三話 カフェでは下ネタ禁止

 梅雨は明けつつあるらしい。今日みたいに晴れるとかなり暑くなる。

 華子が手を握られるのを嫌がるのは、手が汗ばんだら恥ずかしいから?

 あるいはそうかもしれない。どのみちもうすぐ全身汗まみれになるというのに。

 俺が横に並ぶと同時に、華子は自分の両腕を胸の前で組んだ。やっぱり手を握られるのは照れくさい様子。

 校門を出たところで華子が顔を向けてきた。


「今日はこれからカフェに行くから」

「ああ、まずはカフェなんだね」

「いいえ、そこで解散だから」


 童貞心どうていごころをくすぐる鋭い視線を向けてくる。

 今日はカフェで終わりなどと彼女は言う。

 だが、これは照れ隠しに違いない。二人で会話をするうちに盛り上がり、向こうの方からホテルに誘ってくる。

 そうなるに決まっていた。

 ホテル代っていくらなんだろう?


「まぁ、そういうことにしとくよ」


 男の余裕を見せる俺。

 華子は何か言いたそうに口を半開きにした後、うつむいて深いため息をつく。すぐに気を取り直したように顔を上げる。


「そのカフェでは、さっきみたいな下品な発言は禁止だから」

「なんで? 恋人同士、オープンな会話をしようよ」


 そうやって気分を高めていくのだ。


「駄目。私ってそのお店の常連なの。私の世間体を守って下さい。お願いします」


 ぺこりと頭を下げてくる。

 髪からすんごいいい匂いが漂ってきた。

 プライドの高そうな彼女が自分から頭を下げてくる。どうも本当に下ネタは禁止らしい。

 そういう縛りの中、気分を盛り上げていくのか。

 童貞には難しい話に聞こえるが、俺はむしろ燃えていた。

 極上の女に童貞を捧げるのだ。これくらいの困難、あって当然だよな!


「分かった、下ネタは口にしないよ」

「そうしてちょうだい」


 言うだけ言うと、ぷいと前を向いてしまう。

 無愛想な横顔も、また美しい。




 カフェは学校の最寄り駅を越えた先にあった。

 頭上にある看板を見ると『カフェ・バー さらさ=りゅうきん』とある。


「バー? お酒も出るの?」

「飲みたいの?」

「まさか、未成年なのに」

「へぇ、意外」


 軽く眉を上げた後、華子が重そうな扉を開く。

 店は薄暗かった。

 辛気くさいというかんじではない。落ち着ける空間だと、入ってすぐに分かった。冷房の効き具合もほどよい。

 店の右側にあるカウンターの向こうに、エプロンを付けた若い男が立っていた。

 若いと言っても三十前後? アイドルグループにいても不思議ではないくらいの二枚目だ。

 その人に華子が声をかける。


「今日も来たよ、ゲンちゃん」


 さっきまでと全然違う明るい声だ。

 ええ? イケメンの前だからってキャラ作ってる?


「いらっしゃい、ハナちゃん。そちらは?」


 と、イケメンが俺の方に顔を向ける。

 ここはアピールする時だ。


「俺は……」

「下僕よ。今日仕入れた下僕なの」


 しれっと華子が言う。どこまで照れ屋さんなんだ?

 イケメンはにこやかに俺に笑いかける。


「苦労してそうですね」

「じっくり調教していきますよ」


 俺が言うと華子が厳しくにらんできた。

 とりあえずスルー。


「ゲンちゃん、彼は快人って呼んでやって。タメ口でいいわ。快人、ゲンちゃんはここのマスターよ。ちゃんと敬語を使いなさい?」

「よろしく、快人君」

「どうも、ゲンさん」


 と、華子がゲンさんの方へ顔を向ける。そして思わせぶりに人差し指を自分の唇に当てた。


「ゲンちゃん。あの人が来ても私のことは黙っててね」


 ゲンさんはあきれたような顔をして肩をすくめる。

 華子は一番奥にあるテーブル席まで俺を連れていった。

 いろいろと気になるが、まずは一番気になったこと。


「華子は俺のこと、快人って呼んでくれるんだ?」

「基本、あなた、あんたよ」

「あ、そ」


 名前で呼ばれてちょっとうれしかったのに。

 マスターたるゲンさんがお冷やを持ってくる。


「ご注文は?」

「えーっと……」


 テーブル脇にあったメニュー表を見る俺。

 んん? コーヒーだけで十種類以上あるぞ? キリマンジャロは聞いたことあるが? 豆の種類だっけ?

 下手なことを言って失敗したくないが、まごつきすぎるのも情けない。

 どうする? どうする、快人!


「私はモカ。こいつはアイスコーヒーで」


 華子が勝手に決めてしまう。

 なんだか情けないが、助かったという気持ちの方が強い……。

 別のメニュー表を手に取ると、カクテルやウィスキーの項目が見つかる。やっぱりお酒も出すお店のようだ。


「さっき、ちょっと驚いたんだけど」


 向かいに座る華子が話しかけてくる。

 お冷やに口を付けた後に続けた。


「あなた、未成年だからお酒は飲まないって言ったわよね?」

「え? うん、当たり前だろ?」

「あんだけ非常識で下品なことを口走るくせに、お酒は常識を守るんだ?」


 随分失礼な言い方だ。

 俺は童貞なだけで、常識や順法精神はちゃんと持ち合わせている。というか、付き合ったらセックスするという話も、俺としては常識の中に含まれるのだが?


「俺は常識人ですから」

「それは初耳ね」


 華子が横を向いて口元を緩めた。馬鹿にされたようには感じない。


「華子は飲むの、お酒?」

「まさか、私も未成年よ?」

「へぇ、華子ってもっとオトナなのかと思ってた」


 なにしろ童貞を目で殺すのだ。校内でもオトナの女だと認識されていた。

 教師を手玉に取っているとか。街に出ては男を漁っているとか。

 ……まぁ、具体的な目撃証言を聞いたことはないが。

 華子は横を向いたまま顔をしかめた。


「みんな好き勝手言うのよね。別にどうでもいいけど」

「いいの? 悪いウワサが立ったりしたら嫌でしょ?」

「別にどうでも? 私、学校には体裁を気にする相手なんていないもの」

「ここでは体裁を気にするのに?」

「そりゃそうよ。ここは私の場所なんだから」


 両手を広げて俺に向かって首を傾ける。

 そこへゲンさんがコーヒーを持ってきてくれた。


「うれしいこと言ってくれるね、ハナちゃん」

「私こそ、いさせてくれてうれしいんだから」


 ゲンさんに笑顔を向ける華子。なんか、俺の時とあからさまに声のトーンが違うんだけど。

 ゲンさんはコーヒーを置くとすぐに引っ込んだ。

 その姿を見送った後、華子が俺に顔を向けてきた。


「さて、そろそろ今日の本題に入るわよ」

「よし来た!」


 さーて、どういう場所で童貞を捧げるかな?

 やっぱりホテル? 俺の部屋は……もうすぐ母さんが帰ってくるな。華子の部屋という手もある。いきなり外?

 むむむ……。

 華子が身を乗り出してくる。シャツの隙間から胸元が覗けそうだが、暗いので見えない。

 華子が艶やかな唇をゆっくり開く。


「あなた、お兄さんがいるでしょ? 浜口行道はまぐちゆきみち

「なんだよ、兄貴かよ~~~!」


 俺はシートに背を預けて天を仰ぐ。

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