22章

 2016年6月10日9時25分ごろ正平は、北茨城ICにいた。目の前を通っている県道69号線を伝って国道6号線が走っている海岸に着くと、先月の旅で寄るかどうか迷った温泉施設があった。北茨城ICからここまで約3キロの道のりを、30分ほどで来た。先月に温泉施設によるかどうか悩みながら見ていた地図上の計算では2キロだったけど実際には1キロも長かったので、立ち寄っていたら「いわき号」に乗り遅れた可能性はかなり高った。寄らなくて大正解だったことに満足しながら、正平は国道6号線を北上した。


 六角堂に向かうために県道154号線を東に進むと、すぐに県道27号線に変わった。沿道には空き地や土台だけになった家があったり、新しい家屋と残った古い納屋の家があったり、昔からある家もあったり、少しだけ高台には震災前と変わらない感じの町並みがあったり、そんなには大きくはない町に多くの爪痕が集約されているあたりに、津波の破壊力と複雑さの現実を見せつけられた気がして正平のショックは意外なまでに大きかった。空き地や土台だけになったところでは、きれいな花が咲き誇っていた。大なり小なりはあるけどそれぞれに素敵な花壇を作っていて、毎日のように手入れされているようなところもあれば、月一回ぐらいの感じのところもあり、年に一回ぐらいしか来れなくて植え替えるしかできないような感じのところもあったけど、そのどれもが切なくて悲しい中に優しくて温かい願いを込めていることが感じられた。その願いが風に揺られて風に舞う花の香りに包まれながら町中に漂っている気がして、亡くなられた方への冥福とこの町で暮らす人とこの町で暮らしてきた人の幸せと一日でも早い復興を心から願わずにはいられなかった。震災の町で生きていくという現実の重さを知った気がした。いや、知ったなんて簡単に言えることではないことのような気もする。目の前の現実を伝える言葉もないような気がする。ただ自分は忘れてはいけない人である、ということは確かなことでだということを幾度となく胸に刻みながら、正平は六角堂を目指して歩きだした。


 突然、

「うわーっ」

という悲鳴が聞こえたと思ったら、黄色い帽子を被って赤いランドセルを背負った女の子が、左の坂道から転がってきたかのような勢いで正平の前に飛び出してきた。 「ごめんなさい」

と言いながらぴょこんと頭を下げて、正平の脇を抜けて走りだした女の子は、

「あっ!」

と叫びながら戻って来て、再び正平の脇をすり抜けて、

「お母さん! おはようございます! 行ってきます!」

と数メートル先の花壇に向かって挨拶してから、知らないおじさんに驚いたように立ち止まった。正平の驚いた顔がおかしかったのだろうか、すぐにニコッと笑った。微笑ましい女の子の元気につられて正平も笑顔になって、

「おはよう!」

と声をかけたら、女の子も、

「おはよう!」

と言いながら、ここに家があったこと、母親が震災で亡くなったこと、母親が好きだったひまわりがもうじき咲きそうなことを一生懸命に話してくれた。見た感じでは小学1~2年生ぐらいだから母親の記憶はそんなに多くはないかもしれないと思いながらも、女の子の話を一生懸命に聞いていたら、

「ゆうちゃん! 早くしないとみんなに迷惑がかかるでしょ!」

という港じゅうに響き渡るような大きくて野太い男性の声が聞こえた。 父親だろうか? 近所の人だろうか? 親戚の人だろうか? 深くは詮索する必要のないことと思いつつも、単に遅刻を心配していたのだろうか? それとも不審者を警戒していたのだろうか? という思いも交錯しながら、彼の姿が見えないのでわからなかったけど、かなり威圧感のある声だったので正平もゆうちゃんも怒られないうちに学校に向かったほうがいいだろうと判断して、正平はゆうちゃんに「バイバイ」と言いながら手を振った。ゆうちゃんは、何回も振り返り激しく手を振りランドセルを上下に揺らしながら走っていった。木更津のゆうちゃんのように転んでけがをしないだろうかと、正平が心配になるぐらい何度も振り返りながら手を振って走って行く姿を見ていると、お母さんのぬくもりをしっかりと感じながらこの町全体に育てられているような感じがして、素敵な町だと思うのと同時に震災が恨めしかった。


 ゆうちゃんと別れてから見えてきた急な坂を登って行くと、すぐに五浦海岸になった。念願の六角堂は入場料を払ってでも見たかったところだけど、入り口の地図を見たら奥行きが深そうで時間が読めなかったのでかなり迷った。受付にいた女性が正平の迷いを見透かしたかのように「ようこそ、いらっしゃいませ」と声をかけてきたので少し驚いて一歩下がってしまい、その流れで彼女に一礼をして立ち去ってしまった。帰りの「いわき号」はすでに予約していたし、六角堂は海の近くの建物だからどこかから見えるだろうという期待もあっての選択でもあったけど、ホテルや旅館などが上手く建ち並んでいて海を見ることがやっとの状況ではあった。半分は商売上手だと感心しながら半分はケチと八つ当たりしながら、五浦海岸を北上して行った。


 知らない間に県道354号線に入っていて。「天心」の名前が見えなくなったころに、右斜めに入って海岸線に出る道があったのでそちらを進んだ。海はきれいだった。後ろを振り返れば六角堂が見えるかもしれないと思ったけど、見えなかった。それはそうだろうとわかりきってはいるけど、正平はなかなか諦めがつかなかった。苦戦することを承知の上で砂浜の上も歩いて見たけど、あの崖がなければ見えただろうという崖が見え続けて残念な気持ちになるだけだった。本当に残念だったけど、あんこう鍋のポスターを見た瞬間に一気に正平の気持ちが切り替わった。いつか六角堂を見ることとあんこう鍋を食べるために、五浦海岸に来ることを楽しみしながら海岸沿いの道を北上した。


 道なりに進むと国道6号線に入り、しばらくすると「勿来の関」の表示が見えた。最初は読めなくて困ったけど、「なこそ」と読むことを知るとそれ以降は二度と忘れることはなかった。ただ福島県にあるものだとばかり思っていたのに県境表示を見ていなかった正平は、自分がまだ茨城県にいると思っていたので少し混乱した。それでも国道6号線を進むと交番があり、福島県警の文字が見えた。正平は記憶違いではなくてよかったと思いながら一安心して国道6号線をさらに北上して行くと、まっすぐ行く道は県道56号線になり国道6号線は右に曲がりながらバイパスになるようだったので県道56号線を進むことにした。そういえば、松尾芭蕉さんが奥の細道にある白河の関はどのようなところだったのだろうか? 確かに東北までの道のりを考えると江戸時代から五街道として整備されていた奥州街道のほうが、早くて楽な道中のような気もする。陸前浜街道が整備されたのは、そんなに古くはないのかもしれない。そんなことを考えながら大きな川を渡るといつのまにか県道20号線になり、しばらく山里のようなところを歩いていくことになった。


 小さな川を渡ってから左に向かうと、泉駅がある。泉駅に向かう道は住宅街だった。小学生の下校の時間だろうか、歩道の右にも左にもランドセルを背負った子どもたちが賑やかに遊びながら歩いていた。見守りだろうか? ところどころでお母さんらしき人が、子どものグループと一緒に歩いていた。ふと朝に会ったゆうちゃんのことを正平は思い出していた。彼女も今ごろは元気にお友達と遊びながら帰っているのだろうか。彼女のことだから元気に走りながら、みんなと楽しく帰っている気がする。それを、町の人々と家族とひまわりのお母さんが優しく見守っているような、そんな気がした。


 泉駅の近くにはビジネスホテルがあったので、来月はそこに泊まって常磐線と離れてしまういわきの海岸線を伝って、再び常磐線が近づいてくるまでの40キロぐらいを歩くという基本計画を決めた。そう決めると帰りの道も来月の旅の計画には重要なものになり、泉駅からいわき駅までの時間やいわき駅周辺の食事処やコンビニなどをチェックしていた。そういえば、この旅で初めて下見らしい下見をしているのではないかと思いながら改めて計画の大切さを感じた正平だったけど、細かい計画は自分の性に合わないことも感じながらの家路だった。

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