第三部「信守初陣」(下)

 禁軍を追う響庭家は、所領こそ狭いものの、鐘山家三代に仕えた名家である。

 とりわけ現当主の嫡子であり、床に伏す父の名代として参加している宗忠むねただは、主家より『宗』の一字を許された寵児である。

 その彼が、敵を猛追していた。

 地に打ち捨てられた旗印には、藤紋の下に五の字。

 それは帝直属の禁軍第五であることを表していた。


「夜駆けにしくじったばかりでなく、自らの主より預かりし紋を捨てるとはな! 奴らの頭からは兵法のみならず武人の矜恃さえ消え失せたと見ゆる!」


 そう声を大にして嘲り、宗忠は林に突入した。


 この笹ヶ岳は、名にこそササだのタケだのと付けられているが、実際にはこの一帯、竹林どころか一本の竹さえない。


 その南の麓に、雑木林がある。

 無秩序に、あるいは乱雑に生い茂ったそこに逃げ込んだ信守勢は、その樹木に道を遮られ、速度を落とした。


「しめた、奴輩、死地へと逃げ込んだぞ!」


 逃げる主将の背が見える。

 馬の捌き方こそ見事であったが、若草色の陣羽織は、夜陰の中でも良い目印になる。

見失うことはない。

「返せ返せ敵将よ、かくも見苦しく命を延ばすこともあるまい!」

 と、挑発する。


 その若武者は樹上を見上げた後、横顔だけをゆっくりと向けた。

 若者の白皙には、明らかな愉悦が浮かんでいた。


「っ!」


 制止の声を上げようとした瞬間。

 樹の間隙から光と音が爆ぜて、火を吹いた。


 バタバタと、無言で倒れていく自軍の兵。死に行く彼らを、宗忠は切歯して顧みる。


「何だ!? 何が起こっている!?」


 敵がどういう兵器を用いたかは分からないが、敵がどういう意図で兵器を用いたかは、理解することができた。


 ――我らは敵を追い込んだのではない。敵に誘い込まれたのだ……っ

 と。


 その鉄の棒のようなものを抱えて、足並み乱さず逃げていく敵兵を、残る味方が追おうとした。

 だが、宗忠は、


「追うな! 追うな!」

 そう、声を枯らしてまで繰り返した。


 敵はここまで自分たちを深入りさせたのだ。

 伏兵がたったこれだけとは思えない。

 ……おそらくは、第二陣がいる。


「背後より新手!」


 近臣の声で、宗忠は自身の判断が正しかったことに安堵した。

 だが、一方でその予測がもう少し早くできなかったのかと悔いる。

 危機そのものも、まだ去ったとは言えない。


「敵の第二波に一撃を加えよ! 敵が退いたのに合わせ我らも撤退する!」


○○○


 パーン……パーン、と。

 間の抜けたような連続音が、夜の岳に木霊する。

 それは雷鳴と同じだ。

 遠くで聞く分にはさほどの脅威とも感じないが、音が山一つほどの隔たりがある間合いより聞こえてくるのである。間近に居ればそれは、さだめし身が裂かれるが如き轟音であろう。


「あれが、都にて使われ始めたテッポウなるものか」

「そのようですの」


 応じたのは副将である三戸野五郎ごろう光角みつかど翁である。

 引き金一つで丸薬の如き小さな鉄粒が、高速で放たれるという。

 実際にその効力を知らない宗善にとっては想像もつかないが、その鉄砲とやらの真価とは、威力自体よりも破裂音にあるのではないかとさえ思う。


「それにしても響庭め、勝手な真似を……っ」


 木柵に手をかけ、眼下の戦場を望みながら、宗善は苛立っていた。


 絶え間無く続く下の喧騒が、彼の制止を無視して突出した隊の苦戦を知らせるものであった。


 だが実情はどうだか知れない。

 夜の闇は濃く、諸所であがる篝火の光はむしろその陰影を際立たせ、連日の戦闘で蓄積された疲労は、見極めようとする集中力さえ奪っていく。


「早々に呼び戻せ!」


 声を荒げて命じた宗善ではあったが、乱戦中の部隊の撤収が至難であることは承知している。

 しかし宗善の怒りの矛先は、響庭宗忠よりもむしろ、軍令を端々まで徹底させられなかった己の将器へと向けられていた。


「お味方敗走の模様!」


 と目の利く者が声を張り上げ、


「敗兵がこちらに向かってきておる模様、開門いたします!」


 と聞こえたのは、それからすぐのことである。


 ――敗兵? 崩れたとして、こんなにも早く?


 砦に在って宗善は、柵から上半身を乗り出し、目を凝らす。

 列を成して進み寄る、黒々とした人影の群れ。その頭上、白々と輝く槍の穂先が、砦の火を照り返す。


 ……その速度、その列、その多さ。


「門を開けるな。敵だっ! 射かけろ!」


 だが時すでに遅く、宗善の命令が伝播するよりも早く、それは坂を猛然と駆け上り始めた。


 向かい来る相手の正体に気付いた番兵が、開きかけた門戸を戻そうとする。

 だがその重量に難儀している内に、


「第四軍、突貫!」


 鉄砲の砲声もかくや、という大音声と共に、突き破られた。


 先頭を行く馬上の大将が、大身の槍を旋回させる。

 瞬く間に番兵二人は切り飛ばされて、


「佐古直成見参! 敵将出ませい!」


 叫んだのは王争期のものと思われる、大鎧の武者。その侵入者は、さらに奥へ奥へと突っ込んで、後続の旗本らも熱狂して男の背を追っていく。


 破った入り口を固めるのは華奢骨細の優男で、だがこれがまた細々として手と口の動きだけで、兵を縦横に動かしていく。


 わずかな光源の中、チラとしか顔は窺えなかったが、若い男である。

 自分とさほど歳の違わない人間の、際立った指揮ぶりを見せつけられるようで口惜しく思ったが、ともあれ敗け、である。


 父宗円の考案した防御は、七千の軍兵がそれぞれの持ち場を固めてはじめて機能するものである。

 その防御線も突破され、兵力も半減した今となっては無為のものでしかない。


 そこに至り、

 ――砦を、捨てる。

 という決断は、宗善の中でよどみなく行われた。


「それにしても流石は禁軍よ。軍備、将兵の練度、士気。いずれをとっても外様程度とは比べものにならぬ。笹ヶ岳砦、わずか一夜で陥落とはな」

「他人事のように褒めてもいられませんぞ、若。既に搦め手にも敵が回りつつあり。逃げるがよろしかろう」


 三戸野は、宗善の守り役であった頃より老人であった老将は、そう諫めてきた。

 シワだらけのネズミ顔、田夫のごとき卑屈な笑み。いずれも美しさとは無縁のものであるが、どことなく気品と威厳、そして愛嬌を持ち合わせた男であった。


「背後に回った敵将は?」

「響庭めが追った禁軍第五の本隊、上社鹿信」

「では……」

「はい。宗円様が『帝の側から引き離せ』と、そう挙げられた方々ですわ」


 よろしい、と宗善は首肯する。


「砦は捨てるが、目的は果たした。父上に合流し、次善の策を講じるべし」


○○○


 事終わり、夜が明けた。

 上社信守が、父と共に旭日を仰いだのは、砦の中だった。


「いやはや。どうなることかと思いましたが、上手くいきました」


 荒子瑞石の上司、佐古直成も兜を脱いで参上した。

 やぁ、と手を挙げる父に対し、直成は神妙な面持ちを作り、頭を下げた。


「鹿信卿。出陣前、帝の御前にて貴殿を侮ったこと、お許し下されい。今全軍の苦戦に際し、貴殿の言い分が正しかったと痛感させられた」

「いや……拙者の方こそ、内心で貴殿を帝の縁故で大将となった男だと愚弄していたが、それのみでないことがこの度の戦いで分かった。よくぞ駆けつけてくださった」


 鹿信の感謝は本物のものである。

 本来ならば心許ないと言えど、禁軍第五軍単独で行うはずであったのが、今回信守が提案した策だった。

 そこに正門より第四軍が呼吸を合わせて攻め込んだことで、戦が想像以上に上首尾に運んでいた。


 ――とは言え、どうにもこの空気には馴染めないな。


 互いをたたえ合う二将の背後で信守がそらした視線の先に、後続の、すなわち信守を追っていた隊と戦った諸将がいた。顔を並べて、わずかな兵を伴って大股で歩き、砦内へと案内されてくる。


「やぁやぁ皆様方も、流石の御奮闘でしたのー!」


 と、両手を広げて彼らを出迎えた直成に対し、当人たちは面白くなさそうに、と言うよりいっそ憎しみさえ感じさせる険しい顔つきで歩み寄った。


「これは一体何のマネだッッ!?」

「我らを囮に使ったのか!?」


 と、賀辞さえ述べずに吠え立てる諸将に、直成は目を丸くして面食らっていた。


「こんな無謀な作戦を立てずとも、時間をかけて慎重に事を運んでおれば被害を出さずに済んだのだ!」

「そうだ! わしらの計策を台無しにしおって!」

「そんなに戦がしたければ禁軍のみでやればよかろうっ」

「この責任をどう取ってとってくれる!?」

「兵や物資の損害は、朝廷がまかなってくれるのであろうなっ!?」


 ――無能どもが、雁首並べて埒もない……

 信守には、目の前で訴える軍装の男たちが、将には見えず、つわものにも見えず、また、人にさえ見えなかった。


 まるで泣き喚く赤子を持て余すように、苦笑いを浮かべて両手を浮かばせる直成。そんな彼に代わるように、父が自分たちの前に立った。


 信守は、目前にうろたえ者たちに浴びせるであろう、父の一喝を覚悟し、また期待もしていた。

 直成も、目の前の諸将も、無愛想にのっそりと立ちはだかった鹿信の姿に、恐懼し、あるいは恐縮した。


 だが……


 上社鹿信は、禁軍五千を率いる歴戦の勇将は、己よりも一回り年下の者たちの目の前で、その膝を屈した。


「申し訳、ありませぬ」


 掌と額を、地面に叩きつけた。


「此度の件、発端は愚息信守の献策なれど、責任はそれを採り上げた拙者にあり申す。諸将の被害は我が功に替えましても弁償いたしますので、何とぞこの場はお怒りをお収めいただきたい」


 ――父上……

 何故ですか、と。

 信守は繰り返し声なき声で問うた。


 奴らが傍観していたから我らが戦ったのではないのか。

 彼らは兵を失うことを覚悟の上でこの戦場に立っていたのではないのか。

 そのために己は知恵を絞り、自軍の兵は死力を尽くして戦い、結果見事砦を落とすことができたのではないのか。

 奴らが無為無策で惰眠を貪っていたのは、この一月の間で明白ではなかったか。


 ――そんな奴らに、何故父が頭を下げねばならない?


 だがその質問の渦を、今彼らの前で吐露するわけにはいかない。

 父の真意は知れない。だが、それ故にこそ、己の矜持を捨ててまで事を穏便に済ませようという鹿信の意志を、蔑ろにしてはならなかった。


 だが五、六名の相手の将たちは、帝の名代とも言える老人の低姿勢に満足したのだろう。張り付くようないやな笑みを浮かべ、その無様さを鼻で嗤い、


「……最初から、そのような謙虚さがあればかかる事態にはならなかったものを……」


 と言い捨てるや砦内の館に、我が戦功であるかのような図々しさで乗り込んでいった。


 それらの姿が消え、ややしてから鹿信は土埃を払って立ち上がった。

「直成殿にも、無駄な心労をおかけした」

「いや……なんのなんの」

 直成の気遣いに鹿信はもう一度頭を下げた。

 そんな父の小さな背に、信守は


「私は、間違っていたのですか。父上」


 湿った声を向けた。

 肩越しに振り返った鹿信は、我が子の率直な問いに対し「……いや」と首を振った。


「そうじゃない。お前はよくやった。だが、正しさが常に正しいとは限らんのだよ」

「…………どういう、意味ですか」

「先帝が生きておられた頃ならばいざ知らず、乱が起きてしまった今となっては、諸侯の心を宥め、第二第三の乱を起こさぬようにするのが肝要だ。今にもまして、互いの調和こそが求められる。それこそ、多少の理不尽を承知のうえでな」


 ――調和?


 調和、とは何だ?

 低俗な相手と同じ次元、いやそれ以下にまで、己を貶めることを指すとでも言うのか?

 そんな歪な形式をとらなければ、国が、王朝が、秩序が保てないと言うのだろうか?


「……分かりました。父上。はい。……理解しています」


 理解はしているのです、父上。

 信守はそう言い換えたかった。

 頭では理解しているのです。ただ、この心にしこりが残るのです。

 虫の如く、そのしこりは生きて、蠢いて、既存の理性を食い破ろうとしている。


 ――そして禁軍に在り続ければ在り続けるほどに、私は上社家に、禁軍に、朝廷に対する毒を増していく。それが分かるのです……


 信守の握り固める拳は、白々しいほどの朝日を浴びながら震えていた。


○○○


 将たちの間の軋轢、一将の苦悶などは大局には影響が無い。

 だが、一将のもたらした功に引きずられるように、全ての戦場にて官軍有利の風向きが強くなっていった。


 笹ヶ岳を放棄した宗善は父と共に御槍城に入る。

 また、北方の高所を奪われた宗流もまた、不利を悟りじりじりと後退を開始。

 じき、親兄弟の籠もる同城に退くものと思われた。


 中でもさらに武功を重ねていたのが赤池勢であった。

 とうとう亥改水軍を洋上にて粉砕し、制海権を確保。

 そのまま大渡瀬を占拠することに成功し、上陸を開始する。


 ――戦は、終局へと向かっている。

 順門府にいる全ての将が、それを確信していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る