23章

 2016年7月8日5時45分ごろ、正平は泉駅にいた。昨夜は、仕事を終えてから高速バス「いわき号」で来た。泉駅周辺にコンビニがないことは先月の調査で知っていたので、いわき駅で30~40分の待ち時間があるからそこで買い出しやら食事やらをする予定ではいたけど、高速バスの宿命なのだろう、大きな遅れが生じてしまい常磐線の乗り継ぎに間に合うかどうかというタイミングでの乗り換えになってしまった上に、仕方なく泉駅から結構な距離を歩くコンビニで買い出しをしていたら、雨まで降ってくるという最悪な移動でのチェックインとなってしまった。上手くいかないときは上手くいかないことのほうが多いので、今日の旅へのなんとなくの不安を抱えながらのスタートになってしまった。


 ホテルの前には県道240号線が走っているのでそれを東に向かって歩いていくと、いつの間にか県道15号線になり一気に小名浜の市街地へと入っていった。古くからの町並みには朝早くからの通勤通学だろうかバス停には意外と多くの人がいて、マイカー通勤だろうか車両の往来も意外に多くて朝早くから賑やかな町だった。やがて「アクアマリンふくしま」と書かれた矢印が見えたのでそれに従いながら海岸を目指して歩いていくと、視野が広くなるにつれて工事中の看板とパイロンが増えていった。やがてなにもない広大な空き地が見えてきて、道路と駐車場とアクアマリンふくしましか見えなくなった。アクアマリンふくしまの駐車場には「祝 開通 アクアマリンふくしまへの道。」と書かれていたので正平は開通したばかりのその道を歩いて来たのだろうか、道の脇にはこれから架けられるのだろう歩道橋が触れるような位置に横たわっていた。少し前に見たバス停には日常を取り戻したかのような光景があったけど、ここに日常の光景はなかった。遠くの大きな通りには犬を連れて散歩している人が視界の右から左へとずいぶんと長い時間をかけながら歩いていくのが見えていて、音楽を聴きながらウォーキングをしていた女性の後ろ姿はアクアマリンふくしまの敷地に入るまで見えていた。海は見えないけど広くてなにもない土地に、正平は思わず立ちすくみそうになっていた。この旅が北上していくにつれて東日本大震災の被害の大きさが現実のものとして見えてきて、それに伴って復興の厳しさや忙しさも見えてきて、なんとか皆さんの日常生活や復興の邪魔にならないようにしながら最後まで旅を続けたいと、そう願うしかできなくなっていた正平だった。


 それにしても、こんなに至近距離で歩道橋を見る経験はそんなにはないだろう。ところどころに空いている鉄骨の穴に妙に興味を惹かれ、正平は中を触ってみた。コパーンという響きが遠くまで届いていく感覚はとても心地よかった。あまりにも心地よくて、何度も叩いているうちに面白くて楽しくて夢中になってしまった。もう少ししたら夏休みになる。その頃にはこの歩道橋を渡って多くの子どもたちがアクアマリンふくしまへ行くのだろうか、早ければ今年、遅くても来年の夏休みまでは歩道が整備され歩道橋が架かりそうな道路工事の進捗状況を見ながら、未来への想像に勇気をもらっていわきマリンタワーの方に向かっていった。


 海岸沿いを通る道の歩道は、まだ新しかった。沿道の家も新しかった。そんな新しい町並みを快適に歩いていると「東日本大震災 津波浸水深ここまで」と書かれた表示がありその高さを見上げて驚きながら岬トンネルをくぐった。すると道は一気に登り始めていった。やがて広い公園を左に見ながらぐんぐんと登って行くと、道は公園を回り込みながら高度をあげていき小名浜の海と町を一望できるようになっていった。ここから見る小名浜の町や港や海は、昔からあるところと新しくできたところと新しくなるのを待っているところが、しっかりとわかれているようだった。復興の規模と大きさとを改めて感じながらも、それを担う人たちの力強さとが小名浜の港や町の全体に鳴り響きながらこの小高い丘まで伝わってくるような迫力が感じられた。そんな小名浜を見渡せる場所にあるいわきマリンタワーは、雲の隙間から漏れてきた朝日を後光のようにまといながら優しく美しく神秘的に輝いていて、しっかりと町を見守っているようだった。


 いわきマリンタワーをあとにして、海に近い県道15号線を正平は北上した。永崎海水浴場を過ぎると海沿いに行く道は工事中のようで行けるかどうかがわからなかったし、工事の迷惑になる可能性も高いと感じた正平は県道15号線をそのまま北上することにした。山の中のような道が続いていたけど狭いトンネルもあったので危険を回避するために、合磯岬に向かう道を正平は選択して海沿いの道へ出た。知らないうちに県道382号線に入っていて、「国立病院機構いわき病院」を過ぎると沿道は家の土台だけが残っているばかりという状況になり、やがて道路自体が工事中で通れなくなって県道15号線に戻らなければならなくなってしまった。ダンプカーやミキサー車が頻繁に行き交うからかいたるところに交通誘導員が配置されていて、歩いてきた正平一人のために車両を止めて通してくれるという交通整理をしていたので、それはそれは恐縮しながら通行していった。


 塩谷岬にも寄ってみたかったけど、そちらに行く道も工事ラッシュで通れそうもない雰囲気があり、もし通れるとしても交通誘導員に迷惑をかける可能性が高い気がしたので、塩谷岬に寄ることを断念して正平は県道15号線を北上することにした。県道15号線は山の中に向かっていた。しっかりと歩道が整備されていたので歩きやすかったけど、やがて見えてきた新しい団地は復興住宅だろうか、テレビで見るのとは少し違う雰囲気を放ちながら視覚から入ってくる被災地の生活の現実に、見なければいけないという思いと見てはいけないという思いが湧いてきて心が揺れに揺れていた。それでも正平は、北上する足は止めなかった。一度止めたら二度と動き出せなくなるような気がして、現実と揺れ動く自分の心から逃げるような後ろめたさを感じつつも先へ先へと進んだ。


 やがて左に仮設住宅が見えてきて後ろめたさを一層重く感じながらも、このまま県道15号線を進むと相当に内陸まで連れていかれてから海沿いの四倉へと戻ってくるという回り道になるので、県道241号線を右に曲がってから海岸沿いの県道382号線に出て北上することにした。県道382号線に歩道はなく道幅も狭かったけど、交通量はそれほど多くはなかった。それでも時折来る車両は大きめのトラックやダンプカーが多かったので、それなりの注意は必要だった。堤防のいたるところに工事車両の出入り口があり多くの交通誘導員が張り付いているあたりに復興の最前線であることを感じながら、左に広く伸びている道が県道160号線だと直感で決めつけて、それを左に曲がって四ツ倉駅に着いた。国道6号線または陸前浜街道と地図で書かれているところ以外は静かな町だった。四ツ倉駅からいわき駅の間の常磐線はIC乗車券が使えない路線だったので、手持ちの小銭入れの金額では足りなかった正平は慌ててバックパックから財布を取り出して切符を買った。震災前からなのか、今は途中までしか行けないからなのかはわからなかったけど、いわき駅までは普通に使えていたIC乗車券が使えないということに、少しだけ切ない違和感を抱きながらの家路だった。

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