また会う日のために


「………大丈夫か?………しっかりするんだっ…………」


 やさしい手。あたしを抱えるあたたかな体の感触。


「ひだ…か……くん………?」


 あたしはゆっくり目を開けていく。けれどそこにいたのは彼ではなかった。


「…………穂高……くん…………」


 あたしを覗き込んでいたのは、輪郭はよく似ているけれど、日高くんではない。


「よかった。無事みたいだな、ののかちゃん」

「……あの……日高くんは…………?」


 上を見上げても、竜の姿はどこにもない。日高くんはいったいどこへ行ってしまったのだろう。穂高くんが何も答えてくれないことに不安を覚えてあたしは飛び起きた。


「日高くんはどこなんですか……っ」


 辺りを見渡すと、少し離れた場所に伊津子ちゃんが立っていた。


『日高ならここにいるわ』


 伊津子ちゃんが指し示した方を見て、あたしは絶句してしまう。そこには蒼色に光る半透明の球体がふうふわと浮いていた。バスケットボールくらいの大きさのその中には、目をつむってすやすやと眠っている赤ちゃんがいる。その赤ちゃんは胎児のように体をぎゅっと丸く縮ませている。生まれたての新生児と比べても顔や体はちいさく、形もまだ未完成だ。


「…………この子は……?」


 尋ねた声が震えていた。心臓が痛いくらいにどくどく早鐘を打っている。本当は聞かなくたって分かっていた。この蒼い色。それが誰の神力の色なのか、あたしが見誤るはずがないのだから。


「………日高くん、なの………?」

『ののか、よく聞きなさい。それぞれに力は尽くしました。結果、わたくしたちは日高の身体を編み出すことが出来たのよ。けれど竜主神様のようにはいかなかった。……わたくしたちが生み出せたのは、このちいさなちいさな身体だけだったの』


 --------そんな。


 あたしはその場に崩れそうになって、でもそれを堪えて踏みとどまった。だってどんな形であれ、日高くんは身体を得ることが出来たのだ。『あちらの国』へ今は行かずに済んだのだ。なのにあたしが悲しんだりしたら、日高くんが不幸になってしまう。折角の苦労が無駄だったということになってしまう。

 みんなで協力して、気が遠くなるほどの気力を振り絞って、日高くんと一緒に地上へ帰ろうって頑張ったんだ。だったらあたしは喜ばなきゃ。どんな形であれ、日高くんを失わずに済んだことに感謝しなきゃ………。


 あたしは震える足を叱咤して、ゆっくり蒼い球体に近づいていく。その中で眠る赤ちゃんを見て、胸を掻きむしりたくなるほど切ない気持ちと、愛おしい気持ちとが交互に込み上げてくる。


「………日高くん……ふふ、ほんとに日高くんだ……ちっちゃなかわいい鱗だね…?………お疲れさま…………大変だったね…………?」


 静かに近寄ってきた穂高くんも、日高くんを見てその球体に手を伸ばす。けれど透明な球状の膜に守られたその体には触れることは出来ず、穂高くんは切なげに顔を歪めた。穂高くんもあたしも、うれしいのにそれ以上にとてもとても胸が苦しくて、何も言わずにいると目の奥が熱く潤んできてしまう。


『ののか、穂高。そんな顔をするものじゃないわ』


 伊津子ちゃんはそんなあたしたちを、まるで母親のように叱責してきた。


「……わかっています。僕らだけの力で受肉を為し得たのは奇跡としか言いようがない。竜主神様の深い情けには感謝してもし尽せない。けれど…………」


 穂高くんは気遣うようにあたしを見ると、痛みを堪えるような顔をして目を逸らす。


「けれどこんな形の再会だなんて、ののかちゃんにとっては残酷な結末だ………」

『いいえ、決してそんなことはないわ。だってね、ののか、穂高。見てみなさい、日高はこの神力の繭の中で今も成長を続けているのよ。今は胎児の姿でも、いずれあなたたちの歳に追いつくわ』

「ほんとに………?ほんとうなの、伊津子ちゃんっ!?」


 あたしが思わず詰め寄ると、伊津子ちゃんは頷いた。


『ええ。だけどそれがひと月先のことなのか、それとも一年先のことなのか、あるいはそれ以上なのか。それはわたくしにも分からないことよ』

「…………そう、なんだ……」


 すぐにあの同い年の日高くんに会えないことはすごくさびしい。けれどあたしのお腹の赤ちゃんと一緒で、日高くんもこの光の繭の中で一生懸命成長しているんだ。そう思うと、今はこれで十分なんじゃないか。そう思うことが出来そうな気がする。


「今すぐ抱き締められないのが残念だけど………でもあたし、いつまでだって待つよ。日高くんが追いついてくれるのを」

『ええ。だからあなたたちは先に陸へ帰りなさい』


 思いがけない伊津子ちゃんの言葉にあたしは驚くけれど、穂高くんは納得している顔で頷いた。


「日高の成長はまだまだ時間がかかる。そうする方がいいのでしょうね」

「で、でも穂高くん………じゃあ日高くんはどうするの?このままここに置いていくの?こんなにちっちゃいのに?」

「見てごらん、ののかちゃん。今、日高はこの円陣の中を巡る神力を吸い上げながらこの身体を成長させている。だから一緒に連れて帰ったりしないで、今はまだこの神呪の円陣の中に居た方がいいんだ」

「でも、こんなちいさな赤ちゃんなのに、ひとりにするなんて……」

『大丈夫よ。日高のことは瀬綱に任せるといいわ。………瀬綱、いらっしゃい。先ほどからわたくしたちを結界の中に囲っていたのはおまえでしょう』


 その呼びかけに応じるように、周囲の空気が震えて閃光が走ったかと思うと、いつの間にかちいさな人魚のような姿をした瀬綱があたしたちの目の前に浮かんでいた。瀬綱はあたしたちに向かって深々と頭を垂れると、蒼い球体に近づいていく。


『おお、これはまさしく日高比古。御身体を無事に得られたのですね。一度御身体を失われてから再びこうして受肉されるとは、なんという偉大なご神力なのでしょう。竜主神のお導きでありますね』


 奇跡に遭遇したように瀬綱は声を弾ませて喜ぶ。それからあたしたちに向き直ると、優美なその顔にやさしい笑みを湛えた。


『ご安心ください、穂高比古、花嫁御寮。日高比古が元のお歳まで成長なさるまで、この瀬綱が結界を張り続け、この地で必ずや日高比古をお守りし、成長を見届けましょう』


 すごく有難いことなのに、あたしはお礼も返事も出来ずに俯いてしまう。やっぱり日高くんと離れてしまうことがすごく不安なのだ。


「ののかちゃん。気持ちは分かるけれど、この瀬綱は忠義心が厚く、皆礼家の使役の中ではいちばん古参の者で、いちばん力も強い。信頼に値する使役だ。日高のことは瀬綱に任せよう。僕らが出来ることはもう日高を信じて待つことだけしかないんだ」

「うん、そうだね。……瀬綱のことが信じられないわけじゃないの………ただ、さびしくて………」

『それなら心配いらないわ………“開きなさい”』


 伊津子ちゃんがそう言ってあたしの目元に触れると、チリッと熱のような痛みが一瞬通り抜けた。次に目を開けると、それまで見えていなかったものがあたしの目に映りこんだ。


「これは………?」


 日高くんが宿っている光の繭からは、蒼い光で出来た細い細い糸が伸びていた。それを視線でたどっていくと、その先があたしの左手の薬指に巻き付けられているのが


「普通はさ、運命の糸って言ったら、赤くて小指に結ばれているはずなんだろうけどね」


 穂高くんはそう言って苦笑する。


『これは日高の魂が赤子の器と結びつく直前に、日高が放った神呪よ。日高はどうしても心だけじゃなくて、目に見える形でののかとの繋がりを持ちたかったみたいね。それで神呪で自分の魂とののかの魂とを結びつけたのよ』

「………まったく、あの儀式の最中にこんなことまでやってのけるなんて……ほんと、我が弟ながら日高のののかちゃんへの怖いくらいの愛情というか執念っていうのは、呆れるくらい深過ぎて感心させられるよ」

『そう?わたくしはこの上なくうつくしい愛の形だと思うわ?……ねえ、ののか。陸とこの場所、どんなに離れていようとも、あなたたちがお互いを思う気持ちに変わりがない限り、この神呪の糸が途切れることは決してないわ。だからあなたは先に陸へ帰り、日高を待っていてあげなさい。日高はいづれこの糸をたどり、あなたの元へ帰ってくるわ』


 蒼い糸は、まるで「決して解けぬように」と言わんばかりにしっかりと結びつけられている。この糸が結ばれた左手の薬指は、世界でいちばんだいすきな人と永遠の愛を約束する、そんな証を付けておくための大事な場所だ。


 指輪じゃないけど。

 視界を『開いて』もらわなきゃ、あたしには見えないものだけど。


 これで十分だ。今のあたしには結婚指輪よりももっともっとうれしい、ふたりの絆の証だ。


(日高くん。こんな場所に糸を結ぶなんて、あたしにしてくれたプロポーズは有効ってことでいいんだよね?)


 あたしが球体の中にある、まだ生み出される前の未熟な体の日高くんを見つめると、日高くんはまるで返事をするかのようににこ、とやさしく笑う。


(あたし、待ってるからね。いつまででも待ってるから。だから必ず帰って来て。そしてそのときは、あたしをお役目なんかじゃなくて、本物のお嫁さんにしてね?あたし、立派なお嫁さんになれるようにまた貝楼閣で頑張るから)


 さっきまで不安に包まれていたあたしの胸は、晴れやかなものに変わっていた。繋がった指先から、日高くんがパワーと送ってくれている気がして、不思議に勇気づけられたあたしは顔を上げていた。


「穂高くん、帰ろう」


 あたしが振り向いてそう言うと、伊津子ちゃんも穂高くんもあたしを見て眩しげに目を細める。


「そうだね、帰ろう、みんなが待っている地上に。………でもなぁ。問題はどうやって帰るか、だ。………誰か迎えに来てくれないかなぁ」


 穂高くんがぼやくのも無理はない。穂高くんは先ほどの儀式でだいぶ神力と体力を消耗して、今は立っているのもやっとなくらいのはずなのだから。


「穂高くん、ほんとお疲れさまでした!それじゃまずは歩いていけるところまで行こうっ!あたしが肩を貸すから。さ、どうぞ。遠慮しないで!!」

「待った待った待った!!ののかちゃんは妊婦さんなんだよっ!?お腹に負担がかかる力仕事は厳禁なんだよ!?赤ちゃんがいる大事な体に無茶なんかさせられないよ!」

「でも、肩を貸すくらい平気だって!」

「いいや、ダメだ。ぜったいダメ!!赤ちゃんのことを抜きにしてもさ、いくら手助けしてくれようとしてるのだとしてもののかちゃんと身体を密着させるなんて、後でヤキモチ焼きの日高からどんな陰湿で恐ろしい仕返しをされるか分からないんだ!!」

「あ、待ってよ、穂高くん!!」


 逃げ出そうとする穂高くんを慌てて追おうとすると、伊津子ちゃんがくすくすと声を立てて笑った。


『ほんとうに、あなたたちは面白いわ』

「あ…………えっと、ごめんね伊津子ちゃん、うるさくて……」

『いいのよ。短い時間だったけど、わたくしはあなたから学ぶことがたくさんあったわ。……ののか、わたくしはあなたが大好きよ。それに穂高、あなたはやはりわたくしを許せないでしょうけど、わたくしはあなたのことも等しく愛しく思っているわ」

「………それは………もう分かっています………」


 穂高くんはいまだに伊津子ちゃんへの複雑な心境があるのだろう、固い表情で俯くけれど、次に顔を上げたときはわずかに笑みを浮かべていた。


「伊津子比売。お礼がまだでした。弟を助けるために力を貸してくださりありがとうございます。……あなたはもう『あちら』へ行かれるつもりなのでしょう」


 その言葉に伊津子ちゃんは憂いの笑みを浮かべる。


『………本当はね、わたくしはこれより先には行ったことがないの。あちらの国がどうなっているのか、どんな場所なのか。……そしてわたくしにも行ける場所なのか………それすらもわたくしにはわからないわ………』


 伊津子ちゃんはそう言って、自分の身体を自分の両手でぎゅっと抱き締める。伊津子ちゃんも不安なんだ。たぶん肉体を捨てた今も、まだ「汚された」という悲しみや汚辱感を抱えたままで、それゆえに神々の暮らすうつくしい『あちらの国』に受け入れてもらえるのか不安で、ずっと地上でも『あちらの国』でもないこの場所でさまよっていたんだ。


「伊津子ちゃん………怖い?」

『………天高をあちらの国へ連れて行ったわたくしが、こんなことを言うのは許されないとわかっているわ。けれどやはり、怖い。………でも。それでもわたくしは行かなければならない。だって今がきっと、その時なのでしょうから』

「あ、あのっ伊津子ちゃん」


 『あちらの国』へと続いている真っ直ぐな光の道を見つめる伊津子ちゃんの横顔が、あまりにも心細そうに見えたから。あたしはどんな言葉を掛けるか考えるより先に口を開いていた。


「あのね………えっと………向こうには、あたしのおじいちゃんとおばあちゃんがいると思うの。ふたりとも、きっと伊津子ちゃんのことすごく歓迎してくれると思うんだ。もしふたりに会ったらあたしが元気にしてること、伝えてもらってもいいかな?あ、でも伊津子ちゃんとあたしがお友達だって知ったら、最初はすっごくびっくりしちゃうと思うけど………」


 あたしの言葉に、伊津子ちゃんは一瞬泣きそうに目を潤ませた後。すっと背筋を伸ばして、そのうつくしい美貌に笑みを浮かべた。


『ありがとう。必ず伝えると約束するわ』

「ほんと?伊津子ちゃん、ありがとう!」

『いいのよ。だってわたくしたちは“お友達”なのでしょう……?それにわたくしも、ののかのおじい様たちにお会いしてみたいの。ありがとう、ののか。これで向こうの国へ行く楽しみが出来たわ』

「ううん……。伊津子ちゃん、どうか………どうか元気でね……?」

『ええ、ののかも。お腹の子を大事になさい。………ではわたくしは行くわ。あなたたちに末永い竜主神さまのご加護と多幸あらんことを祈っています』


 名残り惜しそうにしばらくじいっとあたしたちの顔を見つめた後、伊津子ちゃんは覚悟を決めたように硬い表情で一歩を踏み出す。


「………伊津子ちゃん……」


 たった一人で未知の世界へと踏み出して行くその背中は華奢で、あまりに儚い。思わず「どうか無事に伊津子ちゃんがあちらの国へ行けますように。あちらの国では辛い思いをせずに、しあわせになれますように」と心の中で祈っていると不意にあたしの横を、何かがすうっと横切っていった。


「………え……蛍火………?」


 蛍火は伊津子ちゃんの後を追い掛けるように飛んでいくと、伊津子ちゃんの目の前でくるくると旋回する。


『あなたは…………もしかして、わたくしと一緒に行ってくださるの?』


 蛍火は頷くように上下に飛ぶ。そんな蛍火を手のひらに乗せると、伊津子ちゃんはうつくしい笑みを浮かべる。


『そう………ありがとう。やさしい子ね?わたくし、本当は一人で行くのはとても心細かったの。あなたが共にあちらの国へ行ってくれるのなら、こんなにうれしいことはないわ。………でもあなたは本当にいいの?思い残すことはもうないの?』


 固い決意を表明するように、蛍火はぴくりとも動かない。それを見て伊津子ちゃんは頷いた。


『わかったわ。………ののか、この子はわたくしが連れていくわね』

「えっ………あ、はい………」

『ほら。あなたもきちんとお別れをしてきなさい』


 伊津子ちゃんに促されて、蛍火がすぅっとあたしに向かって飛んできた。あたしはなんと言っていいのか分からず、沈黙してしまう。蛍火もあたしの目の前で静かに飛んでいる。


「あの………伊津子ちゃんをよろしくね?……それでその……気をつけて行ってね」


 お別れがあまりに唐突過ぎて、他に何か言うことがある気がするのにとっさに出た言葉はそれだけだった。でも蛍火は満足そうに一度ちいさく上下に揺れると、あたしの元から伊津子ちゃんのいる方向へと飛んでいく。


 そのちいさなちいさな身体が、先行する伊津子ちゃんの元にたどり着こうとしたときだった。


 蛍火の淡くやさしい光が突然靄のようにぼんやりと広がって、それがうっすらとひとつの像を描いた。今にも消えてしまいそうなほどに淡く揺らめくそれは、人の姿をしていた。


 ちいさな男の子だ。たぶん四、五歳の、幼稚園生くらいの年齢の子。


 あたしからは後姿しか見えないけれど、そのちいさな背中を見てあたしは胸騒ぎを覚えた。知らない子のはずなのに、あたしはその子のことを知っている気がする。いや、間違いなく知っているという確信がある。あたしの心はその子と離れ難く思って、駆けていくその子を引き留めようと声を上げていた。


「ま…………待ってッ!!」


 あたしが悲鳴のように声を上げると、その子は立ち止まった。


「お願い、待ってッ。あなたは…………ううん、君は。君はあたしの知ってる子、だよね?」


 男の子は何も答えず、ただじっとあたしに背中を見せている。懐かしさのような切なさのような、何か説明のつかない感傷を掻き立てるそのちいさな背中を見ているうちに、理屈抜きに確信したあたしは無意識に口を開いていた。


「………ちっちゃん」


 その子の背中がぴくりと揺れる。それはむかし、あたしの弟か妹になるはずだった命に付けた呼び名だ。もし生まれることが出来ていたのなら、丁度こんな背格好の年頃になっていたはずなのだ。


「君はちっちゃんじゃないの………?ううん、ちっちゃんなんでしょう。………あのね、あたしはっ、」


 あたしが言いかけたとき、男の子は照れたように俯いた。うれしそうに笑っているような雰囲気を背中に漂わせると、男の子は突然、力いっぱい駆け出していった。そして姉に甘える弟のように伊津子ちゃんの手を取ると、元気いっぱいに光の道へと向かって走っていく。


「ちっちゃんっ……!!」


 あたしが追い掛ける間もなく本当の姉弟のように仲良く手を繋いだ二人は、すぐにまばゆい光の中へ消えていく。あたしはその姿をただ涙を流して見ていることしか出来なかった。


「………なんで……ちっちゃん…………」


 どうして何も言わずに行ってしまったのだろう。せめて顔だけでも見たかったのに……。泣きながら考えていると、穂高くんがゆっくりあたしに近付いてきた。


「……あの子はすごく心の強い子だね。顔を見たら、お互い未練になってしまうから。だからあの子は一度も振り返らずに行ったんだよ。本当はまだ大好きなお姉ちゃんの傍にいたいって気持ちも押さえつけてね。……ちいさいけれど、とても立派な心根の男の子だね」


 その言葉にあたしはいっそう嗚咽する。そんなあたしに、穂高くんは慰めるように頭をやさしくぽんぽんしながら言った。


「さすがののかちゃんの弟だ。やさしい、とてもいい子だ」

「………でも………っ」


 でもあたしはそのちっちゃんに、してあげられたことなんて何もなかった。あの子は何度も何度もあたしを助けてくれたのに、いつもそばにいてくれたのに。あたしはずっと蛍火がちっちゃんだって気付いてあげられなかった。


 ………最後に「ありがとう」すら伝えることが出来なかった。


「ののかちゃん。あまりに幼い魂っていうのは、未熟なあまりどんなに供養してあげてもなかなか常世にたどり着けずにさまようことが多い。……あの子はたとえ短い間でも、大好きなお姉ちゃんの傍にいられて、そのお姉ちゃんに見送ってもらいながら旅立てて、幸せだったはずだよ?」


 穂高くんはほんとうのお兄ちゃんのようにただただやさしく、かなしみでいっぱいのあたしの心に語り掛けてくれる。


「それにあの子はとても賢い子なんだ。お姉ちゃんのののかちゃんが感謝してくれていることは、言葉にしなくたってあの子にもちゃんと伝わっている。じゃなきゃあんなにうれしそうに駆けて行ったりしないさ」


 ちっちゃんを思って、あたしの目からはますます涙がこぼれていく。でも。


「………泣いてばっかじゃ、ダメだよね……?ちっちゃんのこと、心配させちゃいけないよね……?」

「そうだね。可愛い弟を安心させてあげなきゃ。それが兄や姉に生まれて来たものの務めだ」

「……うん」

「大丈夫、万物の命は廻るもの。いつかきっとどこかで、ののかちゃんがあの子に会える日がくるはずだよ。……さあ、ののかちゃん。そろそろ行こう。僕ら兄弟の願いも、あの子の願いも同じ、君を地上に返すことだ。そして君にも僕にも、地上でやらなければいけないことがあるはずだ」


 穂高くんの力強い言葉に支えられて、あたしはぐいっと涙を拭うと『あちらの国』へ向かって勢いよく一礼した。


「海来様!!あたしの可愛い弟と、たいせつなお友達がこれからそちらでお世話になるので、どうぞよろしくお願いしますっ!!」


 あたしに倣うように、隣に並んだ穂高くんも一礼して大きな声で「よろしくお願いします!!」と叫ぶ。


 それからあたしは、まだまだ赤ちゃんの姿の日高くんに振り返ると、身体の代わりにぎゅっと光の繭を抱き締めた。



 (日高くん。必ずあたし、待っているから。だからどうか、元気でいてね)



 心の中で念じると、あたしは顔を上げた。


「さっ、じゃあ行こう、穂高くん」

「うん、そうしよう」

「あっ!!そういえば右狐と左狐!!あのふたりも連れて帰らなきゃ!!」

「うわ、きっと瀬綱の結界の外だ。早く探してやらないとっ」



 その後無事に狐たちを見付けたあたしたちは、結界の外に待機していた日高くんの元使役、鳥人の叢雨むらさめたちに貝楼閣に連れて帰ってもらうことになった。





こうして長い長い、あたしの人生でいちばん長い夜は幕を下ろした。






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