第23話 愛のカタチ

(高そう……)

 遥が、最初に抱いた感想はそれだった。

 それもそのはず。まずハンドルの位置が左だ。

外国車が全て高いという訳ではないが、国産車と比べて維持費がかかるのが常である。加えて、ハンドル部分に有るエンブレムはいわば「高級車」の代名詞である某メーカーの物だった。しかもセダンタイプなので、安いクラスの物でない事は確かだ。

 勿論、琴音の持ち物とは限らない。家の車を借りてきているという可能性の方が高いだろう。しかし、内装はかなり綺麗だ。丁寧に乗っているとも解釈は出来るが、それにしたって長らく使っていたらもう少し「使用感」の様な物が出る。つまり、買ってからそこまで経っていない。そんな車を(恐らく免許を取ってからそこまで経っていない)娘にポンと貸すだろうか?しかも目的は「友人のデートを見に行くため」である。

 そんな事を考えながら車内を眺めていると、

「……珍しい?」

 琴音に気づかれる。

「いや、良い車だなぁ……と」

 口元を緩め、

「ありがと。遥と好みが近いってのは嬉しいな」

 好み。と、いう事は、

「あの、この車の持ち主は、」

「ん?私だよ?」

 正解。そして、驚愕。琴音が幾つなのかを遥は知らない。しかし、子供向けのピアノ教室で一緒だったという事はそう年齢に差は無いはずだ。せいぜい数歳上くらい。社会人として働いていてもおかしくはない歳という事も有り得るが、このレベルの車をポンと買えるとは思い難い。

 そんな遥の疑問を感じたのか、

「この車はね、親戚の人に貰ったの。免許取ったんだって報告したら、『凄いな!それじゃあ車が必要だね』って」

「何て言うか……気前がいいですね」

 琴音は苦笑して、

「そうだね。アタシも最初は冗談だと思ったよ。でも、あの人は本気でさ。『いいよいいよ!どうせ買い替えるつもりだったから』って言って、これをくれた。多分、前に乗った時喜んだのを覚えてたんだろうね」

 琴音はハンドルをあやすようにさすりながら、

「最初は手こずったよ。免許はMTで取ったから大丈夫だったけど、物が物だから、難しくって」

「難しいんですか?」

「もうね、全然。まずハンドルの位置で苦戦したね。見える景色が違うんだもん」

 笑う琴音。そのハンドル捌きには一切の迷いが無い。

「でも、今はその、上手に運転で来てますけど」

「ありがと。これでも、練習したからね。貰った時は嬉しかったし、良い車だと思ったから、運転出来る様になって……なりたくて」

 沈黙。遥はなんとなしに窓の外を眺める。既に日は落ちかけ、視界は暗い。弱くなる気配の無い雨が路面を、車体を、窓を叩き続ける。視界を遮らないようにワイパーが規則的に往復する。その先には雨と水滴で滲んだテールライトがいくつも写っている。

 暫く直線を走ったのち、琴音が慣れた手つきでウインカーを出し、ハンドルを切る。

 やがて琴音が、道を曲がり切った辺りで、

「そっか、何か足りないと思ったら」

「な、何?」

 琴音は右手でカーラジオを指さして、

「遥さん。悪いんだけど、ラジオ付けてくれない?」

「は、はい」

 遥はぐっと乗り出して、確認する。カーラジオを操作する事なんて滅多にないが、構造は同じのはずである。電源と思わしきボタンを押し、

『――なら。○○タイヤ!』

「うわっ」

 いきなり音がする。それを見た琴音が失笑して、

「大丈夫?」

「あ、あはは……大丈夫です」

 遥はすとっと元に戻り、ラジオに耳を傾ける。どうやら今はCMをやっているらしい。時間は……17時58分。遥はぽつりと、

「……門限大丈夫だったかなぁ……」

「あれ、ひーちゃんの門限、知ってるんだ」

 聞こえていたらしい。ラジオは丁度隙間の時間だった。

「はい。最初にアキバで会った時だったかな……門限があるからって言ってたんです」

「そっか、そんな時から、ね」

 黙ってしまう。何を考えているのだろうか。遥からは表情を伺う事が出来ない。

「今日はね、大丈夫。生徒会の用事がある事にするって話だったから」

「そう……なんですか」

 再び、沈黙。遥は言葉に窮してしまった。聞くべきことは沢山あるはずなのに。

 ラジオからは外の景色とは対照的に、陽気な音楽が流れる。やがて、その音楽も小さくなり、

『――先日ね、ディレクターさんが「いやーこの間うちの子らが兄弟喧嘩おっぱじめちゃってね、止めるのに苦労しましたよ」なーんて言ってて。それを聞いてふと思ったんだけど、「あれ、年取ると兄弟喧嘩ってしないのかな?」って。僕なんかは一人っ子だから良く分からないんだけど、やっぱり歳を取ると丸くなったり、「お前、なかなかやるじゃねえか」「へっ、お前もな」とかなったりするのかな?って。そんな訳で、今日のテーマは、「兄弟姉妹と仲良いですか?」って事で――』

「姉妹……か」

 MCの言葉に琴音が反応する。

「居るんですか?」

「居ないよ、私はね」

 私「は」。その「は」が表す相手は言うまでもない。遥は意を決して、

「琴音さんは、刹那さんのお姉さんを」

「知ってるよ。何度も会ってるしね」

「――どんな、人なんですか?」

 琴音は「うーん」と唸り、

「どんな……って言われると難しいけど、強いて言うなら、凄く自由な人、かな?」

「自由……ですか」

「そ」

 その単語は久遠の口からも聞かれた物だ。

「っていうか、突然どしたの?お姉さんの話だなんて」

 運転しながら語り掛ける、琴音の声は柔らかい。

「えっと……」

 だから、悩んだ。こんな話を、姉の善意が妹を傷つけているなんて話をしてもいいものなのだろうか。

 遥は口ごもる。琴音は、そんな様子に対して何を言う事も無く、ただ待っている。やがて、ウインカーが灯る。琴音が再びハンドルを切る。その先の光景も、決して見慣れた物では無い。きっとたどり着くまでにはまだ時間がかかるのだろう。

「……これは、刹那さんから聞いた話、なんですけど」

 一体、どれくらいの時間を待たせたか分からない。凄く長い時間の気もするし、遥がそう感じているだけで、実際は本当に瞬きをするような時間だったかもしれない。そんな後に切り出された遥の語りに琴音は、

「……うん」

 一つだけ、返事をする。様子に変わりはない。彼女の瞳はまっすぐに窓の外を見据えていた。取り敢えず聞いている事だけは間違いない。遥は語りを再開する。

「まず前提として、刹那さんの同人誌は、前回のイベントで150部完売したんです。なんですけど、余り嬉しそうにしてなかったから、私は『もっと喜びましょうよ』って言ったんです」

 反応は無い。しかし、聞いていないという事も無さそうだ。遥は続ける。

「それでもあんまり喜んでなくって。なんでかなって思ってたんです。それで、今日、刹那さんにその事を聞いたんですよ。そしたら、『売れた同人誌は殆どお姉ちゃんのおかげだ』って。『前々回は10部しか売れなかった』って。刹那さんが言うには、お姉さんが手を回して、父親の部下を使って買いに越させてた、らしいんです」

 車がゆっくりと速度を落す。渋滞に引っかかったらしい。

「琴音さん」

 間。

「何?」

 遥はぐっと拳を握り、

「刹那さんのお姉さんが、その、やったと思いますか?」

「思うよ」

 即答だった。

「多分、あの子が想定してるような事は全部、やってるんじゃないかな」

「……やめてもらう事は、出来ないんですか?」

「どうだろうなぁ……あの子の描く漫画が、皆が皆、良い物だって思えるような物だったら、何とかなったのかもしれないね」

「それは……」

 少なくとも現状では無理な話だった。将来性で言えば可能性はある。少なくとも、絵が上手いというのは大きなアドバンテージだろう。それに加えて、起承転結がおかしいわけじゃない。つまり、根本的な話の構築は出来ている事になる。だから、きっかけ一つで良くなるかもしれない。

 しかし、それは未来の話だ。今じゃない。

 遥は、黙るしかなかった。琴音は、そんな遥の言葉を待つような時間を置いてから、一つ、息を深く吐き、

「ねえ、遥」

「は、はい」

「一つ、昔話をするけど、いいかな」

「は、はい?」

 車が完全に止まる。

「あの子――ひーちゃんと、お姉さんの関係にまつわる話」

 お姉さんとの関係。遥は思わず、助手席で背筋をピンと張る。琴音はそんな様子を見て、

「そんなにかしこまらなくていいよ」

 と、笑みをこぼす。やがて、遥が姿勢を崩すことは無さそうだと思ったのか、前を向きなおし、

「昔々、あるところに天涯孤独の女の子が居ました。女の子はやがて大きくなり、男性と恋愛の末、結婚しました。妻となった女の子はほどなくして、一人の女の子を身ごもり、出産します。母となった妻は大層喜びました。何せ彼女には血のつながった家族が一人も居なかったのです。この世で唯一の、血のつながった娘。彼女と夫は、その娘に大きな愛情を注ぎました。欲しいと言った物は全て与えられ、望む事は可能な限り叶えられ、自由気ままに育っていきました。やがて娘は大きくなり、小学校へと進学します。彼女は頭も良く、多くの才能に恵まれていました。だから、小学校でも花々しい日々を送る物だとばかり思われていました」

 遥ははっとなる。娘というのは久遠のお姉さんの事だ。自由気ままに育ったという部分も一致している。

「しかし、小学校に入り。彼女は早くも問題を起こします。自分が中心でないと気が済まない彼女は席替えでごねて、日直でもごねて、それを糾弾されてもごねました。母は悩みました。一体どうしてこんな事になってしまったのだろうと。困った彼女は夫に相談します。夫は悩んだ末に『もう少し叱る事をしたらいいのではないか』という提案をします。納得した母は、ある日から娘を叱るようになります」

 琴音がアクセルを踏む。渋滞の中、ほんの少しだけ車が前に進む。

「娘は最初に驚き、後で怒りました。当たり前です。今まで自由にさせてくれた、味方のはずだった母が敵に回ったのですから。それでも母は“叱る事”をやめません。だから、娘と母は喧嘩しました。夫が仲裁に入って何とか仲直りはしましたが、それ以降、二人の間には大きな亀裂が走ってしまいました」

 琴音がブレーキを踏む。再び車体が緩やかに速度を落として、止まる。

「幸か不幸か、この頃の母は二人目の子供を身ごもっていました。やがて、生まれた二人目の娘を見て、彼女は思います。この子は正しい子に育ってほしい、と」

 遥は思わず、

「正しい……ですか」

「そう。正しい子。そんな物ありはしないのに」

 沈黙。

 やがて琴音が、

「……続けるね」

 そう言って、昔話を再開する。

「やがて生まれた妹は、姉同様に愛を受けて育ちました。ただ、姉とは違い、自由気ままにはさせてもらえませんでした。これをやりなさい、これをやっては駄目ですよ。そんな制約が掛かっていました。最初、妹は疑問に思いました。どうして私はこんなに制約があるのだろうと。そんな時に声を掛けたのが姉でした」

 間。

「姉は父親に相談した上で、妹にある程度の娯楽を与えるパイプ役を買って出ました。父親が買い、姉がそれを受け取って妹に渡す。ただし、妹の部屋に置いておけば母に見つかります。だから、姉はそれら全てを自分の部屋に置きました。そして、母が家を留守にする時に二人で楽しんだのです」

 間。

「やがて、妹も大きくなると、父親は買い与えるのではなく、妹の要望を姉経由で聞くようになります。それに加えて、姉が読んでいる漫画にも目を通すようになります。そのうち、姉は自分で漫画を描くようになります。それに倣って妹も漫画を描くようになっていきます」

 ワイパーが窓をぐっと拭う。その先の雨は既に弱くなってきていた。

「ここからはアタシの推測だけどさ、」

 琴音はそう切り出して、

「結局ひーちゃんのお母さんも、お姉さんも根本は同じなんじゃないかって思うんだ」

「同じ、ですか」

「そう。どっちも自分の娘とか、妹が好きすぎるんだよ。お母さんだって、やる事は極端だけど、そこには愛がある。お姉さんだって、やってる事はまあ、どうかとも思うけど、そこには愛があるよね?」

「ま、まあ」

「だから、同人誌を買うって行為が、ひーちゃんの為にならないって分かればやめてくれるんじゃないかなって」

 それが難しいんだけどね、と琴音は肩をすくめ、

「遥」

「はい」

「アタシがこんな事言うのもなんだけど、ひーちゃんと仲良くしてやって欲しいんだ」

「それは、はい」

「あんがとな。最初遥の事を知った時はびっくりしたよ」

「びっくり、ですか?」

「ああ。だって、今まで姉にべったりだったあの子が『友達が出来たんだ』なんて嬉しそうに報告してきたんだ。どんな人か気になるだろ?」

「……胸を揉むのもそれが理由ですか?」

「いや、それはアタシ個人の興味」

 遥は思わずずっと距離を置く。

「いや、悪かったって。何かすっごく好みだったからつい、な」

 つい、で許されるなら警察は要らない。ただ、なんとなくだが、一度嫌がった事をする人でもない気がする。だから、遥は元の位置に戻る。

「……いい方向に転がるといいんだけどな」

「え?」

 遥は思わず聞き返す。しかし、返答はない。琴音は窓の外をじっと見つめている。その瞳が見ている景色は、遥とは違う。そんな気がした。

 やがて、車体がゆっくりと走り出す。眼前にある渋滞。その隙間から見える景色は見覚えの有る物に変わっていた。

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