第18話 闇の帝王の素顔と癒しの王子の包容力


「昨日は、悪かったな」


 翌日、ジムを訪れると、一条さんが会うなりそう言ってプイと横を向いた。その頬がちょっと赤い。

 あれ? もしかして、照れている?

 いつも不機嫌で偉そうにしている彼のその姿は、あまりに新鮮で……。

 うわぁ、これが噂のギャップ萌え!

 ちょっと気まずそうに、照れて目を合わせようとしない彼に、キュンと胸が鳴った。


「いえ、私の体のこと心配してくれて、ありがとうございました」


 笑顔でお礼を言うと、チラッと私に視線を向けた彼が、

「……俺も、ありがとな。なんか、いろいろ助かった。心のつかえが取れたって言うか……」

 と言ってから、恥ずかしくなったのか髪をクシャッとかき回して、

「さっさと、トレーニング始めるぞ」

 と背を向けた。


 んん?! なんだ、なんだ?! 可愛いではないか……。

 本人には絶対言えないけど、今日の一条さんは最高に可愛い。

 もしかしたら、彼の皮を一枚剥いだら、すごく純粋でいたいけな青年が出てきたりして。


 一条さんがこうして意外な素顔を自分の前で晒してくれたということが何だかすごく嬉しい。


 なんて、思ったのはその時だけで……。


「ほら、何怠けてんだよ。まだ10回も残っているんだけど?」


 トレーニングが始まった途端、いつもの高飛車で意地悪な闇の帝王が戻って来た。


「連続でできなきゃ、もう5回増やすからな」

「そ、そんなぁ」


 バーベルを持ち上げる腕が限界を告げてプルプルしている。

 あれは、錯覚だった……。逆だ。闇の帝王が羊の皮をかぶっていただけだ。


「もう無理ですってばぁ」


 半泣き状態の私に、「甘えんな! メソメソ弱音吐いてんじゃねーっ」と一喝する帝王。


「自分だって昨日メソメソ泣いていたくせに……」

「はぁっ? 泣いてねーし」

「泣いていました」

「泣いてねぇっ!」


 二人の言い合いは、延々と続く……。


◇◆◇


「明日は、俺いないから、代わりのトレーナーについてもらう。悪いけど、そいつに見てもらって」


 帰り際に一条さんからそう告げられた。


「お休みですか?」

「いや、月に一度、他の店舗を抜き打ちでチェックしに行くんだ」

「そう言えば、一条さんも立花さんもオーナーさんなのにいつもここにいますよね」

「基本的にそのクラブの店長に任せているからな。ここには、俺も立花も個別にトレーニングを請け負っている顧客がいるし」


 あ。そうなんだ。一条さん、私の他にもトレーナーとしてついている人がいるのか。

 ってそりゃそうか、一日中私を見ているわけじゃないもんね。こないだも、ナナちゃんがプライベートレッスンしてって言っていたし……。

 ふぅん。

 その中にはマンツーマンコースの人もいるのかな。あぁやって食事の心配したり、付きっ切りでトレーニングしたりして……。


 って、なんだ、この胸のモヤモヤは……。私は自分の感情に驚いた。

 これは、小顔の天使を思い出したからに違いない。きっとそうだ。いや、絶対そうだ。そういうことにしておこう。


「一条さんは、どれくらいの人を担当しているんですか?」

「延べ人数にしたら結構な数だけど、俺は普段、単発の予約しか受けないから」

「え? マンツーマンコースは受けていないんですか?」

「あぁ、お前は特別」

「え?」

「お前が厳しいイケメンなんてふざけた要望出しやがったから、俺が直々に見てやることにした」


 斜めに見下ろされて、タジタジとなりながら、私は「そ、それはどうも」と一応お礼を言ってみる。


「この俺が、忙しい合間を縫って、専属トレーナーをやっているんだ。ちゃんと食らいついて来いよ」


 俺様っぷりを存分に発揮させた一条さんに、私は内心苦笑い。


『ははぁ。闇の帝王様、一般人ごとき山田めのために勿体ないお言葉、感激でございますぅ』

 と心の中でつぶやいて、思わず吹き出してしまった。


「なんだよ、急に笑い出して、気持ちわりぃな」


 眉をしかめる闇の帝王。


「ご無礼をお許しください!」


 ついつい悪乗りしてしまって、一条さんに睨みつけられた。


◇◆◇


「あれ? 代わりのトレーナーって亮ちゃんなの?」


 翌日、ジムに行ったら、爽やかな笑顔で亮ちゃんが出迎えてくれた。


「いや。侑は、違うトレーナーをつけていたんだけど、僕が勝手に交代したの。あいつには内緒ね」


 悪戯気にウィンクした亮ちゃんの笑顔ったら。あのジャイアンみたいだったガキ大将がこんな素敵な大人になるとは誰が想像したでしょうか。


「このまま、亮ちゃんが専属トレーナーになってくれないかな?」

「僕もそうしてあげたいところだけど、侑が許さないだろうね」


 思わずため息が漏れてしまいましたよ。昨日のバーベルのせいで、今日は腕がもうプルプルしちゃって、パソコンを打つことさえままならなかった。帝王のしごきはきつい。


 それに反して、癒しの王子とのトレーニングは凄く楽しくて、私たちは思い出話に花を咲かせた。多分、トレーニングしている時間より、しゃべっていた時間の方が長い気がする。


「僕さ、花がスイミングスクールをやめた後、しばらく君のことが胸につかえていて、それから、3ヶ月くらいして、君のクラスに謝りに行ったんだ」

「え? そうなの?」

「うん。僕は意地っ張りだったから、本当はずっと謝りたかったのに、なかなか行けなくてさ。で、ようやく決心して行ったんだけど、その時には君は転校しちゃっていて」


 あぁ、そうだ。私、母親の再婚で、引っ越したから。


「これでもう一生彼女に謝ることは出来ないんだって思ったら、自分が言った酷い言葉とか、それを悪いと思っているくせに謝りに行くことができなかった弱さとか、そういうのが凄く自分にのしかかって。後悔したっけ」

「ガキ大将亮ちゃんも、反省したわけですね」


 からかう様に言った私に、亮ちゃんはクスリと笑った。


「まぁ、君は特別だったから、なおさらね」

「え?」

「初恋だったんだよ、僕の」


 は・つ・こ・い!

 聞きましたから、大脳さん? えぇ、確かに言いました、山田さん。

 驚いて確認してしまいましたよ。


「初恋の相手を傷つけて謝ることもできなかった僕は、傷心のまま大人になっていったというわけだ。ずっと、嫌われちゃっただろうなぁって思いながら」

「いえ、亮ちゃん。申し訳ないけど、私、トド発言以前に、亮ちゃんのこと大嫌いでした」

「えぇ?!」

「だって、いっつも意地悪するから」


 そう言ったら、亮ちゃんは苦笑いして、「確かにね」と頷いた。


「僕が悪さすると、君がいつも追いかけてきてさ。年下なのに、恐い姉ちゃんみたいに叱ってきて。なぁんか、それが嬉しくて、いつも悪戯していたな」

「私、悪戯盛りの弟がたくさんいたから、家でもいっつも叱っていて、ついつい口出しちゃうんですよね」

「確か、3人弟さんがいたんだよね?」


 よく覚えているな、亮ちゃん。


「はい。でも、母の再婚後に双子が生まれたので、結局5人の弟に囲まれました」

「すごいね」

「家の中はいつも戦争でしたよ」

「僕は一人っ子だから、羨ましいな。楽しそう」

「そうですね。楽しくもあり、息苦しくもあり……」


 苦笑いした私に、彼は首を傾げた。


「息苦しかった?」

「うーん。なんていうか、ほら、再婚だから、あまり迷惑かけちゃいけないなって思っていて、一番下の弟は父親と血がつながっていたからいいけど、上の弟3人は血がつながっていないのに、やんちゃするから、私はいつも冷や冷やしていて。今思えば、もっと子供らしく私も甘えちゃえばよかったんだけど……」


 言い終わった後、亮ちゃんが静かに私を見ていたから、何話しているんだろうと、急激に恥ずかしくなって、熱くなった顔をパタパタ仰いだ。


「今の忘れて! なんか、変なことまで話してしまった。やっぱり、子供の頃一緒だったせいかな、亮ちゃんは、話しやすくて……」

「なら、もっと聞かせて」

「え?」

「君と会えなかったこの十数年の間、君はどんな風に生きて来たのか、僕に教えて」


 目の前で優しく微笑む彼は、十数年前私が叱りつけていた悪ガキとはまるで違って、大人の包容力を存分に備えた素敵な男性になっている。


「亮ちゃんは、聞き上手だね」

「花限定だよ」

「……そして、女性の扱いも上手だね」

「だから、花限定だって」


 嘘おっしゃい。プールに通うマダムたちを虜にしているくせに。

 そう思いながらも、彼との話は尽きず、トレーニングそっちのけで、私は昔を懐かしんだのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る