第十五話 「当たり前のもの?」



 山頂でのトレーニングを終えて下山したレオは基地に戻る大鳳たちと別れ、寮に帰宅していた。


「マコ、ただいまー」


 部屋に入るとマコは台所で料理の支度を行っていた。

 時計を見ればちょうど昼飯時。


 昼には上がると言ってあったので食事を用意していたのだろう。寮にも食堂はあるが、各自の部屋にも調理ができるようキッチンが備えられている。


 本職がメイドのマコが付き添っているレオはマコの調理したものを自室で食べることのほうが多かった。


「おかえりなさい。もうすぐお昼ご飯にしようと思ってたんだけど。たくさん運動して疲れてるでしょ、お風呂もできてるよ?」


「じゃあお風呂に入るよ。身体がもうバキバキでさ。ちょっとひと息つきたいんだ」

実際、大鳳の組んだメニューはかなりハードだった。


 大鳳はもちろん、根古や館にも後れを取り迷惑をかけてしまった。まあ、男女の体力面の差から言えば当然のことなのだが。


 ただ、思いのほかその差が小さかったことにレオはむしろ驚いていた。確かに鍛えてはいたが、ここまで自分に体力があったのかと。


「…………」

「マコ、どうしたの?」


 自分をじっと見つめるマコの視線に気が付き問いかける。


「……ううん、なんでもない。それよりお風呂、入ってきちゃいなよ」

「う、うん?」


 謎の間が腑に落ちなかったものの、マコにぐいぐいと背を押されながら脱衣所に入り湯船に浸かって全身を伸ばした頃にはそんな疑念はあっさり霧散していた。




 風呂から上がると室内はしんと静まり返っていた。

 ランチパラソルが被せられた料理がテーブルにぽつんと置かれているだけ。マコはいなくなっていた。


 彼女がレオに断りなく外へ出かけるなんて珍しいこともあるものだ。


 別に主人面をして行動を制限しているわけではないので、いつどこへ行こうがそれは彼女の自由だが少しばかりの違和感は否めない。


「……あ、おいしい」


一人ぼっちの食卓はやたらと室内が広く感じられ寂しく見える。


 レオは午後の予定も特になかったため、当てもなき外出をすることにした。

人は時にそれを散歩という。





 坂を下り、レオはふらふらと街を散策する。


 デウスによって開けられた道路の穴は誰も入らないようにバリケードが張られ、その中で復旧作業が密やかに行われている。


 今回はなぜかデウスの有害物質が検出されなかったそうで、二次災害もなく目撃者もいないことからこの件は一部の機関だけで情報を止めておくことになったらしい。


 まあ、そういう政治的な面はレオには関係のないことだが。




 学校の近所に住むおばあさんが重そうに荷物を抱えていたので家まで運ぶのを手伝ったり、地面に買ったものを散らばしてしまったおつかいの途中の小学生をあやして一緒に落ちたものを拾ったり、道すがら目についたゴミをゴミ箱に捨てたりしながらぶらぶらと歩き回って一巡りした後、レオは寮の坂の途中にある公園に戻り、敷地内のベンチに腰を下ろしていた。


「みんな平和そうだなぁ……」


 ここで不良たちに正義を説こうとしたらお巡りさんに捕まって、デウスに遭遇したんだよなぁ……。たった二日前のことなのに随分と昔のことに思えた。


 現在の公園は親子で遊びに来ている家族連れや犬の散歩に訪れた飼い主たちがにこやかに談笑し合っていて、あの壮絶な出来事とは無縁な、のほほんとした日常風景が広がっている。


 デウスによって苦しんでいる人がいて、デウスと戦っている人がいる。

 だがこの場所はこんなにも平和だ。

 そのことが嬉しい一方で、今はちょっとだけ複雑だ。


(今の諸星先輩には、この日常も切り捨てるべき小さなことになっちゃうのかな……)


 かつての憧れの象徴の現状を思い、レオが感傷的な気分になっていると、


「よう、無事だったみたいだな」


 気安い調子の声に顔を上げてみると、あの警察官が当たり前のような顔でそこに立っていた。アロハシャツに短パンというシンプルな私服姿であった。


「お、お巡りさん!?」


 予想外の再会にベンチから腰を浮かせてしまう。


「休日にぶらついてたら、たまたま見かけてな。あと、俺の名前は加藤檀三な。加藤でいいよ」


 レオの動揺を軽く受け流して警官あらため加藤は言った。


「じゃあわたしもレオでいいですよ」

「じゃあって繋がるか、それ?」


 加藤は訝しげな顔をする。


「まあ、その。あんまり名字で呼ばれるの好きじゃないんで」


 本音半分、建前半分でレオは言った。


「ふうん?」


 加藤はしつこく追及してくることはなかった。彼がレオの名前で獅子谷家を想像したのかどうかは不明だった。


「ところで加藤さん、あの日はいつの間にかいなくなってましたけど。どこに行ってたんですか?」


 いろいろあったせいですっかり失念していたのだが、よくよく考えればもっと気を揉むべき事柄だった気がする。


 どうして今までまったく意識が向かなかったのか不思議なくらいだ。


「なんかぞろぞろ来てやばそうだったから木の上に立って様子を見てた」


 ポケットから取り出したタバコを口に咥えながら火を点け、あっけらかんと加藤はそうのたまった。


「親の漢字か!」


 心配する必要はなかったようだった。

 この公僕、とんだ薄情者であった。


「お前こそ平気だったのか? 何か武装したマッチョに連れてかれてたけど」


 そこまで知っていてただ静観していたとは。


 薄情どころかとんだヘタレ野郎である。

 レオは心の中で加藤の評価を下方修正した。

 ただ、あの人目の中で気付かれず木の上に逃げおおせた機敏性は大したものだ。


「まあ、詳しいことは言えないんですけど。みんないい人たちだったので大丈夫でしたよ」


「その割には何だか暗いな。悩みでもあんのか?」


 加藤はどっかりとレオの横に腰を落として座りながらそう言った。


「ねえ、加藤さん。正義って何なんでしょうね」

「あんだけ病的にヒーローヒーロー言ってたやつの台詞とは思えねえな」


 加藤はまるで西から昇った太陽でも見たかのような顔になる。


「実はずっと憧れていた人に最近ようやく再会することができまして」

「よかったじゃねえか。いや、よくなかったのか? その調子だと」


 加藤に言っても仕方がないことだと思いながらも、深層心理では誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれない。


 レオの口は意外にもスムーズに言葉を発した。


「その人に、その人を見て感じたわたしの正義のあり方を否定されてしまったんです。それでまあ、道を見失ってしまったといいますか」


 加藤は何も答えず、口をつぐんでボール遊びに興じている子供たちをただ眺めている。


「加藤さん、少し訊いてもいいですか?」

「俺に答えられることならいいけど」

「加藤さんはどうして警官になったんですか?」


 実態はどうか知らないが、市民の安全を守るというのが警察官の職務であるはずだ。加藤から初動の志を聞けば何か参考になるかと思いレオは訊ねてみた。


「こち亀が好きだったからだな」

「……真面目に答えてくださいよぅ」


 レオは強く突っ込む気力も持てず、唇を尖らせることで抗議する。


「俺さ、実は忍者なんだ」

「あ、もういいです」


 無表情で僅かに抱いた期待をドブに捨てるレオだった。


「会話の掴みだと思って聞けよ。俺には歳の離れた妹がいるんだがな」

「…………」


 何の脈絡もない方向に逸れていく流れにレオの瞳は完全に死んでいた。税金泥棒の自称ニンジャに相談しようとしたことを後悔し始めていた。


「目に入れても痛くない可愛い妹だ。写真見るか?」


 加藤は携帯電話の画面を操作し、中に保存されている写真を見せつけてきた。別に見たいなんて言ってないのに。鬱陶しい。


 彼は意外とシスコンの気があるようだった。


「どうだ、可愛いだろ?」


 そこには赤茶色の髪の毛の幼女が笑顔でピースを向けて写っていた。

 確かに可愛い。

 自慢げに言うだけのことはあるなとレオは思った。


「妹は実家の里にいるんだが、俺が進学でこっちに出るって言ったときは相当ぐずってさ。納得させるのにえらく骨を折ったもんだ」


「兄妹で仲がいいんですね。……なんか羨ましいです」


 興味のなかった話題だったが、その部分だけは素直に羨ましく思った。里という単語は聞こえなかったことにした。


「後悔はしたくないからな。当たり前のようなもんでもいつまでもあるとは限らないし」


「当たり前のもの?」


「この公園にあるみたいな、クソ退屈そうな風景のことだよ」


 加藤は視線を前に向け、顎でレオにも顔を向けるように促す。


「俺は、こういう日常を少しでも守れたらいいって。そう思って警官になったんだ。平々凡々な日常をずっと繋ぎ止めておけるような、守っていけるようなやつになれたらいいってな。平和すぎるとこの間の不良みたいな馬鹿野郎もちょくちょく湧いてくるが」


「……加藤さんはちゃんと自分の意志で考えてるんですね」


「お前も同じだろ? いや、俺よりも全然ちゃんと考えてる」


「そんなことないです。わたしはずっと憧れの人の背中を追いかけて、その影をなぞるようにしてきたんです。でもわたしの考え方じゃ大勢の人は救えないって。その人に否定されて。それで何を信じて行動したらいいのかわからなくなってしまうくらい芯がないんです」


 レオは加藤に話した。

 多くを救うために選択して切り捨てる覚悟を問われたことを。


「その人はわたしにこの世界にヒーローがいるって希望を与えてくれた人で。わたしはその人を目指してきたんです。わたしはたまたま戦えるようになりました。だけど大きいものを見ていないわたしには本当は戦う資格なんかないのかもしれない。わたしが正しいと思ってきたことは貫いていていいことじゃないのかもしれないって。そう考えたら身動きがしづらく感じてきてしまって」


 レオは大鳳に相談したこととほぼ同じ内容を若干ぼかして加藤に伝えた。


「身動きがしづらいねえ……?」


 加藤は考え込むように顎に手を当てる。


「正義は一つじゃないから自分なりの答えを出せばいいって言ってくれた人もいたんですけど。わたしにとってあの人は絶対の肖像だったんです。だからなかなか割り切れなくて」


 答えを出し切ることができない自身に不甲斐なさを覚えながらレオは言う。


「なんかいろいろ悩んでるみたいだが、俺からすれば何がわからないのかがわかんねえよ」


「……は、はぁ? 何言ってるんですか?」


 レオは自分の悩みを根底からばっさりと否定するような加藤の言葉にすっとんきょうな声を上げてしまう。


「そもそも割り切る必要ってあるか? そいつの方針にお前が合わせようとする意味はあるのか?」


「いや、だけどわたしはあの人を目指してて……」


「難しいことはよくわかんないけどさ。どうせ一人の人間に守れるもんなんて限られてるんだ。だったら自分の守りたいもんを守っていけばそれでいいじゃねえか。遠くばかり見すぎて足元にあるものを見過ごしちまったら元も子もねえだろ」


「わたしの守りたいもの……」


 レオは頭の中で反芻し、答えを探ろうとする。

 七緒はデウスから世界を守るために戦っている。

 わたしもそうしたい。


 だけど、自分は彼女ほど世界という漠然としたものに固執してはいないような気がする。実際に戦う力を手にして、戦ってみて気が付いたことだ。


(なら、わたしは何を守りたくて何のために戦おうとしているんだろう……)


 黙りこくってしまったレオを見ながら加藤は口を開く。


「お前が戦ったからここにあるこの人たちの日常は今もこうして当たり前のようにあり続けてる。お前の持ってた正義がここにあるもんを守ったんだ。俺はお前をすげえって感じたし、十分ヒーローっぽいって思ったよ。守れたもんがすぐ目の前にあるのに、お前は自分を疑うのか?」


 そう言ってくれるのはありがたかったが、彼はなぜ自分をそこまで評価してくれているのだろうか。


「見てたよ。今日のお前。バーさんの荷物持ったり泣いたガキを慰めたり、大車輪の活躍だったよな」


 カラカラと笑い、レオの本日の行動を述べてくる。


「……ストーカーですか?」


 そっと座る位置を変えてレオは加藤からわずかに距離を取った。


「ば、馬鹿野郎! ちげえよ。声をかけるタイミングが掴めなかっただけだ」


 加藤は取り乱し、弁明する。

 なぜそこまで慌てるのか。


 怪しい。と、思ったが彼の職業を思い出し、あらぬ疑いをかけられたら困るのだということをレオは察した。


 冗談であるという旨を伝えると加藤は安堵の息を漏らした。


「マジで勘弁してくれよ。女子高生の一言でおっさんは人生が狂っちまうんだから」

「……はは、すいません」


 わりかし現実味のある発言にレオは苦笑するしかなかった。


「まあ、何が言いたいかっていうと。お前は根っからの馬鹿だってことだな」

「……酷いです」


 彼は自分を励ましてくれているのではなかったのか? ナーバスになっているレオには受け流す気力はなかった。


「褒めてるんだよ。小さいことも見逃さないで、困っている人を無視できない。偽善じゃなくそんなことができるのは本物の正義馬鹿だけだ」


「正義……馬鹿……?」


 若干涙目になっていたレオは雫を拭って訊き返す。


「正義は一つじゃないって、俺もその通りだと思う。お前は正しいよ。お前の正義は本物だ。だから自分に自信を持っていい。俺は思うぜ。お前が力を手に入れたのは偶然なんかじゃない。必然だったってな」


「……でも、わたしは」


「あーもう、うぜえ! ウジウジと梅雨入りみたいならしくない顔しやがって」


 レオの煮え切らない態度に苛立ちを覚えたのか加藤は髪を掻き毟る。


「つーかさ。ちょっと話を聞いた限りじゃ、お前にとって本当に大事だったことはそいつがどうこうよりも、そいつの行動からお前自身が受け取ったことなんじゃないの? そいつがどうだったとしても、お前のやりたいことは変わらないんだろ。だったらそれはお前の意思で、今のそいつがどうとかは関係ないと思うんだけど」


 思い返してみると確かに七緒がどのような考えで自分たちを救ってくれたかなんて四年前は知らなかった。


 勝手にこうだと推測して理想を作り上げていただけだ。

 実際の彼女が想像と異なっていたとして、レオが目指していた虚像は未だ心の中にあり続けている。


「お前は何になりたいんだ?」


「正義の味方に決まってます」


「ほらな。お前が憧れていたそいつがどうだとしても、お前の目指すものは何も変わらないんだよ。それはそいつを見て、お前の中に生まれたヒーロー像なんだから。実在がどうとかは関係ないんだ」


 むしろ存在しない幻影から解放されて、ようやく一歩目を踏み出す時が来たってことなのではないのかと。加藤はそう言った。


「お前はお前のままであればいい。いつかきっとお前の馬鹿正直な正義に道を照らされるやつだって出てくる。かつてお前が誰かにそうされたようにな」


 自分の正義が誰かを照らす……。

 そんな考え方をしたことはなかった。


 いつだって追いかけることに一生懸命で自分は常に受け取る側だと思っていたから。だけどヒーローになるならそれじゃ駄目なんだ。


「なら、しっかりしないとなぁ……」


 大鳳と加藤。二人からヒントをもらい、何かがもう少しで掴める。そんな気がした。


「……おい、なんかあれ、煙が上がってないか?」


 ふと、加藤がベンチから立ち上がりある方角を見つめる。


「煙……?」


 レオも顔を上げて加藤の視線の先を追う。

 公園の周囲の木々の間からもくもくと見え隠れする灰色の煙。あっちは江田園学園のある場所ではないか?


 もしや学園に何かあったのでは……。そんな予感が頭をよぎる。


「わたし、行かないと!」

「待て!」


 駆け出して公園を飛び出そうとしたレオは加藤に呼び止められ、振り返る。


「迷いは吹っ切れそうなのか?」


「……その答えを今から出しに行こうと思います」


「俺はあの日、お前に希望を見たよ。だからせいぜい、死なないようにやってこい」


 加藤はそれ以上止めようとすることはなく、レオはその言葉を背に受けて江田園学園へと向かった。

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