第四部「魔将、覚醒」(起)

 月が替わった。

 残兵を取りまとめて入城した宗善は、いの一番に父に復命した。


「敵の攻めがことのほか鋭く、むなしく砦を失陥いたしました」

 だが、対する父の反応はその失態に対する責めではなく、


「随分と気前よく、くれてやったものだ」

 という奇妙な感嘆を漏らしただけだった。


 返答に窮している宗善の背後、書の間の室外から荒い足音が聞こえてきた。

 ――音のみで、誰が来たのか分からせられるというのも、ある種の才能だな。

 と、忌々しさとは別のところで感心させられる。

 部屋の前で足音が止まり、豪快に障子が引かれて、


「ただいま戻った!」


 と、兄は言った。

 そして弟の姿を認めると、


「おう宗善、派手に負けたようだな! 守りに厚い貴様らしくもない!」


 どっかり脇に座るや肩を抱く。

 兄には見えない側の横顔を、宗善は歪めた。

 生理的に耐えられないというのもあるが、それ以上に兄の体躯が運ぶ色濃い血臭と、硬い鎧の感触が、たまらなく嫌だった。


「其方、何ぞ斬って来たな」


 宗善のみならず宗円さえ眉をひそませる悪臭に、宗流はカラカラと笑い飛ばし気にした様子も見せない。


「いやぁ、我が道を阻む敵兵どもを二、三ほどな」

「……無益なことを」

「殺すなと? 無茶言うな。殺す気の者は殺らんと死ぬぞ、宗善」

「殺さずとも済んだ。すでに連中は我らが術中に嵌っているではありませんか。既に死につつある相手を殺したところでなんとされます」


 兄弟の間で微妙な沈黙と空気が流れる中に、伝令が駆け込んで来た。


「申し上げます! 赤池勢、亥改水軍を破り、さらに西進! 一両日中には大渡瀬に到着するものと思われますっ」


「親父殿ッ!」

 弟を突き飛ばすように立ち上がった宗流に、宗円もかすかな怒りを収めて、ゆっくりと腰を上げた。


 見上げる宗善は、普段見慣れて間近に感じる両名が意外に大きいことを知る。


「頃合いや良し。宗流は、赤池勢を出迎えよ」

「おうッ」

「わしと宗善と兵を再分配した後、出撃。わしは隘路の西口で敵を押し留める。宗善は笹ヶ岳方面を牽制せよ」


○○○


「鐘山軍、御槍にて態勢を整えた後、再出撃」


 その報に触れた時、瑞石は虚報ではないかと疑った。


 だが、麓の砦にあって再び鳥籠紋の軍旗が靡いて近づくのを見て、それを認めざるを得なかったが、納得も得られなかった。


 何故、そのまま籠城しない? 野戦に固執する?


 笹ヶ岳も、南の間道も喪った今、もはや手はそれしか残されていない。

 まして、南を受け持つのが鐘山宗円本隊というのが、なおさら疑惑を深めた。


 笹ヶ岳奪還のために、あるいは背後の赤池を防ぐために自ら出張るのであればまだ分かる。

 だが、未だ南は完全に突破されてはいない。要は現状を維持して官軍を平野に出さなければ良い。そこを抑える役割であれば宗善でも、再び宗流を当てても良い。


「瑞石先生。砦内の被害報告、まとめ終わりました」

「ご苦労。しかしずいぶん時間がかかったようだね」

「申し訳ありません。何分にも、諸将が乱取りを始めたため、数が混乱しておりました」

「難儀なことだ」


 そうして受け取った資料こそ、瑞石の脳裏に第三の疑惑を浮かび上がらせた。


 ――やはり敵味方の損害が少なすぎる。


 兵法は敵味方の疲弊が少なきを上策とするが、総計一万規模の大人数のぶつかり合いにしては、それはあまりに少なすぎる。


 まして笹ヶ岳は兵家必争の要衝である。

 ここを確保していれば全戦線を下げなければならない事態にはならなかった。


 また、残された物資、文書も微々たるもので、ほとんど敵に回収されている。

 守将がそれほど見事に撤収してみせたのだと言われればそれまでだが、瑞石にはどうにも、


 ――敵はあえて砦を捨てたような……


 気がしてならなかった。


 だが、敵の動向ばかりも気にしてはいられない。


「それで、味方の本陣の様子はどうか?」

「は。我らの活躍に天子様はご機嫌斜めならず。しかし各地で兵糧の不足が訴え出ておるのを憂慮され、宮様率いる後詰部隊に出陣を依頼。南海を岸沿いに航海中とのことです」

「なに?」


 瑞石の脳髄にて、漠然とした憂慮が実体を持ちつつあった。


 徹底した防戦。

 一転してこちらを引き寄せるかの如き後退。

 また一転して食い止めるが如き出撃。


 ……一見して進退極まったが故の無秩序な所作が全て、兵糧輸送を待つためのものであったら?


 浮かび上がる憂いは、警鐘の象をしていた。打ち鳴らされるそれに突き動かされるままに、瑞石は自らの愛馬に鞭打ち、味方の本隊へと馳せた。


○○○


 砦を出て、後方にある本陣にたどり着いた瑞石は、兄弟子である朧月秀を介して帝を諌めようと画策した。


 孟玄府陣営内にて面会を求めたところ、数刻の足止めを受けた後、ようやく許しを得られた。


「何の用だ?」

 剣呑な顔つきで弟弟子を迎え入れた朧に、瑞石は身ごとぶつかるように、


「御坂宮様の後詰めの件、まことですか?」


 と尋ねた。

 いつもは隠者の如く控えめな後輩が珍しく積極的であったのには、朧も少し意外であったようだ。


 だが、すぐ鬱陶しさと険しさがその顔に戻ってくる。


「あいさつもなしにいきなりか……はっ! 老師の愛弟子殿は、俺のような者とは交わす言葉さえ勿体無いとみえる」


 決してそう言った悪意があって前置きを省いたわけではない。

 が、抗弁しても時間が余計にかかるだけで友好な関係を再構築できるわけでもない。

 故に瑞石は従容として頭を垂れ、答えを待つほかなかった。


 ふん、と兄弟子が鼻を鳴らす。

「確かに。天童公を通じ俺が献策した。奴らを一人たりとも逃さんためにもな」

「何故海路で? 多少時間はかかるとも、北回りに迂回すれば良いではありませぬか」

「それでは時間がかかり過ぎる。既に制海権は赤池が確保した。それとも何か? 貴様、賊軍が兵を割き、宮様の別働隊を奇襲するとでも言うのか?」

「あるいは」


 静かにそう答えた瑞石を、朧は腹底より笑い飛ばした。

「瑞石よう! 皆にもてはやされるうちにどうやら智慧も陰ったようだなぁ! 良いか!? 宮様が率いられるのは一万の大軍だぞ!? 前線を支えるのでやっとな鐘山軍に、それを打ち倒すだけの兵力が捻出できるか!? また、仮にそんな軍を編成できたとして、海上を封鎖する赤池水軍が見逃すわけがないだろう?」

「それでも確実にないとは言い切れますまい」

「慎重だな。いやこの場合臆病と言うべきか」

 そう言ってせせら笑う朧対し、

「まったくその通りです」

 瑞石は、素直にそれを認めた。

「それが、軍師の資質と心得ております故」


 渋面を作る兄弟子に、瑞石はさらに言い募る。


「天候、武運を占う者らを軍師としていた頃ならいざ知らず……軍師とは勝利に沸き立つ軍中においては、一人陰々滅々と思案顔にて次の一手を読むもの。小生はそう思っております」


 カッと怒色を露わにした朧は、腕を伸ばして瑞石の羽織をねじり上げた。

「……おおかた笹ヶ岳の一件は貴様の献策だろうが、たかだか一砦を奪ったぐらいでいい気になるなよ? 俺は貴様のような小功では満足しない……。天童の醜女とも寝てでも、ようやく帝にお目見えできるぐらいまでのぼり詰めたんだ……! 何を企んでくだらぬ制止をするかはしらんが、貴様がもてはやされる時代は終わったんだよ!」

「そのようなことは、小生は」

「宗円は俺が討ち取ってやる! 禁軍などに邪魔などさせてたまるか!」


 なお食い下がろうとする後輩を突き飛ばし、朧は陪臣に怒声を浴びせた。

「こいつを縛って動けぬようにしておけ!」


○○○


「瑞石ー、おーい……瑞石やーい?」


 まるで戦場とも思えぬ、舅が息子の嫁を呼ぶが如き間延びした声が、日も暮れた砦内によく響く。

 上社信守はその声をが大きくなっていくのを聞き、咄嗟に膝を屈した。


「おぉ、上社の若殿。ウチの軍師を見んかったかね?」

「瑞石先生ですか? ……確かに、姿が見えませんね」

「配下によるとなにやら調べ物をしておったのが、最後に見た姿らしいがの」

「調べ物……砦内の被害、などですか?」

「おっ、まさにそれ。それよ」


 ――やはり、荒子瑞石も気づいていたのか。

 敵の引き際が、あまりにもあっさりとしていることに。


「……いや! 引き留めてすまなんだ。はや戦も終わりというにな」

「終わり?」

「赤池水軍が大渡瀬に着いたらしい。宗流勢が向かった様子だが、もはや間に合わんだろう。遠からず本城、無人となっている板方を落とす」


 そう答えたのは、父、鹿信である。

 直成に一礼すると、我が子の肩を叩いて起立させる。

 その直成、ケラケラと愉快げに笑いながら、


「天童公らは慌てて前線復帰を願い出たらしいの。何でも、宗円公の本隊に当たるとか」

 と言った。

「宗円公が布陣されたのは、確か隘路の……」

「あれでは今さら向かってもつっかえるだけだろうが、そうでもしなければ挽回もできまいよ」


 ……信守は己の脳髄にて絵図を描く。


 ――私が鐘山宗円であればどう大軍と戦う? 何を以て大軍を破る? 


 各府公、

 禁軍、

 佐古直成、

 父を、

 朝廷を、

 帝を、

 己を、

 さぁて……どう殺す?


 最大限の想像力を下絵とし、今日に到るまでの、一日一日の記憶、一切合財全ての要素を顔料として彩った。


 ……ふ、と。

 おぼろげながら、輪郭が見えてくる。

 だが、確信を以て信守は言える。


 これで、この方法で、この図柄で、間違いないはずだ。


 これだけの材料を使ってもなお曖昧なのは己の未熟さゆえであり、老練な鐘山宗円には、細々とした動き全てが……己の絵図の内部に収まっていることだろう。


「……くくっ」

 ――笑えてくる。


 今から献策し、事情を説明したところで、間に合うか?

 否、もはや手遅れ。と言うより、この場にいる誰に吐露したところで、にわかには信じてもらえまい。

 彼らが本当に信じ、事態の逼迫を悟り、任地を離れて帝に献言できるとすれば全て、事が始まったあとだ。


 ――こんなにも露骨に、宗円は手の内を見せていたのに。


 誰も、父や直成、瑞石と言った良将たちでさえ、それに気づかなかった。

 あの聡い瑞石もまた、今どこぞでこの答えを導いているのだろうか? だから離脱したのだろうか?


 ……だが全て、無理もない。


 策としては単純だが、思いつくはずがないのだ。そんなものは。

 赤子の如き朝廷が生まれ、この三十年、ともにその籃の中で生きてきた者たちが、その発想にいたること自体、異常でしかない。


「……信守?」


 訝しむ父に背を向けて、信守は最後に、父に問うた。


○○○


 ――もう少しだ。あと一押しで我が王業は成就する。父上と同じ高みに、いやそれ以上に上り詰めることができるのだ。


 藤丘貞仁さだひとは、陣中、仮の玉座にあって拳を握り固めた。

 その座り心地は、急ごしらえながらも悪くない。


 未だ届かぬ、しかし近い将来、確実に届くであろう捷報を、先祖伝来の緋縅を身につけた帝は、今か今かと待ちわびている。


「行け……行け……」


 繰り返される帝の呟きを、傍らにいる一将が拾い上げた。


「……ここでは戦況が伝わるのに時間差がございます。本陣を移すべきでは?」


 顔色を窺うようなその提言に、頷きかけた貞仁を

「お待ちあれ」

 そう、毅然と制止する者がいた。

 桃李府公、桜尾典種である。

 歳は四十がらみ。蛍石を思わせる白い肌を持つ、身の丈六尺の堂々たる偉丈夫で、座るだけで陣内の諸将と空気に、重圧と威圧感を与えていた。


「我らは既に五里も前進させております。一天万乗の玉体に万一のことがあってはなりませぬ。それに、お忘れですか。起こっている戦は順門府のみにあらず、未だに戦況報告されぬ風祭家の乱も不安なところ。深入りはお控えになった方がよろしいでしょう」


 滔々と述べられる正論に、帝は顔をしかめた。

 しかしながらも王たる度量を示すために、また反対意見を蹴るだけの理由もないため、首肯しなくてはならなかった。


 が、もどかしさはどうしようもならない。

 単騎陣中を出て、前線に躍り出、この手で宝刀を抜き払って宗円を討ち取りたくなってくる。


 ――あるいは返り討ちに遭っても、己の仇を他の者が討ち、それで乱の平定がなるならば、それはそれで本懐である。


 ……とさえ思い詰めるほどに。


 つらつらとそう思案している内に、馬蹄が聞こえてきた。

 瞬間、貞仁は腰を浮かせていた。


「も、申し上げます!」


 肩に矢を生やした母衣武者が陣内に崩れ込む。

 平時ならばその無礼を咎めるところだが、今はそれさえも忘れ、自ら駆け寄るほどであった。


 ――とうとう破ったか!?


 そう期待に膨れる帝の胸を、





「御坂宮様率いる別働隊…………我らの兵糧と共に全滅いたしましたッ!」





 その悲痛な喘ぎと共にもたらされた凶報が、針の如く射貫いた。


「…………は?」


 完全に意識の外、想像の範囲外にあった言葉。

 自らを底も底まで、叩きつけるに等しい、悲痛な報せ。


 ――何を、何を言っているのだ、この者は?


 理解できぬ帝の代わりに、その臣下たちが色めき立った。


「どういう……どういうことだッッ!?」

「宮様は如何した!」


 歴戦の猛者に詰め寄られ、顔面を蒼白にさせたその武者は、紫色の震える唇を励まして、その経緯を報告していく。


「岸にな、流れ着いた敗残兵によると、昨晩……西進していた宮様の艦隊は敵残党と思われる敵と遭遇。そのまま戦闘状態に入るも敗北! 宮様は焙烙火箭にて、焼死したと……」


「貴様ぁ……さては敵の回し者か!?」

「どうしたら亥改の如き雑兵どもに後詰めの大軍が負けると言うのか!?」

「そ、それがわずか数隻と思われた敵船が、みるみるうちに増えていき、気がつけば包囲されていたと……」

「何をバカなっ、では海を塞いでいた赤池勢は何をしていたのだ!?」


 疑念と憶測が飛び交いながらも、いずれも帝の琴線をかき鳴らすことはなく、ただ呆然となり、空虚に空いた心の隙間をすり抜けていた。


 だがその中でただ一言、ただ一語、引っかかる言葉があった。


「焙烙火箭……?」


 ……それでは、敵は亥改水軍などではなく、まるで……


 帝の呟きに、一同はハッと、主上の方を向いた。

 皮肉にもこの貴人の人生でこれ以上なく、他人の関心を寄せた瞬間であったと言えよう。


 だが、その瞬間さえも泡沫と消えた。

 次に駆け込んできた伝令の、唾を飛ばして発した衝撃の一言が、全ての諸将を唖然とさせたからであった。





「赤池様……禁軍第七軍、赤池頼束よりつかの軍勢……っ! ご謀反ッ! お味方の側面に攻撃を開始いたしましたあァッ!」

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