: 閑話 【その後のお布団騒動】


「あ、あのね日高くん」

「早乙女?もう寝るんじゃなかったのか?」


 お風呂から上がってそれぞれ自室で過ごして、明日も早いしそろそろ寝ようかなと思ったときにあたしは重大なことに気が付いてすぐに隣の部屋を訪ねていった。

 日高くんはいつも寝るときは浴衣を着ているようで、湯上りのときと同じ紺色の浴衣姿で脚を崩して本を読み耽っているところだった。無防備にあぐらなんかをかいているから割れた合わせ目から露わになっている脚がなんともあだっぽい。あたしは目をそらしつつ声を掛けた。


「読書の邪魔してごめんね」

「それはべつにかまわないけど」

「ええっと、あたしの部屋、寝室にお布団敷いてなくて、探してみたけどどこにもお布団見当たらないんだけど……今日、どうすればいい?」


 あたしの言葉に、日高くんが持っていた文庫本をばさっと取り落とした。それから思考が完全停止したかのように動かなくなってしまう。


「日高くん?」

「………………どうすればいいって、それを俺に聞くのか?俺が同衾しろと言ったら早乙女はそれに従うのか?」

「あの、ごめん。ドーキンって意味が分からないんだけど……持ってきた辞書で今調べ、」

「調べてこなくていい」


 なんかあたしのことを突き放すような言い方だ。またあたしは日高くんの機嫌を損ねるような言動をしてしまったのかと不安に思っていると、日高くんは深々とため息をついて本を閉じだ。


「………分かった。俺が今からどこか別の部屋に予備の布団が置いてないか探してくるから、そんな不安そうな顔しないでくれるか」

「えっ。だったらあたしも一緒に行くよっ。手伝います!」


 日高くんだけにやらせるのも悪いし、ひとりこの場に取り残されるのも心細い。そんなことを思っていると、部屋のどこからかホホホ、フフフ、と笑う声がしてくる。見れば日高くんの学ランの胸ポケットがもぞもぞとせわしく動いていた。


「……右狐。左狐。おまえたち、何か言いたいことでもあるのか?」

『いえいえ。ただ寝床のことでしたら、無駄なことはなさいますなと思ったばかりですよ、日高比古』

『若の寝室にある婚礼布団以外の寝具は無用のものとして、昼間に社人の女中らが貝楼閣にあったほかの布団を運び出し蔵にすべて片付けてしまったのを我らは見ましたよ』

「………………なんだってっ!?」


 日高くんの驚きように、するりと日高くんの目前に姿を現した狐たちはますます笑いを深める。


『ですからどうぞどうぞ、今宵も花嫁御寮と睦まじく枕を並べてお眠りくださりませ』

『新婚の花嫁に独り寝をさせるなぞ、恥を掻かせてはなりませぬ』

「バカを言うなッ」


 日高くんはなぜだかあたしに聞かれるとまずいことでもあるらしく、狐たちに顔を寄せて小声でひそひそ話はじめる。


「…………女中たちは正気の沙汰か?万一。万が一に間違いが起きたらどうするんだ。折角無事終えた和合の儀がすべて台無しになるんだぞ」

『若、それこそ愚問でございますよ。『和合の儀』を終えた男子はその身に宿っていた海来玉を放った影響で肉欲を満たされきって、向こうひと月ほどはまるで憑き物が落ちたように情欲が沸かなくなると言われているではありませぬか』

『そうそう。言い伝えによれば今は日高比古も花嫁御寮も互いに肉欲のしがらみから切り離された、実に清らかなお心でいらっしゃる時期なのでしょう?そんなお二人が共寝をしてなんの不都合がございましょう』

『間違いなぞ、万一どころか億に一にもありえませぬ!』


 日高くんは険しい顔して手のひらサイズの狐たちを摘み上げると、つんのめるような勢いで部屋の隅に駆けて行く。


「………………あのな、言わせてもらうがそんなものはただの嘘っぱちでいい加減な迷信だッ!沸かなくなるわけあるか、そんなくだらない妄言をわざわざ言い伝えで口伝したヤツが馬鹿なんだ………ッ」

『これはこれは。尊き海来の先つさきつおやのみなみなさまにそのような暴言を吐かれるものではありませんよ、若』

『ホホホ、日高比古はどうも海来神としての本能より年頃の男児としての本能の方が強く現れる性質たちなのかもしれませんねぇ』

「自分たちの主をケダモノのように言うんじゃないっ。生憎神力の弱い俺は神より人間に近い存在だから、残念ながら和合の儀をしたくらいじゃ人間臭い煩悩が昇華されなかったんだよ!………あんな恰好の早乙女に横で眠られて、落ち着いて眠ることなんて出来るわけがないだろ!?」

『フフフ、若は正直でなによりなにより。よほど花嫁御寮の寝間着姿がたまらないのですな』

『フン、年頃の娘のくせに挑発的に脚を晒し、捲ってみろと言わんばかりの裾のひらひらした破廉恥な寝間着姿を日高比古に見せつけるとは、なんともあざとい。品も恥じらいもないあのような姿に心乱されるとは、日高比古も本当に青臭いお方ですことっ』


 右狐さんが日高くんの肩越しにあたしをチラリと睨んできた。


『まあそう責めるでない、右狐よ。女狐のおまえにはわからぬことやもしれぬが、男というのはあのように可愛らしくわかりやすい色香を好むものだ』

『実に安い好みだこと。海来神ともあろうお方があのような小娘に翻弄されるとはなんとも嘆かわしい。男のさがというのも業の深いものですこと!』

「………わかったから。もうそういうことで構わないから、頼むから蔵からこっそり布団を一組持ってきてくれ。褒美にまた梅か鶴婆に稲荷寿司を作らせるから」


 日高くんはなにか狐たちと交渉しているようで、あたしの耳にも『稲荷寿司』という言葉が聞こえてきたけれど、狐たちは喜ぶどころか気分を害したように日高くんにさらにねちねち言い募る。


『がっかりです。まったく若は分かっておられない。相変わらずキツネといえば馬鹿のひとつ覚えのように稲荷寿司だの袋煮だの煮びたしだの、あぶらげさえ寄越しておけば我らが満足するものだとお思いのようだとは』

『まったく軽んじられたものですこと。我らとて偶には身の締まった初鰹やら旬の山菜やら車海老の天麩羅やらを食ろうてみたいものを』

「わかった。わかったから、そのことについては善処する、だからちょっと待て右狐左狐、わかったから出てこいッ。頼むから!!偶には言うことを聞け!!」



 結局ほかのお布団を用意することは出来なくて、揉めに揉めつつあたしは日高くんの寝室に敷いてあった豪華な婚礼布団で先に眠ることになり。


「もうすこし読書をしてから寝る」と言っていたはずの日高くんは、翌朝目覚めると隣にはいなくて、隣室で文庫本を持った状態で眠ってしまっていた。




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