第32話 誰にだって知られたくない過去はあるものだ

「そういえば」

「ん?何?」

「琴音さん、何気に知り合い多いですよね」

「よっと」

 琴音はアルバムを仕舞いこみ、

「知り合い?」

 元の位置に胡坐をかく。

「はい。王先生とか、えっと……」

「ああ、東のオッサンか?」

「あ、そう。東先生です」

 オッサンは無いだろうとは思うが、見た目が見た目なので突っ込みは入れずにおいた。だって、どう見たって教師より浮浪者寄りだ。

「あー……」

 琴音は頬を掻きながら何とも気まずそうに、

「昔……ちょっと、な」

「は、はあ」

 黎は何となく、

「あれですか。病気がちでよくお世話になった……とか」

 思いついた事をぶつける。琴音は髪を弄りながら、

「んー……まあそんな感じだ」

 何とも歯切れが悪い。と、言うか、

「……琴音さん」

「な、なんだ?」

「学校で言いましたよね。その辺の理由も教えてくれるって」

「う」

 黎はじっと見つめる。暫く目線を逸らして知らないふりをしていた琴音は、やがて降参とばかりに両手を上げ、

「あー!分かった。話す!話すって!」

 正座に座り直して、肘をつき、

「……不登校気味だったんだよ」

「不登校、ですか?」

「そう。自慢する事じゃないけど、アタシ成績よくねーし、あの頃は特にやりたい事が有ったわけでも無いしで、学校が嫌になってた時期があってな」

「は、はあ」

「それで、まあ、保健室に行ったりとか。そういう事してたんだ」

「あ、だから不良娘なんですか」

 琴音はなんとも気まずそうに、

「ま、まあ。そういう事、になるかな」

「なるほど……それじゃあ、王先生は?」

「あの人はそん時の担任だよ」

「はぁ~……」

 何とも奇妙な縁が有る物だ。いや、学校何て案外そんなもんだろうか。

「そういう訳。満足した?」

「あ、もう一つだけいいですか?」

「…………うん」

 どうやら琴音はこの話題を早く打ち切りたかったらしい。しかし、気になる物は気になるのだ。

「えっと、琴音さんと久遠さんのお母さんって、仲悪い、ん、です、よね?」

 うわぁ。琴音は比較的考えてる事が顔に出やすいが、今回は異常に分かりやすかった。というか「のお母さん」辺りから露骨に不機嫌になっていった。そんなに仲が悪いのか。

「うん。っていうか仲良くする理由は無いよね?」

 即答。しかも心なしか声が低い。さっきと違って明確な「拒否」のオーラを感じる。しかし、流石にそれではまずいと思ったのか、琴音はため息をつき、

「……どうしても知りたいなら、ひーちゃんに聞いたほうがいいよ。アタシからの印象はともかく、向こうのアタシに対する印象はひーちゃんの方が正確に把握してると思うよ」

「は、はあ」

 沈黙。やがて琴音がバンと膝を叩き、

「……ハイ、ここまで!作戦会議するよ!」

「は、はい」

 黎はその威に押される。

「まあ、作戦って言っても、アタシが何とかして久遠と連絡を取るってだけなんだけどさ」

「それだけ、ですか」

「そう」

 黎は何となく不安になり、

「……久遠さん、僕と会ってくれますかね?」

「それは大丈夫だと思う」

「それ“は”ですか」

「あー……」

 琴音は腕を組んで、

「黎」

「はい」

「ここからはアタシの想像でしかない。でも、長らくあの子を見てきてるから、恐らく合ってると思う」

「は、はあ」

 黎は何が言いたいのか分からず気の無い返事をする。そして、琴音はそんな事は全く意に介さず、

「あの子、久遠は男を恋愛の対象として見てない可能性がある」

「え」

「久遠はさ、結構厳しく育てられたんだ。だから当然、異性っていう物と触れる機会もあんまり無かった。と、言うか、友達らしい友達も殆ど居なかった、んじゃないかな」

 思い出す。教室での光景を。彼女は生徒会長として有名だった。しかし、それだけだ。彼女を“友人”として語る同級生を、少なくとも黎は見たことが無い。

「だったから、なのかな。あの子はアタシと出会うまで、殆ど姉にべったりだったんだ。勿論、姉が娯楽を与えてたってのはあると思う。ただ、そのせいか、割と最近まで、『奏と結婚する』って本気で言ってた、気がする」

 琴音は肩をすくめて、

「当然、久遠もそんな事は不可能だって分かってるんだ。でも、どこかで、諦めきれない。そんなわだかまりを抱えた時に出会ったのが黎、だったんだと思う」

「あ……」

 気が付く。確かに、彼女にとって「月守遥」という人間は、恋愛をする相手とじてのハードルが、実の姉である奏よりは低い。しかし、

「そんな理由だったんですか?」

「多分、そう。少なくとも、最初は」

 最初は。つまり、

「今はさ、明確に“遥”を恋愛対象として見てると思う」

 そこまで言って少し目を細め、

「そうじゃなかったら、キスはしないと思う。あの子は、そういう子だから」

「そう、なんですか?」

「そう。アタシが『キスしよ』とか言っても絶対良いよとは言ってくれなかった。完全にお遊び気分で言ったとしても、凄く真面目な雰囲気で断られた。その時に言ってたんだ、」

 何かを思い出す様に一瞬目を瞑った後、

「『キスは恋人にするものだよ』って」

 黎は思わず、

「で、でも僕と久遠さんは」

「まあ、実際は何かの受け売りだとは思うよ?でも、久遠に取ってのキスって行為はそれくらいの意味が有るって事は確か」

 黎は思わず俯いてしまう。だって、これは駄目だろう。久遠がそんな思いを抱いていたなんて知ったら、

「……でも、それはあくまで“遥”に対しての感情」

「……え?」

 黎は思わず顔を上げる。

「確かに“遥”と“黎”は同一人物だよ?アタシなんかはそれで違和感はない。けど、あの子は多分違う。だから、黎を恋愛対象として見るのには、時間がかかるかもしれない」

「あ……」

「それと、あの子はああ見えてもすっごい人見知りだから、黎に対して“遥”と同じ様に接するには少し時間がかかるかもしれない」

「っていう事は、僕が会いに行っても」

「あんまり上手く行かないかもしれない」

 琴音はびしっと黎を指さして、

「そこでだ、黎!」

「はい!」

「久遠と会う時、遥になりなさい」

「…………はい?」

 とんでもない事を言い出した。


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