鎧装兵妃スケイルシード

遠野蜜柑

プロローグ『四年前①』


「ひっでえ有り様だな……」


 崩れ落ち、瓦礫と化した建物の群れを見つめながら坂神手寅はそう呟いた。


 軍の輸送ヘリに乗って上空数百メートルの高さから見渡した東京の街は荒廃し、あちらこちらから煙が立ち上っていた。


 ひび割れた道路には異形の姿をした青、白、紫などの色とりどりの化け物たちが所狭しにひしめき合っている。


 やつらは未確認生物体、通称『デウス』。そう呼ばれる侵略者たちである。


 デウスは数年前に突如世界中に現れ、各国の発電所や原発などの重要な施設を襲撃、破壊し人々を恐怖と混乱に陥れた。


 デウスとは唐突に訪れた人類共通の未曽有の危機。本来ならば国境の垣根を越えて全世界で一致団結し乗り切らねばならない相手であった。

 だが想像以上にデウスの猛威は凄まじく、米国を始めとする列強国も自国の防衛に手一杯というところまで追いつめられてしまった。


 他国からの支援を期待できないせいでデウスには各々の国が個別で対処にあたるしかなく、それがまた戦力の分散に繋がって人類全体の戦況を厳しくさせる負のサイクルになっていた。


 日本も自衛隊や警察から選抜された特殊部隊によってその迎撃を図ったがデウスの圧倒的な戦闘力にまるで歯が立たず、多くの自衛隊員や警察官が犠牲となった。


 そうして人類は連戦連敗を重ね、地球に廃墟と焦土がちらほらと目立ち始めた頃、デウスに対抗するための僅かな光、唯一の希望が生まれたのであった。


 とある考古学者が日本の遺跡で発掘した複数の遺物が適合者と巡り会うことでデウスに対抗しうる兵器となることが判明したのである。


 そして何を隠そう、その適合者の一人が手寅なのだった。さらに手寅とヘリに同乗し、街の惨状を見下ろして顔を曇らせる手寅よりも二つ年下の十四歳の少女、諸星七緒。


 彼女もまた手寅と同じく戦う力を持つ者だった。


 橙色の髪に吊り目で勝気な性格の手寅と、青みがかった黒髪に眉間に皺を寄せた真面目で犀利な印象の七緒。


 見た目も性格も趣味嗜好も正反対に近いくらい異なる二人だが、共に人類の平和のために戦う良き相棒として互いに信頼しあっていた。


 性格の不一致から出会った当初は衝突したこともあったが……それはまあ過去のいい思い出である。そんな世界を救う役目を背負う彼女らが今、地上で行われているデウスの侵攻を無視して上空を素通りしているのには訳があった。


 対策本部基地のレーダーにかつてない強大な力を持ったデウスの反応が検知されたのである。それはデウスの出現を機械によって探知可能になって以降、過去最大値を誇るものだった。


 二人が向かっている先にはその大きな反応を放つデウスが待ち構えている。レーダーはデウスが放つ特殊なエネルギー波を数値化して読み取り存在をキャッチする。


 これまでのデータから放つエネルギーの数値が高ければ高いほど戦闘力が増すことも確認されていた。そこから算出すれば、単純な計算でこれまで二人が戦ってきたデウスとは一線を画すのは明らかであった。


 さらにデウスの生態を解析している研究者の話では多くのデウスがこの大きな力を発するデウスの指示によって行動をしている可能性があるという。


 つまりこの親玉を討てば戦局が大きく傾くのではと本営は見ていた。今回の一戦で長きに渡る戦争に終止符を打つことができるかもしれない。


 これから向かう戦場はそんな重要な意味を持っている。それだけに手寅も七緒もこれまで以上に気を引き締めて責務に当たっていた。


(しっかし、こういう辛気臭い雰囲気は苦手だねェ……)


 手寅は口寂しさを紛らわせるために咥えていた棒付きキャンディーを取り出しつつ、機内に蔓延している重苦しい空気に辟易する。


 下町育ちの手寅には静まり返った場所で大人しく黙っているこの状況がどうにも窮屈でならなかった。


 もっとも、自身もこの心地悪さの形成に一役買っているという自覚はあった。それにそうならざるを得ない現状も理解していた。


(だけど……)


 我慢ならないものはならないのである。

 ああ、こんなピリピリしたムードになってしまったのは隊長が出撃前にプレッシャーになるようなことばかり言ったからだ。道頓堀の野郎が無責任に自分たちを持ち上げ、成功すると期待をかけてきたからだ。


 手寅はここにはいない、厳格だが部下思いの指揮官と応援してくれた同僚にお門違いな苛立ちをぶつけるという、あまり性格がいいとは言えない方法で気負いを軽減した。


 ちらりと相棒の七緒を見やる。


 彼女は先ほどから地上の惨劇を沈痛な面持ちでじっと見下ろし続けていた。


 七緒は自分と異なって真面目な性格だけに破壊されていく街に余計な責任を感じていなければいいが……。


 戦場での迷いは命の危険を増幅させる。戦いに身を投じるようになってまだ日が浅い手寅でもそのことは重々承知していた。


 自分だって緊張して平時より無口になってしまっているくせに手寅はそのことを棚に上げ、相方が戦闘で動きが鈍ってしまうのではと懸念するのだった。


「あれは……」


 突如、七緒が目を見開いて窓ガラスに顔を張り付ける。


「ン? どうした?」


 様子を窺っていた相棒の突然の変調に何事かと手寅は訊ねる。


「双眼鏡を取ってくれ!」


 並々ならない緊迫した雰囲気を纏い、七緒は手寅に手を差し出して要求をしてきた。手寅が速やかに双眼鏡を手渡すと七緒は窓から地上をレンズ越しに再び望見する。


「やっぱり……。逃げ遅れた一般市民がデウスの群れに囲まれている!」


 七緒の言葉に手寅は目を見張る。そんな馬鹿な! すでに住民には警戒警報がなされ、非難も済んでいるはずだ。それなのになぜ? 


「貸せ!」


 手寅は荒々しく双眼鏡を引っ手繰り真偽を確認する。


「マジでいやがるぜ……」


 周囲をデウスの群れに囲まれ身動きが取れなくなっている、どこかの学校のスクールバスが視線の先にはあった。

一瞬、無人車両であることを期待したがダメだ。間違いなく人が乗っている。セーラー服を着た女子学生の姿が確かに眼に映ってしまった。


「本部に連絡を。今から救助に向かいます」


 淡々とした口調で七緒はそう言うと操縦士にハッチを開くように指示を出し始める。


「何言ってんだ! お前、正気か?」


 これから控える任務の重要性を考えればどちらを優先するべきなのかは明白だ。手寅は七緒を嗜めようとする。


「私はいつだって正気だ。目の前で危険に晒されている人たちがいるんだぞ。見殺しにはできない。救えるものは一人でも多く救う。私はできる限りのたくさんの人を守りたい。それが私の戦士として貫く正義だ」


 七緒はそう言って力強い眼光で見据えてきた。スポーティなボブカットのまっすぐな前髪から覗く瞳はどこまでも澄み渡っていて一念の曇りもない。


「戦士ってお前ね……」


 確かに手寅も七緒も、戦士と呼称できるだけの力を有しているが……。


 花も恥じらう思春期の少女として、その自負はどうなのだろう? 男勝りな性分の自分が言うのもアレではあるが、七緒も大概変わっている。頭を掻きながら手寅は呆れつつも彼女の胸の内にある確固たる信念に感心してしまう。


『七緒! 救助に向かうとはどういう意味だ!?』


 本部からの無線が入り、隊長の焦ったような声が響く。


「言葉通り、そのままの意味です。私はこれより一時離脱し単騎で下降して地上で一般市民の救助活動にあたります」


 基地の最高責任者である隊長からの直々の問答にも七緒は落ち着いた口調で対応して降下の準備を進めていた。


「隊長、行かせてやってくれよ。あたしなら一人でも大丈夫だって」


 こうなった七緒は止められない。

 いつも隣で戦ってきた手寅はそのことをよく知っていた。彼女は生真面目で口数も少ないが、こうと決めたらまっすぐにどこまでも突き進む頑なさを持っている。


 一人でも多く、目の前で困っている人を助ける。今はきっとそのことしか頭にないのだろう。


 普段は大人しく聞き分けよく黙っているのに自分の信念に基づいたこととなると七緒は年上である手寅にも物怖じせずにズケズケと主張をしてくる。というか七緒は手寅に対しては常日頃から敬語も使っておらず、そもそも年上扱いされていなかった。他のメンバーには馬鹿丁寧にきちっとした言葉遣いをしているというのに。


『だが、今回の戦闘はデウスとの戦いに決着を着けることができるかもしれない重要な一戦だ。失敗させるわけにはいかん。それに敵の力も未知数だ。戦力を分散させれば効率は落ちる。作戦を続行するんだ』


 七緒の単独行動を即刻却下する隊長。

 当たり前だ。部隊を預かる責任者として人類全体の命運と一部の数人の命。どちらを優先するかと言われれば選ばなくてはいけないのは間違いなく前者だ。


 そして隊長が七緒と手寅の身の安全を案じているということもわかっていた。


「では隊長、彼らを見捨てろとそう言うのですか?」


『そうは言っていない。だが、大義を見失うな。自分たちがやるべきことを忘れるんじゃない。……逃げ遅れた一般市民がいるポイントには今から救助を向かわせる。だからお前たちはそのまま目的地まで行くんだ』


 確かにリスクと天秤にかければそれが最善の策に思われる。だが、七緒は納得しなかった。


「ですがッ、それではきっと間に合わない!」


『……ッ』


 隊長が無線機の向こうで唸る。

 救助が間に合わない。その可能性は大いにある。むしろ救助に行った部隊が危険に巻き込まれ、余計な損失を招くことも考えられる。救助に向かって無事に助けられる確率が高いのは対デウスの戦力に特化した自分たちに違いない。


『隊長、いいじゃないか。行かせてやろうぜ。手寅のサポートは俺たちがしっかりやっておくからよ』


 戦闘機に乗って手寅たちの遠方支援をする予定の道頓堀太一が通信に割り込んできて口添えをしてきた。


「道頓堀……」


 まったく、ズボラでお調子者のクセにこういう時だけ気の利いたことを言うヤツだ。だが今はその言葉がいい追い風となった。


『むう……。わかった。ならば行って来い。可及的速やかに対処し、市民の安全が確保でき次第、手寅君たちと合流するんだ。こちらからも支援部隊を派遣する』


 隊長も本来合理主義者ではない。

 どちらかと言えば感情を優先してしまうタイプである。多数を救うために小数を切り捨てることをそう簡単によしとできるわけがないのだ。

 きっと内心では七緒のように助けに向かうことを選択したかったに違いない。


「手寅、道頓堀さん。それに隊長。ありがとう」


「珍しく殊勝な態度だな。ハハッ、もしかして死亡フラグか?」


「……フラグ?」


 手寅の軽口に七緒は首を傾げる。どうやら意味が伝わっていないようだった。

彼女とは同年代のはずなのに途方もない世代の隔たりを感じる。


「この若年寄りめ」


 手寅は七緒の眉間に指を弾く。


「あうっ! 何をする……」


 七緒は痛む額を押さえながら不満げに見つめてきた。


「まあまあ、軽いスキンシップだろって」


 頭を撫でながら宥め、膨れっ面になる七緒に笑いかける。

 手寅はこうやって生真面目な七緒をからかうこともしばしばだったが、本心では他人のために一切の下心を持たず迷いなく突っ走れる年下の少女に一目置いているのだった。


 友人を救うために行きがかり上で深く考えず戦いに身を置くことになった自分とは異なり、世界の平和という大望を抱いて武器をとった七緒にはどこまで行っても追いつけそうにないとそう思っている。


 自分の見えている周りの小さな世界だけを守れればそれでいいと思っている手寅と自分に関係のない人々の日常まで守ろうとする七緒では見ているものの大きさが違うのだ。


 自分にはそこまでの意識の高さは持てそうにないが、それでも彼女の背中押しくらいはしてやりたい。


 七緒ならそれくらいの大きな正義も成し遂げることができると信じているから。


「高度を下ろしますので、しばらく待って下さい」


 操縦士が七緒の着地に合わせてヘリの飛行高度を下げようとする。だが。


「その必要はありません。下手に下降すればこのヘリにも危害が及ぶかもしれない。この高度のままで十分です」


 七緒はそう答えると手首に嵌めた透明な水晶が埋まったブレスレッドに触れる。黄金色のそれは遺跡から発掘された遺物の一つでありデウスに対抗できる唯一の武器となる。


 遺物の形状は各種それぞれで異なっており、手寅が所有するものはペンダントの意匠でペンダントトップのカプセルには銀色の液体が詰まっていた。


 研究者たちの話ではこの宝石や液体が未知なるオーバーテクノロジーを引き起こす要因となっているらしい。詳しい仮説の説明もなされたが長い話が苦手な手寅は右から左で受け流したため、まったく頭に残っていない。


「できるだけ早く済ませてそちらに向かえるようにする。それまで何とか耐えてくれ」


 後部のドアを開くと上空のひんやりとした空気と風が機内になだれ込んでくる。


「お前が到着するころには全部終わってるかもしんねえけどな」


 相方を強大な敵の元へ一人で行かせることに罪悪感があるのか、申し訳なさそうな顔を見せる七緒に手寅は軽いノリで送り出す。


「……フッ。そうなるといいな」


 ニヤリと互いに笑い、それぞれの無事を祈りあう。


「では、行って参る」


「参るっていつの時代の人間だよ!」


 手寅は地上に飛び降りていくその背中にそう声をかけた。

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