第18話 回風(つむじかぜ)2

 駅前のロータリーは、帰宅する人や買い物客で混み合っていた。

 樹は本屋に入ろうかと思ったが、先ほどまで勉強に集中していて何も口に入れていなかったので、最近できたオープンカフェでコーヒーでも飲んで時間をつぶすことにする。その店は二階にデッキテラスが設けてあり、両側の木製の階段から出入りできる。この店はロータリーをはさんで駅の真向かいの二階だから、改札から出てくる人がよく見えるのだ。

 店内もけっこう混んでいたが、樹はデッキの隅に席を見つけ、コーヒカップを前に駅のほうへ注意を向けた。

 風花を待っている。

 いつもは樹の予備校の方が終わる時間が遅いが、今日は授業がないので風花を家まで送ることができる。そう伝えてあった。

 風花は学校が終わると金曜でもどこへも寄らずに帰ってくる。

 大学でも友人はできたようだが、似たようなおっとりタイプの女の子たちと話が合うらしく、今のところ樹が心配した変な虫はついていないようだ。

 彼女はいわゆる美人ではないが、独特の危うさと愛らしさがあって、本人に自覚がないだけに無防備に危ういと樹は思う。

 ——あの人鈍感だからなぁ。

 知らずにため息が出る。こんな彼の姿を祖母や、クラスメイトは想像もしたことがないだろう。コーヒーの苦味で心の苦さをかき消して、樹はロータリーに目を向けた。

 ——あれは?

 デッキの向う側で自分と同じように駅のほうを注目している人物がいることに樹は気がついた。ついさっきまではいなかったその人は、彫りの深い横顔を見せて静かに佇んでいる。

 ——小川さんだ。

 風花が五年余り思いつづけていた初恋の人。

 樹は中一の秋の日以来、ずっと風花を見てきたから彼女のひそやかな恋も知っていた。

 ——いいかげん諦めたらいいのに、あの人。

 何度もそう思ったが、それはいつも自分にも返ってくることだった。

 そのたび苦い思いを飲み込んだ。ちょうど一年前まで。

 樹の視線の先に雑誌に目を落とす青年がいる。

 小川のほうは樹を知らないはずだった。少しウエーブのかかった髪を後ろでひとつに結んでいる。卒業してから髪を伸ばしたようだ。

 背は樹よりは低いが、無駄な肉がまったくついていない繊細そうな体つき、長い手足。美しいポージングはモデルのようだ。

 ——確かに、印象に残るイケメンだよな。

 樹は冷静に、陰険に観察している。

 その時小川は急に動きを見せた。

 目元をほころばせると立ち上がってトレイを片付けている。

 彼がちらりと見つめるのは駅の方角。

 着いたばかりの普通電車から吐き出された人々が改札から流れてくる。

 その中に彼女がいた。

 ——風花!

 樹も慌てて立ち上がった。椅子が音をたて、近くに座っている人が顔を上げる。

 ——それでは彼は風花を待っていたのか?

 それは直感だった。小川は樹に見られているとは夢にも思っていない様子で、ダスターに紙コップを捨て、樹のいる側とは反対の階段を下りていった。

 反射的に樹はこちら側の階段を駆け下りる。ちらりと小川の方を見るとゆったりと微笑みながら駅へと歩き出している。風花の方へと。

 樹は走った。

 丸い円周を反対側から一つの目標に向かってゆく二人の少年達。


 風花は改札を出ると樹に連絡しようと、バッグをかきまわして携帯を探していた。予定していたより少し早く着いてしまったのだ。

 ——ああ、あった、あった。

 着信履歴の一番新しいナンバーを選択する。

 ♪♪♪

「あれ?」

 聞き覚えのある着信音がやけにそばから聞こえる。

「し、清水くん⁉︎」

 風花が目を上げると息を切らした樹がすぐそばに立っていた。


「なんで?」

「いいんだ。行こう」

 驚いている風花をさりげなくロータリーの外側に押しやりながら樹は言った。

 彼が走ってきたのとは反対側の方向へ、意図的に。

 長い腕を小さな肩にまわす。

 樹がすこし唐突なのはいつものことなので、風花もおとなしく従っている。

「家にも着いたって電話しとくね」

「それがいいです」

 風花は携帯で楽しそうに母親と話し始めたのを確認し、樹は風花を隠すように少し前に立って歩いた。肩にまわした腕に力がこもる。

 前方に目をやると小川がこちらを見て立っている。

 整った顔には驚きの色がはっきりと表れていた。

 二人の少年の目が合う。

 小川が見つめている前を、樹は何食わぬ顔で通り過ぎた。

「お母さん、なんて言ってた?」

「うん、久しぶりだし、ゆっくりご飯食べておいでって」

「そう? 何が食べたい?」

「たまには私がおごるね。なんたって大学生だし」

「ダメ」

「ちょっと! 一瞬でも考えてよ」

 屈託のない無邪気なタレ目。最近おろした髪が樹の腕に絡んでいる。

 ——なりふりかまってないな、俺。

 自嘲の笑いが樹の薄い唇に浮かんだ。

「なになに? なにレイコクに笑ってんの?」

「なんでもない、て言うか、冷酷ってなんです、冷酷って。待ってたのに、おごるのん」

「やぁね、清水君がその顔したときは大抵アヤシイの」

 しかし風花はそれ以上聞いてこなかった。

「あ、私ラーメン食べたいかも~。ラーメン!」

「安上がりなコ」

「あ、言ったなぁ。じゃあチャーシューめんにするもんね~」

「……それでゼイタク言っているつもりですか?」

 風花は髪を飛び跳ねさせながら、足の速い樹の傍らを機嫌よく歩いている。ちらりと振り返ると小川はまだこちらを、風花を見ていた。

 ——申し訳ないけど、小川さん、このコは渡せないから。

 挑戦的に片方の唇をあげて樹は笑った。

「あ、またクチビルで笑ってるぅ~。いよいよ怪しい! よーし、ラーメン食べながら聞き出しちゃる」

「はいはい」

「あ、吉野デカ長なめてるな」

 タレ目がややつりあがって樹を睨みつけた。下から目線で威力がある。

「ははは! こわいこわい」

 三度目の笑いは声を伴って樹の顔に浮かんだ。

「あ、今の笑顔いい~。なんかやわらかい感じで! こっちの方がずっといいよ。違うこと考えたでしょ?」

 ——普段ぼんやりしてるくせに、時々妙に鋭いんだから困るよ。油断できない人だ、まったく。

 風花の頭に顎を乗せながら、樹の微笑みはますます深くなった。

「あ~、ここここ~、ラーメン楽麺。あ~、お腹すいた~」

 大きな赤い暖簾をくぐる。

「らっしゃい! はい、お二人さんご案内! 奥空いてるよ!」

 威勢のよいオヤジの掛け声が暖かく二人を出迎えた。


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