千年狩り 子取り鬼

ツヨシ

本編

パリ空港のその日の空は、それはそれは見事なまでの快晴だった。


マリアンヌは、空が青いとそれだけで、とても気分がいい。


この世界がいつもよりも明るく平和に見えるから。


その透き通るように澄んだ空の下で客室乗務員の彼女は、いつものように出社をし、いつものように旅客機に乗り込んだ。


しかし彼女のさわやかなまでに晴れた心は、フライトの間に、完全に曇ってしまった。


いや曇りどころの騒ぎではない。


暴風雨と言っても過言ではない。


その顔つきやあるいはファッションなどで見るからに普通でない客や、そして一見普通の人に見えるがフライト中になんだかのトラブルを起こす客などは、それほどは珍しくはない。


マリアンヌはそのての客の扱いには慣れているつもりだ。


しかし今日飛行機に乗ってきた客は、彼女の十年以上にわたる客室乗務員の経験からしても、今まで一度も見たことのない客だった。


それは団体客である。


そのうちの一人を一瞥しただけであれば、彼女も少なくとも最初は、悪い印象は持たなかったであろう。


むしろ逆に好印象をいだいたかもしれない。


しかし十二人いることが一番の問題だった。


十二人は全員が、見るからに値段のはりそうなブランド物のスーツで身をつつんでいる。


それはみな同じスーツだった。


そしてその十二人は、全員身長が同じだった。


目測ではあるが、おそらく二メートルを少し超えているくらいに見える。


長身だ。


そしてなによりその十二人全員の顔が、ほとんど同じだったのだ。


マリアンヌも今までの人生において、一卵性双生児、いわゆる双子と呼ばれる人達は、何度か見たことがある。


学生時代の同級生にも一組いたし、今住んでいるアパートの一階下の階にも、十二歳の双子の男の子がいる。


だから彼女はその十二人を見たときに、一瞬十二ッ子かと思ったほどだ。


しかし一卵性双生児と比べればそこまでは似ていない。


かといって一般的な兄弟と比べれば、かなりにている部類にはいるだろう。


そういう微妙というか中途半端な似かたである。


年齢は全員二十五歳くらいだろうか。


そんな十二人が飛行機の座席の一角に、集まって座っているのである。


輝く金髪は長くもなく短くもなく、きれいにカットされている。


そしてその顔といえば、かなり整った顔をしていた。


美男子といっても、少しもさしつかえはないだろう。


マリアンヌは、ハリウッドスターのブラット・ピットに少し似ていると思った。


おまけにその十二人は、十時間以上にわたるフライトの間、まるで仮面のように固まった表情のままで、ずっと前方の一点を凝視し続けていたのだ。


どう見ても血族の集まりとしか思えないにもかかわらず、お互いの会話と言うものが一切なく、全員が沈黙の行を頑なに守り通した。


トイレにも一度も行かず、食事も飲み物もなにひとつ取らず、客室乗務員が何度話しかけても完全に無反応である。


膝の上に両手をきちんとそろえておいたままで、眉一つ小指の一本すら動かさない。


まばたきでさえ普通の人間と比べると、明らかにその回数が少ないように思えた。


シートベルトも最初から最後まで、きちんとしめたままだった。


最初に歩いて自分の席に行く姿を見ていなければ、きっと人間の変わりに人形が置いてあると思ったことだろう。


そしてその十二人全員から、人間が本来持っている生気とか生命力いうものを、見れば見るほど、感じとることができなかった。


マリアンヌは子供の頃から人一倍感受性が強かった。


いわゆる善人とは言えない部類の人達から、悪い波動を感じてしまうことが、多々あった。


しかし多少のことであれば、もうとっくの昔に慣れっこになっていた。


しかしその十二人の波動はそんなマリアンヌでも、今までに一度も感じたことのないたぐいのものだった。


それは人間ではなく、何か別のもののような気がした。


それを的確に表現することは難しいが、とにかく普通の人間とはかなり違う感じだ。


その上、驚くほどによくない波動だった。


そしてそれは悪しきものにはちがいないが、その量は少なかった。


最初はすぐには気がつかなかったほどに。


しかし量ではなく、その質のほうが問題だった。


それは少ないながらも異常なほどに濃密で、信じられないほどに強力だったのだ。


もし例えるならば、たった一滴で万人もの人間の命をうばうことの出来る極めつけの猛毒のようなもの。


マリアンヌにはそれらは、醜悪で陰鬱な黒いもやのように感じられた。


それも意思を持ち生きている、悪しきもやである。


マリアンヌはフライトの間どんどん気分が悪くなり、そのうちに頭痛や吐き気までもよおすようになっていった。


そして――もう限界――と思われた頃、飛行機がようやく日本に着いた。


その十二人は、他の乗客たちや客室業務員たちの視線をいっせいに浴びながら、まるでロボットのような動きで機を降りていった。


「やっと降りたわね。いったいなんなのよ、あの気味の悪い団体は。あんなの今まで見たことがないわ」


そう毒づく同僚の横で、マリアンヌはその場に崩れるように倒れた。




九龍龍夜と九龍ゆづきの二人の住む神社の前で、日本刀を振り続けている男がいる。


新米もののけ狩り師の二階堂進である。


振っているのは魍魎丸であった。


その昔に土地神と妖怪が合体し、そのまま日本刀に封印されたもので、生きている日本刀である。


二階堂は休むことなく、ひたすら魍魎丸を振り続けている。


その時神社の前にある石段を、一人の少年が小走りで登って来た。


九龍龍夜である。


長い黒髪で眼の大きな美しい少年である。


龍夜が二階堂に言った。


「よお、おっさん。頑張ってるね」


二階堂は答えなかった。


一心不乱に魍魎丸を振っている。


二階堂が、本来は龍夜が使用すべき魍魎丸を使って剣の修行にはげんでいるのには、もちろんちゃんとした訳があった。


それは前回のドラゴンの子との戦いにおいて、龍夜が右手を火龍に左手を水龍に変化させ、九龍一族の秘術である龍変化の術を習得したからに他ならない。


両手を龍に変化させてしまえば、逆に魍魎丸は扱えなくなる。


もしそうなってしまえば、魍魎丸を使う人間がいなくなってしまう。


魍魎丸は自ら動くことができ、前回の戦いにおいてもその能力が役に立ったこともあるが、やはり剣術に優れた人間が使うほうが、その戦闘能力はより高くなる。


したがって普通の敵の場合は龍夜が魍魎丸を使うが、敵が強くて龍夜が龍変化の術を使う時は、二階堂が魍魎丸を扱うことになったのである。


そういった事情で、二階堂が魍魎丸を振って修行にはげんでいるのだ。


魍魎丸は普通の日本刀と比べれば、桁違いに強力な武器である。


それは魍魎丸が生きているからに他ならない。


ただ生きているがために、魍魎丸とそれを扱う者との呼吸がぴたりと合わなければ、逆に普通の日本刀の方が使い勝手が言いということになり、結局宝の持ちぐされになってしまうおそれがある。


今二階堂は、なんとか魍魎丸の癖と言うか生きたリズムをつかみ、それに合わせようとけん命だった。


そして魍魎丸はといえば、普段はかなりマイペースな性格であるが本来は生真面目な心の持ち主でもあるので、二階堂のリズムを習得しようとこれまた真剣に取り組んでいた。


龍夜もそのへんのところは、ちゃんとわかっていた。


だから二階堂が、まるで彼の言ったことを無視するかのように返事をしなかったにもかかわらず、いつもなら間違いなく入れているであろう派手なツッコミを、いっさい入れなかった。


ただ一人と一匹を静かに見守っていた。


やがて二階堂が「ふうっ」と大きな息を一つつく。そしてようやく龍夜の存在に気がついた。


「おう、来てたのか。いつのまに。全然気がつかなかったな」


龍夜が笑いながら答えた。


「来てたのか、じゃねえだろ。さっきちゃんとこの俺様自ら直々に、有り難くお声をかけてやったんだぜ。それなのに無視するなんてよお。おい、おっさん、いつからそんなに偉くなったんだい」


「いや、すまんな。さっきも言ったが、練習に夢中で全然気がつかなかったんだ」


「それはわかってるぜ。だからその後は、黙ってご静観していたところだぜ」


「そうか、それで何の用だ」


「おいおい、おっさん。何の用だ、はねえだろう。ここは俺の家だぜ。おうちに帰って来ただけじゃねえか。全く、何言ってんだよ。まさかその年で、もうボケが始まったんじゃあないだろうな」


「いやいや、ボケてるわけじゃあないんだが……」


その時、神社にある左側の小さな引き戸が開いて、中から十歳くらいの少女が出てきた。


その少女の服は、基本的には神社の巫女が着る衣装ではあるが、それに比べると少々派手な印象を受ける。


それは袖のところに赤いラインが二本あり、全体に赤い小さな花がちりばめられているからである。


そしてその少女は驚くほどに美しかった。


龍夜に負けず劣らず大きな眼で大きな黒い瞳の少女だ。


九龍ゆづきである。


「龍夜様、おかえりなさいませ。二階堂様、ごせいが出ますね。本当にご苦労様です」


「おい、ゆづきよ、わしもこのへたくそにずっと振り回されて、十分に疲れておるんじゃがのう」


「あら、魍魎丸。それは気がつきませんでした。どうもお疲れ様です」


二階堂が少し口をとがらせる。


「おいおい魍魎丸、へたくそはないだろう、へたくそは。これでも昔は、剣道の全国大会に県の代表で出て、いいところまでいったんだぞ」


「そんな大会がなんじゃ。何であろうと、へたくそはへたくそじゃ」


龍夜が便乗してきた。


「そうそう、へたくそはへたくそだぜ。それ以外のなにものでもないぜ、へたくそおじさんよ」


ゆづきが少しばかり強い口調で言った。


「龍夜様、魍魎丸。もうそれくらいになさい」


「……」


「……」


二階堂が笑い出した。


「龍夜も魍魎丸も、相も変わらず、ものの見事にゆづきの尻にしかれているなあ」


「おい、おっさん、うるせえぞ」


「そうじゃ、うるさいわい」


「龍夜様、魍魎丸、もういいかげんにしなさい」


「……」


「……」


二階堂はおかしくてたまらなかった。




市の中心から少し離れた場所、高い山のふもとにあたる所に大きな集合団地がある。


そこに住む主婦の松田かおりは、赤ん坊をやさしくあやしていた。


周囲の反対をものともせず、夫と駆け落ちまでして、ようやく手に入れた家庭であり我が子である。


そんな大恋愛の末に結婚した彼女は、今十二分に幸せだった。二人の愛の結晶である我が子は、まだ四ヶ月だ。


その小さな女の子が、彼女は愛しくて愛しくてたまらなかった。


その愛娘は、今は小さな寝息をたてている。


――ふうっ、やっと寝たわ。あら、もうお昼だわ。どうりでお腹がすくわけね。お昼ごはんのしたくしなくちゃ。


彼女は台所に行くと、自分の昼食の準備を始めた。


とは言っても夫は会社に行っており、彼女一人が食べる分だけを作ればよかった。


だからいつものように少し多めに作っておいた朝食を、電子レンジで暖めなおすだけである。


彼女が赤ん坊のそばを離れたのは、ほんの四、五分のことだっただろう。


愛娘の可愛い寝顔を見ながら食事をしようと思い、お皿に乗せた昼食を持って、赤ん坊の所へと戻ってきた。


最初の数秒間は、彼女にはそれが何を意味しているのか、いったい何が起こったのか、まるで理解できていなかった。


あまりにも思いがけないことが起こったからだ。


ただじっとベビーベッドを見ていた。


そのベビーベッドの中には、赤ん坊はいなかったのである。


彼女はようやく事の重大さに気がつき、小さな叫び声をあげた。


思わず両手で口を押さえた松田かおりの手から、二枚のフレンチトーストが落ちた。




その日の夜、各局のテレビのトップニュースは、全て同じ事件を扱っていた。


とある市の郊外にある大きな集合団地において、そこに住んでいた赤子や幼い子供たちが、何人も同時にその姿を忽然と消した事件である。


その事件は、まるで雲をつかむような話だった。


その子供達の家族――とは言っても全員その場にいたのは母親一人であったが――がいるアパートの部屋の中において十二人もの子供達が、文字どおり煙のようにかき消えてしまったのである。


母親達はみな同じ証言をしていた。


自分が子供達から目を離したのはほんの数分のことであるし、怪しい人影など誰一人見なかった、と。


誰かが侵入した形跡が全く見あたらない状況の中で、下は三ヶ月の男の子から上は四歳の女の子まで、十二人もの子供達が泣き声をあげる暇もなく、いきなり消えてしまったのだ。


事件からまだ半日も経っていないとはいえ、その時点で警察は何一つわからず何一つ発見できず、まさにお手上げと言う状態になっていた。


日中のことではあるが、最近このアパートで空き巣の被害が出たこともあって、用心のためにすべての部屋に鍵がかかっていたという中で、犯人は赤ん坊を難なく連れ去った。


部屋の鍵を開けることもなく、家人に目撃されることもなく、一切の証拠を残していない。


いったいどんな奴が、いったいどんな方法を用いて、子供達をさらっていったと言うのか。


警察は皆目検討がつかずにいた。




龍夜は、いつもゆづきが座っている部屋のさらに奥にある部屋で、ゆづきといっしょに夕食をとりながら、テレビのニュース番組を見ていた。


その部屋は元々は日本間の六畳間の部屋であったが、龍夜が「畳の部屋は、なにかと不便で使いづらいぜ、ゆづきよお」とか言い張ったので、畳の上にわざわざホームセンターで買って来たフローリングの板を、部屋全体に敷き詰めている部屋である。


普段は龍夜が自分の部屋として使い、彼が寝るのもその部屋だが、食事だけは朝、昼、晩と、そこでゆづきと二人でとるのが習慣になっていた。


それはゆづきがいつも座っている広い日本間は、ゆづきの部屋であると同時に客間でもあるがために、食べ物などで汚さないようと考えられたものである。


龍夜がテレビを見ながら、ついでに言えば口の中にまだ食べ物をほおばったままで、ゆづきに言った。


「ゆづき、もぐもぐ、この事件、どう思う」


しばらく考えた後で、ゆづきが答える。


「おそらく、人間の仕業ではございません」


「やっぱりおまえもそう思うか。俺もそう思う。で、もぐもぐ、何か感じるか」


「いえ、今のところは、何も感じませぬ」


「そうか。まだ始まったばかりのようだしな。まあ無理もないか。で、何か感じた時は、つものように頼むぜ」


「はい、わかりました、龍夜様」


「それにしても、ど派手なもののけだぜ。あいつら普通は、人間に自分の存在を知られないように気を使うものだが。全国ニュースのトップで取り上げられているぜ。それでいいのか、もぐもぐ、ほんとに」


「……」


テレビでは、ニュースはすでに次の話題へと写っていた。


しかし二人は何も言わずに、そのままテレビの画面に見入っていた。




翌日、龍夜達のところに、一人の男が訪ねてきた。


二階堂進である。


「おーい、いるのか」


その声を聞いて、神社の左側の小さな戸を開けて、龍夜が顔だけ出してきた。


「えーと、あのう、どちら様でしょうか。今はおとうさんがいないんで、僕、何にもわかりません」


「……とにかく、今回の件について話をしに来た。中に入るぞ。……で、おまえ、平日の昼間からしっかり家にいるけど、学校にはちゃんと行っているのか」


「学校? おじちゃん、何それ。食べられるの? おいしいの?」


「まあ、とにかく入るぞ」


「はーい、ようこそいらっしゃいました。ウエルカム・マイハウス。ダンディなおじ様一名ご案内」


二階堂はそれ以上の返事はせずに、そのまま中に入った。


いちいち返事をしていたのでは、いつまでたっても終わらないからである。


中にはいるといつものようにゆづきが座っていた。


「ようこそおいでくださいました、二階堂様。どうぞおあがりください」


日本間にあがると、すでに紫色の座布団が二枚用意されていた。


二階堂はその右側の座布団に座った。


「ゆづき、さすがだな。不意に訪ねてきたというのに。この俺が来ることが、わかっていたみたいだな」


「はい、わかっておりました」


龍夜が左側の座布団に座った。


二階堂が最初に来たときに、右側の座布団に座ったのはほんの偶然であったが、それ以来二階堂が右の座布団、龍夜が左の座布団を使うという、暗黙の了解がいつのまにかできあがっていた。


「時間がない。仕事の途中だ。早速本題に入るとしよう。今回の件、子供達が一度に何人も煙のように消えてしまった事件だが。俺はこれには、なにかあやかしの物がかかわっていると思うんだが。ゆづきはどう思う」


「はい、おそらくあやかしの物がかかわっていると思われます」


「で、何かわかったのか」


「はい、とは言ってもほんのわずかでございますが」


龍夜が口をはさんできた。


「ゆづきは少し前に、まだ何もわからない、と言っていたが」


ゆづきがやんわりと答える。


「はい、おっしゃるとおりです、龍夜様。それはあの時は、本当になにもわかっておりませんでした。ただあの後でございますが、ほんのわずかばかりではありますが、視えたものがございます。そして今日、二階堂様がお見えになることがわかりましたので、二人の視たものを会わせまして、龍夜様に報告したほうがよろしいかと思いまして、あえて申さずにおりました」


九龍ゆづきと二階堂進。二人はともに、その能力に多少の違いはあるものの、ある種の透視能力及び予知能力を備えていた。


ゆづきはそれを〝視る〟と称し、二階堂は〝カン〟と呼んでいたが、最近は二階堂がゆづきに倣い、自らの能力を〝視る〟と言うようになっていた。


龍夜がわかりやすくすねた口調で言った。


「ふーーん、二人の視たものね」


ゆづきが軽く笑って言った。


「はい、二階堂様も何か視えたものがあるようでございます。そして二階堂様と私の視たものでは、少しばかり違っているようでございます」


「俺とゆづきの視たものは、違っているのか」


「はい、違っております」


「そこまでわかるのか。さすがだな。ではここは先輩もののけ狩り師の顔を立てることにしようか。ゆづきの視たものを、先に言ってくれ」


「はい、わかりました、二階堂様。お言葉に甘えまして、先に申し上げます。私の視たものは、ただ一つです。それは「上に十二人」でございます」


龍夜が少し早口で聞いた。


「上に十二人? 十二人というのは今回の敵の数だと思うが、上に、と言うのは、いったいどういう意味だ?」


「龍夜様、残念ながらそれはわかりませぬ。言えるのは、私が見たものは、上に十二人。ただそれだけでございます」


二階堂が二人の顔を見比べた。


「俺が視たものは「真ん中に一人、そして下に十数匹、あるいは数十匹」というのを視たんだが」


龍夜がしばらく考えた後に再び口をはさむ。


「二人の話を合わせると、上に十二人、真ん中に一人、下に十数匹、あるいは数十匹ということになるな」


「そうだな。いったいどういうことだろう」


「私は、上に十二人、ということが視えておりましたが、その、上、と言う意味が、その時はよくはわかりませんでした。しかし今二階堂様が、真ん中に一人、下に十数匹、あるいは数十匹と言われたのを聞きました。この二つを合わせますと、私が考えるにはおそらく、ある種の組織図ではないかとおもわれますが」


龍夜が言った。


「組織図というと、それは会社とか、あるいはなにかの団体とかに、よくあるようなやつか」


「はいそうでございます、龍夜様。まだ推測の段階ではありますが、おそらく前の戦いにおけるドラゴンの子のような存在が十二人いて、そしてその下に一匹、さらにその下に多くのもののけ達が、十二人の部下として存在しているのではないかと思われます」


「そうか、わかった。おそらくゆづきの言うとおりだろうな。真ん中とか下とか、俺もここに来るまではゆづきと同じで、その意味がよくわからなかったんだが、ようやくわかった。もののけどもの組織図だったんだな」


龍夜が少し考えた後で言った。


「そうだとすると、上、中、下全て合わせると、その力はよくわからないが、とにかく数は多いな。多分これは忙しくなるぜ。ゆづき、ご苦労だがまた探ってくれ。で、おっさんも、ついでにな」


「俺はついでかい」


「まあまあ二人とも、それくらいにしてくださいませ。龍夜様、何かわかりましたら真っ先にお知らせいたします」


「はーい、よろしくな」


「俺も署に戻って、仲間から情報を集めてくる。はっきり言って、あまりあてにはならんが」


「おっさんは調査してないのかい」


「俺は殺人課の刑事だ。先のことはともかく、今は管轄外だ」


「またあ、管轄外だなんて。これだから公務員はいやなんだよなあ」


「おい、民間だってどこだって、管轄くらいはあるだろう」


「もう二人とも、おやめなさいと言っていますのに」


「はーい、かわいいゆづきちゃん、わかりましたーっ」


「もうほんとに、こいつだけは。::で、話は変わるが、龍夜、ゆづきもだが、気になることがあるんだが。お前たち、特にゆづきだけど、学校へは行ってるのか?」


「学校? それどこの名産品? 今度持ってきてね」


「聞いた俺がバカだった」


ゆづきが少し恥らいながら答える。


「二階堂様、すでに龍夜様からお聞きになっているかもしれませんが、私達二人は、住民登録をしておりません。法律上は日本国民ではないのです。したがって学校へも行っておりません」


二階堂が半ばあきらめたかのような顔をした。


「まあ本来ならそんな奴は、ちょっと署まで来てもらうんだが、お前たちなら仕方がないかな」


「おーい、ゆづき。おえらい刑事さんから、ご公認をいただいたぞ。ありがたくちょうだいしとこうぜ。これで大手を振って、不法滞在できるぜ」


「こら、別に公認したわけではないぞ。見なかったことにするだけだ」


「まあまあ龍夜様も二階堂様も、どうかそれくらいでお願いします」


「わかってるよ、ゆづき。それじゃあ今日はこのへんでな。相棒が首を長くして待ってるからな」


「ああ、あの愛しい愛しい美少年の笹本君ね」


「……じゃあゆづき、またな」


「はい二階堂様、またのおこしをお待ちしております」


「おいおっさん、この俺にはお別れの挨拶は、なしかい」


二階堂は龍夜を無視して、軽く笑いながら部屋を出て行った。


後には龍夜とゆづきが残された。


「なあゆづき、相手がどんな奴か、今はよくわからないが。とにかく今回は忙しくなりそうだな」


「はい龍夜様、本当に忙しくなると思います」


「わかった。まあ、とりあえずがんばってみるか」


「はい、龍夜様。ご活躍を期待しております」


二人は顔を見合わせた。そして微笑んだ。


この時二人は、今回の相手がどれほど危険な相手であるのか、全くわかっていなかったのである。




はるか人里を離れた山奥。そこに高くそびえる崖がある。


そこに突然大勢の人間が、何の前触れもなくどかどかとおしかけて来た。


背の高い白人の男性で、全員高級ブランドのスーツを着ている、ほとんど同じ顔をした集団である。


そしてその数は十二人だった。


全員まるで能面のように硬い表情で一言もしゃべらず、それでいてみんなでまわりを探るかのように見わたしていたが、やがて何かに納得をしたのか、お互いに顔を見合わせた後、にたり、と笑った。


その笑いは、仮に人間だとしたらとても不自然、と言うより絶対にありえない笑い顔であった。


笑った途端にそれに伴って、それまでそれほど大きくなかった口が耳の近くまで裂けた。


それと同時に両の目が、一気に大きく左右に動いた。


どちらかと言えば寄り目であったその目が、逆にその間隔が大きく開いたのだ。鼻の穴もむくむくと広がり、何倍もの大きさとなった。


その顔の動きは、人間の筋肉はもちろんのこと、骨格でさえも完全に無視しており、顔全体がナメクジのような軟体動物のようにぬめぬめと動き、とても人間業とは思えないものである。


その十二人はしばらくお互いの顔を見ながら、声を一切発することなく笑っていたかと思うと、やがて先頭にいた一人が、その顔のままで崖にぽっかりと開いた穴の中に入っていった。


残りの十一人が後に続く。


全員が入ってしばらくした頃、中から淡く白い光が漏れてきた。

 



市の郊外にある住宅団地。


少し前に十二人もの子供達が突然消えうせた住宅団地とは、市の中心から見れば反対の方向にある団地である。


そこに住む稲葉幸子は、一息ついていた。


ぞっとぐずっていたまだ三ヶ月の我が子が、ようやく寝息をたててくれたからだ。


――ふう、やっと寝たわ。今日は時間がかかったわね。それにしても、ほんとのどが渇いたわ。


彼女は台所へと向かった。


そして冷蔵庫の扉を開けようとした時である。


バン


玄関で大きな音がした。


その音は彼女には、玄関の戸が勢いよく開けられた時の音のように聞こえた。


――えっ、なに? いや、そんなはずはないわ。


そんなことはありえないはずだった。


このアパートと同じ市内にあるアパートで、子供が十二人も跡形もなく消えるという事件があったばかりだ。


その上この界隈は、最近スーツを着た怪しげな訪問販売員が、何人もうろうろしている。


だから稲葉幸子は玄関には二重に鍵を掛け、その上にチェーンまでかけていた。


だからその扉が思いっきり開かれることなど、絶対に考えられないことである。


――まさか、強盗?


彼女はおそるおそる玄関に近づいて行った。


その時彼女の前を、誰かがとてつもない速さで駆け抜けて行った。


そして瞬間立ち止まった後、同じスピードで赤ん坊の寝ている部屋へと入って行く。


一瞬見えたその姿は、全身黒づくめの若い男だった。


――まさか、うちの子を!


彼女は走った。


そして男の後を追って部屋に入った。


そして見た。


六畳ほどの部屋の入り口に、男が彼女に背を向けて立っている。


その先に赤子の寝ているベビーベッドがあるのだが、そこにも誰か、いや何かがいた。


その何かはベビーベッドの上で、赤ん坊を両手で抱えていた。


その身長は一メートルくらいだろうか。


姿かたちは一応人型ではあるが、小さな子供のような体つきの上に、その体の割には異様に大きな頭が乗っていた。


身長の三分の一近くが頭で占められている。


そしてその顔と言えば、人間と同じように目と鼻と口はあったが、明らかに人間の顔ではなかった。


その目は、テレビのミステリー特集などに出てくるグレイと呼ばれる宇宙人のアーモンド形の目に、そっくりな形をしていた。


ただ宇宙人のように目の中全体が真っ黒ではなく、白目の部分が多くて中に濃い緑色の瞳があった。


鼻は童話に出てくる年おいた魔女のように大きく曲がった鉤鼻で、口は耳まで裂けており、その両端に一本ずつ大きな牙が生えている。


彼女はあまりのことに声もでなかった。


その時男が動いた。


赤ん坊を抱いている明らかに人間でない何かに、すうっと近づいて行く。


そるとその怪物が抱えている赤ん坊といっしょに、淡く白くひかりはじめた。


そしてその淡い光が強く輝いたかと思うと、怪物も赤ん坊も一瞬で光とともに、目の前から消えた。


すくなくとも彼女にはそう見えた。


ところが次の瞬間彼女が見たものは、男が左手を高々とさしあげているところだった。


男の左手の先に、赤ん坊と怪物がいた。


男がその手で赤ん坊の産着をつかんでいたのだ。


その怪物も赤ん坊の産着を両手で抱えていたが、やがてその手を離したかと思うと、ぴょんと飛んで天井にヤモリのようにへばり付いた。


そして再び淡く白くひかりはじめ、強く輝いた直後、あっと言う間に彼女の視界から消えた。


その時彼女は、男が右手に日本刀を持っていることに気がついた。


男がその日本刀を無造作に手から離す。


するとその日本刀は、下に落ちるどころか信じられないことに、弾丸のように、隣の部屋に向かって飛んでいった。


「キャン!」


次の瞬間、まるで子犬を踏んづけたかのようなかん高い声が聞こえてきた。


彼女が声のしたあたりを見ると、そこには先ほどの怪物が天井に張り付いており、その怪物の背中の真ん中を、飛んでいった日本刀が貫いていた。


彼女が見ている前で、怪物の体が淡く白く光始めた。


するとその光はいくつもの小さな弱い光の集まりになり、そして煙のようなものになったかと思うと、その煙もだんだんと薄くなっていき、やがて完全に消えてしまった。


同時にその醜く小さな怪物も消えさっていた。


男は左手でつかんでいた赤ん坊を両手で抱くと、優しくゆっくりとベビーベッドに戻した。


そして隣の部屋へと移動して、天井に刺さっている日本刀を引き抜くと、彼女のほうへ振り返った。


幸子はずっと背中を向けていたその男の顔を、その時初めて見た。


やはり若い男である。


年齢は十五、六歳といったところか。


まだ少年と言っていい歳だ。


長い黒髪に大きく黒い瞳の目。


そのややつりあがった力強い眼を除けば、どちらかと言えば少し女性的な顔立ちをした美しい少年だ。


そしてその体はかなり細身だった。


九龍龍夜である。


幸子は、突然現れてわけのわからない怪物を倒したその少年を、全く怖いと思わなかった。


少年の全身から発する力強くて暖かいオーラを感じていた。


そして彼女は、自分の大事な我が子の命をこの少年が助けてくれたことを、その目撃した状況からではなく、全て本能で理解していた。


――この人にお礼を言わないと。


彼女は龍夜に歩み寄った。


その時龍夜が左手を上げた。


その指は何かをつかもうとしているかのように大きく開かれ、彼女の額のあたりに向けられている。


彼女は立ち止まり、その手を見ていた。


すると龍夜が言った。


「あなたは何も見なかった。あなたは何も聞かなかった」


そういった後、手を彼女の額の前から離した。


そして何かを確認するかのように彼女の瞳をじっと見た後、納得したのかそのまま部屋を出て行った。

 



稲葉幸子はふと我に返った。


――あらっ、私、いったい何をしていたのかしら?


彼女は考えた。


しかし何も思い出せなかった。


そして彼女は何かに惹かれるように、とても大切なものがそこにあるかのように、天井を見上げた。


そこには小さくて細長い穴が一つ、ぽつんと開いていた。


――あらっ、なんであんなところに、あんな穴が開いているのかしら?


彼女は考えた。


懸命に考えた。


しかし何ひとつ思い出すことは出来なかった。




高い崖に黒くあいた洞窟の前を、一人の男が歩いている。


スーツを着た背の高い白人男性である。


その手には大きな紙袋を持っていた。


その紙袋の表面は、ぼこぼこといびつに膨らんでいた。


男は洞窟の中に入って行った。


そこはどうやら天然の洞窟のようだ。


穴の高さは二メートルもはないだろう。


男は身をかがめながら洞窟の中を進んだ。


しばらく洞窟を進むと、穴の大きさが入り口のところよりも大きくなっていった。


その男が身をかがめることもなく、ゆっくりと歩けるくらいの大きさだ。


そしてその先にかなり広い空間があった。


その形はほぼ楕円形で、広さが体育館くらいはある空間である。


その空間のほぼ真ん中に垂直な縦穴があった。


その底は暗くてよく見えず、深さは計り知れない。


男はその穴の淵に立ち、、紙袋の中身を中にぶちまけた。


それはばらばらになった小さな人骨であった。


その人骨は穴の底まで落ちていった。


男が穴を覗きこむ。


そのまましばらく見ていると、男の目が白くぼんやりと光った。


男は何かに満足したかのように、やがてその場を立ち去った。




二十畳はある日本間の奥の真ん中に、巫女の衣装を着た少女が座っている。


九龍ゆづきである。


その前の障子を開けて、一人の少年が部屋に入ってきた。


九龍龍夜である。


「おかえりなさいませ龍夜様。お疲れ様でございます」


「ただいまー、ゆづき。いやーほんとに疲れたぜ。なにせ数が多いからな。昨日は三匹、今日も三匹。合計六匹やっつけたぜ。でもまだまだいるんだろう」


「はい、正確な数字はわかりかねますが、おそらくまだゆうに十匹以上はいると、思われます」


「やれやれかんべんしてほしいぜ。一匹一匹はたいして強くないいんで助かっているが、それにしても多いよなあ。だいたいもののけどもは普通、あまりつるんだりしないから、団体戦になることはほとんどないんだが。一回のもののけ狩りにおいてこんなにも数が多いのは、おれの経験からすればいままでで断トツだろうな。::ところで、ちょっとゆづきに聞きたいことがあるんだが」


「はいなんでしょう、龍夜様」


「最初に奴らが子供をさらった時は、十二人もいっぺんにさらっていった。しかし昨日も今日も、奴らがさらおうとした子供はたった三人づつだ。それも一人づつ、順番にだ。おかげで一人の子供もさらわれることなく、奴らをみんな倒すことが出来た。十二人もいっぺんにさらわれたら、いくらなんでも間にあわなかっただろうからな。俺は体が一つしかないからな。でもなんで二日連続で三人づつなんだろう。最初のときのように、いっぺんにたくさんさらおうとしないんだろうか」


ゆづきが考える。


「それは……おそらく」


「おそらく……なんだ」


「まだよくはわかりませんが。でもある種の意図、なにか明確な思惑のようなものが感じられます」


「意図……思惑か」


「はい、龍夜様。少なくともあやつらは、自分達の仲間が殺されていることは、もうすでに知っているはずです。龍夜様が今倒しているもの達は、おそらく二階堂様の言われた、下に十数匹あるいは数十匹のことだと思われます。それほどの数がいるにもかかわらず、数でたたみみかけるようなことはせずに、三匹づつで子供達をさらおうとしているのは、何か考えがあるに違いありません。それは多分こちらの出方を、特に龍夜様の正体をさぐっているのだと思われます」


「俺の、正体ね」


「はい、そう考えるのが自然かと思われます」


「……なるほどね。様子を見ていると。俺がいったいどんなやつかを、見極めようとしていると」


「はい、そうでございます」


龍夜はしばらく考えていた。


そしてゆづきに言った。


「それじゃあゆづき、俺は今後いったいどうすればよいと思う」


ゆづきが再び考える。


そして龍夜に言った。


「龍夜様はいままでどうりでよいと思われます。あいつらの思惑がどうであれ、私達はもののけ狩り師でございます。あやかしの者達から子供達を救うのが、一番重要ではないかと思います。いずれむこうからなにかを仕掛けてくることは、十分に考えられます。何かを仕掛けてきたなら、当然あやつらの情報がわかると思います。それを元に動いたほうが、先に闇雲に動くよりもよろしいかと思われます」


「わかった、ゆづきの言うとおりにしよう。今回の敵はその数はともかく、ドラゴンの子みたいに厄介な敵ではなさそうだからな。その話はとりあえず置いといて、今直接子供達をさらっている奴ら、下の十数匹あるいは数十匹の奴らだが、あいつらいったい、何者なんだ」


「龍夜様は直接ごらんになられましたね」


「ああ見たさ。見たけどじぇんじぇんわからないな。お友達でも近所の人でもないし。西洋のもののけであることは間違いないとは思うが」


「私も〝視る〟ことができました。同時に感じることもできました。下の者達はそれほど邪悪な存在ではないように思われます。推測ですがおそらく、上の十二人に使われているだけのようです。私が視たことと感じたことを併せて考えますと、あの者たちは「悪鬼」あるいは「いたずら小鬼」と呼ばれている存在ではないかと思われます」


「いたずら小鬼?」


「はい、ヨーロッパで使われている名前はゴブリンでございます」


「あれがゴブリンかあ。子供の頃絵本で読んだな」


「はい、ゴブリンです。そのゴブリンですが、もともとは妖精に近い存在でございました。実体があってないような、そんな幽霊のような存在でした。しかし長い年月の間に、より実体をもつようになっていき、今では幻獣と呼ばれる存在になっております。そして元々は邪悪なものではなくて善なる存在でしたが、これも長い年月の間に変化してしまい、今では少しばかりではありますが、悪しき存在になっています。それでもそれほど悪しきものではございません。人間の子供をさらうような明確な悪行はいたしません。ただのいたずら好きと言ったほうがよろしいかと思われます。ですから上の十二人に使われていると思ったのでございます」


「そうか。それでは上の十二人についてだが、何かわかったことはあるのか」


「まだよくはわかりませぬ。極めて邪悪な存在であることは間違いのないようですが。いわゆるただのもののけとは、少しばかりちがうようでございます」


「どう違うんだい」


「おそらくゴブリンと同じく、もともとは妖精、あるいはそれに近い存在だったのではないかと思われます」


「そうか、元々は妖精、そして今は幻獣。確かに今まで相手してきたもののけどもとは、少しばかり違うようだな。それでゴブリンどもは、飛ぶことができるんだ」


「飛ぶ……と言いますと?」


「わかりやすく言えば瞬間移動かな。その距離は短いが。めいいっぱいがんばってみても、せいぜい十メートルくらいしか飛べないようだが」


「……そうですか。飛びますか。申しわけありません。龍夜様が気づかれているのに、この私が気づかないなんて」


龍夜が軽く微笑む。


「いやいやゆづきが悪いんじゃない。相手は元が妖精だ。ゆづきが視えにくいのはあたりまえだ。なにせ元々は実体のはっきりしない存在だったんだからな。それに俺が気づいたと言うのは間違ってるぞ。俺はこの目で直接見たんだからな。あれなら子供でもわかるさ。あやまらなくてもいいぜ。俺だって出来ないことは、山ほどあるさ。ゆづきのように視ることは全然出来ないし。お互い人間なんだからな。神様じゃないんだから」


「はい龍夜様、お気遣いありがとうございます」


「もうその話は終わりにしような。それにしても腹がへったなあ。ゆづき、飯にしてくれないか」


「はい、わかりました、龍夜様」


ゆづきが慌てて立ち上がり、いそいそと台所にむかう。


龍夜はその後ろ姿を黙って見送った。

 



広い洞窟の中に、十二人の長身の白人男が集まっている。


最初十二人はなにも言わなかったが、そのうちに一人の男が隣にいた男に話しかけた。


しかしその男は口も開かず声も発せずに、直接相手の脳の中に話しかけていた。


〝もう六匹もやられちゃったみたいね〟


それは一種のテレパシーのようだ。話しかけられた男が答えた。


〝ああ、例の奴だね〟


別の男が会話に加わってくる。


〝ドラゴンの子をやっつけた奴だな〟


また別の男が会話に加わった。


〝とにかくはやく何とかしないとね〟


ほぼ全員が会話に参加し始めた。


〝とりあえず、やっつけちゃおうよ〟


〝そうそう、やっつけようよ〟


〝やるのはいいけど、とりあえずどうする?〟


〝とりあえずだったら、あいつにやらせてみたら、どうかな?〟


〝あいつならなんとかするんじゃない?〟


〝たぶんなんとかするような気がするけど〟


〝じゃあ、とりあえずやらせようよ。あいつらのこと、だいたいわかったし。これ以上調べなくてもいいんじゃない。僕、おなかがすいたし〟


〝そうだよ。僕もお腹がすいたよ〟


〝それ、僕も〟


一人の男が会話の輪の中心に歩み寄った。


〝いいよ、あいつにやらせちゃおうよ〟


まわりの輪が賛同した。


〝うん、いいよ〟


〝やらせちゃおうよ〟


〝さんせい、さんせい〟


全員がお互いの顔を見合わせた。


そして前と同じく、ふにゃふにゃの軟体動物の顔で笑った。

 



広い日本間にゆづきが一人座っている。


そこに龍夜がやってきた。


「ゆづき、呼んだか」


「はい龍夜様、少し気になることがございまして。先ほど龍夜様はゴブリンが飛ぶ、つまり瞬間移動ができるとおっしゃいましたね。その点が私には、やけに気がかりなのでございますが」


「ああ、確かに飛ぶぜ。あれはあれで便利な術には違いないな。でも前にも言ったように、そんなに気にするほどの術ではないような気がするが。仮にこっちにむかって十メートルずつ飛んできたとしても、それで俺たちの不意をつこうとしても、その前にゆづきが気づくだろうし。ゆづきは、子供を襲おうとしている俺たちから離れた場所にいるゴブリンの居場所を、襲う前にわかるくらいだからな」


「はい、そうではございますが。しかしそれでもやはり気になります。何かこの私が気づいていないことがあるような、なにかとても大事なことを見落としているような、そんな気がしてならないのです」


龍夜がゆづきに近づいた。


そして彼女のおかっぱ頭を優しくなでた。


「ゆづき、そう思い悩むな。だいたいおまえはまじめすぎるぞ。俺はお前のおかげで、十分に助かっている。だいたいお前がもののけを視なければ、この俺がもののけと戦いたいと思っても、いつ何処で何と戦えばいいのかさえわからないんだ。ほんと、いろいろと感謝してるぞ」


「はい、わかりました、龍夜様」


「わかってくれたか。やっぱりゆづきはいい子だなあ。じゃあ、いい子には飴ちゃんをあげようかな」


龍夜はゆづきの前に開いた右手を出してきた。


そしてその拳を握ると、すぐにまた開いた。


するとその手の中に赤い飴玉が一つのっていた。


「はいどうぞ、お姫様」


「もう龍夜様ったら」


ゆづきは飴玉を手に取ると、ころころ笑いながら口に含んだ。

 



どこかのあまりきれいとは言えない町並み。


細い道がいくつも交差し、その両脇のビルにはあざやか、と言うよりけばけばしい店の看板が、まるで雨後に生えたキノコのようににょきにょきとビルの横から飛び出していた。


とある繁華街の一角である。


その町は全て夜仕様に造られていた。


そのため夜は鮮やかなネオン街に変身するであろう町並みも、昼間は小汚く雑然としているだけである。


その町を歩く二人の男がいる。


二階堂と笹本である。


二人は今、この町で起きた殺人事件の聞き込みをやっていた。


クラブマドンナと言うバーで常連客が、初めて店に現れた客とけんかをして、その一見の客にナイフで刺し殺された事件だ。


目撃者は何人もいたが、全員、犯人が誰であるかを知らなかった。


それで犯人の目撃証言をもとに作られた似顔絵を手に、二人で聞き込みを続けているのである。


笹本が悔しそうに言った。


「これだけ聞いたのに、誰も犯人のことを知りませんね」


「そうだな。ひょっとしたら、たまたまここにやって来た県外人かもしれんな」


笹本が二階堂のその言葉に食いついてきた。


「二階堂さん、それは例の、カン、とか言うやつですか?」


「いやカンじゃない。この件に関して今は、なんのカンも働いていない。ただの憶測だ。なんの根拠もないけどな」


その時突然、二階堂は感じた。


ある強い予感だ。


その予感ははっきりとゆづきの危険を告げていた。


二階堂は笹本に強い口調で言った。


「おい、俺は別件がある。とりあえず一人で聞き込みを続けろ」


「えっ、またですか。署長になんて言えばいいんですか」


「ずっと二人でいたことにすればいいだろう」


「そんなことできませんよ。規則に反しますよ」


「……」


二階堂はあきらめた。


いつものことながら笹本は、どんな小さなことであれ、理由がどうであれ、嘘が大嫌いなのだ。


――こいつ刑事には向いてないかもしれんな。


二階堂はそう思ったが、もちろん口から出た言葉は別だった。


「それじゃあな」


二階堂はそれだけ言うとその場を去った。


背中に向けて笹本が何か言っていたが、それを無視して歩き続ける。


そしていつの間にか走り出していた。

 



顔の崩れた十二人の白人男性が話し合っている。ただ声帯は使わずに、直接脳に話しかけていた。


〝何匹集まったの?〟


〝二十匹くらいかな〟


〝もう十分じゃないの?〟


〝十分かな?〟


〝十分だと、思うんだけど〟


〝やってみたらわかるんじゃない?〟


〝そうかな〟


〝やってみなきゃ、わからないと思うよ〟


〝そうだそうだ、やってみなきゃ、わかんないよ〟


〝じゃ、やってみようか〟


〝うん、やってみようよ〟


〝はやく、はやく〟


〝わかった、それじゃ命令出すね〟


〝だして、だして〟


〝それじゃ、言うよ〟


〝おーいお前ら、集まって来い。これから僕の言うことを、よく聞くんだぞ。わかったか。このうすのろども〟


ゴブリン達がおずおずと集まってきた。


その表情は明らかに怯えていた。




二階堂は走った。


そして停めてあった車に乗り込むと、龍夜達の住処へ向かって猛スピードで車を走らせた。


サイレンを車の屋根に取り付けて、鳴らしっぱなしで車を飛ばした。


サイレンを鳴らしているとは言え、それでも緊急車両の制限スピードをも上回っていた。


しかしゆづきの身に危険が迫っているのだ。


それどころではない。


――ゆづきが危ない。


その一心で車を走らせていた。




フローリング床の小さな部屋に少年と少女が座っている。


龍夜とゆづきである。二人は食事を取っていた。


いつものように口の中に食べ物を残したままで、龍夜が言った。


「いやーっ、ほんとに、もぐもぐ、ゆづきの作ってくれるご飯は、もぐもぐ、いつもおいしいなあ」


「もう、龍夜様ったらぁ。そのようにおほめになっても、なにもでませんわよ」


「いやいや、こんだけうまい料理が出来たら、もぐもぐ、いつでもお嫁にいけるな」


「もう、こんな私を、いったい誰がもらってくれると言うのですか」


「誰がって……いや、あの、その……」


「……」


二人はお互いの顔を見つめた後、そのままうつむいてしまった。


その時である。日本間の障子が荒々しく開けられた。


二階堂である。二階堂がとびきりの声で叫んだ。


「おい二人とも、今すぐこの神社から逃げろ!」


龍夜とゆづきは思わず顔を見合わせた。


次の瞬間、龍夜が立ち上がり、ゆづきをお姫様抱っこで抱えて走った。


そして二階堂を肩で親の仇のように突き飛ばして、外へ出て行った。


二階堂は一瞬よろけたがすぐに体勢を立て直し、二人に続いて神社をでた。


そして追いついた。


「おい、助けに来た奴を突き飛ばして逃げることはないだろう」


「いや、おっさん、すまねえな。なんせうちのローカルルールで、逃げる順番はゆづきが絶対に一番ってことになってるんだよ」


ゆづきが龍夜に抱きかかえられながら言った。


「龍夜様、もう下ろしてください。二階堂様が見ております」


ゆづきの頬が赤く染まっている。


「ああゆづき、ごめんな。この続きはこんなロリコンのおっさんのいない、二人っきりの時にな」


「もう、龍夜様ったら」


その時神社の中から、抜き身の日本刀が飛び出してきた。


魍魎丸である。


「こら龍夜。このわしを置いて逃げるとは、なんと言うことじゃ。逃げるならちゃんと連れて行かんかい」


「だからご覧のとおり、俺の両手はゆづきでふさがっているんだ。じじいは自分で逃げられるだろう。ちっちゃい子供みたいなことを、言うなよな」


「龍夜様、お願いです。早くおろしてくださいませ」


「おおゆづき、わるかった。いますぐおろしてやるからな」


龍夜がゆづきをそっと下ろした。


「ところでおっさん。この神社から逃げろと言われたんで、とりあえず逃げたが、いったい何がどうしたんだ」


「わからん。とにかくゆづきの身に危険を感じたもんでな、そう言ったまでだ。それにしても逃げろと言った途端、何も聞かずに速攻でゆづきをかかえて逃げ出すとは、ある意味たいしたもんだな」


「あたりまえだろう。逃げろと言われれば、何をおいてもとにかく逃げるのが先だろう。訳を聞くにしても、何をするにしても、後からいくらでもできるぜ」


「そうだな。生き残る秘訣だな」


その時神社から、バリバリ、メキメキ、と大きな音が響いてきた。


見れば、神社の一部が大きく崩れている。


それは神社のむかって左側に当たる部分で、さっきまで龍夜達のいたあたりである。


そして神社の横に、男が立っていた。


その男は上半身裸で、下半身も何種類かの動物の皮をつなぎ合わせた腰巻を一つ身につけているだけだった。


全体的な印象としては、一言で言えば人間である。


とんでもなく筋肉質でヒゲはぼうぼう髪もぼさぼさであり、おまけに目つきを中心にいかついと言うかとにかく野性的な風貌ではあるが、基本的には白人男性の姿だった。


ただ一つだけ普通の人間と大きく違っているところがあった。


それは身長である。


その男の背の高さは、平屋でそれほど豪華に建てられたわけではないとは言え、古い造りで大屋根のある神社として建てられたその建物よりも、はるかに高かった。


少なく見積もっても、十メートルはありそうだ。


その巨人が、龍夜達の住んでいた由緒はあるが永いこと誰も訪れたことのない築四百年にもなる貧乏神社を、せっせと叩き壊しているのだ。


龍夜が言った。


「ああ、あれは……ギガースとかジャイアントとかギガントとか、言ったたぐいの奴だな。まあそのうちのどれかはよくわからねえが。どっちにしてもあいつも、ゴブリンと同じく幻獣には違いないはずだが」


「龍夜様、あれはギガントでございます」


「おおっ、あれがかの有名なギガントか。はじめて見たぜ。前から一度は見てみたいと思っていたんだ」


「わたくしも初めてでございます。お噂はかねがね聞いておりましたが、本当に大きいですわね」


「ほんとだな。これはすごいぜ。見れてラッキーだぜ」


二階堂が慌てる。


「おいおい、のんびり話をしている場合じゃないだろう。このままじゃああの神社、全部ぶっ壊されてしまうぞ」


現にギガントは、それ以外のことは何も出来ないかのように、ただひたすら神社を両手で上から叩き潰し続けていた。


おそらく本来の目的であったであろう龍夜達が、すでに神社から逃げ出してすぐ目の前でがん首そろえて見物していると言うのに、まるで気がついておらず、自分の目の前にある神社しか目に入っていないようだ。


単純に、ただ両腕を上から下ろして神社を壊すその姿は、幼い子供が積み木の家を壊している姿を連想させた。


そこからは知性とか教養といったものは、微塵も感じられなかった。


龍夜が言った。


「慌てるな、おっさん。最初に気がついた時点であの神社は、少なくとも人が住む建物としてはもう終わっていた。こうなったらあいつに、残りも全部きれいさっぱり壊してもらったほうが、あと片付けが楽になると言うもんだぜ」


「その通りでございます、龍夜様。そのほうが人材的にも経済的にも、なにかと都合がよろしいかと思われます」


「さすがゆづき、しっかりしてるぜ。やっぱりいいお嫁さんになれるな。この俺が直径百メートルの太鼓判押してやるぜ」


「もう龍夜様ったらあ。そんなことおっしゃって、恥ずかしいじゃありませんか。ゆづきはもう知りませぬ」


とかなんとか言って、二人でほのぼのとのろけているうちに、由緒だけはある神社はきれいさっぱりと潰されてしまった。


ギガントは何かを成し遂げたかのような満足げな表情で、倒れた神社をじっと見ていた。


が、やがて何かを思い出したかのようにあたりをきょろきょろと見回すと、やがて龍夜達のほうに目を向けた。


龍夜が言った。


「あのバカ、やっと気がついたみたいだな。来るぜ」


魍魎丸が張り切って答える。


「わしが一番手じゃ!」


魍魎丸が飛んだ。


ギガントの顔をめがけて、矢より速く飛んでいった。


ところが巨人の顔に届く直前で魍魎丸は、その右腕によって地面に思いっきり叩きつけられてしまった。


その動きは、それまで神社を壊していた時の動きとはまるで比べ物にならないほどに速かった。


「ぎゃあっ!」


下に落ちた魍魎丸を、ギガントが上から全体重を乗せて踏みつけた。


その勢いで魍魎丸は地面に埋まってしまった。


「……」


「あっちゃーっ。魍魎丸の野郎、何もしないうちに、もうやられちまったぜ。あいつこの前のドラゴンの子以来、いいとこなしだな」


二階堂が巨人に向かって拳銃を構えた。


ゆづきがそれを制する。


「二階堂様、残念ですがそのような武器では、あのギガントをいたずらに怒らせるだけでございます。どうかおやめください」


「じゃあ、どうすれば」


「俺が武器を造る」


二階堂はおもわず龍夜を見た。


あのドラゴンの子を倒したと言う、九龍一族に代々伝わる秘術である龍変化の術。


二階堂はあの時気を失っていて、それを見ることが出来なかった。


それが今、思ったよりも早く、この目で直接見る機会が訪れようとは。


二階堂の胸は高まった。


ふと気がつけば、ゆづきもその大きな眼をさらに大きく見開いて、龍夜をまさに凝視している。


あの時ゆづきも同じく気を失っていたので、龍夜の秘術を見ることが出来ないでいた。


一度この目で見てみたいという強い想いは、おそらく二階堂とは比べ物にならないであろう。


二人の熱狂的なファンの熱い視線を浴びながら、龍夜は右腕に力を集中した。


そしてそれはものの数秒で成し遂げられた。


龍夜の肩の周りから肘、そして本来は指先にあたる部分までが、まるで燃え上がる炎のような淡く赤い光に包まれている。


そして肘から先が龍の首、手首から先が龍の頭となっていた。


細く長い龍の頭は龍夜の顔くらいの大きさがあった。


――これが九龍一族の秘術、龍変化の術、火龍!


ゆづきはとてつもなく深い感動を持って、その火龍を見つめていた。


二階堂もゆづきに比べれば単純ではあるが、大きな驚きで火龍を見ていた。


――こいつが九龍一族の秘術なのか。実際にこの目で見てみると、なんともすさまじいものだな。


「それじゃあゆづき、あいつをぎっちょんぎっちょんにしてくるぜ」


龍夜は二階堂にはあいさつなしで、ギガントに向かって行った。


するとギガントも龍夜に向かって来た。


ギガントが上から両手で龍夜に掴みかかった。


それは巨体のわりに素早い動きであったが、龍夜が難なくそれをかわす。


そしてギガントのむこう脛のところに、火龍と化した右腕を叩き込んだ。


「グワーッ!」


まわりの木々が揺れるほどの大声を張り上げて、ギガントが思わずがくりと片膝をついた。


次に龍夜は大きくジャンプするとギガントのみぞおちあたりに、火龍を思いっきり突き刺した。


「グワーッ!」


先ほどと同じ叫び声をあげて、巨人が前のめりに倒れた。


地震のような地響きが起こる。


龍夜は素早く巨人の大きな頭の横に立つと、火龍を構えた。


「これで終わりだ! 化け物め」


その時である。


倒れた巨人の体の上に、いくつもの淡く白い光が現れた。


そしてその光はやがてその姿をあらわにした。


それは身長一メートルくらいで、アーモンド形の目を持つものである。


ゴブリンたちだ。


二十匹はいると思われるゴブリンたちは、お互いに手をつなぎあっていた。


そして全員がいっせいにつないでいた手を離すと、そのまま巨人の体にしがみついた。


するとギガントとゴブリンたちが淡く白い光に包まれ、その次の瞬間その光が激しく輝いた。


そして急に光が消えたかと思うと、ギガントとゴブリンたちは光とともにその姿を消していた。


そこには地面の上に、巨人が倒れた跡が残っているだけとなった。


龍夜がぽつりと呟いた。


「逃げられたか……」




大きな暗く湿った洞窟の中で、十二人の白人男性の姿をしたものが、お互いにテレパシーで話し合っている。


〝だめだったよう〟


〝そうだね〟


〝残念だなあ〟


〝くやしいなあ〟


〝まったくだよ〟


〝あいつ、強いなあ〟


〝ほんとに強かったね〟


〝なんせ、ドラゴンの子をやっつけた奴だからね〟


〝でも、なんとかしないと〟


〝うん、何とかしないとね〟


〝で、どうやって〟


〝うーん、どうしよう〟


十二人は文字どおり頭を抱えていた。


そのまま全員頭を抱え込んでいたが、ふと一人の人間もどきが言った。


〝やった! いいこと思いついちゃった〟


〝えっ、なになに?〟


〝なに思いついたの?〟


〝聞かせて、聞かせて〟


〝僕にも僕にも〟


その男の周りに、残りの十一人が集まってきた。




「おいおっさん、見てみろよ」


龍夜はギガントに踏みつけられて地面に埋まっている魍魎丸を指さしていた。


二階堂が覗き込む。


「おい、こいつ折れてるんじゃないのか」


「ピンポン。正解。ぼんたん飴が一個だけ当たりました。おめでとうございます。そう、折れてるぜ」


「折れてるぜ、じゃないだろう! おい、もしかして死んだんじゃあないのか」


「それは心配ないぜ。まだ気は少し残ってる。死んではいないぜ。死んではいないが、死にかけてるな、これは」


「死にかけてるな、じゃあないだろう。早くなんとかしないと」


「あれ、おっさんロリコンじゃなくて、こんな金属の塊のじじいが好みなのかい?」


「なにをバカなことを言ってる!」


ゆづきが二人の間に割って入ってきた。


「まあまあ二階堂様、どうか落ち着いてくださいませ。ご心配にはおよびませぬ。確かに無事とは言えませぬが、死ぬようなことはございません。魍魎丸はもともと刀に封じ込められているだけで、刀自体が本体と言うわけではありません。刀は仮の体、魍魎丸の心の器とでも言ったほうがよいかと思われます。刀を直してしばらく養生すれば、またもとの元気な魍魎丸に戻ることでしょう」


「そうか、それはよかった。龍夜が変なことを言うから。おい龍夜、おまえわかってて、俺をからかったな」


龍夜が両の手のひらを頬に当てた。


「えーっ、何のこと? おじさま怖い」


「ほんとに、こいつだけは」


「もう龍夜様もそのくらいにして。それより魍魎丸を、刀匠のところに届けるのが先でございます」


「えーっ、俺が届けるの」


「当たり前でございましょう」


「うーん、気が向いたら届けるわ」


「いつ気がむくのですか?」


「……十年後くらいかな」


「龍夜様!」


「はい!」


二階堂は腹を抱えて笑った。


龍夜が睨みつけたが、二階堂は全然気にはしていない。


そして好きなだけ笑った後で、あらたまって言った。


「ところでおまえたち。携帯電話は持っているのか」


「なにそれ? 食べ物なの。おいしい::」


「もういい。ゆづきに聞く。持っているのか」


「いいえ二階堂様。携帯どころか固定電話も持ってはおりませぬ」


「そうか、それなら俺が携帯買ってやってもいいぞ」


龍夜が無理から割ってはいる。


「えっ、携帯くれるってか」


「ああ、もちろん名義は俺でな。おまえたちは日本国籍もないようだから」


「じゃあ電話料金も、支払いはおっさんかい」


「当然そうなるな」


「いやー、ありがとありがと。おっさん、ロリコンのブルマフェチにしちゃあ、気前がいいぜ」


「……とにかく、そうしよう」


 ゆづきが両手を顔の前で振った。


「二階堂様、いくらなんでもそれでは」


「いやいい。ゆづき、遠慮なんかすることないぞ。おい、龍夜。お前はもう少し遠慮というものを覚えろ」


「私の辞書に、遠慮と言う文字はございません」


「今度書き加えてやる」


「すぐ消しちゃうもんね」


「まあまあ二階堂様も龍夜様も、それくらいでお願いします」


「わかっているよ、ゆづき。じゃあ話は決まったな。これから町に買いに行くぞ」


「はーい、わかった。ありがとな、平公務員のおっさん」


「二階堂様、ほんとうにありがとうございます」


「ゆづきはどんなデザインが好きかな」


「俺はデザインよりも、値段の一番高いやつがいいな」


「お前には聞いてない!」




買った携帯電話を奪い取ろうとする龍夜を押しのけて、二階堂はゆづきに携帯電話を渡した。


そしてその足で、一旦仕事へ戻った。


今のところゆづきの危機も去ったようだし、残っていてもすることがないからである。


当然笹本君からぐちぐちねちねち文句を言われたが、何も言い返すことができなかった。


そのなかでも二階堂は意識を集中するのを怠らなかった。


一つは本業である殺人事件の解決のため、とにかく何かを感じてつかむこと。


もう一つは言わずと知れたゆづきのことである。


自分は何故だかその理由はわからないが、龍夜や魍魎丸の危機よりも、ゆづきの危機を敏感に感じ取ることができる。


そしてゆづきの危機を感じ取ることが出来るのは、二階堂ただ一人だけなのだ。


殺人事件の解決が数日、いやたとえ数ヶ月遅れたとしても、そうたいした問題ではない。


最終的に解決すればそれでいい。


しかしゆづきの危機を感じるのが遅れたら、場合によってはゆづきが死んでしまっても不思議ではない。


今日だってあと一分神社から逃げるのが遅れたならば、ゆづきはおそらく生きてはいなかっただろう。


――あんないい子を死なすわけにはいかない。


二階堂はさらに意識を集中させた。


そしてようやく感じることができた。


少なくともあと数日は、ゆづきの身は安泰だと。




いつもの闇に、いつもの光。


丸く切り取られた小さな風景は、これまたいつもと寸分たがわず同じ風景。


そのうえいつもの静寂に、いつもの靴音。


その靴音は腹立たしいことに、自分自身の足音なのである。


それも、たった一つだけ空しく響く音。


長内和人はいつも思っていた。


世の中に、こんなにもつまらない仕事はないと。


それは夜の見回りである。


訓練や天災などによる出動がない場合、夜の基地の見回りをするのが彼の仕事であった。


この仕事についてから、もう二年余りにもなる。


話し相手もなく、暗くわびしいところを何回も鉄道模型のように、ただひたすらぐるぐる回り続けているだけだ。


おまけに深夜の見回りの最中に不審者を見かけたり、その他何か問題があったということが、これまでただの一度もなかった。


大事な仕事であると理屈ではわかっていたが、感情の面からすれば、こんなにも気の乗らない仕事は世界中探しても他にないのではないか、と思いはじめていた。


何の危機意識ももたず緊張感もないままに、毎日判で押したように、ただ懐中電灯を片手にうろうろしているだけである。


――もうそろそろ誰か変わってくれないかな。


最近はずっとそればっかり考えていた。


そして見回りのルート上にある一つの倉庫にたどり着いた。


いわゆる爆薬類を保管している倉庫である。


何かあれば大変なことになるところではあるが、長内は何かあるわけがないと考えていた。


そして鍵を開けて中に入った。


そしていつものように懐中電灯をてらした。


それはただの習慣でしかなく、あいもかわらず何の変化もないと決め付けていた。


ところが今夜は、弾薬類以外何もないはずの部屋に、何かがいた。


――えっ?


それは最初、子供のように見えた。


人数は六人ほどだ。


そして懐中電灯の光を浴びてそれらが振り返った時、それらが人間でないことがわかった。


アーモンド型の大きな眼に緑色の瞳、絵本の挿絵でしか見たことがないような醜いワシ鼻、耳まで裂けた牙のある口。


それは長内の目から見れば、わけのわからない怪物以外の何者でもない。


それらは懐中電灯の光に一瞬動揺の色を見せたが、真ん中辺りにいたリーダーらしき一匹が慌てて手を上げると、全員が一斉にそばにあった箱に取り付いた。


そして淡く白い光を放った後激しく輝き、その後一瞬でその姿を消した。


長内はそのまま呆然と見ていたが、ふと我に返って慌ててその場に駆け寄った。


その怪物の姿は煙のように消えていた。


さして広くない倉庫を何度も見わたしたが、どこにも見あたらない。


そして信じたくないことだが、爆薬を収めた箱が三つ消えうせていた。




二階堂はアパートに帰った。


クラブマドンナの殺人事件のほうは相変わらずたいして進展はない。


明日は一日じゅう笹本君といっしょにいなければならないだろう。


おもしろくない一日になりそうだ。


――まあゆづきはしばらくは大丈夫みたいだから、一日ぐらいはいいだろう。


そう考えながら玄関のドアを開けようとした。


そこで二階堂の動きが止まった。


――鍵があいている。……という事は。


中に入って明かりをつけると、居間のソファーに誰かが座っていた。


「よお」


龍夜であった。


二人がけ用ソファーに、まるで家主のように堂々と腰掛けている龍夜の横に、ゆづきがちょこんと正座していた。


「おじゃましております、二階堂様」


二階堂は何事もなかったかのように、近くの食事用の椅子に腰掛けた。


「やはりな」


「あれれっ、おっさん、あまり驚いてないみたいだけど、俺たちが来るのがわかっていたのか」


「はっきりとわかっていたわけではないが、なんとなくそんな気がしてた」


「それも例のカンかい」


「そうだと言いたいところだが、違うな。玄関の鍵が開いていたし、それ以外の状況から判断すれば、特にお前の性格を考えたなら、結論は一つしかないな」


「あれっ? 俺の性格から考えたら、そうなるのかい。おかしいなあ。こんなにもシャイで慎み深く、遠慮が服を着て歩いているみたいな俺の性格から判断すれば、絶対にそうはならないはずなんだがなあ」


「もう、なんも言わん」


するとゆづきが、もともと小さな体さらにめいいっぱい小さくして、か細く言った。


「本当にご迷惑をおかけします、二階堂様。申しわけございません」


ゆづきが深々頭を下げる隣で龍夜が、大きな声で胸を張って言った。


「いやーっ、わりいな、おっさん。俺たち住むところがなくなっちまったもんでね。しばらくやっかいになるぜ」


二階堂が薄い苦笑いを受かべた。


「まあ、いいだろう。おまえたちの好きにすればいいさ。ここ数日はあいつらも襲ってこないようだからな」


「そのようでございますね、二階堂様。あの後さらに意識を集中させましたが、龍夜様も二階堂様も、なにひとつ危険を感じられませんでした。しばらくは大丈夫のようでございますね」


「こっちもゆづきの危険は感じられなかった」


「じゃあむこうはもう諦めたのかな。なんせあのギガントが真ん中のひとつだろう。やつらの切り札じゃねえのか。それがあんなにもあっさりやられたもんで、もう逃げ出したんじゃないのかい」


ゆづきが完全な真顔で言った。


「それはございません、龍夜様。私はこの度はなぜかわかりませんが、上の十二人のことがよくわかるようですが、奴らの執拗と言うか執念深さと言うか、そういったものを強く感じております。奴らが諦めるということは、決してありえませぬ。間違いなく再び何かを仕掛けてくると思われます」


「そうか、わかった。それで上の十二人の正体はわかったのか」


「申しわけございませぬ、龍夜様。それがまだわからないのでございます」


「ゆづき、別に謝らなくてもいいぜ。おまえのせいじゃないぜ。……ところでおっさん、おっさんは真ん中の一人と下の数十匹のことがよくわかるようだが、あれから何かわかったかい?」


「それがまだよくはわからんのだ。ただ真ん中の一人と下の十数匹には、はっきり言うと、悪意と言うものがまるで感じられないんだ。と言うよりも、それとは逆になんだかの悲しみ、あるいは恐怖といったものが感じられる。あと怒り、憤りといったものも……自分の意思で悪いことをしているとは、とても思えんな」


ゆづきが二階堂の言葉を受ける。


「やはり上の十二人にいいように使われているのでしょうか」


「そのようだな。真ん中の一人は、純粋で無垢な子供のような存在に思えるな。何も考えていないような。それでいていろんなことを感じることだけは、できているような。下の数十匹はそれよりは賢いようだな。ほんのわずかに悪意のようなものを感じるが、たいした悪意ではなさそうだ。それゆえに真ん中の一人よりも強く悲しみ、強く恐怖を感じているようだ。それだけ自分達のやっていることや置かれている立場を、真ん中の一人よりよくわかっているように思えるな」


「下の数十匹は〝悪鬼〟〝いたずら小鬼〟でございますから、わずかばかりの悪意は持ちあわせているかと思われます。しかししょせんは、いたずら程度でございます。人間の子供をさらったり、ギガントに中に人がいるかもしれない家を壊させるなどと言った悪意は、とても持ってはいないでしょう。なんだかの理由で、上の十二人に使われているだけだと思われます」


龍夜がゆづきに言った。


「今度の敵は、俺が最初に思ってたよりも、ずっとやっかいかもしれないな。とにかく相手の正体お見極めないと。ご苦労だが頼むぞゆづき」


「はい、わかりました、龍夜様」


「それではもうおそいし、そろそろ寝ようか」


「はい、龍夜様」


二階堂が少し慌てる。


「おいおい、俺は今帰ってきたばっかりだぞ。まだ食事もしていないし、風呂にも入ってない」


「そうかい。まあ大家様だから、それくらいは待つぜ」


「全く。それじゃあ先に晩飯を買って来る」


「買って来るって、何処に?」


「すぐ近くにコンビニがある」


「おいおい、いい年こいてちゃんとしたもん食べないと、大きくなれないぜ」


「いまさら大きくなって、どうする」


「まあまあおっさんはゆっくり風呂にでも入ってきたらいいさ。そのあいだにゆづきがちゃんとおいしい家庭料理を作ってくれるからさ。なあゆづき」


「はい、まかせてください。二階堂様のために、腕によりをかけて作らせていただきます。それでよろしいでしょうか、二階堂様」


「そうか。それならお言葉に甘えさせてもらおうか。たしか冷蔵庫に残りものがあったはずだが」


「よーし決まった。じゃあおっさん、先に風呂に入ってきな」


「そうするか」


二階堂は風呂場へと向かった。


それを見届けてから、ゆづきが台所へと足を運んだ。




二階堂が風呂から上がると、もう食卓には夕食の用意がされてあった。


それは二階堂の寂しい冷蔵庫の中身を最大限に生かしたものに、彼には見えた。


「思ったより豪勢なものだな」


「まあ、食べてみな。ゆづきの料理は日本一だぜ」


「龍夜様、いくらなんでもそれはちょっと褒めすぎでございます」


「いやいや本当だぜ。俺は自慢じゃないが、お世辞と地上げは趣味じゃないんだ」


「とにかく食べてみようか」


二階堂は小皿にきれいに盛り付けられた野菜の煮つけを口に運んだ。


それは見た目だけでも、この部屋の冷蔵庫の中にあった姿からは想像できないものになっていたが、実際に食べてみると、見た目以上の味だった。


「うまい」


「ほら、お世辞なんか殺されても言わないおっさんも、うまいって言ってるぜ。ゆづきはやっぱり料理がうまいなあ」


「もう龍夜様ったら。もう勘弁してください」


「いや、本当にうまいぞ、これは」


二階堂は次々と料理を口に運んでいった。それを見て龍夜が言った。


「おい、おっさん。俺たちの分まで食べる気かい。ゆづき、早く食べないと、おっさんにみんな食われてしまうぜ」


「龍夜様、さっき食べたばかりじゃありませんか」


「えっ、そうだったかなあ?」


龍夜はそう言うと、一瞬動きを止めた。


しかしすぐさま二階堂に負けじとばかりの勢いで、ゆづきの手料理を食べ始めた。


ゆづきが呆れた顔でそれを見ている。




料理はあっと言う間になくなった。


二階堂は満足げな表情を浮かべている。


「ゆづき、本当においしかったぞ。その年でよくここまで、覚えたもんだな」


「もう二階堂様まで。ゆづきは恥ずかしいです」


ゆづきはその頬を薄いピンク色に染めていた。


それを見て二階堂は思った。


――俺もこんな可愛い娘が欲しかったなあ。


ゆづきを見つめる二階堂を見て、龍夜が口を突き出してきた。


「おい、ロリコンおやじ。何にやけてゆづきを見てるんだ。見世物なんかじゃねえぞ。金取るぞ」


「まあまあ龍夜様、それくらい、いいじゃありませんか」


「いやゆづき、そうだけどなあ……」


軽く笑っていた二階堂が、ふと真剣な顔つきになった。


「ところでお前たち。当面はこのままでよいとしても、いつまででもここに居るわけにはいかないだろう。いったいどうするつもりだ」


ゆづきが本当に申しわけなさそうな顔になる。


「まことにご迷惑をおかけいたします、二階堂様」


「いや迷惑と言うわけではないんだ。ここは一人住まい用の部屋だ。三人で住むには狭すぎるんだ。俺もそうだが、お前たちも窮屈な思いをすることになるぞ。特にゆづきは女の子だしな」


「おっさんそれは心配ないぜ。いても二、三日だろうな」


「その後はどうする」


「二、三日後には、おそらくプレハブだが、もと神社があったところに仮の住まいができる。それと同時に、神社のほうも新しく立てられるしだろうし。まあ神社が出来るには、数ヶ月かかるけどな」


それを聞いて二階堂は何か考えていたようだが、やがて言った。


「下世話な話でなんだが、そんなお金は、いったい何処から出ているんだ」


「別に下世話でもなんでもないぜ。お金の話は大事な話さ。実は俺たちがもののけから助けた人の中には、お金持ちの人もいる。で、お金持ちの中には、誠実で義理堅い人もいるんだ。そんな人は俺たちが困っていたら、いくらでも喜んでお金を出してくれるんだ。神社の電気代なんかも、そうだぜ。俺たちは贅沢言わないから無駄に吹っかけたりはしないが、誠実なお金持ちは、本当に気持ちよくお金を出してくれるぜ。俺が助けた人の中にも、そんな人が一人いる。親父が助けた人の中にも、じいさんが助けた人の中にも、そんな人がいる。古い人の中にはもう死んだ人もいるけど、まだ生きている人も何人かいるんだ。だから俺たちはお金には困らないのさ」


「本来ならもののけを見た人やそれを狩るのを見た人の記憶は、きれいに消してしまうのです。しかし依頼主のほうからお話があった場合は、その限りではございません。そんな人の中に、さきほど龍夜様が言われたような方が、おられるのです」


「おっさんにも少し回そうか」


「いや、俺は国から十分な給料をもらっているから、それはいい。二人で使えばいいだろう」


「さすが、太っ腹だぜ。公務員にしとくにはもったいないな」


二階堂が龍夜の鼻先をこれでもかと指さした。


「おい、こら。会った時からずっと、何かあれば、公務員、公務員と言うが、公務員に何か恨みでもあるのか!」


龍夜が涼しい顔で答える。


「じぇんじぇんないよ」


二階堂は力を込めて突き出した指を、力なくおろした。


「……そうか。ところでゆづき、さっき記憶を消すとか言っていたが、それはいったいどういうことだ」


「実は龍夜様には、人の記憶を消す力がございます。手を相手の額に近づけたりあてたりして、記憶が消えるように念じるのでございます。すると相手の記憶の中から、私達ともののけに関する記憶だけを消すことができるのです」


「九龍一族の中にはそういう人間がたまにいるんだ。もののけを見た、なんて騒がれたらやっかいだからな。できるだけ消すことにしてるんだぜ」


「ふーん、便利もんだな」


きちんと正座をしていたゆづきが、さらに座りなおした。


「その話はさておきまして二階堂様、少しお聞きしたいことがございますが」


「なんだゆづき、言ってみろ」


「二階堂様には、中の一人と下の数十匹がよくお視えになるようですが、私はそれとは逆に、上の十二匹のほうがよく視えます。それはどうしてだと思われますか」


「そうだな。おそらく視えやすいものが、俺とゆづきでは違うんだろうな」


「それはどのように違うと、思われますか」


「まあそれは能力と言うより、多分これまでの経験からくるものだろうな。つまりゆづきはあいつらの悪意を感じ取るのだと思うな。あいつらの悪意は、上の十二人にこそあるようだ。中の一人と下の十数匹には、ほとんど悪意はないと見るべきだ。ところが実際に子供たちをさらったり、俺たちに攻撃を仕掛けてくるのは、中と下のやつらだ。俺は意思や悪意ではなく、行動そのものの方に意識がいっているからだと思う。殺人課の刑事の仕事はそんなに甘くはない。実際、犯人や事件の関係者から狙われるということは、それほど珍しいことではないんだ。俺は自分自身の危険を感じることはできないが、仲間や親しい人の危機は今までに何度も感じてきた。そんな人達に危害を加えるのは、黒幕が誰であれ、命令を受けて実際に行動しているやつらだ。だから俺は、中や下の連中の方がよくわかるのだろう」


「そうでございましょうね。私は意識、二階堂様は実際の行動のほうをより強く感じるようでございますね。そういえば、私のまだほんの短いもののけ狩り師としての経験において、今回のように、使うものと使われるものとに分かれているという経験が、今まで一度もありませんでした。もののけは、常には単独、あるいは少数の仲間で行動することが多いものでございます。したがって、これまではいつも意識するものと行動するものが同じであったがために、私はいつのまにか、より意識のほうを強く感じとるようになったのだと思われます」


「もう聞くまでもなく、そんなことはとうの昔に、わかっていたんだろう」


「はい、わかっておりました」


「まったく、ゆづきも案外、人が悪いなあ」


ゆづきはそれには答えず、軽く微笑んだだけである。




結局話し合い、と言うか龍夜の一方的な提案の結果、ゆづきはベッドで、二階堂はソファーで、龍夜は床の上で寝ることになった。


ゆづきは気のどくなほどに遠慮していたが、龍夜が強引に押し切った。


二階堂には異論はない。


女の子であるゆづきがベッドを使うのは当然だと思ったからだ。


それに自分はソファーで、言いだしっぺの龍夜が床の上で寝ると言っているのだ。


いったいなんの不満があろうか。


「それでは二階堂様、龍夜様、おやすみなさいませ」


遠慮の塊になっているゆづきはか細い声でそう言うと、まるで空き巣にでも入るかのような静かな動きで、ベッドのある六畳間の寝室へと入っていった。


後には龍夜と二階堂が残された。


龍夜が言った。


「まだ早いけど、とりあえずもう寝るか」


「そうだな。俺もここのところ十分に睡眠を取っているとはいえないからな。もう寝るとしようか」


「それじゃあ、おやすみ。できたら若くてきれいなねーちゃんといっしょならよかったんだが、しかたがないぜ。ロリコンのおやじで我慢するか」


「……とにかくもう電気消すぞ」


部屋の照明が落とされた。


するとものの数秒もたたないうちに、龍夜が軽いいびきをかきはじめた。


――ほんと、おめでたい奴だ。


そういう二階堂も、いつになくカンを働かせた疲れからか、いつしか眠りについた。




二階堂が目覚めた時、龍夜はすでに起きていて、床の上に胡坐をかいて座っていた。


台所のほうからとんとんと物音が聞こえてくる。


どうやらゆづきが朝食を作っているようだ。


龍夜が二階堂に言った。


「おはよう、おっさん。ゆっくりと眠れたみたいだな。もうすぐ朝飯ができるぜ。もちろんゆづきの手料理だぜ」


龍夜が言い終わらないうちに、ゆづきがお盆に朝食をのせて運んできた。


「二階堂様、おはようございます。朝食の用意が出来ました。どうぞお食べになってくださいませ」


テーブルの上に朝食が置かれた途端、龍夜が身を乗り出し、手づかみでふかしたにんじんを口に運んだ。


「龍夜様、お行儀が悪いですよ」


ゆづきにそう言われると龍夜は、いたずらが見つかった子供のような顔をした後で、お箸を取って使い始めた。


二階堂は笑いをこらえながら、同じく箸を手に取った。


朝食は夕食に比べるとさすがにシンプルなものだったが、それでも十分すぎるくらいに、おいしいものだった。


「こんなにうまいご飯が食べられるのなら、邪魔な龍夜を追い出して、ゆづきだけずっとここに居てもらおうかな」


「おっさん、なに言ってる。ロリコンでブルマフェチの中年男のところに、大事なゆづきをおいていけるもんかい」


「もう龍夜様、もうそれくらいにしてくださいませ」


「ところでおっさん、もう朝のニュースをやってる時間だ。テレビつけていいか?」


「ニュースなんか、見るのか」


「まあ、もののけに関するニュースなんて、めったにないが。たとえあっても、テレビ局はそれとは気づかずに流しているけど。少しは情報の足しになるからな。だから朝と昼と夕方と夜のニュースは毎日見ているぜ」


「お前たち学校に行ってないからな。それにしても毎日朝と昼と夕方の夜のニュースを見ている子供なんて、日本中探してもどこにもいないだろうな。とにかくテレビはつけてもいいぞ。リモコンはそこにある」


「はーい、優しくてダンディなおじさま、ありがとう」


龍夜がリモコンを手に取り、テレビをつける。


そこではちょうど朝のニュースが始まったばかりだった。


そしてその日のトップニュースは、自衛隊の武器庫から大量の爆薬が盗まれたことだった。


おそらく自衛隊が詳しい発表を抑えたのだろう。


爆薬がなくなったことは告げられたが、その細かい経緯については一切報道されなかった。


龍夜がぽつりと言った。


「おそらくあいつら……ゴブリンどもの仕業だな」


ゆづきもぽつりと呟く。


「そのようでございますね」


二階堂も同じくぽつりと言った。


「そうだとしたら盗んだ爆薬、いったい何に使うんだろうか」


「そんなの決まってるだろう。俺たちを殺すために使うのさ」


「そうでございますね」


「危険が増したと言うわけだな」


「ああ、そのようだぜ」


「私も十分に注意をはらって、視ていきたいと思います」


「俺も気を抜かないで、探るようにしよう」


「ああ、そうしてくれると助かる」


その後は三人とも黙ったまま、テレビの画面を見つめていた。




夕方になり、二階堂が仕事を早々に切り上げてアパートに帰ってみると、龍夜たちはもうそこにはおらず、代わりに置手紙が置いてあった。


そこには荒々しく力強い字でこう書かれていた。


『おっさん、俺たちは一旦帰るぜ。仮住まいが出来るのは明日の予定だが、俺たちのスポンサーが一生懸命に慌ててくれて、もう出来上がるかもしれないんでね。もし出来ていなかったら、またそちらにやっかいになるぜ。出来たら電話だけするわな。それじゃ。すてきな一夜をありがとうな』


二階堂は待った。


もし仮住まいができなかったら、楽しい龍夜と優しいゆづきと三人で、もう一晩過ごすことができる。


おまけにゆづきのおいしい手料理も食べられる。


ゆうべはずっと一人住まいの二階堂にとっては、ある意味至福の時間をすごすことができた。


だからそのスポンサーとやらが、なんでもいいからとにかく、ぐずぐずしてくれることを願っていた。


そんなことを考えていると、二階堂の携帯が鳴った。


「もしもし」


それは龍夜からだった。


「おっさん、俺たちのスポンサーがマジで働いてくれたおかげで、なんとたった今、仮住まいができたぜ。プレハブだけどな。おまけに明日からは、神社も新しく立て直すそうだ。今晩も素敵な殿方と甘い一夜をすごしたかったけど、残念だぜ。とにかく昨夜はありがとな。なんだ? ……ゆづきが変わりたいと言っている」


「二階堂様、昨夜は大変おせわになりました。本当にありがとうございました」


「そう言う訳でおっさん、じゃあまたな」


そう言って電話は切れた。


二階堂は携帯を見つめた。


――例のスポンサーとやらが、恩義のある龍夜たちのためにと一生懸命にやったんだろうが、こっちはほんと、いい迷惑だぜ、まったく。……まあ仕方がないか。文句は言えんな。


二階堂は携帯電話をポケットにしまうと、部屋を出た。そして近くのコンビニへと足を向けた。




数日間は何事もなく過ぎ去った。


二階堂はあいも変わらず笹本君のお守り、いや殺人事件の捜査をしている。


笹本が言った。


「全然進展がないですね」


二階堂が気のない返事を返す。


「そうだな」


やる気だけは十分すぎるほどあるが、実力や経験のない笹本と、その全く逆である二階堂とのコンビは、ものの見事にかみ合っていなかった。


さすがの笹本も最近そこに気が付き、たいそう気にしていた。


しかし笹本が気づくずっと前から笹本以上に感じ続けていた二階堂は、もうなんとも思っていなかった。


笹本が再び言った。


「もう一度最初から聞き込みをしましょうか。何か新たな証言が出てくるかもしれませんからね」


二階堂が、録音の再生ような同じ返事を返す。


「そうだな」


笹本が住宅地図を見ながら歩き始める。


ついた先は殺人事件が起こったバーのクラブマドンナだ。


笹本のようなタイプにはありがちな行動だ。


初心に帰る、初心忘れべからず、とでも言うのだろうか。


――バカ正直と言うか、正真正銘のバカと言うか、本当にご苦労なことだ。


二階堂は半ば呆れて笹本を見ていた。


その時である。



突然何かが降りてきたように彼の頭の中に、強烈ないイメージがわいてきた。


――何っ!


彼は笹本を呼び止めた。


「おい、ここはおまえにまかしたぞ」


「またですか。署長にどう言えば」


「つべこべ言うな」


そう言うと、そのまま反対方向へ走り出す。


「あっ、ちょっと二階堂さん」


もちろん二階堂は振り向きもせず返事もせず、そのまま走った。


走りながら携帯を手にして龍夜とゆづきにかけたが、「電源が切られているか、電波の届かない場所におります」と言うアナウンスが流れただけだった。


――せっかく携帯買ってやったのに、これではなんにもならんじゃないか。


二階堂はそのまま走り続けた。




もと神社のあった場所の横に、簡易のプレハブが建っている。


そして神社のあった跡地は、もうほとんど片付けられていた。


今は工事の人は見あたらない。


おそれく今日は休日なのだろう。


プレハブの中では、龍夜が暇にまかせてごろごろしていた。


そのそばではゆづきが正座をして両手で印を結び、目を閉じている。


龍夜が言った。


「ああっ、退屈だ、退屈だ。退屈だったら、退屈だ」


ゆづきは何も言わない。


「なあ、ゆづき、何かわかったか」


ゆづきはやはり答えない。


微動だにしないゆづきを見た後、龍夜は寝転がったままプレハブの低い天井に目をむけた。


その時である。


ゆづきが叫んだ。


「龍夜様、何かが来ます!」


「何だ?」


「早くここを出てください!」


ゆづきがそういい終わるか終わらないうちに、龍夜はゆづきをお姫様抱っこで抱え上げて、外に向かって走った。


龍夜が外に出ると、ちょうど石段を登り終えた二階堂と目があった。


「おい、龍夜。ここは危ないぞ」


「わかってる。俺もたった今ゆづきにそう聞いた」


「ゆづきも気がついたか」


「ああ、また何かやって来るみたいだな」


「そのようだな」


「あのう龍夜様、お願いです。降ろしてください」


「で、おっさん。何が来るんだ」


「そこまでは、わからん。でも間違いなく、何かが来るぞ」


「龍夜様、早く降ろしてください」


「ここ数日おとなしくしていたと思ったら、突然これかい。あんにゃろう、来るならとっとと来やがれ」


「龍夜、油断するなよ。相手は何をしてくるかわからんぞ」


「もう龍夜様、早くしてくださいませ」


「そう言えば、自衛隊から爆弾が盗まれたはずだ」


「そうだ。それを使うつもりなのかもしれんな」


「龍夜様! 龍夜様! 龍夜様!」


「うん? ゆづきどうした。今大事な話をしているところなんで、いい子にしてちょっと待っててくれないか」


「ですからその前に降ろしてください! ゆづきは恥ずかしいです」


「おおっ、ゆづき、悪かった。今降ろしてやるからな」


龍夜がゆづきを優しく降ろす。


と同時に、龍夜達の眼前の空間が、大きく淡く光り始めた。


二階堂が龍夜の肩をたたく。


「来るぞ」


「ああ、来るぜ」


その淡い光はやがて実体化していった。


それは多くのゴブリンたちがしがみついているギガントであった。


そこまでは前回と同じだったが、ひとつ大きく違っているところがあった。


そのギガントは、導火線に火のついたダイナマイトを、何十本と体中に巻きつけていたのだ。


龍夜が叫んだ。


「おっさん、ゆづきをつれて、逃げろ!」


「わかった」


二階堂はゆづきをお姫様抱っこで抱え上げると、石段に向かって走った。


「ふうっ!」


龍夜は左手に力を込めた。その左手の肩から指先までが青く光り、瞬時に水龍へと変化する。


龍夜は水龍をギガントに向けて構えた。


「行けえっ!」


すると水龍の口から、大量の水が吐き出された。


その水量は、とてもその小さな口から出ているとは思えないほどの水量で、消防車の放水をはるかに凌駕するものだった。


そしてギガントの頭の上よりも高く吹き上げられた大量の水は、あっと言う間にギガントにつけられたダイナマイトの導火線の火を、全て消し止めた。


「どうだ、まだやるか」


龍夜はギガントを見た。


そのギガントの目は、とても寂しいものをその瞳の奥に宿していた。


龍夜はギガントに張り付いているゴブリンたちの目も見た。


そのゴブリンたちの目も、みんな一様に悲しいものに龍夜には写った。


そのまま動かずにじっとお互いを見ていた。


が、やがてギガントの頭の上にいた一匹のゴブリンが、さっと右手を上げると、ギガントとゴブリンたちが淡い光に包まれ始めた。そしてその光はだんだんと強くなり、一瞬大きく輝いた後、消えた。


そこにはもうギガントもゴブリンたちもいなくなっていた。




龍夜は石段のところに行くと、下に向かって言った。


「おーい、おっさん。もう大丈夫だぜ」


「わかった」


二階堂はゆづきをお姫様抱っこでかかえたまま、石段を登って来た。


石段を登りきると、龍夜が強い口調で言った。


「おい、おっさん。なんでゆづきをお姫様抱っこしてるんだ」


「なんで、だと? お前がゆづきを連れて逃げろと、言ったんじゃないか」


「二階堂様、お願いです。降ろしてください」


「確かにそうは言ったが、抱っこしてもいいとは言ってないぜ」


「何を言う。小さな女の子をつれて逃げるんなら、こうなるのが当然だろう」


「二階堂様、早くおろしてください」


「おっさんこそ、何を言ってる。ゆづきを抱っこしていいのは、世界中でこの俺一人だけだぜ」


「そうならそうと、先に言えばいいだろう。せっかくお前の言うとおりにゆづきを助けたのに、それで文句を言われたのでは、かなわん」


「あのう二階堂様。早くしてください」


「そんなことわざわざ言わなくても、わかってるだろう。まったく、カンの鈍いおっさんだぜ」


「鈍いとは何だ、鈍いとは。これでもこの俺は、子供の頃からカンは鋭いと言われ続けてきたんだぞ」


「二階堂様。二階堂様ったらあ……」


「鈍いから鈍いと言ってるんだ。この、鈍感ロリコン公務員が!」


「なんだとお」


ゆづきが大きく息を吸い込んだ。


「もう、龍夜様も二階堂様も、いいかげんにしてください!」




暗くて深い陰気な洞窟の奥。


そこに十二人の白人男性がいた。


しかしその顔は、全員いびつに歪んでいた。


中には蝋人形の顔が溶けたかのようになっている者もいる。


それはもはや人間の顔とは言えなくなっていた。


みんなだまってお互いの顔を見ていたが、顔の右半分だけがだらりと下がっている男が言った。


〝また失敗しちゃった〟


それに周りの男達が答える。


〝うん、また失敗しちゃったね〟


〝ほんとに強いなあ、あいつ〟


〝まさかあんなに水を、いっぱい出してくるとは、思わなかったなあ〟


〝思わなかったなあ〟


〝あの手はいろんなことができるんだなあ。ちょっぴり羨ましいかも〟


〝そんなこと言ってる場合じゃないよ。このままじゃあ、ものすごくやばいよ〟


〝そうだね、ご飯も食べられないし〟


〝おまけにドラゴンの子の仇も討てないし〟


〝困ったね〟


〝うん、困った〟


〝何とかしないと〟


〝うん、何とかしないとね。で、どうしよう〟


〝そんなこと、おまえが考えろよな〟


〝何言ってんだよ。考えるのは、おまえの役だろう〟


〝そんなの初めて聞いたよ〟


〝前にちゃんと、言っただろう〟


〝聞いてないよ〟


〝いや、間違いなく言ったぞ〟


〝だから聞いてないって、言ってるだろう〟


〝自分が忘れただけじゃないか。このバカ〟


〝バカとはなんだ、バカとは。もういっぺん言ってみろ〟


〝バカにバカと言って、何が悪いんだい。何度でも言ってやるよ、このバカバカバカバカバカ〟


〝なんだって。バカはお前だろうが、このバーカ〟


〝バーカとはなんだ、バーカとは。僕はバカとしか言ってないだろう。それなのにバーカだって。おまえ、もう許さないからな〟


〝許さない、だって。ふーん、許さないんだったら、いったいどうするんだ〟


〝こうするんだ〟


一人の男が目の前の男につかみかかった。


〝おい〟


〝おいおい〟


〝なにやってる〟


〝バカ、やめろ〟



周りの男達がよってたかって、その二人を押さえる。


それに参加しなかった一人の男が言った。


〝もううるさいぞ! ケンカしてる暇があったら、何か考えろ〟


その時、つかみかかった男をふりだけ、というか申しわけ程度に抑えている男が言った。


〝僕、今、いいこと思いついちゃった〟


〝えっ〟


〝なに、なに〟


〝なんなの?〟


〝教えて、教えて〟


〝それはねえ〟


その男の周りに、他の男達が集まってきた。


ゆづきを降ろした後、二階堂が言った。


「せっかく携帯買ってやったのに、つながらなかったぞ」


「あれっ、おかしいなあ。なんでだろう」


「龍夜様、おそらくここが山の中だからでございます」


「そうか。山の中は繋がりにくいからなあ」


「この前はお前から電話がかかってきたぞ」


「あれは多分夜だからだな。夜より昼間のほうが繋がりにくいという話を、聞いたことがあるぜ」


「それではなんにもならんな」


「そうでございますね」


龍夜が何か考えている。


「いやいい考えがあるぞ」


「なんだ」


「例のスポンサーに、携帯用のアンテナを立ててもらうんだ。二階堂のおっさんの話をして、いざと言う時電話が繋がらないとゆづきの命にかかわると言えば、必ずおっ立ててくれるさ」


「それがいいいな。そうしてもらえ」


「よっしゃあ、そうするか」


「ご面倒ですが、そうしていただきましょう、龍夜様」


「そうしてもらうと、俺も今よりは安心できるな」


「決まりだな」



二階堂がいやいや仕事に戻った後、龍夜はやはりプレハブの中で、ごろごろしていた。


台所の端にいたゆづきが、龍夜の所にやって来る。


「龍夜様、お茶がはいりましたよ」


「おおっ、ありがとうゆづき」


龍夜は茶碗を手に取ると、お茶をずるずる音をたてて、飲みだした。


そして一気に飲み終えると言った。


「あーーっ、おいしかった。やっぱりゆづきの入れてくれるお茶は、いつもいつもうまいなあ」


「もう、龍夜様ったら」


「いやいや、ほんとにうまいぜ。……ところでゆづき、話は全然かわるけど、あいつら、ギガントやゴブリンどものことだけど」


「はい、なんでございましょう」


「俺は今日、あいつらの目をじっくり見た。人間じゃないからはっきりとはわからんが、なんと言うか、とても悲しそうな目をしてたんだ。もともとそんなに凶暴な目でもなかったけど。やっぱり上の十二人に使われているのか。だいたい、あのままダイナマイトが爆発したら、あいつら全員お陀仏だったしな」


「ギガントとゴブリンたちのことは、二階堂様のほうがより強く感じるようでございます。しかしここのところ、ようやく私にも感じられるようになりました。おそらくこの目で直接見たからでございましょう。私がギガントやゴブリンたちから感じることは、恐怖、不安、悲しみ、そして一番強く感じるのは怒り憎しみ、でございます。その感情は、上の十二人に向けられているようでございます」


「やはりな。上の十二人に無理やり使われているというわけだな」


「はい、龍夜様の言われるとおりでございます。私の感じるところによりますと、残念ながら何かはわかりませんが、上の十二人に何か弱みを握られていて、そのためにやりたくないことを、無理強いされているようでございます」


「うーん、なるほどな。すると完全に敵だと言うわけでもなさそうだな。これは、何かはよくわからねえが、いいことのような気がするぜ」


「と、おっしゃいますと」


「うーん、具体的にはなにも。ただふとそんな気がしただけだ」


「左様でございますか」


「まあ、そのうちに何かわかるかもしれんな。あわてない、あわてない。でゆづき、そろそろニュースの時間だぜ」


龍夜がリモコンのスイッチを押す。


するとちょうど夕方のニュースが始まったところだった。


そしてその日のトップニュースは、あるアパートから二人の子供が、忽然と消えたことだった。


消えたのは、共に四歳の男の子と女の子だということである。


子供の消えたアパートは、前に十二人の子供が消えたアパートのすぐ近くにあるアパートだった。


現場にいる若い女性レポーターが、住民の不安を大げさな口調で伝える映像を見ながら、龍夜が吐き出すように言った。


「やられたな」


ゆづきは何も答えなかった。


ただ小さくなってうつむいている。


「こっちがあいつらが攻めてくることに気を取られている隙をつかれたぜ。おまけに二人だけときたもんだ。子供をさらったゴブリンも二匹、いやひょっとしたら一匹だけかもしれないぜ。一匹のゴブリンが、二度にわたって子供をさらったのかも。動いたゴブリンの数が少なかったんで、ゆづきも気がつかなかったんだ」


ゆづきが泣きそうな声で言った。


「でも、気がついてあげるべきでした。私がちゃんと視ていれば、消えた二人の子供達が、助かっていたと言うのに。私の力が足らないばかりに……」


「そう気がつけばよかったんだ。気がつくことが出来れば、それに越したことはないんだ。でもこの間も言っただろう。俺たちは神様じゃないんだ。全知全能じゃないんだぜ。ゆづきのおかげで助かった子供も何人もいるんだ。俺たちがやれることは、一つ残らず全部やってるんだ」


「でも龍夜様……」


ゆづきは今にも泣きそうな顔で、龍夜をじっと見つめた。


そのゆづきを龍夜はそっと抱きしめた。


「もう一度言う。そんなに自分を責めるな。それにギガントやゴブリンたちが自分の意思で子供をさらったり、俺たちを襲ったりしてないことが、わかったじゃないか。それなら本当の敵はただ一つ。上の十二人だぜ」


「はい、龍夜様のおっしゃるとおりでございます」


「そこで俺はゆづきに命令する。上の十二人が何者か、そしてどこに潜んでいるかを集中して探れ。あいつらがやってくるのを待ってるだけじゃ、いつまでたってもやられっぱなしだ。きりがないぜ。それにやってくるのは、無理やり働かされているギガントとゴブリンたちだけだ。それなら上の十二人を探り出して、こちらから仕掛けてやるしかないぜ。わかったな、ゆづき」


「はい、わかりました、龍夜様」


ゆづきは龍夜に抱きしめられながら、両手で印を結び、眼を閉じた。




成田空港の駐車場に一台のオートバイが停まった。


前に全身黒づくめの男、後ろに少し派手な巫女の衣装を着た小さな少女が乗っている。


龍夜とゆづきである。


二人はオートバイを降りた。


龍夜が言った。


「ここにいるのか」


「はい、ここでございます」


「そうか、もう誰かもわかっているんだな」


「はい、わかっております。ちゃんと視ることができました。上の十二人の姿を直接その眼で見て、なおかつその邪悪な本質に気がついたただ一人の人間が、まちがいなくここにおります」


「じゃあ、その人に会いに行くか」


「はい、龍夜様」


二人は空港の中へと入っていった。




マリアンヌは従業員用の通路を歩いていた。


彼女はあの日以来、異様な十二人を目撃して以来、頭の中にずっと黒いもやのようなものを宿していた。


それは空港に近づくとより大きくなり、飛行機に乗るとさらに濃くなっていった。


その邪悪なもやは、マリアンヌ自身がはっきりと感じとれるほどに、彼女の精神を蝕み続けていた。


――もう限界だわ。


マリアンヌは幼い頃から客室乗務員の仕事にあこがれていた。


そうしてようやく夢がかなった。


毎日が楽しく楽しくてしかたがなかった。


時に嫌な乗客の相手をしなければならないこともあるが、そんなことは彼女にとっては至極些細なことだった。


しかしあの日見た十二人は全く違っていた。


あの日以来マリアンヌの頭の中に住みついた黒くて嫌なものは、日に日に大きくなっていった。


彼女はもうこれ以上耐えられないと思った。


今日こそは辞める意志を会社に伝えようと考えていた。


そう決めた夕べの夜、彼女は一晩中泣き明かした。


――他にやりがいのある仕事が見つかればいいのだけれど。


そんなことを考えながら歩いていた彼女の前に、突然何の前触れもなく二人の人間が姿を現わした。


一人は全身黒づくめで長髪で目の大きな美しい東洋人の少年。


そしてもう一人はその少年に負けないくらい大きな眼をした、同じく東洋人で十歳くらいの、見るからに利発そうな美少女である。


その少女は、マリアンヌにはよくわからなかったが、日本の古い時代の服装に見える衣装を着ていた。


少女がマリアンヌに近づいてきて言った。


ゆづきである。


そしてそれは完璧なフランス語だった。


「突然失礼します。マリアンヌさんですね。私は九龍ゆづきと言うものです。そしてこちらが九龍龍夜です。実はあなたに折り入ってお聞きしたいことがあります。それはあなたが少し前に見た、十二人の奇妙な乗客のことです」


マリアンヌは驚いた。


――この少女は、いったい何者なのかしら? ……なんであの十二人のことを知っているのかしら? ……でも、あのことは思い出したくはないのに。それなのに毎日思い出していると言うのに。そんなことを口に出さなくてはならないなんて、……とんでもないことだわーー。


マリアンヌが少女を見ていると、少女がにっこりと笑った。


子供の笑顔は可愛いものだ。


しかしマリアンヌは今までに、これほどまでに完全無欠な少女の笑顔と言うものは、一度も見たことがなかった。


その不思議なまでに完成された笑顔を見ていると、マリアンヌはつい口を開いてしまった。


「あの十二人について、いったい何が知りたいと言うの?」


少女はゆっくりと、そして柔らかく言った。


「あの十二人を見て、なにを感じたかです。あなたがいったい何を感じたのか、それを教えてください」


その言葉を聞いた途端、マリアンヌの中でずっとつまっていたものが、せきを切ったように流れ出した。


マリアンヌは少女に言った。


あの十二人がどれほど気持ち悪かったのか。


そしてどれほど暗くて黒くて嫌なものを、その奥に感じたのか。


今まで母親にさえ言えなかったことを、全て目の前の少女に向けて吐き出した。


全部聞き終わると少女の目の中に、哀れみの色が浮かんできた。


「そうですか、わかりました。おかわいそうに。あなたも犠牲者の一人だったんですね。感じる力がたまたま人よりも強かったがために、こんなことになってしまって。でも約束します。この悪夢もやがて近いうちに必ず終わることでしょう。おつらいでしょうが、それまでなんとか頑張ってくださいね」


少女は背伸びをして手を上げると、マリアンヌの額に軽く触れた。


それはとても暖かかった。


単純に体温のことではない。


それ以外の何か。


よくはわからないが神秘的な暖かさとでも言うのだろうか、癒しの暖かさとでも言うのだろうか。


そんな暖かさをマリアンヌは少女の小さな手から感じとっていた。


やがて少女はゆっくりと手を離すと、優しさで満ちあふれる眼でマリアンヌを見た後、両手をそろえて深々と頭を下げた。


「本当にありがとうございました。いろいろとお手数をおかけしました。私達はこれで失礼します」


そしてマリアンヌに背を向けて歩き出した。


横にいた少年が軽く頭を下げると、少女の後を追った。


マリアンヌは二人の後ろ姿を見ていた。


その時彼女は、ずっと頭の中に居座っていた黒く重たいもやが、少しばかり軽くなっていることに気がついた。


これをもし病気だと言うならば、完治にはまだ遠いだろう。


しかし毎日確実に重くなっていたものが、少しとは言え初めて軽くなったのだ。マリアンヌは思った。


――もう少しだけ、もう少しだけあの娘の言うように、頑張ってみよう。




龍夜とゆづきが歩いている。


二人はオートバイを停めた場所に向かっていた。


龍夜が言った。


「今ので何かわかったのか。俺にはあいつらがとにかく邪悪と言うこと以外、何もわからなかったが」


「はい、わかりました、龍夜様。少し前からうすうすは感じてはおりましたが、あの女性の話で、はっきりと上の十二人の正体をつかむ事ができました」


「そうか。で、あいつらいったい何者なんだ」


「龍夜様、あやつらは、子取り鬼でございます」




二階堂が龍夜たちの仮住まいに行くと、プレハブの横に見たことがないような奇妙な形のアンテナが立っていた。


――これが携帯のアンテナか。


二階堂がそれをしげしげとながめていると、プレハブの中から龍夜が顔を出した。


「よお、来たな」


「これが携帯のアンテナだな」


「そうさ」


「ずいぶんと大きいもんだな」


「ああ、大きいほど性能がいいらしいぜ」


「これで一安心だな」


「でも家の中の線に、ずっと繋いどかないといけないんだぜ。せっかくの携帯が、固定電話みたいになってるぜ」


「それは仕方ないだろう」


「まあそうなんだけどさあ」


ゆづきが顔を出す。


「二階堂様、いらっしゃいませ」


「おう、ゆづき来たぞ。アンテナ出来て、よかったな」


「はい、簡易のアンテナの中では、一番性能が良いとのことです。一日でたててくださいました」


「ほんとにいいスポンサーだな」


「はい、ほんとにいいスポンサーでございます」


「おっさん、ゆづき、その話はそれくらいで。もう本題に入ろうぜ」


「ああそうするか」


二階堂は中に入った。




プレハブのさして広くない部屋で、三人が座っている。


中央にゆづき、向かい合うように右に二階堂、そして左に龍夜。


いつもの場所である。


二階堂がゆづきに言った。


「上の十二人の正体がわかったそうだが」


「はい、わかりました、二階堂様。あやつらは、子取り鬼でございます」


「子取り鬼? 鬼、ということは、日本のもののけなのか」


「いいえ違います、二階堂様。子取り鬼というのは日本での呼び名、つまり日本語に訳した名前でございます。その昔、西洋の幻獣やもののけを日本語に訳した時、人型のもののけのいくつかは、なになに鬼と訳したのでございます。あやつらもその例にもれず、子取り鬼と訳されました。子供を取って食べるからでございます」


「そうか。で、向こうでの呼び名は、何と言うんだ」


「西洋での呼び名は、〝オーガ〟でございます」


「オーガ? なんか聞いたことがあるような気がするが」


龍夜が会話に入ってくる。


「まあ、伝説や童話なんかに、たびたび出てくるからな。有名なところでは、長靴をはいた猫に出てくるオグル、英雄ベオウルフに片腕を取られたグレンデル、ジャックと豆の木にでてくる巨人なんかが、オーガだ」


「長靴をはいた猫は子供の頃に読んだことがある。けっこう好きだった童話だ。たしかあそこに出てくるオグルは、ぺロに変身能力をおだてられて、それで豆になったとたん、ぺロに食われたんじゃなかったかな」


「そのとおりだぜ、おっさん。その年でよく覚えているな」


「その年で、はよけいだろう。だとすると猫にだまされるなんて、あんまり賢いとは言えないんじゃないのか」


「とは言っても、ペロはケット・シーだぜ」


「ケット・シー、とは何だ?」


「ケット・シーとは、ゴブリンやギガントと同じで、まあ幻獣と呼ばれているものだ。日本流に言えば、化け猫、かな? とにかくケット・シーは人間より頭が良くて口が達者だと言う話だから、騙されてもしょうがないんじゃないのか」


「そうかな」


ゆづきが言った。


「確かに子取り鬼、オーガは、あまり賢い幻獣とは言えません。でも、決して愚かであると言うわけでも、ないのです。それに一人だとそれほど気を使う必要はないと言えますが、十二人もいるということが、一番問題なのでございます」


二階堂がゆづきに聞く。


「なんで十二人いることが、問題なんだ」


「先ほど申しましたように、奴らは愚かではありませんが、決して賢くもないのです。しかしその理由はわかりかねますが、やつらオーガは、その人数が増えれば増えるほど、悪知恵がより働くようでございます。人間も一人で考えるより何人かで集まった方が、よりよい案が浮かぶと言われていますが、オーガたちはもとの知能から考えれば、人間以上にその差が大きいように思われます。それに人間は多く集まれば、意見が二つになったり三つに分かれたりしますが、オーガたちは全くそんなことがないのです。多人数で話をしていると、そのうちに一人が何かを思いつきます。すると全員がそれにしたがう。そんな不思議な特性を持っております」


今度は龍夜がゆづきに聞いた。


「そうすると、常に何らかの悪知恵を思いつくという訳かい」


「はい、そのとおりでございます。そして悪知恵と言いましたが、その悪知恵こそが、やつらの最大の武器だといえましょう」


「悪知恵が最大の武器だって?」


「はい、左様でございます、龍夜様。それは前に戦ったドラゴンの子とその下僕たちとの戦いを思い起こしていただければ、よくわかることと思われます。ドラゴンの子とその下僕たちは、邪悪で強力な存在ではありましたが、悪知恵にたけているとは言えませんでした。むしろその逆と言ってよいかと思われます。奴らは私達と戦った時、いつも正面から肉弾戦を挑んできました。それは私を自らの屋敷に拉致した時でさえ、変わりませんでした。龍夜様も二階堂様もご存知のとおり、私を人質として盾として戦うようなまねは、一切しなかったのでございます。ところがオーガは全く違います。あやつらは正面きって正々堂々と戦うことなど、考えたこともありません。あやつらは相手を騙し、不意打ちを仕掛け、汚い手を使って倒すことのほうに生きがいを感じるのでございます。その手段が汚く卑怯であれば卑怯であるほど、達成した時に満足感を得られるのでございます。これまでの戦いにおいても私達の前に現れたのは、あやつらに無理強いされているギガントとゴブリンたちだけでした。おまけに自衛隊から盗んだ爆弾まで使っています。今後どんな汚い手段を使ってくるのか、今のところまるで予想がつきませぬ。まさにあやつらは、ずるいことならなんでもありなのでございます」


「卑怯な手段を使って喜んでいるってか。まるで性格の悪いガキだぜ」


「はい、龍夜様、そのとおりでございます。あやつらは子供なのでございます。しかも悪い意味で子供なのです。あやつらは残酷で、悪知恵が働き、ひたすら卑怯です。おまけに幼稚でわがままで、見栄っ張りで自己中心的なのでございます」


二階堂が呆れたように言った。


「なるほどな。それで奴隷のように使っているとは言え、一応仲間であるギガントにダイナマイトを巻きつけて、送り込んできたんだな」


「いいえ、二階堂様、オーガたちはギガントやゴブリンたちを仲間だとは、露ほども思ってはおりませぬ。全ては道具、消耗品としか考えていません」


「……」


「しかしあやつらがオーガと判明しましたおかげで、奴らが何故日本に着たのかがわかりました」


龍夜が聞いた。


「ゆづき、それはどうしてなんだい」


「はい、龍夜様、それはあやつらの見栄っ張りな性格を考えれば、おのずとわかることでございます。それは龍夜様が、ドラゴンの子を倒したからでございます」


「俺がドラゴンの子を倒したから、だって?」


「はい、左様でございます、龍夜様。ドラゴンの子の名は、ヨーロッパの幻獣やもののけたちの間では、かなり有名であったようでございます。そして彼らから、一目置かれる大きな存在でございました。そのドラゴンの子を倒した龍夜様を殺すことができれば、自分達の名が一気に上がる、今まで以上にヨーロッパのもののけどもの中で横柄に振舞える。つまり好きなようにわがまま放題することが出きる。オーガたちはそのように考えているようでございます」


二階堂がさらに呆れる。


「なんてやつらなんだ。まさに性根の曲がったガキだな。で、奴らはヨーロッパの何処から来たんだ」


「はい、それもわかりました。あやつらは生まれ故郷であるフランスの深い森の奥からやってきたのです。おまけに同じくフランスからゴブリンたちを、ギリシャからギガントを引き連れて、この日本に来たのでございます。龍夜様を殺すために。そしてそのついでに、日本の子供達を喰らうために」


「でもどうやって日本に来たんだ。さっき会ったおフランスのねーちゃんの話によれば、オーガどもは人間に変身して飛行機で来たみたいだが。でもゴブリンたちはどうやったんだ。まさか人間の子供に化けたわけでもあるまいし。ましてやギガントは、見た目は人間だがあのでかさだ。飛行機に乗るなんて芸当、とてもじゃないができないぜ」


「それは飛んできたのでございます」


「飛ぶって? 鳥みたいに」


「いいえ、そうではありません。龍夜様も二階堂様もご覧になったでしょう。ゴブリンたちがギガントといっしょに飛ぶところを」


「ああ、見たぜ。瞬間移動と言うやつだな。……そうかあれか。そういえばギガントとゴブリンの団体さんが、あっと言う間に目の前から消えるのを見たな。ということはゴブリン一匹だけだとせいぜい十メートルくらいしか飛べないが、たくさんいれば遠く飛べるというわけか?」


「はい、そのとりでございます。ゴブリンたちは、その数が集まれば集まるほど、より遠くまで飛ぶことができるようです。そして数によっては、地球を一周するくらい飛べるようでございます。その能力を使ってギガントと自分達の体を、日本まで飛ばしてきたのでございます」


しばらく黙っていた二階堂が口を開く。


「でもさっきの話だと、オーガたちは人間に化けて飛行機で日本にきたようだが。なんでゴブリンに運んでもらわなかったんだ」


「それもオーガたちの性格を考えれば、おのずとわかることでございます。あやつらは、自分達の変身能力に自信を持っております。おまけに人間に化けて他の国に行くには、衣服はもちろんのこと、旅行者らしい荷物や必ず必要なパスポートも用意しなければなりません。それに航空券を買うお金も必要です。オーガたちは変身能力以外に……私も詳しくはまだわかりませんが、ある種の魔法のようなものを使えるようでございます。それを使って衣類やパスポート、現金などを作ったのでございましょう。それは自分の力を誇示したいがためということでもありますが、それ以前にそんなことをするのが、おそらく面白かったのだと思われます。子供がゲームをして楽しんでいる。その感覚に近いのでしょう。一言で言えばあやつらは、単に遊んでいるだけなのでございます」


二階堂がぽつりと言った。


「そうか、子供の遊びか……」


「はい、二階堂様。あやつらにとっては、全ては遊びなのでございます。ゴブリンたちやギガントを使うのももちろんのこと、龍夜様を殺すのもそうでございます。なにもかも、ただの子供の遊びにすぎませぬ」


今度は龍夜が呆れたように言った。


「まったくなんてやつらだぜ」


「はい、そのとおりです。でも龍夜様、あやつらは遊びですが、こちらは真剣にことを構えませんと、遊びで殺されてしまいます。十分にお気をつけ下さい。あやつらの目的は龍夜様なのですから」


「わかったゆづき。ありがとう、十分に気をつけるぜ」


「俺ももう一度じっくりと、探ってみるか」


「私も、二階堂様にならいたいと思います」


「ああ、ぜひそうしてくれ」




暗く湿った洞窟の奥。


そこにオーガたちが一つの輪になって立っていた。


〝ふうっ、やっとできたね〟


〝できたね〟


〝でも、思ったより細工が難しかったなあ〟


〝そうだね〟


〝むずかしかったね〟


〝時間かかったね〟


〝かかったね〟


〝でも生きもんだから〟


〝しょうがないよ〟


〝そうだよ〟


〝で、できたんなら、もう送りこもうか〟


〝うん、それがいいね〟


〝早いほうがいいね〟


〝それがいい、それがいい〟


〝そうしよう、そうしよう〟


そう言って騒いでいる十二人の輪の中心に、二人の子供がごろりところがされていた。


二人とも眠っているのか、目を閉じ微動だにしない。


その二人は、この度行方不明となった男の子と女の子だった。




ゆづきの話は終わった。


二階堂がゆっくりと腰を上げる。


そのまま入り口に行き、プレハブの粗末な戸に手を掛けると振り返った。


「それじゃあ、お邪魔したな。ゆづき、また来るからな」


「はい、いつでもおいでください。お待ちしております二階堂様」


二階堂が出て行くと、龍夜がゆづきの顔を横目で見た。


「なあ、ゆづき。あのおっさん最近帰る時、いつもこの俺にご挨拶なしだぜ」


「気になりますか、龍夜様」


「じぇんじぇん。別にあんなロリコンのおっさんにあいさつされなくても、なんとも思わないぜ」


龍夜はそう言うとゆづきから目線をそらして、何もない空間を見上げて、鼻の頭を人差し指でぼりぼりかいた。


それを見てゆづきが小さく笑う




二階堂は車に乗り込んだ。


やがて車は走り出した。




ゆづきが龍夜に言った。


「もうすぐ昼食のお時間ですね、龍夜様。ただいまご用意いたします」


「おう、ありがとう。何度も言うけど、ゆづきの作ってくれるご飯は、ほんとうまいからなあ」


「もう、龍夜様ったら」


ころころ笑いながら、ゆづきは台所へむかった。




二階堂の車が山道を走っている。


車を運転しながら考えていた。


――そういえばもうすぐ昼食の時間だったな。失敗した。ゆづきの作ったご飯食べてから、出て行けばよかった。


これから笹本君と仲良く仕事だ。


てんで乗り気のしない目で前方を見ていた二階堂の眼が、突然大きく見開いた。


――こいつはいけない!


二階堂はUターンをしようとした。


しかしずっと続く細い山道に、Uターンの出来そうな場所は、何処にも見当たらない。


二階堂はとにかくUターンの出来そうな場所を見つけようと、アクセルを踏み込んだ。


そうしながら二階堂は携帯電話に手をかけた。


電話は繋がらなかった。


機械的な女性のアナウンスが、淡々と流れるだけである。


――でかいアンテナも建てたのに。昨日かけた時はちゃんと繋がったのに。いったいなんでなんだ!。


二階堂は携帯を助手席に投げすてた。




ゆづきは台所に立っていた。


とは言っても簡易プレハブの家である。


部屋の隅に小さな流し台とガスコンロがあるだけだ。


そこでゆづきは料理をしていた。


台所に立つゆづきのすぐ横で、龍夜がごろごろしていた。


そのままゆづきの後ろ姿と天井をゆっくりと交互に見ていたが、思い出したように、一つ大きなあくびをした。

 



二階堂は映画のカースタントのような運転を続けながら、助手席に転がっている携帯を拾い上げた。


そして再び龍夜に電話をしたが、やはり繋がらない。


――まさか、電源を切ってるのか?


二階堂は意識を集中し、〝視て〟みた。


すると龍夜たちの携帯が、今目の前にあるかのように視えた。


その携帯は間違いなく電源が入っていた。


アンテナの線もちゃんと接続されている。


――だったら何故だ?


二階堂は携帯を助手席に置いた。


――とにかく今は運転に集中しないと


左手、右手の順に、ハンドルを強く握りなおした。

 



神社の外に何か動くものがあった。それは三匹のゴブリンである。


中央にいるゴブリンが、その手に鈍く光る大きなナイフを持っていた。


そしてその鋭利な刃で、アンテナからプレハブに引き込まれていた線を切っていた。


やがて三匹は手をつなぎ合った。


ゴブリンたちの体が淡い光に包まれ、一瞬強く輝くと消えた。




――あったぞ、やっとあったぞ。


二階堂はようやくUターンの出来そうな場所を見つけた。


今まで嫌になるほど曲がってきたカーブと大きくは変わらないが、カーブの内側がわずかに広くなっている。


二階堂は急ブレーキをかけ、急ハンドルを切った。


しかしそれほど広くない場所で、一回の切り返しでUターンをするのは、物理的に不可能だ。


二階堂はハンドルを切りながらバックした。


そして再び前進させ、もう一度バックした。


が、Uターンが完了するには、まだまだ車を前後させる必要がある。


車は再びバックした。


ガードレールのない山道の深い崖すれすれのところで、車の後輪が止まった。


切り立った崖の端にあった握り拳大の石が、タイヤに押され、深い谷底に吸い込まれるように落ちていった。




ゆづきが流し台で大根を切っている。


龍夜は畳の上をごろごろ転がっている。


不意に止まると、半分以上閉じた目で天井を見つめた。


ゆづきは大根を切り終えるとまな板を持ち上げて、包丁を使って大根を鍋の中に入れた。




二階堂の車はバックした。


そして前進し、再びバックをする。


再び前進、そして再びバック。


その距離は、歯がゆいほどに短かった。


そのまま数え切れないくらい切り替えしたところで、ようやく車をUターンさせることが出来た。


――間にあえば、いいが。


二階堂は、この先が激しいカーブの続く細い山道にもかかわらず、アクセルを思いっきり踏み込んだ。




ゆづきは鍋の中におたまを入れて、汁を少しすくって飲んだ。


――うん、これならいいかな。


ゆづきは龍夜に目をやった。


龍夜は目を閉じて、小さな寝息をたてている。


それを見てゆづきが微笑む。




二階堂の車は、細い山道を信じられないスピードで走っていた。


再び携帯を手にしたが、やはり繋がらない。


――くそっ、あのバカ、あんな辺ぴな所に住んでいるからだ。


車は相変わらず猛スピードで走っている。


並の運転技術の持ち主なら、とっくの昔に崖に激突するか、はたまた反対側の深い谷底におちてしまうと思えるほどのスピードだ。


しかし二階堂進はそうはならなかった。


自殺行為と思えるほどのスピードを保ったまま、走り続けていた。




ゆづきがお盆にのせた昼食を、ちゃぶ台の上に置いた。


龍夜はあいかわらず一人夢の中でまどろんでいる。


ゆづきは龍夜の体を優しく揺らしながら、その口を龍夜の耳元へ近づけて言った。


「龍夜様、お食事の用意が出きました。起きてくださいませ」


「うーーん……いつの間にか寝てしまったようだな」


「はい、ご飯ですよ」


「おうっ、いつもながらうまそうだ。いただきまーす」


龍夜がものすごい勢いで食べはじめる。


「もう、龍夜様ったらあ。もう少しゆっくりと、おあがりください」



二階堂の車が相変わらず激しく走り続けている。


車の崖側のボディに、いくつもの傷やへこみが出来ていた。


途中で何度か崖に軽くぶつけたりこすったりしたからだ。


しかし二階堂は、そのことに気付いてさえいなかった。




龍夜に続いてゆづきが食事をはじめた。


そして煮えた大根を口に含もうとした時、その手がぴたりと止まった。


龍夜を見る。


「龍夜様、来ます」


龍夜が即座に反応した。


何も言わずに立ち上がってゆづきを抱え上げると、入り口の戸を蹴り開けて外に出た。


外には何もいなかった。


龍夜はゆづきを抱き上げたまま、待った。


ゆづきも龍夜に抱えられたまま、おとなしく待っている。


いつのまにかゆづきは、神社の敷地の中央付近を見つめていた。


龍夜がそれに気づき、同じところを見た。


二人で何もない空間をじっと見ていると、やがてその空間に白く淡い光が現れた


。現れた光はふたつである。


やがて光が消え、その実態を現した。


それら二つの影は、人間の子供とゴブリンだった。


真ん中に子供、そしてその左右の手を二匹のゴブリンが握っていた。


それが二組いる。


実体化したかと思うと、四匹のゴブリンは子供の手を離し、お互いに手をつなぎあった。


そして再び淡い光に包まれたかと思うと強く輝き、やがて消えた。


あとには二人の子供が残された。


青白くまるで生気のない顔をした四歳くらいの男の子と女の子だ。


なにか薬でもかがされているのだろうか。


身体はなんとか立って入るが、力なく、今にも倒れそうだ。


そして薄目をあけてはいるがその表情はとぼしく、口はだらしなく半開きで、目も何も見てはいないようだ。


意識はほとんどないように思える。


龍夜がゆづきを下に降ろした。


「あいつら子供を残して行ったぞ。どういうつもりだ」


「……」


ゆづきはそれには答えなかった。


何かに意識を集中しているようだったが、やがてぽつりと言った。


「何か聞こえませぬか、龍夜様」


「何か聞こえる、だって?」


龍夜も意識を集中した。


最初は鳥の泣く声と風の音しか聞こえなかった。


が、やがてかすかではあるが、何か小さな音が聞こえてきた。


カッチ、カッチ、カッチ


その音は、そう聞こえた。


龍夜が何かを感じて走り出し、子供達の背後に回る。


そして見た。


死人のように立っている子供達の背中に、時計とそれに連動したダイナマイトが取り付けてあった。


そしてその秒針は、あと数秒でダイナマイトが爆発することを告げている。


「ゆづき、逃げろ!」


ゆづきは一瞬迷いの表情を浮かべたが、素直に従い、石段に向けて走った。


自分がとどまれば龍夜のお荷物になると考えたからだ。


「ふんッ!」


龍夜は両の手に力を込めた。


淡い赤と青の炎とともに瞬時にして右手は火龍、左手は水龍に変化した。


そして火龍と水龍のあごが、時限爆弾を子供達の背中から引きはがし、そのまま二つの爆弾を飲み込んだ。


次の瞬間、


ボンッ


ボンッ


火龍と水龍の口の中で、重く大きく鈍い音がした。


二匹の龍はその口を開けた。


その口からは大量の黒煙が吐き出された。


「ふう、間にあった。さすが、火龍と水龍だぜ。口の中で爆弾が爆発しても、一応無傷みたいだな。とは言っても、俺は手がけっこう痛いけど」


龍夜は自分の右手と左手、火龍と水龍を交互に見つめた。


――火龍と水龍が傷つけば、俺の手も傷つくわけか。本当に俺の両手が龍になっているんだな。


龍夜が石段のほうに顔を向ける。


「おーい、ゆづき、もう大丈夫だぜ」


ゆづきの小さな顔が、そして体がその姿を現した。


ゆづきが龍夜のところにむかって歩いてくる。


「おーい、ゆづきよ。オーガのやろうはとんでもないやろうだな。こんな小さな子供の背中に爆弾をつけて、送り込んでくるなんて。なんてやろうだ。でもそれも火龍と水龍のおかげで、なんとかなったけどな」


「それはよかったですね、龍夜様」


そう言いながら、ゆづきが本当に嬉しそうに笑った。


自分のことなどよりも、本気で子供たちのほうが心配だったのだ。


ゆづきが龍夜にさらに近づいてきた。


子供たちの前でその顔を見比べ再び微笑んだ。


そして二人の子供の間を通ってその後ろにいる龍夜のところへ行こうとした時、ふと立ち止まった。


ゆづきは二人の子供達の間に立った。


そして自分の右にいる男の子と、左にいる女の子を見た。


「どうした? ゆづき」


龍夜がゆづきに近づきながら訊いた。


ゆづきは答えず、そのまま子供たちを交互に見ていた。


が、突然龍夜のほうに目をむけた。


「危ない! 龍夜様」


ゆづきは飛んだ。


ものすごい勢いで。


そしてそのまま龍夜の胸に飛び込んできた。


龍夜はゆづきをしっかりと受け止めた。


次の瞬間、龍夜の目の前で激しい閃光が光った。


それと同時に、とてつもない爆音が聞こえてきた。


しかしそれは一瞬の出来事だった。


龍夜は何も見えなくなり、そして何も聞こえなくなった。




二階堂の車がようやく神社の下についた。


あわててドアを開けた時、神社から地響きとともに激しい爆音が聞こえてきた。


見上げれば大量の土煙があがっている。


突風のような爆風が、二階堂のところまで届いてきた。


――しまった! 間にあわなかったか。


二階堂は石段を激しく駆け上がった。


そこにはもうもうと立ち昇る黒い土煙しか見当たらなかった。


二階堂はその煙幕のような土ぼこりの中に入り、龍夜たちの姿を求めた。


そのうちにプレハブに突き当たった。


プレハブのガラスは全て割れていた。


中をのぞいたが、狭い部屋の中に龍夜もゆづきもいなかった。


視界の悪い中、二階堂は二人を探した。


でも見つからない。


二階堂がもたついている最中、突然山からの吹き降ろしの風が強く吹き、土ぼこりをさっとはらっていった。


視界が回復した中、二階堂はようやく二人を見つけた。


何かが爆発したと思える二つの黒い穴のずっと奥、木々が生い茂る森の一番手前にある一本の大木の根元に、二人は倒れていた。


「龍夜! ゆづき!」


二階堂は二人のもとに駆け寄った。


龍夜は、頭と肩を木にもたれかけた状態で仰向けに倒れ、気を失っている。


そして龍夜に抱きかかえられるように、ゆづきが龍夜の胸の上でうつ伏せに倒れていた。


ゆづきも気を失っていたが、ただ気を失っているだけではなかった。


ゆづきのその小さな背中は、真っ赤に染まっていた。




狭く曲がりくねった山道を、車が猛スピードで走っている。


二階堂の車だ。


それは知らない人が見れば――あの運転手は間違いなく気がふれている――と思うだろう。


そんな走りだった。


神社に引き返した時、車の右側を崖に何回もこすっていたが、今度は左側がそれ以上に傷ついていた。


それでも車は全くスピードを落とさなかった。


そのうちに車は、ようやく細い山道を抜けた。


二階堂はサイレンを取り出すと、それを車の屋根につけた。


車はサイレンをけたたましく鳴らせながら、すさまじい勢いで走り続けた。




車は一軒の白い建物の前で急ブレーキをかけた。


そこは病院である。


総合病院ではない。


建物はわりと大きいが、個人病院のようだ。


二階堂は車から降りると入り口に向かって走り、荒々しく玄関の戸を押して中に入ると、受付につくなり叫んだ。


「透を呼んでくれ!」




静かな病院の待合室。


何人かの人が順番を待っている。


そのうちの一人、けばけばしい服装でカマキリのように痩せた中年女性が立ち上がり、ずかずかと受付に歩いて行き、強い口調で言った。


「あなたまだなの。さっきからずいぶん待ってるんだけど。早くしてよ!」


若い受付嬢が完全に固まった笑顔で答える。


「すみません、もうしばらくお待ちください。ただ今急患の手当てをいたしておりますので、そちらのほうが済み次第、すぐに診察いたしますから」


「どうでもいいけど、早くしてよね」


中年女性は待合室のソファーに戻った。


隣に座っていた初老の男性が立ち上がり、受付に向かった。


「私は別に今日でなくてもかまいませんから。また今度伺いますよ」


受付嬢は、さっきよりは自然な笑顔で答えた。


「はい、どうも申しわけありません。またいらしてください」


初老の男は軽く会釈をして出て行った。


それを中年女性が、知り合いが見たら思わず他人のふりをしてしまうような眼で睨みつけていた。




その待合室より中にある診察室、そしてその先の注射室のさらに奥の手術室で、今まさに手術が行われていた。


背の高い医者が、一人の少女の手術をしている。


手術台に寝かされているのはゆづきである。


助手の看護婦が医者の額の汗を拭いているが、医者の流す汗は半端ではない。


そしてその表情からずいぶんと時間が経ち、ずいぶんと苦労をしていると思われた頃、医者がようやくその手を止めた。


「ふうっ、やっと終わったぜ」


すかさず中年の看護婦が、きっぱりと言った。


「先生、まだ五人ほど、診察をお待ちですが」


医者が看護婦を見ることなく小さく呟く。


「俺を殺す気か」




病院の廊下のソファーに、二階堂が座っている。


窓から見える外の景色が、赤から黒に変わりつつあった。


そこに医者がやって来た。


「おう、進。その他大勢含めて、全部終わったぜ」


「そうか。それで二人はどうなんだ」


「どうなんだって、それはこっちが聞きたいくらいだぜ。まず少年のほうだが、背中に強い打撲、そして肋骨が三本ほど折れている。内臓その他に損傷はないが、背中の打撲はかなりのもんだし、まあ重症と言っていいだろう。ところがだ、あいつは信じられないことに、脈も呼吸も見事なまでに安定している。まるで昼寝でもしているようだぜ。ふつうあれだけ傷つけば、両方とも多少は不安定になるもんだが。あんな患者、今まで見たことがないぜ」


「そうか。龍夜はとりあえず大丈夫みたいだな」


「りゅうや、と言うのかあの少年。変わった名前だな。名前はともかく、安静にしていれば問題はない。そのうちなおるだろう。肋骨の骨折はしばらく時間がかかるがな。問題は少女のほうだ」


「なにか問題でもあるのか?」


「なにか問題でも、じゃないぜ。問題ありすぎだ! まず、なにかよくはわからんが何かの金属の破片が二つ、背中を突き抜けて内蔵に達している。それも運悪くと言うかご丁寧にも、ふたつともかなりやばいところにだ。並の人間なら一つでも命取りになる、と言うか死んでも不思議でない、と言うより死なないほうが不思議なくらいのところに、二つも傷をうけているんだぜ。それなのにあの子は生きている。それ自体もはや考えられないのに、おまけに手術ときたもんだ。お前は手術をしてくれと言った。それはある意味正しい。あのままほっといたら、間違いなく死ぬだろうからな。しかしあんな状態で手術なんかしたら、それが原因で死んでしまう可能性が極めて高い。とても手術に耐えられるような身体じゃないからな。とは言っても、そのままでもどうせ助からないなら、と言うよりさっきも言ったが普通の人間ならその前にとっくに死んでいるんだが、死ぬのを覚悟で手術をしてみた。本音を言わせてもらうなら手術の途中、容態がさらに悪化した時だが、この子、絶対に死ぬな、と思ったんだ。なのに恐ろしいことに、手術が終わってもあの子はまだ生きてるんだぜ。まったく。まともな人間なら、確実に三回は死んでるぜ。あの子はいったい何なんだ!」


「何なんだと言われても、知り合いとしか答えようがないが」


医者が笑った。


細面の顔はその筋の人のように鋭いが、その笑顔は、なんとも言えない魅力にあふれている。


「進、水臭いぜ。俺とお前の仲じゃないか」


「確かにそのとおりだが、今回だけは勘弁してくれ」


「わかった。本当ならあの子、詳しく調べて学会にでも発表したいくらいだが、だめなんだろうなあ、その顔じゃ」


「……ああ、学会はもちろんのこと、とにかく内密にして欲しいんだ」


医者の右半分の顔が笑い、左半分の顔が渋い顔をした。


「しゃあないなあ。貸し一つだぜ」


「確かお前には、貸しが二つくらいあったはずだが」


「そうかあ? じゃあ、あと借り一つな」


「わかった。で、あの子は、危ないのか」


「それが、わからん」


二階堂が、わかり易く驚く。


「わからん、だって? おまえほどの医者がか」


「ああ、わからんな。わかるわけがないぜ。今はものすごく危ない状態には違いない。ただなんども言うが、普通の人間なら軽く三回は死んでるんだ。それでも生きている女の子のことなんか、いくら俺でも予想がつかん」


「……そうか」


「とにかく今晩が山だな」


「わかった。ありがとう、透」


透と呼ばれた医者は大きく一つ伸びをすると、何も言わずにその場を後にした。




目覚めると、目に入ったものは、真っ白い天井だけだった。


――ここは、どこだ?


龍夜は起き上がろうとした。


すると背中と胸に、激しい痛みが走った。


その痛みは脳天にまで達し、両腕が指の先までしびれた。


「いってえええっ!」


それでも龍夜は無理から上半身を起こし、まわりを見た。


自分はベッドの上に座っている。


そして腕に点滴が繋がっていた。


どう見ても病院のようだ。


――そうだ、ゆづきは?


龍夜は点滴の針を抜くと、ベッドから降りようとした。


その時、部屋に二階堂が入ってきた。


「おいおい、けが人はおとなしくしとくもんだぜ」


「俺のことはいい。ゆづきはどうなった」


「ゆづきか。……正直に言おう。危ない状態だ」


「なんだって!」


再びベッドから降りようとした龍夜を、二階堂が止めた。


「おまえが行ったところで、どうなるものでもないだろう。おまけに面会謝絶だ。のこのこ顔を出しても、ゆづきの回復の妨げになるだけだ」


「……」


龍夜がゆっくりとベッドに戻る。


そして点滴の針を自分で自分の腕に刺した。


「おい、大丈夫か。勝手に針なんか刺して」


「俺たち九龍一族は、何かの時のために一通りの医学的知識は持っているんだ。針を刺すなんて、ほんの初歩の初歩だぜ。……それはともかく、とにかくあいつらは絶対に許せねえ。ぎっちょんぎっちょんにしてやる。そのためには一秒でも早く、怪我を治さないとな。それに……」


「それに……なんだ」


「それに、考えてみれば、ゆづきも九龍一族の血を受け継いでいる。そう簡単にやられる訳がないぜ」


「それならいいが……」


「俺はゆづきを信じるぜ」


「なるほどな。そこまで信じあえるなんて、なんだか羨ましいな」


「おい、何言ってる。このタコが。おっさんも仲間だぜ。仲間だから俺たちを助けに戻ったんだろうが」


「そう、視えたんだ。だから戻った」


「いったい何が視えた」


「二人の子供だ」


「ああ、あの子供か。背中についていた爆弾は、なんとかしたんだ。でもその他に爆弾は見当たらなかったのに」


二階堂の顔が曇った。


「……確かに背中にも爆弾は付いていた。しかしその上に、子供の腹の中にも爆弾があったんだ」


「腹の中! だって」


二階堂が搾り出すように言った。


「俺が視たのは、オーガが子供達に何かを飲ませて、腹を切り裂いてその中に時限爆弾を入れ、腹を縫い合わせたところだ。背中の爆弾はその後に、わざと見えるところに付けた。あれは、おとりだ」


それを聞いた龍夜の体が、わなわなと小刻みに震えだした。


「なんてことを、なんてことを、なんてことをしやがんだ、あいつらめ!」


「ああ。俺もとてつもなく、頭にきている」


握りしめた二階堂の拳も、小刻みに震えている。


「絶対に、絶対にぎっちょんぎっちょんに、してやるぜ」


「ああ、でもその前に、その怪我を早く治さないとな」


「いいこと言うぜ、ロリコンでブルマフェチのくせによ」


「またそれかい」


龍夜はそれには答えずに横になった。


そして目を閉じた。


二階堂は部屋を出た。


そして廊下を歩いて外の小さな庭に出た。


今は外の空気に当たりたいと思ったからだ。




二階堂が病院の小さな庭を歩いている。


いつになく真剣な顔で。


しかし、空を見上げた。


――来る。


そいつは矢のように二階堂にむかって飛んできた。


そして二階堂の目の前にぶすりと突き刺さった。


それは一振りの日本刀、魍魎丸だった。


「刑事さん、待たせたのう」


「おおっ、魍魎丸。もういいのか」


「おう、大復活じゃ。さあ、早くわしを手に取るがいい」


二階堂は魍魎丸を地面から抜くと構えた。


「ふんっ!」


「ほほう、気合がはいっとるのう。なかなかにいい太刀筋じゃ」


「当たり前だ! 俺は今、なにがなんでもぶった切りたい奴がいるんだ」


「ほう、そうか。とにかくその調子じゃ」


「おう!」


二階堂は魍魎丸を振った。


振って、振って、振り続けた。




病室では龍夜が寝ている。


龍夜の体は、まるで少しの力も無駄にしたくないかのように、ぴくりとも動かなかない。


寝息でさえほとんど聞こえてこなかった。




二階堂が相変わらず魍魎丸を振り続けている。


魍魎丸が言った。


「いい感じじゃな。それにしてもおぬし、すごいのう。どんどんうまくなっていっておるぞ。たいしたもんじゃ。おまけにさっきから、休みなしで振り続けているというのに、少しも疲れを感じんぞ。すごい体力じゃのう」


「俺は子供の頃から体が丈夫なだけではなく、ずっと動き回れるという特技も持っているんだ。生まれてこのかた精神的にはともかく、肉体的に疲れるということがほとんどなかった。一晩じゅうでも、振り続けていられるぜ」


「そうか。本当にすごいのう。それならそろそろあれを試してみても、いい頃かもしれんな。あれを。お互いに、気心が知れつつあることじゃし」


二階堂が魍魎丸の顔のない刃を見つめた。


「あれとは、なんだ?」


「あれとは、あれじゃよ、あれ」


二階堂はそのまま魍魎丸を見つめていたが、小さく笑うと言った。


「ああ、あれか」


「そう、あれじゃよ」


金属の塊である魍魎丸も、その時は、笑っているかのように見えた。




龍夜は相変わらず寝ている。


体はぴくりとも動かない。


呼吸数も脈拍も著しく低下している。


体温でさえ下がっていた。


それを医者が診たらこう言っただろう。


この患者は人間なのに、完全に冬眠している、と。




二階堂が思いっきり魍魎丸を横にはらった。


「おしい、おしいのう。もうちょっとじゃぞ」


「もう一度やってみるか」


今度は上段に構えて振り下ろす。


「うーん、あとちょっとなんじゃがなあ。で、おぬし、腕のほうは大丈夫なのか」


「おまえも知っているだろう。俺の体は、龍夜以上に丈夫なんだぜ」


「そうだったのう。じゃあわしも、遠慮なくやらせてもらうぞ」


「お互いに本気じゃないと、一生かかってもできやしないぜ」


二階堂は肩越しに大きく魍魎丸を構え、静止した。そして気合もろとも、勢いよく振り下ろした。


パシッ


「おおっ、できた、できたぞ」


「ああ、やっとできたな」


その時二階堂の振り下ろした剣先は、音速の壁を超えていた。


東の空が赤く染まり始めていた。




太陽が昇ってきている。


龍夜の病室にも、朝の光がさしこんで来ていた。


そしてその光が龍夜の目にかかった時、その大きな眼が開いた。


龍夜は上半身を起こして、両手を力強く差し上げた。


「復活!」


龍夜はそのまま固まった。


ややあってゆっくりと腕をおろす。


「うーん、まだけっこういてえぜ。さすがに一晩じゃあ、やっぱり完治は無理か。でもずいぶんとましにはなったぜ。……えっと、それじゃあゆづきを起こしに行かないとな」


龍夜は点滴の針を抜くと部屋を出て、ゆづきの気を探った。


「ええとゆづきは……こっちか」


龍夜が奥の部屋に入って行く。


ちょうどそこに、宿直の看護婦がやって来た。


「あらっ? あなた何をしてるんですか」


「うん? いやちょっと、ゆづきを起こそうと思ってな」


「あなたいったい、何言ってるんですか! あの子は今、ものすごく危ない状態です。そういうあなただって……」


龍夜は彼女をまるで存在しないかのように無視し、ゆづきのベッドの横に行き、その耳元に顔を近づけた。


「お姫様、もう起きてください。さわやかな朝ですよ」


ゆづきの閉じたまぶたの奥が、少し動いた。


やがてゆづきはその大きな目をゆっくりと開けた。


しばらく泳いでいた眼が龍夜を見つける。


「おはようございます、龍夜様」


「おはようございます、愛しいお姫様」


それを見ていた看護婦が、慌てて部屋を飛び出した。


「先生! 先生!」




パシッ


パシッ


パシッ


パシッ


二階堂はもう音速の剣を完全にマスターしつつあった。


その時、二階堂の目の前にある廊下の窓のむこうを、かなり肉好きの良い看護婦が血相を変えてどたどたと走っていくのが見えた。


「なんじゃい、ありゃあ?」


「あれは、もしかすると。おい魍魎丸、柄に収まれ」


瞬時に魍魎丸の刃が消える。


二階堂は魍魎丸をしまいこむと、病院の中に駆け込んで行った。




医者は目覚めたばかりだった。


ベッドから降りたところに、宿直の看護婦が巨体を揺らして寝室に飛び込んできた。


「先生、大変です。早く来てください!」


その顔をじっくりと眺めて、医者が言った。


「ああ、なにが起こったか、なんだかわかっちまったぜ」




ゆづきの病室に、上下とも真っ赤なパジャマ姿の医者が入ってきた。


靴下、おまけにスリッパまで赤だ。そして見た。


少女のベッドの横に龍夜と二階堂が立ち、穏やかに笑っている。


そして少女はベッドの上で上半身を起こし、同じく笑っていた。


少女が医者に気がついた。


「あら、先生。この度はどうもありがとうございました」


医者が長い髪をめんどくさそうにかき上げた。


「とりあえず大丈夫みたいだな」


「はいおかげさまで、すっかりよくなりました」


「そうか」


龍夜と二階堂が何か言いかけたが、その前に赤パジャマ姿の医者は、そのまますたすた部屋を出た。


そして「先生! 先生!」と叫ぶ看護婦をその場に残して、病院と続きの自分の自宅へと帰っていった。




ゆづきをはさんで龍夜と二階堂が立っている。


三人とも無言であった。


龍夜と二階堂は両腕を胸の前で組んでいた。


やがて二階堂が、低く口を開いた。


「ひょっとしたら、やつらの居場所がわかるかもしれん」


龍夜が思わず二階堂を見た。


「なんだって!」


「いや俺も自信があるわけではないが」


「自信はこの際置いといて、いったいどうやるんだ?」


「ゴブリンたちだ」


「ゴブリンたち?」


「いや、魍魎丸なら、ゴブリンたちの気を探れるのではないか、と思ったんだが」


ゆづきの膝の上に置かれた魍魎丸の中央部分が、小さく紫色に光った。


「わしがか?」


「そうだ。どうだ、できそうか」


「うーん、それはやってみないと、わからんのう」


「じじい、できるかどうか、やってみないとわかんねえってか? それじゃあやってみるしかないぜ」


「そうだな。やる価値はあるな」


「できなくても、文句は聞かんぞい」


「そんなことは言われなくても、わかってるぜ。いちいち細かいぜ、じじい。そういうわけだ、ゆづき。ちょっくらもののけ退治に、出かけてくるぜ」


ゆずきがゆっくりと、そしてはっきりと言った。


「龍夜様、前にも申しましたが、あやつら何をしてくるかわかりませぬ。十分にお気をつけください」


「ああっ、今までのやり方、さんざん見てきたからな。俺もばかじゃない。大丈夫だ。十二分に気をつけるぜ」


「それじゃあ、そろそろ行くか」


「ああ、行こうか。ゆづきはゆっくり休んでるんだぞ」


「はい、龍夜様、二階堂様、魍魎丸、どうかご無事で」


二階堂が魍魎丸を手にすると、二人と一匹はそのまま病室を出た。


ゆづきはみんなが出て行った後も病室の入り口を、いつまでも見続けていた。




左右がぼこぼこになっている車が石段の下に停まった。


二階堂の車である。


龍夜と二階堂は車を降り、石段を登って奥に向かった。


そして二つの黒い穴のところで止まった。


二階堂が言った。


「ここだな」


「ああ……ここに子供が二人立っていたんだ」


「……そうか」


「ここでゴブリンが消えたんだ。昨日のことだ。まだ気が残っているとしたら、ここしかない」


「わかった。わずかでも気が残っていればいいが」


二階堂は魍魎丸の柄を取り出した。紫色の炎とともに魍魎丸が姿を現す。


「消えたのは、穴の手前か」


「奥側だぜ」


二階堂は魍魎丸を奥の地面に置いた。


龍夜が言った。


「今来たばっかりだが、どうだ、じじい」


「うーん、これは時間がかりそうじゃのう」


「そうか、それなら待つぜ」


「待つとするか」


龍夜が一つの穴に中央に、どかと座り込んだ。


二階堂がそれに倣うように、もう一つの穴に座り込む。


日はすっかり昇っていた。


いつもなら気持ちのいい朝と言えるだろう。


しかし今は、そんな気分にはとうていなれそうもない。


龍夜と二階堂は、二人ともすがすがしい朝空など見ずに、魍魎丸と、そして時折視線を落として自分の座っている穴の黒い地面を、じっと見つめるだけである。


二人とも何も語らなかった。




暗く広く湿った洞窟の中、オーガたちが集まっている。


その顔は完全に崩れており、目と鼻と口がてんでばらばらの位置にあった。


目の上に口が乗っかっている者までいる。


そしてオーガたちは笑っていた。


〝今度こそやっつけたみたいだね〟


〝うん、やっつけた、やっつけた〟


〝うん、爆弾でばらばらだ〟


〝ばらばらだあ〟


〝とうとうドラゴンの子倒した奴、僕らが殺したよ〟


〝うん、殺したね〟


〝やったね〟


〝これで帰ったら、おお威張り出来るね〟


〝うん、できるできる〟


〝わーい、うれしいなあ〟


〝でも二階堂とか言う奴が、まだ残ってるよ〟


〝そういえば、そうだった〟


〝変な日本刀も〟


〝忘れてた〟


〝ああ、あいつらね。あいつらだけじゃ、何もできやしないよ〟


〝そうそう〟


〝できない、できない〟


〝無理無理〟


〝気が向いたときに、殺せばいいんじゃない〟


〝そうだね。それがいいね〟


〝そうしよう〟


〝でもようやくこれで、人間の子供食べ放題だね〟


〝そう食べるだけ食べて、それから帰ろうね〟


〝とは言っても、今はお腹いっぱいだ〟


〝僕もお腹いっぱい〟


〝僕も〟


〝じゃあお祝いは、明日にしようか〟


〝うん、明日子供いっぱい取ってきて、みんなで食べよう〟


〝さんせーい〟


〝そうだ、そうだ〟


〝それがいい〟


オーガたちは再び全員、けたけたと笑い出した。


それを洞窟の隅でゴブリンたちが見ている。


ゴブリンたちの眼の中には、激しい憎悪の炎があった。。




東にあった太陽は南に高く上り、やがて西へと向かっていた。


しだいに周りの景色が徐々に赤に染まりだしている。


龍夜はなにも言わず、動かない。


二階堂も同じく、全く動かなかった。


その時不意に魍魎丸が言った。


「うんっ? なんかこれは……おおっ、見つけたぞ!」


「じじい、やっと見つけやがったか」


「で、あいつらは、何処だ?」


「まあ待つんじゃ。うーん、もうちょっとなんじゃがなあ。龍夜、刑事さん、ちょっと二人の力を貸してくれぬか」


二階堂がやわりと聞いた。


「貸すって、どうやるんだ?」


龍夜がきつく言った。


「じじい、ちゃんと言わねえと、わからねえぜ」


「わしは気を探っているんじゃ。ようやくわずかじゃがゴブリンたちの気を見つけたんじゃ。が、いまひとつはっきりせんのう。……だからそこに、おぬしたちの気をぶつけて欲しいんじゃ。そうすればゴブリンたちのわずかな気が、おぬしたちの気と混ざり合って、もっとはっきりするじゃろうて」


二階堂が再び聞いた。


「気をぶつけるって?」


「そうじゃ。まあ、気のことじゃから、まさに気持ちの問題じゃな。目を閉じて、おぬしたちの両手をわしに向けてかざして、強く想うんじゃ。どうかゴブリンたちの気をはっきりさせてください、お願いします、とな。おぬしたちの想いが強ければ強いほど、ゴブリンの気もはっきりするというわけじゃ」


「わかった。やってみよう」


「とにかくやってみるぜ」


龍夜が魍魎丸に手をかざし、目を閉じる。


二階堂もそれに倣った。


二人とも心の底からゴブリンたちの気が明らかになることを、強く願っていた。




ゆづきの病室。


ゆづきがベッドの上で正座をし、目を閉じて両手で印を結んでいる。


そして何事かを小さな口でつぶやいていた。


それをドアの細い隙間から、一人の看護婦が覗き見している。


そこへ忘れ物を取りに戻った医者が通りかかった。


「おい、なにをしてる?」


「あっ、先生。あれ」


医者は看護婦同様、ドアの隙間から中を覗いた。


「ああ、あれね。あの子のことは、ほおっておけ」


「でも先生」


その時、ずっと閉じていたゆづきの大きな目が開いた。


そしてドアの隙間越しに医者を見て言った。


「先生、どうかお聞きください。実は先生に折り入ってお頼みしたいことがございます。よろしいでしょうか?」


医者はゆっくりとドアを開け、中に入った。


そしてベッドに片肘をつき、ゆづきの顔をのぞきこんで軽く笑った。


「ぜひぜひ聞かせていただきましょう。お嬢ちゃんの頼みなら、この曽根崎透、なんでも聞きますよ。俺はなぜだか自分でもよくわからねえが、とにかくお嬢ちゃんがえらく気に入ってしまったんだよなあ」




太陽はすっかり沈んでいた。まわりは黒い闇に沈んでいる。


二人はあい変わらず魍魎丸に、気を送り続けていた。


二人とも動かない。


二人とも語らない。


その時魍魎丸が叫んだ。


「龍夜、刑事さん! とうとう出たぞ。二人とも、ようやった。見るんじゃ。あれがゴブリンの飛んだ跡じゃ」


二人は目を開けた。


魍魎丸の上のあたりに淡く白い光がもやっていた。


そしてその光の中から、するすると一本の白い光の棒が飛び出している。


その光の棒は大きくカーブを描きながら、山のむこうへと伸びていた。


二階堂がその光を指さした。。


「あのレーザービームがゴブリンの飛んだ跡か」


「ああそのようだな。おっさん、オーガどもはあの光に先にいるぜ」


「行くか」


「行かいでかい」


龍夜が立ち上る。


二階堂も立ち上がり、魍魎丸を手に取った。




走り続けていた二階堂の車が止まった。


中から龍夜と二階堂が降りてくる。


二人の目の前に、白く輝く光の棒が伸びている。


そしてその光は、大きな崖にある穴の中へと入っていた。


龍夜が言った。


「昔ここに来たことがあるぜ。子供の頃、何回か中に入って遊んだことがあった。あいつらこんなに近くにいたとは、思ってもいなかったぜ」


「まあ奴らの狙いがおまえなら、近くにいたとしても不思議じゃない。近くでわかりにくい所が一番だな」


「言われてみれば、そうだな。……そんじゃあ、ぼちぼち行くぜ」


二人は洞窟の中に入ろうとした。


その時、遠く下方から、低く大きく響く爆音が響いてきた。


見れば、カーブの続く下の山をぬうように、何かがジグザグにこちらにむかって登って来ている。


それは一本の強い光を前に向けて照らしていた。


暗くてよくは見えないが振動音と光から判断すると、一台の大型バイクのように思える。


細くうねる山道を登っているとは思えないほどのスピードでこちらにむかって来ていたそれが、やがて二人と一匹の前に姿を現した。


一台の黒いバイク、ハーレーダビットソン製のローライダーだ。


運転しているのは男のようだ。


真っ赤なヘルメットに赤い皮のつなぎ、赤い手袋に赤いライダーブーツを履いている。


その全身真っ赤な男がバイクから降りると、後ろに小さな女の子が座っていた。


ゆづきであった。


ゆづきはバイクから降りると、一直線に龍夜のもとへと駆け寄ってきた。


「龍夜様」


「このバカ! なんでのこのここんなところに来たんだ? 帰れ! 帰れ! 危ないぜ。それ以前にいくらなんでも、まだうろうろできる体じゃないだろう。ちょっと前まで死にかけてたんだぜ」


「いいえ、いくら龍夜様の言うことでも、聞けませぬ。ゆづきは帰りませぬ。ゆづきもいっしょに戦います」


「いいや、帰れ! 帰れったら、帰れ!」


「いいえ、帰りませぬ。ゆづきは感じました。だから絶対に帰りませぬ」


「感じたって……何を?」


「病院で、病院のベッドの上で、ゆづきは、はっきりと感じました。細かいことはわかりませぬ。何が起こるかまでは、まるでわかりませぬ。でも強く感じたのでございます。この戦い、もし私がいなければ、龍夜様も、二階堂様も、魍魎丸も、みんな死んでしまいます。そしてこの私も、その後オーガに殺されることでしょう。それでも帰れとおっしゃるのですか、龍夜様!」


「……」


「私も戦います。いいですね、龍夜様」


「……ああ、わかった」


真っ赤な男が近づいて来た。


そしてヘルメットを脱ぐ。


二階堂がぽつりと言った。


「やっぱり透か」


「お嬢ちゃんに頼まれて、あの光の線を追ってここまで来たというわけさ。それにしても進よ、なにやらえらくぶっそうな話をしてるじゃないか」


「いや、聞かなかったことにしてくれ」


「いいぜ。お嬢ちゃんを運んできたことも含めて、これで貸し借りなしだぜ」


「わかった。いいだろう」


龍夜が曽根崎に聞いた。


「で、ゆづきの体は、どうなんだ」


「まっとうな人間なら、とてもじゃないがまだ動けるわけねえんだが、お嬢ちゃんは特別中のスーパースペシャルだぜ。こう言っちゃあなんだが、とても人間とは思えねえ回復力を持っている。さっと診たが、たったの一日で、普通の人間の軽く十日分くらいは治ってるな。でも完治と言うにはまだまだだ。激しい運動はなるべくなら避けたほうがいいぜ。とは言っても、とてもそんなことを言える状況じゃあないみたいだが」


「……」


二階堂が龍夜と曽根崎の間に割って入った。


「透、今日のところは、もう帰ってくれないか」


「そうだな。見たところ、そのほうがいいみたいだな。それじゃあおじゃま虫はさっさと帰るとするか」


曽根崎がヘルメットをかぶり、ローライダーにまたがる。


そしてエンジンをかけると、二階堂の方へ振り返った。


「進、死ぬなよ。お前が死んだら、世の中が面白くなくなるからな」


「わかった。俺は死なない。心配するな」


曽根崎は軽く手を振ると、アクセルを強く回した。


そしてバイクは走り去った。


二階堂が言った。


「行ったか……さあこっちも行こうか」


「あいつ、おっさんの友達か」


「幼馴染だ。腐れ縁だよ」


「ふーん、そうか。なかなか面白いやつだな」


「ああ、見てて飽きないな」


「とてもお医者様には見えないが」


「そうだな。医者にしとくにはもったいない奴かもしれんな。刑事かやくざにでもなれば、それなりの者になっただろうに」


「俺もそう思うぜ」


「その話はここまでだ。そろそろ行くか」


「そうだな。おーいゆづき、こっちに来い」


ゆづきが龍夜に寄りそう。


「何があっても、俺のそばを離れるんじゃないぞ」


「はい、わかりました龍夜様」


三人と一匹は、穴の中に入って行った。




しばらくは細い道が続いていたが、突然にその視界が開けた。


龍夜がいつもよりかん高い声を出した。


「おいおい、嘘だろう? いったいどうなってるんだ。俺が子供の時は、こんなに広くはなかったぜ」


そこはとても天然の洞窟とは思えないほど地面が平たく、天井もかなり高かった。


ほぼ楕円形のその空間は、ゆうに体育館ほどはあるだろう。


そして壁のあちこちにかがり火が燃やされていた。


二階堂が床と近くの壁を見る。


「どうやら最近掘られたみたいだな」


「ああ、そのようだぜ」


ゆづきが言った。


「今視えました」


「なにが視えた」


「この洞窟です。掘っているところが視えました。オーガたちが命令して、最初はゴブリンたちに、そしてある程度広くなったところで、ギガントに掘らせています」


「ふーん、そうだったのか。……でもこの洞窟、ここまで広くなかったが、オーガ十二人ならそれほど苦もなく中にいられるくらいの大きさはあったぜ。それなのになんでわざわざ、こんなに広く掘ったんだろう」


「それはあやつらが子供だからです」


「子供だから?」


「はいそうです。わがままな子供だからでございます。広いところに居るほうが贅沢な気分を味わえる、なんだか自分が偉くなったような気がする。その上にゴブリンやギガントをこき使っているのが楽しいから、わざわざ広くしたのでございます」


二階堂が会話に入る。


「全くなんてやつらだ」


「ほんとだぜ。聞けば聞くほど腹立つやつらだぜ」


「わしもそう思うぞ。そんなやつ、わしは大嫌いじゃぞい」


あたりを見回していたゆづきが言った。


「龍夜様、あやつらの姿が、どこにも見あたりませんが」


「どうやらみんなそろっておでかけのようだぜ」


「そうだな。それじゃあ待つか」


「わしは待つのは嫌いじゃが、しかたないのう」


三人と一匹は洞窟の中央へと進んだ。


洞窟の中央付近には縦穴があった。


その見事に丸い直径は五メートルほどあろうか。


壁は完全な垂直になっており、かなり深い穴である。


穴の底は全く見えない。


これもどうやら最近掘ったもののようだ。


二階堂が言った。


「なんだ、この穴は」


「かなり深そうだな。底は暗くてなんにも見えないぜ」


「この穴は、私にもわかりませぬ」


三人が穴の底を覗きこんでいると、入り口のほうから何か音が聞こえてきた。


それは複数の人間の足音に聞こえる。


三人が入り口をじっと見ていると、背が高くて高級そうなスーツを着た団体が、どやどやと入ってきた。


それらは一見人間のように見えるが、明らかに人間ではなかった。


その顔は、下手な福笑いでもこうはいかないと思えるほどに、とことん崩れていた。


中には流れ落ちた目が、肩ところにまでずり落ちているものまでいる。


龍夜の声が広い洞窟中に強く響いた。


「おい、お前らがオーガか!」


すると考えがたいことではあるが、確かにこちらを向いて歩いてきたはずのその団体が、龍夜の声を聞いて初めてその存在に気がついたかのように、明らかな驚きの反応を見せた。


そして龍夜、ゆづき、二階堂、さらに魍魎丸に向かって、何かが聞こえてきた。


それは耳からではなく、直接頭の中に響いてきた。


〝あれっ?〟


〝あれれっ〟


〝あれれれれっ〟


〝なんだ〟


〝なんだ、なんだ〟


〝なんだ、なんだ、なんだ〟


〝あれっ、あいつらだよ〟


〝ほんとだ、死んでなかったんだ〟


〝そんなーーっ〟


〝うそだろ〟


〝くそっ、しぶといやつだ〟


〝でもどうやって、ここがわかったんだろう〟


〝今はそんなことどうでもいいだろう〟


“そうだ。今はそんなこと言ってる場合じゃないよ〟


〝こうなったら、みんなでやっつけちゃおうよ〟


〝そうだ〟


〝そうだ、そうだ〟


〝それがいい、それがいい〟


〝それじゃあみんな、元の姿に戻ろうよ〟


〝うん、わかった〟


〝もどろう、もどろう〟


十二人はスーツを引きはがすように脱ぐと、地面に捨てた。


見ればそのスーツだったものは、いつのまにかただのぼろ布になっている。


そしてオーガたちの体が、濃く黒いもやに包まれていった。


そのもやは、まるで生きているかのようにうねうねとうごめいていたが、やがてかき消すように消えた。


オーガがその本性を現した。


その身長が三メートルはあろうか。


そして身長のわりに手足が短い。


その手足は先にいくほど太くなり、特に手首から先と足首から先の部分が、ディフォルメされたマンガのごとく、太くて大きかった。


全体的に小太りで、とりわけ下腹は太鼓のようにふくらんでいる。


そして頭が、これまたマンガのように大きかった。


頭でっかちの人形にも見える。


その上に、目と口までが大きい。


目はほとんどお皿のようまんまるで、全体的に鈍く光るその目に、瞳というものは見当たらない。


口は顔全体を真横に走り、その両端の上から、大きな牙が生えている。

そして頭の両端に、水牛のような大きな角を生やしていた。


龍夜が言った。


「これがオーガか。全くなんて不細工なやつらなんだ」


「お前の言うとおり、ほんとに不細工だな。おもわず笑ってしまったぜ」


「ほんとじゃのう。見ていて気分悪くなるわい」


「見た目に惑わされてはいけませぬ。本当に恐ろしいやつらでございます」


「ああわかったぜ。気をつけながら戦うとするか」


その時再び頭の中に、頭痛をもよおすような声が響いた。


〝あいつら、不細工って、言ったよね〟


〝うん、たしかに言った〟


〝言った、言った〟


〝不細工って言った〟


〝僕たちのこと、不細工だって〟


〝ひどいなあ〟


〝悔しいなあ〟


〝はらたつなあ〟


〝もう、怒ったぞ〟


〝うん、怒った怒った〟


〝僕たちを怒らすと、怖いんだぞ〟


〝怖いんだぞ〟


〝うそじゃないぞ〟


〝ほんとだぞ〟


〝やっつけてやるか〟


〝うん、やっつけようよ〟


〝じゃあ作戦その二でいくか〟


〝うん、そうしようそうしよう〟


〝おーいみんな、作戦その二だぞ〟


〝はーい〟


〝うん、わかった〟


「おっさん、作戦その二とかなんとか言ってるぜ。何だかわかんねえが、一応気をつけたほうがいいようだぜ」


「ああ、そのようだな」


オーガは扇状に広がって、ゆっくりと近づいて来た。


「ふん」


龍夜は両の手に力を込めた。


右手が火龍、左手が水龍へと変化する。


二階堂が魍魎丸の柄を構える。


柄から紫色の激しい炎とともに、魍魎丸がその姿を現した。


〝あっ、あれだ〟


〝あれだ、あれだ〟


〝あの武器だ〟


〝ドラゴンの子をやったやつだね〟


〝そうだね〟


〝はじめてこの目で見たよ〟


〝すごーい〟


〝危ないね〟


〝うん、危ないかも〟


〝いや、大丈夫だよ〟


〝あんなのたいしたことないよ〟


〝うん、たいしたことない、たいしたことない〟


〝全然平気だよ〟


「ドラゴンの子をやったやつ、だって。やっぱりおまえら知っていたんだな。そうさ、この俺が九龍龍夜だ。よくもいままで好き勝手やってくれたな。ただじゃおかねえからな。覚悟しやがれ」


その時龍夜たちに近づいて来ていたオーガたちが、突然ちりじりに走り出した。


「なんだあ?」


すると何の前触れもなく、龍夜の顔に何かが覆いかぶさってきた。


龍夜はおもわず少し後方に下がった。


その時、龍夜の耳に、ゆづきと二階堂の声が聞こえてきた。


「きゃっ!」


「うわっ!」


龍夜は慌てて顔にしがみついていた何かを引きはがした。

それは一匹のゴブリンだった。


「くそっ」


龍夜はゴブリンを投げ飛ばし、声の方を見た。


そこにはゆづきと二階堂が淡い光に包まれていた。


そしてその体に、数匹のゴブリンがしがみついていた。


「ゆづき!」


龍夜は手を伸ばして、ゆづきの手をつかもうとした。


しかしもう少しでつかめる思った瞬間、淡い光が一瞬強く輝き、消えた。


ゆづきはもうそこにはいなかった。


そして二階堂と魍魎丸も同様に、ゴブリンたちと共に消えていた。


「しまった!」


オーガたちは笑い出した。


耳に聞こえる耳障りな声でけたけたと笑った。


そして笑い終えると、再び頭の中に響く声で言った。


〝作戦その二、うまくいったね〟


〝うん、うまくいった〟


〝よかったね〟


〝よかった、よかった〟


〝あとはあいつだけだね〟


〝そう、あいつ一人だ〟


〝みんなでやっつけちゃおうよ〟


〝みんなでかかれば怖くないね〟


〝そうだね〟


〝そうだそうだ〟


〝やっちゃえ、やっちゃえ〟


「おい、おまえら! ゆづきとおっさん、それに魍魎丸をどこへやった!」


オーガたちが再び笑い始めた。


〝どこへ、だって〟


〝やっぱり気になるのかな〟


〝そりゃ、気になるよ〟


〝あたりまえだろ〟


〝じゃあ、言っちゃおうか〟


〝うーん、どうしようかな〟


〝言っちゃおうよ〟


〝うん、言っちゃおう〟


〝言っちゃえ、言っちゃえ〟


〝やいやい、こらこら、よく聞けよ。あの二人は、あとなんかへんなのが一匹ついていたみたいだったけど、とにかく俺様たちがゴブリンどもに命じて、やばいところに連れてったんだよ。わかったか!〟


「やばいところ……だと?」


〝うん、そうだよ〟


〝やばいところだよ〟


〝とってもとっても、やばいところだよ〟


〝それは、どこかな〟


〝それはやっぱり深い深い海の底かな〟


〝海の底かな〟


〝はたまた燃え盛る火山の火口の中かな〟


〝火口の中かな〟


〝どっちかなあ〟


〝どっちかだよ〟


〝うん、どっちかだね〟


〝この国はいいな。どっちもすぐ近くにあるから〟


〝うん、いいね〟


〝いいね、いいね〟


〝便利だね〟


〝そうだね〟


「深い海の底、だと……燃え盛る火山の火口の中、だと……」


〝うん、そうだよ〟


〝間違いないよ〟


〝ゴブリンどもには、ちゃんと言いつけてあるからね〟


〝うん、いいつけてあるよ。おまえら死んでもいいから、絶対あの二人を道連れにしろよな、ってね〟


「ゆづき、おっさん、魍魎丸が……」


〝うん、死んだよ〟


〝死んだね〟


〝間違いなく、死んだね〟


〝そうするように、ちゃんといいつけてあるしね〟


〝ゴブリンどもは僕たちに逆らえないんだよ〟


〝逆らえないんだよ〟


〝仲間をいっぱい人質にとってあるからね〟


〝だから絶対に言うことを聞くんだよね〟


〝そうそう〟


龍夜は目を見開いてオーガたちを見ていたが、やがてがくりと頭を下げた。


そしてそのまま動かなくなった。


〝あれ?〟


〝あれっ、止まっちゃったよ〟


〝なんかあったんじゃないの〟


〝いったい、なにがあったのかな〟


〝なんだろう〟


やがて龍夜の体は、小刻みに震えだした。


〝あれっ?〟


〝あれっ、あいつ震えてるよ〟


〝あっ、ほんとだ〟


〝なんで震えてるんだろう〟


〝なんでかな〟


〝さあ?〟


〝そうだ、僕たちが怖いんだ〟


〝そう、怖いんだ〟


〝怖がってるんだ〟


〝あいつ弱虫だ〟


〝そうだ弱虫だ〟


〝やーい、やーい、弱虫、弱虫〟


〝いじけ虫〟


龍夜の震えが激しくなっている。


しかし突然その震えが止まった。


そして龍夜の口から何かが小さく漏れてきた。


「くっ、くっ、くっ、くっ、くっ」


〝あれっ、あいつ泣いているのか〟


〝いや、僕には笑っているように聞こえるけど〟


「くっ、くっ、くっ、くっ、くっ」


その声はだんだんと大きくなっている。


〝やっぱり泣いてるよ〟


〝いや、やっぱり笑っているようにも聞こえるけど〟


「くっ、くっ、くっ、くっ、くっ……はっ、はっ、ははっ」


〝ほら、やっぱり笑ってるよ〟


〝ほんとだ〟


〝仲間が死んだのに笑うなんて、頭がおかしいんじゃないの〟


〝そうだそうだ〟


〝こいつおかしいんだ〟


〝おかしい、おかしい〝


〝こいつばかだ〟


「はっ、はっ、ははっ、ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは、はーーーーーっ」


龍夜は顔を上げた。


その顔は、その大きな眼が極限まで見開かれ、口がこれまた不自然なほど大きく開かれており、口の両端がいびつにつり上がっていた。


そして目からは大量の涙があふれ出し続けている。


怒りとも笑いともどちらとも言えない顔ではあったが、ただ一つ言えることは、その表情からは理性とか知性といったものは、何一つ感じられなかった。


そこにあるのはただ一つ、明らかな狂気のみである。


龍夜は叫んだ。とてつもなく大きな声で。


「おまえらみんな、ぶっ殺す!」


〝ひっ!〟


〝なんだ?〟


〝なんだ、なんだ〟


〝びっくりした〟


〝怖い〟


〝怖いよう〟


〝なんか知らないけど、無茶苦茶怖い〟


〝みんな逃げろ〟


〝逃げろ!〟


オーガたちは逃げ出した。


龍夜がそのあとを追って走った。




洞窟の外、大きな木の根元で二匹のゴブリンが顔をつき合わせている。


そのままお互いの顔を見つめあっていたが、やがて一匹のゴブリンが、もう一方のゴブリンにテレパシーで話しかけた。


〝どうするか〟


もう一方が答える。


〝もうやるべきことは、決まっている〟


〝……〟


〝そうだろう?〟


〝そうか、やはりそうするか〟


〝そうするしかないようだな〟


〝わかった〟


二匹は軽くうなずくと、その場を後にした。




洞窟の中はまさに修羅場となっていた。


十二人のオーガたちがその巨体と太鼓腹を激しく揺らしながら、右へ左へとこまねずみのように逃げ回っている。


それを体重が十分の一にも満たないであろう龍夜が、狂ったように、と言うより、狂人そのものとなって追い掛け回していた。


そして火龍と水龍でオーガたちを殴りつけていた。


それは普段の龍夜に見られる究極と言っていいほどに鍛錬された動きには、ほど遠かった。


まるで幼児が泣きわめきながらいじめっ子を腕をぐるぐるまわして殴っているような、そんな動きである。


逃げるオーガたちは、その巨体のわりにはかなり素早い動きではあったが、龍夜のほうがそれを上回っていた。


もし龍夜が冷静であれば、すでに十二人全てのオーガをねじ伏せていただろう。


しかし一人のオーガを追いかけていたかと思えば、そのオーガに追いつく前に近くにいる別のオーガに目標を変える。


そしてそのオーガに追いつく前に、またしても別のオーガを追いかけるのである。


そんな非効率的なことを繰りかえしているがために、まだ立って走り回っているオーガの数が多かった。


それでも幾人かのオーガが地面に転がって呻いている。


効率はともかく、いずれは全てのオーガがぶちのめされるのも時間の問題かと思われた時、一人のオーガが叫んだ。


〝合体だ!〟


まわりのオーガたちがそれに答える。


〝そうだ合体だ〟


〝合体しよう〟


〝そうだそうだ〟


〝そうしよう〟


〝それしかない〟


〝すーぱーオーガになるんだ〟


〝なるんだ〟


数人のオーガが地面でぐったりしているオーガのもとへと駆け寄り、その手をとった。


残りのオーガたちも二人一組となって手をつないだ。


するとオーガたちの体が、すぐさま黒く鈍いもやに包まれた。


――なにっ?


龍夜の理性のいくつかが元にもどり、その分の狂気を頭の外へと押し出した。


まだ目からとめどなく流れ落ちる涙は止まってはいなかったが、さっきまでこれ以上はないと思われるほど見開かれていた狂った眼が、それに比べるとわずかばかり閉じている。


オーガたちは龍夜の見ている前でさらに濃く黒いもや包まれた。


もやは意思を持っているかのように不気味にもぞりもぞりとうごめいていたが、不意に、そのもやがかき消すように消えた。


見れば二人一組になっていたはずのオーガが、一人づつになっている。


つまりオーガの数が六人になっていたのだ。


数が半分になっていることを除けばオーガの姿かたちは、見たところ特に変化はないように思えた。


ただ、皮膚の色がさっきよりもわずかに黒みを帯びていた。


鈍く光っていた眼の輝きも、先ほどよりは少し明るく見える。


――いったい何があったんだ?


その疑問に答えるかのように、オーガが言った。


〝僕たち合体したんだ〟


〝僕たち合体したんだ〟


〝どうだ〟


〝どうだ〟


〝驚いただろう〟


〝驚いただろう〟


〝これがすーぱーオーガだもんね〟


〝これがすーぱーオーガだもんね〟


〝すごいだろう〟


〝すごいだろう〟


〝見た目はあんまり変わんないだけど〟


〝見た目はあんまり変わんないだけど〟


〝中身は全然違うぞ〟


〝中身は全然違うぞ〟


〝うそじゃないぞ〟


〝うそじゃないぞ〟


〝ほんとだぞ〟


〝ほんとだぞ〟


〝よし、今度こそやっつけちゃおうよ〟


〝よし、今度こそやっつけちゃおうよ〟


〝うん、そうしよう〟


〝うん、そうしよう〟


〟いくぞーっ〟


〝いくぞーっ〟


六人のオーガが龍夜のまわりをぐるりと取り囲んだ。


そしてそのうちの四人が前後左右から、同時に龍夜に襲いかかって来た。


パシッ、パシッ、パシッ


音速を超える音が三つ聞こえてきた。


次の瞬間、ぼこっ、と言う音が、洞窟内で響いた。


龍夜のまわりにいるオーガのうち三人が後方に倒れつつある。


しかし残る一人が振り下ろしたばかでかい拳が、龍夜の胸を直撃した。


龍夜はバランスを崩しかけたが倒れる一歩手前でふんばり、逆にそのオーガの腹に、火龍を叩き込んだ。


パシッ


音速を超える音がした後、地面に倒れたオーガは四人となっていた。


龍夜は完全に理性を取り戻し、残る二人のオーガを鋭い目でけん制した後、龍の腕を構えた。


しかしその姿とは裏腹に、龍夜の心の中には動揺が芽生えていた。


――こいつらさっきと全然違う。強くなってやがる。


オーガが十二人いた時、龍夜は狂気の中にいたが、それでも理性を取り戻した今、その時の手ごたえ、つまりオーガを殴りつけた時の感触を思い出していた。


それはとても三メートルを超える太鼓腹の巨人を殴ったものとは思えないものだった。


もちろん龍の腕の強い力にもよるだろう。


それでも十二人のオーガの手ごたえは、軽い人形、あるいはぬいぐるみか何かを叩いたとしか考えられないほどに頼りなかった。


ところが、今殴りつけたオーガの手ごたえは全然違っていた。


素手で自分よりわずかに体重の軽い人間を殴ったくらいの感触があった。


そして十二人の時は、一度殴りつけたオーガは床でうめくだけで、そのまま起き上がることはなかったが、たった今倒したはずの四人オーガが、もうすでに自分の足で立っている。


それでも何事もなかったかのようにオーガを見つめる龍夜を見て、オーガが言った。


〝いってぇ〟


〝いってぇ〟


〝いてててっ〟


〝いてててっ〟


〝うん、いたかった〟


〝うん、いたかった〟


〝あいつ思ったよりも強いよ〟


〝あいつ思ったよりも強いよ〟


〝うん、強いなあ〟


〝うん、強いなあ〟


〝すーぱーオーガでも勝てないなんて〟


〝すーぱーオーガでも勝てないなんて〟


〝どうしよう〟


〝どうしよう〟


〝そんなの決まってるだろう〟


〝そんなの決まってるだろう〟


〝すーぱーオーガがだめなら、はいぱーオーガになればいいんだよ〟


〝すーぱーオーガがだめなら、はいぱーオーガになればいいんだよ〟


〝そうだ、そうだ〟


〝そうだ、そうだ〟


〝それがいい〟


〝それがいい〟


〝そうしよう〟


〝そうしよう〟


〝もう一度合体だ〟


〝もう一度合体だ〟


〝合体だあ〟


〝合体だあ〟


〝いくぞ!〟


〝いくぞ!〟


〝はいぱーオーガになるんだ〟


〝はいぱーオーガになるんだ〟


六人のオーガが再び二人一組になると、先ほどと同じように黒いもやに包まれた。


そしてそのもやがさらに濃くなり、そして細かく激しく動いたかと思うと、むくむくと膨れ上がっていった。


さらにもやの中から、小さな稲光のような光が立て続けに光った後、もやがすうっと小さくなり、そして消えた。


そこには三人のオーガが立っていた。


〝はあい、これが、はいぱーオーガだよ〝


〝はあい、これが、はいぱーオーガだよ〝


〝はあい、これが、はいぱーオーガだよ〝


〝はあい、これが、はいぱーオーガだよ〝


〝そうそう、これで君の勝ち目はないね〟


〝そうそう、これで君の勝ち目はないね〟


〝そうそう、これで君の勝ち目はないね〟


〝そうそう、これで君の勝ち目はないね〟


〝もう終わりだね〟


〝もう終わりだね〟


〝もう終わりだね〟


〝もう終わりだね〟


〝決まったね〟


〝決まったね〟


〝決まったね〟


〝決まったね〟


〝やっちゃえ〟


〝やっちゃえ〟


〝やっちゃえ〟


〝やっちゃえ〟


オーガの皮膚の色がさらに濃くなっていた。


限りなく黒に近い灰色であった。


そして眼の輝きも増し、人工的なライトの光にも似たものになっている。


三人のオーガは右と左、そして前から龍夜を取り囲んだ。


〝いくぞー〟


〝いくぞー〟


〝いくぞー〟


〝いくぞー〟


オーガが向かってくるスピードは、さっきよりも格段に速くなっていた。


それでも龍夜は右から来たオーガを火龍で、左から来たオーガを水龍で受け止めた。


次の瞬間、正面から来たオーガが、龍夜の胸のあたりを殴りつけた。


ぼきっ


肋骨の折れるはっきりとした音と共に、龍夜の体が崩れるように倒れた。


「ぐふっ」


龍夜は起き上がろうとしたが、すぐには起き上がれなかった。


胸の痛みは半端ではない。


全身が軽く痙攣している。


それでも小刻みに体を震わせながらも、なんとか立ち上がった。


胸の痛みだけではなかった。


二人のオーガを受け止めた火龍と水龍の腕にも重く鈍い痛みがあり、軽くしびれている。


龍夜はゆっくりと火龍と水龍を振った。


それだけでも胸に電気が走り、龍夜はうずくまってしまった。


〝うん、ダメージあるみたいだな〟


〝うん、ダメージあるみたいだな〟


〝うん、ダメージあるみたいだな〟


〝うん、ダメージあるみたいだな〟


〝こっちも少しあるけど〟


〝こっちも少しあるけど〟


〝こっちも少しあるけど〟


〝こっちも少しあるけど〟


〝あっちのほうが、ずっと大きいよ〟


〝あっちのほうが、ずっと大きいよ〟


〝あっちのほうが、ずっと大きいよ〟


〝あっちのほうが、ずっと大きいよ〟


〝うん、そうだね〟


〝うん、そうだね〟


〝うん、そうだね〟


〝うん、そうだね〟


〝もう少しだね〟


〝もう少しだね〟


〝もう少しだね〟


〝もう少しだね〟


〝あと一押しだあ〟


〝あと一押しだあ〟


〝あと一押しだあ〟


〝あと一押しだあ〟


〝もう一度、いっちゃえ〟


〝もう一度、いっちゃえ〟


〝もう一度、いっちゃえ〟


〝もう一度、いっちゃえ〟


再び左右と前からオーガが同時に襲ってきた。


龍夜はおもわず自分の胸をかばった。


左から来るオーガを水龍で、正面から来るオーガを火龍で殴りつけた。


しかし右から来たオーガの岩塊のような拳が、龍夜の頭にもろに捕らえた。


龍夜の身体はまたもや地にどたりと横たわった。


頭がくらくらする。


目に映る洞窟の高い天井が、ぐるぐる回って見える。


それでも体を震わせながら龍夜は起き上がろうとした。


火龍と水龍はダメージのためかほとんど感覚がなくなり、体を持ち上げるために地面を押しても、日のあたることのない岩の冷たさを感じなくなっていた。


「くっそーーーーーっ」


二匹の龍は半死状態、胸には強烈な痛み、そして頭は正常に働いていない。


それでも龍夜は立ち上がろうとしていた。


立ち上がろうとしては地面に倒れ、再び立ち上がろうとして、また倒れた。


そして何回かの試みの後、龍夜はようやく立ち上がることが出来た。


その足元は倒れる寸前の独楽のようにふらつき、目の焦点はまるで定まらず、顔中に粘っこい大汗をかいていた。


そんな龍夜をオーガたちは、くすくす笑いを浮かべたまま見ていた。


〝あいつ、やっと立ったよ〟


〝あいつ、やっと立ったよ〟


〝あいつ、やっと立ったよ〟


〝あいつ、やっと立ったよ〟


〝時間かかったね〟


〝時間かかったね〟


〝時間かかったね〟


〝時間かかったね〟


〝かかったね〟


〝かかったね〟


〝かかったね〟


〝かかったね〟


〝これでもう一度楽しめるね〟


〝これでもう一度楽しめるね〟


〝これでもう一度楽しめるね〟


〝これでもう一度楽しめるね〟


〝でも次はもう死ぬね〟


〝でも次はもう死ぬね〟


〝でも次はもう死ぬね〟


〝でも次はもう死ぬね〟


〝うん、そうだね〟


〝うん、そうだね〟


〝うん、そうだね〟


〝うん、そうだね〟


〝間違いなく死ぬね〟


〝間違いなく死ぬね〟


〝間違いなく死ぬね〟


〝間違いなく死ぬね〟


〝それじゃあ、これで終わりだ〟


〝それじゃあ、これで終わりだ〟


〝それじゃあ、これで終わりだ〟


〝それじゃあ、これで終わりだ〟


〝死ねーーっ〟


〝死ねーーっ〟


〝死ねーーっ〟


〝死ねーーっ〟


三人のオーガが真っ直ぐ龍夜に向かってきた。


その時である。


「お待ちなさい」


突然洞窟の奥から声がした。


そこには白く淡い光に包まれたものがあった。


やがて光が消えて、声の主がその姿を現した。


それはゆづきとゴブリンたちだった。


「ゆづきっ!」


龍夜の目はぼやけていてピントが合わず、オーガの後ろに立つゆづきが三人にも四人にも見えたが、それでもゆづきであることはしっかりと確認した。


〝なんだ?〟


〝なんだ?〟


〝なんだ?〟


〝なんだ?〟


〝なんだなんだ〟


〝なんだなんだ〟


〝なんだなんだ〟


〝なんだなんだ〟


〝おい、帰ってきたぞ〟


〝おい、帰ってきたぞ〟


〝おい、帰ってきたぞ〟


〝おい、帰ってきたぞ〟


〝うそだろう〟


〝うそだろう〟


〝うそだろう〟


〝うそだろう〟


〝信じられなーい〟


〝信じられなーい〟


〝信じられなーい〟


〝信じられなーい〟


〝なんで帰ってきたんだ〟


〝なんで帰ってきたんだ〟


〝なんで帰ってきたんだ〟


〝なんで帰ってきたんだ〟


〝ゴブリンども、俺たちに逆らったな〟


〝ゴブリンども、俺たちに逆らったな〟


〝ゴブリンども、俺たちに逆らったな〟


〝ゴブリンども、俺たちに逆らったな〟


〝おい、おまえらそんなことをしたら、どうなるのかわかっているのか〟


〝おい、おまえらそんなことをしたら、どうなるのかわかっているのか〟


〝おい、おまえらそんなことをしたら、どうなるのかわかっているのか〟


〝おい、おまえらそんなことをしたら、どうなるのかわかっているのか〟


〝仲間みんな殺しちゃうぞ〟


〝仲間みんな殺しちゃうぞ〟


〝仲間みんな殺しちゃうぞ〟


〝仲間みんな殺しちゃうぞ〟


〝うそじゃないぞ〟


〝うそじゃないぞ〟


〝うそじゃないぞ〟


〝うそじゃないぞ〟


〝それでもいいのか〟


〝それでもいいのか〟


〝それでもいいのか〟


〝それでもいいのか〟


ゆづきの前に一匹のゴブリンが立った。


そして直接頭の中に話しかけてきた。


〝この女の子に触れたとき、私はとても暖かくて大きなものを感じました。それはとても穏やかで安心できるものでした。その時私は思いました。こんな女の子を殺すなんて、私にはとてもできないと。と同時にもう一つのことを考えました。それはこの人達なら私達を助けてくれるかもしれない。つまりあなたがたオーガを、全員倒してくれるかもしれないと思ったのです。このままではどうせ私たち一族は、死ぬまであなたがたの奴隷のままです。ですから私たちはみんなで話し合い、そしてこの人達にかけてみる事にしました。それであなた方の命令を聞かなかったのです〟


〝なんだってぇ?〟


〝なんだってぇ?〟


〝なんだってぇ?〟


〝なんだってぇ?〟


〝くそっ!〟


〝くそっ!〟


〝くそっ!〟


〝くそっ!〟


その時かがり火を反射して何かが光った。


〝ぎゃっ〟


〝ぎゃっ〟


〝ぎゃっ〟


〝ぎゃっ〟


見ればゆづきと反対側にいたオーガの後ろに二階堂が立っていた。


そして手にした魍魎丸が、オーガの腹を貫いている。


光ったのは魍魎丸である。


二階堂の横にいた一匹のゴブリンが前に進み、言った。


〝この男の人からは、強さ、勇気、正しい心と言ったものを感じました。そこであの女の子を助けることに決めた私たちは、ついでにこの人も助けることにしました。これで全員がそろいました。死ぬのはオーガ、あなた方のほうです〟


「俺は、ついでかい!」


二階堂は魍魎丸をオーガの腹から抜くと、今度は横に大きく振った。


〝ぎゃーーーっ〟


〝ぎゃーーーっ〟


〝ぎゃーーーっ〟


〝ぎゃーーーっ〟


オーガの体が上半身と下半身に分かれた。


その双方が地面に落ちたかと思うと、その体が黒いもやに包まれた。


やがてのたうつような黒いもやが消えたとき、オーガは四人になって地面に転がってた。


そして倒れていたオーガたちは、なんとか起き上がり、全員が一斉に二階堂に目をむけた。


「させるか!」

パシッ


パシッ


パシッ


パシッ


音速を超える音が洞窟内に四つ響いた。


オーガたちの四つの首が、ころりと地面に落ちた。


首をなくした体が地面に力なく倒れこむ。


やがて首と体が再び黒いもやに包まれ始めた。


そしてそのもやは、今度は白く輝いたかとおもうと、すうっと消え去った。


そこにはもう何も存在しなかった。


龍夜はようやく焦点が定まりつつある目で二階堂を見た。


「おっさん、驚いたぜ。音速の剣をマスターしたんだな」


「ああ、この俺をなめんじゃないぜ」


「このわしもな」


〝くそーーーっ〟


〝くそーーーっ〟


〝くそーーーっ〟


〝くそーーーっ〟


〝くそーーーっ〟


〝くそーーーっ〟


〝くそーーーっ〟


〝くそーーーっ〟


二人のオーガが同時に龍夜にむかって来た。


「させません!」


ゆづきは両腕を袖の中にいれ、そして何かを一斉に投げた。


それは何十枚という九龍のお札である。


そのお札の群れは、全て龍夜の右にいるオーガにむかって飛んだ。


そしてその大きな体にまんべんなくへばりつくと、激しく燃え上がった。


〝ぎやーーーっ!〟


〝ぎやーーーっ!〟


〝ぎやーーーっ!〟


〝ぎやーーーっ!〟


〝なんだあ、あいつ燃えてるぞ〟


〝なんだあ、あいつ燃えてるぞ〟


〝なんだあ、あいつ燃えてるぞ〟


〝なんだあ、あいつ燃えてるぞ〟


燃えているオーガが熱さのために、地面を激しく転がりはじめた。


燃えていないオーガは、驚きのあまり地面に転がり続けているオーガをじっと見ている。


その時龍夜が、拝むような格好で二匹の龍をそろえ、オーガにむかって言った。


「おまえの相手はこっちだぜ」


火龍と水龍は頭は完全に一体化し、一本の刃と化していた。


その刃を目の前で突っ立っているオーガの太鼓腹に、思いっきり差し込んだ。


〝うわーーっ〟


〝うわーーっ〟


〝うわーーっ〟


〝うわーーっ〟


龍夜は両の手に、気合たっぷりに力を込めた。


「ふんっ!」


オーガの体の左側から赤く強い光が、まるでレーザービームのようにいくつも飛び出してきた。


次に右側から青く強い光が、同じように次々とあふれ出す。


〝ぎゃーーっ〟


〝ぎゃーーっ〟


〝ぎゃーーっ〟


〝ぎゃーーっ〟


オーガの体の中では赤い熱風と青い冷気が、まるでハリケーンのように渦巻いていた。


「おまえはこれで終わりだ。死ね!」


オーガの全身が、無数の赤と青の光の帯に包まれた。


そのうちに黒いもやがもこもこと現れて、赤と青とに混ざり合う。


やがてそのもやは白く強く光ると、二色の無数の光の帯とともに、ゆっくりと消えた。


その時オーガの体も同じく消え去っていた。


「おう、龍夜、やったな」


二階堂が龍夜のもとに駆け寄ってきた。


龍夜はその二階堂を、なんの遠慮もなく全力で突き飛ばすと、ゆづきのもとへと走った。


「ゆづき!」


「龍夜様!」


二人は強く抱き合った。


「ゆづき! よく帰ってきた! てっきり死んでしまったのかと、思ってたぞ。いててててててっ」


「龍夜様、大丈夫ですか?」


「もちろん大丈夫さ。いてててててっ」


ゆづきはそろりと龍夜から離れた。


「胸、お痛みになりますか?」


「うーん、ほんとはものすごく痛いぜ」


二階堂が駆け寄ってきた。


「おいおい、感動の再会のところ悪いが、俺を突き飛ばして行くことはないだろう。けっこう痛かったぜ」


「えっ、おっさんを突き飛ばしたってか。全然覚えがないぜ」


「たった今、突き飛ばしただろうが」


「わりいなあ。なんせゆづきしか見えてなかったもんで」


「まったく、こいつだけは」


ゴブリンたちが龍夜たちのところに歩み寄ってきた。


先頭のゴブリンが頭の中に話しかけてくる。


〝あなたたちには、いろいろとご迷惑をかけてしまいました。本当に悪かったと思っています〟


龍夜が火龍で頭をぼりぼりかきながら答えた。


「いやこっちこそあんた達の仲間を、何匹かやっちまってる。ほんと、悪いことしたと思ってるぜ」


〝それは私達がオーガに強要されたとは言え、人間の子供たちをさらったからです。あなたがたは悪くはありません。それと……〟


「それと、なんだ」


〝十二人いたオーガたちのうち、八人まであなたがたが倒してくれました。これであのいまいましい鎖を断ち切って、仲間たちを助けることができます〟


「あの鎖とはなんだ?」


〝私達の仲間の多くが、オーガたちの作った鎖でつながれているのです。人質と言うわけです。おまけにその鎖には不思議な力が宿っていて、そのために仲間たちは鎖を切ることも飛ぶことも出来ないでいるのです。オーガたちが集まって、なにか怪しい魔法でもかけたようです。しかしオーガが四人になった今、その力はかなり弱まっていると思われます。それに……〟


ゴブリンはさっきからずっと地面を転がり続けているオーガを見た。


〝オーガはあと四人です。あなたがたなら楽に倒すことができるでしょう。私達は仲間を一刻も早く助けたいので、申し訳ないのですがこれで失礼します。本当にありがとうございました〟


そう言うとゴブリンたちは集まり、お互いの手を取った。


ゴブリンたちは淡く白い光に包まれ、強く輝いた後に消えた。


「行ったな」


龍夜がそうつぶやいた後、地面を転がり続けていたオーガがむくりと立ち上がった。


ようやく火が消えたようだ。


オーガは起き上がると同時に、こっちを見ている龍夜たちに気付いた。


〝ひっ!〟


〝ひっ!〟


〝ひっ!〟


〝ひっ!〟


ただでさえばかでかい目をさらに大きくして、怯えの色を隠そうともせず、洞窟の奥へと後ずさって行く。


「おやおや、仲間がみんなやられておまけにゴブリンたちにもそっぽむかれて、かわいそうなこったな。で、逃げる気かい。でもおまえは絶対に逃がさねえぜ。だいいち入り口は反対側だろうが、このバカオーガが!」


龍夜がオーガの後を追った。


二階堂そしてゆづきがその後に続く。


龍夜たちはじりじりとオーガを追い詰めた。


そしてとうとうオーガは、洞窟の一番奥にある中央がへこんだ大岩のへこみに、その背をつけた。


「もう後がないぜ。覚悟しな」


その時ゆづきが突然叫んだ。


「危ない! 龍夜様」


ゆづきが叫ぶと同時に、オーガが右手と左手で、何かを下に引っ張った。


それは上から吊り下げられていた二本の細いロープである。


――なんだ? あの紐は。


龍夜がそう考えた次の瞬間、龍夜の体が突然吹っ飛んだ。


そして二階堂の上に、大きな音とともに何かが落ちてきた。


「わっ!」


「うわっ!」


見ればロープでつるされた巨大な丸太に、龍夜の身体がものすごい勢いで押されている。


そして丸太に飛ばされて地面に落ちた後も龍夜はごろごろと転がり続けて、そのまま中央の大きな穴の中に落ちてしまった。


ゆづきは反射的に二階堂を見た。


二階堂は上から落ちてきた大小さまざまな岩の下敷きとなっていた。


そして二階堂は完全に気を失っていた。


ゆづきはオーガに視線を移した。


オーガは残ったもう一本のロープを、今まさに引こうとしている。


ゆづきは素早く袖の中に手を入れ、お札を投げた。


それはいざと言うときのためにとっておいた、最後の一枚である。


お札は高速回転をしながら飛んでいった。


オーガがロープを引くのとお札がロープにあたるのと、ほぼ同時だった。


オーガはそのままロープを引っ張ったが、そのロープはすでに切れていた。


お札が数回直角に曲がって飛び、オーガに向かっていく。


しかしオーガが手にしていたロープの切れ端でお札を叩くとお札は二枚に裂けて地面に落ち、そのまま動かなくなってしまった。


〝わーい、うまく罠に引っかかったぞ〟


〝わーい、うまく罠に引っかかったぞ〟


〝わーい、うまく罠に引っかかったぞ〟


〝わーい、うまく罠に引っかかったぞ〟


〝最後の罠が使えなかったのが、なんだか悔しいけど〟


〝最後の罠が使えなかったのが、なんだか悔しいけど〟


〝最後の罠が使えなかったのが、なんだか悔しいけど〟


〝最後の罠が使えなかったのが、なんだか悔しいけど〟


〝でも残るはあのチビ一人だけだよ〟


〝でも残るはあのチビ一人だけだよ〟


〝でも残るはあのチビ一人だけだよ〟


〝でも残るはあのチビ一人だけだよ〟


〝さっさと殺しちゃおうか〟


〝さっさと殺しちゃおうか〟


〝さっさと殺しちゃおうか〟


〝さっさと殺しちゃおうか〟


〝うんそうしよう〟


〝うんそうしよう〟


〝うんそうしよう〟


〝うんそうしよう〟


〝殺そう、殺そう〟


〝殺そう、殺そう〟


〝殺そう、殺そう〟


〝殺そう、殺そう〟


オーガがゆづきに迫ってくる。


ゆづきは入り口に向けて走った。


しかしもう少しのところで、前をふさがれた。


追いついたオーガに回り込まれたのだ。


〝人間の女の子にしては、やけに速いね〟


〝人間の女の子にしては、やけに速いね〟


〝人間の女の子にしては、やけに速いね〟


〝人間の女の子にしては、やけに速いね〟


〝でも僕のほうが速かったね〟


〝でも僕のほうが速かったね〟


〝でも僕のほうが速かったね〟


〝でも僕のほうが速かったね〟


〝残念だったね。もうちょっとだったのに〟


〝残念だったね。もうちょっとだったのに〟


〝残念だったね。もうちょっとだったのに〟


〝残念だったね。もうちょっとだったのに〟


〝がんばったのにねえ〟


〝がんばったのにねえ〟


〝がんばったのにねえ〟


〝がんばったのにねえ〟


〝おしかったね〟


〝おしかったね〟


〝おしかったね〟


〝おしかったね〟


〝もう逃げ場はないよ〟


〝もう逃げ場はないよ〟


〝もう逃げ場はないよ〟


〝もう逃げ場はないよ〟


〝終わりだね〟


〝終わりだね〟


〝終わりだね〟


〝終わりだね〟


ゆづきは、迫り来るオーガをその目でしっかりと捉えたまま、じりじりと後ろに下がっていった。




龍夜が気づいた時、そこは深い穴の底だった。


背中からもろに落ちたらしく、強烈な痛みがある。


胸も同様の痛みがあり、体全体がしびれていた。


体を少しでも動かすと、さらに強い痛みが胸と背中を襲い、そして全身に電撃が走った。


それでもなんとか立ち上がろうと地面に手をついた時、その手に何かがあたった。


――なんだ?


それは骨だった。


間違いなく人間の子供の骨である。


何人もの子供の骨が穴の底に転がっていた。


――あいつら、こんなところに……。


龍夜の中に怒りがこみ上げる。


しかし今は感情に流されている場合ではない。


ゆづきが心配だ。


なんとか立ち上がった龍夜の目に、何かが映った。


それは一体の巨大な骨である。


頭蓋骨を含め全身の全てが一箇所に集められたその大きな骨は、どう見てもギガントの骨だった。


――あいつら、ギガントまで食ったのか。


ギガントの骨を横目で見ながら、龍夜は穴の壁のところにたどり着いた。


そして壁面をつかみ、壁を登ろうとした。


しかし穴の壁面は測ったように垂直で、おまけに表面がまるで鏡のようになめらかにみがかれており、手の指どころか、龍の鋭い牙を引っ掛ける隙間さえない。


それでもなんとか登ろうとした龍夜だったが、全く上がれる気配がなかった。


「くそっ、ゆづきはいったいどうなってる」


龍夜はゆづきの気を探った。


今のところ体の気は大丈夫のようだ。


しかし心の気が、ゆづきにしては激しく乱れている。


それはゆづきの目の前に、死が迫っていると言う事態にほかならない。


「ええいっ、それじゃあおっさんは」


龍夜は二階堂の気を探した。


見つけた二階堂の気は、ずいぶんと小さなものになっている。


それは彼が意識を失っていることを意味していた。


「あんにゃろう、かんじんな時に、またのびてやがんな」


龍夜は再度壁のぼりを試みた。


しかしその壁面はたとえ何年かかったとしても、とても登れそうにはなかった。




じりじりと後退していたゆづきだったが、いつの間にか入り口の反対側、楕円形の洞窟の一番奥に追いやられていた。


そこはついさっきオーガが追い詰められていた大岩のくぼみのところだ。


もう後ろには逃げ場はない。


かといって右か左に逃げたとしても、すんなり通してくれるとは、とても思えない。


オーガはもう手を伸ばせば届きそうな距離に立っている。


そしてその醜い鬼の顔がにやにや笑っていた。


残酷な子供の顔だ。


〝もう後がないよ〟


〝もう後がないよ〟


〝もう後がないよ〟


〝もう後がないよ〟


〝どうしようもないよ〟


〝どうしようもないよ〟


〝どうしようもないよ〟


〝どうしようもないよ〟


〝これでほんとに最後だね〟


〝これでほんとに最後だね〟


〝これでほんとに最後だね〟


〝これでほんとに最後だね〟


〝終わりだね〟


〝終わりだね〟


〝終わりだね〟


〝終わりだね〟


〝じゃあ、死ね!〟


〝じゃあ、死ね!〟


〝じゃあ、死ね!〟


〝じゃあ、死ね!〟


オーガの大きな手が素早く動き、ゆづきのか細い首をつかんだ。


そしてその手にゆっくりと確実に力を込めていく。


「うううっ……」


ゆづきの顔が苦痛に歪む。


そしてその顔色が、どんどん血の気を無くしていった。


その時である。


「待ちやがれ!」


大きな声がして、広い洞窟じゅうに響いた。


龍夜の声である。


〝なに?〟


〝なに?〟


〝なに?〟


〝なに?〟


〝どこだ?〟


〝どこだ?〟


〝どこだ?〟


〝どこだ?〟


〝どこにいるんだ?〟


〝どこにいるんだ?〟


〝どこにいるんだ?〟


〝どこにいるんだ?〟


オーガは慌ててまわりを見た。


しかし龍夜の姿はどこにも見あたらなかった。


「ここだここだ、このばけものめ!」


オーガは気がついた。


その声は身長が三メートルを超える自分の頭の、はるか上から聞こえてくるのだ。


オーガは思わず上を見た。


そこには信じられないことに、龍夜の身体が洞窟の高い天井近くに浮かんでいた。


〝えっ?〟


〝えっ?〟


〝えっ?〟


〝えっ?〟


〝そんな、ばかな〟


〝そんな、ばかな〟


〝そんな、ばかな〟


〝そんな、ばかな〟


〝なんで?〟


〝なんで?〟


〝なんで?〟


〝なんで?〟


龍夜の火龍の腕が上に伸ばされている。


そしてその火龍があごで掴んでいたものは、魍魎丸である。


宙に浮いている魍魎丸に、龍夜がぶら下がっているのだ。


オーガは思わずゆづきを手から離した。


火龍が魍魎丸を離し、龍夜が落ちてきた。


そして龍夜は空中で体をひねると、火龍と水龍を下に突き出してオーガにむかって来た。


それはまるで、スーパーマンの飛ぶ姿に似たものだった。


〝くそっ〟


〝くそっ〟


〝くそっ〟


〝くそっ〟


オーガは両腕を構えた。


そして直前に迫った火龍と水龍を、弾き飛ばそうとした。


オーガの二本の腕は火龍と水龍を捕らえたが、逆に弾き飛ばされた。


火龍と水龍は、そのままオーガの皿のように大きな二つの目に突き刺さった。


〝ぎゃーーっ!〟


〝ぎゃーーっ!〟


〝ぎゃーーっ!〟


〝ぎゃーーっ!〟


「ばかやろう。いくらハイパーオーガとは言え、腕一本で火龍や水龍に勝てるわけがないだろう」


オーガの体の中からいくつもの赤、そして青のレーザービームが次々と飛び出してきた。


龍夜は火龍と水龍に思いきり力を込めた。


「こんどこそ最後だ。死ね!」


〝うわーーーっ〟


〝うわーーーっ〟


〝うわーーーっ〟


〝うわーーーっ〟


赤と青が、オーガの体の中を激しく駆けめぐっている。


するとオーガの体が黒いもやに包まれはじめた。


そしてそのもやはどんどん濃くなっていく。


そのうちに赤と青の光の帯と黒いもやが、激しく混ざり合った。


それらが強く白く光り、そして消えた後、オーガの身体も消えていた。


十二人のオーガたちは、完全にこの世から消え去った。




ぱちん、ぱちん、ぱちん〟


音が聞こえてくる。


ずっと続く連続音だ。


ぱちん、ぱちん、ぱちん


男は思った。


――なんだこの音は?


ぱちん、ぱちん、ぱちん


音だけではなかった。


何だか知らないが、男は頬に痛みを感じていた。


ぱちん、ぱちん、ぱちん


男は目を開けた。


そして見た。


そこには龍夜が人間の手に戻った左右の手のひらで、上から自分の顔を続けざまにはりとばしていた。


「おおっ、おっさん気がついたみたいだぜ」


ぱちん、ぱちん、ぱちん


二階堂は下から龍夜の手をつかんだ。


「こらっ、いつまで叩いてるんだ」


「ほんのサービス、サービス」


「まったく」


倒れた二階堂の上に馬乗りになっていた龍夜が立ち上がる。


続いて二階堂も立ち上がった。


二階堂は頬に手をあてた。


頬は明らかに腫れあがり、おまけに少し熱を持っているようた。


「いったい何発ひっぱたいたんだ」


「何発? そんなのいちいち数えてないぜ。何の意味もないし。とりあえず、おっさんが起きるまでだな」


「気がついても、まだひっぱたいていただろうが」


「追加料金はいらないぜ」


「まったく、こいつだけは」


ゆづきが魍魎丸を持って歩み寄ってきた。


「はい、二階堂様、どうぞ」


「ああ、ありがとう」


二階堂が魍魎丸を受け取る。


二階堂が手にした魍魎丸が言った。


「それにしても龍夜、おぬしほんとに重かったぞ。すこしはあれ、なんじゃったっけ……そうそう、少しはダイエットとやらをしたらどうじゃ」


「じじい、何言ってやがる。これでも俺は会う人会う人に〝いつ見てもスマートでいいですね〟って言われてるんだぜ」


「確かに見た目はそうかもしれんがのう」


「じじいの飛ぶ力が、ちいせえんだよ」


二階堂が聞いた。


「重かったって、どういうことだ?」


龍夜は、天井からロープでつるされた太い丸太を指さした。


「俺があれに飛ばされて穴に落ちた時、役立たずのおっさんは気持ちよくおねんねしてたもんだから、魍魎丸に引き上げてもらったんだ」


「そう、それでわしがオーガのところまで連れていったんじゃ」


「そうだったのか。……で、役立たずのおっさんは、余計だろう」


「あれっ、そんなこと言ったっけなあ。記憶にございません」


「まあまあ龍夜様も二階堂様も、それくらいにしてくださいませ」


その時、龍夜たちの周りをのぞく洞窟全体の地面が、淡く白く光りだした。


やがてその光が消えて、実体が現れた。ゴブリンたちである。


そのゴブリンの群れは、広い洞窟の地面を埋め尽くしていた。


その数は数十、いや百はゆうに超えているだろう。


その中からリーダーらしい一匹のゴブリンが前に歩み寄ってきた。


〝残りのオーガたちも倒してくれたのですね。ありがとうございます〟


その口調は自分達が去った後、龍夜たちがなんの苦労もなくオーガを倒したと思い込んでいる口調である。


「ああ、ちょちょいのちょいで、ぎっちょんぎっちょんにしてやったぜ」


龍夜も、さも何事もなかったかのように答えた。


ゴブリンがさらに龍夜に歩み寄り、その手をとった。


〝私達も魔力の弱まったオーガの鎖を断ち切り、無事に仲間を助け出すことができました。これも全てあなた方のおかげです。本当にありがとうございました〟


「いやいや照れるぜ、お礼なんて」


〝しかしただ一つ、かわいそうなことをしました〟


たくさんのゴブリンたちの一番後ろに、それはいた。


かなりの長身で筋肉質な体をした白人男性である。


しかし体は完全に成人していたが、その上にのっているのは、大きな赤ん坊の顔だった。


〝彼はギガントの子供です。ギガントは自分の子供を人質にされて、命令を聞かざるをえなかったのです〟


「……」


龍夜は何か言おうとしたが、何も言えなかった。


そんな龍夜を見たゴブリンが静かに言った。


〝わかっています。この子の親がいったいどうなったのか、もうこの子もとうに気付いています。ギガントの親子は、お互いの心を感じる力があるのですから。とても悲しいことです〟


ギガントの子供が歩き出した。


前にいたゴブリンたちが道を開ける。


その道を通ってギガントの子供は、龍夜のもとまでたどたどしく歩いてきた。


その目から涙が滝のように流れ落ちている。


「あう、あう、あーうー」


龍夜のところに来ると、その右手をごつい両手でしっかりと掴み、ゆっくりと頭を下げた。


そして振り返り、元の場所へと戻って行った。


ギガントの子供を見ながらゴブリンのリーダーが言った。


〝あの子は私達の故郷で、仲間として育てていきたいと思っています〟


「それがいいだろう」


〝それではお別れです。いろいろとありがとうございました〟


そのゴブリンは群れの中に戻ろうとした。その時、後方から声が響いた。


〝ちょっと待ってください〟


後ろのほうから一匹のゴブリンが歩いてきた。


その両手は手のひらを上にして、何かをさしあげている。


そしてそのままの体勢でゆづきの前まで歩いてきた。


リーダーのゴブリンが言った。


〝それは〟


〝はい、ご存知のとおり私達に代々伝わる宝です。でも私達が持つよりもこの少女のほうが、これを持つにふさわしいと思いまして〟


〝そうか。……そうだな、それがいいだろう〟


ゆづきが聞いた。


「これはいったい、何でしょうか?」


ゴブリンがうやうやしくさしあげているもの、それは古い西洋式の諸刃の短剣に見える。


しかしその短剣は、その表面全体がこれ以上はないというくらいに、青黒く錆びついていた。


〝はい、この剣は私達一族に伝わる秘宝の魔剣です。ですがこの剣は、女性にしかあつかえないと伝わっています。しかし私達ゴブリンは、人間で言えば男しかおりません。ですからどのような使い方をするのか、いったいどのような力があるのかは、残念ながらわかってはいないのです。ただあなたなら使いこなせるのではないかと思いまして、こうして持参いたしました〟


龍夜がよけいなことを聞いた。


「男だけで種族繁栄できるのか」


〝はい、詳しく説明すると長くなりますが、私達は人間とは全く違った方法で、子供を作っています〟


「……そうか」


〝とにかく助けていただいたお礼です。どうかお納めください〟


「わかりました。遠慮なく受け取らせていただきます」


ゆづきは古くさび付いた短剣をその手に取った。


その途端、その短剣が黄金色に目映く輝きはじめた。


〝おおっ!〟


〝光ったぞ!〟


〝信じられない〟


〝奇跡だ!〟


しかしゴブリンたちの驚きをよそに、黄金の輝きはすぐに消えてしまった。


ゆづきはそのまま錆びた剣を、じっと眺めている。


それを見てゴブリンのリーダーが言った。


〝今すぐに使いこなせるというわけではないようですね。しかし私達の長い歴史においても、その剣が光ったということは、ただの一度もありませんでした。このまま私たちが持っていても、まさに宝の持ち腐れにしかなりません。やはりこの剣は、彼女が所有するのが一番かと思われます〟


「俺もそう思うぜ。なあ、ゆづき」


「はい、わかりました。お約束します。ゴブリンさんたちの大切なお宝、この私が必ず使いこなしてみせます。ありがとうございました」


ゴブリンのリーダーがゆっくりと、深々と頭を下げた。


〝ではもう故郷に帰ります。これで本当にお別れです。みなさんありがとうございました。みなさんのことは、決して忘れません〟


後ろのゴブリンたちがそれに続いた。


〝いろいろとありがとうございました〟


〝ありがとうございました〟


〝あなた方のことは、決して忘れません〟


〝ほんとうにありがとうございました〟


大勢のゴブリンたちとギガントの子供が、みな手をつなぎあった。


やがてゴブリンたちとギガントが、白く淡い光に包まれる。


その光は一瞬強く輝いたかと思うと、やがて消えた。


あとには冷たい洞窟の床があるばかりとなった。


龍夜が言った。


「あいつら帰ったようだな。じゃあ俺たちももうお家に帰るか」


龍夜がすたすたと歩き出した。


しかしものの数歩も歩かないうちに、崩れるように地面に倒れこんだ。


「龍夜様!」


「うーん、もう一歩も歩けねえ」


二階堂が龍夜を覗き込み、まるで人事のように言った。


「えっとこれは、また透の世話になるしかないな」




笹本は、おもいっきり困惑の表情を浮かべていた。


その笹本の前を二階堂が黙々と歩いている。


二人は早朝からずっと歩きどおしであった。


歩いている場所は、殺人事件の起こったクラブマドンナの周辺である。


二階堂はクラブマドンナのまわりを、ひたすらぐるぐると歩き回っていたのだ。


笹本がしかたなくその後をついて行く。


「あのう、二階堂さん」


二階堂は答えない。


笹本がこれまでに一度も見たことがないほど深刻な鋭いまなざしで、ずっと前方を見ながら歩いている。


やがて日は高く上り、そうこうしているうちに、今度は地上を赤く染めて西の空に沈みかけていた。


「あのう、二階堂さん」


二階堂はやはり答えない。


笹本はこれまで何回、いや何十回となく二階堂に話しかけたが、二階堂は一度も返事を返していなかった。


それだけでも疲労を感じるには十分なのに、それ以上に笹本を疲れさせているのは、ただの一度も休むことなくただひたすらに、しかもかなり速いペースで歩き続けていることだ。


その間クラブマドンナある小さな雑居ビルの前を、いったい何度、行ったり来たりしたことだろうか。


――それにしても二階堂さん、すごい。僕よりもずっと年上のはずなのに、ものすごい体力だ。


笹本は体力、特に足腰には自信があった。


その笹本がずいぶん前からへばっているのに、二階堂は朝歩き始めたときからじっと前方を見据えたままで、ずっと同じ調子で歩いている。


飲み食いも一切していない。


「あのう、二階堂さん」


二階堂はあいかわらず答えなかった。


笹本が本気で強引に休憩を提案しようと考えていた時、突然二階堂が動いた。


小走りで走り出すと、一人の男を制止するようにその前に立ちはだかった。


笹本が慌てて後を追う。


その男は小柄で、深く野球帽をかぶっていた。


そして顔を上げて二階堂を驚きの表情で見ているその男の手を、二階堂が強くつかんだ。


「やっと見つけたぞ、世話かけやがって。おい、おまえだな、クラブマドンナ殺人事件の犯人は。逮捕する!」


笹本が二階堂の肩を軽くつかんだ。


「二階堂さん、いくらなんでもそれは……」


しかしその男は、二階堂に手をつかまれたままへなへなと膝から崩れ落ちた。


そして聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟いた。


「……すみません。……私がやりました」


二階堂は振り返り、笹本にむけて会心の笑みを見せた。


笹本はそれを見ても、そのまま固まったままだった。




二階堂に透と呼ばれた医者が、事務所でコーヒーをごくごく飲み、タバコをぷかぷか吸っている。


曽根崎透である。


今は昼休憩の時間だ。


曽根崎はいつも昼食はとらずに、コーヒーとタバコだけですまし「これが健康に一番いいんだ」とうそぶいていた。


そして何本目かのタバコを手にした時、後ろのドアが開いた。


龍夜である。


龍夜が曽根崎の背中にむかって言った。


「よう、お医者様、いろいろ世話になったな。でももう十日も寝てるばっかりだ。退屈で退屈で死にそうだぜ。そんな訳で今から退院させてもらうぜ。いいだろう、お医者様。今までありがとうな」


曽根崎がゆっくりと回転椅子ごと振り返る。


「あんだけのダメージを胸と背中に受けたら、まともな人間なら半年はかかるもんなんだがな。……まあ、おまえならいいか。退院してもいいぜ」


「さっすが、ものわかりがいいぜ。それじゃあな」


「ちょっと待て」


「なんだい?」


「進に伝言だ。今度いっしょに飯でも食おうってな」


「進とは、あのロリコンでブルマフェチのおっさんのことかい」


「そう、あのロリコンでブルマフェチのおっさんのことだ」


「わかった。お医者様が、おっさんはロリコンでブルマフェチだと言ってたと、きっちり伝えとくぜ」


「ちょっと待て。まだ話は終わっちゃいねえぜ」


「今度はなんだい」


曽根崎がにっこりと笑った。


「そん時はおまえ、それにお嬢ちゃんも、いっしょだぜ」


龍夜もにっこりと笑った。


「ああ、了解したぜ」




マリアンヌはその時成田空港にいた。


次のフライトの準備までには少々時間がある。


客室乗務員たちの休憩時間となっている時間帯だった。


しかしマリアンヌは他の同僚達と休憩を取ることもなく、乗務員用通路を行ったり来たりしていた。


落ちつかなかった。


とてもじゃないが、ゆっくりと座っていることなどできそうにはなかった。


あの十二人に会って以来、彼女の心の中に黒くて嫌なものが住みつき、彼女の心を蝕みながら日に日に大きくなっていった。


ところがある日、不思議な服を着たフランス語を話す少女に会って、少しばかり癒された。


そして少女にがんばるように言われて、彼女なりに一生懸命がんばってきた。


ところがここ最近、あの黒くて邪悪なものが、再びマリアンヌの中で増殖し続けている。


それは彼女の心にしっかりと喰らいつき、みるみる肥え太り続けていた。


彼女は同僚たちが心配するほどに、平常心というものをなくしてしまっていた。


――やっぱり、もうだめだわ。


一度は思い直したが、やはり会社を辞めることを、今から上司に伝えようと考えていた。


それはマリアンヌにとって身を引き裂かれるほどつらい選択であったが、黒く深く悪しきものの前では、どうすることもできないでいた。


彼女が肩を落として歩いていると、不意に前から黒づくめの少年が彼女に向かって歩いてきた。


――あれっ、あの人は確か。


それはあの時あの少女の横で、黙って立っていた大きな黒い瞳の少年だ。


マリアンヌは思わず少女の姿を探したが、どこにも見あたらない。


そのうちにも少年はまっすぐにマリアンヌのところへ歩いてきて、彼女のすぐ目の前に立った。


――いったい、何かしら?


マリアンヌが少年を見ていると、少年はマリアンヌの額のあたりに広げた手のひらを向けてきた。


そして言った。


「あなたは何も見なかった。あなたは何も聞かなかった。そしてあなたは何も感じてはいなかった」


それは日本語だったので、日本語はあいさつ程度しかわからないマリアンヌには、何を言っているのか理解できなかった。


しかし不意に自分の顔をめがけて差し出された手を避けようとか、奇妙な行動をとる少年から離れようといった考えは、露ほども浮かんでこなかった。


むしろその逆で、少年からはあの十二人から感じた嫌な黒いものとは正反対の、暖かくて大きく柔らかなものを感じていた。


彼女はわすかばかりではあるが、少年の手のひらに自分の額を自ら近づけていた。


少年はそのままマリアンヌの額に手をかざしていたが、やがてその手を下ろすと、振り返り歩き始めた。




――あらっ、私、何をしていたのかしら?


マリアンヌはふと我に返った。


何があったのかは、わからない。


何をしていたのかも、わからない。


ただついさっきまで、何かはわからないが、何かとても悪い夢を見ていたような気がした。


とてもとても悪い夢を。


そしてその夢から、ようやく、ほんとうにようやく覚めたような気がしてきた。


――あれっ、あの人は?


気がつけば、目の前を見慣れない黒づくめの男が歩いている。


後ろ姿から判断すると、その男はまだ少年のように見えた。


――あの人、確かどこかで。


マリアンヌはその黒い後ろ姿を、遠い昔に見たような気がした。


ずっとずっとはるか遠い昔に。


そして懸命に思い出そうとした。


しかし何ひとつ思い出せなかった。


そのうちに少年は、その姿を消した。


――やっぱりどこかで見たような気がするんだけど。


そう考えながらも、いつもの習慣で腕時計を見る。


フライトの時間が迫っている。


マリアンヌは歩き出した。


――もうすぐだわ。今日もがんばってお仕事しなくちゃ。黒くて嫌なもやも、消えてしまったことだし。


マリアンヌは立ち止まった。


――黒くて嫌なもや?


自分が自分の頭の中にうかべたその言葉の意味が、全くわからなかった。


――黒くて嫌なもやが……消えた?


やはりわからない。


マリアンヌはまるで何かに惹かれるかのように窓を、そしてその先にある青い空を見た。


すると突然、マリアンヌの目から涙が流れ始めた。


――あらっ、やだ。私、なんで泣いているのかしら?


マリアンヌはそのまま空を見ていた。


涙は止めどもなくあふれ出てくる。


そこに同僚が声をかけてきた。


「マリアンヌ! どうしたの? なんで泣いてるの?」


マリアンヌは彼女を見た。


そして満点の笑顔で答えた。


「ううん、なんでもないの。なんでもないのよ」


マリアンヌは再び空を見上げた。


その日の成田の空はとても青く、そしてどこまでも高く高く澄みわたっていた。




       終

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千年狩り 子取り鬼 ツヨシ @kunkunkonkon

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