ありふれた悪夢 ~ホラー短編集~

長篠金泥

第1話 笑い地蔵

「おっかしいなぁ……この辺のハズ、なんだけど」


 徐々に日が傾いてきて、気温も下がりつつある。

 秋と冬の境目に位置する時期とは言え、いつも以上に日が短い気がした。

 微かにだが風も吹き始め、鼠色の空模様を運び込もうとしている。

 内心の焦りを誤魔化すように、俺は連れもいないのに疑問を口にする。

 当然ながら返事はない――溜息を小さく吐いて、地図をもう一度確認しようとスマホを手に取った。


 俺が今いるのは、自宅から自転車で二十分ほどの場所。

 目的は、ネットを検索している最中に知った心霊スポット『笑い地蔵』の見物だ。

 運動不足の解消がてら、軽い気持ちで来たことを既に後悔し始めているが、このまま見つけられずに帰ってしまうと、久々の休日を全力でドブに捨てたことになる。

 そんな思いもあって、土地勘ゼロの場所をウロウロしていた。

 工場や倉庫が立ち並んだ区域、その裏手を通る乗用車が一台通るのも危うい感じのある細い道を抜けると、名前のわからない川にぶつかった。


「川沿い、なんて書いてあったっけ」


 今回の探索行の情報源になった、地元の名所紹介サイトをブクマから呼び出す。

 桜の名所となっている公園だの、江戸時代の古民家だのが並んでいる中で、一際異彩を放っていたのが、この地蔵だった。

 ボヤけた画像と、『旧街道沿いに建つ御地蔵様。いつもは穏やかな笑顔を浮かべているが、幽霊が近くにいると泣き顔になるとの噂が昭和四十年代から存在し、近隣随一の肝試しスポットになっているらしい』という曖昧な説明文に興味をそそられたのだが――


 夏前に越してきたのに、ここ数ヶ月ずっと仕事が立て込んでいて、休日出勤はザラで代休なんてものはなく、たまの休みは睡眠時間の確保が第一で、時間的にも体力的にも精神的にも遊びに行く余裕なんてない。

 今月に入ってやっとシフトが常識の範囲に収まってきたので、自宅近くに何があるのかを把握するためにまずは近所の散策でも、という思い付きで検索した結果辿り着いたのが、地元のヒマ人が作ったらしい件のサイトだった。

 

「一応これで合ってる、のか……?」


 サイトの雑な地図とグーグルマップを見比べる限り、目的地に近付いてはいるようだ。

 しかし、人通りがないというか休日の午後なのに人気ひとけもない状況では、厭な感じの不安が募って独り言も増える。

 行き先に目を凝らすと、どうも階段などがあって自転車で進むには厳しい様子。

 そう判断した俺は、自転車を近くにあったガードレールにチェーンでつなぐと、舗装がベコベコになっている川沿いの道を進む。


 木立や植え込みが多い景色は、散歩道として適しているように思えるが、見た目の印象以上に足場が悪く、気を抜くとつまづきそうなので足元から目を離せない。

 急勾配きゅうこうばいのアップダウンや意味のない階段、そして飛び石状態になっている箇所が唐突に出現するなど、通行人の存在をシカトしたコース設計も大問題だ。

そして何より、そこはかとない油臭さと生臭さが水面から漂ってくるのが、この場への評価を著しく下げることになっている。


 十分ほど上流へと歩いたところで、舗装の途切れた砂利道が左手に見えた。

 方向的に考えるなら、多分ここを曲がるのだろう、が――

 普段の人通りが皆無だと思われる道の様子に、フと疑念が浮かんでしまう。

 こんな辺鄙へんぴな場所にあって、強烈なエピソードも存在しないのに、心霊スポットとして有名になるのか。

 疑わしさは払拭ふっしょくできなかったが、ここで引き返すのも無駄足すぎる。

 俺は後悔や倦怠けんたいを強引に捻じ伏せると、砂利道へと足を踏み入れた。

 

「これ、かぁ……」


 緩い下りの道を少し行ったところに、それは建てられていた。

 時代を感じさせる磨耗具合の、野晒のざらしの地蔵。

 高さは台座と合わせて一メートル半くらい、だろうか。

 その顔は、笑っているとしか表現できない造形。

 旧街道らしい道は見当たらないが、間違いなくこれが『笑い地蔵』だ。


 地蔵の周囲を巡って、様々な角度から撮影してみる。

 由来を書いた看板だの石碑せきひだのがあってもよさそうな雰囲気だったが、そういったものは用意されていないらしい。

 それにしても、眉と目尻を下げて薄く開けた口の両端を吊り上げた、この地蔵の顔。

 紹介サイトにあった『穏やかな微笑』って表現から、随分と懸け離れてはいないか。


 改めて観察してみるが、見れば見るほど厭な気分になってくる。

 聖性をまるで感じさせず、卑俗さや邪念を伝えてくるとは一体どういうことなのか。

 心霊スポットらしい、といえばこの上なくらしくはあるが――

 地蔵の顔を眺めている内に、どうも見つめ返されているような感覚に囚われてきた。

 本格的に日も暮れてきて、雰囲気は完全に肝試しモードになりつつある。

 俺は早々にこの場を退散することに決め、去り際に何となく遠景の地蔵を撮影すると、来た時の倍近い速度でもって自転車を置いた場所まで戻った。


 その夜、思い切り体を動かした心地良い疲れと、それとは別種の粘ついた疲れを感じながら、俺はソファに身を沈めて漫然と酒を飲んでいた。

 結局のところ、単に変な地蔵を見てきただけで休日を潰したことになったか。

 撮影した画像をザッと流し見していると、そんな虚しさがどうにもならないレベルにまで膨れ上がってきた。

 この微妙な精神状態を誰かと分かち合おう――無理矢理にでも。


 そんな悪戯いたずら心が湧いた俺は、ホラー全般が苦手だと言っていた会社の後輩に、メールでもって地蔵のベストショットを送り付けた。

 仕事関係の連絡に偽装したから、シッカリと見てくれることだろう。

 シャレはわかる奴だが、キレられたらどうするかな――などと考えながら冷蔵庫から新しいビールを取り出していると、後輩からの電話がかかってきた。

 送信から二分ちょっと、随分と早いリアクションだ。


『ああ、先輩。何なんスか? 送られてきたコレって』

「何って、ウチの近所に『笑い地蔵』っていう心霊スポットがあってだな。今日、そこに行ってきたんだが」

『はぁ……それとこの画像、関係あるんスか』


 どうにも想定外の反応だ。

 怖がっているでも怒っているでも呆れているでもなく、困惑している。

 うっかりエロ画像でも送ったか――でも、そんなポカをやらかすほど酔ってもいない。


「関係も何も、地蔵そのものだろ」

『えぇと、先輩の実家がある愛媛人民共和国だと、コレを地蔵って呼ぶんですか』

「ヒトの故郷を勝手に独立させんな。ちょっと変だけど、だからこそ心霊スポット扱いになるんじゃないのか」

『よくわかんないっスね……そう言われると、気味悪いって感じもしてくる、かなぁ』


 いくら何でも、この薄い返しはおかしい。

 やっぱり、操作ミスで妙な画像を添付してしまったのか。


「あのさ、俺が送った画像、そっちから送り返してみてくれる?」

『は? ……まぁ、いいですけど』


 酔っ払いを相手にするモードにシフトしたらしい後輩は、俺からの意味不明な要求の理由を訊いてくることもなく、通話を切った後にメールを送ってきた。

 もしかして、こちらが怖い話を始めようとしているのを察知して、すっとぼけた塩対応でかわそうとしたのか――いや、そんな鋭い機転の利くキャラじゃないハズだ。

 そんな分析をしつつ、メールに添付された画像を開いてみる。


「……何だ、こりゃ」


 俺が送ったものと、背景は同じだし構図もそのままだ。

 しかし、地蔵が写っていない。

 代わりに、登山中に見かけるケルンのような石積みがあった。

 よく見ると石だけではなく、枯れ枝や空き瓶や金属片も混ざっている。

 言いようのない寒気を感じながら、自分の送った画像を再確認してみる。

 俺から送り付けたのは、間違いなく『笑い地蔵』だった。

 

 ビビらせようとした俺を逆にビビらせようと、合成写真を送り返したのか。

 とは言え、数分でここまで違和感のないモノを作れるか、といえば疑問だ。

 他の画像はおかしくなっていないか、あそこで撮影したものを一枚一枚ジックリ確認してみるが、特に変わった点は見当たらなかった。

 最後の画像に辿り着くまでは。


「んぁおっ」


 思わず変な声が出て、息が止まった。

 これは確か、笑い地蔵のあった場所から帰る直前、何となく遠くから撮影したものだ。

 さっき見たときは、適当に写したせいでピンボケしているのだと思っていた。


 だが違う――全然、違う。


 黒ずんだ地蔵と重なるように、輪郭の曖昧な灰色の塊が存在している。

 何が写っているのか判然としないのに、撮影者である俺を見ているとわかってしまう。

 その姿は、窓からちょっとだけ身を乗り出しているような、顔を上げたまま御辞儀をしているような、とにかく中途半端な印象を与えてきた。


 光の加減とかで偶然変なものが撮れたとか、スマホの調子が一時的におかしくなって画像がバグったとか、そういうことなんだろう。

 そう自分に言い聞かせるが、不安は頭の芯に居座ってどいてくれない。

 まさか、自分と同じような現象に遭遇した体験談があったりしないよな――ネットでこの辺りの地名と並べて『笑い地蔵』を検索してみる。


「……マジかよ」


 数は少ないが、地蔵に関するブログ記事や画像は発見できた。

 けれど、その画像がおかしい。

 俺が見たのと似ても似つかない――何の変哲もない、ごく普通の地蔵ばかりだ。

 アップで撮った大きい画像で見ても穏やかな微笑でしかないし、サイズも周囲の風景も異なりすぎている。

 俺は今日、どこに行って、何を撮ってきたんだ。

 考えることにもみ、スマホを握ったままボンヤリと天井を眺める。


 そのまま、数分が経っただろうか。

 小さなシャッター音が、手元から聞こえてきた。

 無意識に変な操作でもしたのか、と画面に目を落とす。

 写っていたのは、サラミとチーズを盛った小皿が置かれた白いテーブル。

 それと、テーブルの上に胡坐あぐらをかいて座る、痩せた全裸の中年女。

 灰色がかった肌をしたショートカットの女は、あの地蔵が浮かべていたのによく似た、とても厭な笑顔を俺に向けていた。

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