四話 手を握られる

 俺の兄貴、浜口行道はたいそうおモテになった。

 俺がモテないのは、あいつが母さんの中にあったモテ成分を全部吸い取ったせいだ。割と本気で、俺はそう思っている。


「だよなぁ~~~、やっぱ裏があるよなぁ~~~」

「ちょっと、大きい声出さないでよ」


 このカフェの中では世間体を気にする華子が俺のそでを引く。

 その手を払い除ける俺。


「俺と付き合いたいとか言いながら、ホントは兄貴目当てかよ」


 顔だけ起こしてぎろりとにらんでやる。

 そりゃあ、手をつなぐのも嫌でしょうよ。童貞の純情を弄びやがって。

 今みたいに兄貴目当てで近付いてきた女は一人や二人ではない。

 俺よりずっと年上の女性が構ってきて喜んだら、兄貴に優しい女アピールがしたかっただけ、とかな。

 俺は天井を眺めながらひたすらやさぐれた。

 そんな俺に向かって華子がきつく言ってくる。


「あなた、その態度はないでしょ?」


 なんで俺がなじられるの? わけが分からなくて頭を起こす。

 華子は両手を腰に当てて怒っている。


「あなた、自分の兄がどんな悪行を働いてるか知ってるの? それとも知っててその態度?」

「え、悪行ってなに?」


 思いも寄らない言いがかりをつけられた。

 驚いた俺はシートから背を離して姿勢を正す。小心な童貞なので、相手の言うことにすぐ呑まれるのだ。

 華子が自信たっぷりに言う。


「あなたのお兄さんは詐欺師なの。中年女を騙くらかす、悪い奴なのよ」

「へぇ……」


 あいつが振った女にウソつきと罵られたことがあるとは聞いている。しかし詐欺師とまで言われたことはないはずだ。


「非常に悪質なの。あるひとつの家庭をぐちゃぐちゃにしようとしている。いいえ、もうすでに被害は出てるわ。娘が家を出てしまったもの」

「でも、あいつはただのサラリーマンだよ?」


 機械の整備をするために、この地域一帯を行ったり来たりしている。

 俺より八才上の今年二十四才で、去年からメーカーに勤めだした。


「表の顔に騙されちゃ駄目よ。その裏では、中年女からお金をむしり取ったりするんだから」

「なんか、証拠とかあるの?」

「証拠は……まだないわ。でも、もう少ししたら、あなたも私の言ってることが分かるようになるはずよ」

「ふーん」


 兄貴が詐欺師? でもまだ証拠はない?

 純真な童貞たる俺とはいえ、今の華子の話をすぐに信じる気にはなれなかった。もう少ししたら俺にも分かるらしいが?

 ……正直、兄貴のことなんてどうでもいい。華子に騙されたという事実がひたすらキツかった。

 この極上の女になら……俺の童貞を捧げてもいいと思ったのにな……。

 ストローをくわえてアイスコーヒーをすする俺。

 華子が声をかけてくる。


「ねぇ、もしかして怒った?」

「いいや、慣れてるからね。こういう道化扱いは」


 しょせん、俺は童貞同盟の盟主がお似合いなんですよ。また明日からは、美少女のお姿を遠くから拝見しつつ、夜のオカズにする日々です。

 というか、今日のこの仕打ちさえも、自分の部屋に帰ればいいご馳走になるに違いありません。

 それが、童貞という生き物ですから。


「……はぁ、やれやれ」


 華子のため息が聞こえてくる。やれやれと言いたいのは俺の方なんですが?

 黙ったままの俺に向かって華子が声をかけてくる。


「あなた、何か勘違いしてない?」

「え?」


 顔を上げたら華子と目が合った。

 いつもの冷たい視線ではない。

 それに近いけど、なんだか……色っぽい……?


「ふふ……快人は勘違いしてるわ。私がいつ、あなたとの恋人関係を解消したって言った?」

「でも、華子が用があるのは、俺じゃなくて兄貴なんだろ?」


 華子が目を細める。

 何これ? とんでもなくムラムラくるんですが?


「私は浜口行道の悪行を食い止めたいのよ。でも私一人ではどうにもならない。助けが必要なの。恋人の……助けが……」


 ゲンさん、ここのトイレってどこですか?

 ヤバい、この神在華子って人の視線はヤバい。

 いやいやいや!


「うまいこと言って俺をこき使う気でいるんだろ? 恋人とか言いながら、手すら握らせないで」


 華子の視線が右に左に揺れた。


「ほらやっぱりだ!」

「違うわ」


 華子が目を閉じる。

 何も言わずに待っていると、突如大きく目を見開く。

 そして滑らかな白い手を、左右共に前へ伸ばした。

 その先にいるのは俺だ。

 華子の左手の爪先が、俺の右手の指に触れる。

 俺は思わずツバを飲む。

 細い指の先が、俺の手の甲まですべっていく。

 続いて手のひらが寄り添うように密着してくる。

 一方の右手は俺の手のひらと絡み合っていた。

 白い手の動きがゆっくりと収まる。

 今、華子は両手でもって、俺の右手を握りしめていた!


「はああっっっ!」

「しっ! 大きい声は出さないで」


 華子に注意されてどうにか叫び声を抑える。

 なんだこの、温かくて柔らかな物体は? え? 女の子の手ってこんなにスゴいの? なんかすべすべしてるんだけど?

 何この触り心地……。


「ちょっと……」


 うわ……これ、いつまでも触っていられるわ。つるっつる……。


「ちょっと! そんなにナデナデしないでよ!」


 ひそめた声で華子が怒る。

 調子に乗って触りすぎたようだ。

 もっと撫でていたいけど、ぐっとこらえる。まだ離す気はないけど。


「ご、ごめん……」

「わ、分かればいいのよ、分かれば」


 華子は頬を朱に染めている。

 ……もしかして。


「感じちゃった?」


 俺が言うと、華子が耳まで顔を赤くする。そして業火みたいな視線で俺を睨み付けてきた。

 俺は死の恐怖を感じたが、死と性は表裏一体だったりする。とんでもない興奮が我が身を襲う。


「や、やべっ!」


 思わず手を引っ込める。


「え、何? 何がヤバいの?」


 慌てふためく華子。


「セ、セーフ……」

「え? 何がセーフなの?」


 ふう……かなりヤバかった。ここで無駄弾は使いたくない。


「……分かったよ、華子」

「え? 何が?」


 きょとんとしている華子。

 俺は全てを理解した。


「キミに協力するよ、華子。恋人として、力一杯頑張る」

「ホント!」


 華子がまた手を握ってくる。


「おふぅっ! まだ駄目っ!」

「え? え?」

「……セ、セーフ。……かろうじて、セーフ」


 今、この子を手放してはならない。

 ほんの少しでも童貞を捧げられる可能性があるなら、どんなことをしてでもしがみつかなくては。

 俺にそう決意させるほど、神在華子という女の子の破壊力はとんでもなかった――

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