02 セフレってなんだよ!

02-1 捨てられたポスター

 伊羅将いらはたの家は、学校から駅前を抜けて山頂に神社を戴く山に入ったところにある。田舎だし広いだけは広いのだが、かなり築年数が経っている。いくら昔の良質な木材を使っているとはいえ、もうボロボロだ。


 住んでいるのが父親と伊羅将、気の利かない男ふたりだけだから、余計に劣化が激しい。それに家の前の道路が林道同然で舗装もされておらず、ぬかるむ上り坂で石もごろごろ転がっているので、雨の帰宅はものすごく憂鬱になる。


 その分、朝はましだ。下りだから。それだからこそ、万事投げやりな伊羅将でさえ、なんとか足が進むわけで。


 徒歩二十分――。この通学ルートだと、学園の通用門が近い。裏口からこそこそ入って行くのが、やる気のない自分にはふさわしいと、伊羅将は自嘲していた。


「これは……」


 門の前で、伊羅将の足が止まった。ゴミ箱の中に、見慣れたものが捨てられていたからだ。取り上げてみると、「人類がネコと平和でありますように」とある。花音のポスター。けっこう枚数がある。おそらく昨日、サミエルが持って行った奴だ。


「あの野郎……」


 くしゃくしゃの奴は残し、状態のいいものをなんとか救い出すと、自分のロッカーに保管した。


 始業前の教室はだらけ切っていて、皆それぞれ昨日の出来事だのネットの話題だのを話している。隣席の男子は中等部から来た進級組と知っていたので、それとなくサミエルのことを尋ねてみた。


「サミエル? 奴は一年A組だ。ある意味、学園の有名人だな」


 竹内というその男子は、意味ありげな笑顔を浮かべた。


「中等部では生徒会長だったとか聞いたけど。人望があるのか」

「まさか」


 ゲラゲラ笑われた。


「権力だよ。あいつに逆らうと追い出されるからさ。副理事長の息子だし」

「でも選挙なんて、誰が投票したかわかりゃしないんだからさ」

「わかるらしいよ。見えないマーキングが紙にしてあって」

「どこの警察国家だよ」

「選挙を仕切ってるのも生徒会だからな。やりたい放題さ」


 竹内は、サミエルのことをいろいろ教えてくれた。嫌な奴ナンバーワン。力をカサに着てやりたい放題。学園外でもずいぶんひどいことをしているらしい。父親はとある任意団体の上部組織を取り仕切る権力者で、息子の悪行を揉み消して回っているという。


「なんたって教師の組合にまで睨みが利くから、先生たちも見て見ぬふりってわけさ」


 サミエルは、本当は漢字で「作務蚯慧琉」と書くらしい。


「なんだよそれ。DQNネームじゃん」

「両親の頭の程度も知れるだろ」

「ああ。それにしてもカナで四文字なのに、漢字は五文字とか」

「お前の『物部伊羅将』よりひどいな」

「ほっとけ。……ところで神辺花音かんなべかのんって女子、知ってるか」

「中等部三年A組。男子の間で毎年密かに行われる中等部・高等部通しの美少女投票で、去年は接戦の末、一位だったな。ただ理事長の娘だから近づき難くて、アタックする奴はいない」

「理事長の……それで」


 サミエルの説得が必要だと話した、花音の悲しげな顔を思い出した。


「前に一度、事情を知らない転校生がコクったんだ。キモい奴だったから絶対無理だって思われてたのに、なぜかあっさりと付き合うことになったらしいよ。転校生のパソコンでなんかやるとかいう話で。ただそれが悲劇の始まりで……」

「ど、どうなったんだよ」

「なんだかカンニングしたって話になって、早々に退学させられてた」

「……それって」

「もちろん、サミエルの陰謀だろう」

「それで友達がいないのか、花音には……」

「女子には知り合い多いみたいだけどな。上級生に到るまで。妹さんも下級生だし」

「あれは知ってるか、ネコのポスター。『ネコは見ていますよー』とか」

「あったあった。学園の周囲、あればっかだよな」

「あれって、どういう意味?」


 首を振った。


「さあ……。誰かのイタズラだろうって話だけど」

「そうか……」

「でも、妙に真剣な顔で眺めてる奴も、一部いるがな。コンパニオンアニマル科の生徒に多い」


 ちなみに大海崎リンという女子のことを、竹内は知らなかった。もしかしたら美少女投票でその名前を見かけたかも……程度の話だ。


          ●


 授業が始まった。伊羅将の席からは教卓が遠い。マイクで話す歴史教師の声を聴き流しながら、伊羅将は窓の外の校庭を眺めた。


 多摩の山べりの学校らしく、校庭には余裕があり、楡の大木が何本も枝を太々と広げている。新緑に輝く葉を春の陽が優しく照らし、穏やかな風は花壇の花と葉を揺らしている。


 うららかな春の風景をぼんやりと眺めながら、伊羅将は物思いに耽った。


 私立なのに公立より授業料が安いので、少子化時代でも神明学園には生徒が多い。マンモス校として全国的に有名なくらいだ。学年あたりのクラス数は、普通科だけでA~Hの八クラス。高等部にはさらに、コンパニオンアニマル科がα~γの三クラスある。


 伊羅将の所属する一年C組は六十人。普通科はおおむね男子四十人、女子二十人のクラス編成だ。これがコンパニオンアニマル科になるとひとクラス男子五人、女子三十人となるので、「ハーレム」と呼ばれているらしい。そうした妬みが、普通科との間に溝を広げる遠因になっているのだろうか。


 ふと思い立って、スマホで花音にメッセージを送ってみた。すぐ返事が来た。



わあー イラくんだあ

花音 なんだか眠いの

春だからかな



 伊羅将も返事を返す。またすぐにレスがあった。



授業中には、いけないんだよ

見つからないかと ドキドキもの

でもわかった

お昼休みにピロティに行けばいいんだね



 クラスがどっと沸いて、全員の視線が伊羅将に集まった。どうやら物部氏の話が出たらしい。


 ――はいはい。当方、もう飽き飽きしてる反応ですがな、それ。


 無視してメッセージを読みながら、伊羅将は溜息をついた。

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