった。


今でも読み続けている。


しかし当然ながら、小説に出てくるトリックを、実際に使おうと思ったことは、一度もないからである。


「ええ、推理小説です。話を戻しますと、山崎は悩んだ末に、警察に相談しました。その時対応した刑事が、これは矢嶋涼子失踪事件と何か関係があるのではと考え、火葬場に張り込むようになりました。そして山崎の助言により、小橋大祐が逮捕されたのです。その時小橋は、故人への捧げ物として細長く大きな包みを抱えていたのですが、それが涼子さんの右足だったのです。結局、涼子さんの身体で見つかったのは、右足だけでした。それ以外の身体は、見ず知らずの人といっしょに、焼かれてしまったのです。涼子さんのお墓の中にある遺骨は、右足の骨だけです」


留美子が口をはさんだ。


「身体を返して、って言っていました」


「えっ?」


規子は思わず留美子を見た。


「身体を返してって、誰が言ったの?」


「涼子さん」


「えっ! どういうこと」


「夜、何回か泣き声が聞こえてきたの。そのうちに「返して」って言い出して、最後は「身体を返して」って、言ってたわ」


「涼子さんが、言ったんですね」


田所の問いに、留美子は軽くうなずいた。


「そんな大事なこと、どうして言ってくれなかったのよ」


「お母さんに、心配かけたくなかったから」


「でも、それは……」


田所が手で、規子を制した。


「黒木さん、お気持ちよくはわかりますが、今はそんなことを言っている場合ではありませんよ」


「……はい」


「では、話を続けましょう。それが十七年前にあったことです。そして今年の夏、黒木さんが引っ越して来て、娘さんが涼子さんが殺された日に、十七歳の誕生日を無事にむかえました。これが今回の怪異の始まりとなったのです」


「と言うと」


田所は規子の顔を見つめながら、努めて静かに言った。


「それは嫉妬です。涼子さんの留美子さんに対する、嫉妬なのです。自分は十七歳の誕生日を家族や友人に祝ってもらう前に、見ず知らずの男に殺された。それなのに留美子さんは、同じ十七歳の誕生日を家族や友人に祝ってもらっている。もちろん殺されることもなく、身体をばらばらにされることもなく、五体満足でその後も日々の生活を続けている。もともと涼子さんは、とても信心深い娘さんでした。若い女の子としては、かなり珍しいでしょう。マンションができた当初から矢嶋家はそこに住んでいましたが、そのころから涼子さんは、うちの寺によく出入りしていました。私の父から説法を聞いたり、修行の真似事をしたりしていました。父もかわいがっていましたし、私も妹ができたみたいで、とても楽しかったです」


田所は、喉が渇くのか、再びお茶を口にした。


つられて規子も口にする。


「ところが、そんな敬虔な涼子さんだったのですが、殺された恨みや悔しさがあまりにも強すぎて、成仏できずに、現世にとどまってしまったのです。そして十七年の間に、その恨みや憎しみをどんどん増幅させて、ついには鬼や魔性といった存在と化していったのです。そこへ留美子さんがやってきたので、増幅した恨みや悔しさが頂点に達してしまったのです」


「それが田所さんに、わかるのですか?」


思わず失礼な質問をした規子に、田所は穏やかに答えた。


「ええ、私は多少〝視える〟ものですから。亡くなった父もそうでしたから、遺伝なのですかね。ここへやってきて〝視た〟のです。もはや邪悪な怨霊と化してしまった涼子さんの姿を」


「……」


田所は少し間をおいたが、規子も留美子も黙ったままなので、続けた。


「殺されたこと。中でも身体を奪われたことが、涼子さんの恨みつらみの根底に、あります。自分のお墓に入っているのは、右足だけなのですから。ですからマンションの住人から、身体を奪おうとしたのです」


「死んだ人から、身体を奪ったということですか?」


「ええ。火葬場に木俣という男がいますが、じつは木俣は、私の母方のいとこなのです。その木俣から、私に相談がありました。焼いた後、骨の少ない遺体がある、と。それも、身体の一部が白くなって死んだ人の遺骨が少ない、と。つまり焼かれている間に、涼子さんが身体を奪っていたのです」


「そんな」


「もちろん、涼子さんはもう亡くなっていますから、肉体は必要ないし、今も肉体は持っていません。身体を奪うというのは、物質的なことではないのでしょう。しかしそれでも、身体の一部が白くなって亡くなった人の骨は、その部分が消え去っているのです。それは涼子さんの「身体が欲しい」という執念が成せるわざなのです」


「それにしても、どうして身体が白くなるんですか?」


今度は留美子が聞いた。田所は留美子の目を見た。


「その目はまるで、涼子さんの目のようですね」


「えっ?」


「実は涼子さんは、アルビノだったのです。先天性白皮症、先天性色素欠乏症とも言われる白化現象のことです。それもかなり重度の。有色人種の人が重度のアルビノとして生まれると、瞳が透けるような青になります。涼子さんは、そんな目を持っていました。普段は好奇の目にさらされることを嫌って、カラーコンタクトをつけていましたが、涼子さんはカラーコンタクトが好きではなく、お寺ではいつもはずしていました」


「と、いうことは」


「ええ。身体を白くアルビノにしてしまうということは、涼子さんの「この身体は私のものだ」という意志の表れなのだと思っていいでしょう。そしてその人を殺して……。考えられない事です。あの優しくて穏やかな涼子さんが、罪のない人の命を、次々と奪っていくなんて。……本当に魔性のものと、化してしまったのですね」


「……」


「……」


田所は残ったお茶を、全て飲み干した。


「感傷に浸っている場合ではありません。現に留美子さんの首から上が白くなり、瞳が青くなっています。ご存知でしょうが、このままでは留美子さんは、二日後に亡くなってしまいます。それはなんとしてでも、阻止しなければなりません。留美子さんのためにも。そして涼子さんのためにも。涼子さんに、これ以上罪を重ねさせるわけには、いきませんから」


「田所さんで、大丈夫なんでしょうか?」


心配にあまりに、身も蓋もない質問をする規子に、田所が答えた。


「絶対に大丈夫とは、言い切れません。しかし私は、生前の涼子さんとは、とても仲が良かったのです。そして厳しい修行を重ねて、それなりの法力も使えます。あとは全身全霊で、やるだけやってみます」


「そうですか」


「明日の朝、おたくにうかがいます。明日に備えて、今日は身を清めたいと思いますので。それでよろしいでしょうか」


「……はい」


「……はい」


「わかりました。それでは明日おうかがいします」


「……よろしくお願いします」


「……お願いします」


規子と留美子は、深々と頭を下げた。




マンションに戻ると、想像以上の騒ぎとなっていた。


規子が真っ白い顔で青い瞳の留美子を連れ出した時、複数の人がそれを目撃していたからだ。


マンションの敷地内に入った途端、あちらこちらから声が上がり、気づけば多くの人がベランダや庭から、留美子を恐怖の眼差しで見ていた。


マンションに入ると、声をかけられた。


「留美子ちゃん!」


平田だった。


平田はまっすぐ留美子にむかって歩き、そのまま留美子を抱きしめた。


「なんてこと……ほんとに、なんてことに」


平田は泣いていた。


つられて規子も泣いた。


そして留美子までが、泣き出した。


号泣だった。


規子は留美子が号泣するところを、初めて見た。




仕事を早退して帰ってきた順次は、留美子を見ると、完全に固まってしまった。


「あなた」


規子に声をかけられて、ようやく順次はしゃべりだした。


「……これは」


「見てのとおりよ」


順次はその場に崩れ落ちた。




「で?」


「で?」


「その田所とかいうお坊さん、本当に信用できるのか?」


順次に言われ、規子は正直困ったが、それでも言った。


「信用できるわよ。信用するしかないのよ。他に方法はないし。あの山伏に頼むなんてことは、間違ってもできないし」


「そうか」


留美子は何も言わずに両親の会話を聞いていた。


その顔には、表情らしい表情はない。


いつものことと言ってしまえばそれまでだが、この状況下においてあの無表情は、感心するしかない。


人並みはずれた意思の強さを感じさせるには、十分すぎるくらい十分だ。


――ほんとに。私がこの子以上にしっかりしないと、いけないのに。


規子はもう一つ、順次に伝えた。


「明日、私と留美子と田所さんであの部屋に行くけど、あなたはここで待っていてね。私たちが帰ってくるまで、絶対にここから動かないでね」


「なんだって! 俺はあの子の父親だぞ。こんな時に、娘のそばにいるなと、言うのか」


「田所さんが言ったのよ。できるだけ人数が少ないほうがいいって。人が多いと涼子が警戒して、失敗する可能性が増すって」


「でも俺は……」


順次の言葉の上に、規子がかぶせた。


「娘のそばにいたいという気持ちはよくわかるけど、もしあなたのせいで失敗したなんてことになったら、いったいどうするのよ。そんなことになったら、私はあなたを死ぬまで許さないわよ」


「……」


「わかった?」


「……わかった」


顔に不満の色がありありと出ていたが、順次はとりあえず承諾した。





 八月 二十九日



朝起きると、規子も留美子も起きていた。


というより、ほとんど寝てないようだ。


そういう順次も同じである。


おそらく一時間も眠ってはいないだろう。


三人で朝のあいさつもなく、ただ黙って座っていた。


テレビもつけずに誰もしゃべらないでいると、こんなにまでも静かなのかと思うほどの静寂が、部屋を支配していた。


その時、チャイムが鳴った。


規子がでる。順次は規子の背中越しに、来客を見た。


袈裟を着ている。


間違いない。


田所という男だ。


留美子が呼ばれた。


規子は部屋を出る前に、順次に念押しした。


「たとえ何があっても、私たちが帰ってくるまで、ここで待っていてね。いいわね」


「わかったよ」


その言葉を聞くと、規子は部屋を出た。




三人であの部屋へむかう。


鍵は管理人から借りて、田所が持っていた。


鍵を開け、中に入った。


「! ?」


部屋自体は前に来た時と、なんら変わりがないように思えた。


しかし部屋全体に、煙のようなもの、もやのような白いものが立ち込めていた。


「いますね」


田所が言った。


数珠は手にしているが、それ以外の特別なものは、なにも用意してないようだ。


「見てください。この白い霧のようなものが涼子さんです」


田所はそういうと、両手で印を結び、なにやらつぶやき始めた。


何を言っているのかは、規子には、まるでわからなかった。


かなりの早口の上に、聞き覚えのある言葉が出てこないからだ。


田所は突然高速のつぶやきを止めると、「えい!」の気合とともに、数珠を持った右手を前方につきだした。


「姿を見せろ!」


すると、部屋全体を漂っていた霧のようなものが、田所が突き出した右手の前に、集まってきた。


それらが全て一箇所に集まると、ある形を成した。


それは女子高生。


全体に白黒写真のように白く、後方が透けて見える半透明であったが、セーラー服を着て、長い黒髪が腰まで伸びた女子高生であることは、わかった。


しかしその顔は、女子高生のものではなかった。


鬼か般若を連想させる、人ではない怖いものの顔だった。


そしてその顔で、じっと規子を見ていた。


すると田所が、白い鬼の女子高生に声をかけた。


「久しぶりだね、涼子さん。私だよ。田所光誠だよ」


どこまでもはてしないほどの、優しい声だった。


その声を聞いた途端、半透明の涼子の顔が変わった。


鬼の顔が、わずかだが人間の顔に近づいたのだ。


「涼子さん。私はとても悲しいよ。涼子さんが、何の罪もない人の命を、何人も奪うだなんて。まだ生きている涼子さんの御両親も、このことを知ったら。どんなになげき悲しむことか」


鬼もどきの顔に、明らかな動揺の色が見える。


――ひょっとして。


うまくいくのではないかと、規子は思った。


想いの中に希望的観測があったかもしれないが、規子にはそう見えたのだ。


田所がさらに語りかける。


「かわいそうに。つらかっただろう。悲しかっただろう。悔しかっただろう。見ず知らずの男に殺されて、身体をばらばらにされるなんて。ひどいよね。むごいよね。でもねえ、涼子さん。涼子さんもあなたを殺した小橋と、同じことをしているんだよ。涼子さんのことをまったく知らない人間を殺し、その人の身体を奪っている。それも一人ではなく、何人も。その人たちもつらかっただろうし、悲しかっただろうし、悔しかっただろう。涼子さんは自分がされて心底嫌だと思ったことを、無関係の人たちにやっているんだよ。涼子さんは小橋のことが、憎くはないのかい。憎いだろうね。憎いだろうね。その憎くてしかたがない小橋と涼子さんは、全く同類同種の人間、複製のように同じ人間になってしまっているんだよ。全く同じ行いをすることによって」


とどめの一言だったのだろう。


鬼の顔が見る見るうちに、平凡な女子高生の顔になった。


地味で目立たない女子高生の顔に。


魔性のものとなってしまっていたが、元来は優しくて穏やかな女の子だった。


その優しさを再び引き出しているのが、田所なのだ。


規子は二人の様子を見て、時に涼子の様子を見て、気づいた。


――涼子は田所さんのことが、好きだったんだわ。


いくら宗教に興味があるとはいえ、それだけで最初は中学生だった涼子が、お寺に何年も通い詰めたりするだろうか。
















それは不自然な行動であるとしか、規子には思えなかった。


だが、お寺に恋する男性がいるとすれば、話は変わってくる。


田所は涼子のことを、仲のいい妹みたいな存在として見ていたようだが、涼子は違う。


田所のことを一人の男性、愛する男性として見ていたのだ。


「さあ、このお嬢さんを開放しなさい。そして涼子さんは、行くべきところに行きなさい。いつまでも現世にとどまっていては、涼子さんにとっていいことなど、一つもないよ。お行きなさい」


涼子はうなずくと、右手を留美子にむけてさしだした。


すると留美子の白い顔が元に戻り、瞳も黒くなった。


「留美子!」


規子は留美子に抱きつき、泣き出した。


田所をじっと見ている涼子に、田所が言った。


「さあ、もうお帰り」


その声に促されるように涼子は田所にゆっくりと頭を下げ、そして背中を向けた。


その時である。


「やあやあ見つけたぞ。この怨霊め」


耳障りな甲高い声が聞こえてきた。


見ればあの山伏が、いつの間にか涼子の前に立っていた。


「せっかく護摩焚きで追っ払ったと思っていたのに、また罪もない人に牙をむいたそうだな。今度こそ勘弁ならんぞ。怨霊め、成敗してくれる。覚悟しろ!」


山伏は涼子に向かって、何かを投げつけた。


床に落ちたそれをよく見てみると、それは米だった。


「やめなさい」


田所の制止を無視して、山伏が再び米を投げた。


米が当たった瞬間、涼子が明らかに嫌そうな顔をした。


この山伏、それなりの力はあるようだ。


しかし中途半端な力なら、ないほうがましなのは確かだ。


涼子の顔が、再び鬼の顔と化した。


それも最初に見た鬼の顔ではなく、それとは比べものにならないほどの怒りと憎しみをその目に宿した鬼の顔となっていたのだ。


涼子が山伏に向かって右手を差し出した。


「ぎゃ!」


山伏の身体が宙に浮き、両手両足が、見えない何かに強く引っ張られているかのように、横にぴんと伸びた。


山伏の顔が苦痛にゆがんでいるのが、見える。


鬼の顔が冷たい笑みを浮かべ、その右手を軽く振った。


「ぎゃーーーーっ!」


山伏の左手が一瞬で消え去り、血が噴出してきた。


が、その血も空中で何かに吸い込まれているかのように、消えている。


涼子が再び手をふると、今度は右手が消えた。


血も、左手と同じように宙で消えている。


「涼子さん、止めなさい!」


田所が叫んだが、涼子は無視した。


規子は恐怖が支配する中でも、何とかしようと考えたが、何も思いつかなかった。


「ゴミが」


涼子が初めてしゃべった。


しかしその声は女子高生のものなんかではなく、人間では有りえないほどに強く響く、男の声だった。


山伏の首が消えた。


噴出した血も、両手と同じように消えている。


「おまえなんか、おまえなんか、おまえなんか、おまえなんか、なくなってしまえ!」


残った山伏の身体が、一瞬で消えた。


静寂が部屋を包む。


その静寂を、涼子が破る。


涼子は視線を田所に移すと、言った。


「よくもだましたな」


「いや、違う。私はこんな男は知らない」


「信じていたのに!」


田所の身体が吹っ飛び、壁に張り付いた。


「うわっ!」


そして右手左手、右足左足と次々消え去ってゆく。


「止めなさい!」


思わず涼子に駆け寄った規子だが、見えない強い力に弾きかえされた。


「きゃぁ!」


やがて田所の首が消え、残った身体も消え去った。


山伏と田所の二人が消えたが、身体はもちろんのこと、床には血の一滴も落ちてはいなかった。


「苦しむ時間だけは短くしてあげたわよ、田所さん」


涼子はそう言うと、ようやく立ち上がった規子を見た。


「おまえがあの人を、そそのかしたんだな!」


規子は何か言おうとしたが、何も言うことができなかった。


涼子が規子に近づく。


「待って!」


留美子が、涼子と規子の間に、割って入ってきた。


「きゃっ!」


しかし留美子も、あっという間に吹っ飛ばされてしまった。


壁に叩きつけられ、床に落ちて気を失った留美子を見ていた涼子が、再び規子に視線を移した。


「ゆるさない!」


「……」


「ゆるさない。ゆるさない。ゆるさない。ゆるさない!」


「!」


「死ね!」


その時である。


「待ちなさい!」


力強い声が響いた。


――平田さん?


平田だった。


平田は何の躊躇もなく、涼子の前に立った。


「久しぶりね、涼子ちゃん」


――えっ?


「十七年ぶりね。とはいっても、私が見たのは涼子ちゃんの右足だけなんだけど。涼子ちゃんが生きている間に会ったことはないから、これが初対面ね」


――どういうこと?


平田が涼子と規子を交互に見て、言った。


「私は結婚して性が平田になったけど、旧姓は小橋だったのよ。そう、私は涼子ちゃんを殺した小橋大祐の妹なのよ」


「ええっ!」


規子もそうだが、涼子の顔にも驚愕の色が表れていた。


涼子は小橋大祐に初めて会った日に殺された。


つまり小橋大祐のことは知っていても、その妹のことまでは、知らないはずだ。


憎き人殺しの妹が突然目の前に現れるなんて、想像もしていなかったことだろう。


平田がさらに涼子のほうに、歩み寄る。


「兄が捕まって、唯一残った右足で、涼子ちゃんの葬儀が行われて。私、涼子ちゃんの葬儀に参列したのよ。小橋大祐の妹であることは、隠してね。私が小橋大祐の妹だと知れたら、葬儀場が騒動になると思ってね。兄の真似をして、友人知人の参列者に紛れこんだのよ。誰も気がつかなかったわ。涼子ちゃんの棺の中には、右足しかなかったわ。それがどれだけ悲しかったことか。どれだけ兄を恨んだことか。でもそれは、あくまでも私の立場。涼子ちゃんから見れば、私は憎んでもあきたらない男の、妹なのよ。当然、私のことも憎くてたまらないでしょうね」


平田は床に倒れている留美子を見た。


「留美子ちゃんよりもね」


涼子の形相が変わった。


戸惑いの表情が一変して、荒ぶる鬼となっていた。


涼子は平田に近づき、両手でその頭をつかんだ。


「平田さん!」


平田が背を向けたままで、手で規子を制した。


涼子が言った。


「妹が、妹がいたなんて、知らなかったわ。でもいてくれて、うれしいわ。私を殺した男は、私の力の及ばない遠い場所にいる。復讐したくても、それはかなわない。でもその代わり、男の妹が目の前に現れた。本当に、うれしいわ」


平田の顔が苦痛にゆがんだ。


「恨むなら、兄を恨め!」


平田の身体が吹っ飛び、壁にぶち当たった。


そして留美子の隣に倒れ込んだ。


「平田さん!」


規子が駆け寄ると、平田が顔を上げた。


「!」


その顔は首から上が白くなり、その瞳は青くなっていた。


笑い声が聞こえた。


見れば涼子が笑っていた。


涼子の顔は、もう鬼の顔ではなかった。


何の特徴もない、平凡な女子高生のものとなっていた。


白い涼子がゆらゆらと揺れはじめた。


その白はだんだんと薄くなっていき、そして消え去った。




そのまま涼子の消えたあたりを、長い間見つめていた規子だったが、やがて我にかえった。


「平田さん!」


平田は規子を見て、微笑んだ。


「これでいいのよ。これで。気にしないで。私はけっして留美子ちゃんの身代わりなんかじゃ、ないわ。なにせ、涼子ちゃんを殺した男の、妹なんだから。こうなってしまった以上、これくらいの報いを受けるのは、当然なのよ。それに……」


「それに……」


「兄が涼子ちゃんを殺した時、私は結婚したばかりだったの。夫は最後まで私をかばってくれたけど、夫の親族とは全て切れてしまったわ。私のほうの親族も、みんな私と両親の三人とは、縁を切ってしまって。その心労からかどうかはわからないけど、うちの両親は相次いで病気で亡くなってしまって。一人残って支えてくれていた夫も、事故で……。子供もできなかったし。だから私は一人なの。たった一人なの。だからいいの。これで、もういいの」


「……」


「夫が亡くなった後、このマンションに越してきたわ。涼子ちゃんの菩提をともらうことが、私の残りの人生で唯一やるべきことだと、思ったの。涼子ちゃんのお墓、この近くにあるのよ。もともと涼子ちゃんのお父さんが先祖代々このあたりに住んでいてね、その一族のお墓があるの。私、毎日お墓参りしていたわ。結局そのお墓には涼子ちゃんはいなくて、このマンションにいたわけなんだけど」


「平田さん、まだ二日あるわ。二日あるのよ。あきらめちゃ、だめ。なんとかなる。なんとかなるわよ」


平田をさえぎり、規子は思わず口にした。


この人をこのままにしておけない、と。


なにがなんでも、この人を助けないといけない、と。


そんな規子に、平田が言った。


「だから言ったでしょう。もう、いいの。兄に代わって涼子ちゃんの魂を鎮めるのが、私の役目。右手、左手、左足、胴体、そして私の顔。兄が涼子ちゃんから奪ったものが、全てそろったの。これで涼子ちゃんも、迷うことなくあの世に旅立てるわ」


「でも……」


平田は規子の両手を強く握りしめた。


「これでお別れよ。もう、二度と会うことはないわ。黒木さん。留美子ちゃんと末永くお幸せに。ねっ」


満面の笑みを見せると、平田はそのまま部屋を出た。


規子は追いかけようと思ったが、どうしても追いかけることができなかった。


「うーん」


留美子が目を開けた。


その目は最初、宙をさまよっていたが、やがて規子を見つけた。


「お母さん」


規子は留美子を抱きしめた。


「終わったの。もう、終わったのよ」


規子はそのまま、号泣した。




 八月 三十日


引越し業者が来た。


平田の荷物を引き取ると言う。


平田は姿を見せずに、代理だという男が対応した。


「平田さんは、今どこにいるんですか?」


男に規子が聞いたが、男は「知らない」と答えた。


どうやら本当に、知らないらしい。


なんの期待もせずに管理人にも聞いたが、やはり知らなかった。


――平田さん、どこにいるの?


規子は、今一度だけ平田に会いたいと思った。




 八月 三十一日


規子は目覚めた。


さっそく朝食を作るために、台所へむかう。


やはりここ数日のことで、かなり想像以上に疲れていたのだろう。


身体は重いし、頭はかなりぼやけている。


それは留美子も同じなのだろうか。


明日から新学期が始まるというのに、まだ起きてこない。


――明日から、大丈夫なのかしら。


規子がそう思っていると、先に順次が起きてきた。


夏休みなど、関係のない人間だ。


いつものようにソファーに座り、テレビをつける。


毎日見られる光景だ。


手元に視線を落としていた規子は、何かを感じて顔を上げた。


目の前には順次がいる。


そして順次は、部屋中を見回していた。


規子がそのまま見ていると順次か気づき、呆けた声で言った。


「なあ、この部屋、模様替えしたのか?」


「!」


その時になってようやく、規子も順次と同じものを感じた。


この部屋全体に漂う、はっきりとした違和感を。


それまでは頭がうまく働いていなかったために、気づかなかったのだ。


「留美子!」


規子は留美子の部屋までの短い距離を、全速力で走った。


ドアを開け、中を見ると、留美子がちょうどカーテンを開けているところだった。


部屋に朝の光が満ちる。


その光の中で、規子は見た。


留美子の首だけが、まるで何かをまきつけたかのように、白くなっていることを。


規子は気づいた。南里は首から下が、白くなっていた。


平田は首から上が、白くなっていた。


つまり首だけが、まだ残っていたのだ。


自分を驚愕の目で見る規子を見て、留美子も気づいた。


小走りに姿見の前に立つと、くいいるように自分の首を見つめた。


「留美子!」


留美子が振り返る。


「女の嫉妬って、ほんと、どうしようもないのね」


そう言うと、一粒の涙を流した。




       了

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