第22話  鹿

 暖かくなりもう大丈夫かもしれないと思った。

春の容体は少しだけよくなり、相変わらず横たわったままだったが

 真を見ると薄く微笑んで小さな声で話したりした。

 真も自分の体力が衰えてきたのがわかった、山の生活と激務が

 体を実際より早くふけさせ力を奪っていった。


ある暖かい夜に、春が真に体を洗ってほしいと言った。 

 真は、前のようにたらいにお湯を張って春の体を丁寧に洗ってやった

 春は気持ちよさそうに目を閉じていた。

 ずっと寝たきりだった体はすごく白く髪もさらさらになった。

またありがとう、ありがとうと何回も言って笑った。

 何もかもがもとに戻ったようで幸せな気分になれた

ぼろだが新しい布に取り換えて横たえると、気持ちがいいと言って笑った。


 「真に会えたことが一番いいことで人生の全部だ」

「大げさだな」

  真は言ったが、春はもう眠っていた

  異変に気付いたのは、朝で春の体はもう冷たくなっていた。

何度呼んでも応えず顔は眠っているようだったが息をしていなかった

 真は春を抱えて外に出た

 そしてその頭を抱えて呆然としたまま座っていた。

壁に陽がはい落ちてきて春の体が硬直してきたのがわかった

真は呆然自失したまま、深く深く穴を掘った。

 春の体を横たえ土をかけた後も座っていた。

 体がなくなっても一緒になれる そんなことを言っていたのを思い出した

その時、なにかの視線を感じて顔を上げた。

 鹿が自分を見ていた、まったくの恐れもなしに・・・・

真が唖然としていると、鹿はうれし気にぴょんぴょんと跳ねた。

 (ああそうか、走りたかったのか?)

 それから地下室に戻った。

あの病院から盗んだ、眠りながら死ねると言っていた薬は隠してある。

 顔を上げると月が見えた。


 冷たい月 もう二度、二度と見ることはないだろう

思いながら地下室に降りた。


 その年の春、機関車が通った。

乗客は物珍し気に外を見ていた。

 「見て」子供が何か叫んだ

 それは、一面のじゅうたんのような黄いろいタンポポだった。

 その上に、二匹の大きな鹿が立って汽車を見ていた。

汽車が過ぎると、二匹は大きく軽やかに跳ねて連れ立って山に登って行った。


         完



 



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冷たい月 のはらきつねごぜん @nohara

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