三話 女の子の涙

 華子は雨なのも構わず病棟の外へ出た。俺は傘を持って追いかける。

 足の速えアマだ。

 華子は道路を横断してその先にある公園へ入っていった。公園といっても植木とベンチがある程度。

 そのベンチに華子が腰を落とす。

 俺はようやく追い付いて華子に傘を差しかけた。

 向こうはうつむいたまま動かない。


「華子、びしょ濡れだよ?」


 俺が言うと華子が顔を向けてきた。

 顔色が悪い。真っ青になっている。目もいつものような力がない。

 弱々しく声をかけてきた。


「座りなさい?」

「う、うん……」


 ……ベンチ、思いっきり濡れてるんだけど。

 華子は平気なんだろうか。自転車用のジャージは防水なの?

 ともかく濡れていようがためらうのはマズそうだ。童貞なりに空気を読んで華子の右側に腰を下ろす。冷てぇ……。

 俺が傘を渡すと華子は素直に受け取った。そして前を向くとそのまま黙り込む。

 こういう時、気の利いたことを言えないのが童貞という生き物。

 華子と同じ方をぼんやり眺める。

 しばらくしてから華子が身体を震わせていると気付いた。顔を見てみると濡れている。

 雨のせい?

 ……いや。


「泣いてるの、華子?」


 首を横に振る。


「いや、泣いてるでしょ、目が赤いし」


 また首を振る。


「でも、やっぱり……」

「わあああああっ!」


 華子が声を上げて泣き出した。

 口を大きく開けて、小さい子供みたいに泣いている。なにかを言葉を発しているが聞き取れない。

 どうしよう? どうすればいいの?

 俺は不器用な童貞なのでガン泣きしてる女子のなぐさめ方なんて知らない。


「……華子、泣き止んでよ」


 華子には俺の声なんて聞こえてないみたいだ。きつく目を閉じて、なおも声を出して泣き続ける。

 俺は落ちかけた傘を支えてやるくらいしかできない。

 閉じた目からポタポタと涙がこぼれ落ちる。

 俺は見ているだけで胸が苦しくなった。なにもしてやれない自分が不甲斐ない。

 いいや、どうにかして彼女の悲しみを和らげないと。

 俺は自分の傘を放り出し、残りの一本を華子とは反対側の手で持った。

 華子の側にある左手が空く。

 これからすることが正解なのか、童貞の俺には分からなかった。

 隣で女子が泣いてるなんてシチュエーションは生まれて初めてなのだ。

 でも、その子は俺が好きな人。好きな女の子が隣で悲しんでいた。

 どうにかして慰めたい。

 俺は左手を華子の後ろに回していく。

 本当にこんなことしてもいいのか? 俺みたいな童貞が彼女のなぐさめになれるわけがないだろ?

 それでも俺はやろうと決めた。

 抑えきれない衝動のままに――

 俺は華子の左肩をそっと抱いた。




 華子の左肩は濡れて冷たい。それが今の彼女の心だと俺は思った。

 今のところ華子は反発してこない。

 もっと力を入れて抱いた方がいいのだろうか?

 全く分からない。

 ふいに身体に重みが加わった。頬に濡れた黒髪がかかる。

 華子は俺にもたれかかっていた。

 いつもの俺なら大いに盛り上がるところだ。

 でも、不思議とそういう気分にならなかった。それどころか心が安らぐのを感じる。

 華子の泣き声が収まっていく。

 ようやく開いた目はかわいそうなくらい赤い。

 華子はしゃくり上げながらぼんやりしている。


「大丈夫、華子?」


 そう問いかけると首を横に振った。俺の肩に頭をなすり付けるみたいになる。

 取りあえず彼女が落ち着くのを待った。

 華子が身体を起こす。


「お茶を買ってきなさい?」


 いつもの調子で命令してくる。

 公園の自販機までパシリをする俺。

 お茶を飲むと華子はだいぶん落ち着いたようだ。深いため息をつく。

 ふいに俺の方を向くとキツくにらんできた。

 え、なに?


「あんたって、ホントサイテーな童貞よね?」

「え、いや……」


 やっぱり勝手に肩を抱いたのはマズかった?


「女を大泣きさせるとか、なに考えてるの?」

「大泣き? 俺がさせたの?」

「そうよ。泣いてるところに『泣いてるの?』とか聞かれたら、大泣きするに決まってるでしょ?」

「……そうなんだ」

「ホント、サイテーな童貞よっ!」

「ゴメン……」


 うなだれてしまう俺。


「……でも、ちょっとすっきりした」


 その声は穏やかだった。

 俺が顔を上げると笑みを向けてくる。


「それと、肩を抱いてくれたのは、童貞の快人にしては上出来かもね」

「あ、あれは許してくれるんだ?」

「許す?」


 華子が眉間にしわを寄せる。や、やっぱりアウトだった?


「ゴ、ゴメン、でもね……」

「あそこでなにもしなかったら、そっちの方が許しがたいわよ」

「え? そうなんだ?」

「そうよ。女が泣いてるのに放置する男なんてあり得ないでしょ?」

「た、助かったぁ……」


 俺は心底安心する。

 かなりの仕打ちがあるものと覚悟していたのだ。




 華子が正面を向いて遠く見つめた。

 ぽつりとこぼす。


「さて、どうしたものか……」


 俺は前から思ってることをそのまま言う。


「ちゃんと実加子さんと仲直りしなよ」

「却下」

「……なんでなの?」

「あいつと私は不俱戴天。仲良くなるなんてあり得ないわ」


 自分の言葉に深くうなずく華子。

 俺はさっき気付いたことを言ってみる。


「……でもさ、華子って実加子さんのこと、本気で嫌ってるわけじゃないんだよね?」

「あんな女、大嫌いよ」


 華子が即答した。

 それでも俺は食い下がる。


「でもさ、華子、泣きながら何回も『お母さん』って言ってたよ? それって……」

「あんな女、大嫌いっ!」


 俺の言葉を遮って華子が断言した。

 

「じゃあ、なんで泣いたの?」

「うるさいなぁ……。女の涙の理由なんて聞くな、この童貞が」


 華子がにらんでくる。でも、いつもみたいな力強さはなかった。

 俺は童貞なので知らなかったけど、女子が泣いた理由は聞いちゃダメらしい。

 それでもちゃんとはっきりさせるべきだと俺は思った。でないといつまで経っても二人は仲良くなれない。


「華子は……実加子さんに気持ちが届かないのが悲しいんでしょ?」

「……童貞のくせに、女の気持ちを分かった気になるな」


 視線がキツくなる。

 でも、無理矢理キツくしたように見えた。


「女の気持ちは分からないよ。……でも、子供の気持ちは分かるんだよ」

「子供……」


 俺の言葉に華子がにらむのをやめる。

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