四章

一話 赤い手作り弁当

 俺は華子が好きだ。

 でも、この想いを抱えて、これからどうしていけばいいのか分からない。

 ずっと自分の気持ちに気付けなかった愚鈍な童貞なのだ。仕方なかった。

 それに華子は、俺を好きになるなんてあり得ないって言ってたし……。

 ゲンさんの家から帰った俺は、自分の部屋で一人悶々とする。

 そこへメッセージが。

 華子からだ。


『好きなお弁当のおかずを言いなさい?』


 どういうことだろう?

 好きなおかずなぁ……。

 とんかつとかいいよね。

 健康な男子なのだし、ガッツリ脂っこいのはうれしいもんだ。

 ちょっと渋めに焼いたシャケもいい。ご飯とよく合うのだ。

 ……などと考えていたら、華子からまたメッセージ。


『唐揚げにするから』


 人の好みを勝手に決められた。まぁ、唐揚げも好きだけどさ。

 さらに着信。


『明日のお弁当は私が作ったげる。だからあなたは持ってこないように』


 マジで!

 そうなの? 恋人の……好きな女子の手作り弁当?

 やっぱ、華子って俺のこと好きなんだよ。




 翌日も引き続き雨。それでも俺はうきうき気分で登校する。

 と、校門で俺を待ち構えている男たちがいた。

 柔道部の三人組だ。全員童貞。

 こいつらには昨日酷い目に遭わされている。未だに身体の至るところが痛かった。

 何? また痛めつけられるの? 勘弁してくれ~!

 柔道部の一人が言う。


「昨日は悪かったな」

「え?」


 他の男たちが続ける。


「神在様の命令とはいえ、やり過ぎた」

「だが、お前の神在様への愛には心を打たれた。同じ童貞としてな」

「先輩……」


 見つめ合う童貞。


「許してくれるか、俺たちのこと……」

「ええ、先輩たちは、童貞の本能に従ってあの女の言いなりになった。分かりますよ、俺も童貞だから」

「そうか……いい奴だな、お前」

「やっぱり童貞だ」


 熱く握手を交わす童貞たち。

 こうして俺は、童貞の柔道部を許した。

 我ながらちょろい男だ。




 そして昼休み。

 俺は通い慣れた二年A組を訪れた。


「おっす! 華子」

「犬みたいにしっぽを振って来たわね」


 悪態をつきながらも華子は笑顔で迎えてくれる。

 今日の髪型は、輪っかにした三つ編みを左右ふたつ後ろに垂らすというもの。

 机の上には弁当箱がふたつ並んでいた。

 ひとつは女子らしいかわいらしいもの。

 もうひとつは……男子向けの大きなものだった。

 やっぱり俺のために……俺のために、弁当を作ってくれたんだ!


「なにしてるの? 早く食べましょう」


 華子の前の席からイスを借り、華子と向かい合わせに座る。

 当然だが、同年代の女子に弁当を作ってもらうなんて初めてだ。

 俺は上ずった声で華子に聞く。


「あ、開けていい?」

「どうぞ」


 弁当箱を開ける。

 おかずは華子が言っていたように唐揚げだ。

 ただし……。


「……赤いね」

「そうね。辣子鶏ラーズージーっていう四川料理をちょっぴりアレンジよ」

「……これ、ほとんど唐辛子じゃない?」


 丸ごとの唐辛子が山ほど入っている。


「なによ、文句あんの?」


 華子が不機嫌そうににらんできた。

 臆病な童貞たる俺は作った笑顔で言う。


「も、文句なんてないよ」

「じゃあ、召し上がれ?」


 一抹の……いや、かなりの不安を抱えながら俺は唐揚げを摘まんだ。

 そして思い切ってかじる。

 ――目玉が飛び出るかと思った。

 カッレェェェ!

 なにこれ、尋常じゃない辛さなんだけど!


「どう、おいしいでしょ?」

「う、うん……おいしいね」


 俺は小心な童貞なので文句なんて垂れられない。


「よかった。取っておきの唐辛子をふんだんに使ったのよ?」

「……そうなんだ」


 一方、華子の唐揚げは俺ほど赤くなかった。

 それを口に入れる華子。


「うん、ほどよい辛さ」

「……でもそれ、俺ほど唐辛子が多くないよね?」


 華子が稲光みたいな視線でにらんでくる。


「なによ、あんたのだけ特別製にしてあげたのにそんな言い方するの?」

「……特別製なんだ?」

「そうよ。粉末にした唐辛子の中に鶏肉を一晩漬け込んだの。他にもいろいろ。辛いもの好きの私でも食べるのに勇気がいるわね」

「なんでそんなことするんだよ……」


 やっぱりわざとなんだ? ドジっ子がつい辛くしちゃった、とかじゃないんだ?


「昨日言ったけど、私は前ほどあなたのことを信じられなくなったのよ」

「……うん」


 そうはっきり言われると悲しいけど。


「自分を追い詰めてそう知ったわけ」

「追い詰めるために、俺の前で自分から服を脱いで、自分から俺の息子を愛撫したんだよね?」

「いちいち言うな!」


 頬を赤く染めてにらんでくる。

 自分がしたことじゃん。

 咳払いで誤魔化してから華子が言う。


「私は自分を追い詰めたわ。次はあなたの番よ?」


 小首なんて傾げてにっこりと微笑む華子。


「え、なにそれ……」

「これからあなたをガンガン追い詰めるから。あなたが信頼に足る男だって心から納得できるまでね」

「えええ~!」

「別の言い方をすれば、あなたの好きって気持ちを試すのよ」

「いやいや、信じてくれてないの? 俺のす……」

「言うな!」


 華子がキツくにらんでくる。

 顔が赤い。


「……自分が言うのはいいけど、俺が言うのは許してくれないんだ?」

「そうよ。あなたに言われるのは、はずか……恥だからね」


 すっごいメンドくさいよね、この子。なんでこんな女を好きなんだろ、俺って奴は……。

 とにかく俺は好きな女子の手作り弁当を平らげないといけない。


「当たり前だけど、唐辛子も全部食べてね?」

「ええっ! そんなの不可能だよ!」

「あんまりのんびり食べてたらお昼休みが終わっちゃうわよ? ペースアップ! ペースアップ!」


 実に楽しげ。

 俺は……尻の穴から火が出そうって奴を生まれて初めて体感する――




 汗だくになりながら午後を過ごす。

 そして放課後。

 華子からは一緒に帰ろうと言われていた。イヤな予感しかしない。

 しかし俺に選択の余地なんてなかった。なんとしてでも俺の愛を信じてもらわないと。

 二年生の下駄箱前で愛しい恋人を待ちわびる俺。


「待った?」


 軽やかに手を振りながら華子が姿を現わす。

 こうやって笑顔を見せてくれる程度には、俺に心を許してくれている?


「今日はこれからどうするの?」

「買い物をするわ。荷物持ちをなさい?」

「……まぁ、それくらいなら」

「ちょうどミネラルウォーターが安いのよ。自転車乗る時に飲むのよね」

「……へぇ、水?」


 ちょっとずつイヤな予感がしてくる。


「二リットル六本入りをふた箱くらい行っとこうか?」

「それって……二十四キロってことだよね? 二十四キロ!」

「大丈夫大丈夫、そのスーパーからゲンちゃんちまではそう遠くないし。ほんの二十分程度よ」

「十分遠いよ?」

「ま、腰を壊さないよう気を付けなさいね」


 軽くウインク。

 ……俺は脆弱な帰宅部の童貞なのだ。泣いて頼んで二往復することで勘弁してもらった。

 それでもひと箱十二キロだよ……。

 どうにかふた箱、ゲンさんの家に運び込んだ。


「ちんたらちんたら、情けないったらないわね」


 とっくにシャワーを浴びて部屋着になっている華子が言う。

 髪は乾かし終わってるし、スポーツブラの上にTシャツ、それとロングパンツという色気のない格好。

 違う意味で童貞を殺しにかかっている。

 それでも俺のために麦茶を出してくれた。


「お昼からずっと汗だくよね? 汗臭いから近寄らないで?」


 全部アンタのせいだよ!

 俺が肩で息をしながら麦茶を頂いていると華子のスマホから着信音が。


「ゲンちゃんからか」


 華子が俺から離れてスマホを耳に当てる。

 すぐに華子の顔色が変わった。


「なにそれ? え、なにそれ?」


 表情が固まっている。

 どうしたんだ?


「あのお母さんが倒れるなんてないでしょ?」


 華子がスマホを床に落とす。

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