1章

 2014年9月14日7時30分ごろ、東京都中央区にある日本橋に正平は立っていた。首都高で装飾の先端だけはよく見かけるけど、こんなに近くで下からまじまじと日本橋を見るのは初めての経験だった。こうしてじっくりと見ると、凛とした道標としての風格を保ちながらもどこか寂しげな佇まいで、外面的にも内面的にも陰影のバランスが絶妙で本当に素晴らしい橋だと正平は感じた。そんな日本橋をスマホとデジカメで写してから、本来の目的である可能な限り海岸の近くを走って、いけるところまでいってみる旅の第一歩を歩もうとしたけど、地下鉄で来たことと記念写真に夢中になったことで正平は方向感覚を少しだけ失っていた。第一歩は絶対に間違えないようにしたいけど、スマホは走行記録を残すためにバッテリーを可能な限り温存したかったので使わずに、近くにあった交番の地図に見入っていたら、

「大丈夫ですか? どちらまで行かれるのですか?」

と、交番の警官に満面の笑みで声を掛けられて、「東日本大震災の被災地」「北の方」「ここから一番近い海」という目的地を伝える言葉を3つ思いついたけれども、それでは警官も正平自身も混乱しそうだったし、いっそうのこと旅の目的を話して見ることも考えたけど、それもちょっと気恥ずかしかったので、

「大丈夫です」

とだけ笑顔で答えて、幸先良く晴れていたからできていたビルの影を頼りに、こっちが南だろうと思われる方向へと一歩目を踏み出した。


 日本橋があるのは中央通りだから、南に向かって走り出せばすぐ右手の方に東京駅が見えるはずで、見えなければ引き返せば大きなミスにはならないだろうという単純すぎる読みと、こんな感じで大丈夫だろうかという旅そのものの行く末に少しだけ不安を抱いたままで正平は走り出した。二つ目の大きな交差点で右を見ると、東京駅八重洲口の大きな屋根が朝日を浴びて輝いている姿が突き当たりに見えたので一安心した。このまま中央通りを進んで晴海通りと交差したら左に曲がって、ひたすら晴海通りを進んでいけば国道357号に出るから、それを左に曲がって京葉線を追いかけていけば、今日の迷子にならない程度に最も海の近くを通るルートになる、それが地図で想定したルートだったけど、9月の半ばとはいえ朝の直射日光はまだまだ暑く、また日常の生活では立ち寄ることがない銀座という街にも少し興味があったし、晴海通りのように大きな通りだとそろそろ通勤ラッシュが激しくなる頃かもしれないと思い、一つ手前の銀座三丁目の交差点を左へと曲がった。


 それが大誤算だった。歩道は広めだったけど歩行者の通行量が意外に多かったので、ここは人の流れに任せて歩くことにした。朝の銀座の街は、開店前で深い眠りの底にいるような店舗の静寂と、これからの戦いを始めるための準備運動をしているかのような一般の会社への通勤の人々の喧騒が入り乱れて、上品な大人の街という正平の銀座のイメージ豪快に叩き壊していった。やがて通勤ラッシュは築地の交差点で解消したので、キリスト教の教会とイスラム教のモスクが合わさったような築地本願寺を右に見ながら再び走り始めると、今度は児童の通学ラッシュと重なってしまった。時折、正平に「おはようございます!」と挨拶する子供もいて、そんな元気が溢れる子供達に元気を分けてもらいながら彼らの歩調に合わせて歩いていると、やがて突き当たりになったので、そこを右に曲がって晴海通りに出たところで左に曲がった。晴海通りに出てからも、駅から会社へ向かう人々や家から駅へ向かう人々が、上手にバランスをとりながら歩道を埋め尽くして流れていく通勤・通学ラッシュだったので、勝鬨橋を渡って再開発然とした雰囲気のある晴海の街を見物がてらに歩いた。東京で生まれ育った割には通勤・通学ラッシュに慣れていなかった正平にとって、リスクの完全なる盲点になってしまったことを大いに反省した。


 晴海三丁目の交差点を過ぎると人通りはほとんどなくなったので、再び走り始めた。上りと下りが分かれている奇妙な橋を渡って豊洲埠頭に入ると、ゆりかもめの高架線路を見上げながら、築地と豊洲って意外と近いもんなんだなぁと思いつつ、このあたりのどこが新市場になる場所なのだろうかとも思いつつ、予想外に歩く事になってしまった時間を取り戻したいという焦燥感にかられて、とにかく先を急ぐように走っていた。急ぐ旅ではないのだということを何度も体に言い聞かせたけど、曲がる場所を間違えたという焦りからか体は言うことを聞かず、結構なアップダウンのある大きな橋を、かなりテンポを上げながら駆け抜けていった。


 地図上では晴海通りを追いかけて東雲で国道357号に出る予定だったけど、どこで逸れたのか、あるいは東JCという地図の表示を東雲の交差点と間違えていたのか、とにかく交差点の表示は「角乗り橋北」になっていたので、一瞬、ここはどこ? という思いに正平は包まれたけど、湾岸高速らしき片側三車線の広い道路を挟むようにして片側二車線の大通りが左右に配置されているあたりに通称湾岸道路の雰囲気が満ち溢れていたので、これが国道357号だと確信して、より海に近い対岸の歩道へと渡ってから左へと方向を変えることにした。橋を渡りきったあたりで、この旅で初めて見る海と東京ゲートブリッジが、朝の慌ただしさを終えて一息ついているかような日ざしに包まれて、優しく温かく美しく輝いていたので、スマホとデジカメに写しながら、海にこれからの旅の安全を祈願して国道357号を東へと向かった。


 国道357号の歩道は狭いわけではなかったけど、沿道の植え込みや高架下の敷地から伸びた背丈のある雑草が所々深く茂っていて、人や自転車とすれ違う時は止まらないといけない状況で、コンクリートジャングルなのか雑草ジャングルなのかわからない感じだったので、そんなに気持ちよく走れる状況ではなかった。やがて、沿道の植え込みもなくなり、右も左もコンクリートとアスファルトだらけになり新木場の駅が見えてくると、歩行者の通行量も多くなってきたので再び歩いたら、急に右足も左足も、足の甲も裏も、太ももの表も裏も、足の付け根までも痛くなってしまったので、無理をして走ることをやめて歩くことにしたけど、それでも相当に痛かった。知らない道を歩いたり走ったりと急激なペース変化を繰り返してきた影響が、スタートからちょうど10キロ手前ぐらいで出てきた感じもするけど、これから回復するのか悪化するのか自分の体ながらわからないからところもあるので、もう少しだけ歩きながら様子をみることにした。


 新木場の交差点を過ぎると、今まで歩いてきた右側の歩道がなくなってしまった。仕方がないので信号を結構長い時間待って左側に渡ってから進むことにしたら、今までで最大級クラスの大きな橋が架かっていた。その橋のたもとから見えた東京スカイツリーは見事なまでに青空に浮かび上がって雄大だったけど、さっきまでは急いで走ってたし普段は車で通過するだけだったから気がつかなかった橋の高さというものを、歩いたことで初めて感じている高所恐怖症の正平は、その風景を楽しむどころではなかった。スカイツリーは見たいけど、橋は怖いから少しでも早く橋を渡りたい、なのに足が痛くてペースを上げらない。そんな状況に、ここで自分は一体なにをしているのだろうか? という疑問が頭をよぎり、少し混乱し始めていることは正平自身も感じていたけど、こちらの方も様子見ということにしてもう少しだけ先に進むことにした。


 やがて橋が下り始めると、体が重力に引っ張られて加速しそうになるのを、痛い足で必死になって抑えるという、これも初めて経験する事態になっていた。ベテラン俳優が視聴者の思い出の場所を自転車で旅をしていく、そんな番組が正平の頭の中にフッと浮かんできた。あの番組で彼は「人生、下り坂、最高!」って叫んでいたけど、限界に近い状態で歩いていると下り坂も相当にしんどくて、「自転車は楽かもしれないけど、歩いていると下り坂もしんどい!」って叫びたい心境ではあった。でも登り坂を走っているときの俳優さんの顔はかなり辛そうで自転車も大変そうだし、俳優さんの名前が自分と同じで似たようなことをしてたりすることから妙な親近感も湧いてきて、確かあの番組は東日本大震災の直後に始まって悲惨な映像が流れ続けていたテレビの中で見ているだけでずいぶんと気持ちが和んだことも思い出したりして、正平の気持ちは少しだけ楽になった。そうなると不思議なことに体も少しだけ楽になってきたので、もう少しだけ歩いてみようと足を前に進めた。


 橋を渡りきると葛西臨海公園の大観覧車が右に見えてきて、やがて環七の交差点に差し掛かると驚くことに歩行者は歩道橋のみでしか渡れない構造になっていて、エレベーターもあるにはあるけど旅の目的を思い出すと使うことも妙にためらわれて歩いて渡ったけど、正平はすっかりやる気を無くしていた。でも、最長で40キロ、稲毛海岸ぐらいを想定していた初日が都内で終わるのも情けない気がして、せめて千葉県に入るまではと歩いていくと、また橋があった。もう高所恐怖症なのか橋恐怖症なのかもわからない心境になってはいたけど、この橋を渡ればおそらく千葉県に入るはずだという思いから、僅かに残っている力をふりしぼって橋を登っていった。橋を登りきるとディズニーランドのホテルが、正平の目の前に現れた。ほぼ同時に浦安市の看板も見えた。千葉県に入ったし今日はここまでにしてもいいかなと思いながら周囲の雰囲気を察すると、舞浜駅からこのランニング用の姿のままで帰ることもさすがに気が引けたので、なんとかして次の駅までいってから考えようと、さらに足を進めていった。


 地図で見たとおり、ディズニーランドを過ぎると京葉線と国道357号は離れていったので、もう少し南側の通りに移動しなければならなかったけど、湾岸道路を渡るためには歩道橋しかない感じなので、ならば早めにと一番先に見えた歩道橋を躍起になって階段を上って必死になって階段を下ってという感じでなんとか渡って、さらに一つ南側の道まで移動すると京葉線の高架があったので、そこを左に曲がって東へと進んでいった。やがて左手に大きな病院が見えてきて川を越えたところにちょっとした公園があったので、そこで一休みすることにした。思えば、朝、日本橋を出発してから休みなしで半分走って半分歩いて問い感じで20キロ近くの道のりを来ていた。そのことに正平自身も驚いたけど気がついた途端に足の痛みと疲労感が襲ってきて、ここからさらに先に進む気力がなくなってしまったので今日の旅はここで終わることにした。その途端に異常なまでの空腹感を覚えてスマホで近くの状況を調べると、駅から海へ向かって一直線に歩いて海に出る少し手前を左に曲がったあたりに温泉施設があるのを見つけたので、そこで汗を流して食事をすることにした。温泉施設までは行き過ぎてしまった距離も含めて約3キロ、そこでお風呂に入ってから食べたいものが見つからなくて食事処を探しながら駅までの約2キロ、往復5キロぐらいをさらに歩くことになってしまったけど、足の痛みは楽しいことのためなら平気になるというか、まったく気にならなくなるものらしかった。


 結局、正平は、新浦安駅前で全国チェーンの中華料理屋でタンメンを食べて京葉線で帰路についた。さっきまではヒーヒー言いながら歩いていた道のりが一瞬にして車窓から過ぎ去っていくことに、文明の利器を感じると同時になんとも切ない気分になってしまったけど、切なさがセンチメンタルに変わる前に東京駅に着いてしまった。そこから、山手線に乗り換える道のりは、動く歩道があるとはいえ今日の一番の難関だったかもしれない。なかなか終わりが見えない地下道に、突然と足の痛みが再発してきて、もしかしたら二駅分ぐらいあるのではないかと思うような長い長い地下道の動く歩道で、止まって乗るという正しく使っている自分の方が邪魔物扱いされているようなエスカレーター界の不文律も相まって、少しの腹立たしさを覚えていた。大きなキャリーバックを携えているために、同じように動く歩道を止まって利用している欧米系外国人のカップル旅行者も同じようなことを感じていたのか妙に親近感のある視線を、正平を含めた三人で交錯させながらの家路だった。後日、会社の同僚に、「京葉線なら、東京駅より新木場駅で乗り換えた方が楽だよ」と教えてもらったので、これからは新木場駅で乗り換えようと思った。

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