第四部「魔将、覚醒」(転)

 ……帝も、故なくして逃亡したわけではない。

 事の発端は遠く隔てられた東の果て、風祭府。

 風祭此永の居城、丸前まるまえ城を囲む康徒の陣こそが発信源であった。


「いや、まったく。一時はどうなることやらと思いましたが、康徒様のお早いご帰還に見事助けられましたわっ」

「あぁ。苦労をかけたな」


 居並ぶ諸将をそうねぎらいながら、落城寸前の敵城を眺める。

 背景の事情を知らぬ配下には素知らぬ風に振る舞ったが、実際はもっと早く帰還する予定だった。

 内通者の、内通者とでも言おうか。

 此永に同調を求められた家臣や国人衆のうち、あらかじめ気脈を通じていた幾人かがもたらした報せにより、ここまで早く対応することもできたし、その反乱勢力も小規模なものとして抑えることもできたのだ。


 その成果に一定の満足を示しつつ、康徒は視線を隣に投げかけた。


「……羽黒はぐろ殿も、わざわざの援兵痛み入る」


 そしてむっつり腕組み、床几に腰を据える男を、低い声で労った。


「酒宴の準備も整っておりまする。ささ、今宵はどうぞ骨休めに楽しみましょうぞ」

「無用」

 せっかく盛り上がった陽気に水を差すが如き、弔辞でも述べるかのような重苦しい声音をしていた。

 眉の薄い、いかにも陰気なこの男は、硬く閉じた両手をほどかぬままにジロリと康徒を睨み、


「戦が終わらぬ以上、軍務に差し支えるゆえ一滴たりとも飲まぬと固く誓っており申す」

「は、ハハ……さようでごさるか」


 苦笑いし、場を和ませる傍ら、内心では


 ――ホントにそんな顔してーのはこっちなんだよっ!


 と、悪態をつく。

 羽黒圭道けいどうと、その麾下五百名は、桜尾家よりの援軍を名乗って帰国の途に合った康徒軍と、半ば無理矢理同行したのである。

 当然彼らの動きが桜尾公の許しを得ず行われているとは思えない。

 主君の明確な指示の下、こちらを警戒しての軍事行動であることは確かであった。


 ――典種の白面野郎、よりにもよってこんなカタブツ監視役によこしゃがって! そんなにも背中を刺されるのが怖いか!


 荒ぶる本性を押し隠し、康徒は努めて優雅に、かつ冷静沈着に振る舞った。


 泡を吹いた早馬が到着したのは、その日も沈まぬ内であった。


 討伐軍、禁軍第七軍の離反により敗色濃厚。


 康徒が独自に築き上げた高速な連絡網によりもたらされた急報に、康徒は喜びと驚きと不満の三要素がないまぜになった表情を浮かべた。


 すなわち喜びとは、

 ――これで藤丘本家の力が弱まる!

 と言うことであり。


 すなわち驚きとは、

 ――こうも鮮やかに決着がつくとは……

 と言うことであり、


 すなわち不満とは、

 ――だが鐘山方の完勝というのが気に食わねー。もっと傷つき合え。

 と言うことであった。


 その文が、横合いからもぎ取られた。

 羽黒圭道はそれをザラリと一読するや、

「一大事ですな」

 他家の機密文書を平然と盗み見ておきながら、何ら悪びれることなく言い放つ羽黒に、康徒はしばし絶句した。


「すぐさまこの乱を鎮圧し、改めて救援に向かわれるがよろしかろう」

「いや、それでは間に合わん」


 そう応じる康徒は、一方で打算する。


 両者の共倒れが風祭家の狙いであったのに、このままでは鐘山勢がほぼ無傷で残ってしまう。

 このまま都を占拠させ、風祭家がそれを取り戻す名目で動くということもできるが、真に恐ろしいのは官軍よりも鐘山だ。

 それに鐘山家にも目的と軍事的な限界点というものがあるだろう。そのまま素直に王都を直撃するとも思えない。

 となれば、まだまだ藤丘家に滅んでもらっても、その血脈を貶めてもらっても困る。


 ――焦ることはない。上洛などいつでもできるさ。朝廷には、俺らが東を固める間その盾となってもらわにゃあな。……今回は、内憂を炙り出せただけ良しとするか。


「申し上げます!」


 と、そこに放っていた物見がもう一人駆け込んできた。


「先手衆、森下辰之進様より伝令! お味方は三の丸まで占拠! 敵将此永は戦意喪失、投降を願い出ている由!」

「無視しろ」

「は!?」

「投降を受け付けるな。何を言ってこようと相手の食料が尽き果てようと、無視し続け、包囲のみに留めよ。もし腹を切っても口外せず、その死を伏せる」

「この土壇場で何故でございますか!?」


 いきり立つ一人の将を手で制しつつ、康徒は改めて、うさんくさげな顔つきの羽黒圭道と向き直った。

「羽黒殿。貴殿にも一芝居お付き合いいただこう。……曽根そね」

「はっ」

「すぐさま正式な伝令を都に向けて発せ。『東部の乱未だ鎮定できず苦戦中。願わくば帝直々のご出馬を仰ぎたし』とな。……今から書く密書も添えて送れば、いかなあの星井文双でも、こちらの意図に気がつくだろう」


 つまり、これを口実に順門から撤退すればそれは撤退にあらず。

 東へ救援に赴くための転身である、と。

 多少無理はあるが、これならば、帝の虚栄心を傷つけることもないだろう、と。


「しからば、書をしたためる故、御免」


 そう言って陣幕の裏より退出した康徒は、そのまま筆を執るでもなく、単身歩き出す。

 草の上に立った彼の背後に、気配も音もなく紺装束の忍びが降り立った。


 その男に康徒は、懐から取り出した一通の書状を手渡し、


「……これを、勝川舞鶴殿へ」


 低い声でそう命じた。


○○○


 当初、討伐軍内でもしきりに帝に撤退を進言していたが、地上の支配者は頑として首を振らなかった。


 兵糧の不足、兵の減少、疲弊、地の利の不利。


 彼らの挙げる理由はいずれも本来ならば一つだけでも十分過ぎるほどの条件であったが、もはや意固地となった帝は、


「その方ら、朕に、王朝に忠義はないのか! 何故前に出ようとせぬ!? 逆賊の首魁がいまおのれらの目の前に現れておるのに戦わぬッ!?」


 と、繰り返すのみで、耳に入らぬふうであった。

 弱り果てた諸将は、かつては帝と近しかったという、佐古直成に期待を寄せた。


 その重責に辛さを覚えないわけではなかったが、それはそれとして、たとえ気まずさがあろうとも直成は己の主君に直言しなければならなかった。


「……もう十分でございましょう、主上。主上の本心も含め、誰もこの戦いをこれ以上は望んではおりませぬ。前非を悔いて和議を求め、しかる後に笹ヶ岳に踏み留まった軍をお救いして、撤退するべきです。殿は、拙者が務めますゆえ」


 侍従の者を除けば、本営内にいるのは直成と帝のみであった。

 朝議や軍議の場で、毎日のようにその尊顔を拝していたはずだが、直成は久々にかつての友人と再会したような心地でいた。


 帝の手元、足下には倒れた酒器が転がっている。

 どす黒い酔眼の中に、どろどろろとした濁りが見えた。

 皇たらしめる衣さえ脱いでしまえば、この男はもはや帝でもなんでもなくなってしまうだろう、とさえ思わせる醜態であった。


「……やはりそなたも、宗円めと通じておるのか?」


 饐えたような呼気が陣内を満たした。


「……なんですと?」

「とぼけるな、とぼけるな。どうせ貴様は停戦に応じれば我が軍を背後から襲うつもりであろう? そして朕を、藤丘を滅ぼし、己の旧家を再興させる胆なのであろう? その手には乗らぬぞ! 朕は……朕はもはや誰も信じぬ」

「そうですか。ならばこれまでですな」

「……なに?」

「佐古直成、これにてお別れ申し上げる。……本日のところは」


 最後に拝礼した直成の顔からは、普段の笑顔は完全に消失した。

 屯営から退出する主君の容貌を瑞石は、


「梟雄の顔ですな」


 と評した。


○○○


 藤丘貞仁の下に夜半、都にて留守を預かっているはずの星井文双が密かに現れたのはその二日後のことであった。


「なに!? 風祭府の乱はまだ収まらぬのか! ……康徒の無能めが……ッ」

 寝床を叩く帝を、文双は顔色一つ変えずに見守っていた。

「……さにあらず。こちらの戦況も詳しく記した書も同封されておりました。おそらくは、主上のご苦境を見越して」

「撤退せよ、と言うことか」


 貞仁は顔を横に向けた。

 おそらくはそういう口実で兵を退かせようという康徒の目論見であったのだろうが、今ここで文双がその意をバラしてしまったため、その気遣いはふいになってしまった。


 ――有能ではあるが、相も変わらず気の回らぬ男だ。


 今日の今日まで、退くようにという進言を退かせ続けた己である。明日朝となって、一転して退却の命を下すことは、帝としての矜持が許さなかった。


「おそれながら」

 と、文双は畳んだ膝を進めて言った。


「主上は何か誤解をされておられます」

「なに、朕が誤解と!?」

「そうです。主上は御自ら兵馬を率いましたが、無血による開府を望まれていたはずです。にも関わらず、その御意志をないがしろにするが如く、朧なる下郎を始め、前線の将どもが勝手に戦端を開き、以降も主上の命にことごとく背いて戦を続けておりました。彼らの破滅は彼ら自身の責任、主上には何の責任も、関わりもないこと。ここで御身を翻したとて、何を咎むる者がおりましょうや」


 ……呆れるほどに、康徒の弁よりかよっぽどの詭弁である。


 だが、ふしぎの帝の胸を打つ語も、その中には含まれていた。


 ――誰もが朕の命を背きおるか。そうであるな。宗円も、臣下どもも、直成さえも……誰も朕を侮り我が命に服さぬ。……そんな有様で戦など、できようはずもなかったのだ……


「さぁお急ぎを。馬を外にて待たせておりまする」


 と言う文双の、甘やかな声の響きは、あるいは毒花が虫を招き寄せる餌にも似ているかもしれなかった。

 だが、時の帝は心身共に枯れ果てていた。

 その誘惑に抗えるだけの気力は、残されていなかった。


○○○


 ……主を失った玉座に座り、天を仰ぐ。

 ここに座っていた男が、ここから逃げ出した男が何を考えていたのか、何を見ていたのか。それに思いを馳せてみるために。

 実際直成がそこに腰掛けると、以外に天井は狭く、帳の内より見える景色は、限られていた。


「不敬ですぞ」


 咎められて、腰を上げる。

 だが目の前に延びている影は、荒子瑞石のものだった。


「おぉ、瑞石か。……いやなに、傷心を噛みしめとったのよ」

「傷心、ですか」

「長年のツレアイにフラれた、のぅ」


 自らの好意と忠誠心を疑われた瞬間、己の中で何かを閉ざしていた蓋が外れた気がした。

 その中身はとても冷たく、己の胸に広がっていった。

 あの瞬間、帝と自分との間に決定的な亀裂がはしったのか。

 あるいは、既に亀裂は入っていて、それが今回の一件で明るみに出ただけなのか。


 乾いた笑い声を立てながら本陣の跡を出る主君に、瑞石は黙って追従した。


「瑞石、我が方でできるだけ金銭をかき集め、名津の六番屋ろくばんや殿に繋ぎをつけよ」

 兵站線が切られたわけではない。が、おそらく他の者も米を買い占めようとする。

 となれば、商人たちは足下を見て値をつり上げるであろう。

「高騰する前に先んじて買わにゃならん」

「承知。ですが、一気に大量に購入しておくべきかと存じます」

「多くは持てん」

「余剰分は他の将に安くお譲りすればよろしいかと。……国内外の諸将に恩を売っておけば、後々やりやすいでしょう」

「……それは……」


 瑞石の怜悧な眼光は、こちらの真意を、その深奥に芽生えた野心を見抜いていたようだった。


「……まぁ何にせよだ。ひとまずはこの戦いを切り抜けることを考えんといかん。取らぬ狸の皮算用どころか、こちらがタヌキ鍋にされかねんわ」


 冗談を吐く主に、やや苦み走った微笑みを浮かべ、瑞石は次いで内外の様子を報告した。


「一度敗退したとは言え、なお兵力はこちらの方が上回っております。敵もそれゆえに警戒して動く気配はありません。膠着状態ですが、帝のご不在を敵が知れば」

 総攻めに転じるのは必定か。

 目で問う直成に、瑞石もうやうやしく辞儀をした。


「また、お味方。いずれの軍からも脱走者が相次ぎ、ついには府公以下の諸将さえ、無断で帰国している有様。辛うじて持ちこたえているのは桜尾家と、禁軍の残党のみと言ったところです。……それと」

「それと?」

「上社鹿信殿、未だ健在。寡兵ながら笹ヶ岳砦を固守し、一歩も退かぬ戦いをしている模様」

「なんと」


 流石は建国の立役者とでも言ったところか。

 その忠義、その手腕、いずれにおいても禁軍、いやこの討伐軍内において随一とも言える将帥と言えるだろう。


 ――すでに、守るべき帝はここにおわさぬというのに……


 という言葉を、直成は辛うじて飲み込んだ。


「して、信守坊ちゃんはどうしておる?」

「その報に触れるや、残る禁軍第五軍を率いて救援に向かわれました」

「孤軍でか!?」

「出立前に各将に協力を要請したようですが、もはや軍議にならぬ体ですし、信守殿は砦の攻略の際、諸将より恨みを買っておりますので協力は得られなかったと」

「だがわしらのところには来なんだぞっ」

「禁軍第四軍、桜尾軍が抜ければ今度は本隊が持ちこたえられませぬ。そう判断し、自ら遠慮したのでしょう」

「……情けのないことだの……」


 味方の将も、己も。


「対策を講じよ、軍師。上社親子は惜しい。見殺しにはできんでな」

「御意」

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