-Epilogue-

RESTARTING

 冬期休暇の入口となった三連休を利用して木津さんに良い報告をする準備をしていたのだが、祝日を超えた先はもうクリスマスイブだったので、天皇誕生日に打ち合わせの約束をした。場所はいつもの喫茶店で。

「休日のところ申し訳ないです。どうしても木津さんと会って話をしたくって……」

 昼下がりの店内で先に待っていた木津さんは、持ち運びに適したラップトップで仕事をしていた。

「別に構いませんよ。私は土日祝日関係なく編集者として勤務していますから。喩え、明日が聖なる夜だったとしても……」

 木津さんの声が多少こもっていた。三十になって恋人のいない現実を恨んでいそうで割り切っているようにも思える。

「余計な気遣いかもしれないですけど、明日に璃々亜さんの研究所でクレイジーパーティーではない健全なクリパをやるので、良かったら木津さんも参加します?」

「嬉しいお声がけね。でも、私は国道三十路号線の交差点でワンカップを飲む人生がお似合いだから遠慮させていただきます」

「前も聞きましたけど、国道三十路号線ってどんな感じの国道なのでしょうか」

「山手通りの外側を走る環状線ですよ」

「やけに現実的な位置を示しますね。で、余談はさておき」

 本当にどうでもいいやり取りだったので、本題を切り出させていただく。

「十九日に電話でお伝えした通り、<SCTE>が創造した物語ではなく<SCTE>をノンフィクションに近いプロットでライトノベルを提案いたします。来月末迄に脱稿するべく、現状で書いた冒頭部分とシノプシスをお送りしましたが、木津さんの感想をお聞きしても?」

 木津さんは頷き、長い前髪を耳にかけて口を開く。

「期待が見事に裏切られましたね」

「ダメだった、と?」

「いいえ」

「では、ポジティブな意味合いで最高だったと?」

「いいえ」

 結局、どういう見解に至ったのだろう。有耶無耶にされては困るのだ。

「ごめんなさいね。私の能力不足で。編集者として庵君の作品を絶賛してやりたい思いは確かにあるのですが、最早……私なんかが<パラフィクション>という新体系の表現を考察する権利など奪われているようでして……」

「そんなに深く考えなくてもいいですよ。木津さんはただ、商業用ライトノベルとして売れるか売れないかで判断してくれれば」

 明確な回答を促したのだが、木津さんはコーヒーを一口飲んでから腕を組み、来たるべき時を待つ司令官のような風貌で硬直した。

 僕としては大きな転機となった作品……いや、ライトノベルであったけど、まだまだ尖りが強いのか? アトウイオリの改心が済んでいないのか……そんな不安が僕を冷や汗をかかせた。

 木津さんの目線が徐々に上がり、僕の視点に入り込む。見つめ合ったまま時は過ぎ、沈黙の対面で僕は試されているようだった。


「ーー作家さんがここまで頑張ってくれたのに、私が躊躇してはいけないようね」

 その言葉を聞いた頃には、木津さんのコーヒーは冷めていたであろう。やけに心を落ち着かせた僕は、ファミレスでティータイムを過ごしていた場面は現実のほか架空世界でも出現していたことを想起して、墓標となるフォークがないことに安心した。

「庵君が肌で感じ、その綺麗な眼で確かめた世界が収められた作品は売れるか売れないかで判断するのではなく、私と庵君の努力……それと増井さんの協力を無駄にせず……

 頬を緩くした木津さんの声は、店内に流れるクリスマスソングと上手く馴染んだ。綺麗でそつのない演出だなと褒めたら、舞台監督の存在意義を強く否定する純玲ちゃんが嫌な顔をするだろう。

「じゃあ……僕が提案した作品は」

「そうですね、一月末迄の予定でしたが少し早くお願いできますか? 第三週くらいまでに初稿を送っていただければ非常に助かります」

 前進となる許諾をいただき、僕と璃々亜さんが巻き起こした<SCTE>の一騒動が無駄にならないと判りホッとした。

「だけど、大丈夫なのですか? 木津さんの独断で企画を通して……」

「余計な心配ですよ」

 と、僕を嗜めるデコピンをしてくれたが、すぐに木津さんは俯いて恥ずかしそうに頬を赤に染めた。僕が不思議そうに窺っていると、


「偉そうに言ってすみませんねえ。既に編集長から庵君の新作企画について出版の了承を得ていましたのです」

 肩透かしを喰らった僕は全身の力が一気に抜けて、バッテリーを取られた電気人形の如く額をテーブルに打ちつけた。

「あら、珍しいですね。庵君が芸人みたいなリアクションをするなんて」

「そりゃそうですよ……葛藤していた木津さんは僕を揶揄っていたのですか」

「庵君の新作を読んでいると、<SCTE>のシュルレアルリライトを参考に自分のキャラクターをちょっと変えたく思いまして。ほら、担当している作家の再起を独断的な裁量で成功させた方がカッコ良いじゃあないですか」

 子供っぽい笑顔をする木津さんはその一瞬、僕との年齢的な隔たりを取り除いた。

 僕は木津さんの茶目っ気に一切の不満を懐かなかった。理由は三つ。ともあれ、僕が導き出したライトノベルは第三者の眼からでも通用していたことが一つ。璃々亜さんが本心を曝け出してくれたように、木津さんの純粋な個性を拝見できた嬉しさが一つ。もう一つも木津さんに関することだった。

「まあ、木津さんの面目を保てて良かったです」

「ふむ、庵君は編集者である私の立場も憂慮されていました?」

「当たり前ですよ。アトウイオリの取扱いに失敗したと木津さんが思われてしまったら、僕にとって非常に悲しいことになります」

 木津さんがクビにならなくてよかった。編集者の迷惑にならないように仕事をこなすのが小説家の務めである、と言い切るのは模範生ぶっているだろうか。

「確かに庵君が出版社側の意向に適った小説を書いてくれたのは仕事として望ましいことですが、編集者から離れた一人の女性から考えても微笑ましいことです」

 前髪を大げさにかきあげた木津さんは、いつになく潤んだ瞳の流れ星をファミレスの一席に降り注いだ。

「庵君、今までとは違う……とっても良い顔をしているわね。本気の恋、したでしょ

?」

「どうもキャリアウーマンです、と言い出したらギャクだと見做していいですかね」

「ご自由にどうぞ。庵君の心象世界の季節が変わったのは、幼馴染の垂水さんとの関係が更に良好になった……それとも璃々亜さんとの交際が始まったとか?」

「明確な起因ですけど、しょうもない小説家のメンタルサプリメントに純愛は適しません」

「その言い回し、センスが光りますね。使わせていただきます」

 長閑な談笑から繋がり、僕は璃々亜さんのこと……そして、もう一人の自分に触れるべきだった。

「恋愛感情は抜きにして、今後も璃々亜さんと<SCTE>を原作にしたストーリーラインを綿密に構築したいと思います」

「増井さん、原作者みたいなポジションになるのね。それでも充分に良いですけど、<SCTE>で生まれた庵君についても興味深いところですが……」

「逆に木津さんはどう思いました? プロット形式でシュルレアルリライトの顛末を読んで……」

「<パラフィクション>と同等に難しい事象です。増井さんの脳を支配していた<SCTE>の菅野庵は現実の庵君と何が違ったのか……人間の自我とは同じものではないのか……研究者でなくても追究したいことが多いですね」

 しみじみと感想を述べる木津さんの目線が徐々に上がっていく。情報科学が齎したファンタジー……いや、テクノロジーに感銘を受けているような様子だった。

「璃々亜さんと僕と純玲ちゃんの物語、もっと知りたいですか」

「勿論です。編集者としてアイデアを詰め込むことは有意義ですから」

「じゃ、やっぱり明日クリパに来てくださいよ。限りなく架空に等しい現実の憶出を語り合いましょうよ」

「魅力的なお誘いね。でも、ババアが若者に混じってはしゃぐなという世間の声が耳に入ってくるのは私の幻想でしょうか」

「そこは愛嬌で乗り切りましょうよ」

「うーん……<SCTE>の人格形成も気になりますけど、私があと十歳若ければなあ」

 三十路なりの(失礼な言い方だが)プライドがあるようで、学生の僕達とクリスマスを祝うことに抵抗を示している木津さんだった。

 僕一人の語りで確実に伝えられるかどうか不安な物語には、僕の仲間であり敵であった璃々亜さんと、ずっと附き添ってくれている純玲ちゃんの視座を介入するべきなのだ。

 年齢に縛られる木津さんのために、二人を呼ぼうと携帯電話を手に取る……


「--私の愚かさで生まれた<SCTE>のイオリさんは私の死を代理していたのではなく、シュルレアリスムの重荷を引き受けるために存在した、という仮説は如何でしょうか」

 斜め後ろから聞こえた声は誰でもない<SCTE>の当事者だった。僕が振り返る前に木津さんが反応をした。

「増井さん?」

「ええ、増井璃々亜です。先日の打ち合わせではご迷惑おかけしまして申し訳ございませんでした」

 暖かそうなPコートを着ている璃々亜さんは深い御辞儀をして、シュルレアルリライトの影響を受けていた過去の増井璃々亜と違う……素の表情を露わにする。

「今日、木津さんと二人で打ち合わせすることって僕から言ってましたっけ?」

「さあ、どうでしょうね」と、意図と偶然の境界線を不確かにする返事をした。まあ、十中八九……昨晩に電話で今日の予定について言った相手である純玲ちゃんの暗躍だろう。

「なお、垂水さんももう少ししたら来ます」

「やっぱりか」と、僕はほどなくして納得した。

「ともあれ、丁度良かったです。増井さんが来てくれたなら、<SCTE>の顛末について参考までに拝聴したく思うのですが、よろしいでしょうか?」

「編集者さんの力添えになれることなら」

 二回目の対面となった木津さんと璃々亜さんの間には緊張の壁はなかった。実際に共有した時間は僅かであるが、璃々亜さんの本質が木津さんという世界へ向けて開放された証として平穏な空気が流れている。

「折角ですので、クリスマスイヴの前夜祭パーティーを此処でします?」

 僕の何気ない……冗談半分な提案に対して、

「わあ、楽しそうですねえ」と璃々亜さんは無邪気な情意を包み隠さず言葉に乗せて僕の隣に座り、

「皆さんの邪魔にならないよう、静かに聞かせてもらおうかしら。三十路のOLは自重するべきものね」と木津さんは肩身を狭くし乍らも璃々亜さんとの同席に賛成した。


 斯くして、情報工学少女と文学少年と……超絶美少女(知的美少女だったか?)はまだ来ていないが……めいめいの胸裡に映った憶出の色が個性溢れる声音のおたまじゃくしになって流れていく。

 その物語の題名は《Surreal Character Transfer Engine》--僕とが戦った言語世界はきみを救い、新しい人生と価値観を御丁寧に提示してくれた。

 

 シュルレアリスムの幻影は未だに残存しているかもしれない。璃々亜さんの研究所に初めて訪問した際の旅路を振り返り、『アルゴオルの城』が見せてくれた幻想世界の残骸を拾ってガラクタ以下の廃棄物であることを悟る。

 然し、僕を現在迄繋ぎ留めてくれた過去の自分が無駄ではなかったとは思いたくない。現実から逃走し、同じ境遇であった情報工学少女と運命を分かち合った《Surreal Character Transfer Engine》は僕等の超克の証となる。


 --情報工学では証明し得ない文学で、私はあなたの幸せに寄り添います。


 そう呟いたのは紛れもないのきみだったから、僕も素顔のままで居られる……という台詞は何処の台本にも書いていないし誰からも言わされていない。喩え僕の卑見が嘘であったとしても、イミテーションを貫き通してリアルと同化する気概を保持すれば如何なる困難をも打破できる。


 僕はこの物語を書き終わった。そして、僕を支えてくれた皆のために爾後も書き続けていく--。

                                  (了)

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Surreal Character Transfer Engine 春里 亮介 @harusatoryosuke

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