第31話 海が心を許した理由

「ぎりぎり、日が変わる前に着けたようだね」


 家の前で車を停めた亮ちゃんが時計を見て微笑む。


「ありがとう、亮ちゃん。ね、亮ちゃんは明日も仕事? もう遅いし、よかったらうちに泊まっていかない?」

「仕事は何とでもなるけど、さすがに、急にお邪魔するのはご迷惑だから、僕はここで失礼するよ」

「あ。でも、せっかくだから、お茶でも飲んでいってよ。一番上の弟、覚えてる? 陽は、きっと、亮ちゃんのこと覚えているんじゃないかな」


 そう言うと、「じゃぁ、ご挨拶だけしていこうかな」と彼は頷いた。


「空と海、驚くかな」


 まだ、今日帰るということを伝えていない。

 道中で、スマホの電池が切れてしまったということもあるけど、突然訪れて、二人を驚かせたいというのが大きかった。


 久しぶりの実家に、幾分の緊張と、弟たちに会える嬉しさと、いろんな感情を混ぜ込んだままインターホンを押したら、「花なの?」と母の驚いた声が聞こえた。


「うん……あの、ただいま……」

「あら、まぁ」


 それきり、黙ったままの母に、「遅い時間にごめんね。もう、みんな寝ちゃった?」と言うや否や、ダダダダっと廊下をかける足音がして、玄関が勢いよく開いた。


「花ちゃん!」


 飛び出した空が裸足のまま駆け寄って、私に飛びついてきた。


「お帰り! 花ちゃん!」

「空、ただいま。お誕生日おめでとう。遅くなってごめんね」


 もう中学2年生だと言うのに、いつまでも素直でかわいい末っ子に嬉しくてギュッと抱きしめてしまう。

 大きくなったなぁ。いつの間にか、私より身長が高い。


「おい、空。いつまで独り占めしている気だ。そこをどけ」


 後ろからぶすくれた顔の海が出て来た。


「海、今日はごめんね」

「ふん。プレゼントも持たずに会いに来たのか? 仕方ねーから、ハグで許してやる」


 そう言ってプイと横を向いた、中2らしい、もう一人の弟をギュッと抱きしめてあげる。


「お誕生日おめでとう、海」

「遅いんだ、バカ花」


 そう言いながらも、ギュッと私を抱きしめ返した、生意気で可愛い弟。

 しばらくして、照れた顔で私から離れた海は、ふと視線を私の後ろに向けて、「あいつ、誰?」とつぶやいた。


「あ、うん」


 彼の視線の先には、家の前に停めた車に寄りかかった亮ちゃんが、私たちを見守っている。


「彼氏?」

「え?! いや、そうじゃなくて……」

「今のところはただの幼馴染」


 亮ちゃんが私の代わりに答えて微笑んだ。

 途端、不機嫌な色を帯びた海の顔。


「今のところはって?」


 なんだか微妙な空気が流れる中、今度は階段を駆け下りる音がして、次男のりょくと三男のりくが玄関から顔を出した。


「姉貴が男連れて来たって本当か!?」


 陸の遠慮ない一言に、亮ちゃんが苦笑い。


「残念ながら、まだ僕の片思いだけどね」

「まじか?! 男を手玉に取るとは、姉貴も成長したなぁ」

「あぁ、とうとう、花姉さんにも、悪い虫がついてしまったか……」


 感心する陸の隣で、緑がため息をつきながら首を振っている。


「そんなところで立ってないで、あがってお茶でも飲んでもらったら?」


 二人の後ろから、ようが顔を出して、長男らしくみんなを促した。


「あ。陽は覚えているんじゃない? 小学校の頃、私と同じスイミングスクールに通っていた亮ちゃん」

「え!? 亮ちゃんって、あの、ガキ大将の亮ちゃん!?」

「そう。陽も、よく泣かされていたよね」


 私の言葉に陽が固まっている中、肩をすくめた亮ちゃんは、

「印象が悪くなる前に、僕はこの辺で失礼させていただくよ」

 と言って笑った。


「あら、せっかくこんなところまで送ってくださったんだもの、もう遅いし、今日は泊まってもらいなさいよ、花」


 お母さんが父と一緒に出て来た。


「もし都合がつくようなら、ぜひ泊まっていってくれないかな。僕は、娘の恋人と酒を酌み交わすのが夢だったんだ」


 照れたように笑って頭を掻いた父。正直、私は驚いた。

 まさか、そんな風に思ってくれていたなんて。これまで私のことに全く関わってこなかった彼は、娘に興味なんてないのだと思っていた。


「お父さん、でも亮ちゃんと私はそういう関係じゃ……」


 言いかけた途端、お母さんが怒った様子で口を開いた。


「何言っているの。あなたのことを大切に思ってくれている人じゃなきゃ、こんな夜中に、わざわざ東京から送って来てくれないでしょ。失礼よ、花。お母さん、あなたにのしつけてお渡ししたいくらいだわ」

「でも……」


 困って亮ちゃんのことを見ると、

「将来の恋人候補ということでよろしければ、お言葉に甘えて、泊まらせていただきます」

 彼は私に向って軽くうなずいて、好青年らしい笑顔を両親に向けた。


「大所帯なので狭いですが、どうぞあがってください」とはしっかり者の陽。

「姉さんの彼氏候補がどんな男か、僕のこの目でチェックしてあげるよ」と優雅に髪をかき上げる緑。

「なぁ、いい体してっけど何かスポーツやってんの? 格闘技好き?」と目を輝かせる陸。

「花ちゃんを連れてきてくれてありがとう」とニコニコの空。

「ふん、俺は認めないからな」とまだ不機嫌な海。


「なんだか、無理矢理引き止めちゃったみたいでごめんね」


 そう言うと、亮ちゃんは、「5人の厳しい審査に耐えられるかな」と悪戯っぽく笑った。


◇◆◇


 翌朝――


「なぁ、もう帰っちゃうの? もう一日泊まっていけばいいのに」


 海が話しかけているのは私にではない。亮ちゃんにだ。

 いつの間にか、すっかり懐いているし……。


「どうやって海を手なずけたんだろ?」

「ゲームのレアキャラもらったらしいよ」


 陽の言葉に、あぁ、そういうことかと苦笑い。現金だな、あいつ。


「すごいな、亮ちゃん。あの子、すっごく取り扱いが難しいのに」

「それは姉ちゃんもね」

「え?」

「頑なに実家に帰ってこなかった姉貴を連れてきて、しかも家族の輪に一緒に入ってくれた。昨日は楽しかっただろ? 姉ちゃん」


 大人びた笑顔を見せる陽に私は驚いた。


「陽……」

「ずっと気になっていた。姉ちゃんが、いつも、居場所なさそうにしていたのを」


 あぁ、きっと私はみんなに心配かけていたんだ。


「あの、私……」

「海が心を許した理由は、ゲームのレアキャラだけじゃないってこと」


 ニコッと笑って、亮ちゃんと楽しそうに話している海を見た陽。


 そうだね……昨日は一度も居心地が悪いなんて感じなかった……。


「亮ちゃんに、感謝しないとね」

「うん。けれど驚きだなぁ。あの虐めっ子の亮ちゃんが、あんなにいい男になるなんて」

「私のおかげで改心したらしいよ」

「そうなんだ? まぁ、今思えば、あの頃の亮ちゃん、姉ちゃんのこと好きだったもんね」


 クスクスと思い返すように笑う。


「いつも姉ちゃんにちょっかい出してきてさ。だから俺は亮ちゃんから姉貴を守ろうと必死だった」

「でも、いつも負けて、泣いていたよね」

「そう。で、姉ちゃんが怒って、亮ちゃんを怒鳴りつけるの。懐かしいなぁ」


 本当に懐かしい。

 目の前で優しい笑顔を浮かべる亮ちゃん。いつの間にか集まった弟たちが、名残惜しそうに彼を取り囲んでいる。


「姉ちゃんは、亮ちゃんじゃダメなの?」


 突然そんなことを聞かれて、驚いて横を向いたら、陽は真面目な顔で私を見ていた。


「なに、急に……」

「他に好きな人がいるとか?」


 その言葉に、一条さんの顔が思い浮かんで胸が苦しくなった。


「今、そいつのこと思い浮かべた? なのに、どうしてそんな顔するの? そいつは、ちゃんと姉ちゃんを幸せにしてくれるの?」

「う……ん。今はちょっといろいろあって……。だけど、本当はすごく私のことを大切に思ってくれていると思う」

「本当に? 空と海の誕生日を忘れたのもそいつのせいなんだろ?」


 普段、こんな風に人の心の中にズカズカと入って来ることなどしない陽が、まるで追及するかのように、私の心の中を覗き込んでくる。


「もうやめよう、この話……」

「俺は姉貴を守らなくちゃいけないから、だから余計なお世話だと思われても言うよ。姉ちゃん、俺は亮ちゃんの方が姉貴のことを幸せにしてくれると思う」

「陽……」


 何も言い返す言葉が見つからなかった。

 陽の言う通りかもしれない。だけど、それでもなお、一条さんのことを信じたいって、心が叫んでいる。

 こんなに苦しいのに。バカだね、姉ちゃんは……。


 何も言わない私から気持ちを汲み取ったのか、陽がため息をついた。


「じゃぁ、今度そいつを連れてきてよ」

「えぇ?!」

「何、その反応。連れてこられないほどやばい奴なの?」


 やばいと言われたらやばいかもしれない。うん、いや、絶対、海あたりと喧嘩になりそう。


「うーん、根はいい人なんだけど、誤解されやすいと言うか、なんと言うか……」

「だけど、姉ちゃんだっていい歳なんだからさ。そろそろ結婚ってことも見据えた上でちゃんと考えろよ。家族に会わせないわけにはいかないだろ」

「け、結婚って!?」


 驚き固まる私を見た陽が肩をすくめる。


「何言ってんだよ。26にもなって。姉ちゃんがさっさと行かなきゃ、俺も結婚できないだろ」

「え?! あんた、そんな相手いたの?!」

「内緒」

「嘘! こら! ちゃんと姉に紹介しなさいよ!」

「今は、俺の話じゃなくて姉ちゃんの話だろ」


 苦笑いを浮かべる弟に姉ちゃんはもうびっくりだよ。

 結婚なんて、全然意識していなかった……。


「あぁ、なんだかすごくショック」

「後がつかえてんだから、さっさと行ってくれよ」


 昔から姉より数倍しっかり者の弟は、そう言って、私の肩をポンと叩いた。

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