第22話 沸点50%オフ

「ここなら、大丈夫……だね」

「そうね……」

 久遠が回りを見渡す。遥に手を引かれていたため、現在位置が分からないらしい。やがて、看板を見つけ、

「駐車場……?」

「はい」

 そう。駐車場。遥達は電車で来ている為使わなかったが、駐車スペースと園内の間に待合室みたいなものが設けられていたのだ。長居するには向かないが、一時の雨宿りには適していると言えた。

 なんとなしに周囲を眺めていた久遠だったが、やがてスイッチが入ったように、

「あ!か、傘探さないと!」

 再びバッグ内の捜索を再開する。さっきと違い、屋根も有る。久遠はバッグを手ごろな所に置いて、しゃがみながら、

(……!?)

 遥は思いっきり息を飲む。ここに来るまではとにかく雨宿り出来る場所を見つける事に必死で、それ以外に気を配る余裕が無かったし、それ以前に遥が自分の後ろを歩いていたから、視界の外に有ったという事情もある。とはいえ、これだけの雨の中、暫くは傘もささずに居たわけだから当たり前といえば当たり前なのだが、

(胸がっ……!)

 透けてる。もう完全に、余すところなく透けてる。シースルーもびっくりである。加えて、久遠より遥の目線が上に有るため、普段は見えるはずもない部分が良く見える。具体的に言えば胸の谷間で有る。

「おかしいなぁ……」

 そして、当の久遠はそんな事は気にもかけずに捜索を続けている。そりゃそうだ。彼女は女性同士だと思っているのだから、透けた下着だとか、胸の谷間が見られたとしても気にする必要は無い。遥以外の視線が有れば気にもするのだろうが、幸か不幸か今この場には二人以外に誰も居ない。

 参った。いや、正直な所眼福と言ってしまえばそうなのだが、女性だと思われているから見られているものを凝視するのは何ともいけない感じがする。あ、いや、それを言ったらさっきのキスもまずい事に……違う、あれは胸の事と相殺になったからいい……いやいや、そもそもそれ自体が女性だと思われているからで、

「琴ちゃんが入れたって言ってたんだけどなぁ……」

 ん?久遠の独り言で我に返る。琴音が入れた?っていうか琴音が傘を「入れたと久遠に伝えた」?つまり久遠は傘を実際に確認したわけでは、

「お困りの様だね」

「わっ」

 びっくりした。周囲に気を配っていなかったから、目の前に止まった車の存在に気が付かなかった。

 車の窓から顔を出したのはサングラスに金髪という何とも怪しげな、

「…………琴ちゃん?」

 金髪がびくっと震え、

「な、何を言ってるのですか?私は通りすがりの親切な」

 久遠は素早く車の後ろまで移動し、

「――やっぱり」

 何かを確信して金髪の元へと戻る。彼女が確認したのは――ナンバープレート?

「ねえ、親切なお姉さん?」 

「は、はい」

 声のトーンはあくまで普通。しかし、琴音(?)の怯え方を見る限り、その顔には穏やかでは無い笑顔を浮かべているのだろう。

「そのサングラスとウィッグを取ってくれるかしら?」

「うぃっぐ?何のことでしょうか?」

「と・っ・て・く・れ・る・?」

「…………はい」

 琴音(?)は逆らえないと思ったのか、ゆっくりとサングラスと金髪――というかウィッグ――をとっぱらい。

「スミマセンデシタ」

 平謝り。その顔は確かに琴音だった。久遠は腕を組んで溜息をつき、

「何でここに居るの?」

 琴音は縮こまって人差し指同士をつんつんと合わせながら、

「いや、多分傘が無いだろうなぁって思って」

「そうね。でも、あれは琴ちゃんが確認したわよね?入れたって」

「…………」

「琴ちゃん?」

「えっと……あの時はあった、と思うんだけど」

「でも、実際には入ってなかったわよ?」

「な、何ででしょう?」

 沈黙。

「……その車の中、探してみていいかしら?」

「そ、それは駄目!」

 再び沈黙。やがて溜息。

「はぁ……一体何がしたいの」

「いや……もし、雨が降ったら、相合傘になるかなって思って、それで」

 久遠はあきれ顔で、

「遥さんも持ってなかったらどうするつもりだったの?」

「遥に限ってそれはない……と思ってたけど、もし、そうだったらアタシが出てって傘だけ渡そうかなと思って」

「あのねぇ……」

 久遠は額に手を当て、

「あの件、やっぱ無しにしていいかしら?」

 琴音は慌てて、

「そ、それだけは駄目!?」

「駄目じゃない!っていうか本当はいけない事なんだからね?分かってるの?」

「うう……」

 アレが何のことかは分からない。しかし遥は、一方的に琴音が責められるというのが何となく嫌で、

「えっと、そこまでしなくても……」

 久遠が振り向く。その顔は一瞬驚きに、やがて怒りに変わり、

「!?遥さんまでこの子の肩を持つの!?」

 しまった。どうやら地雷だったようだ。

「い、いや、そういう訳じゃ」

「ひーちゃん、遥は何にも」

 久遠は琴音をひと睨みして、

「琴ちゃんは黙ってて」

「……はい」

 うわぁ、弱い。

 久遠は再び遥の方を向いて、

「遥さん」

「は、はい」

 先ほどの様な怒りは無く、言い聞かすように、

「琴音はね、自業自得なの。だから……」

 そこまで言って口を抑えて、

「……くちっ!」

「あ、」

 そうか。遥はとっさに傘を出したからそうでもないが、久遠は暫く雨に打たれていたのだ。透けるだとか以前に冷えるはずだ。

「ほら、取り敢えず乗りなって。着替えも有るから」

 琴音が心配そうにのぞき込む。しかし、久遠は、

「いい。着替えだけ頂戴」

 そう言って手を差し出す。琴音は暫くその手を見つめていたが、

「――分かった」

 窓から首をひっこめる。やがて、再び顔をだして、

「ほれ」

 紙袋を手渡す。中には恐らく着替えが入っているのだろう。久遠は中をちらっと見て、

「……ありがと」

 それを持ってずんずんと歩いて行ってしまう。

「あっ……」

 遥はとっさに追いかけようと、

「やめときな」

 すると、後ろから止められる。

「でも!」

 琴音はいつもとは違う、硬さを帯びた表情で、

「やめときなって。あの子、ああなったら、何か言っても逆効果だから」

「そ、そうなんですか……?」

「そうだって。大丈夫。遥は私がちゃんと送り届けたってメールしておくからさ。ね?」

 ふっと、表情が柔らかくなる。どちらにしても後は帰るだけだ。本当は最後まで送り届ける方が紳士的かもしれないが、今、遥は女性である。だから、

「――分かりました」

 素直に従った。

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