神婚をする理由

『これはこれはお帰りなさいませ、暑かったでしょう』


 貝楼閣に戻ってくると、なぜだかとても上機嫌な右狐に出迎えられた。右狐はあたしと日高くんがふたり一緒に帰ってきたことが仲直りの証だとでも思ったのか、にまにま笑う。


『ササ、お二人は積もる話もございましょう、お早く上がってくださいな。今すぐお茶をお持ちいたしますから』


 右狐に追い立てられるようにして三階へ上がると、あたしたちは日高くんの部屋で向かい合わせに座った。


「ええっと。まずは何から話していけばいいのか……。そうだな………俺が『神婚』の儀式を執り行おうと思った理由。なんでののかに子供を産んでもらおうと思ったのかっていう話なんだが………」


 言い難そうに言葉を濁す日高くんに、あたしは「話して」と告げた。


「どんな理由だったとしても、もういきなり引っ叩いたりしないで最後まで聞くから。だから全部、日高くんが話したいことをあたしに聞かせて」


 あたしの言葉に、日高くんは重く頷いた。


「わかった。………じゃあまずは力の継承について話す。知っての通り皆礼家の者は海来神の末裔で、普通の人間とはちょっと違った特殊な力を持っている」


 そう切り出した日高くんは、右狐が用意してくれた麦茶ポットを手に持って、あたし用の赤い切子グラスに中身を注いだ。


「この麦茶が『神力』だとすると、グラスは『皆礼家の人間』だ。神力を留めておける器の大きさは人によって異なり、器が大きければ大きいほど当然強い神力の持ち主ということになる。……神力の強かった祖父がビールジョッキぐらいの器だとすると、俺の父親は湯呑、俺に至ってはせいぜいぐい飲みのお猪口ちょこ程度のサイズなんだろうな」


 そういいながら、日高くんはもう片方の手に空っぽの青い切子グラスを持った。


「この神力は親から子へと、受け継がれていく力だ」


 そういって麦茶の入ったグラスを傾けて、赤いグラスから青いグラスに中身を移し替える。


「親が亡くなればその親の器にあった神力は、こんなふうにグラスからグラスへ移し替えるように子の器へと注がれる。でもいかに親がその身にたくさん神力を蓄えていたとしても、それを受け止める子の器が小さければ、すべての力を受け継ぐことは出来ないんだ」


 日高くんはそういうと、赤いグラスに麦茶を注ぎ直してあたしに渡してくれる。


「でもたったひとつだけ、ちいさなお猪口にも許容量以上の神力を蓄えられる、そんな裏技があるんだ」

「裏技?………もしかしてそれが、『和合の儀』で赤ちゃんを作ることなの………?」


 あたしが思わずお腹に手を当てながら聞くと、日高くんは静かに頷く。


「ののかは海来神の伝説の最後の部分を覚えているだろう?初代の海来神はこの地を去るときに、己の尊く強大な竜の力の一部を息子たちに授けていった。そんな子思いの神様なんだ。その海来神は息子たちのため、もうひとつ神呪で贈り物をしたんだ」

「贈り物?」

「ああ。息子たちが生まれてきた子供たちを守ることが出来るようにと願いを込めて、海来神は彼らが伴侶を迎えて子を授かると神力が高まるようにしたんだ。そんな神呪を掛けていったらしい。

 実は海来神のその神呪はまだ効力がちゃんと残っている。彼らの末裔である皆礼の者たちも、みんな結婚をして子供を授かるとそのたびに神力を増していった。……たいした力がなかったはずの俺も、今では神呪を唱えなくても神力を使えるくらい日に日に力が増している。おそらくののかのお腹の子が育つにつれて、ますます神力が高まっていくのだと思う。……たとえばこんなことが出来るくらいに」


 そういって日高くんが右手の手のひらを天井に向けると、そこが蒼く光りだす。眩しさが納まってから日高くんのその手の上をもう一度みると、いつの間に呼び出したのか子ネズミサイズになった右狐と左狐が乗っていた。


『おやおや日高比古』

『我らをお呼びでしたか』


 狐たちは突然日高くんの手のひらの上に呼び出されたことに、とても驚いている様子だ。


「おまえたち、覗き見とは相変わらずいい趣味だな。バレてないとでも思ったか」

『ふふふ、人聞きの悪い。見守っていたのですよ、我らは』

『ほほほ、今が真の意味で日高比古がののか様を花嫁御寮に迎えられるか否かの大事な場面ですからねぇ。あなた様の後見人たる我らがついていなくてどうします』


 日高くんは悪びれることのない狐たちに向かって「いらない世話だ」と言うと、狐たちを下がらせる。それから気を取り直すようにその場に座り直してあたしに向き直った。


「………こんなふうに、以前は神呪もなしに、しかも瞬時に離れた場所にいる使役を呼び出すことなんて出来なかったけど、そういう難易度の高いことも出来るようになった」

「うん、それはわかったけれど………」


 日高くんは決して自分の力を誇示したがるような人には見えないのに、なんで強い力を欲しがったのだろう。日高くんはそんなあたしの疑問に答えるように口を開いた。


「神力は備わっていれば便利なこともあるけれど、ないならないで困りもしない。でも俺はどうしても今は神力が必要だった。………兄の穂高を助けるために」


(穂高、くん…………)


 その名前を聞いた途端、そういえば今まで何度も、それこそ『和合の儀』で会った当初から度々日高くんの口から「穂高」という名前を聞いていたことを思い出す。それでようやく腑に落ちた。穂高くんは“ある事情”で体から魂を引きはがされて、霊体になってしまったと言っていた。きっと日高くんはその行方不明になっているお兄さんを救うために『和合の儀』をして、強い力を得ようとしていたんだ。


「ののかにはまだちゃんと話していなかったな。……俺には二歳違いの兄がいるんだ。父の死後、十歳の頃から皆礼家の当主として海来神を務めていた。穂高は俺とは違って小さな頃から感覚が鋭くて、ちゃんと神力も備えていて、才覚のある奴だった。おまけになんでも器用で人当たりもよくて、多分村の者たちから見ても理想的な海来神になると期待されていた。けれど穂高は一年前、海で行方不明になったんだ。………おそらく、伊津子比売イツコヒメに連れて行かれたんだ。伊都子比売とは、ののかも昨晩会ったのだろう……?」


 日高くんの口から聞いたその名前に、背筋が震えた。


(いづこちゃんは、日高くんたちのお父さんだけじゃなくて、穂高くんのことまで連れていこうとしたの………?)


「ねえ日高くん、イツコヒメはなんでそんなことをするの………?」

「……………わからない。比売は皆礼の者に何か恨みを抱いているのか、時折陸おかに現れては海来の血筋の者をあちらの国に連れて行こうとする。でも過去に何があったのかは俺も詳しく知らないんだ」

「………じゃあ行方不明のお兄さんのことで、今何かわかっていることはあるの?」

「いや、まだ何も………でも穂高はまだ死んではいないはずなんだ。さっき神力は親から子へと受け継がれると言ったけれど、実は兄弟間でも力の伝承がされる。兄が先に亡くなれば、残された弟妹たちにその力は受け継がれる。つまり穂高の身にもしものことが起きたのであれば、父さんのときみたいに穂高の力も俺に流れてくるはずなんだ。それが起きなかったということは、きっとまだ穂高はどこかで生きている。そうに違いないんだ。

 ………いくら伊都子比売が強い力の持ち主だとしても、あの要領のいい食わせ者の穂高が、大人しくあちらの国に連れていかれるわけがない。穂高は今もきっとどこか次元の狭間であちらの国に行くのを抵抗しているはずなんだ………」


 日高くんはそう呟きながら膝の上でぎゅっと拳を握り締める。


「手は、尽くしたんだ。俺もなけなしの神力を使って探したし、使役にも捜索を頼んだ。もちろん斎賀の者たちも社人の者たちにも協力してもらったし、村の青年団にも手伝ってもらってみんなで穂高を探し続けた。……でも手がかりは何も見つからなかった。そうこうしているうちに、すこしずつ。ほんのすこしずつだけど、穂高の気が、神力が、俺の体に流れ込みはじめたんだ。………穂高はまだ死んじゃいないはずだけど、きっともう穂高を助けられる時間は限られている。穂高の神力がすべて俺に流れ込んだそのときがおそらく穂高の命の終わりだ。

 ……………そう思ったら俺は手段を選ぶことが出来なかった。何が何でも強い力を得てあいつを助けようって、そう決めたんだ。でも俺にはたいした神力は備わっていない。だから」

「………だから『神婚』を執り行うことを決めたんだね。穂高くんのために」


 あたしの言葉に日高くんはどこか痛みを堪えるように顔を歪めた。日高くんはきっとお父さんが亡くなったとき、何も出来なかった自分を深く悔やんでいる。だからこそ穂高くんのことだけは何があっても助けたいって思ったんだろう。

 あたしの妊娠には、日高くんにとって『家族を助けたい』っていう、そんな大きな意味があったのだ。


「……………よかった。なんかちょっと安心した」


 あたしが思わずつぶやくと、固い顔をしていた日高くんは驚いたように目を見開いた。


「安心?」

「うん。だって日高くんが女の子にむやみに赤ちゃん産ませようとするひどい人じゃないって知れたから」


 あたしの言葉に、なぜか日高くんはますます表情を固くする。


「それは違う。ののかにとって俺は十分ひどい奴だろう。事情はどうあれ、ののかが好きでもない男の子供を孕まされる理由なんかにならないはずだ」


 孕まされるってすごい言葉に絶句していると、日高くんは続けた。


「ののかを花嫁御寮にしたのは、俺の我儘なんだ。……事情が事情だけに、斎賀の爺も俺が『和合の儀』で子供を設けることを反対しなかった。だから当初は『社人』の家の中から俺の子供を産んでくれる人を決めるはずだったんだ。……結婚するわけではないけれど、とりあえず子供を産んでもらうだけの『お役目』を引き受けてくれる人を。

 ………俺はただのガキだけど、海来神の血を引く皆礼家の男子というのは村の者たちにとっては俺が思う以上に今も重要な存在らしくて、すぐに『子供を産んでもいい』って名乗り出てくれたねえさんたちがいた。その中から斎賀の爺に相手を決めてもらって、今年の三月の末に、『和合の儀』を行うと決めていたんだ」

「………………じゃあ日高くん、あたし以外にも、もうお嫁さんがいたの?」

「違うっ。そんな相手いないよ。………三月に俺が十五歳になるのを待ってもらってから、『和合の儀』を行うと腹を括っていた。穂高のためならそうするしかないって自分に言い聞かせていた。………だけどそんなとき、高校入試の会場でののかを見つけて。自分の決心がぐちゃぐちゃになった」


 日高くんは当時のことを思い出しているのか、あたしから目を逸らして視線を伏せたまま喋る。


「ののかはあの日、バスが遅れたみたいで試験開始ギリギリに来ただろう?『遅くなってすみません』って大きな声で言いながら一生懸命教室に駆け込んで来た女の子を見て、すぐにののかだって気付いた。その瞬間、目が覚めるみたいに我に返ったんだ。………好きなわけではない相手に自分の子供を産んでもらおうとしていることが、すごく後ろめたく恥ずかしくなった。相手のねえさんに愛情じゃなく自分の都合だけで子を産んでもらうとするなんて失礼なことだし、どんな事情があろうと男として最低だと思った。

 相手のねえさんにも斎賀の者たちにも、『和合の儀』はただ『海来玉』を授けるだけで直接体を交わらすわけではないと言われたし、子を産んでもらうからと言って夫婦めおとになる必要はないって言われていたけれど、他のひとに自分の子を生ませるなら、もう二度とののかを思うことは許されないと思った。

 ………だからどんなに穂高のためだと思おうとしても、とても『和合の儀』を行える気持ちにはなれなくなってしまったんだ」


 それで思い悩んだ末、結局三月に予定していた『和合の儀』は日高くんの一存でとりやめになったのだという。


「それであたしのところに、『花嫁御寮』のお話がきたの………?」

「………おかしいよな?高校に入学した後も、俺はののかと碌に口を利いたことがなかったのに。どんな性格で趣味が何で、どんなものが好きなのか、俺は一緒に暮らすようになるまでののかのことを何ひとつ知らなかったのに。でもどうしてもののか以外の相手が考えられなくなっていた。自分の子供を産んでもらうなら、やっぱり好きになったに産んでもらいたいって欲が出たんだ。

 ………こんな言い方もないけれど、ののかに打診したときは、駄目でもともとだと思っていたよ。きっと承諾はしてもらえないだろうって覚悟していた。だから引き受けてもらえたと知ってから、俺は舞い上がって、のぼせあがって………」


 日高くんは言葉を切ると、恥じ入るように唇を噛んだ。


「俺の気持ちのせいで、折角穂高を助けようとして動いてくれていた人たちを振り回してしまった。何よりののかのことも巻き込んで苦しめてしまった」


 そういって日高くんは顔を伏せて、あたしに深々と頭を下げてくる。


「日高くん、やめて。顔をあげてよ」

「………そうだな………俺が頭を下げたくらいじゃ、気が済まないよな」


 どこか自虐的な言い方をする日高くんに、あたしは思わず座布団を下りて一歩日高くんに詰め寄っていた。


「謝るとか、もういいから。それより日高くん。いちばんはお兄さんの穂高くんのためなんだとしても、この子もちゃんと日高くんに望まれた子なんだよね……?」


 あたしが自分のお腹をちらりと見ながら言うと、日高くんは静かな声で「正直、赤ん坊が欲しかったわけじゃない」と誤魔化すことなく言ってきた。


「『和合の儀』で子供を設けることは、穂高を助ける方法が他にないから仕方なく選んだ手段でしかない。それは子供を授けられたののかにとってもお腹の子にとっても、酷な決断だったと思う。でも………俺はうれしかった。報酬目当てだろうとなんだろうと、ののかが花嫁御寮を引き受けてくれたと聞いたとき、それでもうれしかった。

 無事にののかが懐胎したようだと気付いたときは、他でもないののかのお腹から自分の血を分けた子が生まれるのかと思ったら、なんて言えばいいのかわからない気持ちになった」


 そう言いながら、日高くんはあたしのお腹をそっと見る。


「日増しにののかのお腹に宿る神力が高まっていくのを感じて、お腹の中にいるこの子が順調に育っているんだって思ったら、俺はほんとうに………ほんとうに何て説明すればいいのか分からない気持ちになったんだ………」


 日高くんは「この子」と言ってあたしのお腹を見たとき、まるでその視線の先にちいさなわが子が見えているかのように目を細めた。うれしさを抑えきれずにいる子供のようなその表情には見覚えがあった。

 あたしがそうとは知らず悪阻つわりで寝込んでいたときも、あたしに摘んできた野花を差し出してくれたときも、いつも日高くんはこんなはにかむような顔をしていた。毎日毎日気遣ってもらえるあたしの方がうれしいはずなのに、なぜかいつも日高くんの方がにこにことうれしそうな顔をしていた。そのときと同じ顔で、日高くんはあたしのお腹を見つめたまま言う。


「…………うまく、言えないけど……ののかのお腹に俺の子供がいるということが、すごく不思議で不可解で………でもなんでかすごく温かい気持ちになった。地に足ついてないような、ひどく満ち足りたような、ふわふわしたこの感情が……………たぶん、いとおしいって気持ちなんだと思ったんだ」


 日高くんの温かくもどこか熱っぽい視線に見守られながら、あたしは無意識に自分のお腹をやさしく撫でていた。あたしも今、たぶん日高くんが感じたのと同じくらい不思議で温かな気持ちに包まれながら、お腹のその子に話し掛けていた。


「………ねえ、お腹の赤ちゃん、聞いてた?よかったね、きみはちゃんと愛されてるし、きっとうまれてきたら大事にしてもらえるよ?」


 気恥ずかしくて視線を落としたままお腹をなでなでし続けていると、急に日高くんがあたしを張り倒さんばかりの勢いで膝を詰めてきた。


「きゃっ、日高くんっ!?」


 あたしが後ろ向きに倒れてしまいそうになると、それより先に日高くんの腕ががっちりとあたしの両肩を掴んで引き留める。間近で視線が重なると、日高くんは一度ごくりと息を飲んでから恐る恐るというように尋ねてきた。


「ののかは、その。……う、産んでくれるのか……………?」






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