八話 キスしようぜ!
さて、華子とキスだ。
俺は目を閉じて唇を華子の方へ差し出した。
「え、ちょっと待って、私からするの?」
華子の焦った声がしたので目を開ける。
「いやだって、俺、やり方知らないし」
「そんな……あんた、男でしょ?」
「でも、華子の方がケーケンホーフじゃない」
「ぐぐ……」
俺にも男らしくリードしたいという想いは多少ある。
しかし、キスは意外に難しいと前にネットで見た。初めて同士だとまごついたりするらしい。
だったら最初からケーケンホーフな華子に任せておいた方が安心だ。
「ほら、早くしてくれよ、華子」
また目を閉じる俺。
あんまり興味はなかったくせに、いざとなるとドキドキしてくる。
柔らかいのだろうか? 甘いのだろうか?
……甘い? 辛いものを食べてるところだし、やっぱり辛い味がする?
俺はあれこれと想像を巡らせていく。
……あれ? いつまで経ってもキスの感触がない?
薄目を開けてみると、華子の顔が間近にあった。
よし、いよいよだ。目を閉じる俺。
……しかし華子はキスしてこない。
どうした?
また薄目を開けてみると、華子の顔はさっきと同じくらいの距離にある。
つまり、華子は動いていなかった。
目をしばたたかせたり、固く閉じたり、カッと見開いたりするが、顔を動かそうとはしない。
「なにやってるの、華子?」
いい加減うんざりして俺は言う。
「ひゃっ!」
華子が跳ねるみたいにして俺から離れる。
俺がじとーっと見てやると、華子はそっぽを向いて自分の髪を弄り始めた。そんなに俺とキスするのイヤ?
と、華子が流し目を送ってきた。おおう、色ッぺぇ!
「手付金……だったわよね?」
「そうだよ、手付金にキス。早くしてくれよ」
「キス……ごときでいいのかしら?」
「え?」
キス以上? キス以上のことしてくれるの?
例えば……。
「キスなんてほんの一瞬よ? それより、もっと長い間楽しめることをしない?」
「……というと?」
やっぱりアレをしてくれるの?
いやでも、今の俺なら一瞬で終わりそうだ。長い間は楽しめそうもない。
と、華子が魅惑的な唇を動かす。
「デートしてあげる」
「デートかぁ」
思わずがっかりがため息となって漏れ出てしまった。下手に期待値を上げられただけにがっかりは大きい。
華子が焦った顔を向けてくる。
「え、なにその反応? デートよ? この私と一日過ごせるのよ?」
「いや、もっと即物的なのがいいなぁ」
「即物的?」
「フェラとか」
俺が言った途端、華子の視線が厳しくなった。地獄の業火を放たんばかりだ。
そんな視線を受けた俺は当然勃起する。
華子が目を閉じた。プルプルと身体を震わせる。
次にまぶたを開いた時には不自然に穏やかな目をしていた。
「手付金はデートよ。それ以外は認めないから」
言葉は静かだが有無を言わさない迫力があった。
「……分かったよ、その条件で」
フェラは童貞を捧げる時の楽しみに取っておくか。
「気に入らない態度だわ。私だって初めての……」
と、華子はなにかに気付いた顔をした。すぐに口をつぐむ。顔が赤い。
ヘンな態度が気になる。
「初めての、なに?」
「な、なんでもないわ。とにかく私は莫大な手付金を支払うの。あなたは引き続き浜口行道の悪行の証拠を探しなさい?」
「はいよ」
「分かればよろしい」
よくよく考えてみれば手付金はおいしい話だった。
付き合うなどと言いながら、恋人らしいことはほとんどなにもしてくれない華子なのだ。
その華子が自分からデートをしようと誘ってきた? これは大きなチャンスかもしれない。うまく立ち回ればキスのチャンスもある?
華子を煽りまくったゲンさんには感謝だな。
俺はゲンさんに向かって親指を立てる。向こうも親指を立ててきた。
もう華子は俺を見ない。ぶすっとした顔でサラダにフォークを突き立てる。
レタスを口に放り込んだ華子を見て俺は目を見張った。
「華子……ちょっとこっち向いてくれる?」
「なによ?」
怪訝な顔を向けてくる華子。その唇にはドレッシングが付いている。
白いフレンチドレッシングだ。
白く! 濁った! どろりとした液体!
「華子、唇にドレッシングが付いてる。舐めときなよ」
「あ、そう?」
ぺろりと舌を出し、華子がドレッシングを舐める。
白く濁ったどろりとした液体を、極上の女が舐めた!
俺の息子は発射寸前まで膨らむ。たまらん……たまらんものがある……。
「なによ、ジロジロ見て」
本人はどれだけエロい事態が発生したのか分かっていない。そんなところがいっそうソソる。
「なんでもないよ、なんでも。サラダ、もっと食べなよ」
「言われなくてもそのつもりよ。私は出されたものは全部頂く主義なの」
童貞も頂くんだもんね。
そして、サラダを――白く濁ったどろりとした液体を口に運ぶ華子をチラ見しながら、俺は食事を終えた。
食後のデザートはケーキだ。
華子はフルーツがたっぷり載ったタルト。ゲンさんはチョコレートムース。ケーキにこだわりのない俺はイチゴのショートケーキだ。
「やーん、おいしそー」
華子が俺には決して向けてくれない甘ったるい声で叫ぶ。そして自分のスマホでケーキを撮る。
ここで俺は思い出した。
スマホを取り出して華子に向ける。
「おい、華子。こっち向いて」
「ん?」
こっちを向いたところでシャッターボタン。フラッシュが光ってパシャリと音がする。
そう、俺はまだ華子の写真を持っていなかった。
恋人の写真は手元に欲しいところ。ましてや華子は極上の女なのだ。
「ちょっと! 勝手に撮らないでよ!」
華子がにらみ付けてくる。
あれ、おかしくない?
「いや、俺たち付き合ってるんだろ?」
写真くらい普通に撮るでしょ?
華子は俺を見たまま顔を歪める。
「付き合っていようが勝手に撮るなんて許せるわけないわ。この私は、気軽に撮っていいような、そんな安い女じゃないのよ!」
胸を張る。……そうなんだ?
「今撮ったの見せなさいよ」
華子が俺のスマホを分捕る。
「なにこれ!」
「え、いや普通に撮っただけだよ?」
別に際どいところを狙ったわけでもなんでもない。
「フラッシュなんて光らせるから、おでこがテカっちゃってるじゃない!」
「え、そう?」
華子の横から自分のスマホをのぞき込む。
どこがおかしいのかさっぱり分からない。極上の女がこっちを向いているだけの写真だ。
「信じらんない! こんなの消去よ」
有無を言わさず華子が写真を消してしまった。
写真一枚すら許してくれないの?
「なぁ、一枚くらいいいだろ? もう一回撮らせてくれよ」
「ダメよ。スマホのフラッシュごときで私を撮るような奴に、私を撮る資格はなし!」
頑なな華子。
やはりダメなのか?
いいや、ここで食い下がらねば。
でもどうやって?
考えた末にたどり着いた方法はただひとつ。
「どうか頼みます! 写真撮らせて下さい、華子様!」
俺、土下座。
華子が呆れたみたいな声を出す。
「ええ~? そこまでして欲しいの?」
「はい! このままでは俺たちが付き合ってると確信が持てません。それはつまり、兄貴の調査をする気になれないということです!」
「今さらそんなこと言わないでよ。手付金だって払うじゃない」
「写真すら撮らせてくれない女が、本当にデートしてくれるのでしょうか? 俺は非常に疑問です!」
土下座をしながら華子を批難する俺。
「む、むむむ……」
華子がうめく。
ちらりと見てみると腕組みをして考え込んでいる。
そして深いため息。
「分かった、分かったわよ。写真あげる」
「よっしゃっ!」
俺はすかさず起き上がる。
スマホを……と思ったら、まだ華子が持っていた。
「ええっと、メッセージのアプリは、っと……」
人のスマホを勝手に操作している華子。続けて自分のも操作。
「これでよし。今、ちゃんとした写真を送ったから」
ようやくスマホを返してきた。
メッセージのアプリを見る。今までなかった『華子』というアカウントが追加されてあった。
そして最初のメッセージとして画像が。
どこかの、『ささら=りゅうきん』ではないカフェで撮ったらしい。
窓から暖かそうな日が差し込むテーブル席。テーブルの向こうにいる華子が頬杖をついて笑っている。俺には向けてくれたことのない、リラックスした笑顔だ。
「ゲンちゃんが撮ってくれたのよ」
「やっぱ、かわいいよな、華子って」
「それは私が一番よく知ってるわ」
得意げな顔の華子。
中身はメンドくさい女なんだけど。
「他にはないの?」
「ん? そうねぇ……」
三枚ほど送ってくる。
それぞれ季節が違う。誰かに撮ってもらったのだったり、自分で撮ったのだったり。
「もういいでしょ? 好きなだけ知り合いに自慢するなりしなさい」
「うん、そうする」
いいや、誰にも見せたくない。
俺はなぜだかそう思った。
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