第33話 今日の甘々モードは最強だ
愛している。
そんな言葉、初めて言われた。
すごく嬉しくて、だけど、その何倍も恥ずかしくて、顔から火を噴いた私に、一条さんはクスリと笑った。
「顔でお湯が沸かせそうなくらい赤いけど」
「だっだって、そんな甘いセリフ言われたの初めてだから……」
「じゃぁ、今日は大サービスで、最高潮に甘いモードで抱いてやる」
一条さんはそう言って、唇を重ねた。優しく、愛を確かめ合うようなキスに、心が蕩かされていく。
「キスした後のお前の顔すごく好き」
囁くように言って、再び唇を重ねる一条さん。軽くキスをした後、唇を離した彼は私の頬に手を触れた。
「すげぇ、可愛いから、絶対に誰にも見せたくない」
それからも、キスの合間に、恥ずかしくて消えてしまいたいくらいに甘い言葉を浴びせられて、もう鼻血が出そう。
あぁ、今日の甘々モードは最強だ。
「俺、昨夜、お前のこの顔を、立花に見られているのかもって思ったら、嫉妬で体が燃え尽きるかと思った」
ゆっくりと私の服を脱がせながら、彼は切なげにつぶやいた。
「お前の電話がつながらないから、立花の携帯にかけようとしたけど、もしお前と一緒だったらって思ったら、怖くて電話さえできなかった」
めったに見せてくれない彼の素顔。それを隠すことなく、見せてくれる。
ダメ、だ……。首筋に触れる彼の唇が熱い。
「お前は俺のものなのにって、一睡もせず、ただお前から連絡がくるのを待っていたんだ。気が狂いそうだったよ」
「一条……さん……」
「俺を心配させた分の落とし前はしっかりつけてもらうからな」
瞬時、甘々モードから、お仕置きモードに変わった一条さんは、それから私が意識を飛ばす寸前まで、じっくりと責め立てたのである。
◇◆◇
「なぁ、昨日の事聞いていい?」
激しく愛を確かめ合った後、彼の腕枕で二人ベッドに横になっていたら、一条さんが少しだけ迷うような様子で聞いた。
「うん」
「どうして、実家に帰ることになったの?」
「私、弟の誕生日をうっかり忘れちゃって、そのことを知った亮ちゃんが、送ってくれたの。日が変わる前に着けるかもしれないって」
「ふぅん」
ちょっとだけ、彼の表情が複雑な色を帯びた。
「あの、末っ子の弟なんだけど、私からの連絡がないから突然現れて驚かすつもりなんじゃないかって楽しみに待っていたみたいで」
「そう……」
つぶやいたきり黙りこんでしまった彼に動揺する。
「私、実家にずっと帰っていなくて、弟たちもそれが気になっていたみたいで、だから余計に……」
「いいよ。別に怒っているわけじゃないから。多分、立花はそういうお前の気持ちを、言わなくても汲み取ったんだろう? 俺がその場にいてそれができただろうかって、考えていただけ」
「一条さん……」
「お前は自分の気持ちを押し殺して我慢するから。俺は俺でいつも言葉足らないし。また、いつの間にか、お前の事傷つけるんじゃないかと思うと怖い」
そう言って一度視線を落とし、彼は切なげに私のことを見た。
「立花みたいな男と一緒にいた方が、花は幸せになれるのかもしれないって、時々思い知らされる……」
悔しそうに唇を噛んだ彼が、なんだか愛おしくて私はギュッと彼の胸に顔を埋めた。
「満ち足りていますよ、一条さん。全然、言葉が足らなくなんかないです。今、沢山、私にとって大切な言葉をもらいました」
「花……」
「私、一条さんといられて、とても幸せです。あ、欲張りを言えば、時々でいいので、一条さんの甘々モードを見せてくれたら、もっと……幸せなんですけど」
「あぁ……」
フワリと微笑んだ彼は、
「お前が欲しいだけくれてやる」
そう言って、優しく私の髪を撫でた。
◇◆◇
翌日――
「おい、こら。なんだ、この数値は」
体重計に表示された数値を見ながら、一条さんが苦み潰した顔でつぶやく。
「あれぇ? おかしいなぁ」
「お前、実家で散々食っただろ」
ドキリとして泳いでしまった私の瞳に、鋭くなった一条さんの瞳。
「あ、あの。私が前より痩せていたので、弟たちが心配して、姉ちゃん食べろ食べろって。ほら、可愛い弟たちを心配させちゃいけないなぁ、なんて……」
横目で彼を見ればシラっとした顔で私を見ている。
「それに、誕生日だったし、ケーキやらピザやら、なんだかんだって、いっぱい残っていたものだから、母が勿体ないから食べろってうるさくて……」
言えば言うほど白々しい。
「なるほどね。それで、こんな大台に乗るほど、食べて来たと?」
久々にこのやり取り。
一条さんの容赦ない追及に、昨日の甘々モードはどこへやらだな……。なんて、思っていたら、バタンと個室のドアが開いて、甲高い声が響き渡った。
「ちょっと侑! どうして昨日は来てくれなかったのよっ!」
「ナナ……」
驚く私と一条さんの前で、ナナちゃんは怒りに顔を赤くして、私のことを睨み付けた。
「このぶくぶくの見るからに健康そうな女のトレーニングと、病院で弱っている私のお見舞いとどっちが大事なわけ?!」
かなり酷いことを言われた気がするけれど、でも、実際に元々細かった彼女の体は、触れたら折れそうなくらい細くなっていて、筋張った喉元や骨が浮き出た手首を見ていたら、何も言えなかった。
一条さんは彼女のこの姿を見て、きっと、傷ついたに違いない。妹さんと重ねて、昔の傷を抉られて……。
「やっぱりここに来たのね」
そこへ、ため息交じりの声がして、梨香子さんが部屋に入って来た。私と一条さんに、軽くお辞儀すると、ナナちゃんに向き直って、厳しい表情を向けた。
「さぁ、ナナちゃん。病院に戻りましょう」
「いやよ。っていうか、私を理由に、侑に会いに来るなんて、相変わらずやることが狡猾だね」
小バカにした顔でナナちゃんは梨香子さんを見た。
「バカなこと言っていないで行くわよ」
「バカなこと? だって病院に運ばれた日もそうだったよね。私はマネージャーに侑を連れて来てって頼んだのに、わざわざ自分から、私が連れて来るって言い出したんだって?」
「それは……」
「今度は旦那がいないから正々堂々と会えるとでも思ったの? 侑のカウンセリングにかこつけなくても、二人きりになれるって思ったんでしょ?」
「ナナ、やめろよ。先生はお前のために来てくれただけだ」
一条さんがため息をつきながら、止めに入った。
「侑は知らないだけよ。この人は、ずっと、侑のことを狙っていたんだから。ね、先生。あやが亡くなって侑が弱っていた時、チャンスだって思ったんでしょ?」
「やめて! 私はただ彼のことを心配して、カウンセリングをしていただけ。彼と私はあなたが思っているようなやましい関係じゃないわ」
少しだけ冷静さを欠いた様子で、梨香子さんは声をあげた。
「でも先生には下心があったでしょ? 知っているんだから。先生が、侑をずっと見ていたこと。侑があやをお見舞いに来る時間になると、それにあわせて診察にくることも、全部分かっていたよ、私」
「それは……」
「ほら、何も言えない。旦那がいながら、ホント、淫乱だよね。あぁ、旦那さん、可哀想。あなたに裏切られて、すごく悲しい顔していたっけ」
「どうして……あなたが私の主人を知っているの……」
つぶやいた後、何かに気付いたように梨香子さんは顔を強張らせた。
「あなたなのね……? あの人に根も葉もないことを吹き込んだのは……」
「根も葉もないことじゃないもの。私は旦那さんに教えてあげただけ。奥さんが診察室に男連れ込んでたぶらかしてますよって」
「ナナ……お前……本当なのか?」
一条さんが信じられないと言った顔で、ナナちゃんを見た。
「何よ、その顔! 私は侑のためにやったんだよ? 先生が、弱っていたあなたの心に付け込んで、マインドコントロールしていたから、助けてやっただけ」
ナナちゃんはそう言った後、私を指さして睨み付けた。
「その女も同じでしょ? 侑を洗脳しようとしている」
「もういい加減にしてくれ、ナナ!」
堪え切れない様子で、一条さんは怒ったように声を荒げた。そんな彼を、ナナちゃんは苛立った顔で見返した。
「どうして分からないの?! こんな女のどこがいいのよ! 私の方が可愛いし、あなたのことを一番思っているのに」
「花は自分が傷ついても周りのことを考える優しい奴だ。ナナ、お前のやっていることは逆だろ? お前は自分のために周りを傷つけている。そろそろそのことに気付いて、大人になれ」
「ひどいっ! どうしてそんなこと言うの!?」
泣き出したナナちゃんに一条さんは苦しげに眉を寄せた。
「ごめん。でもそれがお前のためだと思うから。お前は俺から独り立ちするべきだ。俺ももうお前のことは甘やかさない」
「そんなの嫌っ! 侑は騙されているだけ。そうよっ! あんたが侑をそそのかしたんでしょうっ!」
私に向かって振り上げられたその手は、一条さんによって止められた。
「もうやめてくれ、ナナ。俺は俺自身の意志で、決めたんだ。全てを犠牲にしても、一番大切な人を守ると決めた。だから、もうお前の我儘にはこれ以上付き合えない」
「何よそれっ! 侑は私がどうなってもいいの?」
「俺が守るべき人はお前じゃなくて花だから。ごめん」
むき出しのまま伝えられた言葉にナナちゃんは顔を強張らせて、彼のことを睨み付けた。
「私にそんなこと言って、どうなるか思い知らせてやる!」
泣きながら部屋から飛び出していってしまったナナちゃん。
嵐が過ぎたような静けさに、気まずい空気があたりを包んだ。
「じゃぁ、後のことは私に任せて」
その沈黙を破ったのは梨香子さんだった。彼女の言葉に頷いた一条さんがため息をつく。
「迷惑かけてごめん……」
「いいのよ、迷惑かけたのはこちらの方だもの。患者一人守れず、情けないわね」
「いや、今回のことだけじゃなくて……旦那のことも」
「それも、あなたのせいじゃないでしょ。それに……」
梨香子さんは何だか切なげに微笑んで、一条さんを見つめた。
「彼女の言っていた話は本当よ。私はあなたのことが好きだった」
「梨香子さん……」
「主人と別れることになったのは自業自得」
驚いた様子で、何も答えられず黙り込んだ一条さんの前で、梨香子さんは視線を落とした。
「でも、あなたには守りたい人ができたのね……」
「ごめん。梨香子さん、俺……」
「いいのよ。少し、ホッとした。あれからずっと心配だったから。傷ついたあなたを放り出してしまったことを、ずっと後悔していた。だけど、自分のことさえ守れなかったあなたが、誰かを守れるほどに頼もしくなったのね」
そう言って彼女は小さく吐息をついた後、私に向かって笑いかけた。
「ちょっと、妬けちゃったわ」
その笑顔は少しだけ寂しげだったけれど、彼女は最後に「あぁ、全部話したら、スッキリした」と言って、颯爽と立ち去って行った。
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