突然、落ちる感覚に襲われる。

 驚いてカっと目を見開いた。


 見えたのは、木と草と土。

 それから、少し離れた所で寝転がるご主人だった。


 ……あれ? 俺、確かご主人に腕枕して貰ってた筈なんだけど。

 なんで、地面に転がってるんだ?


 茫然と固まったまま、取り敢えず辺りの様子を窺ってみる。変わった所は、特にないと思う。強いて言えば、ちょっと日が傾いた位だろうか。


「んん……」


 俺が内心首を傾げていると、不意にご主人が唸った。俺を探してるのか、目を瞑ったまま地面を叩いている。


 俺は立ち上がり、身震いして毛に付いた草を払った。それからご主人の元へ近寄っていく。


『ご主人。ご主人、起きて下さいよ』

「ん、むぅ」

『もうそろそろ戻りましょうよ。シムさんも待ってるっすよ?』

「んー、ふむんー」

『ねぇご主人。ご主人ってば』


 前足でちょんちょんと突いて声を掛けてみる。でもご主人は目を覚まさない。寧ろ邪魔だとばかりに唸り声を上げ、払うように腕を振った。


 寝返りを打つご主人を眺め、俺はどうしようと考えた。羊なりに唸りを上げて、取り敢えずご主人を見下ろしてみる。


「んんー……ふふ……メータァ……」


 フニャっと笑って、何かを抱き締めるようにご主人は体を丸めた。


 ……ま、まぁ、もう少し寝かせてあげてもいいんじゃないかな?

 ほら、ご主人もお仕事ばっかでお疲れだと思うし、たまにはこうやってゆっくりするのもいいんじゃないかと思うよ。うんうん。


 答えが決まったところで、俺はご主人の傍で体を伏せた。ご主人の顔を何度も覗き込んで、もう一回名前呼んでくれないかなーとか、あわよくば抱き締めてくれないかなーとか思いつつ、ウキウキと左右に尻尾を振った。


「……で、どうだった?」


 不意に、茂みの向こうから誰かの声が聞こえる。


「はい。一応こちらからも催促をしているのですが、色良い返事は貰えていないようでして」

「そうか」


 男の人が、二人でなんか話してるらしい。

 茂みの向こうから流れてくる真面目な雰囲気に、思わず息を潜めた。


「お仕事で忙しいとの事ですが、果たしてどこまで本当なのやら」

「単に時間を作るのが億劫なのだろう。先程も中庭で遊んでいたようだしな」


 中庭で遊んでいた?

 それってもしや、とご主人を見る。


「くそ、このままでは何の進展もなしに帰る羽目になるじゃないか」


 悔しそうな声と、何かを蹴飛ばす音がした。

 俺は静かに体を起こし、足を忍ばせながら茂みに近付いた。


「おいロッド。何か良い策はないか?」

「策、ですか。そうですなぁ」


 葉っぱの隙間から、そっと向こう側を覗き込む。


「何か、贈り物をするというのはどうでしょう?」

「贈り物か」

「えぇ。そうすれば会えずともクライヴ様を印象付ける事が出来ますし、それを口実に場を設ける事も出来るかと」


 そこには、見覚えのある男の人が立っていた。

 ワインバーガーとかいう美味いんだかマズいんだかよく分かんない国の王子様と、そのお付きのおっちゃんだ。


 俺は、目を見開いた。

 なんでこんな所にいるんだっていうのもあるけど、そんな事よりびっくりしたのは、


「成る程な。では、ミルギレッド王女が好みそうな物を適当に身繕っておいてくれ」


 あの王子様が、超絶不機嫌な顔で頭を掻いていた事だ。今までの爽やかさがまるでない。はっきり言って、凄ぇ感じ悪い。

 本当に同じ人か? もしかしたら、別人なんじゃねぇの?


「しかし、あの王女。何故私と会おうとしないんだ。感触は悪くないのに」

「全くですな。私も不思議でなりません」

「もっと笑顔に磨きを掛けてみようか。女子は、こういった男を好むというしな」


 そう言って、いつもの爽やかな笑みを、これでもかと浮かべてみせた。

 あ、あいつ、やっぱりあの王子様だ。この距離からでも超眩しいわ。


「だが、あまり悠長にしている時間はないぞ。明後日には本国へ戻らねばならない。それまでにはどうにか手応えが欲しいところだが」

「私の方で早急に贈り物をご用意致します。お茶会や散歩のお誘いも、引き続きシェパード殿に伝えておきましょう」

「あぁ、頼む。ついでに食事も共に出来ぬか聞いておいてくれ。少しでも接点を増やしたい。出来れば使用人達から、ミルギレッド王女の趣味や行動範囲も聞き出しておいてくれ」

「はっ」


 おっちゃんが胸に手を当てて頭を下げると、王子様は腕を組んで、片方の口元だけを上げて笑った。


「必ずや手に入れてみせるさ。次期国王の夫に、絶対になってみせる」

「その意気でございます。クライヴ王配殿下」

「よせ。気が早いぞロッド」


 王子様は機嫌良さそうに手を振り、またニヤニヤしてる。


 つまり、なんだ。

 あの王子様は、ご主人の旦那さんになりたいって事か。だから三者面談の時の母ちゃんみたいに、馬鹿デカい猫を被ってたんだな。


 うん。凄ぇ性格悪ぃな、あいつ。


 でもまぁ、好きな相手と付き合う為に努力するっていう気持ちは分からなくはないから、そこは評価してやろうと思う。俺だって、ご主人やシムさん達に可愛がられる為にそこそこ愛想も振り撒くわけだし、まぁそこんところはお互い様って事で、


「ま、無事婚姻を結んだ暁には、王女のご機嫌を取りながら好き勝手やらせて貰うさ。私が本気を出せば、女の一人や二人、どうとでも出来るのだからな」


 やっぱ今のなし。こいつとご主人は絶対くっ付けない。断固阻止。全力でダダをこねて引き離してやる。


 あ、でもご主人、今の時点で全然こいつに興味ないんじゃん。茶会も面倒だみたいな事言ってたし。

 残念だったな王子様。ご主人はお前よりも俺と一緒の方がいいんだってよ。やーい振られてやんのー、ププー。


 って調子乗って馬鹿にしてたら、葉っぱにクルクルな毛が引っ掛かった。


「っ、誰だっ」


 ガサっと揺れた茂みに、王子様とおっちゃんが振り返る。警戒した風に睨んできた。

 緊張した空気が、この場に広がっていく。


 王子様は、おっちゃんと顔を見合わせると、顎をしゃくってみせた。おっちゃんはそれを受け、静かな足取りでこっちに近付いてくる。


 ヤバい。このままじゃ、見つかっちまう。


 俺はご主人を振り返った。メータの木の下で、気持ち良さそうに寝ている。起きる気配は、ない。


 俺は一瞬考えてから、勢い良く茂みの中に体を突っ込んだ。


『ち、ちわーっす』


 そして、ただの羊ですよーって顔しておっちゃんを見上げる。


「……お前は」

「おいロッド。見つかったか?」

「あ、はい。見つかったは、見つかったのですが……」


 おっちゃんは左に退き、茂みから出てきた俺を王子様に見せた。

 目が合った途端、王子様が顔を顰める。


「ふん、そいつか」

『ちょ、そいつかってなんすか。あんた失礼っすよ』

「おいロッド、その生き物を私に近付けるなよ。また頭突きされてはかなわないからな」


 手で払う仕草をして、王子様は俺を邪魔者扱いする。

 なんだこいつ。本当に失礼だな。

 俺だってお前になんか近付きたくねーよ。てゆーか、好きで頭突きしたわけじゃないんだぞ。誰が好き好んで男の股間にデコを擦り付けるかっつーの。そんなのただの拷問じゃねぇか。寧ろ俺の方が被害者だ。慰謝料よこせこのやろう。


「メェメェメェメェうるさいな。少しは黙ってろよ」


 あ、舌打ちした。この王子様、今俺に舌打ちしてきましたよ。爽やかぶってた癖に、羊が相手だって油断して本性曝け出してきましたよ。

 はいはい、そうきますか。そっちがその気ならね、俺にだって考えはあるんだからな。お前の顔を見ながら反芻しちゃうんだからな。念入りにグッチョグッチョ音を立てて、おまけにゲップもしちゃうんだからな。


 どうだどうだ。ムカつくだろう。見せ付けるようにして顎を動かしていれば、王子様とおっちゃんは口を歪めて俺を見た。


「クライヴ様。追い払いましょうか?」

「いや、止めておけ。こいつはこれでもミルギレッド王女の飼っている生き物だ。怪我でもさせたらマズい」

『そうだぞー。もし俺が怪我でもしたら、ご主人が黙ってないぞー』

「だからうるさいと言っているだろう。黙れよ」


 黙れと言われて黙るわけがないだろう。

 俺はこれ見よがしにメェメェ鳴いてやった。反芻しながらゲップしながら鳴く俺を、王子様は殴ってやりたそうに拳を握って見下ろしくる。でも腕を振り上げる気配はない。ふん、いい気味だ。


「……あぁ、そうだ」


 不意に、王子様が眉の力を緩めた。ポケットに手を入れて、中からビー玉位の大きさの粒を取り出す。

 それを握り締めると、親指と人差し指の間からピョコンと芽が飛び出した。芽はあっという間に成長し、柿みたいな実を付ける。


「ほら、食えよ」


 王子様はその実をもじくと、俺の足元へ投げてきた。コロコロ転がるそいつを、前足で受け止める。

 オレンジ掛かった柿みたいなそいつは、「私を食べて」とばかりに甘い匂いを放っては俺を誘惑してきた。

 込み上げた涎を飲み込み、俺は耐えた。


 駄目だ芽太。よく考えろ。あの性格悪い王子様から投げ渡された奴だぞ? それだけでもうムカつくじゃん。食べたら負けた気がするじゃん。だから駄目だぞ芽太。食べちゃ駄目だ。

 ……そ、そりゃあね? あくまで問題は王子様にあって、この果物にはないって分かってるよ? 凄ぇ美味しそうだしさ、このまま放っておいてゴミにするのもなんだか悪いなとも思うよ? 

 でも、でもですよ。

 ここで食べたら、俺のプライドが傷付くんですよ。俺、これでもご主人派だからさ。ご主人を狙う奴とは仲良くしちゃいけないわけ。屈しちゃいけないわけなのよ。

 だから、この超美味そうでツヤッツヤしてる柿みたいな果物は、絶対に食べちゃ駄目なんだ。そうなんだよ、うんうん。


 と、自分で自分を説得してはみるものの、どうしても視線は柿みたいな果物に向いてしまう。涎は垂れるし、心なしか顔と口がどんどん近付いてる気がする。


 ……そう言えば、王子と初対面の時に貰った柿みたいな奴、超美味しかったなー……。


「おいロッド。これでこいつがワプー中毒を起こしたら、急いで救命処置を行うぞ。そうすれば王女に感謝される事間違いなしだ」


 あっぶねぇぇぇぇぇーっ! 危うく騙されるところだったぁぁぁぁぁーっ!


 俺は急いで柿みたいな果物を蹴り飛ばした。念の為、触っちゃった前足を地面に擦り付ける。


『お、お前っ、何すんだよっ! 俺が元人間じゃなかったら食ってただろうがっ! 何考えてんだこの馬鹿っ!』

「ちっ、駄目か」

「まぁ、動物はこういった物に敏感ですからね。アプーの実とワプーの実の区別位、簡単に出来てしまうのでしょう」

「ふぅん、こんなにも似ているのにな」


 王子様は柿みたいな果物を掴むと、まじまじと見てから握り締めた。

 果物はみるみる内に干からびていき、最後には枯れ葉みたいにクシャっと潰れてしまう。


「クライヴ様。一つ、策を思い付いたのですが」


 おっちゃんは王子様に近付き、握られた手を見る。


「このワプーの実は、アプーの実とほぼ同じ見た目で、また味も殆んど変わりません。普通の人間には、まず見分けられないでしょう」


 王子様も、握った自分の拳を見下ろす。


「そこで、なのですが、そのワプーの実を、アプーの実と称して食べさせてしまう、というのはいかがでしょうか?」

「……ミルギレッド王女にか」

「えぇ」


 おっちゃんは、時代劇の悪い商人みたいな顔で頷いた。


「勿論、私共の仕業とは気付かれぬよう致します。何者かがワプーの実を混ぜ、ミルギレッド様に食べさせた。中毒を起こされたミルギレッド様は、昏睡状態に陥る。そこで、クライヴ様の出番でございます」

「……そうか。我らの力を使い、ワプーの毒に打ち勝つ薬草を育てる」

「そうでございます。ワプーの毒を消す為には、生のシラツナ草を食べる必要があります。しかし、今はシラツナの取れる時期ではございません。どうあがいても、モファット国の者ではミルギレッド様を助ける事など出来ません」

「成る程。私の株が上がるだけでなく、ワインバーガー国にも借りが出来ると、そういう事だな」

「流石はクライヴ様、察しがよろしい」


 おっちゃんが悪役よろしく口元を持ち上げると、王子様も顎を擦ってニヤリと笑う。


「次期国王に毒を飲ませようとは、お前も中々悪い男だな。ロッド」

「いえいえ、クライヴ様こそ」


 ふっふっふ、と悪代官と越後屋のようなやり取りをする二人。

 王子様は握った掌からビー玉位の大きさの粒を取り出す。指で摘んで、太陽にかざすように持ち上げた。


 ヤベェ。

 大変な事聞いちまった。

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