9章

 2015年5月8日9時30分ごろ、正平は安房自然村バス停にいた。先月の失敗を取り戻すためにも館山に泊まってからのロングランという手も考えたけど、館山駅から安房自然村に向かうバスの始発はそんなに早くはなかったので、千倉駅か千歳駅の行きやすい方を目的地にした20キロぐらいの道のりにして、出発を十分に時間に余裕があるような計画を立てていた。品川駅発の高速バスの始発に乗って、お日様に向かいながら木更津駅に着いて、内房線に乗りながらボーッと眺めていた浦賀水道は歩きながら見るのとはまったく違った騒々しい雰囲気で驚いたり、一瞬クジラかと思ったのは実は潜水艦で航行しているところを初めて見たり、館山駅からのバスは剣道の大会でもあるのだろうか防具と竹刀を持った高校生がいっぱい乗っていたけど全員が券を見せるだけで乗降車していたので彼らが降りて乗客が正平だけになったところで運転手さんに聞いてみたら房総半島限定で電車もバスも乗り放題のフリーパスがあることを知り、再来月は鴨川近辺に差し掛かるはずだからフリーパスを使いながら1泊2日の観光も兼ねた旅にしようかなどと考えたりして、意外と楽しい時間を過ごしながらの気楽にやってきた。


 国道410号線と房総フラワーラインを軸にして海岸に寄れるところは寄るという、そんな今日の旅のスタートを切ると、しばらくは先月の続きのように歩道という歩道はなかったけど、じきに広くしっかりと整備された歩道が現れたので、そこを歩いていると三浦半島も伊豆半島も見えない大海原だけという絶景の連続で気持ちが良かった。5キロぐらい歩いたところで房総フラワーラインと国道410号線が分かれたので、海沿いを行く国道410号線の方を進んだ。そこは、ガードレールは右にあったり左にあったり左のガードレールの内側はやぶだったり右のガードレールの内側は砂丘のような感じだったり、ガードレールはなくて路肩のような広いスペースがあるだけだったりして、歩道はあるようでなくて歩きにくいところはあったけど、それよりも正平を困らせたのは、通過していく車両のスピードだった。軽自動車でも反対側にいる正平まで風圧を感じるぐらいの猛スピード走り去っていくので、千葉県の交通事故の統計って全国でも悪い方だったはずというおぼろげな記憶は、たぶん間違いではないことを確認させられるような状況ではあった。


 やがて左右にしっかりと歩道が整備された見晴らしのいい道になったら、野島崎があった。先月に館山を出発してからどこをどう歩いているのかがわからなくなっていた正平は、ようやく目印となるところに着いた安堵感と天気がよかったことも相まって寄り道をしてみることにした。房総半島の一番先っぽに立って正面にどこまでも広がる太平洋を、右に来た道を、左に行く道を、という感じで見ていたら、なぜか伊能忠敬さんのことが気になってしまった。測量しながら進んでいく彼の旅は、明確に自分のいる場所がわかっているわけではないのから相当に大変だっただろうと思いつつも、天文学が大好きで北極星が見える角度から地球の大きさを割り出すという目的も地図作りにつながったという説に妙な説得力感じ、そんな旅を成功へと導いた力量にそこはかとない尊敬を覚えながら正平は再び歩き出した。歴史の偉人に想いを馳せながら歩いていると、先月にバスを待つ間にぶらついた町の景色や帰りの高速バスから見た景色になった。もう少し山側に行くと房総フラワーラインがあってお世話になった食堂やバスセンターがあるはずだけど、今日はそのまま通り過ぎることにした。


 それにしても天気がいい上に海岸沿いを歩いていたので、本当に気持ちがよかった。当然にペースも上がってはいたけど足の痛みもあらわれず、やがて影のでき方から自分が北へと向かっていることが分かるとよりペースを上げて快調に歩いて行った。そんな正平の目に船が見えてきた。「道の駅ちくら 潮騒王国」という標識を見て今日のゴールが近いことを感じた正平は、そこで一休みすることにした。でも、それは口実でそこにあった陸に上がっている船が面白そうなので乗ってみたかった、という子どもじみた動機で立ち寄っただけだった。一応はプールに浮かんでいるから多少の揺れを感じながら、意外なまでに狭くて複雑な構造をしている船内の探索とデッキから見える太平洋との一体感を一通り楽しんでから海沿いの道の北上を続けた。


 気楽に気持ちよく歩いたからだろうか、少しだけ内陸に逸れて千倉駅で今日の旅を終了させて駅の近くで食事でもして帰るつもりが、逸れる場所を間違えてしまったために千歳駅に着いてしまった。地図で見た感じで千歳駅には食事できるようなところはなさそうだったので千倉駅に行くつもりだったけど、間違えたものは仕方がないし運良く絶妙なタイミングで電車が来ることもあって、こんなことなら道の駅で食事をしておけばよかったという後悔をする間もなく汗拭きシートで体を拭いて館山駅まで戻って食事をしてから、館山駅で予約ができることを知った高速バスに乗って家路についた。

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