第20話 トマトとトマトソースは別物

 遥は自らの腕時計を確認し、

「そういえば、そろそろお昼だね」

 話を振る。久遠も、

「え、そんな時間?」

 そう言って時間を確認し、

「ホントだね。全然気が付かなかったよ」

 びっくりする。

 ここまでの行程は遥の想像よりもずっとスムーズだった。一応今日は休日に当たるので、もっと混んでいるかもと思っていたのだが、意外とそうでもない。もしかしたら、直近にゴールデンウィークがあるから、そっちに流れたのかもしれない。

そして、二人の雰囲気は間違いなく、仲のいい姉妹のそれだった。いや、髪の色も違うし、年齢は同じ。加えて、身長も大きな差は無いのだが、何故かそういう風になってしまう。その原因は、

「ゴメンね、気が付かなくって。それじゃ、そろそろお昼にしよっか?遥さんは何食べたい?」

 ほぼ99%が久遠だった。遥は「前回はサインの事が気になっていたから遥に対して世話を焼くような接し方をしていた」という認識で居たから驚いた。どうやら、彼女の遥に接するスタンスは概ねこんな感じらしい。彼女には姉が居るらしいが、もしかしたら、妹が欲しかったのかもしれない。

「えっと……」

「ん?どこか行きたいところ有った?」

 さて、どうしよう。実の所遥が時間に気が付いたのには訳が有る。時は遡って土曜の夜。翌日の準備を済ませ、そろそろ風呂に入って寝ようかと考えていた時、以前に久遠と出かけた時の一コマを思い出したのだ。


『一人暮らしなんだ。それで自炊してるなんて凄いなぁ……』

『……手料理、食べに行きたいなぁ』


 悩んだ。思いついた時、既に時間が遅かった事も有り、手の込んだものを用意するのは不可能だった。それに、久遠にも伝えていない。彼女がお弁当を作ってくる可能性があるのかどうかは分からないが、少なくとも、園内での食事を楽しみにしているという可能性は十分にある。そんな彼女に「明日は弁当を作って持って行きます」というのは果たして良い事なのだろうか。そもそも、彼女に苦手なものが有ったらどうしよう。などと色んな事を考えた。

 そして、その結論として、今遥のバッグに入っているのが、サンドイッチを主体とした弁当(約二人分)である。以前のイタリアンを何となく思い出し、そこで使っていた食材なら大丈夫だろうという結論によって作られたそれは、久遠の一食分×2としてはやや物足りないであろう量になっていた。これで、仮に園内で行きたい店があったとしても大丈夫だろうという遥の算段である。

 と、いう訳で、

「あ、あの。実はね」

「うん」

「お弁当を……作ってみたんだけど、どうかな?」

 久遠は最初「お弁当?」と言って首を傾げる。やがて、その意味を理解したのか「お弁当!」と手を打ち、

「え、何、遥さんが作ってきてくれたの?」

「は、はい。まあ、作ったと言っても軽食て、」

「食べたい!」

 テンション爆上げである。遥は半歩下がって、

「ええっと……それじゃあ、休憩スペースが有るみたいなんで、そこに行こうか?」

「うん!」

 久遠はキラキラとした笑顔で頷いた。



          ◇      ◇      ◇



 と、いう訳で着てみた。

 園内の一部、具体的に言えば飲食店が集中している辺りからやや離れた場所に、休憩スペースが設けられていた。周辺にはいい塩梅で木々が映え、中心には噴水もある。そして、それを囲う様にして設けられたテーブルと椅子はそこそこ埋まっていた。比率としては家族連れ5割の恋人同士が3割。後の2割は友人同士が殆どである。中には一人で来ている人もいるのだろうが、遠目では「連れを待っているだけ」かどうかの区別はつきにくい。

「ささ、早く座りましょ?」

 久遠は遥の手を心なし強く引く。そんなに弁当が食べたいのか。

「とと……急がなくても無くならないよ?」

 そんな言葉は右から左へと聞き流し、久遠は一つのテーブルを選んで、

「ここでいいかな?」

 噴水を囲んで円になっている広場の中でも、比較的外側に当たる位置。木陰にもなっていて、日差しが強い時は人気になりそうだ。最も今は曇っていて太陽は見えないが。

「うん。良いと思う」

「よし、それじゃ、ここにしよっか」

 久遠はさっと椅子を引いて座り、両手を膝の上に置いて姿勢を正し、

「…………」

 遥の方をじっと見つめる。期待の目だ。遥は戸惑いながら、

「……そんなに期待するものじゃないよ?」

 しかし久遠は、

「そんな事ないよ!」

 何故それを言いきれるのか。久遠は遥の料理など一度も食べたことは無いはずなのだが。

「えっと……それじゃあ」

 とは言え、出し渋る物でもない。元はと言えば久遠の為に作って来たものだ。遥も椅子を引いて座ると、バッグの中から弁当箱を取り出して、

「これ、なんですけど」

 蓋を開けて見せる。中身はサンドイッチに唐揚げ、卵焼き。後は彩りも兼ねてブロッコリーとプチトマトという感じ。

「おおー……」

 久遠は食い入るように見つめた後、

「……えっと、これって遥さんの分は別、よね?」

「いや、一応これで二人分……なんだ」

 久遠は「これで?」という具合に首を傾げる。そりゃ、そうだろう。まだ二回しか見たことが無いが、あの食べっぷりを見る限り、手元にあるこれではどう考えても足りない。しかし、それには訳が有る。

「まあ、二人分ではあるんだけど、軽食というか、これだけで済ませるつもりではないんだ」

「そうなの?」

「うん。園内でどこか行こうと思ってたら悪いなぁと思って」

「それは……」

「実際の所どうだった?」

「……考えてました」

 正解だった。とはいえ、久遠なら普通の一人前を用意しても食べてしまいそうな気はするが。

「えっと……頂いていい?」

「あ、ちょっと待って」

 遥はそう言って久遠を制するとバッグの中から、

「はい」

 おしぼりと割りばしを渡す。

「あ、ありがとう」

 久遠はそれを受け取ってしげしげと眺める。

「ど、どうかした?」

「いや、なんていうか、用意良いなぁと」

「そ、そう?」

 久遠はおしぼり――というかそれが入ったケース――を見せながら、

「そう。このケースだって、わざわざ用意したのよね?」

「うん」

「だったら用意良いわよ。このケースだって、絶対家に常備している様なものじゃないわよね?」

「それは、まあ、そうだけど」

 久遠ははっとなって半身を乗り出し、

「もしかして、わざわざ買ったの?」

 遥はぶんぶんと首を横に振り、

「さ、流石にそこまでは」

 嘘である。幾ら自炊をするとはいえ、そんなものを持っている必要は無い。久遠相手に市販の手拭きでは悪いかなと思い、100円均一のショップで買ってきたものだった。ただ、それを言うのは何となく卑怯な気がして、

「実家に帰った時に、借りてきたんだ」

「そ、そうよね」

 久遠は納得したのか、椅子に座り直して、ケースからおしぼりを取り出して、

「わっ、まだあったかい……」

「ホント?」

 そう言って遥は手前の椅子に腰かけ、

「ホントよ、ほらっ」

 ぴたっ。

「わっ」

 びっくり。久遠は持っていたおしぼりを遥の手に当ててきた。

「――確かにあったかいね」

 久遠は得意げに、

「でしょ?」

「だね……今どきは百均でも良い物が手に入るんだなぁ……」

 ぴたっと動きを止め、

「……百均で買ったって知ってるの?」

 あ、まずい。今のはちょっと失言だったかもしれない。遥は慌てて、

「そ、そうなんだ。母が『百均のやつだけど』って言ってたから」

「ふーん……」

 その声は半信半疑といった具合。こんな事なら最初から普通に言っておけば良かった気がする。

 取り敢えず、遥は気を取り直し、

「ささ、どうぞ」

 弁当箱をずいっと久遠の方へと押し出す。久遠は両手を合わせて、

「――いただきます」

 そう言って、割りばしで弁当箱の中身に手を付ける。最初に手を付けたのは卵焼きだった。

「――――美味しい」

「よかった」

 遥はふわっと肩が軽くなったような感覚になる。自分で味見もしているし、それなりに自信もある。それでも、他人に食べてもらうというのは緊張する物だ。

「遥さんの作る卵焼きは甘くないのね」

「そうだね。母が作るのは結構甘いけど」

 久遠が顔を上げ、

「そうなの?でも、これは甘くないわよ?」

「真似なかったからね。基本的な部分は教わったけど、味付けは自分の好みにしてあるんだ」

「へぇ~……あ、唐揚げも食べていい?」

「どうぞどうぞ」

 久遠は「それじゃ」と意気込んで唐揚げを口に運び、

「これも美味しい……自分で揚げたの?」

「うん。最近は既製品だけでも結構美味しく出来るんだ」

「でも、私こんなに上手く出来ないわよ」

「そんな事ないと思うけど……あ、」

「ど、どうしたの?」

「もしかしたら、二度揚げかな」

 久遠が首を30度位傾けて、

「二度揚げ?」

「はい。言葉の通り、一度揚げた唐揚げをもう一回揚げるんです。これをすると結構美味しくなるんだけど」

「二度揚げかぁ……なるほどねえ」

 久遠は感心しながら弁当箱の中身をじっと見つめる。

「そう。だから、刹那さんでも出来るよ」

「ありがとう。そっか……今度やってみよ」

 うんうんと頷く久遠。遥はふと気になり、

「そういえば、刹那さんも料理するの?」

 久遠は何だかばつが悪そうに、

「あー……一応、ね」

 その反応を見る限り、そこまで自信は無いらしい。ただ、先ほどからの話しぶりを聞く限りだと、自分で料理して、味見もしているようだ。それならば、トンデモなものを作り出す事はなさそうだ。

「さ、どんどん食べて」

 遥のそんな言葉に久遠は反応しない。

「えっと……刹那さ」

「えいっ」

「むぐっ」

 瞬間。久遠は唐揚げを一つつまんで、遥の口の中に放り込む。

「これ、二人分何でしょ?」

「……(コクコク)」

 口が塞がっているので、首肯する。

「だったら、遥さんも食べなきゃ」

 漸く唐揚げを食べ終わり、

「――――っ。でも、」

「でも、じゃないの」

 怒られた。

「私は、遥さんと一緒に食べたいの」

「えっと……ありがと?」

「どういたしまして……って別にお礼を言われるような事じゃないけどね」

 久遠はくすくすと笑って、弁当に手を付ける。さっき遥に、遥の口に唐揚げを放り込んだその箸で、ブロッコリーに手を、

「……どしたの?遥さんも食べようよ」

「はぃ」

 上ずりそうな声を何とか抑え込み、遥は手元のおしぼりで手を拭く。「それって間接キスですよね」なんて事は、到底言えるはずも無かった。

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